(2020年6月5日)
昨日(6月4日)、香港ビクトリア公園では天安門事件の犠牲者追悼に1万人を超える人々が集まって集会が開かれた。31年前、北京で民主化を求める民衆を武力鎮圧した中国当局は、今なお、香港の追悼集会を快く思っていない。その意を承けた香港警察当局が、新型コロナ対策を理由に集会を禁止したが、これを押しての1万人を超える市民の集会参加となった。
香港市民は、禁止されていない少人数のグループに分散し、ソーシャルディスタンスを保つ形で、ロウソクに火を灯して集まった。31年前の弾圧による死者を悼むこの行動には、さすがの警察当局も「違法集会」としての制圧を控え、集会は事実上容認された。
暗闇の中の、無数のロウソクの光が美しく感動的である。しばし考える。どうしてこんなにも美しく、こんなにも感動的なのだろうか。
己が魂を護ろうと権力に抵抗する人の姿は、それだけで十分に美しい。大義のために、不当な権力に抗う人々の姿はより美しい。民主化を求めて犠牲になった人々を悼むための、不当な権力の制止に屈しない多くの人々の行動はこの上なく美しく、感動的である。
31年前のあの事件の後、中国の党と中央政府は、巨大な経済発展をなし遂げることで、国民の口を封じることに成功した如くである。パンを得て口を封じた人々の姿は、けっして美しくない。パンのみにては生るにあらずと心を決めた香港市民の行動こそが感動を呼んでいる。
同じ6月4日、香港立法会(議会)では、美しくない多数派の醜い多数決で、「国歌条例案」が可決成立した。この議会は、市民の意見を反映する構造を欠いている。直接普通選挙にはなっていないのだ。親中派が議席の過半数を占める、汚い仕組みで成りたっている。
雨傘運動時のような、また昨年の逃亡犯条例反対運動のような、中国当局の心胆を寒からしめる大規模大衆運動がやりにくいコロナ禍の今を狙っての国歌条例案の上程。火事場泥棒は、どこの国でもことさらに醜い。
権力にへつらう態度は、それだけで十分に醜い。パンを口にするために、人権や民主主義を抛つ国への阿諛追従はさらに醜い。強大な権力に抗う人々をいけにえに差し出そうという阿諛追従はこの上なく醜い。
中国国歌「義勇軍行進曲」は、帝国主義列強なかんずく侵略者日本の皇軍との闘いの中から生まれた中国人民の崇高な歌である。その国歌が、醜い過程を経て成立した醜い法によってでなければ、その尊厳が守られなくなったのだ。
国家に対する愛着や敬意を強制することはできない。国歌尊重の強制は逆効果と知らねばならない。国家が国民に愛国心を強要し、その手段として国歌の尊厳保持を法で固めなければならないと考えること自体が、既に国家の側の敗北であり失敗である。
もちろん、罪はあの「義勇軍行進曲」にあるのではない。罪はもっぱら愛国心を強制しようという中国当局と、これにおもねる香港議会内親中国派にある。
(2020年6月4日)
6月4日である。私の個人史には重要な日。31年前の今日、私の中の「革命中国」という輝ける権威が崩壊した。その日以降、中国は色褪せた一党独裁の人権抑圧国家となった。その思いは、基本的に今も変わらない。
愚かなトランプが、全国に澎湃と巻きおこっている黒人差別への抗議行動に連邦軍の投入を示唆して物議を醸している。抗議デモに暴力的な側面があったしても、その真の原因は人種差別と格差・貧困にある。これを力で押さえ込もうというトランプの流儀に反発が高まって当然である。その世論に押されて、トランプも容易に軍の投入はできない。これが、2020年アメリカの事態。
しかし、1989年6月4日天安門広場では、中国共産党の指示で人民解放軍の戦車隊が、広場を埋めつくした中国の民衆を武力で制圧した。弾圧の犠牲者数は、数百人説から数千人説、1万人超説まであって正確なところは分からない。分からないながらも、党と軍が、民主化を求める人民に銃口を向け武力で弾圧したことには疑いの余地がない。
帝国主義列強や国民党からの苛烈な弾圧を受けながら、人民の中に生まれ、人民の支援によって権力を掌握した中国共産党が、人民を弾圧する側にまわったのだ。しかも、徹底的な苛烈さで。
この弾圧を指揮した最高指導者は鄧小平である。彼は、民主化を求める民衆の行動を、動乱・反革命と規定した。中国にとって何より大切なものは、「政治の安定」であって、「複数政党による選挙や三権分立ではない」と言いきっている。
事件鎮圧後の鄧小平の言葉に、こんなものがある。
「しばらく前、北京で動乱と反革命暴乱が起こったが、これは何よりも国際的な反共、反社会主義の思潮が煽動したものだ。……中国こそ本当の被害者だ。
人々は人権を支持するが、もう一つ国権というものがあることを忘れてはいけない。人格を言うなら、もう一つ国格を忘れてはならない。とくにわれわれのような第三世界の発展途上国は、民族の自尊心を持たず、民族の独立を大事にしなければ、国家は立ち上がれないのだ」(89年10月)
「中国が動乱を平定した後、7ヵ国の首脳が中国を制裁する宣言を発表した。彼らに何の資格があるのか、誰が彼らにそのような権力を与えたのか! 本当を言えば、国権は人権よりはるかに重要なのだ。」(89年11月)
このコメントは、人権思想や民主主義の全否定に等しい。そもそも法の支配や立憲主義の理念に欠ける。言葉が通じないもどかしさを禁じえない。国権や国格などというものは本来観念する必要はない。国家は飽くまで国民に対する義務主体であって国民に対する関係での権利主体ではない。「国権」を観念し得たとしても、その国権の暴走による人権侵害を防止するためにこそ憲法がある。国権は常に人権に優越的な地位を譲らなければならない。「国権栄えれば人権亡ぶ」のである。そうさせないための民主主義の諸原則なのだ。
もっとも、鄧小平が言ったとおり、31年前の中国は「第三世界の発展途上国」であった。しかし、今中国は、堂々たる世界有数の大国になっている。「大国」の意味は、経済力と軍事力においてのもの、人権や民主主義の水準では相変わらずである。
本日の共同通信によれば、「中国外務省報道官は3日、『中国が選んだ発展の道は完全に正しかった』と述べ、武力鎮圧した当時の判断を正当化した。」というが、一方、「感染症の世界的流行や香港の抗議デモへの強硬姿勢により、国際社会の中国指導部に対する懸念は天安門事件後と同程度まで強まっているとの指摘もある。」という。
その昔、「東風は西風を圧倒する」という毛沢東の言葉を感動をもって受けとめた。西風とは、搾取と収奪、格差や貧困を必然化する西欧の資本主義社会を意味し、東風とは、その矛盾を克服する社会主義中国の未来像だと勝手に理解した。今の中国には、そのような理想の片鱗も感じられない。
6月4日。この日に改めて思う。国権よりは人権を、国格よりは個人の人格を尊重する国でなければならない。けっして、他人事ではない。
(2020年6月3日)
松本光寿君が亡くなったという連絡を受けて茫然としている。50年前、23期の同期司法修習生として司法制度の在り方や法律家の使命などを語り合った仲。享年76、まだ逝くには早すぎる。彼のことだ。此岸には、大きな未練があったはず。
彼は鳥取の人。修習を終えて、郷里鳥取で弁護士となった。登録間もなく、社共統一の鳥取市長選に立候補し、当選には及ばなかったが善戦している。その後、弁護士らしい弁護士として生涯を貫き常に革新の立場を堅持した。
修習生時代の彼は、性温和、大言壮語することも激することもない飄々たる風貌と物腰だった。その彼が、いつの頃からか隠すこともなく検察官志望を口にし、いつの頃からか隠すでもなく青年法律家協会会員ともなった。
当時、裁判所の内部には、憲法擁護を掲げる青年法律家協会裁判官部会の勢力が強く、右翼と自民党と最高裁当局とが、一体となって潰そうと策動していた。これを「ブルーパージ」と言った。われわれ23期修習生活動の共通スローガンは、この策動に対抗して「同期の裁判官志望者のなかから、任官拒否者を出すな」というものだった。青年法律家協会の会員が、最高裁から疎まれ、その思想故に、あるいは団体加入故に、差別されて任官を拒否されるのではないか。憲法を護るべき裁判所にそのような自殺行為があってならない。その運動のボルテージは高かった。
当然のこととして、裁判官志望者は青年法律家協会の会員であることを秘匿した。その雰囲気の中で、松本光寿君は、ただ一人、青年法律家協会会員として検察官志望者であり続けた。彼は、「憲法の理念実現を掲げる青年法律家協会の会員であることと、検察官であることとに何の矛盾もあるはずはない」と言っていた。
それは、まことに真っ当な見解であった。が、問題は、裁判所も法務省も、けっして真っ当ではないことにあった。彼は、何度か、青年法律家協会からの脱退を勧告されたという。それでも、飄々たる風貌と柔らかい物腰に見えた彼は、けっして動揺しなかった。頑固だったと評することもできよう。
そして、彼は検察官としての任官を拒否された。もしかしたら、彼こそは、その思想故に検察官任官を拒否された、歴史上たった一人の人物、なのかも知れない。
松本光寿君が検察官への任官を拒否されたと同じ時期に、同期の裁判官志望者7名も任官を拒否された。そのうち6名が青年法律家協会の会員だった。当局は、どのような手段でか正確に司法修習生の個人情報を把握していたのだ。
われわれ同期は、この裁判官任官拒否に大いに怒った。その怒りが、修習修了式の阪口徳雄君の研修所長への一言の質問となり、阪口君罷免にまで発展した。一方、松本君の検察官任官拒否事件には、抗議はしたものの大きな運動のテーマにはならなかった。裁判官志望者に対する任官拒否と、検察官志望者への任官拒否とは、自ずと重要さが異なるという暗黙の共通理解があったからであろう。
裁判所は、また裁判官は、独立していなければならない。右翼や自民党の攻撃に屈して、憲法の理念に忠実であろうという裁判官を攻撃してはならない。そのような裁判官志望者を排除してはならない。その強い思いは共通していた。しかし、検察官志望者について同じレベルの問題とはとらえられていなかった。
黒川弘務検事長の定年延長問題で、検察官の準司法機関としての役割が強調されている今、松本君の検察官任官拒否の問題について、もっと深く考えるべきだったかと思う。
その後、ときたまに会った。会えば、あの頃のことに話が弾む。印象に残る2度の機会があった。
その1は、私も彼も、スモン訴訟に携わった。どちらも、第3グループの投薬証明皆無の地元患者の立証に苦労を重ねた。私は盛岡から彼は鳥取から、東京に出て会議に参加してその都度顔を合わせた。
その最初のころの機会だったと思う。「ボクもとうとう自分の顔に責任をもたねばならない齢になった」と彼が言うのだ。リンカーンの言葉を引用しての、40歳になった感慨の述懐。とすると、あれは、36年前のことか。
2度目は、憲法制定60周年の日弁連人権擁護大会である。開催場所が鳥取だった。松本君は、地元鳥取県弁護士会の会長だったと思う。受け入れ側を代表する立場だった。私は、日弁連の憲法問題対策本部の一員として、憲法制定60周年を記念するにふさわしい宣言案の起草に携わっていた。
何しろ、全弁護士が加盟する日弁連の宣言である。紆余曲折いろいろあったが、日弁連の対策本部から最終的な成案としてまとまったのが、下記の宣言案である。これに、かなり長文の提案理由が付されている。今、読み直して、なかなかよくできたものだと思う。
実は、この宣言案の採択は、議場で大いに揉めた。簡単には議決とならなかった。2時間半の「激論」が続いたと記録されている。右からの攻撃を想定していたが、議論は改憲派との間では起こらなかった。左からの攻撃を受けた。「9条2項の戦力不保持に関する姿勢が曖昧」というのが主たる問題点とされた。「これでは、自民党の提案と変わるところがない」とまでの発言があったと記憶する。
予定にはなかったが私も発言した。「個人的な憲法観を宣言に持ち込むよう要求してはならない」「特定の立場からの憲法観を盛り込んだ日弁連の宣言は、国民に対する影響力を弱めることになる」などという趣旨だった。
思いがけなくも、松本君も発言した。地元会を代表する立場での発言として、満場が注目した。彼は、落ちついた態度で、力強く語った。「この宣言案を弱いとか、不十分とする意見は、世の常識とかけ離れている」「これを自民党案と同様などと言うのは、ためにする議論で児戯に等しい」「日弁連はこの宣言案を満場一致で採択して、世に憲法理念の大切さを訴える責務を果たさねばならない」という内容と記憶している。大きな拍手を得た演説だった。
ああ、松本君。髪の色は変わったが、こと憲法に関する姿勢は、あのときから変わっていないのだと感動を覚えた。その松本君が5月初旬に亡くなったという。冥福を祈るばかり。
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立憲主義の堅持と日本国憲法の基本原理の尊重を求める宣言
日本国憲法制定からまもなく60年を迎える。
基本的人権の擁護と社会正義の実現を使命とする当連合会は、1997年の人権擁護大会では「国民主権の確立と平和のうちに安全に生きる権利の実現を求める宣言」を行うなど、全国の弁護士会、弁護士とともに、日本国憲法と国際人権規約などを踏まえて人々の基本的人権の擁護に力を尽くしてきた。
ここ数年、政党・新聞社・財界などから憲法改正に向けた意見や草案が発表され、本年に入り衆参両院の憲法調査会から最終報告書が提出され、自由民主党が新憲法草案を公表するなど、憲法改正をめぐる議論がなされている。
そこで、当連合会は、自らの責務として、また進んで国民の負託に応えるべく、本人権擁護大会において、日本国憲法のよって立つ理念と基本原理について研究し、改憲論議を検討した。
日本国憲法の理念および基本原理に関して確認されたのは、以下の3点である。
憲法は、すべての人々が個人として尊重されるために、最高法規として国家権力を制限し、人権保障をはかるという立憲主義の理念を基盤として成立すべきこと。
憲法は、主権が国民に存することを宣言し、人権が保障されることを中心的な原理とすべきこと。
憲法は、戦争が最大の人権侵害であることに照らし、恒久平和主義に立脚すべきこと。
日本国憲法第9条の戦争を放棄し、戦力を保持しないというより徹底した恒久平和主義は、平和への指針として世界に誇りうる先駆的意義を有するものである。
改憲論議の中には、憲法を権力制限規範にとどめず国民の行動規範としようとするもの、憲法改正の発議要件緩和や国民投票を不要とするもの、国民の責任や義務の自覚あるいは公益や公の秩序への協力を憲法に明記し強調しようとするもの、集団的自衛権の行使を認めた上でその範囲を拡大しようとするもの、軍事裁判所の設置を求めるものなどがあり、これらは、日本国憲法の理念や基本原理を後退させることにつながると危惧せざるを得ない。
当連合会は、憲法改正をめぐる議論において、立憲主義の理念が堅持され、国民主権・基本的人権の尊重・恒久平和主義など日本国憲法の基本原理が尊重されることを求めるものであり、21世紀を、日本国憲法前文が謳う「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利」が保障される輝かしい人権の世紀とするため、世界の人々と協調して人権擁護の諸活動に取り組む決意である。
以上のとおり、宣言する。
(2020年6月2日)
公益財団法人第五福竜丸平和協会からのお知らせです。
第五福竜丸展示館は、新型コロナウイルス感染拡大防止のため臨時休館しておりましたが、緊急事態宣言の解除に伴い、本日6月2日(火)より通常通りに開館いたします。
開館時間 午前9時30分?午後4時(通常通り)
当館では、感染拡大防止策として以下を実施いたします。
職員の健康管理・マスク着用
消毒剤の設置
館内の清掃強化と消毒・換気
ハンズオン展示、映像展示、資料閲覧コーナーの中止
混雑時の入場制限
ご来館の皆さまへ、以下の点についてご協力・ご留意をお願いいたします。
館内では、マスク着用・咳エチケットをお願いします。
手指の消毒、こまめな手洗いにご協力ください。
来館者どうしの距離を十分に取りご見学ください。
長時間の滞在はご遠慮ください。
混雑時には入館をお待ちいただく場合がございます。
発熱などの体調に不安のある方は入館をご遠慮ください。
すぐには、ご来館いただけない方は、まずは、下記の動画をご覧ください。
第五福竜丸展示館・知って見て第五福竜丸
https://www.youtube.com/watch?v=hc6Ao_cKgvQ&t=9s
(KyodoNews)第五福竜丸の内部を公開 水爆実験で被ばく、建造70年
https://www.youtube.com/watch?v=0XYUREv2Nac
(SankeiNews)水爆実験で被ばくの第五福竜丸 建造から70年
https://www.youtube.com/watch?v=sfds8ZAIUlw
その上で、展示館のホームページをご覧ください。
URLは以下のとおりです。
第五福竜丸展示館トップページ
http://d5f.org/
第五福竜丸とは
http://d5f.org/about
展示内容
http://d5f.org/tenji
フェイスブック
https://www.facebook.com/daigofukuryumaru/
やはり、バーチャルではご不満ですね。リアルの船体と展示をご覧になりたい方は、下記アクセスのURLを開いてください。夢の島のお散歩のついでにでも、ご来館ください。もちろん、入場は無料です。
http://d5f.org/access
なお、第五福竜丸展示館では団体見学を受け付けております。
サークル、ゼミなどの団体見学や小、中、高など学校の修学旅行なども多く受け 入れております。周囲は芝生が茂るキレイな公園で、アクセスも良好で大型バス 駐車場などもご用意しております。
ご来館の際には、当館のボランティアスタッフ、学芸員によるガイド(簡単なご 説明、展示紹介、質疑応答など)も行っております。
http://d5f.org/dantai
どうぞ、よろしくお願いします。
(2020年6月1日)
本日(6月1日)、上脇博之さん(神戸学院大学法学部教授・憲法学)が原告となって、注目すべき情報公開請求訴訟(開示・不開示決定取消請求訴訟)を大阪地裁に提訴した。被告行政庁は、法務省法務大臣、人事院事務総局給与局長、内閣法制局長官である。
情報公開請求者として原告適格をもつのが上脇さんお一人、阪口徳雄君ら大阪中心の情報公開訴訟ベテラン弁護士が中心の弁護団だが、何人か東京からの参加弁護士もあり、私もその一人となった。
この提訴を「注目すべき情報公開訴訟」というのは、上脇さんが開示を求めた文書が、いずれも黒川弘務元東京高検検事長の本年1月31日定年延長閣議に至る判断過程を明確にするためのものだからである。
このところの議論で知られところとなったのは、かつては一般公務員の定年制に関する規定は、検察官には適用ないものというのが関係各省庁での統一解釈であった。それが、どこかの段階で解釈変更となって、1月31日黒川検事長定年延長閣議決定となった。しかし、いつ、どのような議論を経て、誰がそのような判断をしたのかは定かでない。
上脇さんは、こう考えた。「閣議決定のための法務大臣請議(閣議を求める手続き)以前に、関係省庁で検察官の定年延長に関する解釈変更摺り合わせが行われたであろう。その摺り合わせの過程の文書の開示を得れば、どこの段階で、『検察官にも一般公務員と同じく定年延長の規定適用が可能』という解釈変更の決断に至ったかわかるはず」。その関連文書の開示を求めることで、解釈変更の過程と理由を明確にすることができる。仮にそのような文書が不存在なら、それ自体で閣議決定の違法を明らかにすることができる。また、閣議決定前に不存在なら、そのような文書は、閣議決定後には存在するはずではないか。
こうして、上脇さんは、本件解釈変更に関係する法務省・人事院・内閣法制局に、閣議決定以前の関係全文書、ならびに閣議決定以後の関係全文書を開示するよう情報公開請求をした。これに対する各行政庁の決定では、貧弱ながらも閣議決定以前の関係文書(各省庁各1点)は出てきた。しかし、これは内容・体裁から、本当に当時作成したものとは信じがたい。そして、閣議決定後の関係文書は、いずれも不存在として不開示決定となった。
そのため、この訴訟の事件名は、「開示及び不開示決定処分取消請求事件」とされている。閣議決定前に作成されたものとして開示された3件の文書についての開示決定と、閣議決定後には作成されていないとして不開示とされた求める3件の文書についての不開示決定を、いずれも違法として合計6件の処分取り消しを求める訴えである。請求が認容されて、取消の判決が確定すれば、各行政庁は改めて真正の開示決定をしなければならない。
分かり易く言えば、求めるものとは違う文書を開示した3件の処分は違法だから取り消せ、あるはず文書を不存在として不開示とした3件の処分も違法だから取り消せ、隠さずにもっとちゃんとした文書を出せ、と求めているのだ。
この情報公開請求は、いずれについても本年1月31日黒川定年延長閣議決定に至る判断過程を国民が知るために不可欠なものである。安倍政権発足以来、森友事件、加計学園事件、桜を見る会事件等々、政権の疑惑として報じられる案件において、当然なされるべき公文書の作成、管理及び情報公開が極めて杜撰である。本件黒川元検事長の定年延長問題もその例に漏れず閣議決定に至る経過が不透明極まる。
閣議決定前に作成された文書として、法務省、人事院、内閣法制局から上脇さんに開示された各行政文書については、真実、閣議決定前に作成された文書であることを示す内容が記載されていない。各省庁の協議の結論だけが一応記載されてはいるが、作成年月日、作成者、その結論に至るまでの協議内容、経過が全く記載されていない。公文書管理法、公文書ガイドライン、各省庁の公文書管理規則などに従えば当然に記載されているはずの、誰と誰が協議して、いつそのような結論に至ったかの「意思形成過程」を明確にする内容が開示されていないのだ。
公開された文書は、無責任に、誰でも、何時でも作成できるメモ的文書あるいは、「作文」に過ぎないと言って過言でない。閣議決定後の文書は不存在という決定であったが、開示された文書は実は閣議後に作成された文書とも思われる。
本件裁判は以上の疑惑を明らかにして、黒川元検事長の定年延長閣議決定過程における、法務省、人事院、内閣法制局の行政文書の作成や情報公開の在り方を問う裁判である。
(2020年5月31日)
共産党都委員会のホームページに昨日(5月30日)アップされた記事の一部を転載する。
【都知事選】臨戦態勢/革新都政の会が方針
革新都政をつくる会は29日、代表世話人会を東京都豊島区で開きました。告示まで20日に迫った都知事選(6月18日告示、7月5日投開票)で、市民と野党の共闘で都政を転換するため、臨戦態勢の確立を進める方針を確認しました。
日本共産党の田辺良彦都委員長が発言し、野党間の協議の現状を報告。元日弁連会長の宇都宮健児氏が立候補を表明したことについて、「基本政策は私たちと共有できる。たたかい方について、よく話し合っていこう」と語りました。また、野党統一候補の実現に努力するとしました。
同会の中山伸事務局長は、都政転換に向けた「呼びかけ人会議」(浜矩子・同志社大学大学院教授ら)の訴えに応え、草の根で呼びかけ人・賛同人を増やす活動に取り組んできたと報告。
新型コロナウイルスの感染拡大に伴う緊急事態宣言が解除された下で、呼びかけ人会議主催の「変えよう東京」会合(6月3日)を成功させるとともに、「パンフレット『都知事選挙 私たちの提案』『都民の目で見た小池都政黒書』の普及を軸に、職場・地域・団体の臨戦態勢を確立しよう」と述べました。6月8日に臨時総会を開くことを提起しました。
共産党都委員長が語る、「(宇都宮君の)基本政策は私たちと共有できる。たたかい方について、よく話し合っていこう」「野党統一候補の実現に努力する」とは何とも、不可思議な表現。保守には、こういう明晰さを欠いた政治的表現が目につくが、共産党にはこんな物言いは似合わない。
「たたかい方について、よく話し合っていこう」は、いったい誰と誰との、どのようなたたかいについて、何を目指しての「話し合い」を呼びかけているのだろうか。
まさかとは思うが、宇都宮君を意中の候補として「彼を野党統一の候補者とするたたかい方について、つくる会内でよく話し合っていこう」「宇都宮の野党統一候補の実現に努力する」ということと読めなくもない。
仮に、共産党主導で宇都宮君の野党統一候補(ないしは野党共闘候補)実現があればという仮定の話だが、そんなことになれば2020都知事選は革新陣営にとっての形づくりだけの消化試合でしかなくなる。彼を統一候補とした途端に、多くの都民は革新側に都知事選を本気で闘う意欲がないとみるだろう。事実上の選挙戦放棄である。
過去2度の都知事選に出馬して、惨敗した候補者である。負け馬の3度目の出馬に勝利の目はない。誰が見ても、本気で勝ちに行く選挙にふさわしい候補者ではないのだ。
彼の過去の2度の知事選の得票は、2012年97万票(当選した猪瀬直樹は434万票)、14年98万票(当選した舛添要一は211万票)である。いずれも、100万に届かない。前回都知事選では、あのバッシングの嵐の中で鳥越俊太郎は135万票(当選した小池百合子は290万票)を得ている。
東京の基礎票が弱いのでやむを得ないのかと言えば、そんなことはない。参院東京選挙区(6議席)では、蓮舫一人で171万票(2010年)を得票した実績がある。同氏は2016年の選挙でも112万票を獲得している。これには及ばないものの、共産党の参院東京選挙区での得票数も、以下のとおりなかなかのもの。
2013年(吉良佳子)71万票、16年(山添拓)67万票、19年(吉良佳子)70万票。
2014年総選挙の東京ブロックでの野党各党の得票数は、以下のとおりである。
民主党94万票、共産党89万票、社民党12万票。合計では195万票になる。この基礎票あって、宇都宮(統一)候補では100万に届かないのである。
野党共闘が成立して、基礎票に共闘効果としてのプラスアルファの上積みを期待し、これに魅力的な候補者と目玉になる政策の押し出しがあれば、…都知事選はけっして勝てないたたかいではない。
何よりも、都民の目から見て「革新共闘が今度は本気で勝ちを狙っている」と感じさせるだけの清新で有力な候補者の擁立が不可欠である。宇都宮君には、最初の出馬表明時にはその片鱗があった。しかし、選挙戦進展の中で、候補者としての資質の欠如、魅力の欠如を露わにして歴史的な惨敗をした。いま、政党が宇都宮を推薦するとなれば、都民の目には「この選挙捨てたな」と見られるしかない。
しかも、彼は前回都知事選にも革新共闘の協議を無視して3度目の立候補をし、告示直前に立候補を断念したものの、革新共闘には背を向け続けている。今回また、革新共闘とは距離を置くことを公言して憚らない。到底、革新共闘が一致して押すことのできる候補ではない。
まさかとは思うが、念のために「呼びかけ人会議」に申しあげたい。
真に革新陣営の共闘を大切する立場を貫くならば、市民と野党の共闘に背を向けてフライングの立候補宣言をした宇都宮健児君を共闘候補として推薦してはならない。共産党が、「基本政策は私たちと共有できる」と、さらにフライングを重ねたこの事態では、なおさらのことである。
仮に宇都宮君を共闘候補として推薦するようなことになれば、市民運動が主導して野党共闘を作るという、いま、成功しつつある貴重な枠組みに大きな傷を残すことになる。くれぐれも、よくお考えいただきたい。
そして、共産党にも一言申しあげたい。
無理をしてまで、今回都知事選に形だけの野党共闘にこだわる必要があるのだろうか。この時期、野党共闘にふさわしい候補者を得られないとすれば、共産党が単独推薦できる、清新で魅力的な候補者は何人もいるではないか。ことここに至って、やむなく宇都宮君で都知事選をということではなんとも虚しい。本気になって、党の政策を独自候補で押し出すたたかいを組むべきではないだろうか。
(2020年5月30日)
私も編集委員の一人なのだから自画自賛となるのだが、最近の「法と民主主義」は充実している。「新型コロナウイルス問題を考える」を特集した5月号(5月27日発刊)も出来栄えがよい。
https://www.jdla.jp/houmin/index.html
特集の意図や内容については、下記を参考にされたい。
https://www.jdla.jp/houmin/backnumber/pdf/202005_01.pdf
以下は、私の私的な感想である。
巻頭論文の「グローバル化のなかのコロナ危機ー市民社会と科学の役割 … 広渡清吾」論文は、さすがの格調。「1 COVID-19のグローバル化」「2 市民社会と国家緊急権」「3 市民社会と科学者の社会的責任」の3節からなり、それぞれが完成度の高い論文となっている。市民社会の本質論からの緊急事態考察にも、元学術会議会長が語る科学者の社会的責任論の展開も、読み応え十分である。
そして、医療、国際比較、経済、憲法、改憲、立法、政権手法などの各分野の論文が続いている。
医療の分野での、「後手後手から迷走した安倍政権─新型コロナ対策迷走の真相と今後の課題 … 上昌広」は、市民読者に対する本号目玉の論稿である。忖度とはまったく無縁の医学研究者が、歯に衣きせぬ貴重な論述で、多くのことを教えてくれる。「医系技官の責任」を語り、政権が感染症蔓延の初期対応を誤り、その軌道修正もできなかったことの経過が具体的に論じられる。戦争や災害の失敗の歴史の再現を見せつけられる思いである。
「世界各国のCOVID-19と緊急事態法制 … 稲正樹」論文は、短いスペースに、各国の対応を比較して興味深い。「成功している国」として、オーストラリア、デンマーク、フィンランド、アイスランド、ニュージーランド、台湾を挙げ、「失敗している国」として、インド、インドネシア、ブラジル、メキシコを挙げている。また、立憲主義の観点から問題のある国として、アメリカ、ハンガリーが検討されている。その他は、「新法の制定で対応した国」「緊急事態を発動していない国」「緊急事態を発動した国」とのカテゴリーで説明している。
「コロナ禍の経済政策 … 阿部太郎」は、誰しも関心をもたざるを得ない「財源論」において、「将来的には租税負担率を増やしていくのもひとつの手」とした上、消費増税ではなく、「この機に、所得税、法人税の累進性を高めること」を提案している。「各国が同時に累進性を高める方法もあり得る」と示唆的である。
憲法学者二人の専門性が高い論稿もお薦め。
「改正新型インフルエンザ等対策特別措置法における『緊急事態宣言』と野党の対応 … 成澤孝人」と、「新型コロナ感染症対策に便乗する緊急事態条項改憲論 … 小沢隆一」の両論を併せて読むと、憲法レベルでの「緊急事態」と、法律レベルでの「緊急事態」の区分の整理のうえ、ことさらにこれを混同しようとしている改憲派の思惑が見えてくる。
「改正コロナ特措法の制定と緊急事態宣言 … 海渡雄一」は、弁護士の目から見た、立法と宣言の経過を追って、問題点を指摘している。
最後の論稿が、「惨事便乗、場当たり対策から改憲まで ─ コロナ対策の経緯と安倍政権の手法 … 丸山重威」 惨事に便乗した安倍政権のこの手法。このように、まとめて提示されると、なるほど凄まじいばかり。貴重な記録となっている。
そして、もう一つの特集の目玉が、『「新型コロナ問題」私はこう考える』である。各界の然るべき15人が、新型コロナ感染問題を。それぞれの切り口で問題意識を語っている。
自然科学、社会科学、法学、教育学などの知性を代表する方、中国や韓国の事情に詳しい方、コロナ禍がもたらす、格差や差別と対峙している方、医療や薬学と切り結んでいる実務法律家。お一人の字数を敢えて800時に抑えた寄稿をいただいた。
島薗 進/池内 了/右崎正博/矢吹 晋/堀尾輝久/吉田博徳/鈴木利廣/李 京 柱/藤江- ヴィンター 公子/徐 勝/角田由紀子/井上英夫/水口真寿美/大森典子/田島泰彦
特集以外でのもう一つの目玉は、西川伸一(明治大学教授)さんの「最高裁裁判官の指名・任命手続について─第二次安倍政権による異例の人事から考える─ 」 これは、今年の司法制度研究集会・プレシンポでの講演内容の書き下ろし。来年(2021年)が、「司法の嵐」と言われたあのときから、50周年となる。あらためて、裁判官人事の在り方は、大切な論点となっている。
お申し込みは、下記のURLから。
https://www.jdla.jp/houmin/form.html
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「法と民主主義」5月号
特集●新型コロナウイルス問題を考える
◆特集にあたって … 編集委員会・飯島滋明
◆グローバル化のなかのコロナ危機
──市民社会と科学の役割 … 広渡清吾
◆後手後手から迷走した安倍政権
── 新型コロナ対策迷走の真相と、今後の課題 … 上 昌広
◆改正コロナ特措法の制定と緊急事態宣言
── 日本政府のコロナ禍への対応がもたらす、いのちの危機と自由の危機 … 海渡雄一
◆世界各国のCOVID-19と緊急事態法制 … 稲 正樹
◆新型コロナ感染症対策に便乗する緊急事態条項改憲論 … 小沢隆一
◆コロナ禍の経済政策 … 阿部太郎
◆改正新型インフルエンザ等対策特別措置法における
「緊急事態宣言」と野党の対応 … 成澤孝人
◆惨事便乗、場当たり対策から改憲まで
── コロナ対策の経緯と安倍政権の手法 … 丸山重威
◆「新型コロナ問題」私はこう考える … 島薗 進/池内 了/右崎正博/矢吹 晋/堀尾輝久/吉田博徳/鈴木利廣/李 京 柱/藤江- ヴィンター 公子/徐 勝/角田由紀子/井上英夫/水口真寿美/大森典子/田島泰彦
◆特別寄稿
最高裁裁判官の指名・任命手続について
─第二次安倍政権による異例の人事から考える─ … 西川伸一
◆連続企画●憲法9条実現のために〈29〉
国際法から読み解くソレイマニ司令官殺害事件と自衛隊中東派遣 … 山形英郎
◆司法をめぐる動き(57)
・湖東記念病院事件再審無罪判決のご報告 … 井戸謙一
・4月の動き … 司法制度委員会
◆追悼●追悼 森英樹先生 … 米倉洋子
◆追悼●もっとご一緒に闘いたかった … 南 典男
◆メディアウオッチ2020●《コロナ危機とメディア環境の変化》
「つぶやき」が「火事場泥棒」を退治した…真実の伝達と民主主義への信頼を … 丸山重威
◆改憲動向レポート〈No.24〉
「国民の命と健康を守るため、
……政策を総動員して各種対策を進めています」と発言した安倍首相 … 飯島滋明
◆BOOK REVIEW●全集から全て書き出して編集に4年かけた力作
── 市橋秀泰著『立憲主義をテーマにマルクスとエンゲルスを読む』(東銀座出版社) … 井上幸夫
◆時評●異例ずくめの憲法記念日 … 丹羽 徹
◆ひろば●火事場泥棒を許さない─ウェブ集会などの取り組み─ … 江夏大樹
(2020年5月29日)
都知事選が目前である。6月18日(木)の告示まで3週間を切った。既に、具体的な選挙運動準備が始動していなければならないこの切迫した時期に、革新陣営の予定候補者が未定である。
これまで、「市民と野党共闘」という枠組みでの統一候補の擁立が模索されてきた。その動静は、「東京革新懇」や「革新都政を作る会」、あるいは「九条の会」などを通じて公式・非公式に伝えられて来た。そして、現在は「市民と野党の共闘の実現で都政の転換をめざす呼びかけ人会議」がその任務を担っている。アベ政治や小池都政を容認しがたいとする多くの都民の期待は大きい。
国政レベルでの「市民と立憲野党の共闘」が大きく進展し、安倍改憲を阻止し、国政私物化のアベ政権を追い詰める成果を上げている。今、その都政レベルでの、「市民と野党の共闘」という枠組みの設定が重要なことが自明である。そのうえで、その枠組みにふさわしい候補者の擁立が必要なのだ。
これまで、期待を込めて見守ってきた。予定候補者として、何人もの有力な人の名前が上がっては消えた。水面下の事情についてはまったく知らないから、もしかしたら完全には消えていない人がいるのかも知れない。おそらくは、ギリギリの段階で、しかるべき人が出てくるのだろうとの希望は捨てていない。
そんな中で、宇都宮健児君が立候補を表明し、一昨日(5月27日)出馬の記者会見をした。もちろん、「市民と野党共闘」の候補ではない。その意味ではフライングである。まだ間に合う。宇都宮君、立候補はおやめなさい、と申しあげたい。
言うまでもなく、「出たい人より、出したい人」が候補者としてふさわしい。これまで、都知事選に「出たがっている」人としては、宇都宮君を措いてない。しかし、到底彼が、「市民と野党の共闘」候補者としてふさわしいとは考え難い。2020年都知事選の共闘候補として、これまで彼が考慮の対象であったことはない。
半年ほど前のこと、ある集会後の懇親会の席上、都レベルでの野党共闘と統一候補擁立に努力をされている方から、意見を聞かれたことがある。「宇都宮さんは、野党共闘からの要請がなくても、立候補したいんだろうか?」「私は彼の動静についてはまったく知りません。それでも、出たいんだろうと推測はしています」「それが困るんだ。共闘の立場から出したい人を説得して決意させることはなかなか難しい。宇都宮さんに先に手を挙げられると、余計に困難になる。何とかならないでしょうかね」
なんともならないうちに、憂慮が現実となった。5月27日記者会見で、彼は記者の質問に答えてこう発言したそうである。
「私が立候補(表明)するまでに政党との関係はないし、今まで政党に支援要請はしていない」「今回は、どういう候補が出てきても降りるつもりはない」「それ(山本氏が出馬しても立候補を断念しないこと)は、もう当然。(宇都宮氏以外の候補者で)野党共闘ができても、降りないわけだから」(括弧内は、J-CASTの記者による)
むくつけなまでの野党共闘拒否の宣言である。もちろん、そのような考え方があってもよかろう。しかし、誠実に社会進歩を望む人の発言ではない。日本の首都の首長選挙である。市民や野党間の共闘あっての候補者でなければならない。市民と野党の共闘が先行して、一致して「出したい人」が候補者として擁立されねばならない。「出たい人」に引き摺られての形だけの共闘は無意味である。今後への弊害が大きい。
問題は、野党の対応である。何より注目されるのは共産党の姿勢。本日(5月29日)の赤旗が、志位和夫委員長の以下の発言を報じている。
「昨日(27日)の宇都宮さんの会見を拝見しましたが、基本的な政治姿勢、基本政策は私たちと共有できると思います。日本共産党として宇都宮さんの出馬表明を歓迎します。今後のたたかいについては、よく話し合っていきたい」と語りました。
志位氏はまた「この間、野党の党首間では、都知事選挙で統一候補を立ててたたかうことを何度も合意しています。わが党としては野党共闘でたたかう体制をつくるために努力したい」と語りました。
その見出しが、「東京都知事選で志位委員長 宇都宮氏の出馬表明を歓迎 野党共闘の体制づくりへ努力」というもの。まことに思慮に欠けた発言と指摘しなければならない。
《野党共闘拒否宣言の宇都宮出馬表明歓迎》と《野党共闘の体制づくりへ努力》が、両立するわけはない。これでは、共産党が、野党共闘を壊しているとの批判を避けがたい。
問題は、それだけではない。市民運動としての「呼びかけ人会議」に対する背信行為というべきだろう。「市民と野党の共闘の実現」を目指す活動は、有力野党の共産党の特定候補者評価できわめて難しくなる。共闘を否定しての宇都宮健児出馬表明がフライングであり、これを容認するかのごとき志位和夫発言もフライングというほかはない。
本来、共産党はこう言うべきだった。「呼びかけ人会議のお骨折りによる候補者選定の成果を待ちたい」「白紙の立場で野党共闘による候補者擁立の努力を重ねたい」「宇都宮候補への評価は、今は控えたい」
私は、水面下の動きは知らない。まさか、とは思うが、同会議が宇都宮健児の推薦をするようなことになれば、だまし討ちに等しい。さまざまな憶測を呼ぶことになるだろう。私も、「呼びかけ人会議」の呼びかけ人の一人だが、そのときは即刻下りることにしよう。
小池百合子・小池都政にガマンがならない理由のひとつに、その頑なな歴史修正主義の姿勢がある。浜矩子が言うとおり、「安倍政治と小池政治は全く瓜二つ」である。かつての日本が近隣諸国の民衆に何をしてきたかについて、真摯な認識の意欲をもっていない。口先だけはダイバーシティ(多様性)を標榜しながら、民族的少数者への配慮はない。ヘイトスピーチをこととする人物や集団を拒絶する潔癖さがない。
その象徴的な出来事が、「9.1関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典」への対応である。1973年の第1回追悼式典以来、歴代の都知事が追悼文を送ってきた。人間としての心あれば、当然の行為というべきだろう。あの、右翼・石原慎太郎でさえも欠かしたことがない。にもかかわらず、小池百合子はこの追悼文の送付を辞めた。極右の都議会議員・古賀俊昭の議会での質問に呼応してのことである。
そればかりではなく、今年は、式典の主催者に不当な誓約書の提出を求めるに至っている。この誓約書の提出なければ、会場の使用許可をしないというのだ。これまで式典が荒れたことも、問題を起こしたこともないのに、である。歴史的な事実の重み、これまでの追悼式の経緯、誓約書の内容と効果などに鑑みれば、小池知事の追悼式典への不当な嫌がらせとしか考えられない。
以下は、5月18日付の「追悼式典実行委員会」声明、そして、本日(5月28日)付「自由法曹団東京支部」声明である。ぜひ、お読みいただきたい。
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声 明
2020年5月18日
9.1関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典実行委員会
実行委員長 宮 川 泰 彦
記
9.1関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典実行委員会(以下、当実行委)は、東京都立横網町公園内に建立されている朝鮮人犠牲者追悼碑前で、毎年9月1日、関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典を執り行っている。
横網町公園は、1930年に関東大震災の犠牲者を追悼することを目的として開園した「慰霊の公園」である。朝鮮人犠牲者追悼碑も、こうした公園の趣旨に合致するものとして、関東大震災50年を迎えた1973年(昭和48年)に当時の都議会全会派の幹事長も参加する建立実行委員会によって建立され、都に寄贈されたものである。
当実行委は、碑が建立された1973年以降、毎年、都との事前打ち合わせを踏まえ使用許可を得て、厳粛且つ平穏に追悼式典を執り行ってきた。式典には、小池都知事が取り止めるまでは歴代の都知事から追悼文が送付され、近年では総理大臣経験者やソウル市長、宗教者や学者などからもメッセージが寄せられるようになった。また昨年(2019年)は700人が参列するなど、虐殺犠牲者を悼み、二度と繰り返すまいと誓う場として、広く認められるようになっている。
そして、この追悼式典が、公園管理に関わる大きな問題を指摘されるようなことは、これまでなかった。
ところが昨年9月以降、東京都は、2020年の追悼式典使用許可申請に対して、使用許可条件について整備中だとして、当実行委の申請受理を3回にわたり拒否し、12月24日には、「横網町公園において9月1日に集会を開催する場合の占有許可条件について」(以下、「条件」)と題する文書を当実行委に示してきた。
それによると、毎年9月1日の横網町公園では、「関東大震災に関連した追悼行事等の集会に関する占有許可申請が複数」あり、昨年は「集会参加者によるトラブルが発生」したため、公園利用者の安全のために条件を付すこととしたという。「複数」とあるように、「条件」は、9月1日に横網町公園で式典や集会を行うすべての団体に向けられたものである。
「条件」の具体的な内容は、「公園管理上支障となる行為は行わない」「(都の大法要と重なる時間は)拡声音量装置は使用しない」「(集会で使う拡声器は)当該参加者に聞こえるための必要最小限の音量とすること」などである。
問題なのは、東京都が、これを遵守する旨の都知事宛ての誓約書を提出することを求めていることである。しかも、この誓約書には「下記事項が遵守されないことにより公園管理者が集会の中止等、公園管理上の必要な措置を指示した場合は、その指示に従います。また、公園管理者の指示に従わなかったことにより、次年度以降、公園地の占用が許可されない場合があることに異存ありません」とある。
こうした内容の誓約を求めることは、本来自由・自主である集会運営を萎縮させる恐れがある。そもそも一般通念上、誓約書を書かせるというのは非常に重い要求である。まして、式典を中止させられたり不許可にされたりしても「異存ありません」との誓約を求めるのは、よほどのことである。ところが当実行委は、都が示したような「公園管理上支障となる行為」等を行ったことはないのである。
当実行委は、今年2月、「条件」が示す一つ一つの内容について、朝鮮人犠牲者追悼式典がそれに反する行いをしたことはあるかと文書で質した。すると、都は、そのすべてについて「今回設けた条件に概ね合致している」として、「今後も、概ね昨年同様の式典を開催いただけると考えております」と、文書で回答した。追悼式典のあり方には従来のままで基本的に問題がないというのである。だとすればなおさら、当実行委に誓約書の提出を求める必要性も合理的理由も見当たらない。なぜ当実行委が、このような誓約を、都知事に対して行わなければならないのか。
都の要請の背景には、2017年より、朝鮮人犠牲者追悼式典と「同日同時刻」にあえてぶつけるかたちで、同じ横網町公園内で行われている、右翼団体「そよ風」主催の「真実の関東大震災石原町犠牲者慰霊祭」と称する集会がある。毎日新聞動画ニュースサイトが「追悼の場に『ヘイトスピーチ』 9月1日、朝鮮人犠牲者追悼式典」と伝えたように、この集会では、「不逞朝鮮人」が「震災に乗じて略奪、暴行、強姦」を行い、「日本人が虐殺されたのが真相」だなどと演説し、さらに拡声器を故意に朝鮮人犠牲者追悼式典の方向に向け、それを大音量で流すといった、まさに「トラブル」を引き起こしている。
東京都が示した「条件」の内容は、東京都自らが文書で回答したとおり、追悼式典については全く問題にならないものだが、一方、「そよ風」の行動についてはその多くが当てはまる。この「条件」は、「そよ風」主催の集会を念頭に置いたものだと理解できなくもない。
しかし、だとすればなぜ「そよ風」に対して個別に問題行動について注意するのではなく、何の瑕疵もない当実行委とセットにして、双方に誓約書を書くことを求めるのか。
なぜ、震災時の虐殺犠牲者を「不逞朝鮮人」と貶めることを目的として現にトラブルを惹起している集会と、震災時の朝鮮人虐殺犠牲者を厳粛に追悼してきた式典を同列に扱い、集会を中止させられたり不許可にされたりしても「異存ありません」などと誓わせるのか。「慰霊の公園」という横網町公園の趣旨に照らして、都の意図に対する疑念は膨らむばかりである。
当実行委は、今後も毎年、関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典を厳粛に執り行っていく。東京都に対しては、2020年9月1日関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典開催に関する当実行委の占有許可申請を直ちに受理すること、および、当実行委に対する前記誓約書要請を撤回し昨年までと同様の占有許可を速やかに行うことを、強く求めるものである。
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9・1関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典の開催につき不当な誓約書の提出を条件とすることを撤回し、占有許可を求める声明
自由法曹団東京支部は、自由法曹団(1921年創立、憲法と人権、平和と民主主義の問題にたずさわる弁護士が約2000名以上加入し、全都道府県で活動している団体)の東京支部として、都内の約460名の弁護士が結集している団体で基本的人権の擁護、平和・民主主義の発展を目指し、諸活動に取り組んでいます。
9.1関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典実行委員会が毎年9月1日に開催している関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典につき占有許可の条件として提示した誓約書の提出要求を撤回するよう求めます。
趣 旨
東京都は9.1関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典の開催場所である東京都立横網町公園の占有許可申請に対して実行委員会に提示している占有許可の条件(「公園管理上支障となる行為は行わない」「(都の大法要と重なる時間は)拡声音量装置は占有しない」「(集会で使う拡声器は)当該参加者に聞こえるための必要最小限の音量とする」、「遵守されないことにより公園管理者が集会の中止等、公園管理上の必要な措置を指示した場合は、その指示に従います。また、公園管理者の指示に従わなかったことにより、次年度以降、公園地の占用が許可されない場合があることに異存ありません」との内容の不当な誓約書の提出を占有許可の条件とすることを撤回し、同委員会へ直ちに占有許可してください。
理 由
本追悼式典は、関東大震災時に殺害された朝鮮人犠牲者を追悼するものであり、虐殺犠牲者を悼み、二度と繰り返すまいと誓うものです。朝鮮人が武装蜂起や放火をするといったデマで、自警団や軍隊、警察による殺傷事件が起き、中央防災会議の報告書は、朝鮮人らの犠牲者数は約十万五千人であり、震災死者の「1?数%」と指摘しています。こうした悲劇を踏まえ、横網町公園に1973年、朝鮮人犠牲者追悼碑が建立され、40年以上追悼式が行われてきました。式典は毎年厳粛に静かに執り行われており、管理上の支障や混乱が生じたことは全くありません。
今回の都による異例の条件付与は、朝鮮人虐殺を否定する団体が2017年から追悼式と同時間帯に「慰霊祭」を開くようになったことがその要因であると考えられます。都は誓約書の提出を要求する理由として、2019年追悼式典の会場付近でトラブルが生じたことを挙げていますが、「不逞朝鮮人」などの言葉で犠牲者を貶め、静謐であるべき追悼の場を妨害する者の言動は、東京都オリンピック憲章にうたわれる人権尊重の理念の実現を目指す条例に定める不当な差別的言動(ヘイトスピーチ)に該当することが明らかであり、このような団体と本追悼式典との双方に混乱の原因があるかのようにいう行政の対応は、本追悼式典を妨害する団体を不当に利するものというほかありません。
小池百合子都知事は、歴代の都知事が行ってきた式典への追悼文の送付を取りやめ、また、追悼碑にある犠牲者数などについてはさまざまな意見があると述べて明白な虐殺についても諸説あるかのような極めて消極的な姿勢を示しています。関東大震災の朝鮮人虐殺が事実であることは明白であるにもかかわらず、「虐殺否定論」に利する態度をとることは、悲劇を繰り返すまいと積み重ねてきた東京の追悼の歴史が、壊されてしまいかねないものと憂慮します。
自由法曹団東京支部は、東京都に対し、2020年9月1日関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典開催に関する主催団体の占有許可申請を直ちに受理すること、主催団体に提示した誓約書要請を撤回し昨年までと同様の占有許可を速やかに行うことを強く求めます。
2020年5月28日
自由法曹団東京支部
支部長 黒岩哲彦
(2020年5月28日)
一昨日(5月25日)の緊急宣言解除首相記者会見。アベ晋三の自己弁護・自己宣伝に終始した白々しさだけが印象に残る不快なものだった。
その中での、記者との以下の遣り取りに注目したい。具体的な回答を求める記者の質問に、(1) まともに答えない、(2) 抽象的な言葉の羅列ではぐらかす、というアベ回答の常套手段がよく現れている。なお、引用は官邸のホームページから。
(記者)東京新聞、中日新聞の後藤です。
政府の緊急事態宣言が出されているさなかの賭けマージャンで辞職した黒川前東京高検検事長の問題についてお伺いします。
捜査機関や政府に対する信頼を大きく損なう重大な事案であるにもかかわらず、国民から処分が甘いという批判が相次いでおります。総理は先ほど、批判は真摯に受け止めるという発言がありましたが、そうした厳しい国民感情を踏まえても、今回の訓告の処分が適当で、満額で6,000万円とも言われる退職金がそのまま支払われることに何ら問題はないと考えているのでしょうか。
また、法務省は、国家公務員法に基づく懲戒が相当と判断していましたが、官邸が懲戒にはしないと結論づけたというような報道もありますが、処分の前にどのような協議が官邸となされていたのか、その点についても詳しくお聞かせください。
記者の質問は次の2点である。
(1) 6,000万円もの退職金を(満額)支払うことに問題はないと考えているのか。
(2) 処分の前に、(官邸と法務省との間で)どのような協議がなされていたのか。
敷衍するなら、(1)は、「これだけの問題を起こした黒川に、6,000万円もの退職金を(満額)支払う」ことについて、「アベさんよ、国民感情に鑑みて、あなたはそれでよいと考えているのか」という糾問である。回答は、「イエス」か「ノー」。あるいは「当然」、「やむを得ない」などを想定している。
(2) は、黒川処分の経過について、官邸の言ってることとは食い違う報道もあるから確認したい。官邸と法務省との間で、処分の前にどのような協議がなされたのか、詳しく聞かせていただきたい、というもの。こちらは、いわゆる「開かれた質問」。具体的な経緯についての詳細な説明が求められている。
これに対するアベ答弁はどうであったか。まず、端的に答えねばならない(1)をスルーして、(2)について答えようと、何かをしゃべっている。以下のとおり。
(安倍総理)
黒川氏の処分については、先週21日に法務省から検事総長に対し、調査結果に基づき訓告が相当と考える旨を伝え、検事総長においても訓告が相当であると判断をして、処分したものと承知をしています。
私自身は、森法務大臣から、事実関係の調査結果を踏まえて処分を行ったこと、その上で、黒川氏本人より辞意の表明があったので、これを認めることとしたいとの報告がありまして、法務省の対応を了承したものであります。もちろん、対応を了承しておりますので、この処分について総理大臣として、行政府の長として、責任を持っているところでございます。
国民の御批判に対しては、これも真摯に受け止めなければならないと、この上は、法務省、検察庁において信頼を回復するために全力を尽くさなければならないと、私も全力を尽くしていきたいと思っています。
アベ晋三、「処分の前に、(官邸と法務省との間で)どのような協議がなされていたのか」と聞かれて、「処分の前に協議などなかった」とは言わない。言えないのだ。記者だけでなく、国民の多くが、「官邸と法務省との間で摺り合わせがあり、協議が調ったから、《検事総長において訓告とし、内閣に報告をした》と形を整えた、と考えている。記者の質問は、そんな分かりきったことを聞いていない。聞きたいのは形が整えられる以前の経過だ。それが、「処分の前にどのような協議がなされていたのか詳しく聞きたい」という問になっている。
これに対してみごとなまでの「ゼロ回答」である。国民を舐めているとしか、言いようがない。確かに、何かをしゃべってはいるのだが、聞かれたことにはけっして答えない。全ては、摺り合わせができた後の話ばかり。これは、無能の極みか、高等戦術なのだろうか。いずれにしても、こんなことを聞かされれば、大いに苛立つしかない。
「再質問禁止ルール」での、形ばかりの記者会見だったが、質問をスルーされて、さすがに記者が食い下がった。
(記者)退職金については、そのまま支払われることは問題ないでしょうか。
(安倍総理)退職金については、訓告処分に従って減額されているというふうに承知をしています。
これは、「高額な退職金が減額なくそのまま支払われることを、国民感情に照らして問題ないと考えているのか」という、重ねての質問。これに対する、アベの「訓告処分に従って減額されているというふうに承知をしています」は、噛み合わない変な答弁。噛み合わせようという意識があれば、「訓告処分に従って○○○万円も減額されていますから、国民も納得してくださるものと考えています」としなければならない。
ところが、アベはそうは言えないのだ。訓告は国家公務員法にもとづく不利益処分ではなく、《公務員の非違に対する上司の指導監督措置》に過ぎない。法的根拠を要せず、法的効果ももたないとされる。だから訓告には、行政手続法に定める事前の聴聞手続きも不要で、法的な救済手続も用意されていない。そもそも不利益性がないとされているからだ。
従って、「訓告処分に従って退職金減額」はありえない。それでも、あるかのごとく平然と言ってのけるのが、アベの常套手法。印象操作を得意とするアベのアベたる所以なのだ。
この点について、昨日(5月26日)の衆院法務委員会で、森雅子法相は、「自己都合退職」となるため定年退職の場合より約800万円減額されていると説明した。何のことはない、「自己都合の退職だから」「定年まで勤務して退職する場合に比較すれば、」「約800万円減額」になる、というのだ。訓告だから減額ではない。
アベ晋三が言った「訓告処分に従って退職金減額」は嘘なのだ。「減額」という言葉が意図的に使われている。訓告を受けたことは、退職金の額にまったく影響はしていない。だから訓告「処分」という言葉の使い方もおかしい。本来から言えば、黒川は2月7日定年退職だったはず、その時点での退職金から、金額を具体的に示せないが、かなりの金額を「増額されている」はずなのだ。
メディアは、慎重に「首相と法相の発言が食い違いを見せた」というが、「食い違い」ではない。法相の答弁のとおり、「(訓告の場合は)処分自体で支給額は影響を受けない」のだから、アベの印象操作は、明らかな嘘である。
なお、常習賭博の黒川を懲戒処分としなかったことは、どんな事前の協議があったにせよ、あるいはなかったにせよ、懲戒処分権者である内閣の責任である。これは免れようがない。にもかかわらず、その内閣の長の地位にあって、明らかな嘘をつき、軽い訓告で済ませたことを法務大臣・検事総長の責任と転嫁する印象操作を重ねるみっともない人物。そんな人物を、われわれは長年にわたって行政のトップに据えてきたということなのだ。
(2020年5月27日)