澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

五輪は聖域か? 国立競技場は聖地なのか?

本日の各紙社説が、新国立競技場の建設計画白紙撤回問題を取り上げている。表題は以下のとおり。なお、日経は別のテーマ2本となっている。
 朝日  新国立競技場問題―強行政治の行き詰まりだ  
 毎日 「新国立」白紙に 混乱招いた決断の遅れ
 東京  新国立競技場 やっと常識が通ったか
 読売  新国立競技場 計画の白紙撤回を評価したい
 産経 「新国立」白紙に 祝福される聖地を目指せ

表題が各社説の姿勢をよく表している。一見政治性の希薄なこのテーマが、鮮やかに各紙の政権とのスタンスのとりかたをあぶり出している。朝日・毎日・東京が、それぞれの個性を出しつつ安倍政権批判を明確にし、他の重要課題と通底する問題の根を指摘した上で、この問題での厳しい責任追及の必要を説いている。3紙ともさすがに立派な社説だが、とりわけ朝日の問題意識の鮮明さと熱気に敬意を表したい。

これに比較して、読売・産経の問題意識の低さは目を覆わんばかり。「首相の判断は遅きに失したとはいえ、適切である」という以上の内容はない。文章の格調もまことにお粗末、そもそも読者に訴えるものが皆無なのである。こんなレベルの記事を読まされる読者は気の毒、一瞬そう思って考え直した。

メディアが読者を感化する側面だけでなく、読者がメディアを育てる側面もあるのだ。国民は自分たちのレベルに見合った政府しか持ちえない、あるいは、「この国民にして、この政府」ともいう。政府だけでなく、メディアも同じだ。安倍政権も、読売・産経も、今の国民意識が育てているのだ。政権とチョウチン・メディアの持ちつ持たれつ。読売・産経水準のメディアが、大手として存在していること自体が、この国の状況を物語っているというべきだろう。

先の自民党安倍応援若手議員の言論弾圧勉強会で、沖縄2紙が「潰せ」とやり玉に挙げられた。これに反論した沖縄タイムス・琉球新報2紙が、「県民意識に支えられ、県民世論に育てられた」と胸を張ったことが思い出される。読売・産経も、安倍政権支持派の右翼や保守に支えられ、育てられたのだ。読売・産経が、「メディアが権力と対峙する気概をもたず、提灯持ちでどうする」などという批判が通じる相手ではないことは明らかだが、その読者層も基本的に同類なのだ。読売・産経の購読者は、安倍政権御用達メディアの維持育成を通じて安倍政権提灯持ちに参画しているといわざるを得ない。

朝日・毎日・東京とも、競技場問題と戦争法案との関連について明確に触れている。同法案の取扱いが内閣の支持率を低下させる中で、国民の支持をつなぎ止める必要こそが新国立競技場建設計画の見直しの動機だという指摘である。この常識的な見方について、読売・産経はみごとなまでに一言も触れない。

朝日の問題意識とは、こういうことだ。
「問題の核心はむしろ、なぜ、この土壇場まで決断ができなかったのか、である。誰の目にも明らかな問題案件であり続けたにもかかわらず、なぜ止められずにここまできたのか。そこには、日本の病んだ統治システムの姿が浮かび上がる。すなわち、責任の所在のあいまいさである。」

この無責任体制が、結局は安倍政権の民意軽視の常態化をもたらしている。
「競技場問題が迷走した過程で一貫していたのは、異論を遠ざける姿勢だった。政策決定の責任者たちが、国民の声に耳をふさぐことが常態化している問題は深刻だ。」

したがって、問題はひろがりをもっている。
「民意を顧みず、説明責任を避け、根拠薄弱なまま将来にわたる国策の決定を強行する――。それは競技場問題に限った話ではない。国民が重大な関心を寄せる安保関連法案や、原発関連行政にも通底する特徴だ。」

「そのいずれでも国民の多数がはっきりと強い懸念を示している。国民の命と安全に直結する問題だというのに、首相は国会での数の力で押し通し、異論に敬意を払おうとしない。」「(安倍政権は、)安保も原発も、あらゆる政治課題でも、主役は国民一人ひとりであることを悟るべきだ。」と厳しい。

毎日も基本的に同旨で、
「安倍首相は記者団に対し『国民の声に耳を傾け』、方針転換を決断したと強調した。そうであれば、安保政策、沖縄の普天間移設問題、原発政策についても国民の声に謙虚に耳を傾ける姿勢を示してほしい。」と指摘している。

東京は、次のような論調。
「(首相の見直しが)国民の反対の声に真摯に向き合った結果だと、だれが素直に信じられようか」「今度こそ忘れてならないのは国民への情報公開と丁寧な説明、合意づくりの手続きである。神宮外苑の歴史や文化、水と緑の環境との調和を求める声は根強い。」

なお一点。産経の論調にひっかかるものがある。そのタイトルにある「祝福される聖地を目指せ」ということについてである。本文中には、「新たな計画には、五輪招致時に掲げた「アスリートファースト(選手第一)」の理念に立ち返ることが望まれる。」「五輪や競技場の主役は選手なのだ」と言っていることについて。

私は、オリンピックが国民的祝祭であるとも、そうであって欲しいとも思わない。国立競技場を国民的な聖地にすることなどはマッピラゴメンだ。税金を使ってアスリート主役の祭典を行うことには強い違和感を持ち続けている。アスリートなる人種に対しては、「人様の税金を使う身でいったい何様のつもりだ」という気分を拭えない。もっと優先順位の高い切実な税金の使途があるだろうと考えるからだ。

昔から、パンとサーカスが人民をたぶらかす為政者の常套手口だった。いまも、為政者がスポーツを国威発揚やナショナリズム昂揚やらの手口としている。コマーシャリズムがこれに便乗して儲けている。カネにまみれて薄汚いのがFIFAだけてあるはずはなく、オリンピックだって同じに違いない。そんな権力と資本に、税金を提供して舞台をしつらえるということが、バカバカしくも情けない。

財政に関わる主権者意識からは、冷ややかに五輪を見る醒めた目が必要だ。費用を縮小して当初案の1300億円が適正な規模だと考える根拠はない。飽くままで、ゼロベースからの出発であるべきだ。青空の下、原っぱにパイプイスをならべての開会式なんて、最高にエコでスマートでしゃれているではないか。ムシロを敷いて、世界中の人々が車座に座り込んでもよいではないか。

安倍も菅も下村も森も遠藤も、そしてJSCの河野一郎も、有識者会議の竹田恒和・小倉純二・安藤忠雄・佐藤禎一なども、人のカネ(税金)だと思って無責任に浮かれたのだ。立派な施設が必要だというのなら、まずそれぞれが1億円くらいの身銭を切ってはいかがだろうか。えっ? 公選法違反になる? いやそんなはずはない。仮にその恐れがあったところで、そこは皆さま脱法行為はお手のものではないか。

オリンピックが真に平和の祭典だとすれば、戦争法案をゴリ押ししている安倍政権がオリンピックを組織すること自体を自己矛盾というべきではないか。憲法9条を大切にする日本であってこそ、オリンピック開催の資格があろう。月桂冠を掲げつつ、後ろ手に銃を隠し持つ安倍の姿は、オリンピックに似つかわしくない。
(2015年7月18日)

「戦争法案」も白紙に戻せ?国立競技場建築見直しだけでなく

臨時ニュースを申し上げます。
安倍総理大臣は、本日午後総理大臣官邸で記者団に対し、安全保障関連二法案について、「本日臨時閣議を開催して法案を撤回することを決め、議院に所定の手続をとりました。また、これに伴い日本の安全保障についての計画を見直すことを決断しました」と述べるとともに、既にアメリカ政府には了承の内意を得ていること、連立与党である公明党も了解済みであることを明らかにしました。

また首相は、本年4月27日の日米ガイドライン見直しに関して、防衛・外務両大臣が急遽渡米の予定であること、日米首脳会談の日程も調整中であると述べました。

安全保障に関連する10本の法律を一括して改正する「平和安全法制整備法案」及び「国際平和支援法案」の二法案は、これに反対する野党や市民団体からは「戦争法案」と呼ばれていたものです。

自衛隊を設置した1954年以来、政府は「我が国は専守防衛に徹し、集団的自衛権行使は容認しない。だからけっして戦争をすることのない自衛のための実力組織である自衛隊の存在は憲法に違反するものではない」と説明してきました。しかし、今回の二法案は、従前の憲法解釈を大きく転換して、我が国が他国から攻撃された場合に限らず戦争をすることを可能とするものであり、また、外国で外国軍隊の軍事行動の兵站を担う活動も可能とするものです。したがって、圧倒的多数の憲法学者や法律家によって、一内閣が事実上の改憲を行うという立憲主義に反するものであり、憲法九条にも違反すると厳しい指摘を受けてきたものです。

同法案は去る7月16日に与党のほぼ単独採決によって衆議院は通過しましたが、このときの審議打ち切り採決強行が、民主主義の危機という国民世論が沸騰し、安倍政権の土台を揺るがす事態となって、法案撤回に至ったものと思われます。

安倍総理大臣は次のようにも述べました。
「平和は国民の皆さまの大切なもの。その平和をどう守るべきかという政策を決するには、国民一人一人の皆さまが主役となって論議に参加していただく民主主義的手続を経なければなりません。もちろん、自衛隊員の皆さまのご意見もよく聞かなければなりません。法案審議から衆院通過直後に寄せられた各界各分野の国民の皆さまの声に真摯に耳を傾けた結果、法案を白紙に戻し、ゼロベースから見直さざるを得ないと判断しその環境整備を進めてまいったところです」

「法案に反対の声は、実は野党の皆さまだけではなく、公明党からも、そして我が党の内部にもくすぶっていました。これまではけっして大きな声としては聞こえてきませんでしたが、法案が衆院を通過した以後の世論の沸騰の中で、『このままでは、到底次の選挙の大敗北を避けることができない』『政権の維持は困難だ』との悲鳴が上がるようになりました。検討の結果、もともと法案の成立に喫緊の要請があるということではなく、アメリカ政府の了解も得られる見通しであると確信したので、私の責任においてこのような決断をした次第です」

なお、この政府の措置に、もっとも難色を示した一人とされる高村正彦副総裁は、総理大臣官邸で安倍総理大臣と会談したあと、記者団に対し、「政府がやることだ。こういうこともある」と憮然たる面持ちで言葉少なに語りました。

今回、安倍政権が突然に安保関連法案を撤回した背景には、この法案が国民世論にきわめて評判が悪く、「違憲の法案だ」「近隣諸国を刺激する愚策だ」「立憲主義に反する」という従前の批判に加えて、衆議院の強行採決では「民主主義の危機だ」「自民党感じ悪いよね」という圧倒的な国民の声を浴びて、このままでは政権自体が持ちこたえられない「存立危機事態」になっていたことが基本にあります。

安倍政権は強行採決の翌日に、同じく反対世論の盛りあがっていた新国立競技場問題について計画の白紙撤回を発表しました。こうした安倍内閣の方針転換を目のあたりにした国民世論が、批判の世論は確実に政権を追い詰め政策を変えることができると自信を強めて抗議運動の規模を拡大させた成果が、本日の安保関連法案の白紙撤回の成果と考えられています。

なお、本日、安保関連法案の白紙撤回の報を受けた直後に、NHKの籾井勝人会長が突然の辞意を表明しました。その理由はまだ公表されていませんが、「政府が右と言えば、左というわけにはいかない」と公言して、陰に陽に安保法案成立のために政権に協力していた立ち場から、自分への国民の大きな批判に耐え得ないと考えたのであろうと推察されています。

また、街の声を拾いますと歓迎一色で、「国立競技場の見直しについてもできないと言っていたけど、国民の声が高まれば簡単にできちゃった。戦争法案もおんなじなんだとよく分かった」「戦争法案撤回によって、平和と民主主義が擁護された」「主権者として民主主義を守ることができた」「何よりも、憲法と立憲主義とを守り抜いた」「国民の行動の力に自信をもった。次の選挙では、自民党と公明党を追い落とすことができるだろうと思う」などという意見を聞くことができました。
(2015年7月17日)

強行採決に抗議し、安保関連法案の廃案を求める法律家団体声明

戦争法案の衆議院強行採決には、多くの声明・アピール・決議が飛び交っている。全国では厖大なものになるだろう。多くは、「満身の怒り」「断固たる抗議」から書き始められ、「強く廃案を求める」理由が語られ、「そのために全力を尽くす決意」で締めくくられている。

廃案を求める理由は、「法案の違憲」「立憲主義違反」「平和主義反する」「民主主義反する」というもの。世論の動向に触れたものも多い。

法律家団体の抗議声明3通をご紹介する。私の所属する日民協や自由法曹団ら6団体の共同声明、東京弁護士会の会長声明、そして席代の東弁会長連名の声明。みんな、素早い。そして、真剣さが伝わって来る。誰も、落胆などしていない。怒りとともに、廃案へ闘う決意十分だ。こんな情勢で、はたして安倍政権持ちこたえられるろうか。
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自民公明両党などによる戦争法案の衆議院強行採決に
強く抗議し、同法案の廃案を求める法律家6団体共同声明

 自民・公明両党は、武力攻撃事態法、自衛隊法など既存10法を一括して改正する「平和安全法制整法案」と新設の「国際平和支援法案」(以下併せて「戦争法案」という。)を昨日の衆議院特別委員会に引き続き、本日、衆議院本会議において強行採決により可決した。私たち法律家6団体は、自民・公明両党などによるこの度の強行採決に強く抗議するとともに、憲法違反の戦争法案の廃案を断固として求めるものである。

1.戦争法案は違憲であること
 戦争法案は、我が国が直接武力攻撃を受けていない場合に、米国ほか他国のために武力行使を行う集団的自衛権を認めるものであり、その行使を限定する歯止めは存在しないに等しい。のみならず、戦争法案は、自衛隊が海外の戦闘地域あるいはその直近まで赴き、米国軍他の多国軍隊の後方支援活動(兵站活動)を行い、また、任務遂行のための武器使用や米艦等防護を口実とする武力行使を可能とするものである。日本の安全を守る、あるいは、国際平和への貢献という名のもとに、自衛隊の海外派兵と武力行使を解禁するものであり、憲法第9条の定める戦争放棄・戦力不保持・交戦権否認に違反することは明らかである。衆議院での審議により、こうした法案の問題点は払拭するどころか、ますます明らかになる中での強行採決であった。
2.立憲主義・民主主義に反する強行採決
 そもそも昨年7月1日の閣議決定は、「集団的自衛権の行使は憲法違反」という60年以上にわたって積み重ねられてきた憲法解釈を一内閣の判断で根本的に変更するものであり、憲法解釈の枠を逸脱するものである。さらに、本年4月27日、日米両政府は、「日米防衛協力のための指針」(ガイドライン)を、現行安保条約の枠組みさえも超える「グローバルな日米同盟」に改定し、同29日、安倍首相は米国上下両院において、法案の「この夏までの成立」に言及するなど、国民主権軽視の姿勢は一貫していた。そして、多数の憲法研究者や元内閣法制局長官らが憲法違反を指摘し、各種の世論調査において国民の過半数が反対し、8割が政府の説明に納得していない現状の中で、自民、公明両党が行った衆議院強行採決は、立憲主義と国民主権・民主主義を踏みにじる戦後憲政史上最悪ともいうべき暴挙であり、断じて許されてはならない。
3.結語
 私たち法律家6団体(構成員延べ7000名)は、安倍政権による反民主主義、反立憲主義手法による戦争法案の強行採決に強く抗議し、今後とも、広範な国民とともに、憲法9条を否定し、日本を戦争する国に変え、日本国民並びに他国民の命を危険にさらす本戦争法案を廃案とするために、全力を尽くす決意であることをここに表明する。

2015年7月16日 
 改憲問題対策法律家6団体連絡会
 社会文化法律センター         代表理事  宮  里  邦  雄
 自 由 法 曹 団             団 長   荒  井  新  二
 青年法律家協会弁護士学者合同部会  議 長   原  和  良
 日本国際法律家協会         会 長   大  熊  政  一
 日本反核法律家協会         会 長   佐 々 木 猛  也   
 日本民主法律家協会        理事長   森    英    樹  
  

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2015年07月16日

東京弁護士会 会長 伊藤 茂昭

 本日、衆議院本会議において、『安全保障関連法案』が与党のみによる賛成多数で強行採決され、参議院に送付された。
 『安全保障関連法案』は、他国のためにも武力行使ができるようにする集団的自衛権の実現や、後方支援の名目で他国軍への弾薬・燃料の補給等を世界中で可能とするもので、憲法改正手続も経ずにこのような法律を制定することが憲法9条及び立憲主義・国民主権に反することは、これまでも当会会長声明で繰り返し述べたとおりである。
 全国の憲法学者・研究者の9割以上が憲法違反と断じ、当会のみならず日弁連をはじめ全国の弁護士会も憲法違反を理由に法案の撤回・廃案を求めている。法律専門家のみならず、各マスコミの世論調査によれば、国民の約6割が反対を表明しているし、約8割が「説明不足」だとしている。
 このように、法律専門家の大多数が憲法違反と主張し、国民の多くからも強い反対や懸念の表明があるにもかかわらず、『安全保障関連法案』を政府及び与党が衆議院本会議における強行採決で通したことは、国民主権を無視し立憲主義及び憲法9条をないがしろにする暴挙と言わざるを得ない。
 安倍総理自身が、「十分な時間をかけて審議を行った」と言いながら「国民の理解が進んでいる状況ではない」と認めており、そうであるならば主権者たる国民の意思に従い本法案を撤回すべきである。国民の理解が進んでいないのではなく、国民の多くは、国会の審議を通じ、本法案の違憲性と危険性を十分に理解したからこそ反対しているのである。
 参議院の審議においては、このような多くの国民の意思を尊重し、慎重かつ丁寧な審議がなされるべきであり、政府及び与党による強行採決や60日ルールによる衆議院における再議決など断じて許されない。
 あらためて、憲法9条の恒久平和主義に違反し、立憲主義・国民主権をないがしろにする『安全保障関連法案』の撤回あるいは廃案を、強く求めるものである。

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私たちは、安全保障関連法案の撤回・廃案を強く求めます!

2015年7月15日

 「二度と戦争をしない」と誓った日本国憲法の恒久平和主義が、今最大の危機を迎えている。
 現在、国会は政府の提出した「安全保障関連法案」を審議中であるが、会期を異例の95日という長期間延長し、本日、衆議院の特別委員会での採決を強行した。政府与党は、引き続き、本国会での成立を辞さないとの構えを見せ、日々緊迫の度を増している。
 安全保障関連法案は、昨年7月1日の集団的自衛権行使の容認等憲法解釈変更の閣議決定を立法化し、世界中のどの地域でも自衛隊の武力行使(後方支援)を可能とするものである。「厳格な要件を課した」と称する存立危機事態・重要影響事態等の発動の基準は極めて不明確で、時の政府の恣意的な判断で集団的自衛権が行使され、自衛隊の海外軍事行動が行われる危険性が高く、憲法9条の戦争放棄・恒久平和主義に明らかに反するものである。
 また憲法改正手続に則って国民の承認を得ることなく、憲法を解釈変更し、これに基づく法律制定をもってなし崩し的に憲法を改変しようとすることは、立憲主義および国民主権を真っ向から否定するものである。
 衆議院憲法審査会に与野党から参考人として招じられた3名の憲法学者がそろって「安全保障関連法案は憲法違反」と断じ、大多数の憲法学者も違憲と指摘している。これまでの歴代政府も一貫して、集団的自衛権行使や自衛隊の海外軍事活動は憲法9条に違反するとの見解を踏襲してきたのである。
 然るに、政府は「日本をめぐる安全保障環境が大きく変わり、国民の安全を守るためには集団的自衛権が必要」と主張し、武力による抑止力をことさらに喧伝しているが、そのような立法事実が実証できるのかは甚だ疑問である。また、政府は唐突にも、1959年(昭和34年)12月の砂川事件最高裁判決を本法案の合憲性の根拠として持ち出しているが、同判決は、個別的自衛権のあり方や米軍の国内駐留について述べたものであって、集団的自衛権を認めたものではないことは定説である。
 われわれ国民は、日本国憲法の恒久平和主義という究極の価値観のもと、様々な考えや国際情勢の中で平和と武力の矛盾に揺れながらも、戦後70年間軍事行動をしなかったという、世界に誇れる平和国家を創り上げてきたのである。政府は「国民の安全を守るのは政治家である」として、かかる歴史と矜持を、強引に踏みにじろうとしている。
 私たちは、憲法とともに歩みこれを支えてきた在野法曹の一員として、憲法の基本理念である恒久平和主義が、時の一政府の発案によって壊されようとしている現状を深く憂い、ここに安全保障関連法案の違憲性とその危険性を強く国民の皆さんに訴えるとともに、同法案の撤回あるいは廃案を求める。

昭和57年度会長 安原正之  昭和58年度会長 藤井光春  昭和63年度会長 海谷利宏  平成元年度会長 菅沼隆志  平成5年度会長  深澤武久 平成7年度会長 本林徹  平成9年度会長  堀野紀  平成11年度会長 飯塚孝  平成12年度会長 平山正剛  平成13年度会長 山内堅史
  平成14年度会長 伊礼勇吉  平成15年度会長 田中敏夫  平成16年度会長 岩井重一 平成17年度会長 柳瀬康治  平成18年度会長 吉岡桂輔 平成19年度会長 下河邉和彦  平成20年度会長 山本剛嗣  平成21年度会長 山岸憲司  平成22年度会長 若旅一夫  平成23年度会長 竹之内明 平成24年度会長 斎藤義房  平成25年度会長 菊地裕太郎 平成26年度会長 ?中正彦  平成27年度会長 伊藤茂昭
 
(2015年7月16日)

怒りもて、強行採決を安倍政権の墓標とせよ!

まずは怒らねばならない。安倍内閣に対する熱い怒りを共有しよう。この最悪の内閣が、立憲主義を蹂躙したことに。憲法九条に込められた平和の理念を放擲したことに。そして、明らかに国民世論に背を向けた民主主義破壊の暴挙に。

今日(15日)の強行採決スケジュールを決めた13日の自民党役員会で、安倍晋三は「私も丁寧に説明して(国民の)理解が進んできたと思う。」と述べたという(共同)。このノーテンキな日本国首相の言葉の軽さを信じがたいことと驚いたが、本日(15日)午前中の委員会質疑で、同じ安倍が「残念ながら、まだ国民の理解は進んでいる状況ではない」と認めたという(時事)。それでも、採決は強行するのだというその鉄面皮にさらに驚ろかざるをえない。

要するに、国民の理解などはどうでもよいのだ。「丁寧な説明」は口先だけ。恰好だけを繕って、国民の理解があろうとなかろうと、スケジュールのとおりに時至れば数の暴力で決着をつけようというだけのことなのだ。こんな連中に、国の運命を任せてはならない。こんな連中が権力を握るこの国を戦争のできる国としてはならない。

さあ、これからが怒りを行動への本番だ。戦争法案成立阻止と安倍政権打倒が行動の目標となる。

政権寄りの論者の中には、「安倍政権の支持率低下は織り込み済みで想定内の範囲に収まっている」という者がいる。はたしてそうだろうか。いま澎湃と湧き起こっている分厚い世論の批判と包囲が、安倍政権にとっての想定であったはずはない。政権は焦り、苛立っている。世論をおそれ不安を感じている。彼らは、攻勢的に与党単独採決の強行に踏み切ったのではない。このままでは、ジリ貧となって押し込まれるという危機感から、強行採決に追い込まれたのだ。

しかも、戦争法案だけではなく、いろんな問題が政権を悩ませている。いや、正確には、安倍政権の強引なやり口で闘わざるを得ない分野が数々あるのだ。

まずは沖縄だ。辺野古への移設反対の揺るがぬ県民世論は「慰霊の日」以来、反安倍の色調を露わにしている。党内の親安倍勢力の言論弾圧体質も明らかになっている。この「言論圧力勉強会」への処分に対する不満の不協和音も聞こえてくる。これに加えて、このところにわかに重要問題としてクローズアップされてきた新国立競技場建設問題だ。政権の体質を物語る事件として世論への影響が大きい。

さらに、労働者派遣法改悪に象徴される安倍政権の労働法制問題、社会福祉改悪問題、大学の自治への介入問題。そして、地方切り捨てとTPP。戦後70年談話問題も、既に政権にとっての重荷となっている。

安倍政権は、自らの悪政で多くの分野の多くの人を傷つけ敵に回している。多くの人の安倍政権打倒の共闘の条件を作っているのだ。安倍政権は、自ら墓穴を掘っているに等しい。国民へ大きな傷跡を残さぬうちの、早期退陣の条件が整いつつあるのではないか。ようやくにして、閣内からも、政権の手法についての憂慮の声が上がり始めている。

今日の強行採決を、安倍政権の墓標としよう。この墓標の下に政権の亡骸を葬り、「かつて立憲主義と、平和主義と民主主義とを蹂躙した暴君がいた」と墓標に書き込もう。
(2015年7月15日)

戦争法案許さない!! 強行採決絶対反対!! 安倍を倒せ!! 

この緊急事態に、皆さまに訴えます。しばらく、お耳をお貸しください。
何が緊急事態か。日本を戦争のできる国に作りかえる、とんでもない法案が国会の審議で大詰めを迎えて、明日にも委員会での強行採決が行われようとしているそのことです。「日本が戦争をする国になる? まさかそんなことが」「もし、そんなことになるとしてもずつと先のことでしかなかろう」などと悠長にお考えの方はいらっしゃいませんか。「『狼が出るぞ』という宣伝は聞き飽きた」、そう言ってはおられません。明日(7月15日)、「牙をむいた恐ろしい狼」が出ようとしていののです。

いま、異例の長期延長となった国会で審議中の法案を、政府与党は「平和安全法制」と呼んでいます。また、マスコミの多くは「安全保障法制」、略して「安保法制」という言葉を使っています。しかし、この法案に反対する私たちは、ズバリ「戦争法案」と名付けています。一定の要件が整えば、日本も戦争をすることができると定める法律だからです。文字どおり、日本を戦争のできる国とする法案だから、戦争法案なのです。

平和憲法は一切の戦争と武力行使を禁じたはずです。最大限譲歩しても、現に侵略を受けた場合の自衛のための武力行使に限られる。それ以外の戦争はできるはずもない。そのような常識で、戦後70年を過ごしてきた国民が、突然に安倍内閣という狼に政権を委託してしまったのです。彼は、自衛のための武力行使に限らず、集団的自衛権行使容認を明言し、いまこれを立法化しようとしているのです。他国の戦争を買ってまで、戦争に参加しようというのです。

「戦争が廊下の奧に立っていた」という有名な句があります。もしかしたら明日、「戦争が委員会室の奧に立つ」のです。その後、衆議院の本会議場に戦争が立ち、参議院の議場にも戦争が立つようなことになったら、身震いする事態です。おそらく、教室にも、新聞社にも、テレビ局にも、戦争が立つ風景が展開されることになるでしょう。

私たちは70年前、戦争の惨禍を繰り返さないことを誓って、平和国家日本を再生しました。そのとき、なぜあのような悲惨で無謀な戦争をしてしまったのか、十分な反省をしたはずです。その答の一つが、民主主義の不存在でした。

戦前、国民は主権者ではなく、統治の対象たる臣民でしかありませんでした。自分たちの運命を自分たち自身で決めることのできる立場になかったのです。情報に接する権利も、意見を発して政治に反映させる権利も、まことに不十分でしかありませんでした。平和と民主主義とは、相互に補い合う、密接な関係にあるというべきです。

我々は主権者として、戦争を可能とする戦争法案の廃案を強く求め、平和を壊す安倍政権にノーを突きつけなければなりません。我々は、選挙の日一日だけの主権者ではない。いま、安倍政権は、選挙によって多数の支持を受けたとする傲慢をひけらかしていますが、あらゆる論戦、あらゆる論壇、そしてあらゆる世論調査の結果が、民意は安倍政権から離れて、戦争法案反対派のものとなりつつあります。私たちは、その主権者の意思を表明しなければなりません。デモ・集会・メール・ファクス・ブログ、あらゆる手段で「戦争法案を廃案に」「強行採決反対」の声を、安倍政権と国会にぶつけましょう。

皆さん、とりあえず国会に出向きましょう。集会に行きましょう。デモ行進にも参加しましょう。力を合わせて、いまこそ行動を起こすとき。狼になど負けてはおられません。

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7月14日、強行採決前日と囁かれる本日は、フランスの革命記念日である。ルイ王朝打倒の市民革命が始まったとされるこの日。安倍レジームに抵抗するにふさわしい日。

昼休み時間に本郷三丁目交差点、夕刻有楽町マリオン前で、2度マイクを握った。その後、日比谷野音の総掛かり大集会に参加し、2万人余の人とともに国会までのデモに参加した。これが私の革命記念日。

集会とデモのシュプレヒコールは、「九条守れ」「戦争法案廃案」「強行採決絶対反対」は当然として、胸にストンと落ちたのは、「安倍を倒せ」だった。ラップ調で、「安倍はやめろ」「今すぐやめろ」「さっさとやめろ」が、大きな声で唱和された。

60年安保の時も、「アンポ・ハンタイ」だけでなく「岸を倒せ」のスローガンが津々浦々にこだました。いま同じように、「アベヲ・タオセ」「とっとと辞めろ」のスローガンが全国に沸き上がりつつある。

「安倍を倒せ」「強行採決絶対反対」「戦争法案廃案」は平和と民主主義の双方を救うことなのだ。
(2015年7月14日)

集会に行こう、デモに参加しようー主権者としての意思表示が必要なときだ

メディアが、一斉に「今週がヤマ場だ」と伝えている。本日(13日)中央公聴会が終了して採決強行の舞台が整ったということなのだそうだ。明日(14日)にも、衆院安保法制特別委員会の決議強行があり得ると言われ、あるいは明後日だとも伝えられ、ずれ込んでも今週中だろうなどとも囁かれている。自民党3役が「決めるべき時には決める」と口を揃えている。60日ルールを意識した採決のリミットが近づいているとのこと。

しかし、この法案の審議を打ち切っての採決強行などは狂気の沙汰ではないか。110時間審議したから議論が尽くされたなどとはとんでもない。そもそも、10本の法改正を一本にしてきたこの法案提出の乱暴さが問題なのだ。本来、10倍の時間を費やしても足りないほど。何よりも、この法案の審議を見守っている国民が、到底審議が尽くされたと認めていない。

民主主義とは熟議の政治である。徹底した議論を尽くすことによって、合意点あるいは妥協点を見出すべきことが想定されている。議論が出尽くして行き詰まり、どうしても結論を出さねばならないときに、はじめて多数決原理が働くことになる。議論を尽くさずしての採決強行を民主主義政治とは言わない。予定された審議時間を消化したからスケジュールに乗っ取って採決を、という手口は「多数派独裁」と言うほかない。

さらに、国会の論戦においては、議論の内容が国民の目によく見えて理解されることが重要である。主権者とは投票日一日だけのものではない。国会の論戦をよく見て理解した有権者は、そのことによって論戦に関わった政党やその政策の支持・批判の意見を形成することができる。何を議論しているのかわけが分からず、法案の中身も法案に賛否の根拠もよく分からぬままでの審議打ち切りは、主権者としての意思形成に支障が生じることになる。

首相は国民に「丁寧に説明する」と約束したではないか。あらゆる世論調査において、国民の圧倒的多数は、首相の説明は不十分としている。「丁寧な説明をする」という、国民への約束は果たされていないではないか。国民の大多数が「理解できていない」「首相の説明は足りない」と言っている。にもかかわらずの審議打ち切りは、国民を愚弄し民主主義を冒涜するものとして許されない。

「丁寧な説明」とは、国民に法案を十分に理解してもらい、十分な理解にもとづく国民の声にも耳を傾けるという約束でもあったはず。しかし、首相が説明すればするほど、国民の理解が進めば進むほど、この法案への反対意見が増えてくる。そもそも、主権者国民に支持をされないことが明確なこのような法案は、廃案が筋でこそあれ、採決強行などもってのほかだ。

何よりも、こんなに多くの人から、「立憲主義にもとる」「違憲法案だ」「憲法解釈の限界を超える」「これまでの政府解釈との整合性がとれない」「姑息・裏口入学的な汚い手口」と散々な酷評を得ている法案も珍しい。しかも、その実質は、国民投票なき改憲であり、壊憲なのだ。

この事態に黙ってはおられない。明らかに、民意と国会内の議席構成が大きくズレている。こんなときに、悠長に「次の選挙」を待ってはおられない。主権者としての声を上げよう。内閣と国会に、主権者として物申そう。集会に行こう、デモに参加しよう。街頭宣伝を繰り広げよう。あるいは、要請・抗議の葉書やファクスを集中しよう。主権者としての意思表示が必要なときが来たのだ。
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この時期に符節を合わせたように、朝日とNHKの最新世論調査結果が発表となった。上述のとおり、世論は、集団的自衛権行使容認自体に反対、今国会での戦争法成立反対。首相の説明は不十分、としている。注目すべきは、両調査結果とも、内閣不支持率が支持率を上回って逆転した。ワニの口が閉じたのだ。毎日の調査に続いての慶事である。朝日はともかく、「アベ様のNHK」と揶揄されるNHKの調査結果の影響は大きい。整理して紹介すれば以下のとおりである。

    安倍内閣支持率   41%(前回48%)?7
    不支持率       43%(前回34%)+9
「山が動いた」はやや大げさかも知れないが、この1か月間で、森か林くらいは動いたのだ。有権者の700万人が、「内閣支持」から「不支持」へ鞍替えした勘定になる。この逆転は第2次安倍内閣の発足以降初めてのことだというのだから、これはニュースだ。

また、注目すべきは次の回答結果
    安倍内閣が安全保障法制の整備を進めていることを
    「大いに評価する」   8%
    「ある程度評価する」 24%
    「あまり評価しない」 31%
    「まったく評価しない」30%
プラス評価計は32%、マイナス評価計61%である。

安全保障関連法案を、いまの国会で成立させることに
    「賛成」        18%
    「反対」          44%
    「どちらともいえない」 32%

これまでの国会審議で議論は
    「尽くされたと思う」   8%
    「尽くされていない」  56%
    「どちらともいえない」 28%

「安全保障関連法案は憲法違反ではない」としている政府の説明に
    「大いに納得できる」   4%
    「ある程度納得できる」 20%
    「あまり納得できない」 37%
    「まったく納得できない」29%

安倍政権を支えていた世論は、確実にしぼみつつある。代わって多数派を形成しつつある反安倍勢力の国民世論を、目に見える形として表すべき時がきている。禍根を残さぬためにも、集会に出かけよう、デモに参加しよう。

東京近郊の人は、明日(7月14日)午後6時半日比谷野音に集合しよう。久々の大集会になりそうだ。そして、久々の大きな規模のデモにもなる。
(2015年7月13日)

都知事に対する「500億円捨て金」支出の責任追及

毎日新聞署名コラムの中で、山田孝男「風知草」の論調には、歴史認識や立憲主義の理解の点で違和感が大きい。安倍晋三に招かれて、ともに会食などしているとこうなるのではないか。その山田が、国立競技場建設費問題を戦争中の戦艦武蔵の「悲劇」になぞらえている。武蔵は、世界最大の戦艦としての威信を誇示した。しかし、時代遅れの大艦巨砲主義は戦略あいまいなままに出撃して何の戦果を挙げるでもなく、巨費とともに沈んだ。両者の類似の指摘は頷かせる。安倍と会食をともにする記者の記事でさえなければ立派な記事だ。

国立競技場建設費用は2520億円!!。金額だけではなく、その金額の決め方にまつわる無責任体制が、戦争責任や原発開発とも重なる。「ドタバタ劇」として、「負のレガシー」として国民に完全に定着した。あの「読売」の世論調査でも、81%が建設計画を見直すべきだという結果である。「責任の所在があいまいなまま突っ走り、『決まったことだから』と、途中でやめることができない。これが日中戦争から太平洋戦争にかけての日本の歴史。と思っていたら、新国立競技場をめぐる問題も、そっくりです。」とは池上彰の毎日紙上発言。2520億円問題は、誰も彼も大っぴらに批判のできるテーマとなっている。

もちろん、この問題にも、諸悪の根源としての安倍晋三が絡んでいる。この競技場のデザインと、福島第1原発の放射能問題の解決が東京五輪招致成功の2本の柱だった。これを国際公約といっているわけだ。放射能は「完全にコントールされ、ブロックされています」というこちらの柱は、大ウソだったことがとっくに明確になっている。もう一つもウソとなれば、「大ウソ2本立て」。招致の根拠が崩れるというわけだ。せめて競技場のデザインだけは遺したい。これが政権と、その意を体した無責任体制関連人脈のホンネのところ。

しかし、この計画を推進するには2520億の巨費を調達しなければならない。安倍や森、下村の懐を痛めての負担ではない。身銭を切るのは国民なのだ。批判の荒波を覚悟しなければならない。政権を揺るがすことにもなりかねない。

この計画を頓挫させれば、日本の威信にかかわる? そんなことはない。安倍政権とJOCの威信でしかなかろう。安倍晋三が引責辞任すればよいだけのことだ。

何とも、無責任極まる安倍晋三・森喜朗・下村博文、そしてJOCだ。FIFAのカネまみれ体質が明らかになったが、あまり人々が驚いていない。所詮、そんなものだろうという受け止め方。商業主義蔓延のオリンピックも同様ではないのか。2520億という巨額のカネの取扱いの杜撰を見ていると、オリンピックが美しいものなどとは到底思えない。こんなに金のかかる競技場なら作る必要はない。入場式なんぞは原っぱで十分だ。雨が降ったら傘をさせばよい。そんな非常識なことはできない、というのならオリンピックなんかやめてしまえ。わけの分からぬ東京オリンピックを返上しろ。

イメージというものは恐ろしい。あのキールアーチのデザインは、最初の頃こそ斬新・清新なイメージだった。しかし、報道が積み重ねられるうちに、既に完全な負のレガシーとしてのイメージが定着した。あのデザインそのままでは、オリンピックのバカバカしさ、薄汚さのシンボルとして半永久的な語りぐさとなる。

さて、問題はここからだ。こんな馬鹿馬鹿しいものの建設費はムダ金であり、捨て金だ。捨て金の支出など許してはならない。舛添知事は、これまでは比較的常識的な姿勢で都民の支持を維持してきた。「国側からきちんとした説明をいただかなければ、都民の税金を費やすわけには行かない。」という至極真っ当な姿勢。ところが、7月7日有識者会議以来、どうも雲行きがおかしい。

舛添さん、都民の知らぬ裏の場で、安倍・森・下村などから一席設けられ、振る舞い酒に酔うなど、けっしてないように。何とはなしに話をつけて、都の財政から500億のつかみがねを支出するようなことがあれば、都民の怒りを買うことになりますぞ。500億を出したらあなたの2期目はない。オリンピックの年まで知事でいたいのなら、なによりもこの捨て金を出さないと明言することが肝要だ。

このところ多くの人が、地方財政法上、国の支出の一部を地方が負担することは禁じられていると指摘している。つまり、都財政からの500億円支出は、単に不当というだけでなく、違法なのだ。違法な支出は、都民がたった一人でも住民監査を経て住民訴訟の提起が可能である。

最終的には、知事個人が違法支出の責任をとらねばならない。応訴にもかかわらず、舛添敗訴となれば、500億円を個人として東京都に支払うよう命じられる。500億円全額回収に現実性はないものの、違法支出の抑止効果は十分に期待できる制度だ。知事や議会は多数派が握っている。多数派の横暴に歯止めをかけて、統治の合法性を確保するための貴重な制度である。

ところが、今、国立市で問題となっている一つの裁判が、この制度を無にしかねない重大な問題をはらんでいる。仮に、国立競技場の建設費の一部として舛添知事が500億を都の財政から支出し、これを裁判所が違法と認めたとする。その場合でも、都議会の自民党が舛添免責の決議を提案して議会がこれを採択すれば、東京都が舛添知事個人に対する損害賠償請求権の行使はできなくなる、というのだ。現実に、そのような地裁判決が出ている。

詳しくは、下記の当ブログを参照されたい。
2014年9月26日「株主代表訴訟と住民訴訟、明と暗の二つの判決」
https://article9.jp/wordpress/?p=3589

当該の判決についての報道は、以下のとおり。
「高層マンション建設を妨害したと裁判で認定され、不動産会社に約3100万円を支払った東京都国立市が、上原公子元市長に同額の賠償を求めた訴訟の判決が(2014年9月)25日、東京地裁であり、増田稔裁判長は請求を棄却した。
 増田裁判長は『市議会は元市長に対する賠償請求権放棄を議決し、現市長は異議を申し立てていないので、請求は信義則に反し許されない』と指摘した。」(時事)

今回の事例に置き直せば、以下のようになるのだ。
「先行する住民訴訟の判決で、国立競技場建設費用500億円の知事の支出は違法とされた。この判決に基づいて、東京都が原告となって舛添要一知事に500億円の賠償を求めた訴訟の判決が東京地裁であり、裁判長は原告の請求を棄却した。裁判長は『都議会は知事に対する賠償請求権放棄を議決し、知事は異議を申し立てていないので、請求は信義則に反し許されない』と指摘した。」

要するに、舛添知事の責任を都議会多数派の意思次第で免責することが可能だというのである。これは制度の趣旨を根本から突き崩すものではないか。上原元市長の行為が違法であるかどうかについては私は論評を控えたい。事情を詳らかにしないだけでなく、結論がどちらでも、事例判決を一つ積み重ねるだけでさしたる問題ではない。議会で首長の責任を免責できるか否かが大問題なのだ。

住民訴訟とは、民主主義・多数決原理に限界を画するものである。住民の多数派から選任された首長が、どのような「民意に基づく行為」であったにせよ、法体系に反することはできないのだ。首長らに財務会計上の違法行為があれば、住民たった一人でも、原告となってその是正を求める提訴ができる。これを、議会の多数決で違法行為の責任を免ずることができるとすれば、せっかくの住民訴訟の意義を無にすることになる。

首長の違法による損害賠償債務を議会が多数決で免責できるとすることには、とうてい納得し難い。国立市はいざ知らず、東京都をはじめ、ほとんどの地方自治体の議会は、圧倒的な保守地盤によって形成されている現実がある。首長の違法を質すせっかくの住民訴訟の機能がみすみす奪われることを認めがたい。

もし仮に、最高裁までが議会の決議による首長の債務免責を認めることになれば、免責決議に賛成した議員の法的責任追及が必要になるものと考えている。
(2015年7月12日)

「まだ国民の支持がある」ー安倍晋三が語る採決強行の論理

ホントのところはですね。安保法制についての丁寧な説明なんて要らないんでございます。なんと言っても、自民党が選挙に勝っているわけでございますから。しかも圧倒的にですよ。国民の皆さまから、存分にやりたまえとワタクシは予めのご支持を得ているんでございます。だから、丁寧な説明抜きの採決強行についても、国民から了解済みだということをご了解いただきたいわけでございます。

民主主義の世の中ですから、民意が最も大切でございましょ。その民意は選挙に表れます。けっして、デモや集会ではないのでございます。2014年暮れの総選挙では、幸いに我が自民党が、主権者の皆さまから厳粛に引き続いての政権の委託を受けたわけでございます。国権の最高機関である国会の議席は、与党が圧倒的な多数を占め、第一党の党首であるワタクシが内閣総理大臣としての指名を受け、憲法の規定に従って天皇陛下にご任命いただいたのでございます。

選挙制度が歪んだ鏡になっているとか、小選挙区制のマジックだとか、民意は正確に議席に反映されていないとか、自民党の絶対支持率はわずか25%だとか、いろいろご意見のあることはすべて承知しています。しかし、どれもこれも民意を獲得できなかった陣営の負け惜しみというほかはありません。現行のルールでワタクシたちは勝たせていただいたのです。勝てば官軍、しかも民主主義の儀式としての選挙で勝ったのです。

その選挙の公約をよくお読みいただけば、今国会でご審議いただいている法案のことも書き込んでありますよ。具体性がないとか、目立たないようにしている、などという些末なご批判はとるに足りないものと思います。公約とは、全体的な方向を決めるものではないでしょうか。そもそも我が党は、堂々と9条を改正して国防軍を作るという具体的な憲法改正案を公表しています。ワタクシが右翼的だとか好戦的だとか、反憲法的だなどと言われているのは、今日に始まったことではありません。昔からのことでございますよ。もちろん選挙前からのこと。それでも、堂々と選挙に勝たせていただいたのですから、安全保障政策については、国民の皆さまから、このワタクシとワタクシの率いる政権がお任せいただいた、そう考えて差し支えないではありませんか。

そもそも、安全保障や軍事の問題については、国民の皆さまには分かりにくいことなのです。選挙で選ばれた政権に任せていただくことがもっとも適切だと確信しているわけでございます。

分かりにくさの原因の一つは、問題が複雑で専門用語も多いこと、本当に理解するためには厖大な時間と労力が必要なのです。実のところ、ワタクシだってよくは分かっていないのです。信頼する官僚の作ってくれた資料とメモの棒読みでなんとか急場を凌いでいるのですから。ましてや、主権者である国民の皆さま方はお忙しい。勤務のことや商売のことで頭がいっぱいでございましょう。安保法制だけを考えて暮らしておられるわけではない。デートもすれば、プロ野球も気になる、NHKのドラマも見なけりゃならないでございましょ。国民の皆さまが十分に安保法制の理解ができないことは当然のことでもあり、やむを得ないことでもあるのです。

分かりにくさの原因のもう一つは、ことがらの性質上、明らかに出来ないことが多いことにあるのでございます。何しろ、防衛機密の漏示は、戦前であれば死刑を含む重罪でした。国会では、野党の諸君が「情報公開せよ」「説明責任を全うせよ」「事実が分からずして審議ができるか」などと叫びます。国民の皆さまには、一見もっともな要求と聞こえるかも知れません。しかし、責任あるワタクシとしては、軽々に公の場で防衛秘密を漏示するに等しい利敵行為に及ぶことができようはずはありません。とぼけて話をそらしているだけというわけでもないのでございます。

ですから、我が国の安全保障についての論議は、ワタクシを信頼してお任せいただくしかないのでございます。ワタクシが信頼できないとなれば、次の選挙でワタクシに代わるどなたかを選び直せばよいのです。それまではワタクシが総理として責任をもって、法案を提出し国会では与党多数で粛々と物事を決めていく。これが民主主義というものでございます。もちろん一億国民の中には、反対も心配もございましょう。しかし、いちいちこれに対応していては、ものごとは前には進みません。何よりも安全保障には政策決定のスピードと断固たる姿勢が大切なわけでございます。

選挙で選ばれたワタクシこそが国民の総意を体現する立場にあるのでございます。ですから、ワタクシを信頼することは、民意を尊重すること。主権者国民の皆さまには、ワタクシに政治をお任せていただき、反政府的な「戦争法案反対」のデモや集会に参加するなど面倒な上に無駄なことはおやめになって、日常生活にいそしんでいただきたいのでございます。それこそが、賢明でもあり、望ましい民主主義政治のあるべき姿でございましょう。

ワタクシを首班とする閣議決定も、ワタクシの内閣が提案する法案も、それ自体が民意そのものであります。ですから、国民の皆さまには、中身を読まずとも、この法案が国家の安全を守り、国民の幸福を維持し増進するものと信頼していただくことが何よりも肝要なのでございます。

それでも、「戦争準備の法案だ」「他国の戦争に巻き込まれるおそれがある」「安倍の危険な好戦性の表れだ」「違憲の立法だ」などという悪宣伝が振りまかれていますので、これを払拭するために、繰りかえし「国民の皆さまには丁寧な説明を」と申しあげてまいりました。

何のための「丁寧な説明」か。もちろん、国民の皆さまを説得しご納得いただいて、ワタクシにご同意をいただくためのものでございます。けっして、国民の皆さまの民意を問い直すものではございません。法案成立は、国際公約なのですから、今さら撤回はできません。世論調査の結果では「丁寧な説明がなされていない」「説明不足だ」という意見が8割を超えて、説明すればするほど法案に反対の声も増えているやに聞いております。ワタクシのインターネット出演も評判が芳しくない。それなら、聞く耳を持たない、ものわかりの悪い国民の皆さまへのご説明は無駄なことですから、打ち切らざるを得ません。国会の内外でのご説明を打ち切って、「決めるときには決める」。これこそがワタクシに与えられた任務なのでございます。

繰りかえしになりますが、安保法制関連2法の採決強行は、国民の皆さまから負託を受けたワタクシの責任として断固行うものなのでございます。でありますから、野党や、憲法学者や、弁護士会や、広範な有識者や、今や反安倍で固まりつつあるマスコミの論調や、今は影響力を失った自民党の長老諸氏や、宗教団体や、反対の決議を上げている地方議会や、元法制局長や、労働組合や民間諸団体や、昨日は大人数で国会前に押しかけた若者たちや、世論調査に表れた反対世論などが、どんなに大きな声で、なんと言おうとも、やるべき時にはやらねばならないのです。反対の声に耳を傾けて、その説得力にうろたえ反対勢力の大きさに圧倒されて遅疑逡巡することは、尊敬する祖父の遺志に反することでもあり、民主主義にもとるあるまじきことであるとのワタクシの信念をご理解くださるようお願いする次第でございます。

いま、安保法制関連法案に反対は、圧倒的な国民の声になりつつあります。しかし、幸いにして、その反対世論は内閣の不信任には直結していません。最近の世論調査でも、いまだに安倍内閣の支持率は40%を維持しています。たとえ「衆参両院で2度の採決を強行して、その都度支持率が5%ずつ低下しても、まだ30%台に踏みとどまることができ、危険水域までは落ちないというのが政権の思惑だ」、一部のマスコミがこう報道したとおりなのです。「このような事態でなお私を支持してくれる国民の3割」こそがワタクシの心の支えで、頼りであり杖なのでございます。私を支持し共鳴される、この人たちのいる限り、ワタクシはその方々の誠の心に応えるつもりなのでございます。
(2015年7月11日)

儀礼・儀式こそ、国家主義刷り込みの手段だー東京「君が代」裁判の法廷で

本日は、東京「君が代」裁判・4次訴訟の第6回口頭弁論期日。東京地裁527号法廷が、代理人席傍聴席とも満席となった。原告の準備書面(5)の陳述に加えて、原告1名、原告代理人1名が口頭で意見陳述をした。 

「日の丸・君が代」強制の職務命令違反を理由とする懲戒処分の効果は、第1次訴訟の最高裁判決が、かろうじて処分の合憲性を認めたが、損害を伴わない戒告のみにとどめるべきとして、減給停職等の実質損害を伴う処分は過酷に過ぎて違法とされている。

石原教育行政の処分の量定は以下のように累積加重するものであった。
 1回目不起立  戒告
 2回目     減給(10分の1・1か月)
 3回目     減給(10分の1・6か月)
 4回目     停職1月
 5回目     停職3月
 6回目     停職6月
おそらくは、7回目で免職を考えていたはず。

この累積加重の懲戒処分の手法を我々は、「転向強要システム」と呼んだ。心ならずも、思想・良心を枉げて、国旗国歌(「日の丸・君が代」)への敬意表明強制の屈辱を受け入れるまで、処分は加重され、それでも拒否し続ければ最終的には失職を余儀なくされる。400年前の、あのキリシタン弾圧の踏み絵と同じ構造だというのが我々の主張である。最高裁は、この点を認めた。最高裁が認める処分の量定は、原則戒告だけなのである。

もちろん、原告団も弁護団も、それで満足していない。違憲の判断を求めて、裁判所を説得する努力を重ねている。訴状と、その後の5本の原告準備書面は、違憲論で埋めつくされている。本日陳述の準備書面(5)も同様である。そして、その中のさわりを弁護団の雪竹奈緒弁護士が語った。

テーマは「儀礼・儀式論」である。最高裁の合憲判断の理由中に、「卒業式の国旗国歌掲揚は儀礼・儀式に過ぎない」と述べられている。「儀礼・儀式に過ぎないものの強制は、直接に思想良心を侵害するものとはならない」との文脈である。これへの反論の仕方には、「儀礼・儀式であっても、その強制は思想良心の自由を侵害しうる」というものもあるが、本日の雪竹弁護士の論旨は、「学校行事における儀礼・儀式こそ、子どもへの特定の思想刷り込みの手段として危険なもの」ということにある。

長文の準備書面の一部の要約だが、短くすることで、ポイントを凝縮した分かり易い意見陳述となった。以下、その原稿を掲載する。

なお、原告本人(数学科教員)の陳述も、教育の場における「日の丸・君が代」強制の問題点を浮かび上がらせて、立派な内容だった。残念ながら、当ブログへの掲載の許諾を得ることを失念していた。後日あらためて掲載したい。

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            意 見 陳 述
東京地方裁判所民事第11部乙B係 御中
                     原告ら訴訟代理人 弁護士 雪竹 奈緒
1 本件で問題となっている国旗掲揚・国歌起立斉唱につき、最高裁判所は、「学校の儀式的行事」における「慣例上の儀礼的な所作」であって、個人の思想良心を直ちに制約するものではない、と述べています。また都教委は、国旗掲揚・国歌起立斉唱は「国際儀礼」である、として、やはり「儀式」「儀礼」であるから思想良心の侵害にはならない、と主張します。
  しかし、「儀式である」から、「儀礼である」から、起立斉唱を命令しても思想良心を侵害しない、ということになるのでしょうか。むしろ、「学校儀式」における「儀礼的所作」こそが子どもへの思想注入に利用され、大変恐ろしい結末をもたらしたという歴史的事実があったのだという現実を、私たちは決して忘れてはなりません。
2 戦前の小学校や中学校においては、三大節や四大節といった国家の祝祭日に、学校儀式を挙行することが、小学校令施行規則などによって定められていました。その内容は、時期によって多少の違いはあるものの、おおむね「唱歌君が代合唱」、「天皇・皇后の『御真影』への一同最敬礼」、「学校長教育勅語奉読」等を含むものでした。昭和期にはいって発表された文部省「礼法要綱」では学校儀式の順序・方式等を細かく定め、全国で画一的な学校儀式が挙行されてきました。
  戦前の学校教育は総体が、教育勅語を中心として「忠君愛国の志気を興す」国民教化の場でしたが、特に学校儀式については、四大節に関する教材に以下のような教員向け記述があります。「天長節の儀式と緊密に関連させて、最後に右のごとき心構を喚び起こし得るように取り扱う。」その内容として「みんな天長節の式に列して、ほんとうにおめでたい日であると思った。お写真を拝んでありがたいと思った。天皇陛下の御恵みをうける私たちは、みんなしあわせである。天皇陛下が益々お健やかで、日本の国が益々栄えていくことをうれしいと思った。わたしたちも、先生のいいつけをよく守って、りっぱな国民にならなければならない、という覚悟をつよくした。」とあります。
  すなわち、学校儀式は、児童生徒にこのような忠君愛国の心構えを植え付ける目的があることを明言しているのです。
  実際、戦前の学校儀式を体験した人たちの証言では、「私たちの周囲には国とか天皇とかいうただならぬものがたちこめていて、子供心に私はすくなくともただならなさは感じとっていた」とか、「(御真影は)何かわけが分からぬながら、畏敬すべきもの、この世のほかのものという印象を受けていた」など、厳粛な雰囲気の学校儀式の中で、天皇や国家が神聖化され、「何かわけが分からぬながら」ひれ伏すべきもの、という心情が醸し出されていったことが見てとれます。
  国家は目に見えない抽象的なものであり、天皇ははるか遠くの存在です。それを、旗や歌、御真影といった「目に見えるもの」「感得出来るもの」に象徴させ、それらを使った儀式を繰り返し行うことによって、国民に、天皇や国家への絶対服従を刷り込んでいったのです。
  このような忠君愛国精神の国民に統合された国家がいかなる悲劇を生んだかは、あらためてここで申し上げる必要もないと思います。
3 10・23通達は戦前回帰だ、というと、「何を大げさな」「この近代民主主義国家で、今さら、あのころのような戦争体制に戻るはずはない」とお思いになる方が多いかもしれません。しかし、つぶさに見ていくと、それが決して杞憂でないことがお分かりいただけると思います。
  かつて国家統合の象徴として利用された「君が代」や「日の丸」を中心に据えた儀式。
  御真影の位置や式の順序等を詳細に定めた戦前の学校儀式同様、国旗の掲揚位置や式次第、会場設営まで詳細に定めた画一性。
  何よりも、「厳粛かつ清新な」雰囲気の中で例外なく全員を起立斉唱させることで、ただなんとなく「全員が起立斉唱するのが当然のもの」「国旗・国歌は敬意を表すべきもの」という雰囲気を醸し出すこと。
  なんと、戦前の儀式の光景に似ていることでしょうか。
  10・23通達の実施の指導の中で、近藤精一指導部長が次のような発言をしています。「卒業式や入学式について,まず形から入り,形に心を入れればよい。形式的であっても,立てば一歩前進である。」
  「形」すなわち儀式から入り、後に「心」を入れる。まさに、戦前の学校儀式と同じ意図を有していることを、都教委自身が告白しているのです。
4 10・23通達について、これは教師や生徒にロボットになれというのと同じことであるとし、ナチスの将校、アイヒマンの例を引いて警鐘を鳴らす学者もいます。アイヒマンは、ナチス・ドイツの占領したヨーロッパ全域からユダヤ人をポーランドの絶滅収容所に移送する責任者で、ホロコーストに大きな責任を負っている人物でした。しかし彼は、上司の命令をただ伝えただけだと裁判で抗弁し、自分が義務に忠実であったわけで、ほめられることはあっても犯罪者ではないと主張しました。
  行政や上司の命令について、その内容を吟味することなく無目的に従うことを当然視する教員が多くなってしまえば、皆がアイヒマンになってしまうわけで、その命令が誤っていたときに取り返しのつかない結果をもたらすことになるのです。
5 現在、国会で議論されている、いわゆる安保関連法案について、「戦争できる国家体制づくりだ」と批判する声が上がっています。「戦争できる国家体制」に、「国家に絶対服従する国民」がそろったら、この国はどうなってしまうのでしょうか。いま、この国は重大な岐路に立たされています。
  平和国家70年の歴史に恥じないご判断を裁判官の皆様にお願いして、私の陳述を終わります。
(2015年7月10日)   

安倍晋三は、「報道圧力勉強会」暴言について本当に「陳謝」したのか

じん肺と闘う運動の中から生まれた名フレーズが、
「あやまれ、つぐなえ、なくせ。じん肺」 というもの。
「あやまれ、つぐなえ、なくせ。公害」 とも使われる。

思想弾圧にも、侵略戦争にも、植民地支配にも、対内的な戦争責任にも、戦時の人権侵害にも、加害・被害の関係のあるところ、責任追及と関係修復のスローガンとして、普遍性を持つものとなっている。

交通事故でも、学校事故でも、医療過誤や消費者被害でも、イジメ事件でも傷害事件でも同様だ。被害者の求めるものは、まずは加害責任を明確にしての真摯な反省に基づく謝罪である。これあればこその「つぐない」となり、さらに「なくせ」の徹底となる。これがそろって、被害者は加害者を宥恕することができることになり、関係は修復される。

まず何よりも、求められているのは真摯な謝罪である。真摯ならざる開き直りの似非謝罪は、被害者の心情をさらに傷つけ、加害被害関係の修復を困難にする。

安倍首相が7月3日の衆院平和安全法制特別委員会で枝野議員の質問に答える中でしたとされる自民党「報道圧力勉強会」暴言についての「陳謝」は、そのような似非謝罪の典型といえよう。「一応、謝っておきます」「謝ったんだからもういいだろう」「謝りついでに、言いたいことも言っておこう」という、真摯ならざる思惑が芬々なのだ。

だから、安倍自身はなんの償いもしようとはしない。口先以上の責任はとらない。自民党と安倍政権の体質から出たこの事件。「真摯なあやまり」がないのだから、「つぐない」も「なくせ」にもつながるはずはない。

この安倍謝罪について、大方の報道と解説は次のようなものである。
「自民党の若手勉強会で報道機関への圧力を求める発言や沖縄への侮辱的な発言が出たことについて『党を率いる総裁として国民に心からおわびを申し上げたい』『国民の皆様に申し訳ない気持ちだ。党の長年の沖縄振興、基地負担軽減への努力を水泡に帰すものであり大変残念だ』などと繰り返した。」
「先月25日の勉強会開催から約1週間、自民党総裁としての責任をようやく認めた形だ。首相側には当初、危機感はなかったが、安全保障関連法案の衆院通過に向けた環境整備に向け、方針を転換。明確に陳謝することで騒動を幕引きしたい考えだ。」
(毎日)

委員会議事録(速報版)では、首相の発言は次のとおりである。
「先般の自民党の若手勉強会における発言につきましては、党本部で行われた勉強会でございますから、最終的には私に責任があるもの、このように考えております。
報道の自由、そして言論の自由を軽視するような発言、あるいはまた沖縄県民の皆様の思いに寄り添って負担軽減、沖縄振興に力を尽くしてきたこれまでの我が党の努力を無にするかのごとき発言が行われたものと認識をしております。
これは大変遺憾であり、非常識な発言であり、国民の信頼を大きく損ねる発言であり、看過することはできないと考え、そのため、谷垣幹事長とも相談の上、関係者について、先週土曜日、直ちに処分することとしたところでございます。」

「沖縄県民の皆様の思いに寄り添って負担軽減、沖縄振興に力を尽くしてきたこれまでの我が党の努力」とはよくも言ったり。その鉄面皮ぶりも腹立たしいが、「党本部で行われた勉強会でございますから、最終的には私に責任がある」という言いまわしにも引っかかる。あたかも、本来自分には無関係のことだが、立場上責任を認める、と言わんばかり。潔さの誇示さえ感じさせる。

いったい、どんな「勉強会」だったのかAERA最近号の記事が話題となっている。「自民党若手が開く『報道圧力』勉強会の真相 企業と法制局にも圧力」という表題。

会出席の衆院議員が、匿名を条件に取材に応じ、こう明かした。「会の本来の目的は(秋の総裁選での)安倍再選の雰囲気づくりだった」
発起人は党青年局長の木原稔衆院議員だが、背後の「プランナー」は会合にも出席していた安倍首相の側近である萩生田光一・党総裁特別補佐と加藤勝信官房副長官だったという。
同じ日に予定されていた「反安倍」議員の勉強会を中止させ、同じ週に放送される討論番組「朝まで生テレビ!」への議員の出演も、党本部の要請で出席を見送らせたとも伝えられている。万全の準備で臨んだ安倍応援の会合のはずだった。
私的勉強会といいながら、自民党を担当する記者でつくる「平河クラブ」に開催の案内が届いた。しかも、「終了後に、代表の木原稔より記者ブリーフィングをさせていただきます」とある。ひっそり勉強する会ではないことは、誰の目にも明らか。期待通り、大勢のメディアが集まり、会合の最中には「壁耳」と呼ばれる取材が行われた。

勉強会では、実際に報道されている以上に激しい言葉が飛び交った。
「(沖縄)タイムス、(琉球)新報の牙城の中で、沖縄の世論、ゆがみをどう正しい方向に持っていくか。(中略)沖縄はもう左翼勢力に乗っ取られちゃってる」
「朝日、毎日、東京新聞を読むと、もう血圧が上がって、どうしようもない。あれに騙されているんですよ、国民は」
「青年会議所も経団連も商工会議所も、子どもたちに悪影響を与えている番組ワースト10とか発表して、これに広告を出している企業を列挙すべきだ」
「法制局は法の番人とか言われているが、内閣法制局で法律家の資格を持っているのは6人だけ。言ったら、80人の医者のなかで免許を持っているのが6人だけの病院なんですよ。そういう人たちの解釈をずっと持ち続けないといけないのか」
よく分からない例えだ。最後に百田氏がこう締めくくった。
「政治家は言葉が大事。戦争と愛については何をしても許されるという部分はあるんです。その目的のためには、負の部分はネグったらええんです、はい。学術論文ではないのだから、いかに心に届くかです」

また、朝日(7月8日)は、次のようにも報じている。
そもそも、懇話会の目的は「保守思想の発信」にあった。懇話会代表の木原稔青年局長(当時)は周辺に「保守的な国家観や政策を国民に理解してもらうため、国民の心に響く言葉を学びたい」と語っていた。憲法改正に反対する「九条の会」を意識し、作家の大江健三郎氏や作曲家の坂本龍一氏らに対抗できる保守的な文化人を発掘することも念頭にあった。
 しかし5月初旬、党内にリベラル系の若手議員が「過去を学び『分厚い保守政治』を目指す若手議員の会」を立ち上げたことで、「首相応援団」の性格が一層強まった。
 9月の総裁選を無投票で乗り切りたい首相側はリベラル系の動きを警戒。首相側近の加藤勝信・官房副長官と萩生田光一・党総裁特別補佐が「顧問格」で入り、懇話会の人数集めに加わった。

何のことはない。問題暴言は「安倍の身内による安倍のための会合」でのことだったのだ。首相が他人事のように、「党本部で行われた勉強会でございますから、最終的には私に責任があるもの」などという謝り方で済む問題ではない。到底、真摯な反省に基づく謝罪ではない。安倍の陳謝の相手方は国民である。こんな謝り方で、国民が自民党や安倍政権を宥恕する気持になれるはずもない。

制服向上委員会のあの歌の歌詞が、妙にリアリティをもって響く。
「諸悪の根源 自民党」「大きな態度の安倍総理」

「本気で自民党を倒しましょう!」という以外に、加害・被害を清算する解決の途はなさそうである。
(2015年7月9日)

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