澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

政府・与党は逃げるなー直ちに臨時国会を開け

本日は10月19日、戦争法案が「成立」したとされたあの日から1か月が経過した。当然のことながら、違憲な法の成立を心理的に受け容れがたい。どうにも怒りが治まらない。今後もこの怒りを忘れまいと思う。毎月19日には、薪に臥し胆を嘗めることとしようと思う。とりあえず本日は、やや安直だが、ブラックの苦いコーヒーにしておこう。

法「成立」の直後、安倍晋三は疲れ切った表情で、「今後、国民の皆さまにご理解いただけるよう、丁寧な説明を重ねていきたい」と語った。丁寧な説明は、法案成立以前になされるのかと思っていた私がおろかだった。国民の納得なくても、とりあえず数の暴力で法は成立させておいて、丁寧な説明は法の成立したあとに行おうという驚くべき論理。いや非論理というべきだろう。

そう考えた私は甘かった。一国の総理の言だ。それ以上にウソが深いとは思わなかった。安倍晋三のことだ。次の機会には体勢を立て直して、そつなく官僚が作った作文を用意して国民に得々と訴えるのだろう。そう考えていた。ところがどうだ。この「次の機会」がなくなりそうなのだ。安倍流の言葉への無責任に絶句の連続である。

安倍による丁寧な説明の「次」の機会として考えられていたのは、常識的に臨時国会である。毎年秋には臨時国会が開かれる。秋は臨時国会のシーズン。歳時記に秋の季語として、「臨時国会」を収載してもよいのだ。ちなみに、近年の臨時国会開会の月日を列記してみよう。当然今年も、今ごろは臨時国会が開かれていてよい時期なのだ。

  2014年 9月29日
  2013年10月15日
  2013年 8月 2日
  2012年10月29日
  2011年10月20日
  2011年 9月13日
  2010年10月 1日
  2010年 7月30日
  2009年10月26日
  2008年 9月24日
  2007年 9月10日
  2007年 8月 7日
  2006年 9月26日

臨時国会を開いてなすべきことは、戦争法についての説明に留まらない。沖縄・辺野古基地新設問題あり、川内原発再稼働問題あり、日中・日韓外交問題あり、TPP交渉公約違反問題あり、「旧3本の矢」の的外れと「新3本の矢」の目眩ましあり、「一億総動員」構築問題あり。また、第3次安倍改造内閣の所信表明も、新閣僚への政策の吟味も必要であろう。何よりも、身体検査なしでの閣僚人事の不備を洗い直し、国会の場での野党による厳しい身体検査が必要ではないか。安倍内閣よ、自公両党よ。逃げてはならない。

通常、国会の会期は与党が法案を通すために機能する。だから、野党は会期の延長には抵抗し、臨時国会の開会には積極姿勢を示さない。ところが、今回は逆の現象が起きている。世論の後押しを背景に、野党の側が国会の外の運動と連携して、政府与党の追及に自信を深めている。政府与党が、逃げ腰及び腰なのだ。久しぶりの珍しい事態。

憲法53条は、臨時国会の開会について、次のように定めている。
「内閣は、国会の臨時会の召集を決定することができる。いづれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない。」

内閣がその気にならないのなら、参院野党の結集で臨時国会を開かせることができる。政府はこれに従わざるを得ない。ぐずぐずしていれば、「ビリケン(非立憲)安倍」の名が再浮上するだけではない。「逃げの安倍」「安倍自信欠乏症」「アベのダマシ」の異名が拡がることになるだろう。

昨日(10月18日)の毎日が「臨時国会見送り 立法府を無視している」という社説を掲載している。
「第3次安倍改造内閣が発足したにもかかわらず、安倍晋三首相の所信表明演説も行われぬまま、年明け後の通常国会に先送りするという選択は理解に苦しむ。
 与党は首相の外交日程が立て込んでいることや、環太平洋パートナーシップ協定(TPP)の国会承認を来年の通常国会とすることなどから、召集を見送る方針を固めたのだという。だからといって、見送っていい理由にはならない。憲法は議院内閣制について、内閣は国会に対し連帯して責任を負うと定める。改造人事を行った以上は速やかに国会で首相が所信を表明し、新閣僚の所信聴取を行うことが政府の責任だ。召集見送りは立法府を軽視している。」
というトーンだ。
また、「新閣僚をめぐっては、森山裕農相が代表を務める自民党支部が鹿児島県の指名停止措置を受けた複数の業者から合計約700万円の献金を受けていたことが判明し、返金を表明したケースもある。新閣僚の人選が適切だったかを吟味することも、国会の大切な役割だ。これらの事情にもかかわらず野党の召集要求に応じないのであれば、政府が議論を避けたと取られても仕方あるまい。」とも論じている。
我が意を得たり、の内容である。

ところで、もう一紙「産経」も社説を出している。「臨時国会『見送り』 国民への説明を怠るのか」という表題。一昨日(10月17日)のこと。実はこれがなかなかに辛口なのだ。

「国会を通じて国民に説明すべき内容はいくらでもある。『召集の必要性は感じない』と口にする政権の鈍感さにはあきれる。
 安倍晋三首相の外遊日程が立て込んでいる、などと理由にならない事情を挙げている。国会を開けば、よほど都合の悪いことがあるのか。いらぬ疑いも招こう。堂々と国会を開き、目指す政治の道筋を語るときである。
 政府には、国会で説明を尽くす義務がある。それは国民への説明でもある。召集しなければ党首討論も今年はもう開かれない。国民の理解など進みようもない。
第3次改造内閣は発足したばかりで、新閣僚が国会で最初にすべき所信の表明もまだしていない。来年の通常国会まで先送りするつもりか。
 議題は山積している。質疑や批判に堪えられない仕事をしていると、認めるようなものではないか。」
という調子。

私は、産経をジャーナリズムとして認めていない。権力の広報紙でしかないと考えているからである。その産経ですら、臨時国会見送り問題については、これほどにも批判せざるを得ないのだ。この問題に限っては、産経との「一点共闘」が成立しそうな成りゆき。喜ぶべきか、はた不愉快と叫ぶべきか。思いはやや複雑である。
(2015年10月19日・連続932回)

『君が代』訴訟の新しい動きと勝利への展望

「学校に自由と人権を! 10・17集会ー子どもを戦場に送るな!」の集会にお集まりの皆様に、東京君が代訴訟弁護団からご報告を申し上げます。

2003年10月23日、石原慎太郎都政第2期の時代に都教委が悪名高い「10・23通達」を発出しました。以来12年になります。この間、「日の丸・君が代」強制に服することができないとした教職員延べ474名が懲戒処分を受けました。この強権発動は、「日の丸・君が代」強制問題にとどまらず、学校現場を命令と服従の場とし、自由で創造的な教育はすっかり影をひそめてしまいました。

さらに、都教委は「学校経営適正化通知」(06年4月13日)を発して、信じがたいことに、職員会議での挙手採決を禁止しました。学校運営に教職員の意見反映を峻拒したのです。学校現場には、ものも言えない状況が蔓延しています。教職員は疲弊し、意欲を失い、自由闊達な雰囲気を欠いた教育は危機的状況に追い込まれています。その最大の被害者は、子どもたちであり、明日の民主主義といわざるを得ません。

10・23通達に対しては、現場での闘い、社会的な支援の闘いと並んで、10年余の長きにわたる裁判闘争が継続しています。これまでのところ、裁判の成果は勝利を博したとは言えません。しかし、けっして敗北したとも言えない一定の成果は挙げています。残念ながら裁判によって「日の丸・君が代」強制を根絶することはできていませんが、石原教育行政がたくらんでいた教員に対する思想統制は不成功に終わっていると評価できる事態ではあるのです。

これまで、10・23通達関連訴訟判決で、処分違法とされて取消が確定したのは56件、人数では47名となっています。行政には甘い裁判所も、都教委のやり方は非常識で到底看過できないとしているのです。都教委は司法から断罪されたといってよい状態です。ですから、都教委は10・23通達に基づく一連の施策を抜本的に見直すことが求められています。ところが、都教委が反省しているようには見えません。被処分者に対する「再発防止研修」を質量ともに強化し、なんとしてでも、教職員の抵抗を根絶やしにして、「日の丸・君が代」強制を徹底しようとしています。都教委は異常、そう指摘せざるを得ません。

これまでの「10・23通達」関連訴訟全体の判決の流れを概観して見ましょう。
最初、まだ最高裁判決のない時代に大きな成果をあげた時期がありました。これを仮に「高揚期」と名付けます。しかしこの時期は長く続かず、10・23通達以前の事件ですが、ピアノ伴奏強制拒否訴訟の最高裁判決で覆ります。その後しばらく「受難期」が続きます。そして、一定の成果を得て「安定期」にはいります。そして、本日ご報告したいのは、今安定期の域を脱して「再高揚期」にあるということです。都教委の側から見れば、今は「裁判ボロ負け続きの最悪期」なのです。

「高揚期」
10・23通達関連事件で、裁判所が最初の判断を示したのは、再発防止研修執行停止申立(民事事件の仮処分命令申立てに相当します)に対する決定です。裁判長の名をとって須藤(典明)決定と呼んでいる2004年7月の決定は、「内心に踏み込み、思想良心に関わる内容の研修は違法」として、研修内容に歯止めをかけました。さらに、2006年9月の予防訴訟一審判決(難波判決)は、「日の丸・君が代」強制を違憲違法とした全面勝訴の画期的判決となりました。担当裁判所は、教職員と一緒に、石原教育行政の暴挙に怒ってくれたのだと印象をもちました。これで、「『日の丸・君が代』強制は違憲、という流れが決まった」そう思いました。しかし、残念ながらこれはつかの間の喜びに過ぎませんでした。

「受難期」
その後半年足らずで、待ち構えていたように最高裁第三小法廷が、ピアノ伴奏強制拒否事件判決(07年2月)を出します。外形的な行為(君が代斉唱のピアノ伴奏)の強制があっても、必ずしも内心の思想・良心を侵害することにはならないという、奇妙な内外分離論に基づくものでした。

まことに奇妙な合憲論なのですが、最高裁判決は下級審の裁判官に重くのしかかります。ピアノ伴奏だけでなく、君が代不起立を理由とする懲戒処分は、ことごとく合憲合法とされました。事件や当事者に向き合わず、人事権を握る上だけに目をやり、上におもねる「ヒラメ判決」、最高裁判決の言い回しをそのまままねた「コピペ判決」が続きました。まさに受難の時代でした。

その嚆矢をなす典型が、「君が代・解雇裁判」一審佐村浩之判決(07年6月)です。難波判決の直後に結審しながら、ピアノ判決後に弁論再開して、「ヒラメのコピペ判決」を言い渡したのです。関連全訴訟の中心をなす、処分取消訴訟(第1次「君が代裁判」)一審判決(09年3月)も全面敗訴に終わりました。?波判決の控訴審判決も逆転敗訴(11年1月)となりました。ここまでが、長かった苦難の「受難期」です。

「回復・安定期」
この沈滞した局面を打破したのが、第1次「君が代裁判」控訴審、東京高裁大橋判決(11年3月)でした。戒告を含む全原告(162名)について、裁量権濫用にあたるとして違法と断じ、処分取消の判決を命じたのです。最高裁判決の枠には従いながらも、その制約の中で、教員側の訴えに真摯に耳を傾けた画期的判決でした。

難波判決に次ぐこの判決は最高裁では維持されませんでした。それでも、最高裁は減給以上の処分は重きに失するとして取り消しました。こうして、君が代裁判1次訴訟最高裁判決(12年1月)、河原井さん・根津さん処分取消訴訟最高裁判決(12年1月)などかこの仕切りに続き、第2次君が代裁判最高裁判決(13年9月)もこれに従って、「戒告なら合法」「減給以上は裁量権濫用で違法」という判断が定着します。

最高裁は、「日の丸・君が代」の強制は、間接的には思想良心の自由を侵害していると認めます。しかし、間接的な制約に過ぎないから、都教委側にある程度の強制の合理性必要性があれば合憲と言ってよいというのです。納得はできず不服ではありますが、ピアノ判決の理屈よりは数段マシになったとも言えます。

何よりも、原則として戒告だけが認められるとなって、都教委のたくらみであった累積加重の懲戒システムが破綻しました。これは、毎年の卒業式・入学式のたびに繰り返される職務命令違反について機械的に懲戒処分の量定を加重する、おぞましい思想弾圧手法です。心ならずも、思想良心を投げ出して命令に屈服し、「日の丸・君が代」強制を受容するまで、懲戒は重くなり確実に懲戒解雇につながることになるのです。私たちが思想転向強要システムと呼んだ、この邪悪なたくらみは違法とされ、採用できなくなりました。都教委は猛省しなくてはなりません。

再高揚期
そしていま、新たな下級審判決の動向が見られます。最高裁判例の枠の中ですが、大橋判決のように、可能な限り憲法に忠実な判断をしようという裁判所の心の内を見て取ることができます。さらに、10・23通達関連事件に限らず、都教委は多くの処分についての訴訟を抱え、ことごとく負け続けています。いまや、都教委の受難・権威失墜の時代です。これを教員側の「再高揚期」と言ってよいと思います。
  
ちなみに、最近の都教委が当事者となった事件の判決を並べてみましょう。
13年12月 「授業をしていたのに処分」福島さん東京地裁勝訴・確定
14年10月 再任用拒否(杉浦さん)事件 東京高裁勝訴・確定
14年12月 条件付き採用免職事件 東京地裁勝訴 復職
(15年1月 東京君が代第3次訴訟地裁判決 減給以上取消)一部確定
15年 2月 分限免職処分事件 東京地裁執行停止決定
15年 5月 再雇用拒否第2次訴訟 東京地裁勝訴判決
15年 5月 根津・河原井さん停職処分取消訴訟 東京高裁逆転勝訴
15年10月 Kさん、ピアノ伴奏拒否事件東京地裁処分取消判決
   原処分・停職→人事委員会修正裁決・減給処分→東京地裁・減給取消

以上のすべてが、10・23通達関連判決ではありません。しかし、明らかに、10・23通達関係訴訟で明らかになった、都教委の暴走を到底看過できないとする裁判所の姿勢が見て取れます。今や都教委は、悪名高い暴走行政庁なのです。

各原告団・各弁護団による総力の努力が相乗効果を産んでいるのだと思います。何よりも、最高裁判決と2名の裁判官の反対意見(違憲判断)、とりわけ宮川裁判官の意見、そして多くの裁判官の補足意見の積極面が生きてきていると実感しています。まだ十分とは言えませんが、粘り強く闘い続けたことの成果というべきではないかと思っています。

これから、闘いは続きます。まずは、最高裁の「論理」の構造そのものを徹底して弾劾し、真正面から判例の変更を求める正攻法の努力をしなければなりません。裁判所に対する説得の方法は、「大法廷判例違反」「学界の通説に背馳」「米連邦最高裁の判例に齟齬」などとなるでしょう。そして、「職務命令違反による懲戒処分が戒告にとどまる限りは懲戒権の濫用にあたらない」という判断を、大橋判決のように「すべての懲戒が権利濫用として違法になる」という判断の獲得はけっして不可能てはないと考えています。

さらに、まだこの問題に関して最高裁判決が語っていないことでの説得ー迂回作戦を試みなければなりません。
「主権者である国民に対して、国家象徴である国旗・国歌への敬意を表明せよと強制することは、立憲主義の大原則に違反して許容されない」「「日の丸・君が代」強制は、憲法20条2項に違反(宗教的行為を強制されない自由の侵害)に当たる」「憲法26・13条・23条を根拠とする「教育の自由」侵害に当たる」「子どもの権利条約や国際人権規約(自由権規約)に違反する」等々の主張についても、手厚く議論を積み上げていきたいと思います。

法廷内の闘いと、現場と支援の運動。そして、司法の体質を変える運動。さらには、都政そのものの質を変える運動。文科省の教育政策を弾劾する運動などと結びついて、粘り強く最終的な勝利を展望したいと思います。よろしく、ご支援をお願いいたします。

**************************************************************************
公表された議事録作成の経緯の検証と当該議事録の撤回を求める申し入れ」への賛同署名のお願い

そもそも存在しない安保関連法案の「採決」「可決」を後付けの議事録で存在したかのように偽るのは到底許されません。私たちは、このような姑息なやり方に強く抗議するとともに、当該議事録の撤回を求める申し入れを提出します。ついては多くの皆様に賛同の署名を呼びかけます。

ネット署名:次の署名フォームの所定欄に記入の上、発信下さい。
     http://goo.gl/forms/B44OgjR2f2

賛同者の住所とメッセージを専用サイトに公開します。
     https://bit.ly/1X82GIB

第一次集約日 :10月27日(火)22時とします。なお、詳細は、下記ブログをご覧ください。
       https://article9.jp/wordpress/?p=5768
(2015年10月18日・連続931回)

「公表された議事録作成の経緯の検証と当該議事録の撤回を」ー賛同署名と拡散のお願い

                                   2015年10月17日
「公表された議事録作成の経緯の検証と当該議事録の撤回を求める申し入れ」への賛同署名のお願い

 10月11日に参議院のホームページに、9月17日に開催された安保特別委委員会の議事録が公表され、安保関連法案等をいずれも可決すべきものと決定した、との文言が速記録に追加されました。また、〔参照〕として、横浜地方公聴会速記録が追加されました。
 私たちは去る9月25日に3万2千余の賛同署名を添えて、山崎参議院議長と鴻池特別委委員長宛に「安保関連法案の採決不存在と法案審議の続行を求める申し入れ」を提出しましたが、そもそも存在しない安保関連法案の「採決」「可決」を後付けの議事録で存在したかのように偽るのは到底許されません。私たちは、このような姑息なやり方に強く抗議するとともに、山崎正昭・参議院議長、鴻池祥肇・参議院「我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会」委員長ならびに中村剛・参議院事務総長宛に連名で、別紙のような「公表された議事録作成の経緯の検証と当該議事録の撤回を求める申し入れ」を提出することにしました。
 つきましては、多くの国民の皆様に賛同の署名を呼びかけ、寄せられた署名簿をこの申し入れ書に添えることにしました。
              
 具体的には、次のような方法で署名を呼びかけます。多くの皆様の賛同をお願いいたします。

 1. ネット署名:次の署名フォームの所定欄に記入の上、発信下さい。
     http://goo.gl/forms/B44OgjR2f2

   賛同者の住所とメッセージを専用サイトに公開します。
     https://bit.ly/1X82GIB

 2. 第一次集約日 :10月27日(火)22時とします。

          申し入れ者(賛同署名呼びかけ人)
           池住義憲(元立教大学大学院特任教授)
           浦田賢治(早稲田大学名誉教授)
           小野塚知二(東京大学・経済学研究科・教授)
           澤藤統一郎(弁護士) 
           清水雅彦(日本体育大学教授)    
           醍醐 聰(東京大学名誉教授)
           藤田高景(村山首相談話を継承し発展させる会・理事長)
           森 英樹(名古屋大学名誉教授)

         連絡先  E・メールsaiketunai-1@yahoo.co.jp
         電話:080?7814?9650 

**************************************************************************
                                    2015年10月○日
参議院議長  山崎正昭様
参議院「我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会」委員長 鴻池祥肇様
参議院事務総長 中村 剛様

公表された議事録作成の経緯の検証と当該議事録の撤回を求める申し入れ

(申入者後掲)

 前略 10月11日に参議院のホームページに公表された、9月17日開催の「我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会」の議事録において、速記録にはなかった「右両案の質疑を終局した後、いずれも可決すべきものと決定した。なお、両案について附帯決議を行った。」という追記がなされ、〔参照〕として横浜地方公聴会速記録が掲載されました。報道によれば、こうした追記は鴻池委員長の判断でなされたとのことです。
 これについて、4つの野党会派は14日、中村剛参議院事務総長に対し、こうした議事録が作成された経緯の検証と撤回を求める申し入れを行いました。
 去る9月25日に3万2千余の賛同署名を添えて、山崎参議院議長と鴻池特別委委員長宛に「安保関連法案の採決不存在と法案審議の続行を求める申し入れ」を行った私たちは、そもそも存在しない安保関連法案の「採決」「可決」を後付けの議事録で存在したかのように取り繕う姑息なやり方に強く抗議します。
 9月17日の委員会室は速記録で「議場騒然」「聴取不能」と記載されたような状況であり、テレビで実況中継を視聴した国民の圧倒的多数は「あれで採決、可決などあり得ない」と受け止めています。
 
 今回の議事録に追加された「議事経過」には、次のような重大な偽り、あるいは採決の存在を議事録への追記で証明しようとする試みの道理のなさが露呈しています。
 (1)5つの案件が採決されたと言われたにもかかわらず、委員長が1件ごとに、参議院規則第49条、第136、第137条に基づいて表決に付すと宣告した旨の記載、ならびに、委員長が起立者の多少を認定して表決の可否の結果を宣告した旨の記載が一切ありません。これでは「採決」「可決」は存在しないとする私たちの指摘を何ら反証したことになりません。
 (2)公表された議事録で追加された「議事経過」の中に、「両案について附帯決議を行った」との記載があります。しかし、この案件については、上記と同様、参議院規則に基づいた表決の宣告も表決の結果の宣告も記されておらず、正規の議事録とはみなせません。
 さらに、本附帯決議については、慣例となっている全委員への案文の事前配布はなく、特別委で決議案文が提案されたことを認知した委員がどれほどいたかすら疑わしいのが実態とされています。鴻池委員長の一存で、このような附帯決議が決せられたと議事録に書き加えるのは民主的議会運営の常識を蹂躙する暴挙以外の何物でもありません。
 (3)末尾に〔参照〕として、横浜地方公聴会速記録が掲載されましたが、この速記録の内容が「採決」なるものに先立って特別委に報告された事実はありません。事実に反して、後付けで、〔参照〕などという標題を付けて地方公聴会の報告を鴻池委員長の独断で会議録に追加するのも暴挙というほかありません。
 (4)公表された「議事経過」の追記は鴻池委員長の判断と指示でなされたと報道されていますが、委員長といえども、事実を無視し、参議院規則に反する議事進行を議事録に書き込むことを指示する権限はありません。

 以上から、私たちは貴職に対し、次のことを申し入れます。

1.今回、公表された議事録の追記が作成された経緯(誰の、いかなる指示・判断で
作成されたものか)を厳密に検証し、その結果を公表すること。
2.事実に背き、参議院規則にも反する議事進行を正当化しようとするまやかしの議事録を撤回すること。
3.安保関連法案の採決・可決の不存在を直ちに認め、法案の取り扱いを至急、協議するよう、各党会派に諮ること。私たちは法案の段階に立ち返って言えば、違憲の法案を廃案とするよう、求めます。

申し入れ者
 ○○○○ (所属)
 ○○○○ (所属)
 ・・・・・・
                                             以上
(2015年10月17日・連続930回)

「野党は共闘、野党は共闘!」ー反安倍勢力糾合の世論を盛り上げよう

本日(10月16日)の朝日に、「共産・志位氏『連合政府実現なら日米安保廃棄を凍結』」の大きな記事。共産党の戦争法廃止に向けた、国民連合政府構想が大きな関心を呼んでいる。

「共産党の志位和夫委員長は15日、東京都内の日本外国特派員協会で会見し、安全保障関連法を廃止するために提唱する「国民連合政府」が実現すれば、「日米安保条約の枠組みで対応する。急迫不正の時には自衛隊を活用する」と述べ、党綱領で掲げる日米安保条約の廃棄や自衛隊の解消などの政策を凍結する考えを示した。安倍政権に対抗する野党の結集をめざし、現実的な対応を強調したものだ。

志位氏は会見で「私たちは国民連合政府という政権構想が、現時点で安倍政権に代わる唯一の現実的で合理的な政権構想だと確信している」と話した。さらに「戦争法廃止、立憲主義の回復という国民的大義での大同団結ができれば、相違点は横に置き、一致点で合意形成を図る」と語った。」

また、朝日の記事では、「共産、野党結集へ動く」「『安保法廃止』本気アピール」との見出しで、「(戦争法)成立後の同月19日には、党中央委員会総会を開き、「戦争法廃止、立憲主義を取り戻す。この一点で一致するすべての政党・団体・個人が共同して『国民連合政府』を樹立しよう」と宣言。その上で野党間の政策的な違いについても「互いに留保・凍結して大同団結しよう」と呼びかけた。」とまとめられている。

「戦争法を廃止して立憲主義を取り戻す」この一点を大義とし、この一点での共闘で、選挙協力をし、国民連合政府を作ろうというのが共産党の提案である。そのあまりの大胆さに、やや戸惑いを禁じ得ない。他の多くの課題を切り捨ててこの一点の共闘で本当によいのか。各政党や政治勢力がそれぞれに持つ理念や主張を棚上げできるのか。何より、この提案が反安倍勢力の総結集に現実性を持つものなのだろうか…。

かつて、民主連合政府構想というものがあった。1970年代の遅くない時期に、「革新三目標」で一致できる諸勢力を糾合して、民主的な統一戦線政府を作ろうと、共産党が呼びかけたものである。

革新勢力がさしあたって一致できる目標とされた、「革新三目標」とは、
(1)日米軍事同盟と手を切り、真に独立した非核・非同盟・中立の日本をめざす
(2)大資本中心、軍拡優先の政治を打破し、国民のいのちと暮らし、教育をまもる政治を実行する
(3)軍国主義の全面復活・強化、日本型ファシズムの実現に反対し、議会の民主的運営と民主主義を確立する
というものであった。

「安保廃棄」・「経済民主化」・「政治的民主主義の確立」の3点。これなら、革新の3課題であり3目標である。違和感はなかった。今度の提案は、まずは安保廃棄は棚上げだ。自衛隊の存続も認める。集団的自衛権の行使は容認しないが、自衛のための武力行使までは認めることになる。

安全保障以外にも課題は多い。沖縄・原発・TPP・雇用・福祉・教育・近隣外交…。はたして、敢えて「戦争法廃止して立憲主義を取り戻す」の一点で、選挙協力が可能だろうか。政府の運営ができるのだろうか。

逡巡は残しつつも、結局のところ、いま反安倍勢力を結集するスローガンを考えて、「戦争法廃止」「立憲主義の回復」以上のものも、以外のものも思いつかない。思い至ったのは、今求められているのは、「革新の統一」ではない。反安倍勢力の結集は革新の課題ではなく、保守をも含めた民主主義・立憲主義の課題だということ。だから、逡巡は不要ではないのか。

私は、安倍政権打倒のためなら、悪魔との契約も辞さない立場だ。それに比べれば安保廃棄も自衛隊違憲も脇に置く課題でよいと言うべきなのだ。安保ハンタイ、自衛隊イケンは、自らの見解と留保しつつも、大同団結の輪の中で「戦争法廃止」「立憲主義の回復」の声を上げよう。「美しい日本を取り戻す」のではない。戦争法を廃止して、「まともな立憲主義に基づく日本を取り戻す」ためにだ。

戦争法国会の最終盤、国会を取り囲むデモの中から印象的なシュプレヒコールが巻きおこった。「野党は共闘、野党は共闘」。院内から、デモの現場に議事の様子を報告に駆けつけた野党議員に対してのもの。

戦争法案の廃案を求めるデモのうねりが、野党共闘の背を押したのだ。法が成立したからといって、この事態を放置しておくことはできない。今度は戦争法を廃止する闘いを続けなければならない。そのためには、選挙に勝つしかない。選挙に勝って反安倍勢力の暫定政権を作らねばならない。いち早くこの世論の声に応えたのが共産党だが、共闘は相手あってのもの。他党・他勢力の立場を尊重して、大きな共闘の成立にに尽力して欲しいと思う。

同じ朝日の報道では、「国民連合政府を持ちかける共産党との連携に、民主党内の大半は後ろ向きだ。岡田克也代表は15日の都内での講演で、「同じ政権を作るのはかなりハードルが高い。基本的な政策の違いが現時点で多過ぎる」と否定的な考えを示した。」という。

まだまだ、国民のシュプレヒコールの音量が足りないようだ。
精一杯声を出そう。「野党は共闘、野党は共闘!」「反安倍勢力は一つにまとまれ」「選挙で足の引っ張り合いをするな」「小異を捨てて大同に就け」「国民の大義につけ」「戦争法廃止で大同団結をせよ」
(2015年10月16日・連続929回)

週刊誌ですら、これだけのことをやっている。もっと大規模に戦争法賛成議員の落選運動を展開しよう

昔、二条河原の落首が庶民の鬱憤を代弁した。
今、電車の中吊り広告がこれに代わっている。

週刊誌の中吊り広告に落首ほどの品格はなく、権勢・権力に抵抗の気概があるわけでもない。とはいえ、ときにその記事の見出しに目を瞠る。庶民の気分をよく表わすものとして中吊りは貴重だ。これを見れば記事の中身は推察できる。だから週刊誌本体を買う必要がない。買えば、損したと思うに決まっている。

本日発刊の「週刊文春」10月22日号の中吊りが読ませる。大小さまざまの見出しが躍って、10月7日発足の第3次安倍改造内閣に対する国民の評価が如実に表現されている。

 ああ「一億総活躍」という名の的外れ
 〈アベノミクス新三本の矢〉
 ■「デフレ脱却」もできないのにゴキゲン安倍総理のズレ加減
 ■徳岡孝夫「私らみたいな年寄りに活躍と言われても…」
 ■安倍ブレーンも認める「出生率1・80は難しい」

 「19人総活躍内閣」は国民の模範ですよね
 ▼「パンツ泥棒」の常習犯! 高木毅 復興大臣
  「いきなり家に押し入り二階の箪笥を開けて…」
 ▼新政権の目玉 河野太郎 脱原発はどうした?
 ▼紅の新大臣 丸川珠代がすがる「パワーストーン」
 ▼馳浩文科相 本誌だけが掴んだ献金疑惑!

 入閣拒否 小泉進次郎「一人ぼっちの党内野党宣言」 常井健一
 池上彰 「一億総動員」「一億火の玉」的発想は時代錯誤だ

安倍内閣に対する「いやーな感じ」が満載。庶民の気持ちをよく表している。
それだけでない。第2次安倍改造内閣の閣僚人事に瑕疵ありとして、高木毅復興大臣を「『パンツ泥棒』の常習犯!」と呼ぶ。これは穏やかでない。

週刊新潮のトップも大同小異。
 やっぱり見落とされた〈新大臣〉「身体検査」の落第判定
 ・「下着ドロボー」が「大臣閣下」にご出世で「高木毅」〈復興相〉の資質
  〈「安倍内閣」が踏んだ大型地雷!〉
 ・「暴力団」事務所に出入りの過去がある株成金の「森山裕」〈農水相〉

こちらは、復興相を「パンツ泥棒」ではなく「下着ドロボー」と呼ぶ。そして、「暴力団」事務所に出入りの農水相だ。

注目すべきは、週刊誌がそれぞれの「新大臣・身体検査」を実行して落第判定をしていることだ。国民総がかりで、戦争法賛成議員の「身体検査」を行おうではないか。まずは、来年7月の参議院議員選挙・地方区への立候補者だ。徹底した身体検査とその公表によって違憲立法加担議員を落選させよう。

この議員を対象として、ホームページに一覧表を掲載し、あらゆる公開情報を貼り付けていく。一つは、国会議員としての資質に問題ありとする情報の収集だ。「パンツ泥棒」や「暴力団」との交際、体罰容認などの類の言行録の集大成。これを誰もが閲覧可能なホームページに掲載して、アクセス数を増やす努力をしよう。

もう一つが、金の流れについての身体検査だ。保守政治家は金に汚い。叩けばきっとホコリが出て来る。政治資金収支報告書や政党交付金使途等報告書、選挙運動費用収支報告書、議員資産公開法にもとづく公開制度などにもとづくあらゆる公開資料を掲載する。公開期間切れとなったものについては情報公開請求をする。こうした公開資料を付き合わせ分析し、複数情報の整理によって問題点を洗い出そう。

資金の「入り」についても「出」についても、不当不正を徹底して追求し、あるいは公開質問状を発し、あるいは言論をもっての批判を加え、立件可能な事案があれば躊躇なく告発しよう。

週刊誌ですら、相当のことをやっている。多くの国民の知恵と力を結集すれば、自民・公明・次世代・元気・改革各党の違憲立法加担議員の追放をできないはずはない。
(2015年10月15日・連続928回)

石井啓一国交相(公明党)よ、君の姿勢が問われている。

昨日(10月13日)、翁長雄志沖縄県知事が、米軍辺野古新基地建設のための公有水面埋め立承認を取り消し文書をもって沖縄防衛局に通知した。圧倒的な県民世論を背景にしての英断だが、翁長知事のぶれない硬骨の姿勢にあらためて敬意を表したい。

政治的には、この知事の動きで勝負あったというべきだろう。安倍政権は、辺野古新基地建設断念をオバマに報告すべきなのだ。次のように言ってみてはどうだろう。

「大統領閣下、ワタクシ安倍はご要望に応えるべく精一杯の努力はいたしましたが、結局辺野古新基地建設は断念せざるを得ません。地元沖縄県民の世論がこれを許さないからです。」「ワタクシも、かなり汚い手を使って、金の力で地元民の分断と切り崩しを謀ったのですが、ますます評判が悪くなるばかり。もうあきらめざるを得ない事態なのです。」「ご認識なかったかも知れませんが、日本は民主主義を標榜する国なのです。地元沖縄の基地反対世論が、ここまで盛り上がり明確になった以上は、もはやこれを押し潰そうとすることは逆効果。」「おそらくは、ホンネとタテマエの両面において価値観を同じくするお国のこと。民主主義のタテマエで処理をせざるを得ない事態に立ち至った事情を、ご了承いただけるものと拝察いたします。」

ところが、安倍政権はこういう賢明な態度を採らなかった。昨日(13日)国(安倍内閣)は海域埋立の法的根拠を失ったが、埋め立てを強行する構えを崩さず、本日(14日)行政不服審査法に基づく審査請求と執行停止の申立を行った。悪あがきというほかはない。

国が、審査請求を申し立てた先は、公有水面埋立法を管轄する国土交通大臣。その任にあるのは、今月7日付で就任したばかりの新米大臣・石井啓一(公明党)である。その石井啓一の姿勢が、いま厳しく問われている。

翁長知事の埋め立て承認取り消しによって、安倍政権対オール沖縄の対立構造が鮮明になった。また、この問題こそが、戦争法反対闘争後の「安倍対反安倍」の全国的対決を再現するテーマである。戦争法反対運動で構図が明らかとなった、「安倍・自・公」対「野党連合・市民・学生・若者・女性・学者」の対立のテーマでもある。この対立が形づくるせめぎ合いのど真ん中に、公明党の石井が出てきたのだ。

下駄の雪同然に自民にくっついてその存在感を喪失し、支持率も大きく下げた公明党の大臣である。安倍内閣の一員として、「やっぱり下駄の雪」で終わるのか、それとも沖縄県民に向き合って「さすが平和の党」と評判を取り戻すのか。さあ、ここがロドースだ。飛んで見ろ。

とりわけ注目されるのは、国からの審査請求と同時になされた執行停止申立の取り扱いである。県知事の埋め立て承認が取消された現在、国は埋立工事を続行できる立場にはない。行政不服審査法第34条1項が「審査請求は、処分の効力、処分の執行又は手続きの続行を妨げない」(国が知事の承認取消を不服として審査請求をしても、取消処分の効力は続行する)と、執行不停止を原則としているからである。

但し、同条2項「処分庁の上級行政庁である審査庁は、必要があると認めるときは、審査請求人の申立てにより又は職権で、執行停止をすることができる」に基づいて、国交相の執行停止決定があれば、国は審査請求が裁決に至るまでの審議期間の埋立工事続行が可能となる。

石井啓一よ、公明党よ。安倍自民の下駄の雪との批判を覚悟で執行停止申立を認容するか、それともオール沖縄の世論に配慮して執行停止の申立を却下するか。沖縄県民だけでなく、心ある国民が固唾を飲んで見守っているぞ。憲法の民主主義と恒久平和主義も見守っている。おそらくは「平和の党」に期待する創価学会員もだ。公明党の姿勢が厳しく鋭く問われているのだ。

メディアの代表的な見方は下記のようなもの。
「承認が取り消されたものの、政府は行政不服審査法に基づいて公有水面埋立法を所管する国土交通相に不服審査請求し、取り消しの一時停止も求めるため、政府の移設作業が大幅に中断する可能性は低い。」(毎日)
国土交通相とて所詮は安倍内閣という同じ穴のムジナだからという見方だ。しかし、果たしてそうだろうか。

普段は馴染みのない、カタカナ書きの公有水面埋立法を繙いてみる。
第4条1項の本文が興味を惹く。「都道府県知事ハ埋立ノ免許ノ出願左ノ各号ニ適合スト認ムル場合ヲ除クノ外埋立ノ免許ヲ為スコトヲ得ズ」という。つまり、原則不許可で、限定列挙した要件に適合する場合以外には許可をしてはならないという建て付けなのだ。

問題は、同条1号「国土利用上適正且合理的ナルコト」、及び2号「其ノ埋立ガ環境保全及災害防止ニ付十分配慮セラレタルモノナルコト」の免許要件である。「左の各号の一に適合」ではなく、「左の各号に適合」しなければならないのだから、その全部に適合しなければ「免許(国が許可を求める場合は、「免許」が「承認」になる。法42条1項)をしてはならない」ということなのだ。

取消処分の理由は、「前知事の承認には瑕疵が認められた」ということにある。要するに、「法4条1項1号と2号の要件を満たしていないことが明らかになった」としてその詳細が縷々述べられている。

その中で圧倒的に紙幅が割かれているのが「環境保全措置(の欠如)」についての叙述。項目だけを列挙すれば以下のとおりである。
 1 辺野古周辺の生態系
 2 ウミガメ類
 3 サンゴ類
 4 海草藻類
 5 ジュゴン
 6 埋立土砂による外来種の侵入
 7 航空機騒音・低周波音

そして、総論として強調されているのは、「いったん埋立が実施されると現況の自然への回帰がほぼ不可能」という悲鳴なのだ。

石井啓一よ、公明党よ。「安全保障こそが公共の利益、ウミガメやサンゴやジュゴンどころではない」などとのたもうてはならない。ウミガメもジュゴンも、人類を包み込んでいる生態系の貴重な一部なのだ。失われた自然環境や生態系は回復不可能ではないか。審査請求にたいする裁決が出るまでの間、広大な海を破壊し尽くす、あの工事をストップせよ。執行停止の名による環境破壊の続行を認めてはならない。

いま、環境保全・生態系維持は錦の御旗だ。この理念に反感を持つものはいない。逆らえる者はない。これを尊重せよ。ピンチをチャンスに変えよ。安倍晋三には、「法の原則と環境保全の重要性からこうなりました。長い目で見ればこの方が内閣支持率の向上につながりますよ」と報告すれば済むことではないか。さすれば、石井の名が上がる。公明党の支持率も上向くことになるだろう。

でなければ、公明党がどこまでも自民党の下駄の雪であり、公明党出身閣僚も同じ穴のムジナであることを天下にさらけ出すことになる。石井の名を下げ、公明党の支持率をさらに急降下させることになるだろう。
(2015年10月14日・連続927回)

街頭で訴えるー「立憲主義・民主主義・平和主義破壊に対する怒りを忘却してはならない」

本郷三丁目交差点をご通行中の皆さま、「本郷・湯島九条の会」からの訴えです。少しの時間、耳をお貸しください。

95日もの会期延長をした、異例ずくめの通常国会が幕を閉じました。この国会で、安倍政権と自公両党は、私たち国民が大切にしてきた、かけがえのない三つの宝を深く傷つけました。

その一つは、立憲主義。
もう一つは、民主主義。
そして、恒久平和主義。

安倍政権は、立憲主義を蹂躙し、民主主義を踏みにじり、恒久平和主義を侵害したのです。あらためて、安倍晋三とその取り巻きに、そして自民・公明の与党に対し、満腔の怒りをもって抗議します。

いうまでもなく、我が国は憲法に基づく政治を標榜しています。憲法の手続によって政治権力が形作られ、憲法が権力の暴走なきよう制約しています。立法・行政・司法のすべての分野における国家の権力作用は、憲法に基づかねばなりません。

ところが、安倍晋三とその一味は、憲法9条が邪魔でしょうがない。日本を戦争のできる国に作りかえようとたくらんできました。本来、そのためには憲法自身が定める憲法改正手続を経るしか方法はありません。しかし、それは国民世論が許さぬことで、およそ現実性がないと悟らざるを得ませんでした。

そこで安倍は、抜け道を考えました。まず、憲法改正の手続条項を変更して、改憲のハードルを下げようとしたのです。ところが、このたくらみが世論の反撃に遭って大失敗。「プレーヤーがルールを変えようとは僭越至極」「やり方が汚い。姑息」「裏口入学的やり方ではないか」。悪評散々で引っ込めなければならなくなりました。これが一昨年の春から夏にかけてのこと。

それでも彼はあきらめず、別の手を考えました。「たまたま今、議会内の議席数は与党で圧倒的多数を占めている。それなら、法律で憲法9条を実質的に変えてしまおう」。昨年の7月1日、閣議決定で集団的自衛権行使容認を宣言し、これに基づく法案をこしらえました。憲法を壊す、下克上の法律。戦争法を無理矢理成立させることで、立憲主義を蹂躙したのです。

そして皆さん。先月17日夕刻のことを思い出してください。あの特別委員会の採決の模様を。いや、正確には採決などはなかった。採決と称する怒号と混乱の模様を。

私は、「人間かまくら」という言葉をこのとき始めて耳にしました。委員長を取り巻いて、野党の抗議を遮断したあの人間かまくらを作った人たちは、特別委員会の与党委員ではなく、自民党議員の秘書連中だったというではありませんか。ルール無視。力づくでの採決もどきの混乱を、採決あったとしたのです。

もちろん、速記録には、「発言する者多く、議場騒然、聴取不能」とだけ書かれていました。採決不存在というほかはないのです。ところが、10月11日になって、速記録に加筆が行われた。11の法案について、「質疑を終局した後、いずれも可決すべきものと決定した」「なお、両案について附帯決議を行った」というのです。あの混乱のなか、それはあり得ない。明らかな捏造です。これは、民主主義を踏みにじる暴挙と指摘せざるを得ません。

このようなやり方で成立したとされた戦争法は、憲法の恒久平和主義を侵害する内容です。この11本の法律を束にして、政府与党は「平和安全法制」と呼んでいます。また、マスコミの多くは「安全保障法制」、略して「安保法制」という言葉を使っています。しかし、この法律に反対する私たちは、ズバリ「戦争法」と名付けました。一定の要件が整えば、日本も戦争をすることができると定める法律だから戦争法。文字どおり、日本を戦争のできる国とする法律だから、戦争法なのです。

平和憲法は一切の戦争と武力行使を禁じたはずではありませんか。最大限譲歩しても、現に侵略を受けた場合の自衛のための武力行使容認に限られる。それ以外の戦争も武力の行使もできるはずがない。そのような常識で、戦後70年を過ごしてきた日本ですが、トンデモナイ安倍内閣は、自衛のための武力行使に限らず、集団的自衛権行使を容認する法を成立させたのです。他国の戦争を買ってまで、戦争に参加しようというのです。

私たちは70年前、戦争の惨禍を繰り返さないことを誓って、平和国家日本を再生しました。そのとき、なぜあのような悲惨で無謀な戦争をしてしまったのか、十分な反省をしたはずです。その答の一つが、民主主義の不存在でした。戦前、国民は主権者ではなく、統治の対象たる臣民でしかありませんでした。自分たちの運命を自分たち自身で決めることのできる立場になかったのです。情報に接する権利も、意見を発して政治に反映させる権利も、まことに不十分でしかありませんでした。民主主義がなかったから、戦争に突き進んでしまったのです。

今まだ私たちは民主主義を失ってはいません。今からでも遅くはありません。主権者として、戦争を可能とする戦争法廃止を強く求め、平和を壊す安倍政権にノーを突きつけましょう。私たちは、選挙の日一日だけの主権者ではない。いま、安倍政権は、選挙によって多数の支持を受けたとする傲慢をひけらかしていますが、戦争法成立には多くの国民の怒りが沸騰しています。

この怒りを忘れず持続しようではありませんか。来年7月に行われる参議院選挙まで、怒りを持ち続け、この選挙にぶつけようではありませんか。

水島朝穂さんが、ヒトラーの「わが闘争」に、「大衆の理解力は小さいが、その代わり忘却力は大きい」「宣伝はこれに依拠せよ」というくだりがあると指摘しています。いま、安倍晋三もヒトラーを真似して、国民の忘却に期待し、依拠しようとしています。しかし、安倍に言いたい。「主権者を『忘却力が大きい』と舐めてはならない」と。

私たちは反安倍勢力を総結集して、自公両党との選挙戦を勝ち抜こうという試みに賛意を表します。立憲主義・民主主義・平和主義の破壊に加担した、自民・公明そして、次世代、改革・元気各党の議員の落選運動を始めようではありませんか。国民自身のこの手で、立憲主義・民主主義・平和主義を再構築しようではありませんか。
(2015年10月13日・連続926回)

「次選挙2度と間違いいたしません」ー投句川柳欄に見る戦争法批判の国民世論

「仲畑万能川柳」(略して「万柳」)欄は、毎日新聞の名物である。川柳こそは庶民の文藝。俳句という高踏趣味に畏れをなす人も、川柳となれば親しめる。誰だってちょっと指を折ってみたくもなる。だから投句川柳欄を持つ紙誌は数知れない。その中で、専門誌は別として、毎日「万柳」欄の規模を凌駕するものはないだろう。質も高い。

とはいうものの、「万柳」欄の時事・政治ネタの量と質はイマイチなのだ。最大の欠点は紙面掲載が遅いこと。せっかくの素材の鮮度が落ちて、伸びた蕎麦状態での掲載となることがしばしばである。

それでも、この度の戦争法問題、ようやく万柳欄を賑わしている。10月10日(土)と11日(日)の掲載句全36句を、勝手にネタ分類して並べ直してみる。

☆政治ネタ(20句)
 強行が破壊していく民主主義   神戸 中林照明
 多数決そこまでやっていいんかい 大阪 佐伯弘史
 多数決なんでも出来ます違憲でも 太宰府 可坊
 頭数最も発揮される国会(とこ)  矢板 次男坊
 ねじれてたほうがよかった国会は 湖西 宮司孝男
 丁寧な説明聞かず会期終え    千葉 びんちゃん
 次選挙2度と間違いいたしません 射水 江守正
 中国に?アメリカにでしょ負けたのは 香芝 シャウザウ
 美容院初めて政治談議した    東京 寿々姫
 学生の褌借りる民主党       西脇 八重子の子
 1年も経てば忘れるさと自民    湖西 宮司孝男
 平和の党支持母体にも背を向ける 横浜 クロさん
 いわゆると断固で出来た安保法  中間 哀路兄
 ならぬものならぬと言えぬ法制局 生駒 鹿せんべ
 じいちゃんが赤紙のこと話し出し  糸島 宮崎善輝
 訪米とゴルフが好きな安倍総理  東京 ほろりん
 自民党ナンバーツーが見当たらず 越谷 小藤正明
 侍(もののふ)は野田氏一人か自民党 安中 坂東太郎
 沖縄の返し忘れたままの空    八王子 佐々木冬彦
 責任は誰にも無くて稼働する   春日井 斎藤清美

☆国際ネタ(2句)
 この国に生まれただけでもうけもん 会津若松 遠藤剛
 難民にやっぱし神は不平等     大崎 髀肉嘆

☆五輪スポーツ・ネタ(8句)
 東京で出た世界新建設費      仙台 はらほろひ
 新しいことば覚えたエンブレム   福岡 鳥の声
 ベルギーと聞いて連想エンブレム  福岡 ナベトモ
 エンブレムグリコの下に五輪入れ  泉佐野 興好爺
 マイナンバーカードデザイン大丈夫? 秦野 マッキー
 五郎丸初めて知って初めて見    津 紅金魚
 ラグビーで三大新聞スポーツ紙   横浜 ジラム  
 真央の名をスピンさせても真央と見え 柏原 ミストラル

☆企業ネタ(2句)
 あんなテがあったかさすがVW   鴻巣 雷作
 東芝を見限りそうなサザエさん   和歌山 かぎかっこ

☆結婚ネタ(2句)
 福山が結婚ライバルひとり減り   名古屋 伊藤昌之
 わが妻は福山などに動じない    横浜 おっぺす

☆ノンジャンル(2句)
 何もない戦後にあった解放感    福岡 猫懐
 カレンダー見てるよに咲く彼岸花  鎌ケ谷 ありの実

いつもは満載の社会ネタ、職場ネタ、家族・夫婦ネタ、老齢ネタ、学校ネタ、恋愛ネタがなく、圧倒的に政治ネタ。それも、戦争法への批判が大多数。政治ネタに次いで五輪ネタの句数が多いが、さして面白い句はない。

野暮は承知で、少々の解説をこころみたい。

 強行が破壊していく民主主義   
 多数決そこまでやっていいんかい 
 多数決なんでも出来ます違憲でも 
 頭数最も発揮される国会(とこ) 
 いわゆると断固で出来た安保法  
 丁寧な説明聞かず会期終え    
 中国に?アメリカにでしょ負けたのは 

以上7句は、安倍内閣と自公による民主主義の形骸化と立憲主義の破壊を弾劾している。「アメリカにでしょ」の句は、戦争法提案の根拠とされた中国敵視政策への批判。これを採用した選者のセンスは見上げたもの。

批判さるべきは安倍だけではない。与党の数の暴力を可能としたのは選挙民である。そこで、
 ねじれてたほうがよかった国会は 
という嘆きとなり、
 次選挙2度と間違いいたしません 
と反省することになる。自公候補に票を投じたことは疑いもなく間違いだったのだ。この国民の反省と、
 1年も経てば忘れるさと自民
という自民(公明も)のうそぶきとの勝負となる。まずは、来夏の参院選で切り結ばねばならない。

注目すべきは、戦争法案反対運動の広がりである。
 美容院初めて政治談議した    
 じいちゃんが赤紙のこと話し出し
 
普段はオシャレ談義をする場で、この度は「戦争怖いね」「安倍さんってイヤな感じ。アブナイね」と話しが弾んだという。また、これまで黙していたじいちゃんも、いよいよ語らねばならぬときと悟ったというのだ。

 学生の褌借りる民主党      
これは、シールズの活躍へのコメントたが、投句者も選者も小意地が悪い。

そして安倍・自民党への批判が
 訪米とゴルフが好きな安倍総理  
 自民党ナンバーツーが見当たらず 
 侍(もののふ)は野田氏一人か自民党
 
野田聖子を党内唯一のもののふと言う。すると他はすべからく怯懦の徒か。
公明党への批判は、
 平和の党支持母体にも背を向ける 
法制局への批判もある。
 ならぬものならぬと言えぬ法制局 

戦争法以外の政治ネタは、沖縄と原発である。
 沖縄の返し忘れたままの空    
 責任は誰にも無くて稼働する   

以前の句で、次のようなものもあった。いずれもぎょっとさせる内容。
 政治家がみんな軍服着てる夢      鎌倉 狩野稔
 戦士にはさせぬと母は男(お)の子抱く 寝屋川 きよつぐ

この万能川柳欄に表れている庶民の感覚は健全である。明らかに今世論は、安倍政権と自公与党の暴走に怒り、あるいは危うさを感じている。前回選挙で与党に議席を与えすぎたことを反省し、次は与党に票をやりたくないと考えている。この怒りや危惧を持続できるか否か、それが我が国の民主主義の歴史に大きな影響を与えそうなのだ。

なお、本日(10月12日)の万柳欄は、通常モードに戻った。
時事・政治ネタは、次の一句のみ。
 バカだなアなんで戦争したと孫   西宮 B型人間

そのとおりだ。子や孫から「バカだなア」と言われぬように、「アベ政治を許さない」運動をしっかりとやり遂げたい。
(2015年10月12日・連続925回)

これが「親密な同盟国・アメリカ」の戦争だ?映画「ドローン・オブ・ウォー」の恐怖

久しぶりに映画館に足を運んだ。観たのは「ドローン・オブ・ウォー」。作品としての出来よりは、この戦闘がフィクションではなく事実であることという重みに圧倒された。これが、戦争法で日本と固く結ばれた「同盟国アメリカ」の無法の実態だ。一見をお勧めしたい。

アフガニスタンの「テロリスト」に対する「標的殺害」が、12000キロ離れたアメリカ本土で行われている。現地では、上空遙かにドローン(機種はプレデター)が地上を旋回しつつ標的の監視を続ける。そのドローンに操縦者の姿はなく、操縦桿を握って標的にミサイルを撃ち込むのは、ラスベガス空軍基地の冷房の効いたコンテナのなかの「パイロット」たち。そのアメリカ空軍兵士たちは、眉ひとつ動かすことなく、淡々と指1本で標的殺害の任務を遂行していく。害虫をひねり潰すように。観客の背筋は凍るが、これは近未来空想物語ではなく、現実に現在アメリカ軍が行っていることだという。この作品の映画化にはスポンサーがつかず、アンドリュー・ニコル監督が苦労して自分で資金集めをした。さもありなんという内容だ。興行的な成功を願わざるを得ない。

主人公はもとF-16戦闘機パイロットの空軍少佐。朝、子どもたちを学校に送ったあと自家用車で出勤し、階級章をつけた軍服を着て8時間の戦闘任務に就く。勤務の後には美しい妻の待つマイホームへ帰宅する。

戦闘はモニターとコントローラーで行われ、テレビゲームと寸分変わらない。戦闘につきものの汗と血も飛び散らないし、すざましい爆音もない。巻き上がる爆風は画像の中だけのこと。静かに行われる一方的虐殺である。一瞬のうちに殺された者には何が起こったかわからない。非対称戦闘の極限の図だ。

先日、ドローン攻撃ではないが、アフガニスタン北部のクンドゥスで「国境なき医師団」の病院が空爆され33人もの死者が出たという報道があった。抗議を受け、10月6日アフガン駐留米軍司令官が誤爆を認め、米国防総省長官が犠牲者に深い遺憾の意を表した。治療と安全の場であるはずの病院において、血や肉が飛び散り、轟音が響く阿鼻叫喚の光景が繰りひろげられた。国境なき医師団は「ここは病院だ、攻撃をやめろ」と1時間にわたって連絡をとったが無駄だったと言っている。

映画の中でも、主人公の逡巡を無視し、戦争犯罪ではないかという不安を押しつぶす命令が出される。テロリストとされた標的だけでなく、その家族、攻撃後に救助に集まってきた非戦闘員、女性や子ども、葬列に集まってきた人々までも、容赦なく殺害される。「不都合な攻撃については記録を残すな」という命令さえ頻繁に出される。国境なき医師団の抗議で2015年10月3日のアメリカ軍の殺害攻撃の不当性は世界に広く知られたが、開戦以来人知れず殺害されたその他の民間人犠牲者の数は想像を絶する多数にのぼるようだ。そのなかには、ドローンによる容赦ない攻撃の犠牲者も数多くいるだろう。

良心のかけらが残っていた主人公は、自らが安全な立場で屠殺同然の戦闘をすることに耐えられず、戦地勤務を希望するが叶えられない。そして、徐々にPTSD(心的外傷後ストレス傷害)におちいる。子どもを抱きしめながら、庭でバーベキューパーティをしながら、どこまでも晴れ渡るロスアンジェルスの青空を不安げにみあげる。アフガンの人たちは空爆を恐れて、空が曇ることを願って生きているという。

その後主人公にはお定まりの家庭崩壊がおこる。しかし、主人公が退役してもピンポイント戦闘の空軍志願兵は、いくらでもゲームセンターでスカウトできるという。実戦の経験などいらない。3,4日のゲーム指導で安全に闘う空軍兵士は大量生産できるのだ。少しでも想像力と人間性があり、戦闘に耐えられない者はふるい落とされ、精神異常のサイコパス連中だけが残っていく。

「我々がアメリカをテロリストから守っているのだ」「我々が攻撃をやめても相手がやめるはずはない」「しかし、我々の攻撃がさらなるテロリストをつくり出している」「そのうち自爆テロをしている者や子どもも我々同様ドローンを持つだろう」「お互いに終わりの無い殺しあいを永遠に続けなければならない」という映画の中の会話が不気味だ。アメリカがコンピューター戦争を続ければ、中東のテロリストだけでなく、必要とあらば、ロシアも中国も北朝鮮もドローン戦争に参加するだろう。

インドは、アメリカのドローンをコンピューター操作によってほぼ無傷で捕獲し、その能力を誇示した。インドも、ドローン戦争に参戦することになるかもしれない。核戦争よりずっと殺しのハードルは低いのだから、世界中で「ドローン・オブ・ウォー」が繰りひろげられる時代が来るかも知れない。

戦争法を持つに至った日本である。他国から敵とみなされる事態となれば、見上げた空が晴れていれば、攻撃を覚悟しなければならない不安な日々が待っている。映画「天空の蜂」ほど大仕掛けな脅しなど必要ない。敵国やテロリストのドローン一機と指一本に震え上がらなければならないことになる。恐ろしい現実だ。
(2015年10月12日・連続924回)

小渕優子議員の法的責任ー違憲議員落選運動に関連して考える

昨日(10月9日)、小渕優子議員の元秘書2名に対する政治資金規正法違反(虚偽記載など)被告事件の判決が言い渡された。東京地裁(園原敏彦裁判長)は、被告人・折田謙一郎(群馬県中之条町の前町長)に禁錮2年執行猶予3年(求刑禁錮2年)、被告人加辺守喜(小渕議員の資金管理団体の元会計責任者)に禁錮1年執行猶予3年(求刑禁錮1年)の判決を言い渡した。

「判決によると、両被告は小渕氏の資金管理団体『未来産業研究会』(東京)の2009?13年分の政治資金収支報告書で、未来研から地元・群馬側の政治団体に計約5600万円の寄付があったように装ううその記載をした。また、折田被告は群馬側の政治団体の収支報告書でも、計約2億円のうその記載をするなどした。」(朝日)

同裁判長は「政治資金の収支について、国民の疑惑を回避できさえすればいいとする姿勢が垣間見え、厳しい非難に値する」「政治活動に対する国民の監視と批判の機会をないがしろにする悪質な犯行」と述べたという。私には、この裁判所の「国民の監視と批判の機会」という指摘が、たいへんに心強い。

戦争法案に賛成した違憲議員の落選運動が話題となっている今、改めて政治資金規正法第1条を掲げておきたい。まずは、この条文を熟読玩味しなければならない。

第1条(目的) この法律は、議会制民主政治の下における政党その他の政治団体の機能の重要性及び公職の候補者の責務の重要性にかんがみ、政治団体及び公職の候補者により行われる政治活動が国民の不断の監視と批判の下に行われるようにするため、政治団体の届出、政治団体に係る政治資金の収支の公開並びに政治団体及び公職の候補者に係る政治資金の授受の規正その他の措置を講ずることにより、政治活動の公明と公正を確保し、もつて民主政治の健全な発達に寄与することを目的とする。

法は、「国民の不断の監視」の条件を整える。「不断の監視」の上の批判は、主権者国民がそれぞれになすべきことだ。そのことを法が期待していると言うべきであろう。

ところで、小渕優子の秘書2人は有罪になった。議員自身はどう責任を取るのか。また、国民がその責任をどう追及するか、それこそが問題ではないか。

私は、これまで小渕を「ドリル姫」と呼んできた。「東京地検特捜部が(14年)10月に小渕氏の関係先に家宅捜索に入る以前に、関係先にあったパソコンのハードディスク(HD)が壊されていたことが、関係者への取材で分かった。一部のパソコンのHDは電気ドリルで穴が開けられた状態で見つかった」(毎日)からである。わざわざ、ハードディスク(HD)をドリルで破壊することは通常あり得ない。証拠隠滅の意図からなされたとするのが常識的な考え方。今回、その責任についての報道がないのが気にかかる。

しかし、ドリル姫の呼称は引っ込めてもよい。今後は、尻尾2本を切って生き延びようとしている「トカゲ姫」ではどうだろうか。

本日の各紙の中では、毎日と読売の社説がこの問題に触れている。読み較べて、さすがに毎日の社説に説得力があるが、この問題に限っては読売の姿勢も悪くない。なかなかの迫力。タイトルは、「元秘書2人有罪 小渕氏はいつ説明するのか」と、小渕優子の責任を徹底して追求している。

冒頭の一文が、「議員自らが説明責任を果たしていない中で、元秘書への判決が出た。閣僚を2回も務めた政治家として、みっともないと言うほかない。」というもの。

そう、小渕優子は「みっともない」のだ。分かり易く、言い得て妙である。「小渕氏自身は嫌疑不十分で不起訴となったが、実態を見過ごしてきた責任は極めて重い。」「小渕氏は昨年10月の経産相辞任の際、『説明責任を果たす』と約束した。それから約1年が経過しながら、自らの口で説明していないのは、どうしたことか。」と、読売社説も手厳しい。

読売社説の結論はこうだ。
「政治資金を巡る問題が浮上する度に、『知らなかった』『秘書に任せていた』といった政治家の弁明が繰り返されてきた。その姿勢が、国民の政治不信を増幅させたのは否めない。政治家が自らの政治資金の流れに責任を持つよう、政治資金規正法にも、公職選挙法のような連座制の導入を検討すべきだろう。」

一方、毎日である。タイトルは、「元秘書有罪 小渕氏の重い政治責任」
小渕自身の責任を次のように、まとめている。
「問題の表面化から約1年になる。小渕氏は弁護士ら第三者にまず調査を委ね、自ら説明責任を果たすと約束した。だが、約束はいまだ果たされていない。」
「巨額の簿外支出の使途は何だったのか。報告書に目を通し、秘書たちを指導・監督する政治家としての役割をなぜ放棄してきたのか。」

そして、かなり具体的に問題が小渕だけに留まるものでないことに言及する。
「小渕氏の関係政治団体では、父の故恵三元首相時代から、飲食・交際費の簿外支出が行われ、これを具体的な使途の説明がいらない『事務所費』に紛れ込ませて処理してきたとされる。しかし、国会議員の不適切な事務所費問題が発覚して以後、こうした処理が難しくなり、今回のような関係団体を使ったつじつま合わせが始まったという。」
「他の議員事務所でもこうした処理が行われているとの指摘がある。」
「国会はそうした疑念を呼ばぬよう、でたらめな処理の抜け道をふさぐ方策を考えなくてはならない。」
「1人の政治家が複数の政治団体を持ち、その間で資金移動できる制度が適切なのか。資金移動が必要だとしても、それを公開してチェックできるようにする仕組みが不可欠だ。」
「また、こうした事件のたび、秘書だけが刑事責任を問われ、事件の幕が引かれることでいいのか。」

そして、最後をこう締めくくっている。
「会計責任者の選任・監督に『相当な注意を怠った場合』しか政治家が罰せられない現行法のハードルが高すぎる。少なくとも秘書や会計責任者の有罪が確定すれば、一定期間、政治家本人の公民権を停止して政治の舞台から退場させるべきだろう。」

両社説とも、現行法での小渕の法的責任追求は困難との前提での政治資金規正法改正の提案となっている。具体的には、会計責任者が有罪になっ場合の、当該管理団体代表者となっている議員ないし候補者の公民権を停止する連座制の創設である。大歓迎だ。是非、実現してもらいたい。

しかし、このことは現行法でも可能なのだ。
政治団体(当然に、資金管理団体を含む)の会計責任者に収支報告書に虚偽記載等の犯罪が成立した場合、「代表者が当該政治団体の会計責任者の選任及び監督について相当の注意を怠つたときは、50万円以下の罰金に処する。」(政治資金規正法第25条第2項)と定める。秘書2人が会計責任者として有罪になったのだから、その選任及び監督について相当の注意を怠つたとされれば、代表者・小渕優子の犯罪も成立する。

しかも、この政治団体の責任者の罪は、過失犯(重過失を要せず、軽過失で犯罪が成立する)であるところ、会計責任者の虚偽記載罪が成立した場合には、当然に過失の存在が推定されてしかるべきである。資金管理団体を主宰する政治家が自らの政治資金の正確な収支報告書に責任をもつべき注意義務が存在することは当然だからである。

当該代表者において、特別な措置をとったにもかかわらず会計責任者の虚偽記載を防止できなかったという特殊な事情のない限り、会計責任者の犯罪成立があれば直ちにその選任監督の刑事責任も生じるものと考えてしかるべきべきである。

なお、資金管理団体を主宰する議員・小渕優子が有罪となり罰金刑が確定した場合には、政治資金規正法第28条第1項によって、その裁判確定の日から5年間公職選挙法に規定する選挙権及び被選挙権を失う。その結果、小渕は公職選挙法99条の規定に基づき、衆議院議員としての地位を失うことになる。

以上の措置は、現行法でも可能なのだ。問題は、政治資金規正法25条2項適用のハードルが運用上高くなっているというだけのことである。しかし、毎日社説が言うとおり、「会計責任者の選任・監督に『相当な注意を怠った場合』しか政治家が罰せられない現行法のハードルが高すぎる。」のであれば、政治家無過失でも公民権を失わしめる連座制を創設することが望ましいのは当然のことである。

政治資金規正法をその目的規定に沿うべく厳格に改正して、遷座制導入には大いに賛成するにしても、法改正までは政治家の責任を追及することが困難だと躊躇するようなことがあってはならない。落選運動では、現行法を徹底して活用しよう。
(2015年10月10日・連続923回)

澤藤統一郎の憲法日記 © 2015. Theme Squared created by Rodrigo Ghedin.