昨日(3月23日)の毎日新聞朝刊1面に、【NHK問題取材班】の記事。お上の発表を鵜呑みに文字にすることが記者の仕事ではない。精力的にNHKと経営委員会に肉薄してお上の嫌がる真実を記事する、こういう記者の存在は貴重である。
見出しは、「郵政から取材圧力、認識か NHK経営委員長代行『不満は内容』」というもの。これだけでは、事情を追っていない者には分かりにくい。敷衍すればこうなろうか。
「現NHK経営委員長代行が『日本郵政側の不満は番組の内容にある』と発言していた事実が判明した。この発言からみて、(NHK経営委員会は、)日本郵政からNHKに対する申し入れが番組制作の取材に対する圧力であったと認識していたはずである」
一日遅れたが、本日(3月24日)朝日も続いた。こちらの見出しは、「経営委トップ2批判主導 NHKかんぽ報道『極めて稚拙』」。これも敷衍すればこうなろうか。
「NHK経営委員会の『トップ2(当時の委員長と代行)』が、番組制作の責任者であるNHK会長批判を主導して、『NHKかんぽ報道の番組は《極めて稚拙》』とまで発言していた」
この件については、何度か当ブログに取りあげた。最近のものは、以下のとおりである。
森下俊三NHK経営委員長の辞任を求める署名にご協力をー(転載・拡散のお願い)
https://article9.jp/wordpress/?p=14502(2020年3月16日)
事件の概要は、NHK経営委員会が日本郵政の手先となって、NHKの番組制作に干渉するという禁じ手をおかしたというもの。具体的には、日本郵政の「かんぽ生命保険」販売の悪徳商法を暴いた「クローズアップ現代+」の良心的番組に驚き、その続編の制作を妨害したのだ。ことは、報道の自由、国民の知る権利に関わる大問題。
この「クロ現+」の番組制作に対する妨害行為には何人もの悪役が登場する。まずは、経営委員会に抗議して番組の続編制作妨害を働きかけた日本郵政の鈴木康雄・上級副社長。元は総務事務次官で、郵政のドンといわれた実力者。批判されるべき立場でありながら、批判の報道を押さえもうとしたこの人物が元兇。次いで、その意を受けて動いたNHK経営委員会委員長・石原進(当時)。さらに、その配下で実務を担当した森下俊三経営委員会副委員長(当時)。これが3悪である。そのうちの石原と森下は、当時の上田良一NHK会長を厳重注意処分にまでして圧力をかけた。
以上の3悪のうち、鈴木と石原は辞めた。森下だけが残って、いまや経営委員長におさまっている。実は森下の果たした役割と責任は大きく、森下に経営委員の資格はない。そう考えての辞任要求署名活動を展開中なのだ。
そのさなかの毎日記事が、第4の悪役を登場させた。その人の名は、村田晃嗣。同志社大学教授で、2018年当時はヒラの経営委員。現在は、経営委員長代行である。村田の所為について、毎日の記事はこう述べている。
かんぽ生命保険の不正販売を報じた番組を巡り、日本郵政グループの抗議に同調したNHK経営委員会が2018年10月、当時の上田良一会長を厳重注意した会合で、経営委員だった村田晃嗣(こうじ)・現委員長代行(同志社大教授)が、郵政側の抗議について「本来の不満は(取材)内容だが、手続き論の小さな瑕疵(かし)(不備)で言っている」と説明していたことが判明した。その上で、経営委として郵政側に返答すべきだと主張した。郵政側の抗議が言い掛かりで、狙いは取材への圧力と認識しながら郵政側への対応を促したとみられ、関係者は「経営委ナンバー2として資質が疑われる」と批判する。
経営委員会の議事録作成は、放送法の命じるところである。同法第41条は「委員長は、経営委員会の終了後、遅滞なく、経営委員会の定めるところにより、その議事録を作成し、これを公表しなければならない。」と定めている。ところが、問題の2018年10月28日経営委員会で何が起こったか。誰がどのような発言をしたか。公表された簡易な「議事録」には一切記載がない。毎日の取材はここに切り込んだもの。村田の実名を挙げて、「経営委ナンバー2として資質が疑われる」との批判にまで言及したのだ。
「複数の関係者への取材で判明した」という毎日の報道では、「当時委員長代行だった森下俊三・現委員長が『番組の作り方に問題がある』などと番組を批判し、石原進委員長(当時)と共に厳重注意を主導。森下氏は『郵政側が納得していないのは本当は取材内容』と明かしていた。
こうした発言を受け、村田氏は「郵政側の本来の不満は(取材)内容で、それでは話がつかないから手続き論の小さな瑕疵で言っている」と説明。その上で「文書が来た以上、経営委のメンツとしても返答しないわけにいかない。返事する際に『(NHK内で)ガバナンスが利いている』だけでは火に油を注ぐ」と指摘。経営委として郵政側に対応するよう主張した。会合では『経営委が返答すべきなのか』との反対も出たが、経営委は会合後、郵政側に厳重注意を報告し、理解を求める文書を送った。」という。
一方、朝日の記事の抜粋は下記のとおりである。こちらには、村田晃嗣の名は出て来ないで、「2トップ」の名のみが出てくる。そして、森下俊三委員長代行(現委員長)の悪役ぶりが際立っている。
会長を注意した10月23日の経営委の議事録は、議論の概要を示した議事経過が公開されているだけで、誰がどんな発言をしたかは明らかにされていない。複数の関係者への取材をもとに当日の議論を再現すると、上田氏の面前で森下氏が「クロ現+」について、「郵政に取材を全然していない」と批判の口火を切る。続編に向けて情報提供を呼びかけるネット動画についても「現場を取材していない。ネットを使う情報は極めて偏っている」と批判を続けた。ほかの委員から「若干商品の説明に誤解を与えるような説明がある」「一方的になりすぎているような気がする」などと批判が続き、石原氏も「(かんぽの販売手法について)詐欺とか押し売りとか、非常に抵抗感があります」と述べた。郵政側に会長名の文書で回答することなど、具体的な対応方法についても話していた。
あらためて、森下俊三氏に辞任を求める署名運動にご協力をお願いいたします。
森下氏はNHK経営委員長としてばかりか、NHK経営委員としても不適格であることは明らかですから、私たちは、NHKの自主自律、番組編集の自由を守るために、森下俊三氏に、経営委員の辞任を求めます。
署名運動のあらましは下記のとおりです。
*署名の第一次集約日:2020年月4月5日(日)
第二次集約日:2020年月4月30日(木) 必着
*署名は用紙かネットのいずれかでお送りください。
・用紙の郵送先:
〒285-0858 千葉県佐倉市ユーカリが丘2?1?8
佐倉ユーカリが丘郵便局留
「森下経営委員の辞任を求める署名運動の会 醍醐 聰」宛て
・署名用紙のダウンロードは→ http://bit.ly/33gfSET から。
*ネット署名: http://bit.ly/2TM7pGj
<ネット署名です>のところにご氏名を記入して「送信」をクリック。
できるだけ、メッセージもお願いします。
*この署名に関するお問い合わせは、
メール:kikime3025-dame18@yahoo.co.jp へ
(2020年3月24日)
安倍晋三は昨日(3月22日)、防衛大学校の卒業式に臨んで訓示をした。卒業生「諸君」にではなく、彼らを「諸官」と呼んで、幹部自衛官の使命を語った。防衛大学校の伝統としての上級生から下級生への陰湿なイジメが世の話題となる中でのことだが、もちろん、そんなことはおくびにも出さない。「真剣なまなざし、凛々しい姿。本当に、頼もしく思います」という調子で、聞くだに恥ずかしい。
かなり長い、冗長な訓示。まとまりに欠け、切れ味はよくない。大学校側の起案か官邸側の作文かは知らないが、コロナ禍のこの時期の屋内大人数イベントでの長広舌は、危機管理上望ましくない。むしろ、なくもがなの訓示の内容。
それでも、この時期に安倍が何をいうのか。メディアは聞き耳を立てた。各紙の見出しは以下のとおり。彼が何を言ったか。この見出しでつかめる。実は、それ以上の中身はない。
朝日 首相、自衛隊の憲法明記に改めて意欲 防衛大卒業式で
毎日 首相が防衛大卒業式で訓示 クルーズ船防疫「完璧な任務遂行」と賛辞
日経 首相、日米同盟の強化強調 防衛大卒業式で訓示
読売 憲法9条に自衛隊明記、首相が改めて意欲
産経 首相、防大卒業式で憲法改正で自衛隊明記に意欲
赤旗 派兵抗議行動を非難 防大卒業式 首相、9条改憲執念
私が、興味を惹かれた2個所を抜粋して引用しておきたい。
A「本年は、日米安全保障条約の改定から60年となります。日米同盟は、外交・安全保障の主軸となり、日本の平和国家としての歩みを確かなものとし、安定した成長を実現する基盤となりました。
当時、条約の改定を巡っては、戦争に巻き込まれるといった激しい批判がありました。それでも、先人たちは、50年、100年先を見据え、敢然と行動しました。
平和安全法制の制定を巡っても、同様の議論がありました。しかし、互いに助け合える同盟は、その絆を強くする。この法制によって、日米同盟は、かつてなく強固なものとなり、厳しい国際環境にあって、大きな抑止力となっています。
日米同盟は、これまでも、これからも、我が国の外交・安全保障の基軸です。日米同盟を真に実効あるものにできるかは、諸官の双肩にかかっています。地域の公共財としての日米同盟の更なる強化に向けて、我が国の果たし得る役割の拡大を図っていく。各自が常に、その高い自覚の下に職務に邁進し、日米の紐帯を揺るぎないものとしてください。」
B「本年1月からは、中東海域において、情報収集活動が始まりました。2月2日、私は、護衛艦『たかなみ』に乗艦し、中東の地に向かう隊員たちを直接激励する機会を得ました。使命感に燃え、整然と乗り込む隊員の姿を、大変、誇らしく思いました。
一点、残念だったのは、御家族が見守る一角に、憲法違反、とプラカードが掲げられていたことです。隊員の幼い子供たちも、もしかしたら、目にしたかもしれない、どう思うだろうか。そう思うと、言葉もありません。隊員たちが、高い士気の下で、使命感を持って任務を遂行できる。そうした環境を作っていかなければならない。改めて、強く感じています。」
Aは、私にはこう聞こえた。
「本年は、日米安全保障条約の改定から60年となります。当時は戦後20年、戦争を悪とし絶対の平和を求める世論が、わが国に満ちていました。好戦的なアメリカとの条約の改定は、戦争に巻き込まれる危険を引き受けることである。あるいは再び加害国になる恐れも覚悟しなければならない、といった圧倒的な世論の反対がありました。それでも、政権を握っていた岸信介や自民党内の保守派は、敢然とこの世論を抑え込み、封じ込めました。今も論争は続いていますが、結局は日米同盟が、外交・安全保障の主軸となり、日本の安定した成長を実現する基盤となりました。日米同盟は、これまでも、これからも、我が国の外交・安全保障の基軸です。あのとき、連日の国民的なデモの鎮圧に自衛隊は出動寸前で踏みとどまりました。しかし、将来、同様の事態があったときは、諸官は国民世論の如何にたじろぐことなく、自信をもって暴徒の鎮圧にあたらなけれはなりません。そうして,日米の紐帯を揺るぎないものとしてください。」
Bについては、彼は本来こう言うべきだったろう。
「本年2月2日、私は護衛艦『たかなみ』に乗艦し、中東の地に向かう隊員たちを直接激励する機会を得ました。その際、見送りをされる隊員のご家族とならんで、抗議の意思を表明される少なからぬ人びとをお見受けしました。その人たちは、「中東派遣反対」「中東へ行かないで」「むりやり行かすな自衛隊」「自衛隊員の命をまもれ」などと、横断幕やプラカードを掲げていらっしゃいました。もちろんその方たちは「自衛隊は憲法違反」「自衛隊の海外派遣は違憲」との信念をお持ちと拝察いたします。
言うまでもないことですが、勇躍して中東に向かう自衛隊員も、自衛隊を海外に派遣すべきではないと抗議をされる人びとも、同じ日本国民です。我が国は、民主主義と自由を国是としており、いかなる政治的な思想・信条もその表現も自由なのです。諸官は、「自衛隊の存在は違憲だ」という表現が自由に行われる日本であればこそ、この国を守る価値があることを肝に銘じなくてはなりません。
隊員の幼い子供たちも、『自衛隊は違憲』という見解をもった同胞にも献身する自衛隊であることの誇りを伝えていただかねばならない。改めて、そう強く感じています。」
(2020年3月23日)
コロナ風の吹くさなかではあるが、昨日(3月21日)は上野に、本日(22日)は小石川植物園に花を見に出かけた。明日の夕方は六義園の予定。今年は、新宿御苑にだけは、絶対に行かない。
上野は、例年とはうって変わった「宴会禁止」「席取り無用」「アルコール不可」。騒々しさのない、常の花見らしからぬ花見。やたらと多いマスクの人びと。そして、激減したインバウンド客。日本語ばかりが聞こえてくるのが新鮮な印象。好天に恵まれて、青い空に映えた花が実に美しい。「長屋の花見」や「花見の仇討ち」のイメージからはほど遠いが、清潔な花見も悪い趣向ではない。
小石川植物園は、まったく例年と変わらない。もともとが、アルコールとは一切無縁の異界。会社のグループはもともとない。町内会も、長屋連中の花見もない。もっぱら家族連れか老夫婦の穏やかな花見。コロナどこ吹く風のしばしの別世界である。
上野公園は、寛永寺境内の跡地である。戊辰の上野戦争で戦場となって焼失した広大な境内の跡地を、新政府は大病院建設の敷地とする計画だった。これが、オランダ人医師ボードウィンの献言によって、1873年に西洋式公園に指定されたという。「上野恩賜公園」として1876年に完成・開園されたというが、何ゆえ「恩賜」であるかの説明に接したことはない。戦後も、この馬鹿馬鹿しい正式名称は生き残って今日に至っているが、この正式名称は死語になっているといってよい。
小石川植物園の正式名称は、「東京大学大学院理学系研究科附属植物園」という。もとは、館林藩主だった当時の徳川綱吉の別邸「白山御殿」のあったところ。綱吉が五代将軍に就任後、御殿は幕府の「小石川御薬園」(薬草園)となった。これが、明治維新後、帝大の植物園となる。こちらには、「帝大」の尊大さの残滓はあっても、「恩賜」の臭みはない。
ところで、植物園から我が家への帰途の途中に、「こんにゃくえんま」で知られた、浄土宗源覚寺がある。さして広くはない敷地に、「汎太平洋の鐘(PAN PACIFIC BELL)」と、「南洋群島平和慰霊像」がある。その由来について、書き留めておきたい。
この釣り鐘は元禄年間に鋳造されたもの。それが、1937(昭和12)年にサイパン島ガランパン市郊外の「南洋寺」に贈られた。海外植民地には神社だけでなく、佛教寺院も建立されたのだ。サイパン守備隊は1944年6月に玉砕する。多くの民間人が犠牲となり、この寺も焼失した。
ところが、戦後20年を経て、この鐘がテキサス州オデッサ市にあることが判明した。「市内の金属商の倉庫にある」とのことだった。当初は、経済的事情から躊躇したものの、新住職が鐘を寺に戻そうと決意を固める。
「戦争の悲哀に泣き、さまよえる鐘、砲弾に傷つける鐘は、我が手許に在れば、『ノー・モア・ウォー』即『平和の偉大なシンボル』となる。これが寺の姿勢でなければならない」と。
多くの人の努力が実を結び、鐘は源覚寺に里帰りすることになり、1974年4月サンフランシスコでの「桜まつり」の期間ここに展示公開され、日米の関係者が集まって、法要が営まれたという。その後、オークランドからの船便で鐘は太平洋を渡り、「汎太平洋の鐘(PAN PACIFIC BELL)」と命名されて源覚寺に復山した。
さらに、同寺の歴史はこう語っている。
「サイパンの鐘、寺に帰る」の事実は、更に原覚寺境内「南洋群島平和慰霊像の開眼」を促すことになった。サイパン島玉砕の悲劇の丘「スーサイド・クリフ(自殺の断崖)」頂上に現存する「十字架を背にしたみろく菩薩青銅立像」は、1972年1月、…「太平洋戦争の際最も激しい戦場となった」地に、「国籍の如何を問わず、亡くなられた方々の霊を慰め、この世に再びおろかで悲惨な戦争が起りませんように、永遠の平和を祈願するため」に建立されたものである。これら善意の人々は、このとき「日本内地にも場所を選んで遥拝所を」と願って、同形一体を更に同時製作してこれを保管して居り、新聞報道を誘因に、原覚寺に代表を差向けて「平和慰霊像」の境内安置を要請したのであった。ときに1974年12月、同じ目的を以て「サイパンの鐘」に執心した寺側に異存のあろうはずはなく、1975年7月「南洋群島平和慰霊像」が源覚寺境内の「サイパンの鐘」の傍らに開眼した。
上野大仏は顔面だけあって胴体がない。戦時中に金属回収の資源として供出したからだという。桜の時期ではあるが、どこを歩いても、まだまだ戦争の爪痕に突き当たることになる。
(2020年3月22日)
広島地検が、自民党・河井案里参院議員の選挙運動員3名を逮捕したのが3月3日。その勾留期限が24日に迫っている。昨日(20日)来、処分内容の見通しが、各メディアで語られている。いずれも、「関係者への取材で明らかに」とされているが、地検の意図的なリークがあったと見るべきだろう。各メディアの見出しが同じ方向のものとなっている。
共同通信配信記事の見出しが、「河井案里秘書 連座制視野に起訴へ」と端的であり、朝日が「案里氏秘書ら、連座制対象と判断か 百日裁判申し立てへ」、毎日が「公選法違反事件、連座制を視野 地検、百日裁判申し立てへ 河井案里議員、失職も」と順次詳細である。この3本の見出しで、大方の内容は把握できよう。
当ブログでも、この問題を下記のとおり3度取りあげている。
哀しいかな、議席もカネで買える現実がある。河井案里を当選させた、巨額の「安倍マネー」。
https://article9.jp/wordpress/?p=14179 (2020年1月23日)
河井案里選挙違反事件でざわつく党内。自民党内からのアベ批判。
https://article9.jp/wordpress/?p=14198 (2020年1月26日)
広島地検は、徹底して河井案里選挙の違法を追及せよ。政権への忖度などあってはならない。
https://article9.jp/wordpress/?p=14443 (2020年3月8日)
報じられているところを整理すれば、以下のとおり。
逮捕された被疑者は、次の3人である。
立道 浩(54) 案里の公設第2秘書(現在) 広島市在住
参院選公示前に車上運動員調整役の事務担当となり、選挙カーの遊説ルート作りなどを担い、案里当選後に秘書になった。車上運動員の手配や街頭宣伝のスケジュール管理、運動員への報酬支払も担当した。
高谷真介(43) 河井克行前法相の政策秘書 東京都在住
選挙運動を実質的に仕切ったとされる河井克行(前法相)と案里陣営とのパイプ役で、違法な報酬を車上運動員の仲介役に伝えた 候補者の遊説の統括や広報を担当、日当3万円の「河井ルール」適用について克行から了解をとり、昨年5月22日に現場に伝えた。
脇 雄吾(71) 案里陣営幹部 広島市在住
選挙対策事務所の事務長として選挙を取り仕切った。昨年6月11日に日当3万円の最終確認をウグイス嬢に伝えている。
被疑事実は公選法違反(運動員買収)
車上運動員14人に公選法が定める日当の上限(1万5000円)を超える報酬計204万円を支払った。
連座制の適用
3名のうちの少なくとも1人を連座制の対象者に当たるとして起訴し、連座制の適用に向け、迅速に裁判を進める「百日裁判」を広島地裁に申し立てる方針。有罪が確定すれば、案里議員の当選は無効となり失職する。
この件を取り巻く状況は、当初とは劇的に変わった。黒川検事長定年延長と検察庁法改正問題が出来して以来、この件の処分如何が、検察庁の政権に対する独立性に関する試金石となっているからだ。広島地検は、この件の処分に関していささかの妥協も許されない。妥協は、安倍政権に対する忖度と指弾されざるをえないのだ。
報じられているところでは、地検が連座制の適用を意識した起訴に及ぶことは確実と思われる。これで、案里議員の失職は見えてきた。問題は、予てから「本丸」とささやかれてきた、河井克行元法相の立件の有無である。報道では「地検は違法な報酬の決定に克行氏が関与したかどうかも慎重に調べている。」「克行氏が選挙の実務の全てを取り仕切る実質的な最高責任者であると述べている供述調書もある」「現場では、ほぼ証拠は固まりつつある。後は上の決断ではないか。」
前法相起訴となれば、政権へのインパクトは大きい。厳しくその任命責任が問われることになる。安倍晋三にしてみれば、こういうときにこそ検察トップに頼りになる人物が欲しいのだ。河井の次は、いつ自分の問題になり得るか心配なのだから。あらためて、権力から真に独立した、公正・中立な検察業務を願う。
(2020年3月21日)
泥棒は夢を見る。「警察官の人事をオレが握ることができれば、安心して仕事ができるんだが…」。 反社の諸君も夢を見る。「検事の人事をオレが握ることができさえれば、心おきなく大きな仕事ができるだろうに…」。 そして、安倍晋三も夢を見る。「検察トップの人事を握ってしまおう。そうすれば、国政私物化だの嘘とごまかしだのという批判は恐くない。心おきなく、私と妻とオトモダチのために特化したお仕事に邁進できる。」 泥棒と反社の願望は夢のまた夢だが、晋三の夢はひょっとすると実現することになる。
政府は3月13日、検察官の定年を63歳から65歳に引き上げる検察庁法の改正案を閣議決定し国会に上程した。これは、単なる公務員の定年延長問題ではなく、検察官の定年を延長するだけの問題でもない。権力の分立に関わる原理的な問題を孕んでいるとともに、国政私物化の安倍政権の野望の表れでもある。泥棒に警察官の人事を与えるに等しい。こんな法案を通してはならない。
翌3月14日の朝日の社説「検察庁法改正 許されぬ無法の上塗り」が、問題点をよく整理して、しかも分かり易い。リベラルな立場からのもっともな怒りがにじみ出ている。その抜粋を引用する。
法をまげたうえで、さらに法の本来の趣旨を踏みにじる行いを重ねるという話ではないか。納得できない。
国家公務員の定年延長にあわせ、検察官の定年を63歳(検事総長のみ65歳)から65歳に段階的に引き上げる検察庁法改正案が、国会に提出された。
見過ごせないのは、63歳以上は高検検事長や地検検事正といった要職に就けないとしつつ、政府が判断すれば特別にそのポストにとどまれる、とする規定を新たに盛り込んだことだ。
安倍内閣は1月末に東京高検検事長の定年を延長する閣議決定をした。検事総長に昇格させるための政治介入ではないかと不信の目が向けられている。
政府は従来、検察官の定年延長は認められないとの立場だったが、今般、解釈を変えることにしたと言い出し、決定を正当化した。立法時の説明や定着した解釈を内閣だけの判断で覆す行為は、法の支配の否定に他ならない。法案は、その暴挙を覆い隠し、さらに介入の余地を広げる内容ではないか。
政治家が特定の人物を選び、特別な処遇を施すことができるようになれば、人事を通じて組織を容易に制御できる。その対象が、政界をふくむ権力犯罪に切り込む強い権限を持ち、司法にも大きな影響を与える検察となれば、他の行政官と同列に扱うことはできない。
戦後、三権分立を定めた憲法の下で制定された検察庁法は、その問題意識に立ち、検察官の独立性・公平性の担保に腐心した。その一環として、戦前あった定年延長規定は削除され、歴代内閣は検察人事に努めて抑制的な姿勢をとってきた。
だが安倍政権は公然とその逆をゆく。延長の必要性について森雅子法相は、「他の公務員は可能なのに検察官ができないのはおかしい」という、検察の職務の特殊性や歴史を踏まえぬ答弁を繰り返すばかりだ。
混迷の出発点である高検検事長人事の背景に、首相官邸の意向があるのは明らかだ。検察への信頼をこれ以上傷つけないために、定年延長の閣議決定をすみやかに取り消すとともに、検察庁法の改正作業も仕切り直すことを求める。
さらに、3月17日東京弁護士会が、以下の会長声明を出した。これも、問題の全体像を簡明に語っている。その素早い対応に敬意を表したい。
検察庁法に反する閣議決定及び国家公務員法等の一部を改正する法律案に反対し、検察制度の独立性維持を求める会長声明
東京弁護士会 会長 篠塚 力
1 政府は本年1月31日、2月7日に63歳で定年を迎えることになっていた東京高検検事長の勤務を、国家公務員法の勤務延長規定を根拠に半年間延長するとの閣議決定をした(以下「本件閣議決定」という。)。
しかし、検察官は一般の国家公務員とは異なり検察庁法によって定年が規定されている。特別法が一般法に優先するのは理の当然であることから、国家公務員法の規定する定年退職の規定(国家公務員法第81条の2)はもとより、勤務延長の規定(同法第81条の3)も検察官には適用されないと解される。これは内閣、人事院の一貫した法律解釈であって、時の政権が閣議決定によってこの解釈を変更することは検察庁法の規定に明白に違背する。
2 検察官が一般の国家公務員とは異なる法律によって規律されるのは、検察官は行政官ではあるものの、刑事事件の捜査・起訴等の権限が付与され司法の一翼を担って準司法的職務を担うことから、政治からの独立性と中立性の確保が特に強く要請されるためである。
すなわち、検察官は「公益の代表者」(検察庁法第4条)であって、刑事事件の捜査・起訴等の検察権を行使する権限が付与されており、ときに他の行政機関に対してもその権限を行使する必要がある。そのために、検察官は独任制の機関とされ、身分保障が与えられている。にもかかわらず、内閣が恣意的な法律解釈によって検察の人事に干渉することを許しては、検察官の政権からの独立を侵し、その職責を果たせなくなるおそれがある。
したがって本件閣議決定は、検察官及び検察組織の政権からの独立を侵し、憲法の基本原理である権力分立と権力の相互監視の理念に違背する。
3 このような違憲・違法というべき法律解釈の変更について、法務大臣が国会内外で厳しく批判されている中で、政府は3月13日、さらに国家公務員法等の一部を改正する法律案(内容として検察庁法の一部改正を含む。)を閣議決定し、これを国会に提出した。
改正案は、すべての検察官の定年を現行の63歳から65歳に段階的に引き上げた上、63歳になった者は、検事総長を補佐する最高検次長検事や、高検検事長、各地検トップの検事正などの役職に原則として就任できなくなるが(役職定年制)、「内閣」が「職務遂行上の特別の事情を勘案し(中略)内閣が定める事由があると認めるとき」(検察庁法改正案第22条第5項)に当たると判断するなどすれば、特例措置として63歳以降もこれらのポストを続けられるようにするとの内容である。
このような法律改正がなされれば、時の内閣の意向次第で、検察庁法の規定に基づいて上記の東京高検検事長の勤務延長のような人事が可能になってしまう。
しかしこれは、政界を含む権力犯罪に切り込む強い権限を持ち司法にも大きな影響を与える検察官の独立性・公平性の担保という検察庁法の趣旨を根底から揺るがすことになり、極めて不当である。
4 以上の理由により、当会は政府に対し、本件閣議決定に抗議し、撤回を求めるとともに、国家公務員法等の一部を改正する法律案のうち検察官の定年ないし勤務延長に係る「特例措置」に係る部分を撤回し、憲法の権力分立原理を遵守して検察官の独立性が維持されるよう、強く求めるものである。
3月19日の毎日新聞(デジタル)解説記事も、意を尽くしたものとなっている。
国会に3月13日提出された検察官の定年を63歳から65歳に段階的に引き上げる検察庁法改正案への批判が強まっている。今年1月になって急きょ法解釈を変更して可能となった検察官の定年延長だけでなく、内閣が検察幹部の人事に介入できる余地を残すもう一つの「仕組み」も盛り込まれたためだ。内閣が必要と認めれば、例外的にその役職を続けさせることができる――この規定に野党は「検察人事に内閣が露骨に介入するものだ」と反発。東京弁護士会も反対する会長声明を出した。
検察庁法改正案とともに国会提出された国家公務員法(国公法)改正案には、定年の段階的引き上げのほか、管理監督職の年齢の上限を定める「役職定年制」が導入される。検察庁法改正案でも同趣旨の制度が導入され、63歳になるのに合わせて検事総長を補佐する最高検次長検事、高検検事長、地検トップの検事正は役職から退き、「検事」に戻ることになる。ただ、これに伴い、内閣の判断で例外的に63歳以降も役職を続けさせるという規定も入った。
「公務の運営に著しい支障が生ずると認められる事由として内閣が定める事由があると認めるときは、次長検事、検事長が63歳に達した日の翌日から起算して1年を超えない範囲内で期限を定め、引き続き勤務させることができる」
この例外規定は現行法で検察官の定年を定めた「22条」に加えられた(検事正は別の条文)。さらに次の項で「前項の期限又はこの項の規定により延長した期限が到来した場合、前項の事由が引き続きあると認めるときは、内閣の定めるところにより、1年を超えない範囲で期限を延長することができる」とし、再延長、再々延長まで想定されている。
…検察官は他の国家公務員と違い、刑事事件の捜査・起訴の権限を付与されている。「首相も逮捕できる」存在であり、政治からの独立性と中立性の確保が極めて重要だ。しかし、この例外規定を素直に読めば、検察幹部の立場からいえば、職を続けられるかどうかは内閣の判断に左右されると言い換えられる。これで内閣の検察幹部への影響力を排除できるのだろうか。
以上で、この問題の論点は尽くされていると思う。
検察官は、他の公務員とは異なり、本来的に行政からの独立を要求される職務なのだ。必要があれば、首相をも逮捕し、起訴し、論告求刑し、刑の執行も行うべき立場にある。だからこそ、その人事が首相の手に握られるようなことがあってはならない。しかし、だからこそ、国政私物化をこととする首相の立場からは、人事権を通じて幹部検察官を手の内に納めておきたいのだ。
このほど、森友問題で文書の改竄を命じられたことを苦にして自殺した近畿財務局職員の手記が公表された。これまで知られていなかった新事実が明るみに出た。明らかに必要な事件の再調査を安倍晋三は拒否した。その理由をなんと言ったか。
「検察が捜査を行い、結果が出ている。財務省でも、麻生大臣のもとで、事実関係を徹底的に調査し、明らかにしたところだ」と言ったのだ。「検察が告発を受けて捜査して不起訴とした」のだからもう問題はない。これが、安倍晋三の錦の御旗となっている。忖度検察は、汚い内閣にとっての頼もしい味方なのである。
こんな法案が議会の数の力でゴリ押しされて通るようでは、刑事司法の権威は失墜する。警察官人事を握らせる泥棒の夢を叶えるに等しく、世も末だ。なんとしても、撤回してもらいたい。
(2020年3月20日)
本日(3月19日)、「卒業式処分をするな!都教委要請行動」。32名の要請団に私も交じって、いくつもの課題について要請と質問を重ねた。
いくつもの課題の根底に、民主主義国家の教育の場にふさわしからぬ「国旗・国歌(日の丸・君が代)」への敬意表明の強制がある。この強制に服さぬ教員に対して、東京都教育委員会が懲戒処分を科し、処分に伴う諸不利益を押し付け続けて事態を混乱させている。
国旗と国歌の学校行事を、ILO・ユネスコ勧告は「愛国的儀式」と呼称している。本来教育とは個人の人格の完成を目指すものだが、世界の良識には日本の教育は「愛国的儀式」に彩られたものと映っているのだ。この点、天皇制政府が国家主義を子どもたちに注入した戦前教育と基本的に変わるところがない。
そして「勧告」は、教員に対して愛国的儀式への参加を強制せぬよう配慮が必要という。これを受け容れがたいとする教員の「不服従の権利」を容認している。
消極的な不服従である限り思想良心に基づく行為への制裁があってはならない。これが「市民的不服従の権利」であって、国連の指し示す世界標準なのだ。不服従の権利を認めず、懲戒処分をもって愛国的行為を強制する我が国は、後進・野蛮の誹りを免れない。
都教委は、いったい何ゆえに、このような野蛮な国旗・国歌(日の丸・君が代)強制にこだわるのであろうか。不可解というしかない。
この度のコロナ禍に伴う措置は、不可解にさらに輪をかけるものとなった。本日の要請行動で、最も話題となったのが、「被処分者の会」からの次の指摘。
東京都教育委員会は2月28日、「新型コロナウイルスに間する都内公立学校における今後の対応(第49報)」を発表し、「1 都立学校の基本方針」として「更なる感染防止拡大」のため卒業式は「参列者の制限や時間の短縮により実施」とした。
そして、指導部指導企画課長名で都立高等学校長・都立特別支援学校長・都立高等学校付属中学校長・都立中等学校長宛「卒業式における国旗・国歌に関する調査の実施について」という事務連絡(以下、事務連絡?という)を発出し、記の2で「本年度に限り…『10.23通達』に示す取り扱いと異なる方法で卒業式を実施する場合は…」として回答例・例1では「…国旗を掲揚できなかった場合‥」、例2では「国歌を含め…斉唱や合唱を行わなかった場合」を挙げ、「※ 本年度に限り、上記回答を不適切な状況として取り扱わない」とした。
ところが、同日、指導部指導企画課長名で都立高等学校長宛に「事務連絡?」を発出し、「現時点で、都立学校における卒業式の国旗国歌の取り扱いについては、『国旗掲揚の下に、体育館で実施する。』『国歌斉唱を行う』という方針に変更ありません。」と指示し、「説明不足であったことをお詫び」した。
事務連絡?で「感染防止」のための「緊急対策」として「連絡」した内容が事務連絡?では「国旗掲揚…、体育館で実施…」「国歌斉唱を行う。」に変えられたのである。
その結果、これまでの式次第にあった校歌斉唱、保護者代表式辞、卒業生代表答辞、在校生代表送辞、式歌(卒業の歌)斉唱、などをカットし、?国歌斉唱、?校長式辞、?卒業証書授与、などに縮小して実施した学校も多い。「感染防止」と言いながら何が何でも「君が代」だけは歌わせるという都教委の異常さが際立っている。
納得できる説明を求めるという質問書の提出に続いて、出席者から声が上がった。
「朝令暮改も甚だしい。常識的な事務連絡?を出したあとに、いったい何があって、非常識な事務連絡?を出すことになったのか」「コロナは、接触感染と飛沫感染で広まっている。接触感染を防ごうというのが、体育館ではなく各教室で行おうという配慮。飛沫感染を防ごうというのが斉唱をやめようという配慮。どちらもまかりならんとはどういうことなのか」「性との命や健康よりも、日の丸・君が代が大切ということなのか」
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事務連絡?
事 務 連 絡
令和2年2月28日
都立高等学校長
都立特別支援学校長
都立高等学校付属中学校長
都立中等学校長 殿
教育庁指導部指導企画課長 小寺 康裕
卒業式における国旗・国歌に関する調査の実施について
例年実施している標記の調査について、複数の学校や自治体から、「新型コロナウイルス感染防止のため例年と異なる方法で卒業式を実施するため、どのように回答すればよいか。」
などの問い合わせを受けています。
つきましては、下記のとおり御対応ください。
記
1.例年と同様の様式で回答する。
2.新型コロナウイルスへの緊急対策に伴い、本年度に限り、いわゆる「10・23通達」に示す取り扱いと異なる方法で卒業式を実施する場合は、以下の例を参考に回答する。
◆例1 各教室で放送等を活用して式を実施したため、国旗を掲揚できなか った場合
→「オ 式典会場内掲揚せず」、
「ノ 演台を設置せずに実施」と回答
◆例2 飛沫感染を防ぐため、国歌を含め全ての式歌の斉唱や合唱を行わなかった場合
→「ス 斉唱せずメロディも流さず」と回答、
「(7)教職員の状況」は空欄
※本年度に限り、上記回答を不適切な状況として取り扱わない。
なお、体育館で実施しながら国旗掲揚を行わない事例や、校歌や他の式歌を斉唱(合唱)しながら国歌斉唱を行わない事例等は、不適切な事例に該当します。
【担 当】
教育庁指導部 主任指導主事 ○ ○
指導企画課統括指導主事 ○ ○
指導企画課指導主事 ○ ○
電話 03?53××?68××
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事務連絡?
事 務 連 絡
令和2年2月28日
都立高等学校長殿
教育庁指導部指導企画課長 小寺 康裕
「卒業式における国旗・国歌に関する調査の実施について」の趣旨等について
先ほど、当課からの事務連絡「卒業式における国旗・国歌に関する調査の実施について」により、本年度の調査の回答例等を示したところですが、この例は、今年度の新型コロナウイルスの感染拡大等の状況によっては、卒業式の実施方法について、様々な変更が想定されることから、変更があった際の回答の仕方を示したものです。
現時点で、都立学校における卒業式の国旗国歌の取り扱いについては、「国旗掲揚の下に、体育館で実施する。」「国歌斉唱を行う。」という方針に変更ありません。
説明不足であったことをお詫び申し上げます。
ご理解を賜りますようお願い申し上げます。
【担 当】
指導部主任指導主事(安全教育担当) ○ ○
統括指導主事 ○ ○
電話 03?53××?68××
(2020年3月19日)
本日(3月18日)、コロナ禍のさなかの東京高裁511号法廷で、DHCスラップ反撃訴訟控訴審判決言い渡しがあった。おそらくはこれが、DHC・吉田嘉明と私との一連の訴訟において開かれる最後の法廷となる。
この事件が起きたのが2014年の春。あれから6年にもなる。あのとき私はDHC・吉田嘉明に怒り、今日まで怒り続けてきた。その怒りのエネルギーで、5度の訴訟を継続してきた。まずはDHC・吉田嘉明の起こした典型的なスラップ訴訟を被告として受けて立って、一審に勝訴し、2審も勝訴した。DHC・吉田嘉明は、最高裁への上告受理申立までしたが不受理となって、私の勝訴が確定した。これで3勝。続いての攻守ところを替えた反撃訴訟での一審勝訴に続く、本日の控訴審勝訴。これで、5選5勝である。
控訴審判決は、DHC・吉田嘉明が起こしたスラップの違法を再確認の上、一審では110万円であった損害賠償認容額を、165万円に増額した。一審では認めなかった前件訴訟(DHC・吉田嘉明のスラップ訴訟)における応訴弁護士費用負担分を50万円だけ認めたもの。
金額はともかく、明確にDHC・吉田嘉明がしたスラップ提訴の意図と違法を認めた判決に満足している。反撃訴訟をやってよかった。附帯控訴もやった甲斐があった。
一審判決は、スラップの違法を明晰に認定してはいたが、私のブログによる言論を恫喝し萎縮させる意図の有無には無関心だった。本日の控訴審判決の理由はこの点に踏み込んでいる。判決の末尾の部分をやや長文だが引用しておきたい。なお、以下の()は、私の書き足しである。
「前示のとおり,被控訴人(澤藤)の本件各(ブログでの)記述が,いずれも公正な論評として名誉毀損に該当しないことは控訴人ら(DHC・吉田嘉明)においても容易に認識可能であったと認められること,それにも関わらず控訴人らが,被控訴人に対し前件訴訟(DHC・吉田嘉明によるスラップ訴訟)を提起し,その請求額が,当初合計2000万円,本件ブログ4(「DHCスラップ訴訟を許さない・第1弾」)掲載後は,請求額が拡張され,合計6000万円と,通常人にとっては意見の表明を萎縮させかねない高額なものであったこと,控訴人吉田が自ら本件手記を公表したのであれば,その内容からして,本件各記述のような意見,論評,批判が多数出るであろうことは,控訴人ら(DHC・吉田嘉明)としても当然予想されたと推認されるところ?なお,前件訴訟の提訴前に,控訴人らの相談に当たった弁護士から,本件貸付が規制緩和目的のためなのか,私利私欲のためなのか分からない人たちから批判が出ることは当然あり得るとの意見が出ていたことが認められる(証人内海〔原審〕35頁)。?,控訴人ら(DHC・吉田嘉明)が,それに対し,言論という方法で対抗せず,直ちに訴訟による高額の損害賠償請求という’手段で臨んでいること,ほかにも近接した時期に9件の損害賠償請求訴訟を提起し,判決に至ったものは,いずれも本件貸付に関する名誉毀損部分に関しては,控訴人らの損害賠償請求が認められずに確定していることからすれば,……前件訴訟(DHCスラップ訴訟)の提起等は,控訴人ら(DHC・吉田嘉明)が自己に対する批判の言論の萎縮の効果等を意図して行ったものと推認するのが合理的であり,不法行為と捉えたとしても,控訴人ら(DHC・吉田嘉明)の裁判を受ける権利を不当に侵害することにはならないと解すべきである。したがって,控訴人ら(DHC・吉田嘉明)の前件訴訟の提起等は,請求が認容される見込みがないことを通常人であれば容易に知り得たといえるのに,あえて訴えを提起するなどしたものとして,裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くものということができ,被控訴人(澤藤)に対する違法行為と認められる。」
以上の認定で、私の6年間の怒りは無駄ではなかったという充実感がある。表現の自由保障に一石を投ずる判決を得たと思う。
DHC・吉田の側から本日の判決を不服とする上告受理申立があるか否かは予想の限りではない。しかし、仮に申立があったとしても、もう不受理決定を待つだけで、精神的な負担感はまったくない。
あらためて、私は日本一幸福な被告であったことを再確認している。
弁護団の皆様、お世話になりました。支援をしていただいた皆様、本当にありがとうございました。
この勝訴判決が確定したときには、記念のイベントを企画したいと思います。その際には、ぜひともご協力をよろしくお願いいたします。
(2020年3月18日)
新型コロナウイルス対策のためとする特措法改正には、各界からの反対が強い。宗教界も例外ではない。
「信教の自由」を侵害する新型コロナウイルス対策のための特措法改正に反対する宗教者緊急声明(3月13日付)を紹介する。
呼びかけは、日本キリスト教協議会総幹事 金性済氏。緊急事態宣言の市民生活に及ぼす本質的な危険性と共に、宗教者として「信教の自由」が脅かされる危機感をもって、NCC東アジアの和解と平和委員会や「平和をつくりだす宗教者ネット」が中心となって、宗旨をこえて宗教者がこの法改定に反対する緊急声明に至ったものという。
まことに行き届いた、もっともな内容であって、このような各界からの意見表明の積み重ねが、政権の危険な意図を挫折させることになるだろう。
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「信教の自由」を侵害する新型コロナウイルス対策のための特措法改正に反対する宗教者緊急声明
私たちは、日本国憲法第9条を守りつつ、あらゆる戦争を許さない平和をつくりだすことを願い求め、共に祈り合う宗教者であります。
今、世界を揺るがす事態となった新型コロナ・ウイルス問題をめぐり、安倍晋三首相は、去る3月5日、“緊急事態宣言”発令を念頭に入れた「新型インフルエンザ等対策特別措置法」改定の準備について言明し、10日の閣議で国会上程が決定され、3月13日の国会で制定させようとしています。国会審議においては、すでに1月28日より、新型コロナ問題に関連して、緊急事態条項をもつ憲法の改定が一部国会議員たちによって言及されてきました。
かねてより自民党・与党によって提唱されてきた憲法改定案の一項目である「緊急事態宣言」は、重大な問題をはらんでいることが指摘されてきました。総理大臣を中心とする内閣が国家の緊急事態を宣言することにより、行政府が立法権をも独占してしまうならば、それは憲法秩序を停止してしまい、重大な人権侵害と立憲民主主義の秩序を破壊してしまう恐れがあることを、戦時下の日本やナチス・ドイツの歴史的経験から私たちは知っているのです。
この度の新型コロナ・ウイルスの感染拡大事態について、安倍政権が既存の法制度のもとに、迅速かつ周到な対応を怠ってしまったことを省みず、いきなり「緊急事態宣言」の手段を選択しようとする企ては、新型コロナ・ウイルス問題を奇貨としながら、憲法改定の意図まで含み持つ本末転倒的な対応というほかありません。
私たちがとりわけ憂慮することは、もしも「緊急事態宣言」が総理大臣によって発動されれば、都道府県知事に市民社会生活の広範囲にわたる行動を規制する権限が与えられ、自粛要請によって市民の外出が制限され(移動の自由を保障する憲法22条違反)、社会・教育施設などの使用が制限されることが考えられます。それはまた、宗教者が状況を慎重に見極めつつも、自主的に判断し、宗教活動を営むことさえ制約されることにつながり、「信教の自由」を侵害するものとなりえます。
安倍政権は、1月末の段階において感染症法や検疫法の下でなしうる対応が後手に回り、さらにクルーズ船(ダイヤモンド・プリンセス号)乗船者に対する対処や下船後の対応についても、適切な政策を打ち出せず、結果的に感染拡大を引き起こす失策を繰り返してきました。
このような失敗を省みず、安倍首相は3月2日、参議院予算委員会にて「新型インフルエンザ等対策特別措置法と同等の措置を講ずることが可能となる立法措置を早急に進める」と発言しました。感染問題をめぐり、安倍首相は2月27日に、専門家会議での協議や関係省庁との慎重な検討も踏まえることなく、科学的根拠もないまま、全国一斉休校「要請」措置を突然出すことにより、社会に大きな混乱をもたらしました。このような安倍政権がさらに緊急事態を宣言することに、私たちは大きな脅威と危険を覚えずにおれません。
さらに、去る3月1日の「3.1独立運動」記念式典の演説において、韓国の文在寅大統領は、日本政府に「共に危機を克服しよう」と呼び掛けたにもかかわらず、その4日後、中国と韓国からの入国を、何の外交的協議や専門家協議もなく一方的に制限する措置を発表しました。安倍政権によるこのような非情・非礼なる措置は、悪化した日韓関係の改善に向けた配慮など一顧だにしない傲慢で排外的な対応というほかありません。
私たち宗教者は、日本も世界のどの国もが協力し合い、一日も早く新型コロナ・ウイルスの感染による災いを、互いの友愛と英知と希望をもって克服していく日を迎えることを心から祈願するものであります。
そして、この人類的危機に際して、むしろ立憲民主主義の秩序を揺るがし、「緊急事態」の名を借りた権力の集中と、人権蹂躙的統制へ道を開くことに対して断固反対するものであります。
(2020年3月17日)
2020年3月16日
放送法を踏みにじり、NHKの番組制作を妨害した
森下俊三氏のNHK経営委員辞任を求める署名運動
へのご協力のお願い
民主主義と国民の知る権利を大切とお考えの皆さま
NHKこそは国内最大の影響力を誇るメディアです。かつては、大本営発表の伝声管として天皇制国家の統制に服する存在でしたが、戦後は国家や時の政権から独立し、資本の支配も受けないという、「公共放送」となりました。権力ではなく、主権者国民がこれを監視し育てて行かなければなりません。
しかし、問題だらけの安倍政権は、一貫して人事を通じてのNHKへの介入を画策してきました。ご存じのとおり、NHKの最高意思決定機関が経営委員会です。その12名の経営委員全員が安倍首相の任命によるもので、互選による経営委員長が森下俊三氏。NTT出身で阪神高速道路会長だった財界人。これがとんでもない人物。この人の経営委員辞任を求める署名活動を始めます。念のためですが、経営委員長辞任ではおさまらない。経営委員を辞めなさい、ということなのです。
辞任を求める直接の理由は、この人の露骨な番組制作の妨害行為。明らかな、放送法違反の違法行為です。この人の「クローズアップ現代+」の番組潰しが、到底経営委員としての資格を認めがたいのです。
「クローズアップ現代+」は2018年4月に、日本郵政の悪徳商法を番組に取りあげました。日本郵政は、職員に過酷なノルマを課し、詐欺同然のやり方でかんぽ保険等の不正販売を続けてきたのです。NHKの現場スタッフは、これ以上の消費者被害を出さぬよう、視聴者に警告を発する立派な番組を制作し放送しました。そして、その上で続編の制作に向けて取材を続けていました。
ところが、あろうことか、当時NHK経営委員会の委員長代行であった森下俊三氏は、さらなる不正の発覚を恐れた日本郵政の不当な要求を取り次いで、「クロ現+」の番組の取材と編集に露骨に干渉し、続編の制作を妨害する発言をしたのです。
信じがたい経営委員としての任務違背の違法行為。彼の頭の中のNHKとは、上命下服の指揮系統だけの存在で、政治的権力や社会的強者、あるいは不正不当を批判するジャーナリズムの神髄への理解は皆無なのです。
そもそも「放送法」は、番組の制作と経営とを分離し、経営委員が個別の番組の編集に関与したり、干渉したりする行為を禁じています。にもかかわらず、森下氏は「クロ現+」が続編制作のための取材を続けていたことを知りながら、経営委員会の席上その取材方法を公然と非難する発言を行い、上田良一会長(当時)への厳重注意決議を成立させるまでして、番組制作を妨害しました。
その森下氏が現在のNHK経営委員長ですが、当時の行為についての反省はありません。事実関係の大筋は認めながら、「放送が終わった番組について感想を述べたまでで、干渉はしていない」と開き直っています。ことここに至っては、森下氏の経営委員としての不適格は明らかであるだけでなく、このような郵政への忖度志向人物が、政権から独立したNHKの姿勢を堅持できるとは、到底考えられません。
以上のとおり、森下氏はNHK経営委員長としてばかりか、NHK経営委員としても不適格であることは明らかですから、私たちは、NHKの自主自律、番組編集の自由を守るために、森下俊三氏に、経営委員の辞任を求めます。
署名用紙は、下記のとおりです。
*署名の第一次集約日:2020年月4月5日(日)
第二次集約日:2020年月4月30日(木) 必着
*署名は用紙かネットのいずれかでお送りください。
・用紙の郵送先:
〒285-0858 千葉県佐倉市ユーカリが丘2?1?8
佐倉ユーカリが丘郵便局留
「森下経営委員の辞任を求める署名運動の会 醍醐 聰」宛て
・署名用紙のダウンロードは→ http://bit.ly/33gfSET から。
*ネット署名: http://bit.ly/2TM7pGj
<以下はネット署名です>のところに記入して「送信」をクリック。
メッセージもお願いします。
*この署名に関するお問い合わせは、
メール:kikime3025-dame18@yahoo.co.jp へ
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2020年3月16日
NHK経営委員長
森下俊三 様
放送法を踏みにじり、NHKの番組制作を妨害した森下俊三氏の
NHK経営委員辞任を求めます
呼びかけ団体 (2020年3月16日、11時現在)
NHKとメディアを考える滋賀連絡会/NHKとメディアを考える東海の会/NHK問題大阪連絡会/NHK・メディアを考える京都の会/NHK問題を考える奈良の会/NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ/「日本郵政と経営委首脳によるNHK攻撃の構図を考える11.5シンポジウム」実行委員会/NHKとメディアを語ろう・福島/NHKとメディアを考える会(兵庫)/表現の自由を市民の手に 全国ネットワーク/NHK問題を考える岡山の会/NHK問題を考える会・さいたま/政府から独立したNHKをめざす広島の会/放送を語る会/時を見つめる会/NHKをただす所沢市民の会/NHKとメディアの今を考える会/NHKを考える福岡の会/NHKを考えるふくい市民の会
日本郵政は職員に過酷なノルマを課し、詐欺同然のやり方でかんぽ保険等の不正販売を続けてきました。2018年4月、NHKの「クローズアップ現代+」はこの件を取り上げて視聴者に警鐘を鳴らすとともに続編の制作に向けて取材を続けていました。
ところが、あろうことか、当時NHK経営委員会の委員長代行であった森下俊三氏は、さらなる不正の発覚を恐れた日本郵政の不当な要求を取り次いで、「クロ現+」の番組の取材と編集に露骨に干渉し、続編の制作を妨害する発言をしていた事実が明るみに出ました。
そもそも「放送法」は、番組の制作と経営とを分離し、経営委員が個別の番組の編集に関与したり、干渉したりする行為を禁じています。にもかかわらず、森下氏は「クロ現+」が続編制作のための取材を続けていたことを知りながら、経営委員会の席上その取材方法を公然と非難する発言を行い、上田良一会長(当時)への厳重注意決議を成立させるまでして、番組制作を妨害したのです。
現在、森下氏はNHK経営委員長に就任していますが、当時の行為についての反省はなく、「放送が終わった番組について感想を述べたまでで、干渉はしていない」と強弁し、居直っています。ことここに至っては、森下氏の経営委員としての不適格は明らかと指摘せざるを得ません。
そこで、私たちは森下俊三氏に以下のことを求めます。
森下俊三氏は直ちにNHK経営委員を辞任すること
私は上の求めに賛同し、以下のとおり署名します。
氏 名 住 所
(2020年3月16日)
コロナ禍・アベ禍のさなかにも季節はめぐる。昨日(3月14日)、東京に開花宣言である。「暖冬で観測史上最速、満開は23日見込み」と報じられている。
「銭湯で上野の花の噂かな」をキーワードに検索したところ、幾つかの私の過去のブログが出てきた。まずはその抜粋。
本日の東京の天気は上々。桜も咲いた。
銭湯で上野の花の噂かな
佃育ちの白魚さえも花に浮かれて隅田川
花がほころべば、自ずと顔もほころぶ。春はよろしい。
https://article9.jp/wordpress/?p=2358(2014年3月29日)
花の名所は数あるが、花見の名所は上野を措いてない。ここが花見の本場、花見のメッカだ。花見とは、花を見に行くことではない。ようやく訪れた春の、浮き浮きしたこの気分の共有を確認する集いなのだ。
花は植物で、花見は社会現象である。花は美しく、花見は猥雑である。人がいなくても花は花だが、大勢の人がいなくては花見は成立しない。老も若きも、男も女も、赤子も犬も、猫も杓子も参加しての花見だ。歩くあり、しゃがむあり、座り込むあり、寝込むもあり。杖をつく人も、車椅子の人も。人、人、人。寄せては返す人の波だ。
絶え間なく歩く人と、シートに座を占めた人々。それぞれが、しゃべり、写真を撮り、弁当を開き、酒を飲んでいる。歌もあり、踊りもある。屋台の前のごった返し、席取りのいざこざ、満員のトイレの列への割り込みを非難する声も、カタクリの蕾を踏んじゃダメだという注意も、皆なくてはならない花見文化の構成要素。
年に1度のこの雑踏の雰囲気が、我々の民族的アイデンティテイ。とはいえ、この上野の人混みの中に飛び交ういくつもの外国語。そしていろんな肌の色の人々。ああ、花見文化の浸透力の強さよ。
銭湯で 上野の花の 噂かな (子規)
https://article9.jp/wordpress/?p=10136(2018年 3月 26日)
これまでの上野の春は、上述のとおりだ。ところが、今年の上野はたいへんな様変わりなのだ。やはり子規の句に、「寐て聞けば上野は花のさわぎ哉」とある。上野の花は子規の時代さながらに例年のとおりなのだが、花のさわぎがない。いや、そもそも人混みがない。飛び交ういくつもの外国語も、いろんな肌の色の人々もない。
つい先日まで、上野公園の雑踏はインバウンドの人びとで溢れ、ときたまに聞こえる日本語は実に懐かしい響きだった。啄木ありせば、昨年までなら「やまと言葉なつかし 上野の森の人ごみに そを耳にせり」と詠んだところだが、今年聞こえるのは日本語ばかり。その人びとも、濃厚接触するほどの人混みを作らない。しかも公園は、宴会はだめ、酒はだめ、座り込むもだめという。
子規が句を詠んだ時分、根岸の銭湯での噂話はこんなものだったろうか。
お山の花は、もう五分咲きかい。気もそぞろだね。
ご隠居。はやいとこ出かけないと、散ってしまいますぜ。
上野戦争の時にはおどろいたが、穏やかに花見のできるご時世はありがたい。
これだけは文明開化とは無縁でね、昔どおりでなくっちゃ。
薩摩や長州の連中がいばっているのがシャクな世の中だが、あのとき焼けた桜も立派になったものだ。
ご隠居は、花の下で一句ひねろうてんでしょ。こちとらは、仲間と酒盛りの楽しみ。
ああ、明日花の下でお目にかかろうじゃないか。
最近は、ずいぶんと様変わり。
えっ。3月14日に開花宣言だって?
それがご隠居、地球温暖化のせいでね。どんどん開花がはやくなっているんですよ。
震災や戦災の時には、上野の山は焼け出された人びとの逃げ場になってな。穏やかに花見のできる平和はありがたいね。
ところが、今年は穏やかじゃない。グローバリゼーションがあだとなって、あっという間のコロナの流行り。花見はしたいが、コロナが恐い。
コロナより恐いのがアベ政治じゃ。苛政は虎よりも猛しというではないか。火事場泥棒みたいに、特措法の改正までやりおって。国民の不幸で生き延びているのが、アベ政権。シャクな世の中よ。
結局、ご隠居は花の下での句会もできない。こちらは、仲間との酒盛りの楽しみもだめ。
来年こそはコロナもアベもない、穏やかな春を迎えたいものじゃのう。
(2020年3月15日)