「沖縄県の翁長雄志知事は本(21日)夕、県庁で臨時記者会見を開き、名護市辺野古の新基地建設をめぐり、国土交通相に提出した意見書と弁明書の内容を発表した。知事の埋め立て承認取り消しに対し、沖縄防衛局が行政不服審査法に基づき、国交相に無効審査を請求し、裁決まで執行を停止するよう申し立てたことに、「防衛局長が自らを一般国民と同じ立場であると主張したこと、同じ内閣の一員である国交相に審査請求を行ったことは不当」と反論した。(沖縄タイムス)
先日から私の頭の中で未整理のままモヤモヤしていたのが、この「防衛局長が自らを一般国民と同じ立場であると主張し、同じ内閣の一員である国交相に審査請求を行った」のは不当ということ。つまり、行政不服審査法に基づく審査請求も執行停止も、国民の権利救済のための制度なのだ。ところが、その制度を国がチャッカリ利用しようとしているのはおかしいじゃないか、というモヤモヤ。本来は、弱い立場の国民の権利救済のための制度なのに、国(沖縄防衛局)の権利を救済しようと、国(国土交通大臣)が乗り出しているという奇妙な構図。こんな舞台設定はおかしいじゃないか、という問題意識なのだ。「弁明書」も「意見書」も未見なのだが、少し整理してみたい。
一昨日、東京弁護士会が「沖縄県知事による公有水面埋立承認の取消しに関する会長声明」を発表している。強制加入の弁護士会の声明だから、歯切れの悪さは残るものの、この点について次のとおり述べている。(読み易いように、加工している)
「行政不服審査法は、『行政庁の違法又は不当な処分…に関し、国民に対して広く行政庁に対する不服申立てのみちを開くことによって、簡易迅速な手続による国民の権利利益の救済を図る…ことを目的とする』ものである(同法第1条)。本件承認取消処分にかかる紛争は、国と普通地方公共団体の関係いわば行政機関相互の関係にかかわる問題であるところ、地方自治法は、国と地方公共団体…の紛争解決の手続について、…国地方係争処理委員会による審査(同法第250条の13)、…等を定めている。そうすると、本件承認取消処分にかかる紛争について、国の機関が、『一般私人と同様の立場』で『審査請求をする資格を当然に有する』などとして行政不服審査法による手続を進めることは、行政不服審査法の目的を逸脱するうえ、事実上、国土交通大臣の判断をもって沖縄県知事の判断に代えるもので、地方自治法が定める(本来の)手続を回避する不服申立と言わざるを得ず、地方自治の本旨に悖るもの…である。」
要するに、国(沖縄防衛局)がいま行っている手続は、国民のために開かれた道であって、国には別の道が用意されている。国(沖縄防衛局)は道を間違えているのだから、本来の道に立ち帰って正しい道を歩みなさい、と言っているのだ。おそらく、これが真っ当な考え方。これなら私のモヤモヤもスッキリすることになる。
公有水面埋立法は、一般国民の埋立申請に対しては「免許」とし、国の申請に関しては「承認」と条文も用語も区別している。本来が、別メニューなのだ。
その上、行政不服審査法の改正新法(成立日2014年6月6日、未施行)7条2項には、「国の機関又は地方公共団体その他の公共団体若しくはその機関に対する処分で、これらの機関又は団体がその固有の資格において当該処分の相手方となるもの及びその不作為については、この法律の規定は、適用しない。」と明記されている。これは、法改正の前後を通じて変わらない原則とされている。
従って、問題は「固有の資格」の解釈如何となる。通説的には、「固有の資格とは、一般私人では立つことができない立場をいう」とされている。つまり、国(沖縄防衛局)側は「国は一般私人とまったく同様の立場で埋立申請をしたのだ」と言い、沖縄県は「私人とはまったく違う立場で埋立申請をしているではないか」ということになる。
「県内の弁護士や行政法研究者らでつくる『撤回問題法的検討会』は14日、県庁を訪れ、翁長雄志知事の埋め立て承認取り消しに対して沖縄防衛局が行政不服審査法に基づいて国土交通相に行った審査請求は、不適法だとする意見書を提出した。検討会は『国交相が執行停止を決定するのなら不適法な審査請求を認めたということなので、それは違法な措置だ』と主張した」(琉球新報)と報じられている。
この意見書が「固有の資格」について詳細に論じて、本件埋立申請が「一般私人とは違う」立場でなされた理由を次のように簡潔にまとめている。
「本件の場合、沖縄防衛局による申請は『日米両政府における外交上の合意の履行』という性格を有し、かつ、『閣議決定』に基づく埋立申請であり、単なる土地所有権取得目的の申請とは評価されず、その実態は、国益目的にて行われる『国の事業』を実施するための埋立申請と評価されるものである。」
当然だろう。辺野古海域の埋立申請が「私人とまったく同様の立場で」なされたとは、苦しい言い分でしかない。同意見書のこの点についての結論は、以下のとおりである。
「埋立に至る経緯,理由,事業実態及び対象水域の特殊性を考慮に入れると,沖縄防衛局の埋立申請は,行政手続法及び行政不服審査法を適用して『国民の権利利益の救済』を図る必要性を有するものではなく,『一般私人と同様の立場』で“一事業者”として行なっている申請と解する法的実態を有していない。」「本件埋立事業は,『国民の権利利益』とは無関係な“国家ぐるみの事業”という実態を有することは明らかであり,『固有の資格』に基づく申請として,行政手続法及び行政不服審査法の適用を排除すべき十分な理由が存するものである。」
さて、あらためて申しあげる。国(沖縄防衛局)がいま行っている「審査請求の手続」は、国民のために開かれた道であって、国の行くべき道ではない。国には「国地方係争処理委員会による審査」等の別の道が用意されている。国(沖縄防衛局)は道を間違えているのだから、本来の道に立ち帰って正しい道を歩みなさい。「審査請求」に付随する執行停止は、間違った道に迷い込んだ国(沖縄防衛局)にはそもそも申請の資格がない。
国交相よ、石井啓一よ。安倍政権におもねるあまり、法の解釈を枉げてはならない。間違ってもならない。
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「公表された議事録作成の経緯の検証と当該議事録の撤回を求める申し入れ」への賛同署名のお願い
そもそも存在しない安保関連法案の「採決」「可決」を後付けの議事録で存在したかのように偽るのは到底許されません。私たちは、このような姑息なやり方に強く抗議するとともに、当該議事録の撤回を求める申し入れを提出します。ついては多くの皆様に賛同の署名を呼びかけます。
ネット署名:次の署名フォームの所定欄に記入の上、発信下さい。
http://goo.gl/forms/B44OgjR2f2
賛同者の住所とメッセージを専用サイトに公開します。
https://bit.ly/1X82GIB
第一次集約日 :10月27日(火)22時とします。なお、詳細は、下記ブログをご覧ください。
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/blog/2015/10/post-fb1b.html
https://article9.jp/wordpress/?p=5768
(2015年10月21日・第934回)
「現在の政権は、日本が再び戦争をするための体制を整えつつある。平和と自国民を守るのが目的というが、ほとんどの戦争はそういう口実で起きる。1931年の満州事変に始まる戦争もそうだった」「表現の自由を抑圧し情報をコントロールすることは、国民から批判する力を奪う有効な手段だった」
簡潔に、ことの本質をズバリとよく言い得ているではないか。まことにそのとおり。心の底から共感する。今後、私は何度でもこの文章を反芻したいと思う。そして、この文章を何度でも当ブログで引用することにする。
本日(10月20日)の毎日新聞社会面トップの記事によれば、放送大学の佐藤康宏客員教授の上述の文章が不適切として、同大学はこの削除を強行した。同教授は、放送大学のこの措置を不当として、客員教授の任期満了を待たずに辞意を表明している。はからずも、「表現の自由を抑圧し情報をコントロール」される立場に立たされたのだ。この事態を「国民から批判する力を奪う」結果にしてはならない。それは、日本が再び戦争をするための体制作りにつながるからだ。同教授の抵抗を精一杯支援したい。
まず、この一文の内容を確認しておこう。
「現在の政権は、日本が再び戦争をするための体制を整えつつある。」
まったく、そのとおりではないか。現政権は、「戦後レジーム」からの脱却を唱えている。戦後レジームとは、憲法9条が象徴する平和の国家体制である。これに対して、戦前の大日本帝国は、徹頭徹尾「戦争をするための体制」であった。日本国憲法はこれを根底から否定して、平和主義に徹した「戦後レジーム」を構築した。その「戦後レジーム」を否定し、「戦後レジームからの脱却」を掲げる政権を「再び戦争をするための体制を整えつつある」と言うことに一点の間違いもない。現政権が憲法9条を目の仇にしていることは誰もが知っている事実である。現に、安倍政権は、戦後の保守本流が違憲としてきた集団的自衛権を強引に解釈変更して「戦争法」を成立させてしまった。
「平和と自国民を守るのが目的というが、ほとんどの戦争はそういう口実で起きる。」
現政権が、「平和と自国民を守るのが目的」と言いつつ一連の9条破壊策動を続けてきたことは周知の事実。掲げたイデオロギーは、戦力増強による抑止力向上こそが「敵の付け入る隙を防いで平和を守る」という抑止論至上主義。そして、軍事力の整備こそが平和に寄与し、自国民を守るのだという、時代遅れの軍拡路線。うかうかとこの論に乗せられると、軍備を増強すればするほど平和になるという倒錯した論理に陥る。平和を守るためには核武装も辞さない。自国民を守るためには開戦も躊躇しない、ということになる。
「1931年の満州事変に始まる戦争もそうだった。」
「五族協和」の、「東洋平和」「東亜新秩序」建設のための戦争。そして、「満蒙は日本の生命線」だったのだから、「暴支膺懲」と「八紘一宇」とは重なり合う関係にあった。
「表現の自由を抑圧し情報をコントロールすることは、国民から批判する力を奪う有効な手段だった。」
台湾出兵・日清・日露・シベリア出兵・15年戦争…。絶え間ない戦争の繰りかえしの歴史には、必ず反戦勢力による反戦運動が伴っていた。信仰から、ヒューマニズムから、国際的な階級的連帯意識から、各種の反戦運動の抵抗が続けられた。戦争政策を推し進めた権力は、『表現の自由を抑圧し情報をコントロールする』ことによって国民から批判の精神を奪った。
佐藤康宏氏が東大の美術史の教授であることが興味深い。ここでは、反戦の檄文や反戦思想の論文の類だけを問題にしているのではない。国民の批判精神を涵養するには、広く美術や文芸を含む多様な表現の自由が確保されなければならない。政府の情報コントロールがあってはならない。権力による表現への統制は、国民に対する精神の統制であり、批判の精神を失わしめるのだ。おそらくは、同教授が最も主張したかったことであろう。
戦争の準備はすべてを抹殺する。人の個性も、個性に溢れた芳醇な芸術も。今、そのような時代にさしかかっていることを感じないか。そのように学生に語りかけているのだ。
報道は次のようなものである。
「今年7月に出された放送大学の単位認定試験問題を巡り、大学側が『現政権への批判が書かれていて不適切』として、試験後に学内サイトで問題を公開する際、該当部分を削除していたことが分かった。この部分は安全保障関連法案を念頭に置いたもので、当時は国会審議中だった。
この問題は、客員教授の佐藤康宏・東京大教授(60)=美術史=が、7月26日に670人が受けた「日本美術史」の1学期単位認定試験に出題した。画家が戦前・戦中に弾圧されたり、逆に戦争に協力したりした歴史を解説した文章から、画家名の誤りを見つける問題だった。」
大学側の削除の理由はこうだ。
「現政権への批判が書かれているが、設問とは関係なく、試験問題として不適切」「現在審議が続いているテーマに自説を述べることは、単位認定試験のあり方として認められない」
佐藤氏は納得していない。
「昨年度から2019年度まで6年間の契約だった客員教授を今年度限りで辞めると大学側に伝えた。佐藤氏は『学生に美術史を自分のこととしてリアルに考えてほしかったので、この文を入れた』と説明した。その上で『大学は面倒を恐れて先回りした。そういう自主規制が一番怖い』と話す。」
毎日の取材に対して、大学側はこうコメントしている。
「学問や表現の自由には十分配慮しなければいけないが、放送大学は一般の大学と違い、放送法を順守する義務がある。試験問題も放送授業と一体のものと考えており、今回は放送法に照らし公平さを欠くと判断して削除した」
このコメント、「平和を守るという口実で戦争がおこされる」というロジックとよく似ていないか。「大学は面倒を恐れて先回りした。そういう自主規制が一番怖い」という批判に応え得ているだろうか。放送大学は、「一般の大学との違い」を強調するのではなく、大学教育を受けようと学窓に集う学生の意欲の等質性をこそ強調すべきではないか。大学と名乗る以上はそれにふさわしい場であろうとの努力を惜しんではならない。大学教育を受けるだけの基礎を持った学生たちである。批判の精神と意欲に欠けるところはあるまい。現政権への批判を学内で圧殺して、大学の名に値する教育と言えるのか。
試されているのは、佐藤教授の側ではない。放送大学こそが、試されているのだ。大学の名に値する研究と教育の場であるのか。学問の自由を有しているのか、学問の自由を制度的に保障する大学の自治を有しているのか。
今、放送大学は、佐藤教授の「表現の自由を抑圧し情報をコントロール」に手を染めた。自ら、「国民から批判する力を奪う有効な手段」を行使しているのだ。政権の思惑を忖度して、大学までが追随し萎縮して振り回される時代に危機意識を感じざるを得ない。放送大学の中から、教員や学生の間から、澎湃たる抗議の声が起こることを期待したい。それこそ、時代と切り結ぶ生きた学問の実践ではないか。
(2015年10月20日・連続第933回)
本日は10月19日、戦争法案が「成立」したとされたあの日から1か月が経過した。当然のことながら、違憲な法の成立を心理的に受け容れがたい。どうにも怒りが治まらない。今後もこの怒りを忘れまいと思う。毎月19日には、薪に臥し胆を嘗めることとしようと思う。とりあえず本日は、やや安直だが、ブラックの苦いコーヒーにしておこう。
法「成立」の直後、安倍晋三は疲れ切った表情で、「今後、国民の皆さまにご理解いただけるよう、丁寧な説明を重ねていきたい」と語った。丁寧な説明は、法案成立以前になされるのかと思っていた私がおろかだった。国民の納得なくても、とりあえず数の暴力で法は成立させておいて、丁寧な説明は法の成立したあとに行おうという驚くべき論理。いや非論理というべきだろう。
そう考えた私は甘かった。一国の総理の言だ。それ以上にウソが深いとは思わなかった。安倍晋三のことだ。次の機会には体勢を立て直して、そつなく官僚が作った作文を用意して国民に得々と訴えるのだろう。そう考えていた。ところがどうだ。この「次の機会」がなくなりそうなのだ。安倍流の言葉への無責任に絶句の連続である。
安倍による丁寧な説明の「次」の機会として考えられていたのは、常識的に臨時国会である。毎年秋には臨時国会が開かれる。秋は臨時国会のシーズン。歳時記に秋の季語として、「臨時国会」を収載してもよいのだ。ちなみに、近年の臨時国会開会の月日を列記してみよう。当然今年も、今ごろは臨時国会が開かれていてよい時期なのだ。
2014年 9月29日
2013年10月15日
2013年 8月 2日
2012年10月29日
2011年10月20日
2011年 9月13日
2010年10月 1日
2010年 7月30日
2009年10月26日
2008年 9月24日
2007年 9月10日
2007年 8月 7日
2006年 9月26日
臨時国会を開いてなすべきことは、戦争法についての説明に留まらない。沖縄・辺野古基地新設問題あり、川内原発再稼働問題あり、日中・日韓外交問題あり、TPP交渉公約違反問題あり、「旧3本の矢」の的外れと「新3本の矢」の目眩ましあり、「一億総動員」構築問題あり。また、第3次安倍改造内閣の所信表明も、新閣僚への政策の吟味も必要であろう。何よりも、身体検査なしでの閣僚人事の不備を洗い直し、国会の場での野党による厳しい身体検査が必要ではないか。安倍内閣よ、自公両党よ。逃げてはならない。
通常、国会の会期は与党が法案を通すために機能する。だから、野党は会期の延長には抵抗し、臨時国会の開会には積極姿勢を示さない。ところが、今回は逆の現象が起きている。世論の後押しを背景に、野党の側が国会の外の運動と連携して、政府与党の追及に自信を深めている。政府与党が、逃げ腰及び腰なのだ。久しぶりの珍しい事態。
憲法53条は、臨時国会の開会について、次のように定めている。
「内閣は、国会の臨時会の召集を決定することができる。いづれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない。」
内閣がその気にならないのなら、参院野党の結集で臨時国会を開かせることができる。政府はこれに従わざるを得ない。ぐずぐずしていれば、「ビリケン(非立憲)安倍」の名が再浮上するだけではない。「逃げの安倍」「安倍自信欠乏症」「アベのダマシ」の異名が拡がることになるだろう。
昨日(10月18日)の毎日が「臨時国会見送り 立法府を無視している」という社説を掲載している。
「第3次安倍改造内閣が発足したにもかかわらず、安倍晋三首相の所信表明演説も行われぬまま、年明け後の通常国会に先送りするという選択は理解に苦しむ。
与党は首相の外交日程が立て込んでいることや、環太平洋パートナーシップ協定(TPP)の国会承認を来年の通常国会とすることなどから、召集を見送る方針を固めたのだという。だからといって、見送っていい理由にはならない。憲法は議院内閣制について、内閣は国会に対し連帯して責任を負うと定める。改造人事を行った以上は速やかに国会で首相が所信を表明し、新閣僚の所信聴取を行うことが政府の責任だ。召集見送りは立法府を軽視している。」というトーンだ。
また、「新閣僚をめぐっては、森山裕農相が代表を務める自民党支部が鹿児島県の指名停止措置を受けた複数の業者から合計約700万円の献金を受けていたことが判明し、返金を表明したケースもある。新閣僚の人選が適切だったかを吟味することも、国会の大切な役割だ。これらの事情にもかかわらず野党の召集要求に応じないのであれば、政府が議論を避けたと取られても仕方あるまい。」とも論じている。
我が意を得たり、の内容である。
ところで、もう一紙「産経」も社説を出している。「臨時国会『見送り』 国民への説明を怠るのか」という表題。一昨日(10月17日)のこと。実はこれがなかなかに辛口なのだ。
「国会を通じて国民に説明すべき内容はいくらでもある。『召集の必要性は感じない』と口にする政権の鈍感さにはあきれる。
安倍晋三首相の外遊日程が立て込んでいる、などと理由にならない事情を挙げている。国会を開けば、よほど都合の悪いことがあるのか。いらぬ疑いも招こう。堂々と国会を開き、目指す政治の道筋を語るときである。
政府には、国会で説明を尽くす義務がある。それは国民への説明でもある。召集しなければ党首討論も今年はもう開かれない。国民の理解など進みようもない。
第3次改造内閣は発足したばかりで、新閣僚が国会で最初にすべき所信の表明もまだしていない。来年の通常国会まで先送りするつもりか。
議題は山積している。質疑や批判に堪えられない仕事をしていると、認めるようなものではないか。」という調子。
私は、産経をジャーナリズムとして認めていない。権力の広報紙でしかないと考えているからである。その産経ですら、臨時国会見送り問題については、これほどにも批判せざるを得ないのだ。この問題に限っては、産経との「一点共闘」が成立しそうな成りゆき。喜ぶべきか、はた不愉快と叫ぶべきか。思いはやや複雑である。
(2015年10月19日・連続932回)
「学校に自由と人権を! 10・17集会ー子どもを戦場に送るな!」の集会にお集まりの皆様に、東京君が代訴訟弁護団からご報告を申し上げます。
2003年10月23日、石原慎太郎都政第2期の時代に都教委が悪名高い「10・23通達」を発出しました。以来12年になります。この間、「日の丸・君が代」強制に服することができないとした教職員延べ474名が懲戒処分を受けました。この強権発動は、「日の丸・君が代」強制問題にとどまらず、学校現場を命令と服従の場とし、自由で創造的な教育はすっかり影をひそめてしまいました。
さらに、都教委は「学校経営適正化通知」(06年4月13日)を発して、信じがたいことに、職員会議での挙手採決を禁止しました。学校運営に教職員の意見反映を峻拒したのです。学校現場には、ものも言えない状況が蔓延しています。教職員は疲弊し、意欲を失い、自由闊達な雰囲気を欠いた教育は危機的状況に追い込まれています。その最大の被害者は、子どもたちであり、明日の民主主義といわざるを得ません。
10・23通達に対しては、現場での闘い、社会的な支援の闘いと並んで、10年余の長きにわたる裁判闘争が継続しています。これまでのところ、裁判の成果は勝利を博したとは言えません。しかし、けっして敗北したとも言えない一定の成果は挙げています。残念ながら裁判によって「日の丸・君が代」強制を根絶することはできていませんが、石原教育行政がたくらんでいた教員に対する思想統制は不成功に終わっていると評価できる事態ではあるのです。
これまで、10・23通達関連訴訟判決で、処分違法とされて取消が確定したのは56件、人数では47名となっています。行政には甘い裁判所も、都教委のやり方は非常識で到底看過できないとしているのです。都教委は司法から断罪されたといってよい状態です。ですから、都教委は10・23通達に基づく一連の施策を抜本的に見直すことが求められています。ところが、都教委が反省しているようには見えません。被処分者に対する「再発防止研修」を質量ともに強化し、なんとしてでも、教職員の抵抗を根絶やしにして、「日の丸・君が代」強制を徹底しようとしています。都教委は異常、そう指摘せざるを得ません。
これまでの「10・23通達」関連訴訟全体の判決の流れを概観して見ましょう。
最初、まだ最高裁判決のない時代に大きな成果をあげた時期がありました。これを仮に「高揚期」と名付けます。しかしこの時期は長く続かず、10・23通達以前の事件ですが、ピアノ伴奏強制拒否訴訟の最高裁判決で覆ります。その後しばらく「受難期」が続きます。そして、一定の成果を得て「安定期」にはいります。そして、本日ご報告したいのは、今安定期の域を脱して「再高揚期」にあるということです。都教委の側から見れば、今は「裁判ボロ負け続きの最悪期」なのです。
「高揚期」
10・23通達関連事件で、裁判所が最初の判断を示したのは、再発防止研修執行停止申立(民事事件の仮処分命令申立てに相当します)に対する決定です。裁判長の名をとって須藤(典明)決定と呼んでいる2004年7月の決定は、「内心に踏み込み、思想良心に関わる内容の研修は違法」として、研修内容に歯止めをかけました。さらに、2006年9月の予防訴訟一審判決(難波判決)は、「日の丸・君が代」強制を違憲違法とした全面勝訴の画期的判決となりました。担当裁判所は、教職員と一緒に、石原教育行政の暴挙に怒ってくれたのだと印象をもちました。これで、「『日の丸・君が代』強制は違憲、という流れが決まった」そう思いました。しかし、残念ながらこれはつかの間の喜びに過ぎませんでした。
「受難期」
その後半年足らずで、待ち構えていたように最高裁第三小法廷が、ピアノ伴奏強制拒否事件判決(07年2月)を出します。外形的な行為(君が代斉唱のピアノ伴奏)の強制があっても、必ずしも内心の思想・良心を侵害することにはならないという、奇妙な内外分離論に基づくものでした。
まことに奇妙な合憲論なのですが、最高裁判決は下級審の裁判官に重くのしかかります。ピアノ伴奏だけでなく、君が代不起立を理由とする懲戒処分は、ことごとく合憲合法とされました。事件や当事者に向き合わず、人事権を握る上だけに目をやり、上におもねる「ヒラメ判決」、最高裁判決の言い回しをそのまままねた「コピペ判決」が続きました。まさに受難の時代でした。
その嚆矢をなす典型が、「君が代・解雇裁判」一審佐村浩之判決(07年6月)です。難波判決の直後に結審しながら、ピアノ判決後に弁論再開して、「ヒラメのコピペ判決」を言い渡したのです。関連全訴訟の中心をなす、処分取消訴訟(第1次「君が代裁判」)一審判決(09年3月)も全面敗訴に終わりました。?波判決の控訴審判決も逆転敗訴(11年1月)となりました。ここまでが、長かった苦難の「受難期」です。
「回復・安定期」
この沈滞した局面を打破したのが、第1次「君が代裁判」控訴審、東京高裁大橋判決(11年3月)でした。戒告を含む全原告(162名)について、裁量権濫用にあたるとして違法と断じ、処分取消の判決を命じたのです。最高裁判決の枠には従いながらも、その制約の中で、教員側の訴えに真摯に耳を傾けた画期的判決でした。
難波判決に次ぐこの判決は最高裁では維持されませんでした。それでも、最高裁は減給以上の処分は重きに失するとして取り消しました。こうして、君が代裁判1次訴訟最高裁判決(12年1月)、河原井さん・根津さん処分取消訴訟最高裁判決(12年1月)などかこの仕切りに続き、第2次君が代裁判最高裁判決(13年9月)もこれに従って、「戒告なら合法」「減給以上は裁量権濫用で違法」という判断が定着します。
最高裁は、「日の丸・君が代」の強制は、間接的には思想良心の自由を侵害していると認めます。しかし、間接的な制約に過ぎないから、都教委側にある程度の強制の合理性必要性があれば合憲と言ってよいというのです。納得はできず不服ではありますが、ピアノ判決の理屈よりは数段マシになったとも言えます。
何よりも、原則として戒告だけが認められるとなって、都教委のたくらみであった累積加重の懲戒システムが破綻しました。これは、毎年の卒業式・入学式のたびに繰り返される職務命令違反について機械的に懲戒処分の量定を加重する、おぞましい思想弾圧手法です。心ならずも、思想良心を投げ出して命令に屈服し、「日の丸・君が代」強制を受容するまで、懲戒は重くなり確実に懲戒解雇につながることになるのです。私たちが思想転向強要システムと呼んだ、この邪悪なたくらみは違法とされ、採用できなくなりました。都教委は猛省しなくてはなりません。
再高揚期
そしていま、新たな下級審判決の動向が見られます。最高裁判例の枠の中ですが、大橋判決のように、可能な限り憲法に忠実な判断をしようという裁判所の心の内を見て取ることができます。さらに、10・23通達関連事件に限らず、都教委は多くの処分についての訴訟を抱え、ことごとく負け続けています。いまや、都教委の受難・権威失墜の時代です。これを教員側の「再高揚期」と言ってよいと思います。
ちなみに、最近の都教委が当事者となった事件の判決を並べてみましょう。
13年12月 「授業をしていたのに処分」福島さん東京地裁勝訴・確定
14年10月 再任用拒否(杉浦さん)事件 東京高裁勝訴・確定
14年12月 条件付き採用免職事件 東京地裁勝訴 復職
(15年1月 東京君が代第3次訴訟地裁判決 減給以上取消)一部確定
15年 2月 分限免職処分事件 東京地裁執行停止決定
15年 5月 再雇用拒否第2次訴訟 東京地裁勝訴判決
15年 5月 根津・河原井さん停職処分取消訴訟 東京高裁逆転勝訴
15年10月 Kさん、ピアノ伴奏拒否事件東京地裁処分取消判決
原処分・停職→人事委員会修正裁決・減給処分→東京地裁・減給取消
以上のすべてが、10・23通達関連判決ではありません。しかし、明らかに、10・23通達関係訴訟で明らかになった、都教委の暴走を到底看過できないとする裁判所の姿勢が見て取れます。今や都教委は、悪名高い暴走行政庁なのです。
各原告団・各弁護団による総力の努力が相乗効果を産んでいるのだと思います。何よりも、最高裁判決と2名の裁判官の反対意見(違憲判断)、とりわけ宮川裁判官の意見、そして多くの裁判官の補足意見の積極面が生きてきていると実感しています。まだ十分とは言えませんが、粘り強く闘い続けたことの成果というべきではないかと思っています。
これから、闘いは続きます。まずは、最高裁の「論理」の構造そのものを徹底して弾劾し、真正面から判例の変更を求める正攻法の努力をしなければなりません。裁判所に対する説得の方法は、「大法廷判例違反」「学界の通説に背馳」「米連邦最高裁の判例に齟齬」などとなるでしょう。そして、「職務命令違反による懲戒処分が戒告にとどまる限りは懲戒権の濫用にあたらない」という判断を、大橋判決のように「すべての懲戒が権利濫用として違法になる」という判断の獲得はけっして不可能てはないと考えています。
さらに、まだこの問題に関して最高裁判決が語っていないことでの説得ー迂回作戦を試みなければなりません。
「主権者である国民に対して、国家象徴である国旗・国歌への敬意を表明せよと強制することは、立憲主義の大原則に違反して許容されない」「「日の丸・君が代」強制は、憲法20条2項に違反(宗教的行為を強制されない自由の侵害)に当たる」「憲法26・13条・23条を根拠とする「教育の自由」侵害に当たる」「子どもの権利条約や国際人権規約(自由権規約)に違反する」等々の主張についても、手厚く議論を積み上げていきたいと思います。
法廷内の闘いと、現場と支援の運動。そして、司法の体質を変える運動。さらには、都政そのものの質を変える運動。文科省の教育政策を弾劾する運動などと結びついて、粘り強く最終的な勝利を展望したいと思います。よろしく、ご支援をお願いいたします。
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公表された議事録作成の経緯の検証と当該議事録の撤回を求める申し入れ」への賛同署名のお願い
そもそも存在しない安保関連法案の「採決」「可決」を後付けの議事録で存在したかのように偽るのは到底許されません。私たちは、このような姑息なやり方に強く抗議するとともに、当該議事録の撤回を求める申し入れを提出します。ついては多くの皆様に賛同の署名を呼びかけます。
ネット署名:次の署名フォームの所定欄に記入の上、発信下さい。
http://goo.gl/forms/B44OgjR2f2
賛同者の住所とメッセージを専用サイトに公開します。
https://bit.ly/1X82GIB
第一次集約日 :10月27日(火)22時とします。なお、詳細は、下記ブログをご覧ください。
https://article9.jp/wordpress/?p=5768
(2015年10月18日・連続931回)
2015年10月17日
「公表された議事録作成の経緯の検証と当該議事録の撤回を求める申し入れ」への賛同署名のお願い
10月11日に参議院のホームページに、9月17日に開催された安保特別委委員会の議事録が公表され、安保関連法案等をいずれも可決すべきものと決定した、との文言が速記録に追加されました。また、〔参照〕として、横浜地方公聴会速記録が追加されました。
私たちは去る9月25日に3万2千余の賛同署名を添えて、山崎参議院議長と鴻池特別委委員長宛に「安保関連法案の採決不存在と法案審議の続行を求める申し入れ」を提出しましたが、そもそも存在しない安保関連法案の「採決」「可決」を後付けの議事録で存在したかのように偽るのは到底許されません。私たちは、このような姑息なやり方に強く抗議するとともに、山崎正昭・参議院議長、鴻池祥肇・参議院「我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会」委員長ならびに中村剛・参議院事務総長宛に連名で、別紙のような「公表された議事録作成の経緯の検証と当該議事録の撤回を求める申し入れ」を提出することにしました。
つきましては、多くの国民の皆様に賛同の署名を呼びかけ、寄せられた署名簿をこの申し入れ書に添えることにしました。
具体的には、次のような方法で署名を呼びかけます。多くの皆様の賛同をお願いいたします。
1. ネット署名:次の署名フォームの所定欄に記入の上、発信下さい。
http://goo.gl/forms/B44OgjR2f2
賛同者の住所とメッセージを専用サイトに公開します。
https://bit.ly/1X82GIB
2. 第一次集約日 :10月27日(火)22時とします。
申し入れ者(賛同署名呼びかけ人)
池住義憲(元立教大学大学院特任教授)
浦田賢治(早稲田大学名誉教授)
小野塚知二(東京大学・経済学研究科・教授)
澤藤統一郎(弁護士)
清水雅彦(日本体育大学教授)
醍醐 聰(東京大学名誉教授)
藤田高景(村山首相談話を継承し発展させる会・理事長)
森 英樹(名古屋大学名誉教授)
連絡先 E・メールsaiketunai-1@yahoo.co.jp
電話:080?7814?9650
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2015年10月○日
参議院議長 山崎正昭様
参議院「我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会」委員長 鴻池祥肇様
参議院事務総長 中村 剛様
公表された議事録作成の経緯の検証と当該議事録の撤回を求める申し入れ
(申入者後掲)
前略 10月11日に参議院のホームページに公表された、9月17日開催の「我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会」の議事録において、速記録にはなかった「右両案の質疑を終局した後、いずれも可決すべきものと決定した。なお、両案について附帯決議を行った。」という追記がなされ、〔参照〕として横浜地方公聴会速記録が掲載されました。報道によれば、こうした追記は鴻池委員長の判断でなされたとのことです。
これについて、4つの野党会派は14日、中村剛参議院事務総長に対し、こうした議事録が作成された経緯の検証と撤回を求める申し入れを行いました。
去る9月25日に3万2千余の賛同署名を添えて、山崎参議院議長と鴻池特別委委員長宛に「安保関連法案の採決不存在と法案審議の続行を求める申し入れ」を行った私たちは、そもそも存在しない安保関連法案の「採決」「可決」を後付けの議事録で存在したかのように取り繕う姑息なやり方に強く抗議します。
9月17日の委員会室は速記録で「議場騒然」「聴取不能」と記載されたような状況であり、テレビで実況中継を視聴した国民の圧倒的多数は「あれで採決、可決などあり得ない」と受け止めています。
今回の議事録に追加された「議事経過」には、次のような重大な偽り、あるいは採決の存在を議事録への追記で証明しようとする試みの道理のなさが露呈しています。
(1)5つの案件が採決されたと言われたにもかかわらず、委員長が1件ごとに、参議院規則第49条、第136、第137条に基づいて表決に付すと宣告した旨の記載、ならびに、委員長が起立者の多少を認定して表決の可否の結果を宣告した旨の記載が一切ありません。これでは「採決」「可決」は存在しないとする私たちの指摘を何ら反証したことになりません。
(2)公表された議事録で追加された「議事経過」の中に、「両案について附帯決議を行った」との記載があります。しかし、この案件については、上記と同様、参議院規則に基づいた表決の宣告も表決の結果の宣告も記されておらず、正規の議事録とはみなせません。
さらに、本附帯決議については、慣例となっている全委員への案文の事前配布はなく、特別委で決議案文が提案されたことを認知した委員がどれほどいたかすら疑わしいのが実態とされています。鴻池委員長の一存で、このような附帯決議が決せられたと議事録に書き加えるのは民主的議会運営の常識を蹂躙する暴挙以外の何物でもありません。
(3)末尾に〔参照〕として、横浜地方公聴会速記録が掲載されましたが、この速記録の内容が「採決」なるものに先立って特別委に報告された事実はありません。事実に反して、後付けで、〔参照〕などという標題を付けて地方公聴会の報告を鴻池委員長の独断で会議録に追加するのも暴挙というほかありません。
(4)公表された「議事経過」の追記は鴻池委員長の判断と指示でなされたと報道されていますが、委員長といえども、事実を無視し、参議院規則に反する議事進行を議事録に書き込むことを指示する権限はありません。
以上から、私たちは貴職に対し、次のことを申し入れます。
1.今回、公表された議事録の追記が作成された経緯(誰の、いかなる指示・判断で
作成されたものか)を厳密に検証し、その結果を公表すること。
2.事実に背き、参議院規則にも反する議事進行を正当化しようとするまやかしの議事録を撤回すること。
3.安保関連法案の採決・可決の不存在を直ちに認め、法案の取り扱いを至急、協議するよう、各党会派に諮ること。私たちは法案の段階に立ち返って言えば、違憲の法案を廃案とするよう、求めます。
申し入れ者
○○○○ (所属)
○○○○ (所属)
・・・・・・
以上
(2015年10月17日・連続930回)
本日(10月16日)の朝日に、「共産・志位氏『連合政府実現なら日米安保廃棄を凍結』」の大きな記事。共産党の戦争法廃止に向けた、国民連合政府構想が大きな関心を呼んでいる。
「共産党の志位和夫委員長は15日、東京都内の日本外国特派員協会で会見し、安全保障関連法を廃止するために提唱する「国民連合政府」が実現すれば、「日米安保条約の枠組みで対応する。急迫不正の時には自衛隊を活用する」と述べ、党綱領で掲げる日米安保条約の廃棄や自衛隊の解消などの政策を凍結する考えを示した。安倍政権に対抗する野党の結集をめざし、現実的な対応を強調したものだ。
志位氏は会見で「私たちは国民連合政府という政権構想が、現時点で安倍政権に代わる唯一の現実的で合理的な政権構想だと確信している」と話した。さらに「戦争法廃止、立憲主義の回復という国民的大義での大同団結ができれば、相違点は横に置き、一致点で合意形成を図る」と語った。」
また、朝日の記事では、「共産、野党結集へ動く」「『安保法廃止』本気アピール」との見出しで、「(戦争法)成立後の同月19日には、党中央委員会総会を開き、「戦争法廃止、立憲主義を取り戻す。この一点で一致するすべての政党・団体・個人が共同して『国民連合政府』を樹立しよう」と宣言。その上で野党間の政策的な違いについても「互いに留保・凍結して大同団結しよう」と呼びかけた。」とまとめられている。
「戦争法を廃止して立憲主義を取り戻す」この一点を大義とし、この一点での共闘で、選挙協力をし、国民連合政府を作ろうというのが共産党の提案である。そのあまりの大胆さに、やや戸惑いを禁じ得ない。他の多くの課題を切り捨ててこの一点の共闘で本当によいのか。各政党や政治勢力がそれぞれに持つ理念や主張を棚上げできるのか。何より、この提案が反安倍勢力の総結集に現実性を持つものなのだろうか…。
かつて、民主連合政府構想というものがあった。1970年代の遅くない時期に、「革新三目標」で一致できる諸勢力を糾合して、民主的な統一戦線政府を作ろうと、共産党が呼びかけたものである。
革新勢力がさしあたって一致できる目標とされた、「革新三目標」とは、
(1)日米軍事同盟と手を切り、真に独立した非核・非同盟・中立の日本をめざす
(2)大資本中心、軍拡優先の政治を打破し、国民のいのちと暮らし、教育をまもる政治を実行する
(3)軍国主義の全面復活・強化、日本型ファシズムの実現に反対し、議会の民主的運営と民主主義を確立する
というものであった。
「安保廃棄」・「経済民主化」・「政治的民主主義の確立」の3点。これなら、革新の3課題であり3目標である。違和感はなかった。今度の提案は、まずは安保廃棄は棚上げだ。自衛隊の存続も認める。集団的自衛権の行使は容認しないが、自衛のための武力行使までは認めることになる。
安全保障以外にも課題は多い。沖縄・原発・TPP・雇用・福祉・教育・近隣外交…。はたして、敢えて「戦争法廃止して立憲主義を取り戻す」の一点で、選挙協力が可能だろうか。政府の運営ができるのだろうか。
逡巡は残しつつも、結局のところ、いま反安倍勢力を結集するスローガンを考えて、「戦争法廃止」「立憲主義の回復」以上のものも、以外のものも思いつかない。思い至ったのは、今求められているのは、「革新の統一」ではない。反安倍勢力の結集は革新の課題ではなく、保守をも含めた民主主義・立憲主義の課題だということ。だから、逡巡は不要ではないのか。
私は、安倍政権打倒のためなら、悪魔との契約も辞さない立場だ。それに比べれば安保廃棄も自衛隊違憲も脇に置く課題でよいと言うべきなのだ。安保ハンタイ、自衛隊イケンは、自らの見解と留保しつつも、大同団結の輪の中で「戦争法廃止」「立憲主義の回復」の声を上げよう。「美しい日本を取り戻す」のではない。戦争法を廃止して、「まともな立憲主義に基づく日本を取り戻す」ためにだ。
戦争法国会の最終盤、国会を取り囲むデモの中から印象的なシュプレヒコールが巻きおこった。「野党は共闘、野党は共闘」。院内から、デモの現場に議事の様子を報告に駆けつけた野党議員に対してのもの。
戦争法案の廃案を求めるデモのうねりが、野党共闘の背を押したのだ。法が成立したからといって、この事態を放置しておくことはできない。今度は戦争法を廃止する闘いを続けなければならない。そのためには、選挙に勝つしかない。選挙に勝って反安倍勢力の暫定政権を作らねばならない。いち早くこの世論の声に応えたのが共産党だが、共闘は相手あってのもの。他党・他勢力の立場を尊重して、大きな共闘の成立にに尽力して欲しいと思う。
同じ朝日の報道では、「国民連合政府を持ちかける共産党との連携に、民主党内の大半は後ろ向きだ。岡田克也代表は15日の都内での講演で、「同じ政権を作るのはかなりハードルが高い。基本的な政策の違いが現時点で多過ぎる」と否定的な考えを示した。」という。
まだまだ、国民のシュプレヒコールの音量が足りないようだ。
精一杯声を出そう。「野党は共闘、野党は共闘!」「反安倍勢力は一つにまとまれ」「選挙で足の引っ張り合いをするな」「小異を捨てて大同に就け」「国民の大義につけ」「戦争法廃止で大同団結をせよ」
(2015年10月16日・連続929回)
昔、二条河原の落首が庶民の鬱憤を代弁した。
今、電車の中吊り広告がこれに代わっている。
週刊誌の中吊り広告に落首ほどの品格はなく、権勢・権力に抵抗の気概があるわけでもない。とはいえ、ときにその記事の見出しに目を瞠る。庶民の気分をよく表わすものとして中吊りは貴重だ。これを見れば記事の中身は推察できる。だから週刊誌本体を買う必要がない。買えば、損したと思うに決まっている。
本日発刊の「週刊文春」10月22日号の中吊りが読ませる。大小さまざまの見出しが躍って、10月7日発足の第3次安倍改造内閣に対する国民の評価が如実に表現されている。
ああ「一億総活躍」という名の的外れ
〈アベノミクス新三本の矢〉
■「デフレ脱却」もできないのにゴキゲン安倍総理のズレ加減
■徳岡孝夫「私らみたいな年寄りに活躍と言われても…」
■安倍ブレーンも認める「出生率1・80は難しい」
「19人総活躍内閣」は国民の模範ですよね
▼「パンツ泥棒」の常習犯! 高木毅 復興大臣
「いきなり家に押し入り二階の箪笥を開けて…」
▼新政権の目玉 河野太郎 脱原発はどうした?
▼紅の新大臣 丸川珠代がすがる「パワーストーン」
▼馳浩文科相 本誌だけが掴んだ献金疑惑!
入閣拒否 小泉進次郎「一人ぼっちの党内野党宣言」 常井健一
池上彰 「一億総動員」「一億火の玉」的発想は時代錯誤だ
安倍内閣に対する「いやーな感じ」が満載。庶民の気持ちをよく表している。
それだけでない。第2次安倍改造内閣の閣僚人事に瑕疵ありとして、高木毅復興大臣を「『パンツ泥棒』の常習犯!」と呼ぶ。これは穏やかでない。
週刊新潮のトップも大同小異。
やっぱり見落とされた〈新大臣〉「身体検査」の落第判定
・「下着ドロボー」が「大臣閣下」にご出世で「高木毅」〈復興相〉の資質
〈「安倍内閣」が踏んだ大型地雷!〉
・「暴力団」事務所に出入りの過去がある株成金の「森山裕」〈農水相〉
こちらは、復興相を「パンツ泥棒」ではなく「下着ドロボー」と呼ぶ。そして、「暴力団」事務所に出入りの農水相だ。
注目すべきは、週刊誌がそれぞれの「新大臣・身体検査」を実行して落第判定をしていることだ。国民総がかりで、戦争法賛成議員の「身体検査」を行おうではないか。まずは、来年7月の参議院議員選挙・地方区への立候補者だ。徹底した身体検査とその公表によって違憲立法加担議員を落選させよう。
この議員を対象として、ホームページに一覧表を掲載し、あらゆる公開情報を貼り付けていく。一つは、国会議員としての資質に問題ありとする情報の収集だ。「パンツ泥棒」や「暴力団」との交際、体罰容認などの類の言行録の集大成。これを誰もが閲覧可能なホームページに掲載して、アクセス数を増やす努力をしよう。
もう一つが、金の流れについての身体検査だ。保守政治家は金に汚い。叩けばきっとホコリが出て来る。政治資金収支報告書や政党交付金使途等報告書、選挙運動費用収支報告書、議員資産公開法にもとづく公開制度などにもとづくあらゆる公開資料を掲載する。公開期間切れとなったものについては情報公開請求をする。こうした公開資料を付き合わせ分析し、複数情報の整理によって問題点を洗い出そう。
資金の「入り」についても「出」についても、不当不正を徹底して追求し、あるいは公開質問状を発し、あるいは言論をもっての批判を加え、立件可能な事案があれば躊躇なく告発しよう。
週刊誌ですら、相当のことをやっている。多くの国民の知恵と力を結集すれば、自民・公明・次世代・元気・改革各党の違憲立法加担議員の追放をできないはずはない。
(2015年10月15日・連続928回)
昨日(10月13日)、翁長雄志沖縄県知事が、米軍辺野古新基地建設のための公有水面埋め立承認を取り消し文書をもって沖縄防衛局に通知した。圧倒的な県民世論を背景にしての英断だが、翁長知事のぶれない硬骨の姿勢にあらためて敬意を表したい。
政治的には、この知事の動きで勝負あったというべきだろう。安倍政権は、辺野古新基地建設断念をオバマに報告すべきなのだ。次のように言ってみてはどうだろう。
「大統領閣下、ワタクシ安倍はご要望に応えるべく精一杯の努力はいたしましたが、結局辺野古新基地建設は断念せざるを得ません。地元沖縄県民の世論がこれを許さないからです。」「ワタクシも、かなり汚い手を使って、金の力で地元民の分断と切り崩しを謀ったのですが、ますます評判が悪くなるばかり。もうあきらめざるを得ない事態なのです。」「ご認識なかったかも知れませんが、日本は民主主義を標榜する国なのです。地元沖縄の基地反対世論が、ここまで盛り上がり明確になった以上は、もはやこれを押し潰そうとすることは逆効果。」「おそらくは、ホンネとタテマエの両面において価値観を同じくするお国のこと。民主主義のタテマエで処理をせざるを得ない事態に立ち至った事情を、ご了承いただけるものと拝察いたします。」
ところが、安倍政権はこういう賢明な態度を採らなかった。昨日(13日)国(安倍内閣)は海域埋立の法的根拠を失ったが、埋め立てを強行する構えを崩さず、本日(14日)行政不服審査法に基づく審査請求と執行停止の申立を行った。悪あがきというほかはない。
国が、審査請求を申し立てた先は、公有水面埋立法を管轄する国土交通大臣。その任にあるのは、今月7日付で就任したばかりの新米大臣・石井啓一(公明党)である。その石井啓一の姿勢が、いま厳しく問われている。
翁長知事の埋め立て承認取り消しによって、安倍政権対オール沖縄の対立構造が鮮明になった。また、この問題こそが、戦争法反対闘争後の「安倍対反安倍」の全国的対決を再現するテーマである。戦争法反対運動で構図が明らかとなった、「安倍・自・公」対「野党連合・市民・学生・若者・女性・学者」の対立のテーマでもある。この対立が形づくるせめぎ合いのど真ん中に、公明党の石井が出てきたのだ。
下駄の雪同然に自民にくっついてその存在感を喪失し、支持率も大きく下げた公明党の大臣である。安倍内閣の一員として、「やっぱり下駄の雪」で終わるのか、それとも沖縄県民に向き合って「さすが平和の党」と評判を取り戻すのか。さあ、ここがロドースだ。飛んで見ろ。
とりわけ注目されるのは、国からの審査請求と同時になされた執行停止申立の取り扱いである。県知事の埋め立て承認が取消された現在、国は埋立工事を続行できる立場にはない。行政不服審査法第34条1項が「審査請求は、処分の効力、処分の執行又は手続きの続行を妨げない」(国が知事の承認取消を不服として審査請求をしても、取消処分の効力は続行する)と、執行不停止を原則としているからである。
但し、同条2項「処分庁の上級行政庁である審査庁は、必要があると認めるときは、審査請求人の申立てにより又は職権で、執行停止をすることができる」に基づいて、国交相の執行停止決定があれば、国は審査請求が裁決に至るまでの審議期間の埋立工事続行が可能となる。
石井啓一よ、公明党よ。安倍自民の下駄の雪との批判を覚悟で執行停止申立を認容するか、それともオール沖縄の世論に配慮して執行停止の申立を却下するか。沖縄県民だけでなく、心ある国民が固唾を飲んで見守っているぞ。憲法の民主主義と恒久平和主義も見守っている。おそらくは「平和の党」に期待する創価学会員もだ。公明党の姿勢が厳しく鋭く問われているのだ。
メディアの代表的な見方は下記のようなもの。
「承認が取り消されたものの、政府は行政不服審査法に基づいて公有水面埋立法を所管する国土交通相に不服審査請求し、取り消しの一時停止も求めるため、政府の移設作業が大幅に中断する可能性は低い。」(毎日)
国土交通相とて所詮は安倍内閣という同じ穴のムジナだからという見方だ。しかし、果たしてそうだろうか。
普段は馴染みのない、カタカナ書きの公有水面埋立法を繙いてみる。
第4条1項の本文が興味を惹く。「都道府県知事ハ埋立ノ免許ノ出願左ノ各号ニ適合スト認ムル場合ヲ除クノ外埋立ノ免許ヲ為スコトヲ得ズ」という。つまり、原則不許可で、限定列挙した要件に適合する場合以外には許可をしてはならないという建て付けなのだ。
問題は、同条1号「国土利用上適正且合理的ナルコト」、及び2号「其ノ埋立ガ環境保全及災害防止ニ付十分配慮セラレタルモノナルコト」の免許要件である。「左の各号の一に適合」ではなく、「左の各号に適合」しなければならないのだから、その全部に適合しなければ「免許(国が許可を求める場合は、「免許」が「承認」になる。法42条1項)をしてはならない」ということなのだ。
取消処分の理由は、「前知事の承認には瑕疵が認められた」ということにある。要するに、「法4条1項1号と2号の要件を満たしていないことが明らかになった」としてその詳細が縷々述べられている。
その中で圧倒的に紙幅が割かれているのが「環境保全措置(の欠如)」についての叙述。項目だけを列挙すれば以下のとおりである。
1 辺野古周辺の生態系
2 ウミガメ類
3 サンゴ類
4 海草藻類
5 ジュゴン
6 埋立土砂による外来種の侵入
7 航空機騒音・低周波音
そして、総論として強調されているのは、「いったん埋立が実施されると現況の自然への回帰がほぼ不可能」という悲鳴なのだ。
石井啓一よ、公明党よ。「安全保障こそが公共の利益、ウミガメやサンゴやジュゴンどころではない」などとのたもうてはならない。ウミガメもジュゴンも、人類を包み込んでいる生態系の貴重な一部なのだ。失われた自然環境や生態系は回復不可能ではないか。審査請求にたいする裁決が出るまでの間、広大な海を破壊し尽くす、あの工事をストップせよ。執行停止の名による環境破壊の続行を認めてはならない。
いま、環境保全・生態系維持は錦の御旗だ。この理念に反感を持つものはいない。逆らえる者はない。これを尊重せよ。ピンチをチャンスに変えよ。安倍晋三には、「法の原則と環境保全の重要性からこうなりました。長い目で見ればこの方が内閣支持率の向上につながりますよ」と報告すれば済むことではないか。さすれば、石井の名が上がる。公明党の支持率も上向くことになるだろう。
でなければ、公明党がどこまでも自民党の下駄の雪であり、公明党出身閣僚も同じ穴のムジナであることを天下にさらけ出すことになる。石井の名を下げ、公明党の支持率をさらに急降下させることになるだろう。
(2015年10月14日・連続927回)
本郷三丁目交差点をご通行中の皆さま、「本郷・湯島九条の会」からの訴えです。少しの時間、耳をお貸しください。
95日もの会期延長をした、異例ずくめの通常国会が幕を閉じました。この国会で、安倍政権と自公両党は、私たち国民が大切にしてきた、かけがえのない三つの宝を深く傷つけました。
その一つは、立憲主義。
もう一つは、民主主義。
そして、恒久平和主義。
安倍政権は、立憲主義を蹂躙し、民主主義を踏みにじり、恒久平和主義を侵害したのです。あらためて、安倍晋三とその取り巻きに、そして自民・公明の与党に対し、満腔の怒りをもって抗議します。
いうまでもなく、我が国は憲法に基づく政治を標榜しています。憲法の手続によって政治権力が形作られ、憲法が権力の暴走なきよう制約しています。立法・行政・司法のすべての分野における国家の権力作用は、憲法に基づかねばなりません。
ところが、安倍晋三とその一味は、憲法9条が邪魔でしょうがない。日本を戦争のできる国に作りかえようとたくらんできました。本来、そのためには憲法自身が定める憲法改正手続を経るしか方法はありません。しかし、それは国民世論が許さぬことで、およそ現実性がないと悟らざるを得ませんでした。
そこで安倍は、抜け道を考えました。まず、憲法改正の手続条項を変更して、改憲のハードルを下げようとしたのです。ところが、このたくらみが世論の反撃に遭って大失敗。「プレーヤーがルールを変えようとは僭越至極」「やり方が汚い。姑息」「裏口入学的やり方ではないか」。悪評散々で引っ込めなければならなくなりました。これが一昨年の春から夏にかけてのこと。
それでも彼はあきらめず、別の手を考えました。「たまたま今、議会内の議席数は与党で圧倒的多数を占めている。それなら、法律で憲法9条を実質的に変えてしまおう」。昨年の7月1日、閣議決定で集団的自衛権行使容認を宣言し、これに基づく法案をこしらえました。憲法を壊す、下克上の法律。戦争法を無理矢理成立させることで、立憲主義を蹂躙したのです。
そして皆さん。先月17日夕刻のことを思い出してください。あの特別委員会の採決の模様を。いや、正確には採決などはなかった。採決と称する怒号と混乱の模様を。
私は、「人間かまくら」という言葉をこのとき始めて耳にしました。委員長を取り巻いて、野党の抗議を遮断したあの人間かまくらを作った人たちは、特別委員会の与党委員ではなく、自民党議員の秘書連中だったというではありませんか。ルール無視。力づくでの採決もどきの混乱を、採決あったとしたのです。
もちろん、速記録には、「発言する者多く、議場騒然、聴取不能」とだけ書かれていました。採決不存在というほかはないのです。ところが、10月11日になって、速記録に加筆が行われた。11の法案について、「質疑を終局した後、いずれも可決すべきものと決定した」「なお、両案について附帯決議を行った」というのです。あの混乱のなか、それはあり得ない。明らかな捏造です。これは、民主主義を踏みにじる暴挙と指摘せざるを得ません。
このようなやり方で成立したとされた戦争法は、憲法の恒久平和主義を侵害する内容です。この11本の法律を束にして、政府与党は「平和安全法制」と呼んでいます。また、マスコミの多くは「安全保障法制」、略して「安保法制」という言葉を使っています。しかし、この法律に反対する私たちは、ズバリ「戦争法」と名付けました。一定の要件が整えば、日本も戦争をすることができると定める法律だから戦争法。文字どおり、日本を戦争のできる国とする法律だから、戦争法なのです。
平和憲法は一切の戦争と武力行使を禁じたはずではありませんか。最大限譲歩しても、現に侵略を受けた場合の自衛のための武力行使容認に限られる。それ以外の戦争も武力の行使もできるはずがない。そのような常識で、戦後70年を過ごしてきた日本ですが、トンデモナイ安倍内閣は、自衛のための武力行使に限らず、集団的自衛権行使を容認する法を成立させたのです。他国の戦争を買ってまで、戦争に参加しようというのです。
私たちは70年前、戦争の惨禍を繰り返さないことを誓って、平和国家日本を再生しました。そのとき、なぜあのような悲惨で無謀な戦争をしてしまったのか、十分な反省をしたはずです。その答の一つが、民主主義の不存在でした。戦前、国民は主権者ではなく、統治の対象たる臣民でしかありませんでした。自分たちの運命を自分たち自身で決めることのできる立場になかったのです。情報に接する権利も、意見を発して政治に反映させる権利も、まことに不十分でしかありませんでした。民主主義がなかったから、戦争に突き進んでしまったのです。
今まだ私たちは民主主義を失ってはいません。今からでも遅くはありません。主権者として、戦争を可能とする戦争法廃止を強く求め、平和を壊す安倍政権にノーを突きつけましょう。私たちは、選挙の日一日だけの主権者ではない。いま、安倍政権は、選挙によって多数の支持を受けたとする傲慢をひけらかしていますが、戦争法成立には多くの国民の怒りが沸騰しています。
この怒りを忘れず持続しようではありませんか。来年7月に行われる参議院選挙まで、怒りを持ち続け、この選挙にぶつけようではありませんか。
水島朝穂さんが、ヒトラーの「わが闘争」に、「大衆の理解力は小さいが、その代わり忘却力は大きい」「宣伝はこれに依拠せよ」というくだりがあると指摘しています。いま、安倍晋三もヒトラーを真似して、国民の忘却に期待し、依拠しようとしています。しかし、安倍に言いたい。「主権者を『忘却力が大きい』と舐めてはならない」と。
私たちは反安倍勢力を総結集して、自公両党との選挙戦を勝ち抜こうという試みに賛意を表します。立憲主義・民主主義・平和主義の破壊に加担した、自民・公明そして、次世代、改革・元気各党の議員の落選運動を始めようではありませんか。国民自身のこの手で、立憲主義・民主主義・平和主義を再構築しようではありませんか。
(2015年10月13日・連続926回)
「仲畑万能川柳」(略して「万柳」)欄は、毎日新聞の名物である。川柳こそは庶民の文藝。俳句という高踏趣味に畏れをなす人も、川柳となれば親しめる。誰だってちょっと指を折ってみたくもなる。だから投句川柳欄を持つ紙誌は数知れない。その中で、専門誌は別として、毎日「万柳」欄の規模を凌駕するものはないだろう。質も高い。
とはいうものの、「万柳」欄の時事・政治ネタの量と質はイマイチなのだ。最大の欠点は紙面掲載が遅いこと。せっかくの素材の鮮度が落ちて、伸びた蕎麦状態での掲載となることがしばしばである。
それでも、この度の戦争法問題、ようやく万柳欄を賑わしている。10月10日(土)と11日(日)の掲載句全36句を、勝手にネタ分類して並べ直してみる。
☆政治ネタ(20句)
強行が破壊していく民主主義 神戸 中林照明
多数決そこまでやっていいんかい 大阪 佐伯弘史
多数決なんでも出来ます違憲でも 太宰府 可坊
頭数最も発揮される国会(とこ) 矢板 次男坊
ねじれてたほうがよかった国会は 湖西 宮司孝男
丁寧な説明聞かず会期終え 千葉 びんちゃん
次選挙2度と間違いいたしません 射水 江守正
中国に?アメリカにでしょ負けたのは 香芝 シャウザウ
美容院初めて政治談議した 東京 寿々姫
学生の褌借りる民主党 西脇 八重子の子
1年も経てば忘れるさと自民 湖西 宮司孝男
平和の党支持母体にも背を向ける 横浜 クロさん
いわゆると断固で出来た安保法 中間 哀路兄
ならぬものならぬと言えぬ法制局 生駒 鹿せんべ
じいちゃんが赤紙のこと話し出し 糸島 宮崎善輝
訪米とゴルフが好きな安倍総理 東京 ほろりん
自民党ナンバーツーが見当たらず 越谷 小藤正明
侍(もののふ)は野田氏一人か自民党 安中 坂東太郎
沖縄の返し忘れたままの空 八王子 佐々木冬彦
責任は誰にも無くて稼働する 春日井 斎藤清美
☆国際ネタ(2句)
この国に生まれただけでもうけもん 会津若松 遠藤剛
難民にやっぱし神は不平等 大崎 髀肉嘆
☆五輪スポーツ・ネタ(8句)
東京で出た世界新建設費 仙台 はらほろひ
新しいことば覚えたエンブレム 福岡 鳥の声
ベルギーと聞いて連想エンブレム 福岡 ナベトモ
エンブレムグリコの下に五輪入れ 泉佐野 興好爺
マイナンバーカードデザイン大丈夫? 秦野 マッキー
五郎丸初めて知って初めて見 津 紅金魚
ラグビーで三大新聞スポーツ紙 横浜 ジラム
真央の名をスピンさせても真央と見え 柏原 ミストラル
☆企業ネタ(2句)
あんなテがあったかさすがVW 鴻巣 雷作
東芝を見限りそうなサザエさん 和歌山 かぎかっこ
☆結婚ネタ(2句)
福山が結婚ライバルひとり減り 名古屋 伊藤昌之
わが妻は福山などに動じない 横浜 おっぺす
☆ノンジャンル(2句)
何もない戦後にあった解放感 福岡 猫懐
カレンダー見てるよに咲く彼岸花 鎌ケ谷 ありの実
いつもは満載の社会ネタ、職場ネタ、家族・夫婦ネタ、老齢ネタ、学校ネタ、恋愛ネタがなく、圧倒的に政治ネタ。それも、戦争法への批判が大多数。政治ネタに次いで五輪ネタの句数が多いが、さして面白い句はない。
野暮は承知で、少々の解説をこころみたい。
強行が破壊していく民主主義
多数決そこまでやっていいんかい
多数決なんでも出来ます違憲でも
頭数最も発揮される国会(とこ)
いわゆると断固で出来た安保法
丁寧な説明聞かず会期終え
中国に?アメリカにでしょ負けたのは
以上7句は、安倍内閣と自公による民主主義の形骸化と立憲主義の破壊を弾劾している。「アメリカにでしょ」の句は、戦争法提案の根拠とされた中国敵視政策への批判。これを採用した選者のセンスは見上げたもの。
批判さるべきは安倍だけではない。与党の数の暴力を可能としたのは選挙民である。そこで、
ねじれてたほうがよかった国会は
という嘆きとなり、
次選挙2度と間違いいたしません
と反省することになる。自公候補に票を投じたことは疑いもなく間違いだったのだ。この国民の反省と、
1年も経てば忘れるさと自民
という自民(公明も)のうそぶきとの勝負となる。まずは、来夏の参院選で切り結ばねばならない。
注目すべきは、戦争法案反対運動の広がりである。
美容院初めて政治談議した
じいちゃんが赤紙のこと話し出し
普段はオシャレ談義をする場で、この度は「戦争怖いね」「安倍さんってイヤな感じ。アブナイね」と話しが弾んだという。また、これまで黙していたじいちゃんも、いよいよ語らねばならぬときと悟ったというのだ。
学生の褌借りる民主党
これは、シールズの活躍へのコメントたが、投句者も選者も小意地が悪い。
そして安倍・自民党への批判が
訪米とゴルフが好きな安倍総理
自民党ナンバーツーが見当たらず
侍(もののふ)は野田氏一人か自民党
野田聖子を党内唯一のもののふと言う。すると他はすべからく怯懦の徒か。
公明党への批判は、
平和の党支持母体にも背を向ける
法制局への批判もある。
ならぬものならぬと言えぬ法制局
戦争法以外の政治ネタは、沖縄と原発である。
沖縄の返し忘れたままの空
責任は誰にも無くて稼働する
以前の句で、次のようなものもあった。いずれもぎょっとさせる内容。
政治家がみんな軍服着てる夢 鎌倉 狩野稔
戦士にはさせぬと母は男(お)の子抱く 寝屋川 きよつぐ
この万能川柳欄に表れている庶民の感覚は健全である。明らかに今世論は、安倍政権と自公与党の暴走に怒り、あるいは危うさを感じている。前回選挙で与党に議席を与えすぎたことを反省し、次は与党に票をやりたくないと考えている。この怒りや危惧を持続できるか否か、それが我が国の民主主義の歴史に大きな影響を与えそうなのだ。
なお、本日(10月12日)の万柳欄は、通常モードに戻った。
時事・政治ネタは、次の一句のみ。
バカだなアなんで戦争したと孫 西宮 B型人間
そのとおりだ。子や孫から「バカだなア」と言われぬように、「アベ政治を許さない」運動をしっかりとやり遂げたい。
(2015年10月12日・連続925回)