澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

政権が交代しても、憲法解釈は一貫しなければならない

本日の朝日「声」欄は読み応え十分。標題だけを拾えば、「与党の民意のねじれが問題だ」「米軍ヘリ墜落 日本は属国か」「欧州で知ったナチスへの反省」「医薬品業界の利権体質改めよ」「『赤紙』で帰らなかった若者」「仕事優先の35年を振り返る」「パラリンピックにもっと注目を」というもの。いずれも、日本の良識はいまだに健在と意を強くさせてくれる。

中でも出色なのが、「新法制局長官 平和国家危うく」という、西川慎一さん(大学教員)のご意見。大意は、小松一郎駐仏大使の法制局長官起用という伝えられた人事の異例さを指摘の上、「安倍首相は、小松氏起用で集団的自衛権の解釈を都合よく変えようというのだろうが、短絡的な手法ではないか」と批判し、「集団的自衛権の行使を認めないことで、自衛隊を辛うじて軍隊とは異質の存在とし、日本が平和国家としての対外的信用を得てきた事実を忘れてはならない」と結論するもの。

とりわけ注目すべきは、「内閣法制局の誇りは、『いかに政権が変わっても解釈は不変である』というものだ。法令解釈が政権におもねって決められてはならない」という、いかにも研究者らしいご指摘。

官僚に「誇り」あることは当然。立法や法解釈に携わる専門職であればなおさらのこと。「誇り」は、命じられるとおりの解釈をしてみせる技術からは生まれない。憲法や法律の理念を見極め、その理念にしたがった解釈を貫くことこそが「誇り」の源泉である。そのような、「誇り」を伴った法解釈は、必然的に「政権が変わっても不変」となる。誇りをもってする解釈だから不変でもあり、不変であることが誇りにもなる。

ところが、なんとなく、「政権が変われば、法の解釈も変わるのが当然」という論法に巻き込まれてしまいかねない。とりわけ、「憲法解釈などは大きな幅がある。民意を獲得した政権が、民意を踏まえて法の解釈を変更することに不都合はない」という開き直りの一般論に反論を躊躇しがちだ。

西川慎一意見は、政権の交替を超えた憲法解釈の不変性・一貫性こそが内閣法制局の任務であることを喝破している。憲法制定権力によって制定された成文憲法にいささかの変更もない以上、交代した政権の恣意的な解釈による実質的な改憲を許してはならない。行政全体の法解釈をつかさどる立ち場にある内閣法制局は、いまこそ自らの任務を深く自覚しなければならない。

憲法に矛盾する立法によって、実質的に憲法を無力化する「立法府による改憲」が法の下克上として許容しえないことは自明である。ましてや、行政府の憲法解釈の変更によって、憲法の根幹を揺るがす「行政府による実質的改憲」が許されてよかろうはずはない。

先に、「96条先行改憲論」が立憲主義をないがしろにする姑息な手法として、大きな世論の叱責を受けた。この度の内閣法制局長官の交代人事による解釈改憲の「手口」は、姑息さという点では、遙かにこれを凌ぐ。西川意見に続いて、法制局長官の首のすげ替えによる解釈改憲を糾弾する大きな声を上げよう。至るところで、自分の言葉で、自分流に。
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   『手に負えない、水の反乱』
「水は天からもらい水」。だから、鷹揚にジャブジャブ使うか、有り難がって大切に使うか。日本は降水量が多いというのは間違いらしい。年平均1700?と世界平均の2倍雨が降るのは正しい。しかし、国土が狭くて人口が多いので、ひとり当たり降水量は5000?で世界平均の3分の1という計算になる。たいして恵まれているわけではない。やっぱり、水は大切に使わなくてはならないのが正解。

100ミリ豪雨が都心を急襲した翌日、7月24日から関東6都県で10%の取水制限が始まった。隅田川花火中止の土砂降りを思い出しても、雨がよく降っている印象なのにと、首をかしげたくなる。

首都圏は利根川と荒川と多摩川の3水系を水源としている。そのなかで最もたくさん水を恵んでくれるのは利根川だ。その上流にある矢木沢ダムなど、8つのダムの貯水率が6割ちかくまで落ちている。東京に雨が降っても、群馬県に降ってくれないと、東京が渇水する。暖冬で雪解けが早かったことと、関東の梅雨明けが早かったことも、ダムに水が貯まらない原因らしい。そのうえ、気象庁の予報では8月前半、雨が少ないということなので、取水制限が給水制限になる恐れが充分ある。

ダムの水は生活だけでなく、農業にも工業にも使われている。キャベツやレタスをはじめとして、野菜全般値上がりをしている。田圃に水が不足すると、受粉ができず、お米がしいな米になって収量が減ってしまう。農業の一大事だ。

東京都民は生活用水として、1人1日240リットル使っている。2年前、放射能含有を恐れて、飲み水、炊事用水に困った。今回、給水制限になれば、炊事ぐらいはできるだろうが、トイレ、風呂、洗濯が制限される。ひさしく経験したことのない非常事態だ。

生活に欠かせない水道光熱のなかで、なくなったら命に関わるほど困るのは「水」。原発の停止で、電気代はうなぎ登り。円安のせいで、ガス代も値上げ。そこへいくと、水は安くて値上げもない優等生だ。大切に使わないと、水がストライキを起こすかもしれない。いやもう、大暴れをはじめたのかもしれない。福島原発で放射能汚染水になって。どうしたらいいか解らないほど恐ろしい。
(2013年8月7日)

「原爆の日」の平和宣言に9条の精神を見る

1945年8月6日午前15分、ヒロシマに「絶対悪」が姿をあらわし、人類は滅びの淵に至ったことを自覚した。

私は、その広島の爆心地付近の小学校に入学した。1950年4月のこと。幟町小学校、牛田小学校、三篠小学校と市内の学校を転々とした。原爆ドームにはいりこみ、その瓦礫の中で遊んだ記憶がある。町の人は、原爆をピカと呼んだ。なぜか、ピカドンという言葉の記憶はない。土地の記憶から、広島の原爆被害の悲惨さには生々しく迫るものを感じる。

本日、68回目の原爆の日に、平和記念公園で平和祈念式典が挙行された。平和を願う被爆者の声を代弁した松井一実広島市長の「平和宣言」には核廃絶の熱情ほとばしるものがあった。また、憲法改悪と集団的自衛権の容認を目論む安倍晋三首相は、いかにも気の乗らない風に式辞を読み上げた。心ならずも、安倍も原爆の日には広島に来て、「非核3原則堅持」「原爆症認定に全力」と言わねばならない。そうさせるだけの世論の大きさと力関係を大切にしたい。

松井市長の「宣言」を聞いて、次のくだりに考えさせられた。
「世界の為政者の皆さん、いつまで、疑心暗鬼に陥っているのですか。威嚇によって国の安全を守り続けることができると思っているのですか。広島を訪れ、被爆者の思いに接し、過去にとらわれず人類の未来を見据えて、信頼と対話に基づく安全保障体制への転換を決断すべきではないですか。ヒロシマは、日本国憲法が掲げる崇高な平和主義を体現する地であると同時に、人類の進むべき道を示す地でもあります。」
この言葉が、安倍晋三にどう響いたろうか。ルース米大使は、どう受け止めただろうか。

ここで対比されているのは、「威嚇によって国の安全を守り続ける方法」と、「信頼と対話に基づく安全保障」とである。威嚇によって国の安全を確保するとは、武力による抑止論の効果としての平和と安全を確保しようとする考え方である。「相手国は危険でいつ攻撃してくるか分からない」「だから、攻撃には直ちに反撃できるだけの十分な態勢を整えておくことが平和を守る手段である」ことになる。当然に、相手国も同様のことを考える。安心できるためには、相手国を上回る武力を整えるしか手段がない。だから、武力は相互に拡大し続けることになる。ときに、「攻撃こそ最大の防御」とか、「先制的自衛権の行使」という、凄まじい発想に飛躍する。明らかな挑発が、思いがけない事態を生むことになりかねない。

松井市長宣言は、被爆者の心、ヒロシマの心を「信頼と対話に基づく安全保障」という平和憲法の思想としてとらえている。武力行使の威嚇によってではなく、「信頼と対話に基づいて」平和を築き、核廃絶に至る道を切りひらこうというのだ。これこそ、憲法9条の精神ではないか。安倍は、さぞかし耳が痛かったことだろう。

安倍晋三の「式辞」を聞いて、次のくだりに考えさせられた。
「犠牲と言うべくして、あまりに夥(おびただ)しい犠牲でありました。しかし、戦後の日本を築いた先人たちは、広島に斃(たお)れた人々を忘れてはならじと、心に深く刻めばこそ、我々に、平和と、繁栄の、祖国を作り、与えてくれたのです。」

「亡くなった人のお蔭で、戦後の繁栄がある」。この論法は、靖国参拝と同じだ。安倍は、原爆による死者の霊を「我々に、平和と繁栄の祖国を作り、与えてくれた人々の魂」として、「御霊」と呼んだ。しかし、「英霊」という言葉は、靖国に独占されたものとして、民間戦没者の霊は「英霊」にはなれない。原爆による戦没者は単なる「御霊」で、靖国に祀られる軍人の霊だけが特別に英雄・英傑・英邁・英姿の「英」を冠した「すぐれた霊」とされる。言うまでもなく、皇軍の将兵の戦死者だからだ。天皇への忠誠を誉めて死者を「英」霊というのだ。

安倍の脳裏に、霊爾簿に登載される靖国の祭神と、原爆慰霊碑下の奉安箱に納められる原爆死没者名簿登載の戦没者との差別の意識がなかったかを聞いてみたい。

その名簿登載者数は、28万6818人になったと報じられている。合掌。

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  『イザベラ・バードの日本旅』
毎日毎日暑い。そしてひどく雨が降る。135年前、イザベラが東北、蝦夷を旅したのは、ちょうど今頃。なぜ彼女は、むしむし暑く、ビシャビシャ雨の降る、泥濘のなかを泥だらけになって旅したのだろう。通訳の伊藤は文句ばかり言って、足を引っ張る。食べるものは米と黒豆と卵と豆腐ぐらい。宿屋についても不潔で、蚤と蚊に攻められ、穴を開けてのぞく人が群がって障子は押し倒される。こんなふうにプライバシーはないけれど、安全については、「私は1200マイルにわたって旅をしたが、まったく安全で心配もなかった。世界中で日本ほど、婦人が危険にも不作法な目にもあわず、まったく安全に旅行できる国はないと信じている」と言っている。

都市のまわりは人力車で、あとは徒歩か馬が移動手段。その馬も、馬勒やはみは付けない小さくて貧弱な雌馬。荷物運搬用で、乗馬には適さない。蹄鉄をつけず、草鞋を履かせるので、すぐに歩けなくなる。道中、何度も振り落とされ、噛みつかれて苦労している。
しかし、街道に張り巡らされた駅逓の制度には感心している。「日本には陸地運送会社がある。本店が東京に、各地の町村に支店がある。旅行者や商品を一定の値段で駄馬や人夫によって運送する仕事をやり、正式に受領証をくれる。農家から馬を借りて、その取引で適度に利益を上げるが、旅行者が難儀をしたり、遅延をしたり、法外な値段を吹っかけられたりすることがなくてすむ。」

理不尽なところのない合理性と安全性がイザベラの不満をはるかに凌駕したのだろう。彼女に対して畏敬の念を覚えて遠巻きにしながら、さりげなく日本人がしめす親切心がイザベラを魅了したのかもしれない。
「ヨーロッパの国々や我がイギリスでも、外国の服装をした女性のひとり旅は、実際の危害を受けるまではゆかなくとも、無礼や侮辱の仕打ちにあったり、お金をゆすり取られるのであるが、ここでは一度も失礼な目にあったこともなければ、真に過当な料金を取られた例もない。群衆に取り囲まれても、失礼なことをされることはない。馬子は、私が雨に濡れたり、びっくり驚くようなことのないように絶えず気を遣い、革帯や結んでいない品物が旅の終わるまで無事であるように、細心の注意を払う。旅が終わると、心づけを欲しがってうろうろしていたり、仕事を放り出して酒を飲んだり、雑談をしたりすることもなく、彼らはただちに馬から荷物を下ろし、駅馬係から伝票をもらって家へ帰るのである。」
彼女を困らせた駄馬に対しても、日本人は「馬に荷物をのせすぎたり、虐待するのを見たことがない。馬は蹴られることも、打たれることもない。荒々しい声でおどされることもない。馬が死ぬと、立派に葬られ、その墓の上には墓石がおかれる。」

イザベラが見て取った、日本人の穏やかさや優しさや細やかさが彼女の興味をかき立て、旅を続けさせたのだろう。風景や自然ではなく、人間が面白かったのだと思う。

「人も馬も道行きつかれ死ににけり旅寝かさなるほどのかそけさ」
「道に死ぬる馬は仏となりにけり。行きとどまらむ旅ならなくに」(釈超空)

道の辻つじに馬頭観音や野仏が祀られる、鄙びた田舎を旅することは、イザベラならでも現代日本人の憧れるところかもしれない。しかし、できることなら、その旅は春か秋にしたいものだ。
(2013年8月6日)

日中国民感情軋轢の危険を克服するために

日中相互の国民意識についての「共同世論調査」の結果が話題となっている。毎年の調査で今回は9回目だそうだが、昨年まではさしたる話題にならなかった。今回調査結果の話題性は、両国間の国民感情の軋轢が危険水域にまで達していることを如実に物語っている。同時に、この調査結果は、平和を破壊する方法と平和を維持する方法を示唆するものともなっている。

同世論調査は、「言論NPO」と「中国日報社」との日中共同作業として、今年5月から7月にかけて両国で実施されたもの。調査の目的を「日中両国民の相互理解や相互認識の状況やその変化を継続的に把握すること」によって、「両国民の間に存在するコミュニケーションや認識のギャップの解消や相互理解の促進のための対話に貢献すること」という。その意図や良し。

調査結果は、日中両国民とも、相手国に対する印象をこれまでになく悪化させていることを浮き彫りにした。以下、日本側調査主宰者によるコメントを〔〕で紹介する。

〔今回の調査では、日本人と中国人の相手国に対する印象はともに昨年よりも大幅に悪化し、日本人の中国に対する「良くない印象」は90.1%、中国人の日本に対する「良くない印象」は92.8%と、いずれも9割を超え、過去9回の調査で最悪の状況になっている〕
この「いずれも9割を超え」という数値には驚かざるをえない。両国の経済交流も人的交流も確実に拡大している。相互に触れあう機会が増大しながら、相手国に対する印象を急激に悪化させているのだ。国民的規模における好悪の感情は、一方的にではなく相互作用として形成される。いま、その相互作用が悪循環に陥っている。仔細に見ると、中国人の対日感情がより厳しい。

〔日本人の7割近くは中国を「社会主義・共産主義」と理解し、「全体主義(一党独裁)」や「軍国主義」が3割台で続いている。一方、中国人で今年最も多かったのは、現在の日本を「覇権主義」と見る人の48.9%で昨年の35.1%から大幅に増加した。また、「軍国主義」とみる人も昨年(46.2%)よりは減少したものの、41.9%と4割を超えている。日本を「平和主義」の国とみる中国人は6.9%しかいない。〕
我々は、近隣の民衆からどう見られているかについて、鈍感に過ぎるのではないだろうか。「平和憲法をもち、軍事大国とはほど遠い穏やかな日本」とのイメージはまことに希薄。中国から見た日本は、「覇権主義・軍国主義国」であって、「平和主義国家」ではない。これは、深刻な事態ではないか。

〔日本人の半数程度は、中国人を「勤勉だが、頑固で利己的、非協調的で信用できない」などと見ている。中国人の7割は、日本人は「好戦的で信用できず、利己的」と見ており、半数以上が「怠慢で、頑固で不正直で非協調的」と思っている。両国民ともに相手国への印象の悪化に伴い、国民性に対する評価を全面的に悪化させている。〕
これも、深刻な調査結果。お互いが人格的な悪罵の交換にまで至っている。戦争を起こすには、相手国とその国民への憎悪が必要だ。根拠のない悪印象・侮蔑が憎悪にまでいたって、その温度が紛争に着火する。頑固・利己的・非協調的・信用できない・好戦的・怠慢・不正直…どれも何の根拠もない決め付け。精一杯の悪意だけが飛び交っている。危険な兆候と言わざるをえない。

〔日本人は半数が、「日本と中国の間で軍事紛争は起こらないと思う」と見ているが、中国人の半数以上は日中間で軍事紛争がいずれ起きると思っている。〕
詳しく見ると、中国世論では、「数年内に軍事紛争が起こると思う」が17.4%、「将来的には起こると思う」が35.3%。これも、衝撃的な数値である。対して、日本世論は、「数年内に軍事紛争が起こると思う」が2.4%、「将来的には起こると思う」が21.3%。中国ほどではないが、この数値も危険を警告するものと言えよう。到底無視しえない。

問題の焦点である日中関係悪化の原因については次のとおりとされている。
〔日本人が中国に「良くない印象」を持つ最も大きな理由は「尖閣諸島を巡り対立が続いているから」で5割を超え、昨年よりも増加している。その他、「歴史問題などで日本を批判する」、「資源エネルギー、食料の確保などでの中国の自己中心的な行動」などが半数近くで続いている。中国人は「日本が魚釣島、周辺諸島の領土紛争を引き起こし、強硬な態度を取っている」が77.6%で最も多い。「中国を侵略した歴史をきちんと謝罪・反省していない」も63.8%で6割を超えており、昨年(39.9%)を大きく上回っている。〕
日中両国民が考える日中関係の最大の懸念材料は「領土問題」である。が、これだけではない。非常に興味深いのは、共同調査が「懸念材料」とした16項目についての重要度が、日中両国国民でみごとに整合していることである。領土問題に次いでは、「中国の反日教育」対「日本の歴史認識歴史教育」、「中国のナショナリズムや反日感情」対「日本のナショナリズムや反中感情」、「中国メディアの反日報道」対「日本メディアの反中報道」、「中国の政治家の反日感情を煽る言動」対「日本の政治家の反中感情を煽る言動」がそれぞれ対応している。

どちらの国民も、相手側が不当な加害者で自国が被害者と思い込んでいる。相手国側が先制的で攻撃的であり、自国側は防御的な態度と考え、ともに被害感情が大きい。関係悪化の原因は、すべて相手国側にあると考えてもいる。さらに注目すべきは、自国民のみが信頼できる正確な情報に接しており、相手国の国民は不正確な情報に操られている、と考えている。

おそらくは、このあたりに平和の維持と崩壊の分岐がある。平和を築くためには国民間相互の信頼関係が必要だ。信頼関係の形成には、相手の言い分に耳を傾ける姿勢が必要である。我々も、尖閣問題についての日本側の言い分は、耳にタコができるほど聞かされてきたが、中国側の言い分を生で聞く機会には恵まれない。しかし、中国側に言い分がないはずはない。中国のメディアの日本報道の内容についても良くは知らない。立場を代えてみれば、おそらくは中国の民衆も同じことだろう。日本のことを十分には知らないはずだ。

このままでは、相手国の言動の片言隻句をとらえて、軍事的な防衛行動をとらざるを得ないとし、その悪循環から一触即発の事態を迎えかねない。愚かなこととではないか。

まずは、相互に相手の置かれた状況をよく知ること。相手の言い分を理解すること。相手の説明や弁明に耳を傾けること。相手を尊重するところから、相互理解と相互の信頼が生まれ、友好関係を築くことができる。近隣諸国との友好関係を抜きにして日本の未来はない。おそらくは、中国にもそれがあてはまるのだと思う。
(2013年8月5日)

国会開会式の怪ー玉座の天皇と平身低頭の議員たち

第184臨時国会は、8月2日に開会、会期は8月7日までである。院の構成だけが行われ、実質的な審議は秋の臨時国会でのこととなる。そこが、改憲・国民審査法・国家安全保障基本法・集団的自衛権に関する政府解釈の変更・秘密保全法等々の本格審議の正念場となる。

注目の参議院憲法審査会の新委員が決まった。総数45人の内訳は以下のとおり。
  自民21、民主11、公明4、みんな3、共産2、維新2、社民1、改革1
護憲派は、仁比聡平と吉良佳子の共産2人と、社民の福島瑞穂。この3人の肩に、ずっしりと日本の民主々義が乗っかっている。さぞや重かろう。肩も凝ることだろう。健闘を期待したい。

ところで、2日の開会式の模様が参議院のホームページで閲覧できる。国民の代表が、玉座に着いた天皇に平身低頭している、あの奇妙な光景を。

開会式の主宰は衆議院議長だが、参議院本会議場において行われる。かつて、帝国議会は貴衆両院で構成されていた。天皇の臨席の場は貴族院本会議場の正面壇上とされた。天皇は、統治権の総覧者として、立法の協賛者である帝国議会の各議員を睥睨した。いま、同じ場所が参議院本会議場となり、同じ玉座から「象徴である天皇」が、「主権者である国民の代表」に「おことば」を発している。いったい、敗戦を挟んで、我が国は変わったのか、変わっていないのか。

「国会を召集すること」は天皇の国事行為の一つである。しかし、「国会の召集」は書類に判を押せば済むことで、国会まで出てきて開会式に臨席し「おことば」を述べるなどは憲法に記されたことではない。

天皇の行為には、憲法に厳格に規定された国事行為と、純粋に私的な行為とがある。本来、この2類型しかなく、「おことば」や儀式参加はそのどちらでもない。憲法上の根拠を欠くものである以上、行うべきものではない。

ところが、天皇の国事行為と、純粋に私的な行為とは別に、天皇の「公的行為」という中間領域の範疇を認める立ち場があり、開会式のお言葉はこの範疇に属するものとして行われている。皇室外交や、園遊会の主催、国民体育大会への出席等々も同様。当然に、憲法違反だという批判がある。

日本共産党は違憲論者の代表格。「帝国議会の儀式を引き継ぐもので、憲法の国事行為から逸脱するもの」として現行の開会式を批判し、「憲法と国民主権の原則を守る立場」から天皇臨席の開会式には出席しないとしている。当然のことながら、今回もその原則を貫いている。

憲法上の存在である象徴天皇制を認めない立ち場からではなく、憲法を厳格に遵守する立ち場から、象徴天皇の行動範囲を拡大してはならないとするもの。国民主権の理念からは、国会の開会式に天皇が臨席する必要は毫もない。天皇の臨席は、帝国議会時代の名残でしかないのだ。こんなことは慣習とは言わない。払拭を要するる因習と言うべきだろう。また、開会式直前には、議員が国会正門前に整列して、天皇の出迎えをする慣例もあるのだという。嗚呼、国民主権が泣きはしないか。

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  『イザベラ・バードの見たアイヌ』(「日本奥地紀行」より)
7月29日のブログのつづき。
岩木川の支流平川の橋も道路も流され、前進不能になったイザベラは、碇ヶ関(青森と秋田の境、秋田杉の切り出し製材拠点)で4日間を過ごさなければならなかった。その後、何とか無事に、青森に出て汽船に乗り、函館へ渡る。

函館(8月13日)、森、室蘭、苫小牧、平取、その後函館(9月12日)まで戻る旅をする。北海道の南東部海岸沿い部分を少々旅しただけである。とはいっても、道なき道をたどる困難な旅には違いない。
平取ではアイヌの家庭に4日間滞在し、克明なアイヌの生活、文化の観察、聞き取りを行った。言語、食事、衣服(樹皮を裂いて布を織る女性の仕事、毛皮)、家屋、入れ墨、祭祀(クマ祭りなど)、酋長中心の社会生活、結婚(男女の役割)、親子関係、トリカブト毒を使った狩猟(毛皮がほとんど唯一の収入源)など、イザベラの残したアイヌ文化の記録は文化人類学上の貴重なものとされている。

アイヌ人については「(我が西洋の大都会にいる堕落した大衆と較べ)、アイヌ人の方がずっと立派な生活を送っている。アイヌ人は純潔であり、他人に対して親切であり、正直で崇敬の念が厚く、老人に対して思いやりがある。」「清潔ではない。彼らは決して着物を洗わず、同じものを夜昼着ている。私は彼らの豊かな黒髪がどういう状態になっているかと考えると心配である。彼らは非常に汚いと言ってもよいだろう。故国の我が英国の一般大衆とまったく同じく汚い。彼らの家屋には蚤がいっぱいいるけれども、この点では日本の宿屋ほどひどくない。」故国の英国についても公平に言及している。アイヌ人は体格がよく力強いので、一見どう猛そうだが、「その顔つきは明るい微笑に輝き、女のように優しい微笑みとなる」「容貌も、表情も、全体として受ける印象は、アジア的というよりはむしろヨーロッパ的である」としている。それに比して、日本人については「黄色い皮膚、弱々しい瞼、細長い眼、尻下がりの眉毛、平べったい鼻、凹んだ胸、蒙古系の頬が出た顔形、ちっぽけな体格、男たちのよろよろした歩きぶり、女たちのよちよちした歩きぶり」と酷評している。その日本人に「先祖は犬である」と言われ蔑まれているアイヌ人は日本政府を大変恐れているが、イザベラは「日本の開拓使庁はアメリカ政府が北米インディアンを取り扱っているより遙かに勝る」と言っている。

また、イザベラはアイヌ人が毛皮を売った収入をほとんど「日本の酒」に変えて、飲んだくれている姿をみて心を痛めている。「アイヌ人が日本人と接触することは有害であり、日本文明との接触によって益するところはなく、ただ多くの損をするばかりであったことは明らかである。」と断じている。日本人と混じって住むものほど、生活は貧しく惨めになっている様が語られている。ただ若者の中には、イザベラに積極的な興味を示し、日本語を解し、断酒を主張する者がいて、未来にほのかな希望が見える。

この平取は、イザベラが訪れた100年後に、アイヌ民族の聖地を守るために、ダム建設反対運動のあった二風谷地区にかさなる。後に参議院議員を務めた、アイヌ人であり、アイヌ文化研究者菅野茂さんが、土地強制収容に反対し、ダム建設差し止め訴訟を提起した地である。ダムの差し止めは叶わなかったけれど、判決はアイヌ民族を先住民と認め、悪法「北海道土人保護法」の撤廃、「アイヌ文化振興法」の制定につながった。

その後のアイヌ民族の運命はイザベラの予感通りになってしまったが、聡明な若者たちの血脈は現在に受け継がれている。アイヌ民族の100年の喪失を引き起こしてしまった日本人は、「過去の歴史を忘れる事」のないように、真実を伝えていかなければならないと思う。
(2013年8月4日)

麻生「憲法改正手口学んだら」発言の低劣さ

麻生太郎副総理が7月29日、東京都内でのシンポジウムにおいてした、「ナチスの憲法改正手口学んだら」発言は以下の〔〕内のとおりだとのこと(朝日)。これを当の本人が、「真意と異なり、誤解を招いたことは遺憾だ」として、8月1日に発言を撤回している。いったい、「真意」とは何だったのだろうか。そして、どう「誤解」されたものだろうか。「失言仲間」の橋下徹が、「行きすぎたブラックジョークというところもあるが、ナチスドイツを正当化したような趣旨では全くない」と麻生擁護にまわっているが、どこにジョークがあって、なにゆえ「ナチスドイツを正当化したような趣旨ではない」と言えるのだろうか。普通の国語力を有すると自負する私の能力で、その読み解きに挑戦してみたい。とてつもなく、困難な課題と知りつつ、敢えて…。

〔僕は今、(憲法改正案の発議要件の衆参)3分の2(議席)という話がよく出ていますが、ドイツはヒトラーは、民主主義によって、きちんとした議会で多数を握って、ヒトラー出てきたんですよ。ヒトラーはいかにも軍事力で(政権を)とったように思われる。全然違いますよ。ヒトラーは、選挙で選ばれたんだから。ドイツ国民はヒトラーを選んだんですよ。間違わないでください。〕

これは何だろう。日本国憲法の改正発議要件の話題から、突然にヒトラーに飛ぶ。常人には到底ついていけない話題の転換。ここで彼が言いたいことの真意は分かりにくいが、文脈上理解できることは、「ヒトラーは民主主義によって出てきた」、「きちんとした議会で多数を握って出てきた」「ヒトラーは国民によって選挙で選ばれたんだ」ということ。「出てきた」とは政権を獲得したということであろうから、麻生がいいたいことは、「ヒトラーの政権獲得は民主主義的正当性に支えられたもの」ということであろう。ヒトラーの政権奪取への謀略的手法や敵対勢力への苛酷な弾圧は語られず、「選挙で選ばれたんだから」という幼児的な一言で、民主主義的正当性が語られる。通常の感覚では、論者の並々ならぬ「ヒトラーへの肯定的親和性」を見て取るしかない。なお、あとの文脈との関係においても、ここにはヒトラーへの否定的な評価の文章は収まりがたい。ヒトラーの手法を肯定しておく必要があるところ。

〔そして、彼はワイマール憲法という、当時ヨーロッパでもっとも進んだ憲法下にあって、ヒトラーが出てきた。常に、憲法はよくても、そういうことはありうるということですよ。ここはよくよく頭に入れておかないといけないところであって、私どもは、憲法はきちんと改正すべきだとずっと言い続けていますが、その上で、どう運営していくかは、かかって皆さん方が投票する議員の行動であったり、その人たちがもっている見識であったり、矜持(きょうじ)であったり、そうしたものが最終的に決めていく〕

今、命題の真偽を問題にしない。批判も反論もしない。もっとも、反論を試みようにも、意味不明の文章への批判や反論ほど難しく、事実上不可能というほかはない。ともかく、純粋に彼が何を言いたいのかだけを追求することに専念したいのだが、その観点から、以上の文章は難解極まるものである。
文脈を追えば、「憲法はよくても、そういうことはありうる」とは、「憲法はよくても、その良い憲法下における民主的手続が、ヒトラーのような邪悪な政権を生み出す危険性がある」ということであろうか。とすれば、「私どもは、憲法はきちんと改正すべきだとずっと言い続けていますが」、「よい政権を生むか、邪悪な政権を生むかは、実は、憲法の良し悪しと何の関係もないこと」と言いたいようなのだ。分からないのは、憲法を改正したところで、どのような政治になるかは、結局議員が決めることで憲法の良し悪しとは無関係ならば、無理して憲法を改正する必要はなさそうであるが、さて、この点についてどう話が続くのかと聞き耳を立てると、たちまちはぐらかされることになる。

〔私どもは、周りに置かれている状況は、極めて厳しい状況になっていると認識していますから、それなりに予算で対応しておりますし、事実、若い人の意識は、今回の世論調査でも、20代、30代の方が、極めて前向き。一番足りないのは50代、60代。ここに一番多いけど。ここが一番問題なんです。私らから言ったら。なんとなくいい思いをした世代。バブルの時代でいい思いをした世代が、ところが、今の20代、30代は、バブルでいい思いなんて一つもしていないですから。記憶あるときから就職難。記憶のあるときから不況ですよ。
この人たちの方が、よほどしゃべっていて現実的。50代、60代、一番頼りないと思う。しゃべっていて。おれたちの世代になると、戦前、戦後の不況を知っているから、結構しゃべる。しかし、そうじゃない〕

えっ? 何だこりゃ。またまた、常人には理解しえない大展開。これ、改憲問題やヒトラーとどう関係するの? 常識的に、起・承・転・結という話しの流れを想定している身には、起・転・々・々は、チト辛い。

〔しつこく言いますけど、そういった意味で、憲法改正は静かに、みんなでもう一度考えてください。どこが問題なのか。きちっと、書いて、おれたちは(自民党憲法改正草案を)作ったよ。べちゃべちゃ、べちゃべちゃ、いろんな意見を何十時間もかけて、作り上げた。そういった思いが、我々にある。〕

さあ、分からない。「しつこく言いますけど」って、何をこれまでしつこく言ってきたというの? 「そういった意味」とはどんな意味なのだろう。「べちゃべちゃ、べちゃべちゃ、いろんな意見を何十時間もかけて、(改憲草案を)作り上げた」というのは、静かに議論した形容なの? それとも静かにはできなかったということ? 「憲法改正は静かに、みんなでもう一度考えてください。どこが問題なのか。」このセンテンスだけは、文意明瞭でよく分かる。でも、「真に意図するところ」は少しも分からない。「静かに、どこが問題なのか、みんなでもう一度考えてください」は、そうすればどうなるというのだ? 

〔そのときに喧々諤々(けんけんがくがく)、やりあった。30人いようと、40人いようと、極めて静かに対応してきた。自民党の部会で怒鳴りあいもなく。『ちょっと待ってください、違うんじゃないですか』と言うと、『そうか』と。偉い人が『ちょっと待て』と。『しかし、君ね』と、偉かったというべきか、元大臣が、30代の若い当選2回ぐらいの若い国会議員に、『そうか、そういう考え方もあるんだな』ということを聞けるところが、自民党のすごいところだなと。何回か参加してそう思いました。〕

「喧々諤々」はよくする間違いだが、騒がしいほどに議論したと言いたいのだろう。「喧々諤々、騒がしくやりあった」のか、「極めて静かに対応してきた」のか、どっちなの? 「喧々諤々極めて静かに対応してきた」ってどういうこと?

〔ぜひ、そういう中で作られた。ぜひ、今回の憲法の話も、私どもは狂騒の中、わーっとなったときの中でやってほしくない。靖国神社の話にしても、静かに参拝すべきなんですよ。騒ぎにするのがおかしいんだって。静かに、お国のために命を投げ出してくれた人に対して、敬意と感謝の念を払わない方がおかしい。静かに、きちっとお参りすればいい。何も、戦争に負けた日だけ行くことはない。いろんな日がある。大祭の日だってある。8月15日だけに限っていくから、また話が込み入る。日露戦争に勝った日でも行けって。といったおかげで、えらい物議をかもしたこともありますが。僕は4月28日、昭和27年、その日から、今日は日本が独立した日だからと、靖国神社に連れて行かれた。それが、初めて靖国神社に参拝した記憶です。それから今日まで、毎年1回、必ず行っていますが、わーわー騒ぎになったのは、いつからですか。〕

唐突に靖国参拝が出てくる。ここは論点からはずれるので飛ばすことにしよう。

〔昔は静かに行っておられました。各総理も行っておられた。いつから騒ぎにした。マスコミですよ。いつのときからか、騒ぎになった。騒がれたら、中国も騒がざるをえない。韓国も騒ぎますよ。だから、静かにやろうやと。憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね。〕

さあ、問題はここだ。論旨は、「静かにやろうや」である。総理の靖国参拝も静かにやればよい。ドイツのワイマール憲法もナチス憲法へと静かに変わった。「ある日気づいたら、だれも気づかないで変わっていた」。それほど静かに変わった。この静かさが素晴らしい。だから、ヒトラーの改憲問題における「あの手口学んだらどうかね」という提案になる。
歴史的事実の認識の正確さ如何は問題にしない。問題なのは、麻生がヒトラーの手口を肯定的に評価しているのか、否定的評価なのかということ。わざわざヒトラーに言及して、その手口の成功を評価し、その手口を学べと言っているのだから、肯定評価であることに疑問の余地はない。もし、「真意は別だ」というのなら、まったく文意と離れて真意が隠されていることとなる。そんな「真意」を忖度する余地はない。同じく、ジョークも、ブラックジョークもあり得ない。「静かな憲法改正を評価し、その手口を学べ」というのが、「ナチスドイツを正当化した趣旨」であることは明白である。念のため申し添えるが、麻生は、ナチスがワイマール憲法を葬り、『ナチス憲法』に変えたその手口の鮮やかさを肯定評価しているのだ。「ナチスドイツを正当化した趣旨」であることは自明ではないか。特異な日本語能力の持ち主でない限り、橋下のごとく麻生を庇うことはできない。

〔わーわー騒がないで。本当に、みんないい憲法と、みんな納得して、あの憲法変わっているからね。ぜひ、そういった意味で、僕は民主主義を否定するつもりはまったくありませんが、しかし、私どもは重ねて言いますが、喧噪(けんそう)のなかで決めてほしくない。〕

これが麻生発言の結句。言葉を補って、彼を言いたいことを整理すれば、こうなる。「ドイツでの、ワイマール憲法から『ヒトラー憲法』への改憲は、国民みんなが騒がず静かに、いい憲法と納得して行われている」「ぜひ、そういった意味で、日本の憲法も、ヒトラーの手口を真似てある日気がついたら変わっていたというくらい、静かにやればよい」。これが善解した彼の真意である。文脈を正確に理解する限り、これ以外の真意などあり得ない。
なお、「僕は民主主義を否定するつもりはまったくありませんが」と言っているのは、論旨がヒトラーの手口肯定で、「民主主義を否定するつもり」と論難されることを覚悟していることの証左である。

普通の人が、普通の感覚で、麻生の発言を聞き、麻生の発言を起こした文章を読めば、疑いなく麻生はナチスの手口の肯定的評価者で、その手口を真似ようとしている。そして、許せないのは、国民を愚弄し、改憲阻止の熱い議論をすり抜けて、「国民が気がつかないうちに、憲法が変わっていた」という手口を理想としていることだ。改憲論議にもいろいろあるが、その低劣さにおいて、麻生の論法は、まさしく未曾有だ。

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  『日本共産党参院選当選議員8人の初登院』
本日8月3日付「しんぶん赤旗」の第一面トップの写真。思わず笑いがこぼれてしまう。初登院8人ひとりひとりの弾む気持が、読者に伝染してくるようだ。

吉良さんの初々しい笑顔、辰巳さんの若武者ぶりの豪快笑い、倉林さんの酸いも甘いもかみ分けた豊かな表情、紙さんの知性あふれたお姉さんぶり、仁比さんの臥薪嘗胆の心意気、小池さんの堂々たる貫禄、山下さんの頼もしさ、井上さんの優しさ沈着さ。みんな満面に笑みで、すぐにでも駆け出しそう。この写真は当分見飽きない。

8人それぞれの決意は次のとおり。
「数が増え、キラッと光る個性豊かな皆さんがそろったことで、ほんとうに素晴らしいチームができました」(山下)。「今後はベストイレブンとして得点も稼げる強固なチームとしてがんばり抜きたい」(井上)。「3年ぶりに参院本会議場にはいり、自公政権の暴走とたたかいぬく闘志がわいてきました」(小池)。「さまざまな課題が山積のなか、集中審議、あるいは閉会中審議などを求め、ただちに行動していかないといけない」(紙)。「京都の窓口になったことを生かして、地元のすべての首長にしっかり挨拶をしながら『使い勝手よろしいで』と、宣伝をして実績を上げて、がんばりたいと思います」(倉林)。ともに定数2の激戦区を勝ちぬいた「西の倉林」さんは「東の東京都議の小竹」さんに選挙応援のお礼のエールを送っている。「『ブラック企業なくしてほしい』、『原発再稼働反対』と一緒に声を上げてきた仲間の思いがつまった議員バッチです」(吉良)。「大阪の『消費税増税は絶対にしてほしくない』『維新の会の暴走も止めてほしい』こういう声をいただいて当選させていただきました」(辰巳)。

仁比さんを忘れちゃいけない。仁比さんは議院運営委員として、初日から、「幡随院長兵衛」顔負けの活躍。副議長選出選挙で紛糾する場内協議を「犯人捜しをするのではなく、参議院の規則に基づいて再投票を行うべきだ」と全員が納得できる、弁護士らしい提案をして、議事を正常化したのだ。「9年ぶりに議運理事を取り戻した日本共産党の議席の値打ちを実感した」と語っている。

「赤旗」記者さんの「JR代々木駅の階段を『不屈だ。不屈だ。共産党は不屈なんだ』と心の中でつぶやきながら上がるのが、これまでの選挙翌日の出勤時のありようでした。今回は、足取り軽く、心も軽く上がることができました。」というつぶやきには共感ひとしお。

8人の笑顔は、そのまま日本国憲法の笑顔であり、憲法制定権者の笑顔でもある。「自民圧勝」の受難の中、明日への期待の詰まった、輝く希望が芽吹いたことへの平和や民主々義の明るい笑みでもある。
(2013年8月3日)

ナチスに学ぶ内閣法制局長官人事の手口

麻生太郎発言にはおどろいた。「(ドイツでは)ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていた。誰も気づかないで変わった。あの手口を学んだらどうかね。ワーワー騒がないで、みんないい憲法と納得して、あの憲法変わっているからね」という、閣僚発言としてのトンデモ度において未曾有のもの。まるで橋下徹並みだ。

なるほど、これが安倍内閣の方針なのだ。できれば「誰も気づかないうちに」、少なくとも「ワーワー騒がれないうちに」、「ある日気づいたら日本国憲法が変わっていた」という手口をナチスに学ぼうということなのだ。

同じ手口が、注目の内閣法制局長官人事についても実行されようとしている。法制局経験のない外務官僚が8日の閣議で「抜擢」される予定という。これも、未曾有のこと。

最高裁第二小法廷の竹内行夫裁判官が7月20日定年退官となった。元外務事務次官でイラク戦争支持派として知られた人。その後任人事の決まらないことを不審に思っていたら、ここに内閣法制局長官の山本庸幸氏が充てられるとのこと。そして、後任の内閣法制局長官に小松一郎駐仏大使をあてる方針を固めたとの報道。

総理が内閣法制局長官に解釈変更を命じるのでは角が立つ。言うことを聞かないからと強引に首をすげ替えれば、益々ワーワー騒がれる。ならば、長官を最高裁に栄転させて、その後釜に、言うことを聞く人物を送り込もう。そうすれば、「ワーワー騒がれることなく、ある日気づいたら、『集団的自衛権行使違憲』の憲法解釈が、『集団的自衛権行使容認』に変わっていた」とすることができるじゃないか、これがナチス伝授の安倍政権流「手口」というわけ。どうだ、未曾有だろう。

小松一郎駐仏大使は、各紙が「集団的自衛権行使容認派」と指摘している人物。「安倍首相が第1次内閣で行使容認に向けて立ち上げた私的諮問機関『安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会』(安保法制懇)の事務作業に関わった。法制局長官は次長から昇格するのが通例で、法制局経験のない小松氏の起用は異例(朝日)」などと報道されている。その前歴から、人事の意図は見え見えバレバレなのだ。

これまで積み重ねられてきた政府の憲法解釈を、トップの人事一つで変更してはならない。そんな未曾有なことを許してはならない。
(2013年8月2日)

8月、タブーなく戦争責任と憲法の平和主義を語ろう

8月になった。深く戦争の記憶を想起し、平和への決意を新たにするとき。そして、憲法の平和主義を再確認するときでもある。

68年前の8月、我が国は「無謀な侵略戦争」に敗れて無条件降伏をした。その悲惨な国民的共通体験から、我が国は再生した。新しい国の形「日本国憲法」は、侵略戦争の反省から生まれ、日本国憲法は「平和憲法」として特徴づけられることになった。再び、戦争の加害者にも被害者にもなるまい。その決意が、憲法の前文と第9条に結実している。

「敗戦」は、疲弊し尽くした国民には「終戦」の実感であったろう。しかし、近隣被侵略国の民衆の被害の規模の大きさ深刻さは我が国を遙かに超えるものであった。反省すべきは、「勝てなかったこと」ではなく、「戦争を起こしたこと」「戦争を防止しえなかったこと」である。さらに、「戦争の原因や責任の所在を明確にしたか。自らの手で戦争責任を追求したか」が付け加わる。

敗戦の惨禍の中から新しい日本が蘇生するためには、戦争原因の明確化と、戦争責任の追求が不可欠であった。その努力が十分であったか否かが、今なお、問われ続けている。歴史の客観的な把握を妨げている最大のものは、天皇批判のタブーである。

降伏勧奨のポツダム宣言全13か条が日本に向けて発せられたのは7月26日。既にイタリアもドイツも降伏しており、誰の目にも日本の敗戦が必至な時期であった。しかし、その受諾は8月14日まで遅延した。よく知られているとおり、天皇(裕仁)自身が国体の護持にこだわったからである。この間に、広島・長崎の悲劇が生じ、ソ連の参戦を迎えた。8月12日の時点でなお「国体護持ができなければ、戦争を継続するか」という朝香宮鳩彦の質問に対して、天皇は「勿論だ」と答えている(昭和天皇独白録)。愚かな最高指導者が我が身可愛さの余り降伏に逡巡している間に、何10万もの尊い命が奪われたのだ。その反省を彼の口から聞く機会はなかった。

戦争責任は、いろんなレベルで考えられる。戦争を主導した者、積極的に加担した者、消極的加担者、黙認した者、状況に押し流された者…。戦争で利益を得た者、利益を期待した者。戦争反対の勢力を抑圧した者、抑圧に加担した者、傍観した者…。名目的な責任、実質的な責任、政治的責任・道義的責任・法的責任…。

民衆にも一半の戦争責任は免れない。しかし、自ずから戦争責任には質的な差異があり、戦争を唱導した者と操られた者との責任の差異を糊塗してはならない。「一億総懺悔」とは、真の責任者の責任をごまかすための意図的なミスリードにほかならない。

天皇(裕仁)が、最大・最高の戦争責任者であったのは自明のこと。彼は、統治権の総覧者であり、元首であり、大元帥でもあった。その地位にあったことだけで責任を取らねばならない。しかも、彼はけっして操り人形ではなかった。十分な情報に接し、開戦と戦争推進と終戦遅延に主体的に関わった。私は、死刑廃止論者だが、昭和天皇の責任については、「罪万死に値する」という表現が誇張でなくあてはまると思っている。

私は、年長者から、天皇に対する敬愛の念だけを聞いて育ったわけではない。天皇に対する怨嗟・怨念の発言をずいぶん聞かされた。とりわけ、兵役における「上官の命令は天皇の命令と思え」というスローガンは、無数の「骨の髄までのアンチ天皇派」を作りあげた。しかし、天皇への怨み言は、ひそひそと囁かれはするが、表立つての発言としては控えられ、活字にもしにくい雰囲気の中に埋没している。

正確な歴史認識のために、まずは天皇批判のタブーをなくそう。タブーのない天皇批判によるその個人責任の明確化は、天皇の名によってされた戦争全体への批判のタブーを取り除くことになる。

この8月、大いに戦争を語り、歴史認識を語り、憲法の平和主義を語ろう。何のタブーにも臆することなく。

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  『8月の園芸家』(「園芸家12カ月」カレル・チャペック著より)
園芸家だって8月は避暑に行く。留守のあいだ安心して庭を任せられる親戚か友人が見つかれば、のことなのだが…。

「とにかく、ごらんのとおり、いまは庭では何もすることがないんです。3日に1日見まわってくださるだけでいいんです。・・5分間でいいんです。ちょっと見まわるだけで。」こうして、やっと、この親切な男にたのんで出かける。

翌日、この親切な男は園芸家から1通の手紙をうけとることになる。
「お願いするのを忘れましたが、毎日庭に水をやってください。いちばんいいのは、朝の5時か、夕方の7時頃です。・・どうかたっぷりやってください。」
それから1日たつと、
「ひどく乾燥しています。お願いです。ロードデンドロンに汲み置きの水を、如露に2杯ぐらいずつ、マツ科の植物には5杯ずつ、その他の植物には4杯ぐらいずつやってください。・・今は何と何が咲いていますか、折り返しお知らせください。しぼんだ花は、花梗を切り落とさないといけません。」
3日目。
「芝を刈らなきゃいけないことを忘れていました。芝刈機で刈ってくだされば、ぞうさありません。」
4日目。
「万一、嵐が来たら、大急ぎで庭を見まわってください。豪雨のためによく被害を受けることがありますから、そんなとき、ちょうどその場にいてくださると都合がいいのです。」6日目。
「速達で当地に自生している植物を1かご送ります。すぐ植えること。」

親切な男はそのあいだ、水をやり、芝を刈り、到着した植物をもって途方に暮れる。何だってこんなやっかいなことを引き受けてしまったのかと、悔しがって、早く秋になりますようにと、神様にお祈りする。

一方、園芸家は庭のことが気がかりで、夜もおちおち眠れず、家へ帰る日を指折り数えている。やっと帰ってくると、スーツケースを持ったまま庭に駆け込み、(ろくでなしの、まぬけ野郎め。おれの庭をメチャメチャにしちまいやがった!)と思う。
「ありがとう」ぶっきらぼうにそう言うと、当てつけがましくホースで水まきをはじめる。こんな男を信用するなんて!避暑に出かけるなんて馬鹿なことは、もう、一生涯やらないぞ、と考えながら。

だから、私は避暑に行かない。暑い暑い庭で、汗みずくになって、蚊に食われながら水やりをして、夏を過ごす。
(2013年8月1日)

平和主義についての国民的学習の成果を

憲法96条先行改正問題を機に、「立憲主義」というやや固い法的概念が人口に膾炙することになった。「国民が権力を縛るのが立憲主義本来の姿。縛られるべき立ち場にある権力が拘束を嫌って、『縛りを緩くせよ』と要求することは本末転倒も甚だしい」と、至るところで述べられるようになった。国民的な憲法学習の効果として、日本国憲法とその理念が国民に確信として定着することはまことに喜ばしい。

「96条改憲の先には9条改憲が控えている」というフレーズも、ごく当然なものとして社会が受け入れるようになった。「9条改憲」のなんたるかについても、国民的な学習効果を期待したい。ここが、正念場だ。

「日本をめぐる国際環境が険悪になってきたから9条の平和主義の拠って立つ土台が崩れ、その実効性が薄らいできた」という論調が多少なりとも幅を利かすのは、平和主義についての国民的な学習効果が未熟だからだ。9条の平和主義は、国際紛争が現実化するときにこそ生きた規範となる。国際紛争のないときには、その解決手段としての「武力による威嚇」も「武力の行使」もそもそも必要がない。どんなに国際環境が悪化し、たとえ国際紛争が現実化しようとも、けっして武力に訴えることはしないと、予め覚悟をもって決めたのだ。それが、日本国憲法9条の平和主義だ。領土問題が深刻化したときにこそ出番の9条なのである。

いま9条は、「明文改憲」においてだけでなく、その内容を崩壊させる「立法改憲」と「解釈改憲」という形においても攻撃されている。具体的には、「国家安全保障基本法案」の提案と、集団的自衛権の行使を可能とする政府解釈変更の策動である。

昨日(7月30日)の毎日新聞は、「政府は、憲法解釈で禁じている集団的自衛権の行使について、秋の臨時国会での答弁で容認を表明する検討に入った。複数の政府関係者が明らかにした。安倍晋三首相の私的懇談会『安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会』(安保法制懇)が秋に報告書をまとめるのを受け、首相か関係閣僚が解釈変更を表明。あわせて行使の具体的な範囲を巡る議論を加速し、法的裏付けとなる『国家安全保障基本法案』などの来年の通常国会への提出を目指す」と報道している。

恐るべき事態であって今後当面の憲法問題の焦点は、「安保法制懇報告⇒集団的自衛権解釈変更⇒新防衛大綱策定⇒国家安全保障基本法」となるだろう。そして、この動きと並行して、軍事機密擁護を主目的とする「秘密保全法」制定が目論まれ、その阻止が独立の重要課題となる。

これが、「自民圧勝」がもたらした結果。「躍進共産」に、反対運動の先頭になっての活躍を大いに期待したい。

少し心強いのは、安倍自民や安保法制懇などの集団的自衛権についての憲法解釈の見直し策動は、けっして世論の支持を受けていないことだ。一昨日(7月29日)の毎日新聞世論調査報道は、「集団的自衛権『行使容認に反対』51% 『景気優先を』35%」という見出し。「現在は憲法解釈上行使できないとされる集団的自衛権について、行使できるようにした方がいいと『思わない』とした人が51%に達し、『思う』の36%を大きく上回った。一方で、安倍晋三首相に一番に取り組んでほしい国内の課題は『景気回復』が35%と最多で、首相がこだわる『憲法改正』は3%にとどまった。首相は改憲や集団的自衛権の行使容認など保守色の強い政策に意欲を示しているが、世論の関心は経済に集中している」というのが記事の内容。

安倍自民の「圧勝」の内実は、実のところ「景気回復期待票」に過ぎない。安倍がはしゃいで出過ぎたことをすれば、たちまち民意は離れ政権は瓦解する。国民が平和主義について十分に学習して、学習効果が目に見えるようになるまで、けっして時間がないわけではない。平和を大切に思う人々の努力次第である。

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  『ヘルマン・ヘッセの百日草』
昔の田舎の庭にはかならず百日草(ヒャクニチソウ)が植わっていた。花の少なくなる真夏につぎつぎと咲き続ける、あの強靱な花。蕾のときは、花びらが固く集まって、アルマジロの背中のような模様をした、コロンとした緑色のボール状になっている。花開けば、裏と表の色の違う厚紙で作られたような花びらが、ドライフラワーのように、何日間も色と形を保ちつつける。蕾が後から後からでてくることと、開いた花がいつまでも色あせないので、百日草と名付けられた。また、そのせいで、ちょっと野暮ったい花として軽んじられてきた感がある。

その花がヘッセに賞賛されると次のようになる。
「私は百日草の花束の、とりたての新鮮なときから枯れるまでの変化を、この上ない幸せな気持ちと好奇心を持って見守るのです。花の世界でも、切り取ったばかりの1ダースもの多種多様な色彩の百日草ほど晴れやかで、はつらつとしたものはありません。この花の色彩はもう強烈に内部から輝きを発し、色彩そのものが歓声をあげているのです。この上もなく派手な黄色と橙色、無類に陽気な赤と比類なく素晴らしい赤紫色、それらは、よく素朴な田舎娘のリボンや日曜日の民族衣装の色のように見えることもあります。私はこれらの強烈な色彩を望みのままに並列したり、互いに混ぜ合わせたりするのですが、それらはいつもうっとりするほどの美しさです。」

「花瓶の中でゆっくりと色あせて枯れてゆく百日草を見ていると、私はひとつの死の舞踏を、無情との半ば悲しい、半ば甘美な合意を体験するのです。まさにこの上なくはかないものが最も美しく、死んでゆくことさえこんなに美しく、こんなに華麗で、こんなに愛すべきものだということがあるからです。愛する友よ、一度、切り取ってから8日、ないし10日たった一束の百日草を観察してみてごらんなさい!・・新鮮なうちはきわめて派手で強烈な色彩をもっていたこの花たちが、今や比類なく上品で、きわめてもの憂げな、この上もなく繊細なニュアンスをもった色彩になってゆくのをごらんになるでしょう。一昨日のオレンジ色は、今日はネイプルズイエローになります。明後日には淡いブロンズ色を帯びた灰色になるでしょう。」

「花弁の裏側もよく注意してごらんなさい!・・この陰になった側で、このような色彩の変化の戯れが演ぜられるのです。この昇天が、死んでますます霊的なものになっていく過程が、花冠そのものにおけるよりもいっそう薫り高く、いっそう驚異的に演じられるのです。ここでは他の花の世界では見られない失われた色彩が、独特の金属的で鉱物的な色調が、灰色、灰緑色、ブロンズ色などの変わった色が見られるのです。」
「あなたは、高貴なヴィンテージワイン独特のほのかな芳香や、桃の皮とか美しい女性の肌のうぶ毛の光沢を高く評価なさるのとまったく同じように、このようなものをきっと評価してくださるでしょう。私が枯れてゆく百日草の色彩や、野の花の優美な、消えてゆく色調への愛に燃えたとしても、あなたから感傷的なロマンチストだといって笑われることはないと思います。」

もしあなたが百日草をまだ知らなければ、ヘッセの魔術にかかったまま、ほんものの百日草を見ない方がいいかもしれない。花屋では切り花として売っていないかもしれないほど、田舎くさい花なんですから。
(2013年7月31日)

韓国大法院の「司法の独立」

 本日(7月30日)韓国釜山高等裁判所は、戦時中、三菱重工業に強制徴用された韓国人らが同社に未払い賃金と損害賠償を求めた裁判の差し戻し控訴審で、原告らの主張をほぼ全面的に認め、三菱重工業に賠償を命じる判決を言い渡した。今月10日には、ソウル高裁が新日鐵住金に対して同様の判決を言い渡している。認容額は、新日鐵訴訟が労働者4人に対して1人当たり1億ウォン(約880万円)、三菱重工訴訟が労働者5人に対して1人当たり8000万ウォン(約700万円)である。

この戦時徴用被害者に対する日本企業の責任を認める判決は、2012年5月24日の大法院(最高裁)差し戻し判決に添うものとして予想されていた。おそらくは、再上告審でも覆ることはあるまい。同判決の内容紹介については、簡にして要を得た下記の国会図書館報告(菊池勇次氏執筆)がある。是非参照されたい。
http://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_3507790_po_02520114.pdf?contentNo=1

事案の概要は以下のとおり。
日本の植民地支配の時期、韓国人は日本人としての義務を負担し、原告らは戦時中の国家総動員法下で徴用工として日本に渡航、日本企業に就労した。戦後賃金未払いのままの帰国を余儀なくされ、未払賃金の支払と、過酷な扱いを受けたことに対する損害賠償を求めて、まずは日本の裁判所に提訴した。最高裁での敗訴が確定の後、韓国の裁判所に救済を求め、1・2審敗訴となったが、上告審である大法院で逆転、破棄差し戻しとなった。その差し戻し審の判決が、ソウルと釜山の今回の高裁判決である。なお、三菱重工で就労した5人は1944年8?10月から終戦まで広島にあった同社の機械製作所と造船所で働いて被爆している。帰国後も後遺症としての身体の障害に苦しんだという。

大法院の判決においては、本件の争点は、以下の4点とされた。
?原告の請求を棄却した日本の判決を承認するか否か、
?旧三菱重工と三菱重工、旧日本製鉄と新日本製鉄の同一性、
?日韓請求権協定の締結により、原告の請求権が消滅しているか否か、
?損害賠償の消滅時効が成立しているか否か

韓国大法院は、以上の4点についていずれも原告の主張を認める判断をした。
?については、日本の判決は植民地支配が合法であるという認識を前提に国家総動員法の原告への適用を有効であると評価しているが、日本による韓国支配は違法な占領に過ぎず、強制動員自体を違法とみなす韓国憲法の価値観に反していることが明らかであると指摘し、日本の判決を承認して原告らの請求を棄却した原判決は、外国判決の承認に関する法理を誤解していると判示した。
?は、さほどの重要論点ではないが、原判決において請求を棄却した理由となっていた。大法院判決は、両社は実質において同一性を維持しており、法的には同じ会社であると評価するのに十分であるとした。
?は最重要論点である。大法院判決は「日韓請求権協定は、日韓国家間の債権債務関係を政治的合意によって解決したものであり、…日本の国家権力が関与した強制動員などの違法行為に対する損害賠償請求権は、日韓請求権協定によっても消滅していない」と判示した。さらに、注目すべきは、「条約の締結により、国民個人の同意なくその請求権を消滅させることができると見るのは、近代法の原理に反する」と指摘していること。原告の未払賃金も損害賠償も、個人請求権は請求権協定により消滅していないと判示した。
?については、1965年の協定成立まで日韓の国交が断絶しており、1965年以降も日韓請求権協定の関係文書がすべて公開されず、個人の請求権が包括的に解決されたという見解が韓国内で一般的に受け入れられてきたため、「原告が請求権を事実上行使することができない障害事由があったと見るのが妥当であり、被告が消滅時効の完成を主張し、原告に対する債務の履行を拒絶することは、著しく不当かつ信義誠実の原則に反するもので許されない」と判示し、消滅時効の完成を認めた原判決を破棄した。

この大法院の見解(とりわけ上記?)は、韓国政府とは明らかに異なる。これまで同政府が日韓請求権協定の対象外としていたのは日本軍慰安婦、原爆の被害者、サハリン残留韓国人の請求権を数える。2012年大法院判決は、徴用された労働者などにも対象を広げたもので、韓国政府の従来の主張を超えている。韓国憲法裁判所だけでなく、大法院も、政府見解におもねることなく、「司法の独立」を堅持していると言えるだろう。日本で人権訴訟に携わる立ち場としてはうらやましい限り。

当然のことながら、この判決の影響は大きい。植民地支配下、朝鮮半島から日本の炭鉱や工場に動員されながら賃金をもらえずに帰国した朝鮮半島出身者は、少なくとも約17万5千人(日本の法務省2010年調査)に上るという。戦争とは、植民地支配とは、かくも悲惨でかくも大規模に人を苦しめる。いまだに、戦後は終わっていないのだ。

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  「ハスの花咲く極楽世界の王様金魚」
植物の不思議には、びっくりさせられることばかり。
まずは、ユリやシャクヤクなどの芽だ。ここいら辺に植えてあるのだから、もうそろそろ出てきてもいいのにと、毎日毎日、目を皿のようにして見ていても、見ている間は絶対に出てこない。忘れたことも忘れた頃に、赤みがかった、むっくりした芽がずいぶん伸びているのを見つけてビックリさせられる。チャワンバスの花の蕾もおんなじ。たくさんとはいいません、たった一輪でいいんです、今年こそは咲いてください、と心に願って見張っている。一日に何回も見ていたつもり。先日、チャワンバスの赤紫のとんがった蕾が、水から30センチも伸びているのを見つけてびっくりした。どうして水から蕾の先っちょが出てくるところに気がつかなかったのか。我が儘なことに、蕾を付けてくれた嬉しさが半減してしまう。そして今朝、ピンクの八重の花が開いた。生意気に真ん中に、小さな蜂の巣状の花托を付けている。蜂の子のような、クリーム色の種もちゃんとはいっている。いい匂いとはいいがたいけれど、ほのかな香りまである。

動物にだって不思議なことがある。
このチャワンバスの植えてある水鉢の中には金魚がたった一匹泳いでいる。ラッキーと名付けている。5匹いた小さな和金の生き残りだ。3年ほど前のある日、たった独りになってしまってか、世をはかなんで空中に躍り出てしまった(らしい)。外出から帰って、ふと見ると、半乾きの金魚の干物が砂まみれになっているのを見つけた。全く息をしていない。手に持ってもピクリともしない。シャベルで穴を掘って葬ろうとした時、この世の名残にもう一度水につけてやろうとふと思った。ラッキー。文字通り、水を得た魚となったのです。きっとラッキーは鯉のDNAが強くて、「まな板の鯉」のふりをしていたんだと思う。
それからは、心を入れ替えて、狭い水鉢に安住している。人間の足音がすると、しっぽをふって愛想を振りまくようになった。一回りも二回りも大きくなって、狭い鉢のなかを元気に泳ぎ回っている。ラッキーはハスの花咲く極楽世界の王様だ。
(2013年7月30日)

韓国憲法裁判所の平和的生存権

久しぶりに、李京柱さんを囲んでの一献。とはいえ、私はアルコール類は一切嗜まない。李さんは、席を設けた斉藤・佐藤ご夫妻が勧める自慢のワインや日本酒を味わいつつ、私は専ら冷茶での非対称の酒席。肴は、憲法談義。貴重な韓国の憲法裁判事情を伺った。外国憲法の現実の運用についてお話しが聞けるのは視界が広がってたいへんにありがたい。しかも、最良の講師からの最良の講義を聴けるのはこの上ない幸運。

韓国憲法第5条は、「大韓民国は国際平和の維持に努力し、侵略戦争を否認する。国軍は国家の安全保障と国土防衛の神聖な義務を遂行することを使命とし、その政治的中立性は遵守される」と記す。第39条「全ての国民は法律が定めるところにより国防の義務を負う」という条項もある。国軍の存在は自明の理としてある。日本国憲法9条とは根本的に異なるし、「平和的生存権」にあたる文言も見出しえない。

その韓国で、果敢に「平和的生存権訴訟」が提起されている。憲法上の根拠条文は、第10条の幸福追求権規定であるという。「全ての国民は人間としての尊厳と価値を有し、幸福を追求する権利を有する。国家は個人が有する不可侵の基本的人権を確認し、これを保障する義務を負う」という条文は、日本国憲法13条に相当し、新しい人権はここから導かれる。また、第37条「国民の自由と権利は憲法に列挙されない理由により軽視されてはならない」も活用されているとのこと。

李さんが紹介された「平和的生存権訴訟」は2件。
その1が、1032名の住民による「平澤米軍基地移転違憲訴訟」(2006年2月23日)。長沼ナイキ訴訟と似た事件である。
韓国が米国と締結した基地移転協定によって、全国の米軍基地を統合して平澤に配置されることになったことに対して、基地周辺住民が「戦争に巻き込まれる可能性があり、平和的生存権が侵害される」として憲法訴願審判を請求した。ここでは、平和的生存権は「武力衝突と殺傷に巻き込まれず平和に生きる権利」と構成された。
これに対して、憲法裁判所は、「今日、戦争とテロ、又は武力行為から自由でなければならないことは人間の尊厳と価値を実現し、幸福を追求する前提になるものであるので憲法第10条と第37条第1項から平和的生存権という名でこれを保護することが必要であり、その基本内容は侵略戦争に強制されずに平和的生存ができるように国家に要請できる権利である」と平和的生存権を基本権として実質的に認めた。
しかし、同判決は「米軍基地の移転の条約締結によって住民が戦争に巻き込まれたとはいえず、権利侵害があったとは言えない」として請求を斥けた。

その2が、「戦時増員演習(RSOI)違憲確認訴訟」(2009年5月28日)
2007年の韓国全土にわたる米韓連合軍事訓練としての「戦時増員演習」について、請求人たちは「本件演習は、北朝鮮に対する先制的攻撃演習で、朝鮮半島の戦争勃発危険を高めて東アジア及び世界平和を脅威するので、請求人たちの平和的生存権を侵害する」と主張して、本件憲法訴願審判を請求した。ここでは平和的生存権は「侵略戦争への加担を強制されることなく平和的に存在することを国に要求する権利」と構成されており、我が国での市民平和訴訟やそれに続く一連の「平和訴訟」に似ている。
憲法裁判所はこの請求を斥けた。平澤米軍基地事件とは異なり、「平和的生存権は理念ではあるが人権ではなく裁判規範ではない」としたのだ。

結局のところ、韓国憲法裁判所は平和的生存権の裁判規範性を否定した。この点についての再挑戦は続けるとして、政治規範としての平和的生存権は否定しようもない。つまりは、平和のうちに生きる権利についての民衆の確信は、政治的に大きな意義を有する。そのようなものとして、国連における平和権宣言の準備が続いており、平澤の平和宣言や、済州島・江汀村の平和宣言などが、内容を豊かにしつつ平和構築のためのビジョンの一つとして有効性を発揮している。

以上が、シンポジウム発言と本日の酒席講義を総合してのまとめ。困難な条件の中で果敢に挑戦して、9条を持つ国よりも優れた成果をあげている韓国の法律家たちに敬意を表するしかない。また、平和的生存権を国際的な民衆の確信とし、さらに実定法上の権利とし、裁判規範にまで高める運動という、「連帯の課題」をみた思いである。

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  イザベラ・バードの『日本奥地紀行』(平凡社)
イギリス人の見本のような人だ。好奇心のかたまり、あくなき冷徹な観察、そのための頑固さ不退転さ。世界中嘗め回すように知り尽くすまではやめないその強固な精神。
ビックリするのは、このイザベラが病弱な47歳の独身女性であること。若い時、脊椎の病気をして、その治療をかねて、世界中を旅して回っている。しかし、この日本の旅には、病気治療に役立つとはとうてい思えない苦労と困難がつきまとう。

1878年(明治10年)6月から9月まで、東京から日光、会津、新庄、秋田、青森を経て、北海道にわたり東京に戻る行程である。イギリスでその旅行記を出版し人気を博する。たぶん女性のひとり旅として、特別に明治政府によって許された、外国人としては最初の道筋をたどる旅だ。案内書などは無論なく、行き当たりばったりの、文字通り草分けの旅。自分で選んだ18歳の日本人青年を、たったひとりの通訳兼案内者として連れて行く。

どこを読んでも興味深く、克明に忌憚なく記された明治初期の日本のありのままの姿は、現在の日本人の心を打つ。イザベラを感嘆させる都市(たとえ田舎であつても)住民の物心両面における洗練された文化と生活ぶり。そして、都市を一歩離れた農村の人々の想像を絶する疲弊、貧しさ、不潔さ。そんなくらしのなかでも惜しみなく子どもを可愛がる親たち。黒山になって外国人女性に押し寄せる人々の健康な好奇心。日本人は、ここから出発して150年、曲がりなりにも民主主義や平和憲法を語るまでになってきたのだ。そう思えば、自分たち自身に対する愛しさで胸が締め付けられるではないか。(少々大げさだけれど)

西日本を大雨の被害が襲った今日、イザベラも惨憺たる苦労を味わった旅行記中の大雨の記述について紹介する。8月2日青森県碇ガ関への道中。「6日5晩の間雨はやまない。ベッドは湿り、着物は湿り、なんでも湿って、靴やかばん、本は黴ですべて緑色になっている。それでもまだ雨は降る。道路も橋も、水田も樹木も、山腹もみな同じように津軽海峡の方に向かってめちゃめちゃに押し流されている。」「膝まで泥につかりながら、水の中を渡り、山腹をよじ登っていった。谷間全体にわたって大きな地辷りがあり、山腹も道路も消えていた。」「いたるところに烈しい水音が聞こえ、大きな木が辷り落ち、他の木もまきぞえをくって倒れた。岩石が崩れて、落ちながら他の樹木を流した。地震のときのように音を響かせながら山腹が崩れ、山半分が、その気高い杉の森とともに、前に突きだし、樹木はその生えている地面とともに、真っ逆さまに落ちてゆき、川の流れを変えた。今まで森におおわれていた山腹は、大きな傷痕を残し、そこから水が奔流となって下り、半時間で大きな峡谷を掘り、下方の谷間に石や砂を雪崩のように運んでいった。」

やっとのことで、馬や鶏、犬などと一緒の泥だらけの宿の屋根裏の部屋にたどりつく。そこで、落ち着く間もなく、今渡ってきた橋が落ちる様を大雨の中で見物することになる。
300本以上の丸太が流れてきて、とうとう「30フィートは充分にある2本の丸太がくっついて下ってきて、ほとんど同時に、中央の橋脚に衝突した。橋脚が恐ろしく震動したかと思うと、この大きな橋は真っ二つに分かれ、生き物のような恐ろしい唸り声をあげて、激流に姿を消し、下方の波の中に姿をまた現したが、すでにばらばらの木材となって海の方向へ流れ去った。下流の橋は朝のうちに流されたから、川を歩いて渡れるようになるまで、この小さな部落は完全に孤立した。30マイルの道路にかかっている19の橋のうちで2つだけが残って、道路そのものはほとんど全部流失してしまった。」
さて、このつづきはまたの機会に。
(2013年7月29日)

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