維新とはなんであろうか。
自民を見限って民主に期待し、民主にも裏切られた保守層の期待幻想が紡ぎ出した虚妄である。半自民、反民主ではあるが、自らの中にプリンシプルを持たない。だからまとまりはなく、一貫した政策もない。全員が一色ではなかろうが、全体としては、世の風向きを読むことに敏感で、自己保身の遊泳に精一杯なだけの、政治世界の盲腸のようなもの。
その盲腸、場合によっては虫垂炎を起こす危険な代物となる。虫垂内部で細菌が増殖すると、膿瘍を形成し穿孔し腹膜炎を起こして重症化する。対処を誤ると、局所症状に留まらず重篤な全身症状となって死に至ることさえもある。起因菌が増殖を始めた盲腸は早めに摘除しなければならない。
今まさしく、維新が危険な盲腸として炎症を起こしつつある。維新が、戦争法案の成立に手を貸そうとしているのだ。自・公とならんで、維新を世論の矢面に立たせなければならない。3本目の批判の矢が必要となっている。取り立ててなんの理念ももたない維新のことだ。世論の風向き次第で態度は変わる。摘出手術の荒療治まではせずとも、批判の注射だけで無害の盲腸に戻すことが可能となる公算もある。
昨日(7月7日)配信の時事通信記事は次のとおりである。
「民主党の枝野幸男、維新の党の柿沢未途両幹事長は7日、国会内で会談し、武力攻撃に至らないグレーゾーン事態に対処する『領域警備法案』について、共同提出を見送ることを確認した。…政府提出の安全保障関連法案の採決日程をめぐって対立し、共同提出に向けた協議が決裂。両党は8日にそれぞれ単独で国会提出する。
会談では同席した維新の馬場伸幸国対委員長が、領域警備法案の審議時間を確保するため、同法案と政府案の採決日程をあらかじめ与党側と合意するよう提案。政府案の廃案を目指す民主党は『与党に手を貸すようなことには協力できない』として拒否した。」
読売がきわめて適切な見出しをつけている。「枝野氏『突然、非常識な提案』 維新との協議決裂」というもの。記事は、「維新の党側は、与党が求めている関連法案の採決について、7月下旬に応じることを民主党に持ちかけた。」となっている。
産経の報道は次のとおり。
「民主党の枝野幸男幹事長は不快感をあらわにした。維新から『与党に手を貸すような提案』があった」「『出口の話をするような無責任な野党としての対応はできない』として決裂した」
この報道には驚いた。そして、呆れた。これまでは、極右政党「次世代」を除いて、野党の足並みは政府提案の戦争法案反対で揃っていたはず。少なくも、徹底審議での共闘合意ができていたはず。ところが、維新は態度を豹変させて、「戦争法案採決について7月下旬に応じることを民主党に持ちかけた」というのだ。枝野幹事長が「突然、非常識な提案」と怒るのはもっともな話。民主党の感覚が、真っ当ではないか。
ああ、そうなのか。あらためて合点が行く。6月14日突然に設定された安倍・橋下密談がこんな筋書きを描いていたのか。あれ以来様相が変わってきたではないか。対案を出すだの、民主と共同提案だのと維新が言っていたことは、すべて野党分断、民主抱き込みの伏線だったのか。自民党へ恩を売るための下工作だったのか。与党と維新の間では密約が成立し、「7月下旬採決強行」のスケジュールが組まれていたのだ。自民が、「7月15日採決案」をリークする。維新が手柄顔に、「7月下旬まで先延ばし」して、与党強行のイメージを薄めた採決の舞台を整える。この筋書きに、うっかり欺されるところだった。
維新とは「これ(維)新たなり」の意味だが。昨日露わになった維新のやり口は、まったく清新なところがない。旧態依然の、裏工作、駆け引き、目眩まし。永田町流政治術は自民の専売ではないのだ。
しかし、盲腸の変身が戦争法案反対の運動に大きな影響を及ぼすはずもない。飽くまで、正攻法で、戦争法に反対しよう。違憲法案は廃案にさせるしかない。それが、平和を維持し、国民の安全を守ることなのだ。政権と与党と維新に、3本の矢を突きつけて、それぞれを正々堂々と批判しよう。
(2015年7月8日)
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事態の変化は目まぐるしい。昨日(7日)民主と維新の幹事長会談では壊れた領域警備法案の共同提案が、本日(8日)の党首会談で元の鞘に収まったという。その上で、「党首会談では、与党に領域警備法案の十分な審議を求めることを確認し、法案が参院送付後60日経ても議決されない場合、衆院で再可決が可能となる「60日ルール」の適用を阻止することでも一致した。維新は7日の幹事長会談で、政府案と対案の採決日程を決めて与党と交渉する提案を行ったが、党首会談では取り上げなかった。」(産経)と報道されている。
それでも、「維新の正体」「維新への批判の必要」の私の見解は変わらない。本日のブログの原稿を訂正することなく、掲載する。
政府与党の戦争法案には違憲の烙印が定着した。自民も公明も、違憲の世論に抗いがたいと覚悟せざるを得ない深刻事態。世論の攻撃事態に重要影響事態となって、今や法案の存立危機事態なのだ。
この政府案にとって替わろうと登場したのが維新の対案。明日(7月8日)に国会上程の予定と報道されている。どのような裏工作あっての維新案なのか、あるいはは全く裏の話しはないのか詳らかにしないが、これに振り回されてはならない。この法案の取扱が与党に採決強行の口実を与えることを警戒しなければならない。
維新対案提出の動きは今回が初めてではない。6月中旬にもメディアにその内容が公表され、6月17日の当ブログは、「朝日が報道する維新の『対案』は、政府提案の腐肉にほんのひとつまみの塩を振りかけた程度のもの。塩をかけても腐肉は腐肉。法案違憲の本質はまったく変わらない。維新案はその実質において、憲法の平和条項に対する死の宣告に手を貸すもの」と書いた。
今回の提案は、衆院法制局の官僚の手を煩わせたものだろうが、相当の分量で法案の形を整えている。目を通すだけでも一苦労の煩わしさ。分量は大部だが、合違憲を判断するには維新がホームページでまとめている2頁の要旨を読むだけで十分だろう。結論は以下のとおり。
「維新の対案は政府提案の腐肉に、こってりと胡椒を振りかけたもの。こってり胡椒を振りかけようとも、その下の腐肉は腐肉。法案違憲の本質は変わらない。維新案はその実質において、憲法の平和条項を破壊に導くものである」
議論を次のように整理すべきだろう。
1 「集団的自衛権行使違憲論」は、自衛隊発足以来今日まで長く政府のとってきた解釈であり、憲法学者を含む広範な国民の認識に定着してきた。
2 この「集団的自衛権行使違憲論」は、「武力による個別的自衛権行使合憲論」とセットをなす立論であって、許容限度ぎりぎりの憲法解釈論である。
3 ところが今、「最小限度の限定があれば、集団的自衛権行使を容認する余地がある」、「最小限度の歯止めが明確であれば集団的自衛権行使を可能とする立法が合憲であり得る」という立論が提案されている。
4 しかし、いささかなりとも集団的自衛権行使を容認する余地を認めることは、許容限度ぎりぎりの憲法解釈をはみ出すものであり、「最小限度の歯止めがあることを理由に集団的自衛権行使を可能とする立法案」はすべて違憲であることを明確にしなければならない。
5 また、個別自衛権の名を借りて、自国領域外の武力行使を容認する立論も、集団的自衛権行使違憲の脱法として許してはならない。
6 専守防衛の域を出ない個別的自衛権行使に関する立法について、今政府案の対案として提出する意味はない。基本は現行法で対応は十分であって、現行法を超えて個別的自衛権行使の行動範囲を拡大する立法には、十分立法事実は認めがたく、。
維新は、自らの対案について、「複数の法学者から合憲のお墨付きを得た」という。しかし、私にはこれが合憲とは到底考えられない。また、仮に厳密な意味で合憲の内容であれば、今、そのような法案を対案として国会に提出する意味はない。重要なことは、政府提案の危険な違憲法案を共同で潰すことであって、対案を提出することは敵に塩を送ることになるだろう。
維新の対案では、「存立危機事態」に替えて、「武力攻撃危機事態」(紛らわしいが現行法の「武力攻撃事態」ではない)という新奇のカテゴリーを設定する。この「事態」の定義は、「条約に基づきわが国周辺の地域においてわが国の防衛のために活動している外国の軍隊に対する武力攻撃が発生し、これによりわが国に対する外部からの武力攻撃が発生する明白な危険があると認められるに至った事態(我が国に対する外部からの武力攻撃を除く。)」というものである。
その要点は、「第三国から日本に対する攻撃はないが、アメリカに対する攻撃があった場合」に、その攻撃が「わが国に対する外部からの武力攻撃が発生する明白な危険」と認められれば、自衛隊による武力反撃を可能とするというもの。「我が国に対する急迫不正の侵害が現在する」という国家の正当防衛権行使の要件を具備する必要はないとしているところにある。
「武力攻撃危機事態」が発生すれば、自衛隊の防衛出動が可能となる。「わが国に対する外部からの武力攻撃が発生する明白な危険」の部分に着目すれば個別的自衛権のふくらましのようでもあるが、いまだ「外国の軍隊に対する武力攻撃が発生し」ているのみで我が国への攻撃はないのだから集団的自衛権の行使と捉えるよりほかはない。
定義の文言からも、個別的自衛権を意識した「我が国に対する外部からの武力攻撃があった場合」はわざわざ明示的に除かれているのだから、個別的自衛権行使としての武力行使とは別のカテゴリーと理解すべきであろう。維新は、「専守防衛を徹底」と言い、個別的自衛権行使要件の緩和と主張する如くであるが、「集団的自衛権の行使は認めない」との明言には接していない。ホームページの解説を見る限りでは、「存立危機事態にもとづく集団的自衛権の行使は認めない」というのみである。専守防衛(個別的自衛権の行使)からはみ出した「武力攻撃危機事態」において武力を行使する、と言っているとしか理解できない。
要するに、「安保条約(国連決議ではない)に基づく活動に対する攻撃を要件とする歯止め」「我が国周辺という地域限定の歯止め」「わが国に対する外部からの武力攻撃が発生する『明白な危険』を要件とする歯止め」が、最小限度性を担保しているというのだ。政府案よりは限定的であることを売りにした、やはり集団的自衛権容認論にほかならない。
問題は最小限度性の確保にあるのではない。集団的自衛権行使容認に踏み込むことが問題なのだ。憲法原則は、頑固に墨守しなければならない。その立場からは、解釈の許容限度ぎりぎりの専守防衛論を、これ以上緩める余地のないことを確認しなければならない。こってり胡椒をかけても、所詮腐肉は腐肉。やはり、国民に危険な腐肉を提供してはならない。
(2015年7月7日)
本日の毎日新聞1面の左肩に、何度見ても笑みがこぼれる折れ線グラフが掲載されている。安倍内閣成立以来毎月続けられてきた、内閣支持率と不支持率。青の線の内閣支持率が上側にあっ下落を続け、赤の線の不支持率が右肩上がり。内閣成立直後は、支持が70%で不支持はわずかに15%程度。その大差そ55ポイントが次第に縮まって、最新調査でついに逆転したのだ。
普通、「ワニの口」は時とともに開いていくことの喩えに用いられるが、この図は、まさしくワニの口が閉じたことを連想させる。これまでの、安倍内閣の世論誘導策が吹き飛んだ。騙しのテクニックのメッキがはげた。これからが、ビリケン(非立憲)内閣を追い詰める正念場だ。
いったん閉まったワニの口は再び開くことになるだろう。そのときは上顎と下顎か逆になっているはずだ。赤線(不支持率)が上になり、青線(支持率)が下に逆転のワニの口が大きく開いて、戦争準備内閣を飲み込むことになる。
《毎日新聞世論調査:安倍内閣不支持上回る 安保法案、説明不十分8割》
毎日新聞は4、5両日、全国世論調査を実施した。安倍内閣の支持率は5月の前回調査から3ポイント減の42%、不支持率は同7ポイント増の43%で、2012年12月の第2次安倍内閣発足後初めて、支持と不支持が逆転した。政府・与党が衆院通過を急ぐ安全保障関連法案については、国民への説明が「不十分だ」との回答が81%に上った。会期延長した今国会で安保法案を成立させる方針にも61%が「反対」と答え、「賛成」は28%にとどまった。
安倍内閣の支持率は13年3月に70%に達した後、徐々に低下し、14年6月以降は40%台半ばで横ばい状態が続いていた。今回の42%は衆院選のあった14年12月の43%をわずかに下回り、第2次、第3次内閣では最低を記録。一方、不支持率は初めて40%台になった。自民党の国会議員が開いた勉強会で「マスコミを懲らしめる」など報道機関に圧力をかける発言があったことについては「問題だ」が76%に上り、「問題ではない」は15%。自民支持層でも「問題だ」が7割弱を占めた。
注目すべきは、次の数字だ。
戦争法案に 「反対」 58%(前回53) +5
「賛成」 29%(前回34) ?5
今国会成立に 「反対」 61%
「賛成」 28%
戦争法案は 「違憲だと思う」 52%
「違憲と思わない」 29%
政府の説明は 「十分だ」 10%
「不十分だ」 81%
解説記事が付いている。
「首相官邸や与党は、安全保障関連法案を今国会で成立させようとすれば一定の支持率低下は避けられないとみていたものの、自民党の若手勉強会による報道機関への圧力発言問題も重なり、「法案への国民の理解が広がらないまま衆院で採決を強行すれば、さらに10ポイント前後下がるのではないか」(同党幹部)と危ぶむ声も出始めた。
自民党幹部も「ついに来たかという感じだ。勉強会の問題が響いていると思う」と述べた。さらに「環太平洋パートナーシップ協定(TPP)交渉が大詰めを迎え、結果によっては党内で反発が出るだろう。経済もいつまでいいか分からない」と懸念を示した。公明党幹部は「自民が次から次へとオウンゴールした影響が大きい」と語った。
今国会での成立に反対する層では内閣支持率が24%にとどまり、不支持率は63%。政府・与党が採決を急げば、支持率はさらに下がる可能性がある。
以上は、常識的なものの見方。ところが、世の中、常識的なものの見方だけではない。とりわけ、政府中枢の考え方は、常人には計り知れない。
菅義偉官房長官は記者会見で安保法案を今国会で成立させる方針を繰り返し表明している。安保法案の国民への説明が「不十分だ」との回答が81%だったことに対しても、参院自民党幹部は「100時間審議しても200時間審議しても、この質問への答えは変わらない」との見方を示す。同党の支持率自体は大きく下がっていないことも強気の背景にあるようだ。
同時期に読売も世論調査をし、本日結果を発表している。
こちらはワニの口はまだ閉じていない。しかし、「安倍内閣の支持率は49%で、前回調査(6月5?7日)の53%から4ポイント低下した。内閣支持率が5割を切ったのは、14年12月の第3次安倍内閣発足直後(49%)以来で、「報道規制」発言が影響したとみられる。不支持率は40%(前回36%)。」と、支持と不支持の差は、17%から9%と8ポイント縮まった。読売の調査をもってしても、1億の有権者の内400万人が、安倍内閣支持から不支持へと鞍替えした計算になる。
戦争法案の審議が始まって一か月半。「法案に対する政府の説明は不十分」が圧倒的な民の声である。さりとて、「丁寧に説明すればするほどボロが出る」「審議が進むほどに反対世論が大きくなる」。「次から次へのオウンゴール」はたまたまのことではない。すべては、安倍内閣の体質そのものの露呈ではないか。
内閣支持率に火が付いたこの事態で、政府与党が戦争法案の採決を強行できるはずはない。まさしく、それは火に油を注ぐ愚行だ。
政権の選択肢は二つ。自暴自棄に採決強行してワニの口に飲み込まれるか、それとも法案を撤回してワニを宥めるか。ワニをなめてはならない。
(2015年7月6日)
若者よ
未来の担い手である君たち。
未来のすべてが君たちの手の中にある。
君たちがこの社会を受け継ぎ支え、
君たち自身がこの社会を作りかえていく。
誰もが等しくこの世に生を受けたことを喜びとする社会、
恐怖と欠乏から免れ平和のうちに生きる権利が保障された社会。
今の世の私たちには作ることができなかったそのような社会。
そのような社会を作ることができるのは君たちだ。
戦争法案に反対の声を上げつつある若者よ
君たちの目の前に、
君たちの受け継ごうとしているこの世の現実がある。
富を持つ者が支配者となり、
権力を持つ者が富を持つ者に奉仕するこの社会。
不本意ながら、これが現世代の君たちへの遺産だ。
富を持つ者はさらに収奪をくわだて
権力を握る者は、持たざる者の抵抗を押さえつける。
富める者、力ある者に、正義も理想もない。
雨の中、澁谷で「9条守れ」と声を上げた3000人の若者よ
君たちこそが未来への希望だ
君たちの自覚こそが、社会を変えるエネルギー。
「9条守れ」の声は、富と権力に驕る者に鋭く突き刺さる。
「憲法守れ」「戦争法案を廃案に」「安倍政権に終わりを」
そう叫ぶ若者の行動が、支配の構造に打撃を与える。
君たちの声と行動とが確実に社会を変える。
人は齢を重ねるにつれて、しがらみを身につけていく。
身にまとわりついたしがらみは、理想や理念を枯らしていく。
だから人は齢を重ねると、心ならずも人におもねり社会におもねり、
口を閉じて下を向いて、うずくまってしまう。
若い君たちだからこそ
理想や理念のままに声を上げ行動することができる。
だから若者たちよ、大きく声を上げよう。
おかしいことはおかしいと言おう。
理不尽を押しつけられるのはマッピラごめんだと声を揃えよう。
殺すことも殺されることも断固拒否する、と。
ぜひ、そう言っていただきたい。
君たちの若々しく朗々たる声の響きは、多くの人々を励ますことになる。
しがらみの中でうずくまっていた人々も、
君たちの声の響きに励まされて立ち上がり、閉じた口を再び開けることになるだろう。
そのことが、戦争法案を廃案にし、安倍内閣を退陣に追い込むこととなる。
さらにその先の未来も開くことになる。
この次ぎの金曜日、7月10日渋谷・ハチ公前広場は
さらに多数の若者たちであふれるだろう。
ハチ公前広場に集うあふれんばかりの若者たちのその声の響きこそ、
未来への希望の確かさなのだ。
(2015年7月5日)
日本民主法律家協会(日民協)は60年安保改定に反対する大国民運動から生まれた。幅広い多くの法律家が、自らの職能の持つ使命感から安保反対の国民運動に参加した。その法律家集団が、「安保条約改定阻止法律家会議」を経て、1961年10月に日民協の設立に至った。協会は、安保闘争の申し子である。
安保闘争が、主権と平和と民主主義の擁護を願う国民的な拡がりを持つものであったことから、日民協は自ずと法律家団体の統一戦線的組織となった。思想的な幅の広さだけでなく、「法律家諸団体の連合組織として、また学者・弁護士・税理士・司法書士・裁判所職員・法務省職員・法律事務所職員など多職能の法律分野で働く人々が参加しているという、他に例のない特色」(「協会案内」から)をもっている。
その「安保闘争の申し子」が、新安保闘争というべき戦争法案反対の国民運動燃えさかる中で、本日第54回定時総会を迎えた。アメリカと日本との関係、支配層の憲法嫌悪、世論と議席数の乖離、民主主義の脆弱さ…、基本的なことがらが60年安保の当時と少しも変わっていないことに驚かざるを得ない。なんと、当時の首相の孫が、現首相という因縁さえもある。悪夢のデジャヴュではないか。
日民協が自らに課してきた主たる課題は、一つが「憲法の擁護」であり、もう一つが「司法の独立」である。その取り組みが憲法分野重視のこともあり、もっぱら司法問題を重視したこともあった。今は、まぎれもなく熱い憲法の季節。
以下が、総会で採択された「壊憲と戦争への道を許さず、国民の力で憲法を守り抜こう」と題する、「戦後70年にあたってー日本民主法律家協会第54回定時総会アピール」である。同アピールは下記の3パラグラフから成っている。
第1パラグラフで、日本国憲法に内実化されている平和を説いて、戦争法案が違憲であって、それ故に国民の平和への願いを踏みにじるものとして指摘し、
第2パラグラフで、今や憲法9条だけでなく、あらゆる憲法理念が、安倍政権によって全面的に攻撃されていることを、「壊憲」として指摘し、
第3パラグラフにおいて、戦争法案審議の強行と壊憲の動きに反対する歴史的な国民運動を巻き起こそうと呼びかけている。
ぜひ、ご一読いただきたい。
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壊憲と戦争への道を許さず、国民の力で憲法を守り抜こう
1 戦後70年。この節目の年に、この国は再び戦争への道に足を踏み出そうとしています。
日本は、アジア諸国民2000万人以上、日本人約310万人の尊い命を奪った侵略戦争の悲惨な経験から、再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、不戦の誓いを持って戦後の国際社会に復帰し、戦争放棄と戦力不保持を規定した憲法9条の下、戦後70年にわたり、海外での武力行使を許さない立場を堅持してきました。
しかし、今国会に提出された安保関連法案(戦争法案)は、戦闘地域を含め世界中どこでも、いつでも、アメリカをはじめとした他国の軍事行動に対し、弾薬や武器の提供などの兵站活動、武器の使用、さらには参戦も、切れ目なくできるようにしたもので、平和国家としての日本の国のあり方を根本から変える戦争法案です。
憲法9条は、戦争を永久に放棄し、戦力の不保持,交戦権の否認を謳っており、本来、自衛隊の存在を認めることさえ困難です。戦争法案は、憲法9条によって守り抜かれてきた「戦わない」という一線を踏み越えるもので、明らかに憲法違反であり、解釈で憲法9条を壊すことは立憲主義の見地から許されないことはもちろん,70年間戦争を拒否してきた日本国民の平和への意思を踏みにじるものです。
2 安倍政権の政策は、憲法9条の破壊にとどまりません。日本の戦後の制度の根幹を揺るがす重大な政策転換を全面にわたって行おうとしています。
労働者の権利を壊す残業代ゼロ法案、命と環境を壊す原発推進、暮らしを壊す社会保障大幅縮減、農業破壊のTPP、軍事国家化のみならず国民の知る権利・批判の自由を壊す秘密保護法、国民のための教育権を壊す教育の国家統制、学問の自由・大学の自治を壊す大学管理強化・文系学部圧殺、司法の独立を壊す司法「改革」、法科大学院制度導入に伴う法学研究の破壊、刑事被告人・被疑者の権利を壊し監視社会を作る刑事司法制度の大改悪(盗聴拡大・司法取引導入など)等々の、個別問題としても大きな憲法破壊の動きが同時進行で襲いかかってきています。
安倍政権は、憲法を頂点とする戦後の制度を「戦後レジーム」と罵倒し、ここから「脱却」することを目標として暴走しています。これらはいずれも憲法壊し、つまり「壊憲」です。
3 安倍政権は、戦争法案の危険性を隠したまま、また、壊憲政策と言うべき幾つもの法案を数に任せて成立を強行しようとしています。
しかし、国民や国会を無視した安倍政権の反民主主義的態度が国民に大きな不安を抱かせ、国会を大きく揺るがせています。与党の推薦者をはじめ参考人全員が戦争法案を違憲と断じ、憲法研究者や学者が今までにない広がりで廃案を求め、国民運動の共同の輪が広がり、運動に関わったことのない人々も声をあげ始め、多くの地方議会でも反対意見書が採択され、世論調査でも、国民の大多数が反対し、さらに広がりをみせています。また、壊憲政策というべき幾つもの法案に対する反対の声も強まっています。
延長国会となったこの夏、国民の共同を、より多様に、より広く、より地域に根ざして、大きく発展させ、政権と国会を包囲し、戦争法案を必ず廃案にし、また壊憲政策を頓挫させなければなりません。
この国が歴史的岐路に立つ今、私たちは、本協会設立の原点である、法律家を結集する結節点としての役割、また、国民各層と共同する役割を深く自覚し、壊憲と戦争への道を許さず、主権者である国民の力を結集して憲法を守り抜くことを決意します。
(2015年7月4日)
まずは、下記の請願に目を通されたい。
安全保障法制の関連法案に反対を求める請願
請願者 文京平和委員会
紹介議員 板倉美千代
請願理由
安倍政権は集団的自衛権の行使容認を柱とした「閣議決定」(2014年7月1日)を具体化するための「安全保障法制の関連法案」を国会に提出しました。これは、戦力の不保持や交戦権否認を明記した憲法9条に違反して、海外での武力行使に踏み出すことを可能にするものです。
すなわち、?自衛隊が「戦闘地域」まで行って軍事支援をする、?イラクやアフガニスタンでの治安維持活動などに参加し、武器を使用できるようにする、?集団的自衛権を発動し、他国の戦争にも参戦するなどで、これらはこれまでの「専守防衛」の安保政策の大きな転換点を意味します。よって私たちは、以下のことを強く求めます。
請願事項
「安全保障法制の関連法案」を廃案にするよう、国に求めること。
6月30日、わが町文京の区議会本会議がこの請願の採択を決議したのだ。戦争法案の違憲を指摘したうえで、曖昧さを残さず、その廃案を求める請願の採択である。拍手を送りたい。
地方自治法第99条は「地方公共団体の公益にかかわる事柄に関して、議会の議決に基づき、議会としての意見や希望を意見書として内閣総理大臣、国会、関係行政庁に提出できる」とさだめる。この請願は文京区議会の意見として、内閣と、衆参両院に提出されることなる。
東京新聞の報道では、「白石議長は、自身の所属する自民党が成立を目指す法案に反対する要望書を送付することに『議会が決めたことですから、きっちり扱わないといけない』と語った」という。
紹介議員の板倉美千代さんは共産党の所属。ブログでもと探したが、見あたらなかったので、代わって金子てるよし文京区議(共産党)のブログを紹介する。決議成立の経過について、次のように解説されている。
■「不採択」の主張は自民・公明だけ
請願が審議された総務区民委員会は、採決に加わらない委員長を除くと委員は8名(自民1、公明1、未来3、共産2、市民1)です。26日の総務区民委員会で自民・公明の委員は「決して戦争法案ではない」「歯止めがある」と反論しましたが、未来・共産・市民の委員は「憲法違反」と指摘し、採択6・不採択2で「採択すべき」との報告が議長にされていました。
■マスコミも注目「東京」(1日付)が報道
「安保法制関連法案の廃案を求める要望書」が区議会の意思として政府に提出されることが確実になった30日、本会議開催前から党区議団にも取材があり、共産党都委員会や民主党都連への取材も踏まえ、法案に明確に反対の請願採択は“23区では初めて”と注目し、記事を掲載しました。
「未来」とは、正式名称は、「ぶんきょう未来」。「民主、維新、無所属の10人が所属する区議会最大会派」とのこと。結局、自・公が孤立して、本議会では「賛成多数」による採択だった。今は、自公以外は戦争法案に反対の姿勢なのだ。
民主党のベテラン・渡辺まさし区議のホームページの、立派な一文(抜粋)も紹介しておきたい。
特筆すべきは「安保法制案の廃案を求める」請願が採択されたこと。この案件において、地方議会から政府にダメだしを発信できたことはとても意義あることで、まさに区民の「時の声」を反映できたものと嬉しく思っています。
……地球の裏側で自衛隊が武力行使することや、集団的自衛権を行使できるなどということは、どう解釈しても現下の憲法では読み解くことが出来ないと思います。政府は集団的自衛権の行使について「歯止めがある」と強調していますが、国会審議を見る限りそれらも曖昧なままです。これらのことを真摯に受け止めて、どうぞ今後国会においては立法府として、また国権の最高機関としての矜持を示して頂き、間違っても憲法違反となるであろう法案を成立させることのないよう強く望むものです。
6月20日のNHKニュース7が、「安全保障法制について各地の地方議会が次々と国への意見書を議決している」というニュースを報じた。
その集計結果は、
賛成 3
反対 181
慎重 53
である。この数字はなかなかのものではないか。
もっとも、NHKは、「賛成」と「慎重」の各1議会を現場取材して放映したが、「反対」意見を議決した圧倒的多数の議会については、一つも取り上げなかった。このみごとな偏向ぶりが話題を呼んで印象が深い。
今日(7月3日)の赤旗の首都圏欄に、文京区だけでなく、鎌倉市(13対10)と、国立市(12対9)での廃案を求める請願採択の記事が出ている。いずれも、反対した自公が孤立して敗れている。これは、今の世論の動向を良く表した結果だ。
これで、少なくとも、反対決議をした地方議会数は184となった。国会の会期は9月下旬まで。文京区や鎌倉市の成果が他に伝播していくことを期待したい。
(2015年7月3日)
「自公の与党幹部が、昨日(7月1日)東京都内で会談し、衆院特別委員会で安全保障関連法案を7月15日を軸に採決をめざす方針を確認した。」
朝日の報道である。「会期末をにらみ、参院審議も念頭に衆院での再議決が可能な60日以上の日程を確保して衆院を通過させ、関連法の確実な成立をめざす。」という解説。そりゃ、ないよ。
丁寧に説明すると聞いた憶えがあるが、まだ丁寧な説明には遭遇していない。もう、先を決めての審議だというのか。形だけの説明、形だけの丁寧。国民が理解しようとしまいと、スケジュールのとおりに粛々と採決に持ち込む算段。そりゃなかろう。
60年安保を思い出そう。あの大運動が本格的に盛りあがったのは、5月19日衆院安保特別委員会での強行採決、そして翌5月20日衆議院本会議強行採決を契機としてのことだった。平和の問題だけでなく、民主主義の問題までが、国民の前に突きつけられたのだ。今回、様相が似て来つつあるではないか。
そもそも、本当に採決強行などできるのか。自公に次世代だけではみっともない。せめて維新を抱き込みたいというのが政府与党の願望だろうが、いよいよ世論の支持が細りはじめている。維新も自公と心中はしたくないだろう。ダメージは大きいぞ。本当に内閣がつぶれかねない。手を貸した政党もだ。
各社の世論調査で安倍内閣の支持率が軒並み低下している。戦争法には反対、集団的自衛権は容認しない、法案は違憲だ、内閣の説明はまったく不十分、というのが圧倒的な世論となっている。朝日の調査を皮切りに、共同、産経、日経、テレビ朝日と、軒並み同様だ。それに重ねて、「若手勉強会+百田」の「マスコミを懲らしめろ」「沖縄2紙を潰せ」の発言問題。このオウンゴールがよく利いている。説明すればするほど支持率低下する。だから、世論に耳を傾けて譲歩せざるを得ないとするか、早めに強行採決した方がよいと開き直るか。
こんな折、 福島民報社・福島テレビ共同の県民世論調査結果に驚いた。この調査、6月29日時点のものだが、全国にさきがけての激動の予兆なのかも知れない。
法案「違憲」54.3% 「違憲ではない」15・3%
まず、この数値の差に驚かざるを得ない。
集団的自衛権行使容認に「反対」51・7% 「賛成」14・5%
これにはさらに驚いた。極めつけは、内閣支持率だ。
安倍内閣を「支持する」28・4% 「支持しない」50・6%
この圧倒的な内閣不支持率は、既に事件だ。安倍にとっては驚愕の数字だろう。今後の各紙各社の調査が楽しみだ。
福島民報は県内最大のメディアである。福島だけが突出しているというよりは、これが最近の世論の動向とみるべきだろう。もしかしたら、この調査結果、安倍政権の凋落を知らせる桐の一葉なのかも知れない。
常識的には、弱い立場の安倍政権、強気の強行採決などできようはずもない。しかし、坐してジリ貧を待つよりは今のうちに乾坤一擲、ということもないではない。すべては党利党略で、民意が国会にも、内閣にも届いていないもどかしさを感じる。
もとはと言えば、小選挙区制のマジックのなせるわざ。民意の風が国会にも官邸にも、さわやかに吹いてもらいたい。
(2015年7月2日)
DHCスラップ訴訟は本日結審。次回判決言い渡し期日は9月2日午後1時15分と指定された。
賑やかな結審法廷となった。満員の傍聴席に顔をそろえたのは、私の家族、妹、姪、学生時代の同級生、昔の依頼者、今戦いを共にしている仲間たち、30名の弁護団、そして私のブログを読んで駆けつけていただいた初対面の人たち。なんとも心強く、ありがたい。
私は、意見陳述で思いの丈を吐露した。いくつかのバージョンを経て、本日アップするものが、法廷での私の発言。10分間で朗読できるよう贅言を殺いだ最終版が、まとまりの良い意を尽くした文章になったと思う。なお、朗読しているうちに、「スラップに成功体験をさせてはならない」という言葉が突然出てきた。まことにそのとおりである。
報告集会は、光前弁護団長の解説で始まり、私の挨拶で終わった。
光前さんは、「本格的に、政治的な言論の自由と切り結んだ判決を期待する」ことを表明した。そして、何人かの弁護団員から、「請求棄却の勝訴判決を得ただけでは不十分ではないか」「DHCに対する効果的な制裁を考えるべきだ」という意見が相次いだ。
なお、本年1月15日1審判決があったDHC対折本弁護士事件の控訴審は、4月23日に東京高等裁判所第24民事部で一回結審し、6月25日控訴棄却判決となった旨の報告があった。折本さんは、「粛々と勝ちに行く方針」を実践されて勝訴した。仮にDHC側が上告受理申立をしても逆転はあり得ない。これで、DHC・吉田は、仮処分と本訴を併せて、7戦7敗である。既にDHC・吉田の濫訴は明白になったと言うべきであろう。
私は、多くの人の支援や励ましに恵まれた「幸福な被告」である。しかし、被告が常に法的、財政的、精神的な支援に恵まれる訳ではない。スラップの被害に遭った者がペンの矛先を鈍らせることも十分にあり得ることと言わざるを得ない。だから、恵まれた立場にある私は、声を大にして、DHC・吉田の不当を叫び続けなければならない。そして、スラップの根絶に力を尽くさなければならないと思う。
次回、判決法廷と、その後の報告集会については、後刻お知らせします。皆さま、ぜひまた、傍聴と集会参加をお願いします。
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被 告 本 人 意 見 陳 述
弁論終結に際して、裁判官の皆さまに意見を申し述べます。
私は、突然に被告とされ、応訴を余儀なくされています。当初は2000万円、現在は、6000万円を支払え、とされる立場です。当然のことながら、心穏やかではいられません。このうえなく不愉快な体験を強いられています。理不尽極まる原告らの提訴を許すことができません。
私は、憲法で保障された「表現の自由」を行使したのです。本件で問題とされた私の言論の内容は、「政治をカネで歪めてはならない」という民主主義社会における真っ当な批判であり、消費者利益が危うくなることに関しての社会への警告なのです。むしろ私は、社会に有益で有用な情報や意見を発信したのだと確信しています。被告とされる筋合いはありえません。この点について、ぜひ十分なご理解をいただきたいと存じます。
関連してもう一点お願いいたします。原告の訴状では、私の書いた文章がずたずたに細切れにされ、細切れになった文章の各パーツに、なんとも牽強付会の意味づけがされ、「違法な文章」に仕立て上げられようとしています。細切れにせずに、各ブログの文章全体をお読みください。そうすれば、私の記事が、いずれも非難すべきところのない真っ当な言論であることをご理解いただけると存じます。
私は、45年の弁護士生活を通じて、政治とカネ、あるいは選挙とカネをめぐる問題を、民主主義の根幹に関わるものととらえて、関心を持ち続けてきました。また、消費者事件の諸分野で訴訟実務を経験し、東京弁護士会の消費者委員長を2期、日本弁護士連合会の消費者委員長2期を勤めています。消費者問題に取り組む中で、「官僚規制の緩和」や「既得権益擁護の規制撤廃」などという名目で、実は事業者の利益のために、消費者保護の制度や運用が後退していくことに危機感を募らせてきました。そのことが本件各ブログに、色濃く反映しています。
私の「憲法日記」と表題するインターネット・ブログは、弁護士としての使命履行の一端であり、職業生活の一部との認識で書き続けているものです。現在のものは、2013年4月1日に開設し毎日連続更新を宣言して連載を始めたもので、昨日で連続更新821日を記録しています。このブログは権力者や社会的強者に対する批判の視点で貫かれていますが、そのような私の視界に、「DHC8億円裏金事件」が飛び込んできたのです。
昨年3月「週刊新潮」誌上に吉田嘉明手記が発表される以前は、私はDHCや原告吉田への関心はまったくなく、訴状で問題とされた3本のブログは、いずれも純粋に政治資金規正のあり方と規制緩和問題の両面からの問題提起として執筆したものです。公共的なテーマについての、公益目的での言論であることに、一点の疑義もありません。
原告らは、私の言論によって社会的評価を低下した、と主張しています。しかし、自由な言論が権利として保障されているということは、その言論によって傷つく人のあろうことは、法が想定していることなのです。誰をも傷つけることのない人畜無害の言論には、格別に「自由」だの「権利」だのと法的な保護を与える必要はありません。仮に原告両名が、私の憲法上の権利行使としての言論によって、名誉や信用を毀損されることがあったとしても、これを甘受しなければならないのです。
そのことを当然とする根拠を3点上げておきたいと思います。
その第1は、原告らの「公人性」が著しく高いことです。もともと原告吉田は単なる「私人」ではありません。多数の人の健康に関わるサプリメントや化粧品の製造販売を業とする巨大企業のオーナーです。行政の規制と対峙しこれを不服とする立場にもあります。これに加えて、公党の党首に政治資金として8億円もの巨額を拠出して政治に関与しました。さらに、そのことを自ら曝露して、敢えて国民からの批判の言論を甘受すべき立場に立ったのです。自らの意思で「私人性」を放棄し、積極的に「公人性」を獲得したのです。自分に都合のよいことだけは言っておいて、批判は許さないなどということが通用するはずはありません。
その第2点は、私の言論の内容が、政治とカネというきわめて公共性の高いテーマであることです。「原告吉田の行為は政治資金規正法の理念を逸脱している」というのが、私の批判の内容です。仮にもこの私の言論が違法ということになれば、憲法21条の表現の自由は画に描いた餅となり、民主主義の政治過程がスムーズに進行するための基礎を失うことになってしまいます。
さらに、第3点は、私の言論が、すべて原告吉田が自ら週刊誌に公表した事実に基づくものであることです。本来、真実性の立証も、相当性の立証も問題となる余地はありません。私は、その事実に常識的な推論を加えて論評しているに過ぎないのです。意見や論評を自由になしうることこそが、表現の自由の真髄です。私の論評がどんなに手痛いものであったとしても、原告吉田はこれを甘受しなければならないのです。
にもかかわらず、吉田は私をいきなり提訴しました。しかも、私だけでなく10人の批判者を被告にして同じような訴訟を提起しています。カネをもつ者が、カネにものを言わせて、裁判という制度を悪用し、自分への批判の言論を封じようという試みが「スラップ訴訟」です。本件こそが、典型的なスラップ訴訟にほかなりません。原告吉田は、私をだまらせようとして、非常識な高額損害賠償請求訴訟を提起したのです。私は、「黙れ」と恫喝されて、けっして黙ってはならない、と決意しました。もっともっと大きな声で、何度でも繰りかえし、原告吉田の不当を徹底して叫び続けなければならない、これも弁護士としての社会的使命の一端なのだ、そう自分に言い聞かせています。
その決意が、私のブログでの「『DHCスラップ訴訟』を許さない」シリーズの連載です。昨日までで46回書き連ねたことになります。原告吉田は、このうちの2本の記事が名誉毀損になるとして、それまでの2000万円の請求を6000万円に拡張しました。この金額の積み上げ方それ自体が、本件提訴の目的が恫喝による言論妨害であって、提訴がスラップであることを自ら証明したに等しいと考えざるを得ません。
本件は本日結審して判決を迎えることになります。
その判決において、仮にもし私の言論について、いささかでも違法の要素ありと判断されるようなことがあれば、およそ政治批判の言論は成り立たなくなります。原告吉田を模倣した、本件のごときスラップ訴訟が乱発され、社会的な強者が自分に対する批判を嫌っての濫訴が横行する事態を招くことになるでしょう。そのとき、市民の言論は萎縮し、権力者や経済的強者への断固たる批判の言論は、後退を余儀なくされるでしょう。そのことは、権力と経済力が社会を恣に支配することを意味します。言論の自由と、言論の自由に支えられた民主主義政治の危機というほかはありません。スラップに成功体験をさせてはならないのです。
貴裁判所には、本件のごとき濫訴は法の許すところではないことを明確に宣言の上、訴えを却下し、あるいは請求を棄却して、司法の使命を果たされるよう要請申し上げます。
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『DHCスラップ訴訟』第8回弁論について
東京地方裁判所民事第24部合議A係
平成27年(ワ)第9408号
原告 吉田嘉明 DHC(株)
被告 澤藤統一郎
裁判長裁判官 阪本勝 陪席裁判官 渡辺達之輔 大曽根史洋
原告代理人弁護士 今村憲 木村祐太 山田昭
被告代理人弁護士 光前幸一 外110名
《前回期日から本日までの経過》
4月22日 第7回(実質第6回)口頭弁論
5月11日 被告準備書面(6) 被告「主張対照表・補充改訂版」提出
6月12日 原告準備書面6・原告吉田陳述書提出、被告本人陳述書提出
7月 1日 (本日)15時? 631号法廷 第8回(実質第7回)弁論 結審
15時30分? 東京弁護士会508号・報告集会
《本日の法廷》
15時00分? 東京地裁631号法廷 第7回口頭弁論期日。
被告本人(澤藤)意見陳述(10分)。
その後に弁論終結、判決期日指定。
《本日の報告集会》
15時30分?17時 東京弁護士会508号会議室
弁護団長 本日までの経過説明(常任弁護団から補充)
弁護団・支援者・傍聴者 意見交換
☆判決報告集会の持ち方
☆他のDHCスラップ訴訟被告との連携
☆原告や幇助者らへの制裁など
被告本人 お礼とご挨拶
《この事件の 持つ意味》
*政治的言論に対する封殺訴訟である。
*言論内容は「政治とカネ」をめぐる論評 「カネで政治を買う」ことへの批判
*具体的には、サプリメント規制緩和(機能性表示食品問題)を求めるもの
*言論妨害の主体は、権力ではなく、経済的社会的強者
*言論妨害態様が、高額損害賠償請求訴訟の提訴(濫訴)となっている。
※争点 「表現の自由」「訴権の濫用」「公正な論評」「政治とカネ」「規制緩和」
《具体的な争点》
※名誉毀損訴訟では、言論を「事実摘示型」と「論評型」の2類型に大別する。
本件をそのどちららのタイプの事案とするかが問題となっている。
☆原告は、ブログの記事のひとつひとつを「事実の摘示」と主張。
☆被告は、全てが政治的「論評」だという主張。
※事実摘示型の言論は原則違法とされ、
(1)当該の言論が公共の事項に係るもので、(公共性)
(2)もっぱら公益をはかる目的でなされ、(公益性)
(3)その内容が主要な点において真実である(真実性)
(あるいは真実であると信じるについて相当の理由がある)(相当性)
が立証された場合に違その言論の法性が阻却される。
(被告(表現者)の側が、真実性や真実相当性の立証の責任を負担する)
※論評型は、「既知の事実を前提とした批判(評価)が社会的評価を低下させる言論」
真実性や真実相当性は前提事実については必要だが、論評自体は、「人身攻撃に及ぶなど論評としての域を逸脱」していない限りは違法性がないとされる。
《事件の発端とその後の経過》(問題とされたのはブログ「澤藤統一郎の憲法日記」)
ブログ 3月31日 「DHC・渡辺喜美」事件の本質的批判
4月 2日 「DHC8億円事件」大旦那と幇間 蜜月と破綻
4月 8日 政治資金の動きはガラス張りでなければならない
参照 https://article9.jp/wordpress/?cat=12 『DHCスラップ訴訟』関連記事
4月16日 原告ら提訴(係属は民事24部合議A係 石栗正子裁判長)
事件番号平成26年(ワ)第9408号
5月16日 訴状送達(2000万円の損害賠償請求+謝罪要求)
6月 4日 答弁書提出(本案前・訴権の濫用却下、本案では棄却を求める)
6月11日 第1回期日(被告欠席・答弁書擬制陳述)
7月11日 進行協議(第1回期日の持ち方について協議)
7月13日以後 ブログに、「『DHCスラップ訴訟』を許さない・第1弾」
第1弾「いけません 口封じ目的の濫訴」
第2弾「万国のブロガー団結せよ」
第3弾「言っちゃった カネで政治を買ってると」
第4弾「弁護士が被告になって」 現在第46弾まで
7月22日 弁護団発足集会(弁護団体制確認・右崎先生提言)
8月20日 10時30分 705号法廷 第2回(実質第1回)弁論期日。
被告本人・弁護団長意見陳述。
8月29日 原告 請求の拡張(6000万円の請求に増額) 準備書面2提出
新たに下記の2ブログ記事が名誉毀損だとされる。
7月13日の「第1弾」と、8月8日「第15弾」
9月17日 第3回(実質第2回)弁論期日。
11月12日 第4回(実質第3回)口頭弁論
12月24日 第5回(実質第4回)口頭弁論
1月15日 東京地裁民事第30部 DHC対折本弁護士事件判決 DHC完敗
2月25日 第6回(実質第5回)口頭弁論
3月24日 東京地裁民事第23部 DHC対宋文洲氏事件判決 DHC完敗
4月22日 第7回(実質第6回)口頭弁論 裁判長交代 阪本勝判事
7月 1日 第8回(実質第7回)口頭弁論 結審 判決日指定
9月 2日 13時15分 631号法廷 判決言渡し
その後、報告集会(場所未定)と記者会見を予定
(2015年7月1日)
本日は、東京「君が代」裁判・第4次訴訟の弁護団会議。7月3日提出期限の原告準備書面(5)を作成のための内容討議。私を除いて、同僚各担当者の進捗状況は順調だ。みんなよくやる。実に頼もしい。
多くのテーマが議題に上ったが、その一つが「国家が国旗国歌を強制することのイデオロギー性」、あるいは「国旗国歌を強制する儀式のイデオロギー性」。国家が特定のイデオロギーを持つことによって、それと抵触する国民の精神的自由を侵害することになる。憲法の条文を引用すれば、19条の思想良心の自由侵害、20条の信教の自由の侵害。そもそも国旗国歌というものが、国民を国家に統合する機能をもつ以上、国家主義のイデオロギーと無縁ではない。それが、「日の丸・君が代」であることは、無色な国家への統合ではなく、旧天皇制国家の理念への統合という特定のイデオロギーを持つことになるのではないか、という問題意識。
旗や歌が、特定の価値観やイデオロギーの象徴となることについては、最近のアメリカで再確認されている。米南部サウスカロライナ州チャールストンの黒人教会で起きた銃乱射事件を契機として、犯人が所持を誇示していた「南軍旗」を公共の場所から撤去すべきだという意見が世論の支持を獲得しつつあるというのだ。
6月26日同市内で催された犠牲者の葬儀では、オバマ大統領が追悼演説をして、「南軍旗」の掲揚を「組織的な抑圧と人種に基づく支配の記憶をよみがえらすものだ」と主張し、撤去を呼びかけたと報じられている。シンボルとしての旗の取扱いの問題として興味深い。当然に「日の丸・君が代」問題と重なる。
伝えられているところでは、南部諸州では白人保守層を中心に、旧南部の魂を表すものとして、あるいは南北戦争の南軍側戦没者に敬意を示すものとして「南軍旗」(The Battle Flag)への支持が根強いそうだ。大統領は、同旗の撤去は「南軍の兵士の勇気を侮辱するものではなく、奴隷制(の維持)という戦争の目的が間違っていたと認めるだけのことだ」と訴え、さらに「癒えていない傷を抱える多くの人々にとっては、控えめだが、意味のある癒やしとなる」と述べ、黒人らの人種差別への不満解消にもつながるとの認識を示した(毎日)という。また、大統領は、同演説の最後で、黒人の心の支えになってきた賛美歌「アメージング・グレース」を歌い出し、参列者数千人が合唱したという。旗だけでなく、シンボルとしての歌の出番もあったわけだ。
1861年アメリカ合衆国からの分離独立を宣言した南部諸州によってアメリカ連合国(Confederate States of America)の建国が宣言された。その陸軍旗が「南軍旗」である。赤地の正方形にX状の青い帯を交差させ、その帯に連合国参加13州を表す13個の星を配したデザイン。この軍旗のもと、将兵の士気もモラルもプライドも高かったとされる。
南北戦争は夥しい犠牲を払って1865年に終結。南軍は敗れて、軍旗もなくなった…はず。ところが、南軍旗はさまざまな形で南部各州に温存され受継されてきた。それぞれの州のアイデンティティを象徴するものとしてであるらしい。サウスカロライナ州では州議会の議事堂前に掲げられたままになっているという。27日には、南軍旗掲揚に反対する黒人活動家の女性がポールをよじ登り、旗を降ろすという「事件」がおきた。同女性は逮捕されたが、「白人優位を取り除き、真の人種的正義と平等の実現を真剣に考えるべき時だ」と掲揚の中止を訴え、反対派は「これは憎しみの旗ではなく(歴史的)遺産の旗だ」と語っているという。どこも、よく似た話しとなるようだ。
旗も歌もシンボル(象徴)である。何をシンボルしているのか、明確な場合もあるが、不明確なこともある。人によってイメージが食い違い、社会的に理解が分裂していることも少なくない。
南軍旗は白人保守層には、南部のアイデンテティや勇気の象徴でもあり、南北戦争の戦没者への敬意のシンボルでもあるようだが、差別をする側にとっての威嚇のシンボルとしても作用し、差別される側には恐怖と困惑のシンボルともなっている。
日の丸も、事情はよく似ている。1945年8月まで日の丸は、大日本帝国と深く結びついて、皇国のシンボルであった。皇国の臣民であることに疑問を持たない者にとっては、皇国の精強と繁栄のシンボルでもあったろう。しかし、同時に対外的には近隣諸国への侵略と植民地支配のシンボルであり、国内的には天皇制による思想弾圧と宗教統制のシンボルでもあった。要するに、南軍旗と同様の負の歴史の象徴なのである。日の丸の「負」の意味は、日本国憲法の普遍的な諸理念に照らしてのものである。
70年前に、日本は原理的な転換を遂げ、まったく理念を異にする新たな国に生まれ変わった。日の丸のシンボライズの対象であった「大日本帝国=皇国」は消滅した…はずであった。ところがいま、国旗国歌として法定されたものが、戦前とまったく同じ「日の丸・君が代」なのである。
南軍旗と同様、ある人にとっては、戦前戦後を通じての「日本」のシンボルとして愛着の対象であるが、別の人にとっては日本の軍国主義による侵略戦争と植民地支配の象徴として到底受容できない。「君が代」も同じ。戦前戦後の断絶など意識しない人々にとっては、戦前と同じ国歌に抵抗感がない。しかし、戦後の理念的大転換にこだわる人々にとっては、その歌詞が明らかに天皇の御代の永続をことほぐ内容であることから国民主権の世にふさわしからぬとして、受け入れがたいことになる。
信仰を持つ者にとってはさらに事態は深刻である。「日の丸」は太陽神アマテラスのシンボルであって、ある信仰にとっての忌むべき偶像に当たりうる。一般的にどのように思われているかが問題ではなく、信仰者一人ひとりにとってのシンボルの理解が重要なのである。「君が代」も、祖先神の子孫であり、かつ自身も現人神であるとされている天皇への讃歌として歌うことができないとする人が確実に存在する。
要は、特定の旗や歌を、どのような理念のシンボルと把握するかということなのだ。ハーケンクロイツも、南軍旗も、そのシンボライズする理念が受け入れがたいものとなったとき、旗も廃絶されあるいは撤去されることになる。
理念への対処は目に見えない。理念を象徴する旗や歌の扱いで、理念を受容するか排斥するかを示すことが可能となる。南軍旗の掲揚拒否の動きがそれを教えている。本来、70年前の敗戦時に、あるいは日本国憲法制定時に、「日の丸・君が代」は廃絶宣言をされてしかるべきだった。南軍旗撤去問題の報道に、あらためてそう考える。
にもかかわらず、廃絶宣言を免れて生き延びた「日の丸・君が代」を、あろうことか権力的に強制しようというのが東京都教育委員会の立場なのだ。到底是認し得るはずもなかろう。
(2015年6月30日)
私自身が被告とされているDHCスラップ訴訟は、明後日(7月1日・水曜日)午後に結審予定となっています。公開の法廷で裁判を受けることは国民の権利ですし、法廷傍聴も国民の権利です。どなたでも法廷にお入りください。身分証明も不要ですし、名前を登録する必要もありません。但し、今回も抽選はありません。傍聴席が満杯になればご遠慮いただかざるを得ません。その場合は、報告集会にお越しください。こちらは立ち見でも、参加可能です。
その7月1日(水)の予定は以下のとおり。
15時00分? 東京地裁631号法廷 第7回口頭弁論期日。
被告本人(澤藤)意見陳述(10分)。
その後に弁論終結、判決期日指定。
15時30分?17時 東京弁護士会508号会議室 報告集会
弁護団長 本日までの経過説明(常任弁護団から補充)
田島泰彦上智大教授 ミニ講演
本件訴訟の各論点解説とこの訴訟を闘うことの意義
弁護団・支援者・傍聴者 意見交換
・感想意見の交換
・判決報告集会の持ち方
・他のDHCスラップ訴訟被告との連携
・原告や幇助者らへの制裁など
被告本人 お礼とご挨拶
7月1日法廷では、私が口頭で10分間の意見陳述をします。本日は、その原稿を掲載します。10分間の朗読原稿なので、意を尽くしているとは言い難いのですが、が、短くて読み易く、何がどのように問題なのか、要点を把握しやすいと思います。ぜひ、ご一読ください。
この日、結審となって次回は判決期日となります。この判決は、主文だけでなく、判決理由が注目されるところです。問題は、憲法上の言論の自由に関わるだけではありません。政治とカネの問題にも、消費者問題の視点からの規制緩和問題にも関連しています。
ところで、「昔武富士、今DHC」。悪名高いスラップ訴訟の常連企業です。武富士はつぶれて過去の存在となりましたが、スラップ受任常連弁護士は健在です。DHCもその受任弁護士も健在。今後もスラップ訴訟が繰り返される恐れは払拭できません。これを防止するためには、ひとつひとつのスラップ事件で提訴の不当を明確にする判決を積み上げていくことが重要だと思います。
DHCは労働組合運動に対する恫喝訴訟などの前歴もありますが、「8億円裏金事件」批判に対するものとしては10件のスラップを提訴しました。そのうち1件は取り下げ、2件で一審判決が出ています。もちろん、DHC側の完敗。関連した仮処分事件が2件あり、これも地裁と抗告審の高裁で、DHCは完敗しています。今のところ、DHCは6戦6敗。おそらくは、私の判決が7敗目となるはず。ご注目をお願いいたします。
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H26年(ワ)第9408号
被 告 本 人 意 見 陳 述
東京地方裁判所民事24部御中
被告本人 澤 藤 統一郎
口頭弁論終結に際して、意見を申し述べます。
私は、突然に被告とされ、心ならずもの応訴を余儀なくされています。当初は2000万円、途中請求の拡張があって6000万円の支払いを請求される立場とされています。当然のことながら、心穏やかではいられません。不当な提訴と確信しつつも、むしろ不当な提訴と確信するからこそ、このうえなく不愉快な体験を強いられています。理不尽極まる本件提訴を許すことができません。
私に違法と判断される行為や落ち度があったはずはありません。私は、憲法で保障されている「表現の自由」を行使したに過ぎないのです。むしろ、私は社会に有益で有用な言論を発信したのだと確信しています。提訴され被告とされる筋合いはありえません。
本件で問題とされた私の言論の内容は、「政治をカネで歪めてはならない」という民主主義社会における真っ当な批判であり、消費者利益が危うくなっていることに関しての社会への警告なのです。この点について、十分なご理解をいただきたいと存じます。
なお、もう一点お願いしておきたいことがあります。私の書いた文章が、原告の訴状ではずたずたに細切れにされています。原告は、細切れになった文章の各パーツに、なんとも牽強付会の意味づけをして、「違法な文章」に仕立て上げようとしています。貴裁判所には、原告が違法と非難する5本の各ブログの文章全体をお読みください。そうすれば、各ブログ記事が、いずれも非難すべきところのない言論であることをご理解いただけるものと確信しています。
私は、40年余の弁護士生活を通じて、政治とカネ、あるいは選挙とカネをめぐる問題には関心を持ち続けてきました。また、消費者問題にも強く関心をもち、消費者事件の諸分野で訴訟実務を経験してきました。弁護士会内の消費者委員会活動にも積極的に関与し、東京弁護士会の消費者委員長を2期、日本弁護士連合会の消費者委員長2期を勤めています。消費者問題に取り組む中で、官僚規制の緩和や規制撤廃の名目で、実は事業者の利益拡大の観点から消費者保護の社会的規制が攻撃され、その結果消費者保護行政が後退していくことに危機感を募らせてきました。そのことが本件各ブログの内容に反映しています。
私の「憲法日記」と標題するインターネット・ブログは、弁護士としての使命履行の一端であり、職業生活の一部との認識で書き続けているものです。現在継続中のものは、2013年4月1日に自前のブログを開設し毎日連続更新を宣言して連載を始めたもので、昨日で連続更新記録は821日となりました。公権力や社会的強者に対する批判の視点で貫かれています。そのような私の視界に、「DHC8億円裏金事件」が飛び込んできたのです。
2014年3月に「週刊新潮」誌上での吉田嘉明手記が話題となる以前は、私はDHCや原告吉田への個人的関心はまったくなく、訴状で問題とされた3本のブログは、いずれも純粋に政治資金規正のあり方と規制緩和問題の両面からの問題提起として執筆したものです。公共的なテーマについての、公益目的でのブログ記事であることに、一点の疑義もありません。
本件訴訟では、原告両名が、私の言論によって名誉を侵害されたと主張しています。しかし、自由な言論が権利として保障されているということは、その言論によって傷つけられる人の存在を想定してのものにほかなりません。誰をも傷つけることのない言論には、格別に「自由」だの「権利」だのと法的な保護を与える必要はありません。原告両名は、まさしく私の権利行使としての言論による名誉や信用の毀損という「被害」を甘受しなければならない立場にあります。
このことを自明という理由の第1は、原告らの「公人性」が著しく高いことです。しかも、原告吉田は週刊誌に手記を発表することによって自らの意思で「私人性」を放棄し、「公人性」を獲得したのです。
もともと原告吉田は単なる「私人」ではありません。多数の人の健康に関わるサプリメントや化粧品の製造販売を業とする巨大企業のオーナーです。これに加えて、公党の党首に政治資金として8億円もの巨額を拠出して政治に関与した人物なのです。しかも、そのことを自ら曝露して、敢えて国民からの批判の言論を甘受すべき立場に立ったのです。週刊誌を利用して自分に都合のよいことだけは言いっ放しにして、批判は許さないなどということが通用するはずはないのです。
その第2点は、私の言論の内容が、政治とカネというきわめて公共性の高いテーマにおけるものだからです。原告吉田の行為は政治資金規正法の理念を逸脱しているというのが、私の批判の内容です。仮にもこの私の言論が違法ということになれば、憲法21条の表現の自由は画に描いた餅となってしまいます。民主主義の政治過程がスムーズに進行するための基礎を失うことになってしまいます。
さらに、第3点は、私の言論がすべて原告吉田が自ら週刊誌に公表した事実に基づいて、常識的な推論をもとに論評しているに過ぎないことです。意見や論評を自由に公表し得ることこそが、表現の自由の真髄です。私の言論は、すべて吉田自身が公表した手記を素材として、常識的に推論し論評したに過ぎないのですから、事実の立証も、相当性の立証も問題となる余地はなく、私の論評がどんなに手厳しいものであったとしても、原告吉田はこれを甘受せざるを得ないのです。
にもかかわらず、吉田は私を提訴しました。カネをもつ者が、そのカネにものを言わせて、自分への批判の言論を封じようという濫訴が「スラップ訴訟」です。はからずも、私が典型的なスラップ訴訟の被告とされたのです。原告吉田が私をだまらせようとして、2000万円の損害賠償請求訴訟を提起したことに疑問の余地はありません。私は、「黙れ」と恫喝されて、けっして黙ってはならない、もっともっと大きな声で、何度も繰りかえし、原告吉田の提訴の不当を徹底して叫び続けなければならない、そう決意しました。
その決意の結果が、同じブログへの「『DHCスラップ訴訟』を許さない」シリーズの連載です。昨日までで46回書き連ねたことになります。原告吉田は、このうちの2本の記事が名誉毀損になるとして、請求原因を追加し、それまでの2000万円の請求を6000万円に拡張しました。この金額の積み上げ方それ自体が、本件提訴の目的が恫喝による言論妨害であって、提訴がスラップであることを自ら証明したに等しいと考えざるを得ません。
原告吉田嘉明の週刊新潮手記が発表されると、渡辺喜美だけでなく原告吉田側をも批判する論評は私だけでなく数多くありました。原告吉田はその内の10件を選び、ほぼ同時期に、削除を求める事前折衝もしないまま、闇雲に訴訟を提起しました。明らかに、高額請求訴訟の提起という恫喝によって、批判の言論を委縮させ封じこめようという意図をもってのことというべきです。
本件は本日結審して判決を迎えることになります。
その判決において、仮にもし私のこのブログによる言論について、いささかでも違法の要素ありと判断されるようなことがあれば、およそ政治に対する批判の言論は成り立たなくなります。原告吉田を模倣した、本件のごときスラップ訴訟が乱発され、社会的な強者が自分に対する批判を嫌っての濫訴が横行する事態を招くことになるでしょう。そのとき、市民の言論は萎縮し、権力者や経済的強者への断固たる批判の言論は、後退を余儀なくされるでしょう。そのことは、権力と経済力が社会を恣に支配することを意味します。言論の自由と、言論の自由に支えられた民主主義政治の危機というほかはありません。
貴裁判所には、このような提訴は法の許すところではないと宣言の上、訴えを却下し、あるいは請求を棄却していただくよう要請いたします。
(2015年6月29日)