澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

水に落ちそうな安倍を打て

安倍晋三とは、日本国憲法に限りない憎悪をもつ人物である。憲法改正こそが彼の終生の悲願にほかならない。日本国の首相としてこの上なくふさわしからぬこの人物が首相の任についている。憲法擁護義務を負う首相であるにかかわらず、憲法の平和主義に敵意を露わにし、戦後レジームからの脱却を呼号している。9条の改憲が無理なら、議席の多数を恃んでの解釈改憲・立法改憲のたくらみに余念が無い。こうして安倍は特定秘密保護法を成立させ、今戦争法を成立させようと躍起になっている。

私たち国民の側の課題は、戦争法案を廃案に追い込むことと安倍内閣を打倒することの2点となっている。この2点は分かちがたく一体となった課題なのだ。澤地久枝の依頼によって金子兜太が筆をとったという「安倍政治を許さない」が時代のスローガンととして定着しつつある。許されざる安倍政治とは、あらゆる分野に及んでいるが、何よりも憲法を破壊し平和を蹂躙する「戦争法案」の成立を許してはならない。

安倍政権の危険性と、戦争法の危険性。その両者がともに国民の間に広く深く浸透しつつある。安倍政権にかつての勢いはない。相当のダメージを受けてふらふらの状態となっている。が、いまだにダウンするまでには至っていない。「水に落ちた犬は打て」というが、まずは水に落とさねばならない。ようやく水辺にまでは押してきた。もう一歩で水に落とすことができそうではないか。大きな世論の批判で、安倍を水に落とそう。

世論調査で、「戦争法案に反対」は圧倒的多数だ。しかし、これだけでは安倍政権に廃案やむなしと決断させるには十分でない。むしろ強行突破の決意をさせることになりかねない。政権の側に、「反対運動の高揚は法案の成立までのこと。法案が成立してしまえば、みんな諦めるさ」という国民への見くびりがあるからだ。

今は何よりも、安倍内閣の支持率を低下させることが重要だ。30%の危険水域以下となれば、水に落ちた犬状態といってよいだろう。

さらに、重要な指標が与党である自民・公明両党の支持率だ。安倍政権の支持率低下の顕著さに比較すると、自民党支持率低下の傾向はさほどではない。これに火がつけば、事態は大きく変わることになるだろう。今でも腰の引けている自民党参議院議員が、安倍を見捨てることになるからだ。法案を批判し、内閣を批判し、与党を批判する。このことによって法案を廃案に追い込む展望が開けつつあると思う。議席の数がすべてを決めることにはならないのだ。

安倍政権のヨタヨタぶりは、国立競技場建設計画の白紙撤回となって表れた。次いで、辺野古新基地計画の凍結である。仙台市議選での「自民党後退、共産党前進(3人トップ当選)」の結果も手痛い。8月6日広島平和記念式典での非核三原則言及せず問題もあり、70年談話も安倍カラーは押さえこまれそうな雲行き。TPPも思惑のとおりには行かない。埼玉知事選も、川内原発再稼働への風当たりも強い。そこに、礒崎や武藤のオウンゴールが重なる。安倍晋三、こころなし精気に欠ける。疲れ切った表情ではないか。相当にこたえているのだろう。

さらに今日になってのできごとだ。今月20日に告示9月6日投開票予定の岩手県知事選挙に立候補を表明していた、元復興大臣の平野達男参議院議員が立候補を取り消した。相当にみっともない戦線離脱なのだ。そして、政権への痛手である。

平野達男は、民主党政権の復興大臣との印象が強いが、今は民主党を離脱して無所属の参議院議員。今回は自民・公明の推薦で立候補表明をして、現職達増拓也との保革一騎打ちの構図が描かれていた。100万を超す県内有権者を対象に、自民・公明の与党連合と、民主・生活に共産までくっついた野党連合との票の取り合い。戦争法案の賛否を問うミニ国民投票の様相であった。

ところが、このところ自・公の評判がすこぶる悪い。自民党独自の最新世論調査シミュレーションでは、ダブルスコアの水が開いたという。戦争法案参院審議のヤマ場に、与党がダブルスコアで野党連合に敗北ではなんとも惨めなことになり、法案成立の大きな支障になる。「だから平野達男君、立候補はおやめなさい」と声がかかったのだ。結局は現職達増の無投票当選という白けた結果となる。

本日の平野の立候補記者会見では、平野はあけすけに「国の安全保障の在り方が最重要課題へと浮上し、県政の在り方が論点になりづらい状況が生じてきた」と述べたという。翻訳すれば、「知事選でありながら、戦争法案の賛否を問うワンイシュー選挙になりそうで、そうなれば自公に推された立場で勝てるわけがない」ということなのだ。

加えて、参議院議員である平野が知事選に立候補すれば、参院選の補選をしなければならない。これが10月になるが、この選挙も自公の衰退を天下にさらけ出すことになるというのが、「立候補はおやめなさい」のもう一つの理由だったという。ダブルの敗戦を避けて、不戦敗を選んだというわけだ。

これまでは、こう報道されていた。
「衆院での安保法案の強行採決に対する世論の反発が広がり、法案を推進する与党側にとって逆風となっている。県内各地であいさつ回りを重ねる平野氏も『法案に対する反応は厳しい。自民の支援をなぜもらったのかと聞かれることもある。国政と県政は別のことと説明すれば理解はしていただいている』と話す。参院で審議入りした安保法案について平野氏は『慎重な審議が必要』との考えだ。
一方、達増陣営は『法案は違憲』との立場を前面に出し、強行採決した与党陣営が推す平野氏と、反対の野党勢力の対立構図を強調する。達増氏は後援会の集会などで『県民が正しい選択をすることで国政も変えられる』と訴え、安保法案の是非を問う主張を繰り広げている。」(
朝日・岩手版)

明らかに、安倍と距離を置いた戦争法案反対がプラスイメージ、安倍にベッタリはマイナスイメージとなって、立候補すら見送らざるを得ないのだ。

9月6日投開票の岩手県知事選はなくなった。しかし、岩手県議選は同日投開票される。戦争法案推進勢力と反対勢力の票の奪い合いがどうなるか。100万有権者の審判を待ちたい。

岩手だけではない。アチラもコチラも、安倍に冷たく、憲法に暖かい風が吹いている。
(2015年8月7日)

安倍晋三 ヒロシマの憂鬱

1945年8月6日午前8時15分。広島に投下された原子爆弾が炸裂したそのとき。その時刻こそが人類史を二つに分ける瞬間である。これこそが人類史上最大の衝撃の事件。悲惨きわまりない大量殺戮。人類は、核エネルギーという、自らを滅ぼすに足りる手段を獲得したことを自らに証明したのだ。

その大事件から、今日がちょうど70年。広島の平和記念式典には55000人が参列した。海外からの参加も、過去最多の100か国を超えるものだった。

松井市長が核兵器を「絶対悪」と呼んでその廃絶を訴えた。
「人間は、国籍や民族、宗教、言語などの違いを乗り越え、同じ地球に暮らし一度きりの人生を懸命に生きるのです。私たちは『共に生きる』ために、『非人道性の極み』、『絶対悪』である核兵器の廃絶を目指さなければなりません。」

さらに注目すべきは次の一節である。
「今、各国の為政者に求められているのは、『人類愛』と『寛容』を基にした国民の幸福の追求ではないでしょうか。為政者が顔を合わせ、対話を重ねることが核兵器廃絶への第一歩となります。そうして得られる信頼を基礎にした、武力に依存しない幅広い安全保障の仕組みを創り出していかなければなりません。その実現に忍耐強く取り組むことが重要であり、日本国憲法の平和主義が示す真の平和への道筋を世界へ広めることが求められます。」

最前列に位置していた、安倍晋三の耳にはこう聞こえたのではないだろうか。
「今、日本の首相に求められているのは、『人類愛』と『寛容』を基にした国民の幸福の追求ではないでしょうか。けっしてナショナリズムの鼓舞でも近隣諸国の危険をあげつらう煽動でもありません。近隣諸国の為政者と顔を合わせ、対話を重ねることが核兵器廃絶への第一歩となります。そうして得られる信頼を基礎にした、武力に依存しない幅広い安全保障の仕組みを創り出していかなければなりません。けっして、武力に基づく積極的平和主義の鼓吹や、切れ目のない防衛体制の構築の宣伝ではないはずです。日本国憲法の平和主義が示す真の平和への道筋を世界へ広めることが切実に求められています。憲法の平和主義を蹂躙して集団的自衛権の行使を可能とする戦争法案を制定するなどは、戦争で亡くなった多くの人たちやそのご遺族の平和への願いを踏みにじる暴挙ではありませんか」

安倍晋三という人物、とてつもなく心臓が強い人なのだろう。それにしても居心地が悪かったに違いない。6月23日の沖縄全戦没者慰霊祭と同様、多くの参列者からの敵意を感じたことだろう。あのときには「何しに来たか」「戦争屋」「帰れ、帰れ」という罵声が浴びせられたことが話題となった。おそらく今日も同様の罵声を覚悟での式典参列だったろう。どのくらいの野次や罵声があったかはよく分からない。「戦争法案反対」「安倍内閣打倒」のスローガンを叫んだデモの洗礼は受けたようだ。

被爆者らが式典後の安倍晋三と面談した。被爆者側が、戦争法案について、「憲法違反であることが明白」「長年の被爆者の願いに反する最たるもの」として撤回を要望した。これに対して、首相は「不戦の誓いを守り抜き、紛争を未然に防ぐものであり、国民の平和を守り抜くためには必要である」と述べたと報道されている。また、首相はここでも「国民の皆さんの意見に真摯に耳を傾けながら、分かりやすい説明をしていく」と応えたという。

問題点が明確になってきた。松井市長が平和宣言の中で述べた「武力に依存しない安全保障」の考え方と、安倍首相のいう「専守防衛を越えた切れ目のない防衛力の整備こそが抑止力となって平和をもたらす」という倒錯した思考とのコントラストである。安倍流抑止論は、自国の軍事力は強ければ強いほど抑止力になって平和をもたらす。この考え方は、核こそが最大の抑止力であり、最大の平和の担保だとなりかねない。

あ?あ、ホントはボク、ちやほやされるのが大好きなんだ。無視されたり、罵声を浴びせられたり、「カエレ、カエレ」とやられるのは、相当にこたえる。そりゃボク戦争は好きだよ、だけど「戦争屋」って言われるのは明らかに悪口だから面白くはない。何しに来たかって? 職務上来ないわけには行かないんだ。部下の書いた原稿を読みに来ただけさ。あの原稿の中でボクの意見が反映されているのは非核三原則の言葉をはぶいたことくらい。核こそ究極の抑止力だもの。日本人の核アレルギーを少しずつ正常化しておかなきゃならない。少しずつ国民をならしていかなとね。でも、職務を離れたら二度とこんなところには来たくない。ホントは右翼の集会に行きたいんだ。そこなら、みんな仲間として温かく迎えてくれる。ちやほやしてくれるもんね。

東京に帰ってきたら、もひとつ、イヤなことが待っていた。ボクが見つくろって人選した「戦後70年談話・有識者懇談会」の報告書だ。ボクが本心大嫌いなことは知っているくせに、「侵略」や「植民地支配」なんて言葉が並んでいる。なんのための諮問なのか、あの連中わからんのかね。以心伝心とか、アウンの呼吸とか。分かりそうに思ったんだけど。もしかしたら、沈みそうな船に見切りをつけて、みんなボクの船から逃げだそうとしているのかな。なんだか、トモダチがだんだん減っていきて、淋しいし心細い。

ようやく広島の6日が終わったら、次は9日の長崎が待っている。少し前までは、「怒りのヒロシマ」「祈りのナガサキ」といわれたものだが、最近の長崎は遠慮がない。また何か言われるんだろうから、ホントは行きたくない。でも、行かないともっともっと叩かれる。ほんに、総理も楽じゃない。
(2015年8月6日)

天皇の戦争責任を論じることに臆してはならない

8月には戦争について、思い、語り、考えなければならない。一億国民のすべてを巻き込んだだけでなく、その10倍を遙かに超える近隣諸国の民衆に計り知れない悲惨をもたらしたあの戦争。まずは、事実を曲げることなくその実態を掘り起こし、記録し、けっして風化させない努力を継続しなければならない。

それだけではない。なぜあの戦争がおきたのか、誰にどのような責任があるのか、を厳しく問わなければならない。そのようにして過去と向かい合ってこそ、ふたたびの愚行と惨禍を繰り返さないことが可能となる。

戦争の責任はすべての国民にあったという一億総懺悔論がある。けっして、荒唐無稽な考え方ではない。あの戦争を多くの国民(当時は「臣民」だった)が熱狂的に支持し積極的に加担したことは否定し得ない。多くの国民が近隣諸国の植民地支配や侵略戦争を待望し、他国民衆の犠牲において自らの繁栄を望んだ歴史的事実を消すことができない。傍観した国民はその姿勢に責任を持たねばならないし、戦争に反対した国民さえもが力量不足の責任を問われるべきという立論がある。

しかし、一億総懺悔では、各々の立場や役割に応じた責任の質や大小を明らかにすることができない。不再戦の反省の糧とはならない。それぞれの立場や実際に演じた役割に応じた戦争責任の大小を考えるとすれば、その第一に責任を問われるべきが、昭和天皇裕仁であることはあまりに明白である。

真摯に戦争を考え、ふたたびの戦争を起こさぬようにと戦争の原因と責任に思いをめぐらすときに、A級戦犯の上に君臨していた天皇の戦争責任に論及すべきは当然である。東条英機以下のA級戦犯の戦争責任には論及しながら、天皇の責任に言及することをタブー視する風潮はまことに危険である。戦前の民主主義の欠如が、大きな戦争の原因だったのだから。再びの天皇の権威確立はふたたびの戦争への道となりかねないのだ。天皇こそは、誰もがもっとも批判の対象としなければならない存在である。天皇への批判を躊躇させるこの社会の空気に、敢えて抗わねばならない。

8月15日が近づくと、「終戦のご聖断」を天皇の功績の如くにいう神話が繰り返される。このような言論は、愚かなものというだけでなく、歴史を偽る危険なものと考えなければならない。

本日の東京新聞は、全2面を割いて「逃し続けた終戦機会 負の過去に向き合え」という特集記事を掲載している。加藤陽子東大教授の「語り」を中心とする企画で、労作と評価できるものではある。が、向き合うべき「負の過去」として加害責任が述べられていない。「逃し続けた終戦機会」における天皇裕仁の責任についてもまったく言及がない。リベラル派を以て任じる東京新聞が、いったいなにを遠慮しているのだ。そのようなメディアの姿勢が、天皇タブーを作りだし拡大していくのではないか。

「天皇の戦争責任」という井上清(京都大学名誉教授)の名著がある。私の手元にあるのは、1975年8月15日初版の現代評論社本だが、著者没後の2004年に「井上清・史論集〈4〉天皇の戦争責任」として岩波現代文庫所収となっている。

この書で明解にされていることは、天皇が単なる捺印ロボットではなかったということである。積極的に東条を首相に据えて、周到に開戦を準備した天皇の開戦責任に疑問の余地はない。

「聖断をもって終戦を決意し、平和をもたらした天皇」というストーリーは天皇自身が語っているところだが、「遅すぎた聖断」であることは明白な事実である。東京新聞企画も、「逃し続けた終戦機会」として、終戦の決断の可能性あった機会6時点をとらえて解説している。その最初の機会が、1943年2月のガダルカナル撤退。2番目が44年7月のサイパン陥落、3番目が44年9月26日天皇が初めて終戦に言及したことが記録として確認できるこの日だという。そして4番目が45年3月10日の東京大空襲の被害のあと。そのあと5月にも6月にも、終戦のチャンスがあったとされている。

それでも東京新聞である。政権の御用新聞ではない。この企画の末尾の記事を転載しておきたい。

「岩手県の軍人の戦死時期を調べた研究によれば、その9割近くが最後の1年半に集中していた。310万人の日本人が死亡し、アジアに与えた惨禍は計り知れない太平洋戦争。やめ時は何度もあった。」

直接には天皇の責任に触れていないが、「やめ時は何度もあったが、遅れたために多くの命が失われたこと」は明記されているのだ。

なぜやめられなかったか。いうまでもなく、国体の護持にこだわったからである。国民の命よりも天皇制擁護を優先した結果が、遅すぎた敗戦を招いてあたら多くの命を失うことになった。それが、310万人の9割の命だという。

米軍による本土空襲は200以上の都市におよび、死者100万人といわれる。1945年8月にはいってからだけでも、水戸、八王子、長岡、富山、前橋、高崎、佐賀、広島、豊川、福山、八幡、長崎、大湊、釜石、花巻、熊本、久留米、加治木、長野、上田、熊谷、岩国、光、小田原、伊勢崎、秋田と、8月15日の終戦当日まで及んでいる。累々たる瓦礫と死傷者の山。国体護持にこだわった一人の男の逡巡が奪った命と言って過言ではない。

井上清は、その書の末尾に、「天皇の戦争責任を問う現代的意味」という項を設けて次のように結んでいる。

「天皇は輔弼機関のいうがままに動くので責任は輔弼機関にあり、天皇にはないという論法に、何の根拠もない。
 東条首相はそのひんぴんたる内奏癖によって、天皇の意向をいちいち確かめながら、それを実現するように努力したのであって、天皇をつんぼさじきに置いて、勝手に戦争にふみ切り、天皇にいやいやながら裁可させたのではない。そして東条は、赤松秘書官の手記によれば、天皇親政の問題に関連して、つぎのように語っている。
 『憲法で「天皇は神聖にして侵すべからず」とあるのを解して、学者は、天皇には何の責任もないと論じている。然し、自分は大東亜戦争開戦前の御決断に至る間の御上の御心持をお察しして、天皇は皇祖皇霊に対し奉り大いなる御責任を痛感せられておる御模様を拝察できた。臣下たる我々は戦争に勝てるかということのみ考えていたのである。それに比べて比較にならぬ程の大きな御責任の下で、御決断になったものである。これは開戦1ヵ月余になって始めて拝承できた払の体験である』。
 ほかでもない内奏癖の東条首相が、天皇はいかに重大な責任感をもって開戦を『御決断になった』かを述べている。
 対米英戦争の開始も、天皇の責任をもった「御決断」によって行なわれた。同様に1931年9月開始の中国東北地方侵略いらいの不断に拡大した中国侵略戦争も、天皇の主体的な「御裁可」とその前段の「御内意」により実現されたのであった。

 占領軍の極東国際軍事法廷は、天皇裕仁の責任をすこしも問わなかった。それはアメリカ政府の政治的方針によることであったとはいえ、われわれ日本人民がその当時無力であったためでもある。降伏決定はもっぱら日本の支配層の最上層部のみによって、人民には極秘のうちに、『国体』すなわち天皇制護持のためにのみ行なわれた。人民は降伏決定に何ら積極的な役割を果すことがなかった。そして降伏後も人民の大多数はなお天皇制護持の呪文にしばりつづけられた。日本人民は天皇の戦争責任を問う大運動をおこすことはできなかった。
 アメリカ帝国主義は、天皇の責任を追及するのではなく、反対に天皇をアメリカの日本支配の道具に利用する道を選んだ。しかも現代日本の支配層は、自由民主党の憲法改定案の方向が示すように、天皇を、やがては日本国の元首とし、法制上にも日本軍国主義の最高指揮者として明確にしようとしている。
 この状況のもとで、1931?45年の戦争における天皇裕仁の責任を明白にすることは、たんなる過去のせんぎだてではなく、現在の軍国主義再起に反対するたたかいの、思想的文化的な戦線でのもっとも重要なことである、といわざるをえない。」

憲法を壊し戦争法案を上程した安倍政権のもとで、しかも天皇責任論タブー視の言論状況の中で、井上清が1975年に発した警告を受け止めなければならない。民主主義の欠如こそが最大の戦争の要因なのだから。
(2015年8月5日)

8月13日(木)11時? 日弁連講堂「クレオ」で、<シンポジウム>「国民の70年談話」─日本国憲法の視座から 拡散のお願い

下記のURLが、シンポジウムのチラシになっています。
ぜひとも拡散をお願いいたします。
http://article9.jp/documents/symposium70th.pdf

企画の総合タイトル 
シンポジウム「国民の70年談話」ー日本国憲法の視座から
過去と向き合い未来を語る・安全保障関連法案の廃案をめざして

日時■2015年8月13日(木)午前11時?午後1時20分
会場■弁護士会館 2階講堂「クレオ」ABC
  ・東京メトロ丸ノ内線、日比谷線、千代田線「霞ヶ関駅」B1-b出口より直通
  ・東京メトロ有楽町線「桜田門駅」5番出口より徒歩8分
■参加費無料 (カンパは歓迎)

戦後70周年を迎える今年の夏、憲法の理念を乱暴に蹂躙しようとする政権と、あくまで憲法を擁護し、その理念実現を求める国民との対立が緊迫し深刻化しています。
この事態において、政権の側の「戦後70年談話」が発表されようとしていますが、私たちは、安倍政権の談話に対峙する「国民の70年談話」が必要だと考えます。
そのような場としてふさわしいシンポジウムを企画しました。憲法が前提とした歴史認識を正確に踏まえるとともに、戦後日本再出発時の憲法に込められた理念を再確認して、平和・民主主義・人権・教育・生活・憲法運動等々の諸分野での「戦後」をトータルに検証のうえ、「国民の70年談話」を採択しようというものです。
ときあたかも、平和憲法をめぐるせめぎ合いの象徴的事件として安全保障関連法案阻止運動が昂揚しています。併せて、この法案の問題点を歴史的に確認する集会ともしたいと思います。
ぜひ、多くの皆さまのご参加をお願いいたします。

スケジュール
《第一部》過去と向き合う
■戦後70年日本が戦争をせず、平和であり続けることが出来たことの意義
  高橋哲哉(東京大学教授)
■戦後改革における民主主義の理念と現状
  堀尾輝久(元日本教育学会・教育法学会会長)
■人間らしい暮らしと働き方のできる持続可能な社会の実現に向けて
  暉峻淑子(埼玉大学名誉教授)
■日本国憲法を内実化するための闘い─砂川・長沼訴訟の経験から
  新井 章(弁護士)
■安全保障関連法案は憲法違反である
  杉原泰雄(一橋大学名誉教授)

《第二部》未来を語る
◆若者・高校生・大学生・女性・母親・ジャーナリスト・教員…
 多くの人がそれぞれに語る未来の展望

《第三部》「70年談話」
◆「国民の70年談話」の発表と参加者による採択

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政権と国民とが、憲法をめぐって鋭く対峙している。戦後70年の今日、平和憲法が最大の危機にある。その憲法を蹂躙しつつある政権の側が公表しようとしている「戦後70年談話」に対決する、国民の側からの「70年談話」が必要と考える。

政権の談話に対峙する「国民の側の談話」は、政権の歴史認識を批判し、平和な未来への展望を語るものとなるだろう。

たまたま、本日(8月4日)の朝日新聞朝刊15面に、あの「敗北を抱きしめて」の著者であるジョン・ダワーのインタビュー記事が掲載されている。表題は「日本の誇るべき力」だが、内容を紹介する冒頭の見出しが「国民が守り育てた反軍事の精神 それこそが独自性」というもの。

ダワーは、政府と国民を明確に区別し、「日本の誇るべき力(ソフトパワー)」を「国民が守り育てた反軍事の精神」と高く評価している。多くの国民が同じ思いであろう。

「国民の70年談話」に参考となると思われる部分を抜粋しておきたい。

「世界中が知っている日本の本当の力(ソフトパワー)は、現憲法下で反軍事的な政策を守り続けてきたことです」

「1946年に日本国憲法の草案を作ったのは米国です。しかし、現在まで憲法が変えられなかったのは、日本人が反軍事の理念を尊重してきたからであり、決して米国の意向ではなかった。これは称賛に値するソフトパワーです。変えたいというのなら変えられたのだから、米国に押しつけられたと考えるのは間違っている。憲法は、日本をどんな国とも違う国にしました」

「このソフトパワー、反軍事の精神は、政府の主導ではなく、国民の側から生まれ育ったものです。敗戦直後は極めて苦しい時代でしたが、多くの理想主義と根源的な問いがありました。平和と民主主義という言葉は、疲れ果て、困窮した多くの日本人にとって、とても大きな意味を持った。これは、戦争に勝った米国が持ち得なかった経験です」

「幅広い民衆による平和と民主主義への共感は、高度成長を経ても続きました。敗戦直後に加えて、もう一つの重要な時期は、60年代の市民運動の盛り上がりでしょう。反公害運動やベトナム反戦、沖縄返還など、この時期、日本国民は民主主義を自らの手につかみとり、声を上げなければならないと考えました。女性たちも発言を始め、戦後の歴史で大切な役割を果たしていきます」

「繰り返しますが、戦後日本で私が最も称賛したいのは、下から沸き上がった動きです。国民は70年の長きにわたって、平和と民主主義の理念を守り続けてきた。このことこそ、日本人は誇るべきでしょう。一部の人たちは戦前や戦時の日本の誇りを重視し、歴史認識を変えようとしていますが、それは間違っている」

この観点、この視座において、「国民の70年談話」をまとめたいものと思う。
(2015年8月4日)

これはもう、安倍政権の末期症状だ

「法的安定性は問題ない」と放言した礒崎陽輔はいったいなんのために参院特別委員会に参考人として招致されたのか。彼は、謝罪のために招かれたと心得ていたのではないか。謝罪の言葉を準備し、準備していた謝罪の言葉を述べて、これで一件落着とでも思っているのではなかろうか。ひととき頭を下げていれば、そのうち風はおさまるだろう。思い違いも甚だしい。

もちろん、加害者の真摯な謝罪が被害者の感情を癒すのに有効で有益なことはありうる。加害者の真摯な謝罪が、事態の混乱を収めて再発防止の出発点になることもしばしば経験するところではある。しかし、礒崎の確信犯的放言と口先だけの謝罪は、そんな類のものではない。

礒崎が参考人として招致されたことの目的は2点を明らかにするためであったろう。
第1点は、彼が首相補佐官として憲法法案の審議を担当する適性を欠いていることについての確認である。
2点目は、適性を欠いた補佐官を選任して用い続けてきた内閣の責任の確認である。

本日の委員会で、礒崎は「私の軽率な発言により審議に多大な迷惑をかけた。発言を取り消すとともに心よりおわび申し上げる」と陳謝したという。また、「法的安定性は確保されている。安全保障環境の変化を述べる際に、大きな誤解を与えた」と説明したともいう。発言を撤回して陳謝することによって彼の適性欠如が治癒されただろうか。そんな馬鹿げたことはけっしてあり得ない。

「軽率」とは、うっかりホンネを漏らしてしまったということ、適性の欠如を隠し通せなかったというだけのこと。その「軽率」によって審議を急いでいる内閣に「多大な迷惑」をかけてしまったというのである。「おわび」は審議を遅らせたことについてのものに過ぎない。彼は、「今後人前でホンネはもらさじ」との教訓を噛みしめているに違いない。

「法的安定性など無関係。重視すべきでない」というのは、この上ない非立憲の姿勢。違憲と問題視されている法案の審議を担当する資格はない。国民の側からは、礒崎の口先だけの謝罪など不要だ。必要なことは補佐官の辞任である。適性欠如が明らかになったのだから、即刻辞任すべきが当然だなのだ。

礒崎は「職務に専念することで責任を果たしたい」とも言ったそうだが、とんでもない。「今後は、憲法問題を取り扱う適性を欠いていることを上手に隠し通して、再びボロを出すようなヘマはしないから、職務を続けさせてくれ」と言っているのだ。こんなことが通じるはずはない。本人が自ら辞任するのでなければ、首相の責任が前面に出て来ざるを得ない。

参議院の礒崎に続いて、衆議院にもトンデモナイ議員が現れた。武藤貴也という若手が、礒崎に負けじとばかりに俄然話題の人になってきた。選挙区は滋賀4区。1979年の生まれだそうだが、この度初めてこの人物の発言を知ることになって驚愕した。そして考え込まざるをえない。単なる「滋賀の恥」というレベルの問題ではない。戦後教育の衰退が、こんな人物を育ててしまったのだ。こんな小さなモンスターの卵みたいなものが議会に巣くっていたのだ。背筋が寒くなる。

きっかけは、今や著名この上ない彼の「炎上ツィッター」だ。
「SEALDsという学生集団が自由と民主主義のために行動すると言って、国会前でマイクを持ち演説をしてるが、彼ら彼女らの主張は『だって戦争に行きたくないじゃん』という自分中心、極端な利己的考えに基づく。利己的個人主義がここまで蔓延したのは戦後教育のせいだろうと思うが、非常に残念だ。」

「戦争に行きたくない」という当然で切実な若者の声を、「自分中心、極端な利己的考え」とし、「利己的個人主義がここまで蔓延したのは戦後教育のせい」と憂いてみせる。

この男の頭の構造は、国民の権利の要求は、すべて「戦後教育がもたらした自分中心、極端な利己的考え」として斥けられることになるのだろう。労働組合活動を通じて労働条件の向上を求める労働者の要求も、生存権を保障せよという主張も、男女の実質的平等を求める運動も、思想良心や表現の自由に関わる要求も…、である。

これだけで驚くに十分だが、実は彼の普段の発言はこんな程度ではない。
彼は、「わが国は自主核武装するしかない」と公言する、核武装論者なのだ。
「いざとなったら、アメリカは日本を守らないと思っています。たとえ小規模な局地戦争でも一度戦端が開かれれば、戦争はエスカレートしていく可能性があります。大規模な戦争になれば、最後は核の使用にまで発展してしまうかもしれません。だから核武装国家同士は、戦争できないのです。」

だから、「戦争を回避し平和を維持するために核武装をせよ」というのだ。「積極的平和主義=武力による平和論」の行き着く先が核武装であることをなんとも軽くさらりと言っちゃうのだ。

それだけではない。日本国憲法全面否定論者である。安倍晋三のホンネを語る立場にあると言って良かろう。たとえば、次の如し。

そもそも「民主主義とは、人間に理性を使わせないシステム」である。民主主義が具体化された選挙の「投票行動」そのものが「教養」「理性」「配慮」「熟慮」などといったものに全く支えられていないからである。第一次世界大戦前は、民主主義はすぐに衆愚政治に陥る可能性のある「いかがわしいもの」であり、フランス革命時には「恐怖政治」を意味した。民衆が「パンとサーカス」を求めて国王・王妃を処刑してしまったからである。戦前の日本では「元老院制度」や「御前会議」などが衆愚政治に陥らない為のシステムとして存在していた。しかし戦後の日本は、ただただ「民意」を「至高の法」としてしまった。

私は「基本的人権の尊重」が日本精神を破壊した「主犯」だと考えているが、この「基本的人権」は、戦前は制限されて当たり前だと考えられていた。全ての国民は、国家があり、地域があり、家族があり、その中で生きている。国家が滅ぼされてしまったら、当然その国の国民も滅びてしまう。従って、国家や地域を守るためには基本的人権は、例え「生存権」であっても制限されるものだというのがいわば「常識」であった。もちろんその根底には「滅私奉公」という「日本精神」があったことは言うまでも無い。しかし、戦後憲法によってもたらされたこの「基本的人権の尊重」という思想によって「滅私奉公」の概念は破壊されてしまった。

この武藤貴也とは、百田尚樹を呼んで沖縄2紙を潰そうと盛りあがった「文化芸術懇話会」の中心人物のひとりである。類は友を呼ぶというのだろうか。礒崎といい、武藤といい、安倍のお友だちとしてピッタリである。このようなアベトモたちのホンネさらけ出しは、もはや安倍政権の末期症状といって差し支えなかろう。
(2015年8月3日)

「フルスペック佐藤」 その屁理屈の危険

NHK日曜討論。これまでは時間の無駄と思って関心なかったが、先週に続いて今日も594KHZを選局した。先週7月26日が「与野党激論 どうする新国立競技場・安保法案」。今日が、「参院 論戦激化 安保法案 10党に問う」である。

聴衆を前にした「論戦」とは、聴衆に好感度をアピールして、その支持の獲得を競う「戦い」である。その論戦の選手として、自民党は先週稲田朋美を送り出した。この人、この種のバトルにまったくの不適任。評価は「感じ悪いよね」の一言以上に言うべきものはない。安倍政権と自民党の支持率低下の貢献役にピッタリだ。自民党に人なきがごとしである。

それに比較して、今週の自民党代表選手である佐藤正久は、人柄のアピール度はけっして感じ悪くない。しかし、あまりに軽い。頼りない。支持者への演説ならともかく、「論戦」は無理だろう。やはり、自民党に人はいない。稲田朋美や佐藤正久が前面に出ざるを得ないというのは、もはや法案審議に重要影響事態だ。いや存立危機事態かも知れない。これなら、戦争法案は潰せる。

それだけではない。佐藤正久には「【あかりちゃん】ヒゲの隊長に教えてあげてみた」の動画のイメージが定着してしまった。佐藤が何をしゃべっても、あかりちゃんにやり込められている、あの軽薄な動画キャラクターのイメージがつきまとう。これは凄いことだ。前代未聞のこと。

政権と与党には思いがけない障害物が続出の難レース。オウンゴールも数知れず。それに加えて、この動画も大きな障害となってきた。たどたどしく同じことを繰り返す「ヒゲの隊長」には、高校生あかりちゃんの鋭い反論の声がかぶさってくるからだ。

下記ユーチューブは7月9日に公開され、本日(8月2日)現在、動画再生回数は既に90万回を超えている。
https://www.youtube.com/watch?v=L9WjGyo9AU8
このパロディの作者、何者かは知らないがたいへんな才能。その才能の持ち主も、ここまでの効果の絶大さは予想していなかったろう。なにしろ、参議院安全保障特別委員会の自民党筆頭理事でもあり、党国防部会長でもある「時の人」の面目を完膚なきまでに潰して見せたのだから。

礒崎陽輔も、ツィッターでの10代女性とのバトルが話題となった。
礒崎が集団自衛権を隣の家の家事に例えた発言をしたことに対し、若い女性から『バカをさらけ出して恥ずかしくないんですか』と返され議論に。女性は『まず例えが下手』『火事と戦争を同等にして例えるのがおかしい』『例え話は同等の物で例えないと例えにならないんだよ』などと攻撃。女性のトーンは『やばい。頭悪いし、中学生でも論破できるレベルの政治家』と激しく、結果礒崎はこの女性をブロックしたという。女性は「逃亡。情けない補佐官だなぁ」と語って終了。

今日(8月2日)は、高校生のデモが話題となっている。その多くが、来夏の参議院議員選挙に投票する年代。あかりちゃんも含めて、若者たち、頼もしいではないか。

「アカリちゃんハンデ」を別にしても、佐藤正久の今日の発言のメチャメチャぶりに驚いた。「これまで政府が一貫して集団的自衛権を違憲と言ってきたのは、『フルスペックの集団的自衛権』に限ってのことだった。今、法案となっている新3要件によって限定された集団的自衛権にはこれまで言及がなかった」「だから限定された集団的自衛権行使の立法が法的安定性を損なうことはない」。ヒゲの佐藤よ、そんないい加減なことを言ってよいのか。またまた、オウンゴールの1点献上ではないか。

これまでの政府見解に照らして佐藤発言の不正確は明らかだが、さらに一般論から言ってこれは典型的な詭弁である。概念の全部とその部分をことさらに対立させて、「全部の禁止や約束」を「部分は禁止されていない」「部分は約束していない」と強弁する居直りの手口。こんな詭弁を世間では、屁理屈と言う。このヒゲの「屁理屈」、実は相当に危険なものなのだ。たとえば次の如し。

「憲法を守ると宣誓はしましたが、フルスペックの憲法全部を守ると約束した覚えはありません。だから、私に都合の悪い条文についての義務履行は拒否します」

「自衛隊は国民を守るためにあるとは言ったけれど、フルスペックの国民全体を守ると言った覚えはない。だから、自衛隊を違憲というような国民まで守らなければならないわけではない」

「外国とは平和に協調するとは申しあげたが、フルスペックですべての国と仲良くしなければならないと申しあげたことはございません。70年経っても、我が国に対する戦争責任を言い続けるような国とまで協調しなければならないわけではございません」

「公約を守るべきは公党として当然のこと、しかしフルスペックの公約遵守が非現実的なのは皆さまご存じのとおり。フルスペックの公約全部を必ず実現と言った覚えはありませんから、実現できない公約があっても責任追及されるいわれはないわけでございます」

こんな論理あり? 放送で天下に公言すること? 
(2015年8月2日)

「検証・司法の危機」(鷲野忠雄著)の出版を祝う

今日から8月。誰が詠んだか、「8月は 6日9日15日」。これで、特別なあの年の「夏」を思い起こさせる優れた句になっている。毎年8月は戦争を振り返るときだが、今年の8月は例年にもまして、深く熱く戦争を想わねばならない。

本日午後、鷲野忠雄さんが上梓した「検証・司法の危機 1969?72」(日本評論社)の出版を祝う会が催された。私の司法研修所入所が1969年4月。研修所を出て弁護士登録をしたのが71年4月。まさしく、「司法の危機」のまっただ中だった。「激動の司法」「司法の嵐」とも言われた時代。私も司法の危機をめぐるその時代の若い法曹の一人だった。けっして時代の傍観者ではなく、当事者の一人としてせめぎ合いの渦の中にあった。

司法の「危機」とは護憲派やリベラルの立場からの「危機」であるが、その発端は戦後続いた保守政権の側における「危機」意識にあったと思う。戦後改革の洗礼を受け、戦後教育や安保闘争の中で育った世代が、比較的リベラルな憲法感覚や人権意識を身につけて司法界にはいり、次第にしかるべき地位を占め始めた。この若い法律家群が、憲法理念に忠実な立場でする裁判に、保守政権は驚愕したのだろうと思われる。こうして保守政権と、財界、右翼ジャーナリズムの「偏向判決」批判が始まった。

鷲野さんは、こう述べている。
「ここで、『偏向判決』として非難されているものは、第一に、いうまでもなく砂川(伊達)判決(その後の長沼訴訟福島判決)など国家の軍事防衛政策ないしその具体化を違憲ないし違法とする判決、第二に、国民の政治・選挙活動、大衆行動など表現の自由を禁圧する法令(人事院規則、戸別訪問禁止、公安条例等)を違憲とし、あるいは、その適用を厳格に絞ろうとする判決、第三に、官公労働者のストライキにおける刑事免責や、ピケッティング、団体交渉、不当労働行為等をめぐる事件で、労働者側の権利や正当性を認めた判決、第四に、教育、学問の自由への国家の介入を批判した判決(学力テスト事件、後に出た教科書裁判など)、第五に、思想信条を理由とする不利益処分(解雇、配転等)を無効とした判決、第六に生存権保障を単なるプログラム規定ではないとする判決(朝日訴訟)などである。これらはいずれも、広範な世論・運動を背景に、当事者やこれを支える人たちの血のにじむような努力、学者・研究者らの旺盛な研究活動、報酬を度外視した弁護士たちの献身的弁護活動、そして憲法と人権の擁護に忠実であろうとする裁判官ら(青法協会員か否かに関りなく)の決断によって生み出されたもので、どれ一つをとっても、常識的表現としての『偏向』というレッテル貼りになじまないものだ。
『偏向』宣伝における『偏向』とは、憲法を敵視する攻撃側の立場から見て『偏向』しているにすぎないもので、彼らは、判決内容について説得力ある批判をするのでなく、これら諸判決を『共産主義の産物』というデマゴギーで染めあげ、これをもっともらしく見せるために、公安情報を利用した青法協等への徹底したアカ攻撃、レッテル貼りを常套手段としてきた。」

この「偏向判決」批判に対して、最高裁が良心的裁判官擁護の姿勢を見せることはなかった。それどころか、最高裁司法行政当局は、保守勢力の走狗と化して良心的裁判官に対する統制に乗りだした。建前として、裁判内容への批判や介入はできない。だから、裁判官への統制手段は、人事権を通してのものとなった。これが、「司法の危機」の正体である。

いま、誰もが常識として知っている。「最高裁は権力追随の判決がお好き」「最高裁お好みの判決を書く裁判官はつつがなく出世できる」「最高裁に逆らう内容の判決を書く裁判官は冷遇を覚悟しなければならない」

このような常識を確立したのが、「司法の危機」の時代にほかならない。最高裁が好ましくないとしている「憲法に忠実に」などと青臭いことを言っている青年法律家協会の会員修習生は任官を拒否されて裁判官として採用されない。10年目の再任時には、再任拒否の憂き目に遭うことを心配しなければならない。最高裁ににらまれたら、「支部から支部へとまわされる」。それを露骨にやってのけたのが、石田和外、矢口洪一らに代表される司法官僚である。

鷲野忠雄さんは、この司法の危機の時代に、青年法律家協会の事務局長として、最高裁やその背後の勢力とのせめぎ合いの中心にいた。そして、今日の祝う会には、当時の青年法律家協会の議長だった佐々木秀典さんや、再任拒否をされた宮本康昭元裁判官などの顔も見えた。

全司法労働組合の輝けるリーダーだった93歳の吉田博徳さんが、ハリのある声で印象に残るスピーチをした。
「私は、憲法ができた直後に裁判所職員となりました。まったく法律の素養の無い私たちに、裁判官が新しい憲法を語ってくれました。裁判所は立法権からも行政権からも独立して、憲法の理想を実現すべき舞台となったのだと情熱を込めて語られたことが忘れられません。私も、素晴らしい職を得たものだと感動したものです。
一つ、こんなことを覚えています。なぜ、裁判官には10年ごとの再任の制度があるのか。それは、裁判官がパージにならず、戦前天皇の名における裁判をしていた裁判官が皆戦後の新憲法下の裁判官になってしまったことと関係がある。つまり、旧憲法感覚の裁判官をこの制度で一掃して、新憲法に馴染んだ裁判官だけを再任しようという制度なのだと言うのです。当時私は、なるほどこれは素晴らしい制度だと思ったのです。ところが、現実には、この司法の危機の時代に、再任制度は裁判官の統制制度としてはたらいた。憲法感覚豊かな立派な裁判がこの制度によって切られ、あるいは威嚇されてしまった」

どんな制度も、その運用の実権を握る者の一存で、良くもなり悪くもなる。権力の総体を民主化し得ずに、司法部だけを理想化することはできない。さはされど、権力総体の民主化のために、司法の独立は欠かすことのできない課題というべきでもあろう。

今日の祝う会でスピーチをした人の多くが、司法の危機の時代と、憲法の危機の今とを重ねあわせて語った。権力の理不尽なムチは、人を震えあがらせる効果だけをもつことにはならない。必ずその不当に屈せず闘う多くの人を生む。さらに、粘り強く闘う人々を育てることになる。司法の危機の時代の闘いがそうだった。そして、安倍政権の理不尽とそれとの闘いもきっと同じことになるだろう。

私も、「司法の危機」の時代に、最高裁の横暴に心の底から怒って、その後の職業生活の基本方向を定めた。その後、40年以上大きくぶれることがなかったのは、最高裁のおかげでもある。いま安倍政権も、その暴走によって多くの活動家を育てているのだと思う。
(2015年8月1日)

街頭で「法的安定性」問題を訴える。

皆さん、ご近所の弁護士です。今日も、夕刻から国会の周囲はデモ隊で埋まっています。国会のまわりだけでなく日本中の辻々で、戦争法案反対の声が盛りあがっています。日本共産党文京地区委員会は、今週と来週の毎日「ストップ戦争法案 夕方街頭宣伝」を行っています。たまたま今日は、その場所が本郷三丁目交差点。近所ですから応援のビラ撒きにやって来ましたが、予定外の飛び入りで、マイクを握ります。少しの時間耳を貸してください。

今年は終戦70周年。70年前の今頃、日本は絶望的な戦争の真っ最中でした。7月26日にポツダム宣言を突きつけられ、その受諾を勧告されていたのです。しかし、国民のほとんどは、そんなことは知らなかった。「もうすぐ、本土決戦だ」「今に神風が吹く」、あるいは「撃ちてし止まんあるのみ」と言っていた時期です。

重臣近衛文麿が天皇に上奏文を提出して、「敗戦は必至。一億総玉砕など避けなければならない。軍部を粛正することで英米中と和睦を」と提案したのが、2月14日のこと。正確な情報をもっている者には、それ以前から日本の敗戦が明らかでした。しかし、愚かな天皇は、国体の護持にこだわり「もう一度戦果を挙げてからでないと」と言い続け、無条件降伏に追い込まれたのです。この間に、東京大空襲があり、沖縄地上戦があり、広島と長崎の悲劇があり、ソ連参戦の事態に至ってのようやくの降伏。半年早く降伏していれば、どれだけの命が救われたことでしょうか。

何と愚かな戦争で、かけがえのない国民の命が奪われてしまったのか。70年前の日本国民は、戦争の惨禍を骨身にしみて、再び戦争を繰り返さないことを誓って新しい国を発足させました。その思いの結実が日本国憲法にほかなりません。

再び戦争の悲惨を繰り返さないためにはどうしたらよいか。まずは、為政者にすべての戦争を禁止しよう、そして戦争の道具である軍隊をもたないことを決めよう。それだけではありません。天皇のために命を捨てよという馬鹿げたスローガンがなぜまかり通ったか。民主主義がなかったからだ。国民主権が平和をもたらすだろう。教育の自由も、報道の自由も、何よりも人間の尊重こそが、平和の保障だ。その意味では、日本国憲法は9条だけでなく、前文から103か条の全文すべてが平和を指向した「平和憲法」なのです。

敗戦というこの上ない高価な代償をもって日本は貴重な平和を手に入れました。その貴重な平和は、曲がりなりにも70年続いてきました。しかし、その平和が大きく崩れようとしています。今、国会で審議が進行している戦争法案によってです。安倍首相は、「戦争法案とレッテルを貼るのは怪しからん。これは『平和・安全保障法制』だ、と言っていますが、欺されてはなりません。国会での議論の内容は、どのような条件が整ったら日本は戦争を始めることができるか、というものなのです。まさしく、戦争法案というのがふさわしい。

これまでは、専守防衛が国是でありました。日本がどこかの国から現実に武力攻撃を受けた場合にだけ、自衛のための武力の行使はやむを得ない、と認める。これが専守防衛です。しかし、日本が攻撃を受けていなくても、一定の要件が整えば戦争を始めたっていいじゃないか、というのが安倍政権であり、これを支えている自民・公明の与党です。

日本国憲法が制定された当時、保守政権のリーダーたちは、自衛の戦争も否定していました。「古来あらゆる戦争が自衛のためと称して行われてきた」というのがその理由です。

しかし、保守政権は1954年の自衛隊創設以来、専守防衛路線を国是としてきました。憲法9条も自衛権の行使までは禁じていない。専守防衛の装備・編成しかもっていないから、自衛隊は違憲な存在とは言えない。もちろん、集団的自衛権の行使は自衛権の行使とは次元を異にするもので、明確に違憲。そう言い始めて60年が経過したのです。

専守防衛路線は、自衛隊の存在を法的に承認する意味では、オーソドックスな憲法解釈ではありません。しかし、ともかく60年間安定的に続けられてきた行政解釈です。この解釈を前提に、憲法9条とは何なのか、政府のこれからの外交・防衛政策がどうなるか予想ができるものでした。少なくとも、昨年7月1日以前には。

今、礒崎陽輔という首相補佐官が、「法的安定性など関係ない。大事なのは外国からの脅威にどう対応できるかだ」と言って物議を醸しています。彼らのいう法的安定性とはいったいなんでしょうか。実は、「だるまさんがころんだ」のゲームをイメージしていただくと、ことが分かり易いと思います。

鬼は、後ろ向きで「だるまさんがころんだ」と唱える。鬼以外のみんなは、鬼の見ていないうちに動くのですが、鬼の見ているときにはけっして動かない。鬼にすれば、みんな動かないはずなのに、「だるまさんがころんだ」を繰り返すうちに、確実に鬼に近づいて行くのです。

この一見変わっていないように見えるところが、彼らのいう「法的安定性」。憲法9条の解釈は、文字どおりの戦力不保持から、警察予備隊、保安隊を経て、自衛隊の存在容認に。そのあとの海外派遣任務の追加。保有する武器の拡大。防衛庁から防衛省への格上げ。次第に、限りなく一人前の軍隊に近づきながら、しかし、少しずつしか変わってこなかった。このことが「法的安定性」の保持です。しかし、最後の一線としての集団的自衛権行使容認だけはできなかった。「だるまさんが転んだ」流のやり方では、どうしても突破できない。礒崎は、このことを正直に、「法的安定性などにこだわっていたのでは、集団的自衛権行使容認はできない」と言っちゃったのです。これが、「法的安定性は関係ない」の真意です。しかし、安倍政権は、相変わらず「だるまさんがころんだ」でやれるんだという建前で通そうとしている。だから、礒崎がホンネを口走ってしまったので大慌てなのです。

昨年7月1日の、集団的自衛権行使を容認した閣議決定にも、「政府の憲法解釈には論理的整合性と法的安定性が求められる。」と明記されています。しかし明記はされているけれど、それは所詮字面だけの無理な話。論理的整合性も法的安定性も投げ捨ててしまおうというのが、ホンネのところ。そのホンネをついつい口走ってしまったので、礒崎という首相補佐官は、今、野党からも政権内部からも詰められているのです。

これは失言というよりはホンネだ。憲法なんか関係ない。邪悪な近隣諸国から攻撃を受ける危険があるのだから、その対応の方が何よりも重要でしょう、ということです。これが、安倍政権全体の憲法についての考え方を表すホンネ。一度露わになった本音は、撤回しても謝罪しても、それこそが発言者の本心であり本性である以上、消し去ることはできません。問われているのは、礒崎という補佐官の個人的な資質ではない。安倍政権の姿勢そのものなのです。

皆さん、70年前の熱かった夏を思い起こしましょう。ようやく手にした平和の尊さを再確認しましょう。危険な戦争法案は廃案にするしかありません。議会の中では、与党勢力が多数派で優位のようですが、実は議会外の国民世論においては法案反対派が圧倒的多数です。法案を廃案に追い込めるか否か、これは偏に世論の喚起と国民の行動にかかっています。

皆さん、ぜひご一緒に戦争法案に反対する世論をさらに強くし、危険な安倍政権を退陣に追い込むよう、力を合わせようではありませんか。
(2015年7月31日)

「浜の一揆」は農水大臣に対する審査請求の段階に

三陸沿岸の漁民102人が岩手県知事に対して「固定式刺網によるサケの採捕」の許可を求めた「浜の一揆」。許可申請は、岩手県から不許可の決定に接した。達増拓也岩手知事の震災復興行政の姿勢に多少は期待もあったのだが、沿岸漁業のボス支配を追認する水産行政を確認する結論となった。

但し、不許可の理由はまったくの形式論に終始し、実質的には判断を避けたものとなった。見方によっては、県は判断を避けて国や裁判所に丸投げしたとも解しうる。注目されている知事選を目前にして、県の漁業界のボスたちにも一般漁民にも、悪くは思われたくないという動機がもたらした選択であるのかも知れない。

その忖度はともかく、結局のところ当初想定したとおりの結論となって、予定のとおりに農林水産大臣に対する審査請求を申し立てとなった。

以下は、その審査請求書の抜粋である。

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☆ 各審査請求人は、いずれも岩手県三陸沿岸に居住し、一覧表に特定されている各小型漁船を使用して現に漁業を営む漁民であるところ、
2014年9月30日(1次申請)、同年11月4日(2次申請)、2015年1月30日(3次申請)の3回に分けて、
岩手県知事に対して、当該の漁船を使用して、岩手県沖合海面における固定式刺し網漁業の漁法による「さけ」の採捕の許可を申請した。
但し、当該求める「さけ漁」の許可の内容について、自主的に漁獲量の制限を設け、年間漁獲量の上限を10トンとしての許可を求めた。
☆ 請求人らの上記許可申請に対する岩手県知事による不許可処分がなされた。その理由は以下のとおりとされている。
「岩手県漁業調整規則第23条第1項第3号においては、漁業調整又は水産資源の保護培養のため必要があると認める場合には、漁業の許可をしない旨規定している。そして、同号の審査基準の一つとして本県が定めた固定式刺し網漁業の許可等の取扱方針(平成14年12月25日制定)においては、固定式刺し網漁業を新たに営もうとする者に係る許可は、知事が定めた新規許可枠の範囲内においてすることにしているところ、現在は当該許可に新規許可枠を設定していない。そうであるところ、取扱方針における許可をなしうる場合に該当せず、岩手県漁業調整規則第23条第1項第3号に該当するものである。このことから、本申請は不許可とする。
☆ 以上のとおり、不許可の理由は、まったく形式的なものに過ぎない。要するに、「予め不許可を決めているから不許可なのだ」というだけで、不許可の実質的理由を提示していない。
しかも、「取扱方針」なるものは、誰も見たことがない。そのようなものがあると説明を受けたこともない。純然たる内部文書に過ぎず、県民の権利義務に影響を与えるものてはあり得ない。
☆ 不許可決定は、自ら、「漁業調整又は水産資源の保護培養のため必要があると認める場合には、漁業の許可をしない旨規定している」と、申請に対しては許可が原則であることを認めつつ、本件の許可申請が「漁業調整又は水産資源の保護培養のため必要がある」という例外に当たることについての実質的な理由をまったく提示していないのである。
これだけで、取消理由として十分である。
☆ 速やかな原処分取消裁決が得られない場合には、行政事件訴訟法に基づいて、岩手県知事を被告として、盛岡地裁に不許可処分取消訴訟を提起する予定である。

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請求人らは、いずれも2011年3月の震災と津波によって甚大な被害を蒙った三陸沿岸の漁民であるところ、漁業による生計を維持し生業を継続するための切実な要求として、さけ漁の許可を得るために本申請におよんだものである。

岩手県三陸沿岸の漁業においては、秋から冬を盛漁期とする「さけ」を基幹魚種とする。ところが、一般漁民には基幹魚種であるさけを採捕することが禁じられている。信じがたいことだが、一般漁民の不満を押さえつけての非民主的で不合理極まる水産行政がまかり通ってきた。
岩手県沿岸のさけ漁は、もっぱら大規模な定置網漁の事業者に独占されており、零細な一般漁民は刑罰をもってさけ漁を禁止されている。事実上、大規模定置網事業者保護のための水産行政であり、浜の有力者の利益を確保するために刑罰による威嚇が用意されているのである。一方に大規模なさけの定置網漁で巨額の利益を得る者がある反面、零細漁民は漁業での生計を維持しがたく、後継者も確保しがたい深刻な現実がある。
宮城県においても青森県においても、当然のこととして一般漁民が小規模な固定式刺し網によるさけ漁の許可を得て漁業を営んでいる。県境を越えて岩手県に入った途端、突然に「さけ漁禁止」「違反は処罰」となるのである。
本件許可申請は、このような不合理な水産行政に反旗を翻す「浜の一揆」の心意気をもっての権利主張である。

定置網漁業を営む大規模事業者は2種類ある。そのひとつは漁業協同組合であり、他のひとつは漁業界の有力者の単独経営体である。
漁業協同組合における民主的運営は必ずしも徹底されておらず、漁協の利益が組合員の利益に還元されない憾みを遺している現実がある。こと、「さけ漁」に関しては、一部の漁協と漁民の利益は鋭く相反している。
また、漁協以外の定置網事業者は例外なく業界の有力者であって、一般漁民をさけ漁から閉め出すことは、大規模事業者の不当な利益を確保する制度として定着している。行政は、この不合理を是正することなく、むしろ業界の有力者と癒着し庇護する体制を確立して今日に至っている。
請求人らは、いずれも岩手県三陸沿岸において小型漁船を使用して小規模漁業に従事する者であって、予てから岩手県三陸沿岸海域においては一般漁民に「さけ」の採捕が禁止されていることを不合理とし、岩手県の水産行政に不信と不満の念を募らせてきたが、「さけ漁禁止」の不合理は、3・11震災・津波の被害からの復興が遅々として進まない現在、いよいよ耐えがたいものとなって、本件申請に至った。

本来は、岩手県の水産行政や、県政が、漁業の振興と漁村集落の維持発展を図るため大規模定置網事業者のさけ採捕独占を問題としなければならない。具体的には大規模事業者によるさけ漁の上限を画して、小型漁船漁業を営む一般漁民の生計がなり立つような水産行政を積極的に展開しなければならない。県にその姿勢がないばかりに、請求人らは、県行政や県政と闘って、自らの権利を実現することを余儀なくされているのである。
岩手県の水産行政は三陸沿岸漁民全体の利益のためにこそある。大規模定置網漁事業者にさけ漁の利益独占を保障するための行政であってはならない。

本来、海域の水産資源は誰にも独占の権利はない。わけても沿岸海域における漁場の水産資源は沿岸漁民全ての共有財産である。
漁業法の理念からも、漁は合理的な制約には服するものの原則は自由である。制約の合理性の内容は「民主化」「実質的な公平」でなくてはならない。しかし、三陸沿岸の漁民は生活に困窮しながら、目の前の漁場において一尾のさけも獲ってはならないとされているのである。しかも、他方では大規模事業者が行う巻き網漁船や底引き網漁で混穫されたさけは、雑魚扱いされて事実上黙認されているなど、強者に甘く弱者にはこの上なく厳しい事態の不合理は、誰の目にも明らかというべきである。

都道府県の水産行政には、漁業法にもとづいて負託された漁業許可の権限があるものとされている。しかし、漁民の許可申請に対しては、飽くまで許可をなすべきことが原則であって、不許可は格別の事情ある場合の例外に限られる。
請求人らは、3・11震災・津波被災後の生活苦の中で、さけ漁禁止行政の継続は、生業の維持と生活再建を破壊するものとの認識のもと、小規模漁民において可能な固定式刺し網による「さけ」漁の許可を求めるものである。

請求人らは、これまでこの不自然で不合理な岩手県の漁業行政に甘んじてきた。しかし、請求人らの生活苦はその不合理に耐え難い限界に達して、ようやくにして公正な漁業資源の配分を要求するに至ったものである。

速やかな原処分取消の裁決を求める。 

(2015年7月30日)

大波かぶる礒の崎、しぶきはもろに安倍政権

7月27日(月)参院審議入りの初日。この日表には出て来なかったが、影の主役は安倍の側近礒崎陽輔だった。あるいは、礒崎がクローズアップさせた「法的安定性」というテクニカルタームであったというべきか。

この日本会議での民主党北澤俊美の質問はなかなかのものだった。この人がかつては防衛大臣だったのだ。民主党政権を壊してしまったことを惜しいと思わせる内容。北澤は「法的安定性」に言及してこう言っている。

「総理、あなたは政治家として本当に責任を果たすつもりがあるなら、集団的自衛権の行使を可能にする憲法改正を正々堂々と掲げ、国民の信を問えばよい。それが王道であります。それなら憲法も立憲主義も傷つくことはありません。ところが、総理は、憲法解釈の変更という言わば抜け道を選び、国会での数に頼るという覇道を邁進しています。抜け道と覇道の行き着くところ、憲法の法的安定性は大きく損なわれます。」

維新の小野次郎も聞かせた。法的安定性に関しては、次のような質問。
「政府が根拠の一つとしている砂川判決から集団的自衛権の合憲性を導き出すことが困難であることについては、これまでに法律家である与党公明党山口代表を含めてほとんどの法律専門家が指摘しているところであります。専門家に受け入れられていないこのような憲法及び法律の解釈で押し通して将来にわたって法的安定性は確保できるのか、どうお考えなのか、御認識をお伺いしたい」

これに対する首相答弁は、従来と変わりばえのない紋切り。まったく迫力に欠ける。この人に丁寧な説明を期待するのは、木によりて魚を求むるの感。
「法案の憲法適合性、政府における検討及び法的安定性についてお尋ねがありました。まず、新3要件については、砂川判決と軌を一にするこれまでの政府の憲法解釈の基本的な論理の範囲内のものであるため、法的安定性は確保されており、将来にわたっても憲法第九条の法的安定性は確保できると考えています。」
これは要約ではない。速記録がこうなっているのだ。

砂川最高裁判決は1959年のこと。1972年の自衛権に関する政府見解は、当然にこれをも踏まえて、「わが憲法の下で武力行使を行うことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであって、したがって、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない。」と結論づけたものである。

この72年政府解釈から数えても40年余、54年自衛隊発足時から数えれば60年余。歴代政権は一貫して「集団的自衛権行使は違憲」と言い続けてきた。いわゆる専守防衛路線である。安倍政権は、乱暴にこれを覆して「集団的自衛権行使合憲」としたうえで、集団的自衛権行使を可能とする法案を提出しているのだ。

この安倍政権の姿勢を、野党も国民世論も法律家も、口を揃えて「立憲主義に反する」と言い、同時に「法的安定性をないがしろにするもの」と指摘した。このことを北澤は、「抜け道と覇道」と言い、「行き着くところ、憲法の法的安定性は大きく損なわれます。」と手厳しい。

無論、政権は懸命に防戦している。安倍の答弁に見るとおり、「立憲主義に反しない」「法的安定性は確保されている」と弁明に大わらわだ。

ところが、首相の側近中の側近である礒崎陽輔が、ホンネを言ってしまった。思いがけない世論の反発への焦りもあったろうし、地元の席での気安さからでもあるのだろう。「法的安定性」なんてどうだってよいのだ。憲法解釈の一貫性よりも、中国や北朝鮮の危険に対処することの方が大切だろう。そう言っちゃったのだ。みごとなオウンゴールである。

「法的安定性」とは、分かりきったことのようで、漠然とした概念。有斐閣「法律学小辞典」では、「どのような行動がどのような法的効果と結びつくかが安定していて、予見可能な状態をいう」とある。なるほど、苦心の語釈。

「法の支配」は、権力の恣意を許さないための大原則だ。形だけの法体系があっても、その法の要件と効果が確定せず、曖昧で、ぶれて、改廃きわまりない、あるいは解釈次第で伸び縮み自由では、権力規制の実効性を持ち得ない。法的安定性は、法の支配に伴う必須の要請なのだ。

「法的安定性などはどうでもよい」とは法に縛られない独裁者の言である。こういう為政者のいるところ、法の支配が貫徹する国ではない。「価値観を同じくする国」ともいえない。中枢にこのようなホンネを持ち、このような発言をする者を抱える政権は恐ろしい。憲法の枠も、法律の枠も、目先の政策の必要次第でいとも容易く破られるからだ。

礒崎を切り捨てて「政権は礒崎とは違う」と大見得を切るか、礒崎を抱えたままで「政権の体質は礒崎と同質」と見られても良しとするか、安倍政権のあり方が鋭く問われている。国民は目を見開いて注視している。
(2015年7月29日)

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