(2023年2月13日)
私が所属する東京弁護士会では、23年度役員選挙・常議員選挙が、先週金曜日の2月10日に行われる予定だった。が、今年は定員を上回る立候補者がなく、結局無投票で立候補全員が当選となった。やや寂しいという感を否めない。議論なくして役職のみがある弁護士会の姿は必ずしも正常ではない。
弁護士会の在り方については、本来侃々諤々の議論があってしかるべきである。その議論に市民が関心を寄せて欲しいとも思う。在野を貫く真っ当な弁護士会のあり方は、けっして弁護士のみの利害に関わるものではない。市民の権利や自由や民主主義に関わる。さらには、社会の公正さや平和にも。
無投票となった選挙だが、立派な選挙公報が届いた。会長候補者松田純一弁護士の長文の選挙公約には、「4.弁護士の使命を果たすために」の節があり、中にはこういう記述がある。
(1)人権問題への対応
弁護士法第1条第1項及び第2項に掲げる人権擁護・社会的正義の実現、そして、法律制度の改善は弁護士の使命です。東弁は、普遍的価値とされてきた人権、現代的な人権、近未来に生成されるべき人権にしっかり対応しなければなりません。
子ども、高齢者・障がい者、女性、性的マイノリティ、外国人、消費者、犯罪被害者、えん罪被害者等のいわゆる社会的弱者の権利。IT化を含む民事・刑事司法制度改革、再審法改正課題、取調べの可視化実現、貧困・格差問題、差別やヘイトスピーチの問題。死刑制度廃止と刑罰制度の改革等々、日弁連と東弁がこれまで取り組んできた諸課題に全力で取り組みます。SDGsを踏まえて、ビジネスにおける人権尊重という視点にも光を当てたいと思います。
……
(4)憲法的価値について
私の伯父は戦死し、私は戦後の傷跡が残るなかで育ち、平和憲法を誇りとする教育を受けて成長しました。ところが、ウクライナ侵攻を機に現在、十分な問題点の指摘や国民的議論や国会における熟議もないまま、敵基地への反撃(攻撃)の政府提言へと急転回する動きがあります。基本的人権の尊重、国民主権、恒久的平和主義など憲法的価値に関わる問題については、東弁内においても議論を尽しながら毅然と対応します。
これが、全国最大規模の単位弁護士の次期会長の弁である。通り一遍で不十分だという批判もありえようが、これだけのことを全会員に公約していることを貴重だと思う。
さて、全会員に送付された選挙公報の内容はともかく、第1面の記載に、視覚的にギョッとさせられた。
会長・副会長・監事・常議員・そして日弁連代議員の候補者一覧表が出ているのだが、そのすべてに、生年月日と登録年月日付記されている。これが全て元号なのだ。私は、昭和も平成も令和もなじめない。昭和・昭和・昭和そして平成・令和である。これを見ていると目が痛くなる。クラクラする。なぜこんな不便で不愉快な道具を使おうというのだ。
さすがに、ところが各候補者のコメントは全て西暦表記となっている。このコントラストがあまりに鮮やかなのだ。
選挙公報には、会長(1名)・副会長(6名)・監事(2名)の計9名の候補者が略歴と所信を述べている。会長候補は全文西暦表記である。副会長候補6名全員もそうなのだが、一人だけが括弧を付けて元号を併用している。幹事候補2名も西暦表示だが一人だけが括弧を付けて元号を併用している。
つまり、9人の候補者の内の7人が西暦単独表記、2人が西暦・元号併用なのだが西暦をメインとしている。元号のみはゼロ。元号をメインとしていた併用派もゼロなのだ。これが通常の感覚ではないだろうか。
しかし、候補者個人の文章ではなく、弁護士法に則った弁護士会の公的な文書となると、元号オンリーの不気味な世界となる。これは奇妙だ。弁護士会は、どの官庁からも命令を受ける立場にない。元号使用を廃して、西暦単独でよいはずなのだ。
不便極まりない元号の使用、しかも近代天皇制が発明した一世一元の旧時代の遺物。すみやかに西暦表記に切り替えていただきたい。それまで、目の痛み、目のクラクラが治まらない。
(2023年2月12日)
「建国奉祝派」というものがある。日本会議だの、神社本庁だの、自民党安倍派だの…。今年も各地で奉祝行事が報告されているが、盛り上がりには欠けるようだ。盛り上がりには欠けるものの、それなりに行事は続いているというべきか。伝統右翼のイデオロギーは、統一教会とともに健在なのだろうか。これを支える民衆の意識はどうなっているのだろうか。実はよく分からない。
右派の論調のトレンドを見るには、まず産経新聞である。分かり易い。昨日の「主張」(社説)が、「建国記念の日 美しい日本を語り継ごう」というもの。何とも、色褪せた「美しい日本」。要するに、愛国心の押し売り、押し付けであるが、愛国心の鼓吹が国防や軍拡に直結していることに、今さらながらギョッとさせられる。
「美しい日本」という言葉は、社説の最後の結びとして出て来る。「いまこそ、日本を美しいと思い、守ろうとする心を語り継ぐ意義は大きい」と言うのだ。自ずから湧き起こる『日本を美しいと思う心』ではなく、『無理にでも、日本を美しいと思い、守ろうとする心』である。愛国心の強制が語られている。
建国記念の日に関してはこういう。
「国を愛するには、建国の物語を知らねばなるまい。日本書紀によれば辛(かのと)酉(とり)の年(紀元前660年)の正月、初代天皇である神武天皇が大和の橿原宮で即位し、日本の国造りが始まった。現行暦の2月11日である」
「国を愛する」ことが当然の善だという大前提。そして、「建国の物語を知れば、国を愛するようになれる」と言わんばかりの非論理。と言うよりは、信仰と言ってよい。
「以来日本は、貴族の世となり武士の世となっても、ただ一系の天皇をいただく国柄を守り続けてきた。19世紀に西洋列強がアジア諸地域を次々に植民地化するようになると、明治維新により天皇を中心に国民が結束する国家体制を築き、近代化を成し遂げた。時の政府が2月11日を紀元節の祝日と定めたのは明治6年で、そこには、悠久の歴史をもつ国家の素晴らしさを再認識し、国民一丸となって危機を乗り切ろうとする意味があった。」
恐るべし産経。いやはや、目の眩むような、恥ずかしげもない皇国史観。「素晴らしい天皇」教であり、「美しい日本」教の信仰でもある。いまごろ、こんなアナクロのマインドコントロールに引っかかる、産経読者もいるのだろうか。
美しい日本も、愛国心の押し付けも、これまで言い古されてきた。この産経主張のトレンドは、愛国心の涵養が国防や軍拡と直接に結びついていることなのだ。
「ウクライナの戦闘は、国を愛し守ろうとする意志がいかに大切であるかを教えてくれた。寡兵のウクライナ軍と市民の懸命な戦いに世界は瞠目し、当初は及び腰だった支援が次々に寄せられた。もしも将来、日本が同じ惨禍に見舞われたとき、同じような意志を示しうるだろうか」という書き出しは、いつもながらの、「侵略されたらどうする」論の繰り返しだが、これが愛国心と結びつけられる。
「祝日法では『建国をしのび、国を愛する心を養う』日とされている。ウクライナ情勢だけでなく、台湾有事への懸念など東アジア情勢も厳しさを増す中、改めてその思いを深める必要があろう」
「戦争を肯定するつもりは毛頭ない。むしろその逆だ。国を愛し守ろうとする意志を持つことが、他国に侵略の野望を抱かせない抑止力となる」という論法。日本は他国に侵略の野望を一切有せず、他国のみが日本に侵略の野望を抱いているという前提。
「日本の建国を祝う会」も、明治神宮会館(東京都渋谷区)で行われた奉祝中央式典で、大原康男会長は主催者代表あいさつで、「我が国では政府主催の式典は行われていない」。教育基本法上の教育の目標「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する」という項目を挙げた上で、「政府主催の奉祝式典を開催すべきだ」と強く訴えたという。こちらも、愛国心の押し売りである。
12月16日閣議決定の「国家安全保障戦略」の中に、次の一文がある。
「2 社会的基盤の強化
平素から…諸外国やその国民に対する敬意を表し、我が国と郷土を愛する心を養う。そして、自衛官、海上保安官、警察官等我が国の平和と安全のために危険を顧みず職務に従事する者の活動が社会で適切に評価されるような取組を一層進める」
今や、権力をもつ者は、愛国心と国防とを、不即不離・表裏一体と意識している。これまでにも増して、愛国心の鼓吹は危険なものとなった。愛国心は危ない。触ると火傷する。暴発して身を滅ぼすことにもなりかねない。
(2023年2月11日)
本日は、「建国記念の日」である。戦前は紀元節だった。おそらく伝統右翼にとっての最も重要な日。何しろ、根拠に欠けるとは言え、天皇制の起源の日なのである。この日、初代の天皇神武が大和の樫原で就任したとされる。もちろん史実ではなく、後世に編まれた神話であり、伝承の世界の出来事。近代天皇制政府は1873(明治6)年太政官布告で紀元前660年2月11日とした。いまは、閣議決定でなんでも出来る。明治政府は太政官布告で歴史を確定したのだ。
その紀元節の日を、戦後の保守政権が、大きな反対運動を押し切って「建国記念の日」とした。戦前と戦後の断絶が不徹底で、実は連続しいることの証左の一つである。
かつては、国史として教えられたことではあるが、いま初代天皇の実在を信ずる者はない。それでも天皇教の信者や右翼にとっては、天皇の家系と日本という国家との起源が同一ということがこの上なく重要なのだ。もっと正確にいえば、そのような神話や伝承を国民の多くが受容することが重要なのだ。
本日、岸田首相は、以下のとおりの「『建国記念の日』を迎えるに当たっての内閣総理大臣メッセージ」を公表した。
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「建国記念の日」は、「建国をしのび、国を愛する心を養う」という趣旨のもとに、国民一人一人が、我が国の成り立ちをしのび、今日に至るまでの先人の努力に思いをはせ、さらなる国の発展を願う国民の祝日です。
我が国は、四季折々の豊かな自然と調和を図りながら、歴史を紡ぎ、固有の文化や伝統を育んできました。今日、科学技術・イノベーション、文化芸術をはじめ、多くの分野で我が国は国際社会から高い評価を受けています。
長い歴史の中で、我が国は幾度となく、大きな困難や試練に直面しました。先人たちは、その度に、勇気と希望を持って立ち上がり、明治維新や高度経済成長など、幾多の奇跡を実現してきました。そして、自由と民主主義を守り、人権を尊重し、法を貴ぶ国柄を育ててきました。一人一人のたゆまぬ努力と国民の絆の力によって築かれた礎の上に、今日の我が国の発展があります。そのことを決して忘れてはならないと考えます。
このような先人たちの足跡の重みをかみしめながら、国民の命と暮らしを守り、自由のもたらす恵沢を確保し、全ての人が生きがいを感じられる社会の実現を目指します。そして、今を生きる国民の皆さんと共に、直面する課題に立ち向かい、将来の我が国国民に対し、世界に誇れる日本を繋いでいきたいと考えます。「建国記念の日」を迎えるに当たり、私はその決意を新たにしています。
「建国記念の日」が、我が国の歩みを振り返りつつ先人の努力に感謝し、さらなる日本の繁栄を希求する機会となることを切に希望いたします。
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この岸田のメッセージには、皇祖皇宗も天皇も建国の謂われも出てこない。もしかすると、右翼にとっては不満なのかも知れないが今やそんな時代ではない。一方、憲法も国民主権も平和も出てこない。何よりも敗戦によって「国」は、その成り立ちの原理を根底から変革したのだ、ということが語られていない。その意味では、まことに不正確で不十分だと思う。以下のように述べるべきではないだろうか。
「建国記念の日」は、「建国をしのび、国を愛する心を養う」という趣旨の国民の祝日とされています。しかし、国とは何か、建国とは何をいうのかについては、国民一人々々の意見を尊重しなければなりません。また、公権力の行使に携わる立場にある者が、「国を愛する心を養うべき」とすることが、実はたいへん危険なことではないのかとも考えられます。さらには、かつては政府が富国強兵のスローガンをもって、「さらなる国の発展」を実現すべく、国民に対して号令を掛けたことはは深く反省しなければなりません。
我が国は、四季折々の豊かな自然と調和を図りながら、歴史を紡ぎ、固有の文化や伝統を育んできました。他国の歴史や文化に敬意を払いつつ、わが国固有の文化にも誇りをもちたいと思います。しかし、最近、科学技術・イノベーション、文化芸術、表現の自由、ジェンダー平等、LGBTへの寛容度等をはじめ、多くの分野で我が国は国際社会から大きな遅れを指摘されるに至っています。その責任の多くが、近年の政権のあり方にあることは明確であると深く反省せざるを得ません。
近代の歴史の中で、我が国の為政者は幾度となく大きな過ちを犯してきました。その最大のものは、我が国が起こした近隣諸国に対する侵略戦争と植民地支配です。聖戦の名によって国民を動員しての戦争は未曾有の惨禍を内外に残し、天皇主権の軍国主義国家は消滅したのです。
そうして、新たな日本国憲法を採択して、天皇主権を排し、国民主権のもと新たな平和国家として再生したのです。これをもって、建国というべきではありませんか。そしていま、広範な国民が、憲法を改正しようという旧勢力の動きに抗して、自由と民主主義を守り、人権を尊重し、法を貴ぶ国柄を育てつつあります。
権力を担い、国を動かした先人たちの誤りは誤りとして確認し、再びの過ちを繰り返さない反面教師としながら、何よりも国民の命と暮らしを守り、自由のもたらす恵沢を確保し、全ての人が国家にとらわれることなく、生きがいを感じられる社会の実現を目指さねばなりません。そして、今を生きる国民の皆さんと共に、直面する課題に立ち向かい、将来の我が国国民に対しても幸福を保障する日本を繋いでいきたいと考えます。「建国記念の日」を迎えるに当たり、私はその決意を新たにしています。
「建国記念の日」が、我が国の歩みを振り返りつつ、権力を担った先人の過ちを直視するとともに、市井の人々の努力に感謝し、さらなる日本の繁栄を希求する機会とするよう、国民のみなさまにお誓い申し上げます。
(2023年2月10日)
本日の毎日新聞朝刊(1面・3面)に、「消えゆく安倍家」の大型記事。「山口4区に後継者不在」「保守王国山口、政争の果て」「安倍家窮状に岸家葛藤」「親子の決断、世襲批判も」のサブ見出しが付いている。
https://mainichi.jp/articles/20230210/ddp/001/010/001000c
「22年7月の安倍氏の銃撃事件を受け、政界から「安倍家」の名前が消える。水面下では、同族の岸家から安倍氏後継を迎える案も模索されていた。運命に翻弄された一族の葛藤と決断を追う」というのがリードに当たる記事。「消えゆく安倍家」「安倍家窮状」「安倍系の退潮」と、安倍一族の凋落が語られている。
先週日曜日の2月5日に下関市議選があった。改選前、市議会の自民系会派は、安倍晋三系の「創世下関」(9人)と、林芳正系の「みらい下関」(11人)に分かれていた。今回市議選で、安倍系「創世」の現職2人が立候補せず、さらに現職2人が落選した。また、安倍系の新人3人が出馬したが、当選したのは1人だけ。一方、林系「みらい」は現職全員が当選。さらに、林系の新顔4人のうち、2人が当選している。「林が太って安倍細る」の趣だが、さしたる意味のあることでもなかろう。
そんな状況での、「安倍家」と「岸家」の事情が語られている。これに「林家」が絡んだ構図。ほとんど、ヤクザ組織の跡目問題である。時代錯誤の馬鹿馬鹿しい限りだが、保守王国の特殊性というよりは、これが日本の政治の現状なのだ。あらためて、我が国の民主主義の成熟度を考えさせられる読み物になっている。
関係者の最大関心事は、安倍晋三死去に伴う今年4月の衆院山口4区(下関市、長門市)補選である。ここに、だれを擁立するか。安倍後援会では、安倍・岸一族からの立候補を切望した。が、結局適わなず、「安倍家」の名前が政界から消えることにもなった。政治銘柄「安倍ブランド」の消滅である。
山口4区補選の安倍後継を巡っては、当初、妻・安倍昭恵が本命視されたが固辞。その後、晋三の母・洋子が「後継者は孫がいい」と語ったといううわさが広まり、安倍後援会は「3人の孫」のうち誰かの出馬を期待した。3人とは、安倍晋三の兄・寛信の長男▽安倍の弟岸信夫氏の長男・信千世▽信夫の次男――だという。
3人の孫のうち、まず浮上したのは安倍姓を持つ寛信の長男だった。だが、本人に立候補の意思がなく、安倍後援会は擁立を断念した。後援会は次に岸信千世に打診したが、岸家は「2区の人たちへの仁義がある」などとして断った。岸家としては信夫の体調不良もあり、長男の信千世を4区補選に出す考えはなかった。信夫の次男も「(興味が)ない」とのこと。
その後4区補選の候補者擁立作業は難航した。前田晋太郎・下関市長、江島潔参院議員、杉田水脈衆院議員の名前などが次々と浮上しては消えた。「やはり信千世さんを招きたい」として、安倍家の血を引く信千世への期待が高まったが、信千世は父の跡目を継いで2区の補選に出馬する。こうして、4区補選に、安倍・岸一族は出ないことになった。
安倍晋三も、岸信介の血を引く3代目の世襲政治家である。その跡目をさらに、「安倍・岸」一族につなげようというアナクロニズム。
岸信夫は、2月7日に議員辞職した。その補選に長男の信千世が出馬することが確実視されている。当然に、世襲批判に曝されることになる。
しかし、岸信千世は、世襲について7日の出馬記者会見で問われ、こう答えたという。
「こういう(世襲政治家の)家庭環境にあったからこそ、政治の課題、地域の課題について真剣に考える機会が昔からあった」
どっぷりと世襲政治家の家風に浸った苦労知らずの人物の言う「政治の課題」「地域の課題」とは、いったい何だろうか。いかにして地盤・票田を固めるか、どうしたら先代から受け次いだ支持者の利益を擁護できるか、その利益擁護を票につなげるにはどうするか、この地盤をそのまま次に承継するにはどうすればよいのだろうか。真剣に考えていたというのは、そんなことのみに違いない。
(2023年2月9日)
本日、午前11時から、東京「君が代」裁判・5次訴訟の第8回口頭弁論期日。満席の法廷で、原告側から準備書面(11)を要約して陳述した。担当したのは、弁護団最若手の山本紘太郎弁護士。
今回のテーマは、国連の自由権規約委員会の日本政府に対する総括所見である。「日の丸・君が代」強制問題に触れて、その是正を求める内容となっている。セアートに続いてのダブル勧告となった。いつの間にか、日本は人権後進国になってしまった。同性婚不承認問題、LGBT差別問題、夫婦同姓強制問題等々と同様に、日本の自由や民主主義は、大きく世界の水準から遅れてしまった。日の丸・君が代強制の現場から、「世界水準から遅れた日本の人権状況」が見えてくるのだ。
以下、山本弁護士の陳述である。じっくりとお読みいただきたい。
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本日陳述の準備書面(11)につき概要を口頭で説明いたします。
1 準備書面(11)の位置づけ
(1)原告らは、約2年前の2021年3月31日に提訴して以来、10・23通達から始まった国旗国歌についての起立斉唱命令、そして職務命令に従えなかった教職員には機械的累積的に懲戒処分を科すという都教委の処分が違憲違法なものであるとの主張を重ねてきました。そのような中、正に都教委の問題が国連の自由権規約委員会の審査で取り上げられていました。そして、昨年2022年11月3日、自由権規約委員会は日本政府に対して勧告を出しました。その結論を読み上げます。
38.委員会は、締約国(日本)において思想及び良心の自由が制限されているとの報告に懸念を抱いている。学校の式典で国旗に向かって起立し、国歌を歌うということに従わないという教師の消極的で破壊的でない行為の結果、一部の者が最長6ヶ月の職務停止の処分を受けたことを懸念している。さらに、委員会は、式典中に生徒に起立を強制するために物理的な力が行使されたとされることに懸念している(第18条)。
39.締約国(日本)は、思想及び良心の自由の効果的な行使を保障し、規約第18条の下で許容される狭義の範囲を超えて制限するようないかなる行動も慎むべきである。自国の法律と慣行を規約第18条に適合させるべきである。
勧告を踏まえ、原告らの主張のうち、主に憲法違反、条約違反の主張をより盤石なものとすることが準備書面(11)の目的です。
(2)勧告からも明らかなとおり、昨今、国旗国歌の起立斉唱命令をめぐる問題は、国内に留まらず、国際的な関心事にもなっています。
国旗国歌の起立斉唱命令をめぐる問題について、前回2014年、自由権規約委員会から勧告が出ていたことは、準備書面(8)で主張しました。
同じ問題で、ILO・ユネスコ合同委員会セアートから、2019年・2022年と繰り返し勧告が出ていることは本訴で主張してきました。
更に、2022年11月、総括所見において勧告が出されました。
既に準備書面(8)で主張したところですが、総括所見がどのようなものなのかについて若干補足します。自由権規約40条では、締約国に、条約加入後の一定期間に、条約上の義務履行状況を条約の実施機関である自由権規約委員会に政府報告書を提出し、審査を受ける手続きである国家報告制度を採用しています。条約の実施機関が締約国の条約の実施状況を監視するモニタリングシステムです。自由権規約委員会は、政府報告書の審査の後、自由権規約40条4項の規定に従い適当と考え得る意見として総括所見を出し、締約国に送付します。総括所見は、「序、積極的側面、主要な懸念事項および勧告」から構成され、一般的に自由権規約委員会からの勧告というと、この総括所見における勧告のことを指すことになります。
総括所見は、締約国の国内法令や行政慣行など、人権侵害の温床となっている問題点の改善を勧告することに力点が置かれています。2022年総括所見においては、国旗国歌の起立斉唱命令をめぐる問題に懸念が示され、勧告が出されました。前回2014年総括所見においても勧告を受けていましたが、2022年の総括所見では、より具体的かつ明示的に問題が取り上げられたことが特徴として指摘できます。
(3)言うまでもなく、日本は条約である自由権規約に批准しています。国際協調の精神が必要であり、条約の実施機関からの指摘は無視できません。
条約の実施機関からの勧告を踏まえた法解釈の必要性については、最高裁判所自身が指摘しているとも言えます。記憶に新しいところでは、夫婦別姓に関する2021年6月23日の最高裁判決において、その理由と三浦守裁判官の意見において条約の実施機関である女子差別撤廃委員会からの勧告が出たことが指摘され、宮崎裕子裁判官と宇賀克也裁判官の反対意見では、違憲判断を基礎づける事情として勧告が引用されています。また別の、非嫡出子の法定相続分に関する2013年9月4日の最高裁決定においても、違憲判断をする際の一事情として自由権規約委員会などからの勧告を指摘しています。更に、元最高裁判所判事の千葉勝美弁護士は、憲法と国際人権法で共通のテーマが争点となる事件においては、勧告の基である「国際人権法」について、「憲法解釈において、これらを除外する合理的な理由がない限り、参考にしなければならない必須の要素とされているものと考える。」とまで述べています。
今日において、条約の実施機関からの勧告は、憲法をはじめとする日本の法解釈において必ず考慮すべき事情と言うべきです。
(4)そこで、準備書面(11)では、原告らの主張のうち、その第1において条約違反を、第2において憲法違反を主張します。憲法の掲げる国際協調の精神から2022年総括所見による勧告の存在やその内容を踏まえて法解釈がされなければならないこと、そして、国旗国歌の起立斉唱命令をめぐる法令や被告らの実務は憲法や条約に違反することを明らかにしました。
2 準備書面(11)における各主張の概要
(1)条約違反(準備書面(11)第1)
国連の自由権規約委員会は、原告らの不起立等を自由権規約18条が保障する思想、良心の表明と捉え、都教委の法令や行政慣行が思想、良心の表明の自由を侵害していることに懸念を示し、自由権規約18条に適合するよう、人権侵害の温床となっている都教委の法令や行政慣行の改善を勧告しました。
自由権規約委員会は、本訴で争われている都教委の法令や行政慣行は自由権規約18条に適合していないと判断しています。
そして原告らは、条約実現義務がある裁判所には、10・23通達や本件職務命令、本件懲戒処分が条約不適合によって無効になることを宣言すべきであると主張しています。
起立斉唱命令をめぐる2011年最高裁判決が示した憲法19条の人権の保障範囲と自由権規約18条の人権の保障範囲が異なっています。憲法違反とは別個の解釈基準で条約違反は判断されなければならないことを強調しています。
(2)憲法違反(準備書面(11)第2)
人権の普遍性、国際協調の精神から、その精神、原理原則を同じくする自由権規約を踏まえた憲法解釈をすべきことを3つの視点から主張しました。
まず、自由権規約委員会の委員から、職務命令に従って教育を行うよう求めることと起立斉唱行為を求めることは別であり、起立斉唱命令による思想、良心の自由の制限と自由権規約18条の適合性を問う質問が出ていました。本件職務命令が教育実施を目的としても、思想、良心の自由の制限は、それはそれとして発生するからです。このような、国際的な常識で違憲審査をすれば、本件職務命令は違憲無効です。明治憲法下における思想弾圧の歴史を反省し、法律の留保を認めず、本来は自由権規約よりも徹底的に人権保障をしているのが日本国憲法だからです。
次に、2022年総括所見は、自由権「規約第18条の下で許容される狭義の範囲を超えて制限するようないかなる行動も慎むべきである。」と述べます。これは、国家による恣意的な解釈を制限するという違憲審査基準論における二重の基準論の考え方と趣旨を同じくします。憲法と自由権規約はその精神、原理原則を同じくし、国際人権規約に定められた権利は日本国憲法上も保障されているとするのであれば、憲法19条には、自由権規約18条の保障範囲以上の人権保障が求められているというべきです。表明の自由の違憲審査には、少なくとも、いわゆる厳格な審査が必要です。起立斉唱命令をめぐる2011年最高裁判決の法理では、人権保障水準が国際社会のものよりも低く、憲法19条がその役割を果たせていません。
更に言えば、10・23通達など都教委の実務は、法律より上位にある条約である自由権規約への不適合を勧告されました。条約不適合の勧告は2014年に引き続き2回目です。都教委の実務は、ILO/ユネスコ合同委員会のセアートからも勧告を受けています。国際協調の精神は教育の目標の一つです。都教委は、自由権規約や教員の地位に関する勧告に適合するよう率先して対応しなければなりません。しかし、都教委は、何ら実質的な対応をせず、今日に至りました。かような状況で形式的に繰り返し続けられる本件職務命令に合理性を見出すことはできません。そして起立斉唱命令をめぐる最高裁判決の法理によれば、本件職務命令に合理性を見出せなければ、違憲無効です。
3 さいごに
数多の人権問題を扱う国際機関から個別の問題に勧告が出ると言うのは、決して無視してはならない理由と重みがあります。曲がりなりにも「人権先進国」を標榜する日本においては猶更です。裁判所におかれては、起立斉唱命令をめぐる2011年最高裁判決が出てから今日に至るまでの国内外の社会実態を踏まえ、人権を保障することで国際社会の平和と発展に寄与できるような適正な判断を求める次第です。
(2023年2月8日)
統一地方選が近い。全国の政治地図は、どう塗り替えられるのだろうか。
全国ではなく局地的な選挙戦としては、大阪の知事選・市長選(4月9日)が大きく耳目を集めることになるだろう。大阪府下で育った者としても関心を持たざるを得ない。このダブル選、わずか2か月先のことである。報じられている情報をまとめてみた。
府知事選は、現職の「イソジン・吉村」に、辰巳孝太郎と谷口真由美が挑む構図だが、どちらも反維新。大阪で反維新勢力が割れてしまってどうする、どうして共闘できないのかと、やきもきせざるを得ない。
かつて、維新は、大阪都構想を「一丁目一番地」の看板政策とし、非維新連合に敗れた。今さら、その蒸し返しはあるまい。だが、「大阪都構想・反対」を軸とする非維新共闘を困難にもしているという。
ダブル選挙の最大の争点は、夢洲のカジノ誘致への賛否であろう。賭博場を作って、博打のテラ銭での地域振興策など、真っ当な感覚からはありえない政策ではないか。真っ当ならざる維新の提案は、さもありなんではあっても、これが府民に浸透するだろうか。そして、辰巳が「カジノ反対」を鮮明にしているのに比して、谷口が「カジノには慎重」な微温的立場と報じられているのが気にかかってならない。
谷口を擁立した、「アップデートおおさか」は1月に設立届を府選管に出したばかり。自民党や立憲民主党に、ウィングを広げて「非維新」勢力の結集を目指すという。谷口がカジノ反対と言わない歯切れの悪さは、自民党や関西財界への思惑からのことであろうか。こういう構図にしかならない、大阪の政治状況がもどかしくてならない。
しかし、カジノ誘致・建設反対の住民の声は高い。現在、国が計画を審査しているが、夢洲では液状化や地盤沈下の恐れが指摘され、ギャンブル依存症の問題も懸念される。
昨年、カジノに反対の市民団体が19万筆超の署名を集めて住民投票条例案が府議会に提出されたが、維新などの反対で7月に否決されている。このマグマは、けっして冷えてはいない。しかし、この過程で自民党は必ずしも旗幟鮮明ではなかったという。「誘致に賛成の府議団と反対の市議団で態度が割れている」とも報じられている。
もう一つの政策課題が、「教育無償化」である。これまでも維新は教育無償化についてたびたび触れ、政策として主張してきた。しかし、その主張に対して「あまりにミスリード」と批判の声が上がっているという。
1月29日放送のNHK『日曜討論』で、番組に出演した維新の藤田文武幹事長は番組内で「いわゆる0歳から大学までの高等教育までの無償化というのは大阪限定ですが実現しました」という発言をした。
今この「ミスリード」が叩かれている。「国が全国一律に事業としてやっていることを、さも大阪だけが実現できたといっている」と。
「大阪でやっている教育費の無償化というのは私立高校の授業料無償化(所得制限あり・年収590万円未満)と大阪公立大学の授業料無償化(所得制限あり・年収590万円未満)だけです。そのほかの無償化というのは国が全国一律にやっていること。こうした維新の『無償化キャンペーン』とも言えるミスリードは、過去にも繰り返されてきたという。
今は、維新の「教育完全無償化」キャンペーンに惑わされず、カジノ誘致反対で維新を追い詰めてもらいたい。そう、切に望むしかない。
(2023年2月7日)
昨年末までの臨時国会は「統一教会国会」だった。年が明けの今通常国会は、思いがけなくも「LGBT国会」の趣を呈しつつある。明らかに、前国会の空気と通底してのこと。まことに結構なことではないか。
統一教会の正式名称は「世界平和統一家庭連合」、略称を「家庭連合」としている。「家庭」は「反共」とともに、教団の教義を支えるキーワードの一つである。統一教会と自民党右派勢力は、いずれも「家庭」を旧社会の秩序を支える基礎単位と見た。その共通の理解によって、両者は緊密に癒着した。
この両者にとっての「家庭」とは、「伝統的・家父長制的家族像」と結びつき、個人の人権や自由、平等を抑圧する場でしかない。このような前世紀の遺物である特殊な家庭観からは、「LGBTへの理解」も「選択的夫婦別姓制度」も、あるべき社会の秩序を破壊するものとして、容認しえない。
統一教会とそのイデオロギーが強く糾弾された今、冷静に「『家庭』重視に藉口したLGBT差別や選択的同姓強制制度の不合理」を考える好機とすべきであろう。同性婚にも、選択的夫婦別姓制度にも、いまや反対しているのは、統一教会と癒着していた自民党右派だけなのだから。
混乱を招いている自民党の中心に岸田文雄という人物がいる。この人、何の信念も持たない人の典型に見える。あっちにおもねり、こっちに忖度しているうちに、今や自分が何者であるかを、完全に見失っている。防衛問題しかり、経済政策しかり、そして「LGBT」や「同性婚」「選択的夫婦別姓制度」問題においてしかりである。
彼は、2月1日衆院予算委で、同性婚の法制化を求める立場からの立憲民主党西村智奈議員質問に対して、こう答弁している。
「極めて慎重に検討すべき課題だ」「家族観や価値観、社会が変わってしまう課題だからこそ、社会全体の雰囲気にしっかり思いをめぐらせたうえで判断することが大事だ」
つまり、同性婚を認めれば、「社会が変わってしまう」と述べたのだ。これが、彼の信念から出た言葉なのか、党内安倍派へのおもねりによるものであるかは、おそらく彼自身にも分からない。そして、どちらでもよいことだ。
その2日後、荒井勝喜首相秘書官が、オフレコの会見で性的少数者や同性婚をめぐり問題発言に及ぶ。
「僕だって見るのも嫌だ。隣に住んでいるのもちょっと嫌だ」「秘書官室もみんなが反対している」「同性婚を認めたら国を捨てる人がでてくる」
「首相だけではなく、僕だって(LGBTは)見るのも嫌だ」というのだ。「首相だけではなく、秘書官室もみんなが(同性婚に)反対している」だけでなく、「同性婚を認めたら、首相が『社会が変わってしまう』と言った通り、日本を捨てる国民が出てくる」とも言う。つまり、すべては秘書官として、首相の発言をフォローしたつもりだったのだろう。あるいは、徹底しておもねりの姿勢を見せたとも言うべきだろう。これが、岸田の言いたかった本音と読むこともできる。
このオフレコでの発言が記事になって、世の空気が変わった。事態を重く見た首相は4日に荒井を更迭。その差別発言について「不快な思いをさせてしまった方々にお詫び申し上げる」と陳謝した。「まったく政府の方針と反しています。国民に誤解を生じたことは遺憾だ」「言語道断」とも言ったが、何とも白々しい。
この事態への対応策として、自民党は一昨年お蔵入りしていた「LGBT理解増進法案」を、埃を払って持ち出してきた。茂木幹事長は会見で、「一昨年の場合、国会の日程で(LGBT理解増進法案の)提出には至らなかった。(今国会で)法案提出に向けた準備を進めていきたい」と語ったという。さて、そんな程度で治まるものか。
なお、一昨年5月自民党が法案提出を見送ったのは、国会の日程の都合ではない。「性的指向および性自認を理由とする差別は許されない」とする目的と基本理念に、右派の議員が声高に反対したからだ。安倍晋三亡き今、どうなるだろうか。
なお、首相の念頭には、今年5月のG7サミットが消えない。同性婚を認めていないのは、G7の中で日本一国だけである。理念ではなく、信念からでもなく、ただただ面子のために何とかしたいところのごとくである。
ところで右翼とは、個人の自立や自由、多様な生き方を否定する立場を言う。秩序が大好きで、常に権力的統制に親和性を示す。この人たちは、同性婚や選択的夫婦別姓の制度が出来ると、社会が崩壊すると心配するのだ。岸田も、荒井も、社会が壊れる、国民が国を見捨てると心配している。
この心配性の人たちに、「明日も太陽は昇る」と訴えたニュージーランド議会の名演説が今また、日本のネット上で再び注目されて話題になっている。その人、モーリス・ウィリアムソン議員はこう言っている。
「社会の構造や家族にどのような影響を与えるのか心配し、深刻な懸念を抱く人たちがいるのは理解できる」。しかし、「法案は愛し合う2人が結婚でその愛を認められるようにするという、ただそれだけのことだ」「(法案が成立しても)明日も太陽は昇る。あなたの十代の娘は何でも分かっているように口答えするだろう。あなたの住宅ローンは増えない。世界はそのまま続いていく。だから大ごとにしないで」
ニュージーランドには、今日も太陽が昇っている。日本を除くG7の国々にも。
(2023年2月6日)
本日の毎日新聞朝刊1面トップに、「ウイグル族学者、消息なく」「ためらう娘に『米へ行け』 出国寸前、空港で拘束」というインタビュー記事。これは、渾身の告発記事である。トップに据えられるだけの迫力に満ちている。訴える力をもったドラマだ。読む人の胸を撃つ。そして、考えさせる。
ちょうど10年前、2013年2月の北京空港。娘と一緒にアメリカ行きの搭乗手続を済ませた父が、出発直前で当局に拘束される。父は、泣きじゃくる18歳の娘の背を押して、一人でアメリカへ行かせようとこう言う。
「周りを見ろ。あなたにこんな仕打ちをするこの国を見ろ。こんな国に、まだいたいのか?」
娘は、アメリカに知り合いはなく、英語もほとんど話せない。アメリカがよい社会だから行け、というのではない。中国に絶望して、この国を出ろというのだ。こんなにも人を不幸にする国家とはいったい何だろう。中国は、どうして、いつから、「こんな国」になってしまったのだろうか。自由や人権の普遍性は、なにゆえかくも無力なのだろうか。こんな状態はいつまで続くのだろうか。手立てはないものだろうか。
記事は、1面トップと7面に分かれている。ネットでは有料記事だが、URLは以下のとおり。
https://mainichi.jp/articles/20230206/ddm/001/030/132000c
娘の背を押した父とは、ウイグル族の経済学者イリハム・トフティさん(53)。ノーベル平和賞の候補に毎年名前が挙がる人だそうだ。娘は、ジュハル・イリハムさん(28)。二人は、あの日北京の空港で生き別れた。
その後娘は、苦難を乗り越えて英語を学び大学を卒業して、いま世界の労働者の権利擁護を訴える団体で、新疆ウイグル自治区の人権問題を訴える活動を続け、父イリハム・トフティさんの解放を求め続けている。
北京の空港で拘束された父は、その後自宅軟禁の状態に置かれ、14年1月当局に突如身柄拘束の上起訴される。同年9月には「インターネットを使って新疆の独立を呼びかけた」などとして国家分裂罪で無期懲役刑を言い渡された。さらに、17年に家族がウルムチの刑務所で面会したのを最後に消息が途絶えているという。その後、どこかに移送されたのか、今も生きているのかも分からない。中国とは、とうてい近代国家ではない。
この父は無期懲役を言い渡された翌日、面会に訪れた弁護士にこう言った。「拘束されてからの8カ月間で、昨日が一番よく眠れた」。弁護士がいぶかって聞くと「死刑になると思っていた。無期懲役だ。まだ希望はある」と言ったという。ジュハルさんによると、父は自分の死が漢族とウイグル族の間に憎しみを生まないことを願っていた。
中国政府は、ウイグル族らへの人権侵害は起きていないと否定し、黒人差別などの問題を抱える米国などが中国を批判するのは「ダブルスタンダードだ」と反発する。ジュハルさんは「どんな社会も完全ではない。だが、自己を見つめ、過ちを改善することができるのが民主主義だ。中国では間違いを指摘することもできない」と語り、こう続けた。「中国にはそもそもスタンダードがない」。あるのは中国共産党の意思だけだ。
あの時、北京の空港で「また必ず会おう」と約束した親娘が再会できるときは来るのだろうか…。それは、歴史がどう遷るかにかかっている。
(2023年2月5日)
ある言葉が、ある人やその人生と緊密に結びついてる例はいくつもある。「それでも地球は回っている」「地球は青かった」「賽は投げられた」「二十にして已に朽ちたり」「不可能という言葉はない」「自由は死なず」「予は危険人物なり」「難波のことは夢のまた夢」「ケーキを食べれば」「見るべきものは見つ」「寸鉄人を刺す」「薄氷を踏む」「待ちかねたー」「もっと光を」「母は来ました今日もまた」「バカヤロー」「天罰」「ガチョーン」「アイーン」「シェー」…等々。
こういう特定の人と結びついた言葉の豊穣の中に、もう一つ新しい言葉が加わった。「愚か者」である。今や、丸川珠代の専売特許。この人の性格や人生と深く結びついたものとなってしまった。正確には、「この愚か者めがー!」「このくだらん選択をしたバカ者どもを絶対忘れん!」というフレーズ。一度、彼女の口から放たれたこの言葉が、13年を経て彼女のもとに回帰してきた。無数の人の口からの「おまえこそ、愚か者だ!」という矢になって。「エラそうにくだらん言葉を発したバカ者を絶対忘れん!」という、重量級の返し矢もあったようだ。
我が身を省みれば、人を愚か者と謗ることは憚られる。が、敢えて言わざるを得ない。この人にはまったく知性というものが感じられない。丸川は議場でのヤジで注目を集めた軽薄な政治家の典型である。数々の知性欠如のエピソードでも知られる。「オロカモノー」の批判を浴びて当然、その批判が生涯つきまとう宿命なのだ。この宿命は、安倍晋三との出会いから始まっている。人生、どこに不幸な躓きがあるか、予測しがたい。
安倍晋三も「政治の私物化」「嘘とゴマカシ」「アンダー・コントロール」などの言葉と緊密に結びついて後世の人々の記憶に残ることになる政治家である。丸川珠代の「愚か者」とともに、それぞれの刻印が後世にまで消えることはない。
丸川の「この愚か者めが!」は、2010年3月、参院厚生労働委員会で子ども手当法案採決の際の絶叫である。丸川に「愚か」と言われた法案は、民主党政権による所得制限なしの子ども手当導入だった。のち、自民党政権復活後に結局所得制限が導入されたが、この度、自民党が民主党政権時の政策を復活する方針を出して、丸川の「愚か者」発言をブーメランにすることとなった。
ここで、丸川が「自民党執行部がなんと言おうとも、『所得制限なし法案』は愚か極まる」とがんばれば首尾一貫する。この人にも知性はあったのだと納得することにもなったはず。だが、しおらしく自らの過去の醜態を反省する弁を述べることで、みっともなさの極みとなった。そして、知性に欠けることの再確認ともなったのだ。
自民党は、丸川珠代の「この愚か者めが」という野次はお気に入りだったようで、「この愚か者めが」とプリントしたTシャツを作成して1500円で販売。民主党バッシングの小道具に使っていた。丸川だけでなく、自民党の知性と品性の欠如も問われなければならない。
武闘派・丸川は、「愚か者」に続いく同年5月の参院本会議では、当時の鳩山由紀夫首相に対し「ルーピー」と野次を飛ばした。「ルーピー」とは、ワシントンポストが鳩山首相を酷評する際に使用した蔑称だった。通常は、品のない言葉を発することを恥ずかしいと思うところだが、丸川はこんな品性のない野次を売り物にした政治家だった。そして、安倍自民党も、これに悪乗りしていた。
2013年の参院選の公示日、安倍晋三は、再選を目指して立候補した丸川を応援して、「『この愚か者めが!』『ルーピー!』発言で注目を浴びた丸川珠代さん、出陣です」とツイートしている。安倍晋三と丸川珠代、そして「愚か者」のお似合い三者。仲良きことは美しきかな。
しかし、物事にも人にも、功罪両面がある。丸川珠代、けっして「罪」ばかりではない。社会的には、それなりの「功」も記さねば公平ではない。この人、学歴は東大経済学部卒業だという。「しかし」と逆接の接続詞を用いるべきか、「だからこそ」と順接でいうべきか、あるいは「だからと言って」「それでいて」というべきか、よく分からないが、知性に欠けるのだ。
これまでのこの人の看板は、東大卒・自民党・安倍晋三の3枚だった。実は、この3枚とも、大した看板ではないことを丸川が身をもって実証してくれた。東大卒で、自民党公認で、安倍晋三のオトモダチだから…?、それがどうした? 何の恐れ入ることがあろうか。むしろ、東大卒・自民党・安倍晋三の3枚とも、「愚か者」とよくお似合いなのだ。これは、大きな「功績」ではないか。
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以下は、「愚か者」丸川珠代の愚行の一端である。あらためて申し上げるが、こんな人物を東京都民は、当選させた。しかも、3回にわたって。本当の「愚か者」とはいったい誰なのだろうか。
?「えっ? 私の選挙権がない」事件
丸川の初当選は、2007年7月の参院選。安倍晋三の要請を受けた形で、東京都選挙区に立候補した。7月16日、新宿区役所に期日前投票に行ったところ、丸川は選挙人名簿に登録されておらず、同区における選挙権を有していなかった。そのため、投票できずに、真っ青になったことが大きな話題となった。さらに、2004年にアメリカ合衆国から帰国して以来、6回の国政・地方選挙でまったく投票に行っていなかったことも明らかとなった。それでも、被選挙権は認められ、こんな候補者を都の有権者は国会議員に選出した。
?丸川政務官問責決議事件
厚生労働大臣政務官だった丸川は、2013年2月、人材派遣会社ヒューマントラストの新聞広告に登場して「日雇い派遣の原則禁止は見直すべき」と発言し、さらに3月15日の衆議院厚生労働委員会で「見直しは省の見解」と答弁した。
その誤りを野党に追及されて、撤回し陳謝した。この問題を受け、厚生労働委員会は理事会で、丸川に答弁をさせない「謹慎扱い」を全会一致で決定、さらに全会一致(もっとも、自民・公明は欠席)により可決された。
?福島第一原発事故失言事件
自民党が政権に復帰し、丸川が環境相を務めていた2016年2月、政府が除染の長期目標に掲げた「年間1ミリシーベルト以下」の基準をめぐって、以前の民主党政権を批判する文脈で「何の科学的根拠もなく時の環境大臣が決めた」などと長野県松本市内の講演で発言した。「年間1mSv以下」の数値は、人工放射線による一般人の年間追加被曝限度を「1mSv/年」とした国際放射線防護委員会(ICRP)の勧告に基づいて定められたもの。この発言は大騒ぎを引き起こした末に、丸川は「福島をはじめ被災者の皆様に誠に申し訳なく、心からおわび申し上げたい」「(講演での発言は)事実と異なっていた。当日の福島に関する発言を、すべて撤回する」と表明した。
?「カフェスタ」事件
2015年7月13日放映の自民党のネット番組「カフェスタ」に丸川珠代は安倍晋三とともに出演。丸川は「世界一周の旅行のピースボート。あのピースボートに乗っていたのは、民主党の辻元清美議員でございますが、海賊が出る海域を通るときにたしか、自衛隊に護衛してくれって頼んで、自衛隊に守ってもらったんですよね」と発言。安倍も「海賊対処のための法案を出したときも、民主党は反対でした。しかし実際にいざ危なくなると、助けてくれと、こういうことなんだろうなと思いますね」と調子を合わせた。これが実は、事実無根。辻本は丸川の発言に抗議。7月14日、丸川は辻元を訪ね、直接謝罪した。自民党も詫び状を提出。画像も削除された。
(2023年2月4日)
「週刊新潮」。かつては大嫌いな保守メディアだった。その取材と報道姿勢を唾棄したこともある。が、この頃、齢のせいなのだろうか。あんまり目くじら立てるほどのこともない、と思えるようになっている。もちろん、絶対に身銭を切ってこの雑誌を購入しないという決意に変わりはないのだが。
最新号の新聞広告に、『陛下、“玉座”の「高御座」で「皇宮警察」が悪ふざけしています』『「天皇皇后」初出席の「視閲式」 総指揮官は「愛子さま」を「クソガキ」と罵った張本人』という記事の見出しが、楽しそうに躍っている。この見出しの付け方、なかなかの出来ではないか。
週刊新潮には、皇室ネタが多い。とりわけ、秋篠宮長女の結婚問題については、ことのほかの熱心さだった。おそらくは、売れ筋のネタを、もっとも売れるようにさばいて書いたのだ。読者の側から見れば、あの素材を、あのように調理してくれることを望んだということである。
週刊新潮に限らず、皇室ネタ記事の多くは、皇室・皇族に対する敬意はさらさらにない。表面上は敬語を使っても、内容に遠慮はない。読み手は皇室尊崇の記事などまったく期待していないからだ。「やんごとないお家柄でも、嫁と姑の葛藤は庶民と変わらないのでございますね」「おいたわしや」「おかわいそうに」と言いつつ、実はイジり、貶めて溜飲を下げているのだ。
『陛下、“玉座”の「高御座」で「皇宮警察」が悪ふざけしています』の記事については、ネットで多少読める。
『「陛下専用のベッドに寝そべり…」「“玉座”に座って記念撮影」 皇宮警察OBが明かす衝撃の不祥事
「互いに高御座に座って携帯で写真を撮り合いました」 天皇陛下や皇族方を最も身近でお守りすべき「皇宮警察」で、皇族方への陰口や、パワハラ、不審者侵入などの事態が頻発していることを、これまでも「週刊新潮」は報じてきた。そして今回紹介するのは、即位の礼で用いられた玉座・高御座に座って写真を撮るという悪ふざけが皇宮警察内で常態化していた、という驚きの証言である。
「即位の礼」で用いられた「高御座」 皇宮警察はここに座って写真を撮るという悪質なイタズラを行った。自らの“悪事”を打ち明けるのは、さる皇宮警察OB。(略)昨今の「バイトテロ」も真っ青、常軌を逸した悪ふざけと言うほかない。…皇室への敬意も職務への忠誠心や緊張感もまったく感じられない数々の振る舞い。
―2月2日発売の「週刊新潮」では、大幹部である護衛部長らが口にしていた雅子皇后への侮辱的な陰口の中身や、皇族に関する根拠のないうわさが吹聴されていた事件などと併せて報じる』
この記事は、皇室・皇族に対する社会一般の関心の持ち方を反映したものに違いない。もちろん、今の世に天皇家を神代から連綿と連なる神聖な存在と思う人がいるはずはない。天皇は敬愛の対象でもありえない。ナショナリズムのシンボルというのも既に無理がある。積極的に、天皇を税金泥棒と悪口を言うことははばかられるが、陰湿な陰口・イジメの対象としてこれ以上のものはない。
『「天皇皇后」初出席の「視閲式」 総指揮官は「愛子さま」を「クソガキ」と罵った張本人』という見出しの付け方が、事情をよく物語っている。自分の言葉として、天皇の子を「クソガキ」とは言えないが、他人の言葉の引用としては「クソガキ」と言いたいのだ。天皇家に生まれる「親ガチャ」はけっして羨ましいようなものではない。
あらためて思う。これほどまでに揶揄の対象とされる、皇室や皇族とはなんだろうか。私は、冗談ではなく本心から「気の毒に」「かわいそうに」と思わざるを得ない。
またこうも思う。実は戦前も、多くの大人たちが天皇や皇室・皇族を揶揄の対象と見ていたに違いない。天皇を神の子孫であり現人神とする「教え」を本気で信じていたはずはない。しかし、天皇を神とする権力の押しつけや、社会的な同調圧力には抗することができなかった。多くの人々が、天皇や皇室・皇族を神につながる一族と信じる振りをせざるを得なかったのだ。権力にとって、臣民どもに天皇の神性や神聖性を心から信仰させる必要は必ずしもなかった。一億臣民に、そのように信仰している振りをさせることができれば、それで十分だったはず。
アンデルセンの「裸の王様」は、恐い話である。本当の自分の姿がわからない愚かな権力者への揶揄の話としてでなく、「王様の裸」に気付きながら、「王様は裸だ」と言わずに、「いかめしくも神々しい衣装をまとっている王様」が見えるような振りをし続けなければならない民衆の比喩の話としてである。
さて、週刊新潮。もしかしたら、「王様は裸だ」と触れ回っているのかも知れない。ならば、たいしたメディアではないか。