澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

本日「浜の一揆衆」100人が盛岡地裁に提訴

「浜の一揆」提訴決起集会にご参集の皆さまにご報告申し上げます。
先ほど、盛岡地裁に「浜の一揆」訴訟の訴状を提出して受理されました。事件番号は、盛岡地裁平成27年(行ウ)第9号です。いよいよ、訴訟が始まります。その内容をご説明し、原告の皆さまの主張の正当性に確信を持っていただきたいと思います。

本日の提訴の原告は、三陸沿岸の漁民100人。岩手県を被告とする行政訴訟です。裁判所では、この裁判を「サケ刺し網漁不許可取消・許可義務付請求事件」と呼びますが、これでは舌を噛みかねません。ぜひ、「浜の一揆訴訟」と呼んで、支援を広げていただきたいと思います。まぎれもなく、沿岸の漁民100人が、一揆の旗印を掲げ、権力に抗して起ち上がったのです。そのことに敬意を表します。

ご存じのとおり、サケこそ岩手県沿岸漁業の基幹魚種です。ところが、信じられないことに、岩手の一般漁民は沿岸のサケを獲ることができません。毎年2万トンを超すサケの水揚げは大規模な定置網業者に独占されている反面、一般漁民は最高刑懲役6か月の威嚇をもって、サケの捕獲を禁止されているのです。大規模な定置網業者とは、漁協と浜の有力者です。残念ながら漁協のサケの水揚げによる利益は必ずしも、漁民の利益に還元されません。

訴訟における請求の内容は、県知事の行った「サケ採捕申請不許可処分」の取消と、知事に対する「各漁民のサケ採捕申請許可」義務づけを求めるもの。小型漁船で零細な漁業を営む漁民に「サケを獲らせろ」という要求の実現を目指すものなのです。このことは、「漁民を保護して、漁業がなり立つ手立てを講じよ」という行政への批判と、「後継者が育つ漁業を」という切実な願いとを背景にするものです。

三陸の漁民は、予てから沿岸でサケの採捕を禁じられていることの不合理を不満とし、これまで岩手県水産行政に請願や陳情を重ねてきましたが何の進展もありませんでした。とりわけ、3・11の被災後はこの不合理を耐えがたいものと感じることとなり、法的手続に踏み切りました。

まず、岩手県知事宛に、「小型漁船による固定式刺し網漁のサケ採捕許可申請」をしました。2014年9月30日に第1次申請、11月4日に第2次申請、そして今年2015年1月30日に第3次申請です。これに対して、今年の6月12日に、すべて不許可決定となりました。申請をして不許可となった者102名です。

その全員が、知事のこの不許可処分を不服として、農林水産大臣への審査請求に及びましたが、請求後3か月を経た今日農林水産大臣の裁決の見通しは明らかでなく、そのため予定のとおり、100人が原告となって本日の提訴に踏み切ったものです。

結局、「裁決を待たず審査請求3か月経過によって本日提訴した者が100名、訴訟提起を見合わせ審査請求に対する農林水産大臣の裁決を待つ者2名、と分かれたことになります。

本日の提訴において求める判決の内容は2点、
その第1点は、知事の100人に対するサケ漁獲申請不許可処分の取消請求、そしてもう1点は、知事に対する許可の義務づけ請求で、義務づける許可の内容は次のとおりです。
「年間10トンの漁獲量を上限とするサケの採捕を目的とする固定式刺網漁業許可申請について、申請のとおりの許可をせよ。」

本件の訴訟の争点は次のようなものになると思われます。
原告は、知事のした不許可処分を違法と主張しています。
まずは、手続的違法です。法は、行政処分には理由の付記を要求します。しかも、付記すべき理由とは形式的なものでは足りず、実質的な不許可の根拠を記載しなければなりません。しかし、本件不許可処分には、「内部の取扱方針でそう決めたから」というだけで、みごとなまでに実質的な理由が書かれていません。このことだけで、不許可処分は違法として取り消されなければなりません。

法は、許可申請あれば許可処分をすべきことを原則としていますが、許可障害事由ある場合にだけ不許可処分となります。?漁業調整の必要と、?水産資源の保護培養の必要の2点がサケ採捕の許可申請に対する障害事由として認められるか、これが問題となります。飽くまで、主張・立証の責任は岩手県側にあって、許可できない根拠を具体的に主張し挙証しなければならないのです。しかし、本件不許可処分にはそのような具体的な根拠を示すところはまったくありません。

原告らは、自主的に漁獲量の上限を年間10トンとして、許可を求めています。もしかしたら、被告(岩手県知事)は訴訟において、「水産資源の保護培養の必要から一般漁民に許可はできない、許可すればサケ資源は枯渇しかねない」などと言い出すかも知れません。しかし、10トン制限を付したサケ捕獲の許可が、「水産資源の保護培養」反するものであるか常識的にお考えいただきたい。各原告の年間漁獲量上限10トンは、全原告の総量として1000トンです。これは、各年の定置網漁による漁獲高20000トンのおよそ20分の1に過ぎません。元来、小規模な固定式刺し網漁は、定置網漁とは設置場所や深度、漁時の海水温などに差異があって、定置網漁と漁獲を競合するところは僅かなのですが、これに加えて漁獲量の自主的制限の設定は、水産資源保護にも定置網漁者の漁獲量の維持にも、およそ問題はないというべきことが明らかです。

しかも、三陸の漁民たちの運動として、IQ(漁獲量割当制度)あるいはITQ(譲渡性のあるIQ)の制度作りがあります。IQは、資源保護の立場からも、民主的で公平な資源配分の実現の観点からも、漁民間の競争ではなく協働への志向としても望ましい制度です。「漁獲量自主的10トン制限」は、まさに漁民のイニシャチブによるIQ(漁獲量割当制度)作りの第一歩と評価できるものと思います。

漁民が生計を維持し後継者を育成するために力を発揮すべきはずの行政が、実はまったく無為無策。これに代わる漁民側の具体的な提案として、10トンと制限を付した一般漁民のサケ漁許可の意味には大きいものがあるといわねばなりません。

さあ、本日一揆の旗が立ちました。押し出しが始まったのです。要求を貫徹するまで、自信をもってご一緒に闘い抜きましょう。
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「NHK包囲行動」第2弾が11月7日(土)実施されます!
 NHK包囲行動『アベチャンネル』はゴメンだ! にご参加ください
 日時: 2015年11月7日(土)
  PM 1:30?2:45 集会:NHK(渋谷)西門前でリレートーク
  PM 2:45?3:15 宮下公園北側へ移動
  PM 3:15?3:30 デモコースの説明・諸注意、コールの練習
  PM 3:30?4:00 宮下公園北側からデモスタート、神宮通公園ゴール
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 告知チラシPDFダウンロード 
   表→http://kgcomshky.cocolog-nifty.com/20151107/a117omotehoi.pdf 
   裏→http://kgcomshky.cocolog-nifty.com/20151107/a117urahoi.pdf
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カンパのお願い :『アベチャンネル』はゴメンだ!NHK包囲行動第2弾
前回の8.25行動ではみなさまの多大なご支援をいただきました。今回の11.7行動はその時のカンパの残金で進めてまいりましたが、前回に比べ
(1) 今回は”西門前”だけでのリレートーク、コールなのでかなり細長い集団になります。そのため端の人にまでトークが聞こえるように音響効果をうまく考えなければならず、機材、調整技術等に費用がかかる。
(2) デモに必要な車、機材、プラカード等の費用など
のため、大幅な赤字になってしまいました。
 そのため大変恐れ入りますがまたまたカンパのお願いをしなければならない状況です。よろしくお願い申し上げます。
                   2015.10.20 NHK包囲行動委員会
─────────────────────────────────────
下記口座へ振り込みをおねがいします。
(1)ゆうちょ総合口座番号 10420-21759161 名義「NHK包囲行動実行委員会」
これはゆうちょ口座から振り込むときの番号です。
(2)ゆうちょ以外の金融機関の口座からの振込む場合は口座番号が変わって
  〇四八-048-2175916 名義「NHK包囲行動実行委員会」になります。
 (〔店名〕〇四八 (ゼロヨンハチ)〔店番〕048 〔普通預金〕 〔口座番号〕2175916)
よろしくお願い致します。
(2015年11月4日・連続第949回)

消費者の利益と企業行動の自由とー憲法25条対憲法22条

A 「傾いたマンション」は、企業への信頼が傾いていることの象徴だね。特定の技術者、特定の企業のモラルの問題ではない。全国でいったいどれだけの欠陥住宅が放置されていることか。監督行政をもっと厳しくやってもらわないと安心できない。

B 君はいつもそんなふうにものを言う。僕は行政規制を肥大させることには反対だね。基本は市場原理に任せておくことだ。見えざる神の手がすべてうまく解決してくれるさ。

A おや、そうだろうか。見えざる神は万能ではない。むしろ、消費者被害を見殺しにする「死神」ではないか。

B 神とは、時には人に厳しい試練も与えるし残酷なこともするものさ。それでも、長い目で見れば、経済社会の繁栄をもたらしてくれる、やっぱり福の神というべきだろう。

A 納得できないね。「市場原理」という君の神は、結局は企業の神でしかない。消費者、つまりは多くの国民にとっては、疫病神にしか過ぎないんじゃないか。

B 君は何かというと、企業と消費者、資本と労働というふうに、意識的に対立構造でものを見るクセがある。もはや今の世に企業性悪説など通用する余地はない。社会全体の繁栄の基礎は、企業活動の活発化にあるというのが厳然たる事実ではないか。

A 君こそ、何かというと、企業と消費者、資本と労働というふうに、厳然と存在する利害の対立構造を敢えてぼかしてしまおうとする悪いクセがある。企業の繁栄と民衆の生活向上とは必ずしも一致しない。

B 私の言いたいことは、近視眼的に行政規制を強化することは、企業活動を萎縮させ、市場の機能を歪めてしまうということだ。余計なコストがかかって、そのコストは最終的には消費者にかぶせられることになるのだから、消費者の利益になるとも言いがたいのではないか。

A マンション基礎の杭打ちデータ改ざんなんて購入者に分りっこない。住宅の基礎杭が支持層にまで到達しているかどうか。一人ひとりの消費者がどんなに賢くなっても、市場原理に任せていたのでは消費者被害を防ぐことはできない。行政の規制や監督強化の必要性は自明ではないか。

B 短期的には消費者被害が生じても、長期的には事故を多発し補償もできない企業は淘汰されて、消費者の信頼を勝ち得た企業だけが生き延びることになる。結局行政の出る幕はない。

A 市場での競争原理が有効に働くのは、消費者が合理的な選択をできる限りではないか。建物にしても、あるいはサプリメントや薬品にしても、実はその安全性や危険性、あるいは表示された効果や効能を消費者が判断できないのだから、実は市場の機能が働く余地はない。見えざる神の手に代わって、目に見える行政や第三者機関の出番でなければならない。

B 商品の安全性や危険性、効果や効能を消費者が判断できなければ、できないなりでよいではないか。消費者被害が出れば、事後的に厳格に補償させればよい。長い目で見れば、それが悪質企業を淘汰して経済的繁栄につながる。

A 消費者被害が出てもよいという発想がおかしい。人命にも関わる。経済的に人生を奪われることにもなる。憲法13条、25条が、消費者の利益を擁護している。

B 資本主義社会で、軽々に企業の行動を制約してよいという発想がおかしい。憲法29条と22条が、企業活動の自由を保障している。

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「NHK包囲行動」第2弾が11月7日(土)実施されます!
 NHK包囲行動『アベチャンネル』はゴメンだ! にご参加ください
 日時: 2015年11月7日(土)
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カンパのお願い :『アベチャンネル』はゴメンだ!NHK包囲行動第2弾
前回の8.25行動ではみなさまの多大なご支援をいただきました。今回の11.7行動はその時のカンパの残金で進めてまいりましたが、前回に比べ
(1) 今回は”西門前”だけでのリレートーク、コールなのでかなり細長い集団になります。そのため端の人にまでトークが聞こえるように音響効果をうまく考えなければならず、機材、調整技術等に費用がかかる。
(2) デモに必要な車、機材、プラカード等の費用など
のため、大幅な赤字になってしまいました。
 そのため大変恐れ入りますがまたまたカンパのお願いをしなければならない状況です。よろしくお願い申し上げます。
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(2015年11月4日・連続第948回)

勲章ー押し戴く人と、興味ないと言う人と

11月3日、憲法公布記念日である。「憲法大嫌い政権」と、「憲法守れと声を上げる民衆」とのせめぎ合いが続く中での憲法公布69周年。民主主義の世に、どうしてこんなぶざまな政権が存在しうるのか。つくづく思う。民主主義って何だ? 答えは出て来ない。

せめては「アベ政治を許さない」のポスターを掲げよう。下記のURLからダウンロードしたA4のポスターをクリアケースに入れて、午後1時本郷三丁目の駅頭に立った。
https://sites.google.com/site/hisaesawachi/test/sho_f.pdf?attredirects=0
妻と二人だけ、両手に各一枚。横断幕もビラの配布もマイクもない。ひたすら、人間掲示板として30分。休日のこととて人通りは少なかった。

さて11月3日、文化の日。これを「明治の日」にという右翼の動きがある。戦前は明治節。明治期には天長節だった。昔も今も、天皇制に絡めとられた日本を考えさせられる日である。

この日に、秋の叙勲なるものが発表される。毎年、春と秋とに各4000人にも授章がある。昔は、勲一等などの等級がつけられていた。特級酒・一級酒・二級酒、あるいは寿司を注文する際の松・竹・梅のあの感覚。下級の勲章は、「くんぱち」とか「くんろく」と呼ばれたようだ。今は、大・中・小だ。小綬章以下は都道府県で、中綬章は東京プリンスホテル「鳳凰の間」で伝達式が行われる。大綬章等勲章親授式は皇居で行われるという。

公的に、天皇の名によって人間を差別し格付ける愚かな制度。こんなものを欲しがる者がおり、もらって嬉しがる者がいて、制度がなり立っている。

驚いたことに、あのアーミテージが受賞者の一人となっている。よく見るとラムズフェルド(元国防長官)もだ。戦後の保守政権と天皇が、東京大空襲で10万人の住民を焼き殺した張本人、カーチス・ル・メイに勲一等旭日大綬章を授与したことを思い出す。彼らも、勲章もらうと嬉しいのだろうか。

ご存じ、芥川龍之介の「侏儒の言葉」の中の「小児」と題する一節。
「軍人は小児に近いものである。…軍人の誇りとするものは必ず小児の玩具に似ている。緋縅の鎧や鍬形の兜は成人の趣味にかなったものではない。勲章もーわたしには実際不思議である。なぜ軍人は酒にも酔わずに、勲章を下げて歩かれるのであろう?」

まったく同感。芥川の時代から90年、敗戦をはさんで日本人はさして変わっていない。なぜ、毎年8000人もの人が、酒にも酔わずに、恥ずかしげもなく、勲章を押し戴いているのだろうか?

国家が国民を束ねる基本手段は、ムチとアメと、そしてダマシの3種である。私には、勲章がアメにもダマシにもなることが不思議でならない。

30代半ばの頃、私は岩手弁護士会の若手だった。全会員30人余の小会だったが、何度か長老弁護士に叙勲の機会があった。弁護士会長経験者は勲四等、東北弁連会長だと三等、日弁連会長やれば二等と相場は決まっていた。小単位会では、誰もが回り持ちで会長を務める。誰もが最低勲四等受賞資格者にはなるわけだ。もちろん、「在野を誇りとする弁護士に勲章はふさわしくない」という尊敬すべき辞退者は少なくなかった。が、尊敬すべからざる受勲者もあった。

受勲者があると弁護士会が祝賀会を催した。私は、たった一度だけだが、その祝賀会に出席したことがある。若気の至り。何度か経験した大きな禍根のひとつ。その時の受勲者は、榊原孝さんという長老だった。親しくはしていたが、戦前道場を開いて若者に臣民の道を説いていたという伝説のある方。岩手靖国訴訟では、被告代理人席に着座していた。当時の岩手弁護士会長は、後に社会党から代議士になった山中邦紀さんだった。弁護士には珍しい教養人。その山中さんが、私を説得した。「澤藤さん、ここは弁護士会の和を大切にしましょうよ」「勲章を天皇からもらうと思えば角も立つでしょうが、天皇は国民の象徴なのだから、国民からの表彰と思えばよろしいのでは」。

山中さんへの義理立てで心ならずも出席したその席に、勲何等かの叙勲の位記が恭しく飾られていた。御名御璽なるものを、このときはじめてつくづくと眺めた。主賓の榊原さんが、声涙下るスピーチをされた。
「私ごとき者に、陛下から過分の思し召しをいただき感激に耐えません」という趣旨で、私はこんな席に出たことを激しく後悔し、恥ずかしいと思った。以後二度と、「叙勲おめでとう」などと間違ったことを口にしたことはない。

先日、大学(1・2年生時)の同期会で金沢に遊んだ。誰も何者でもなく、何の肩書もない時代に知り合って付き合った仲間たち。今また、ほとんどが肩書なく、何ものでもなくなって気が置けない付き合いを復活している。「このグループは貴重な存在だ。昔のままで恰好つけなくても付き合える」という一人の述懐のとおり、みんなチョボチョボ、今さら恰好をつけてもどうにもならない。

私も含めその仲間のほとんどが叙位叙勲なんぞとは無縁、無関係。ところがたった一人、参加者の中に、国立大学名誉教授という「立派な肩書」をもつ者がいる。何のきっかけか、勲章の話しになった。誰かが、「おまえ、まだ勲章もらわないのか」と興味深そうに問いかけたら、名誉教授君はさらりと答えた。

「アンケートみたいな問合せがくるんだよ。勲章もらいますか、もらいませんかっていうような。ボクは、そんなのに興味ないから、もらいませんって回答したんだ。それだけのこと」

私は常々天皇制を罵倒し天皇制に無批判な世相を嘆いている。が、名誉教授君はそうではない。「どうしてそんなにムキになれるんだよ」と冷ややかなのだ。それでも、「勲章に興味なんてない」とサラリと言ってのけるさわやかさに感動を覚えた。やっぱり、昔の仲間はよい。いや、よい仲間に恵まれたというべきなのだろう。
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(2015年11月3日・連続第947回)

スラップ常習のDHC・吉田嘉明への批判に遠慮も萎縮もあってはならないーー「DHCスラップ訴訟」を許さない・第52弾

DHCスラップ訴訟を許さないシリーズ第51弾が、9月2日東京地裁一審全面勝訴判決の日のこと。以来、2か月ぶりの第52弾である。これから控訴審が始まる。ご注目いただきたい。

久しぶりに、各紙の本日夕刊紙面にDHC・吉田嘉明の名前が出た。「不起訴不当」と検察審査会から議決を受けた渡辺喜美に、政治資金を提供した側の人物としてである。改めて思い起こして欲しい。

一連の事件の構造は単純なものだ。一方に、政治家に金を出して政治を動かそうとするスポンサーがいて、他方に金をもらって政治活動をしようという政治家がいる。双方の思惑が噛み合って、巨額のカネの授受がなされた。その額8億円。

もちろん、日の当たるところでの金の授受ではない。政治資金規正法上の政治資金収支報告書にも、公職選挙法上の選挙運動費用収支報告書にも記載がない。政治資金や選挙運動資金の流れを可能な限り可視化して国民の批判に曝すことが法の理念なのだから、この8億円の授受は『裏金』と言ってよい。

この裏金、政治資金あるいは選挙運動資金であることに疑いはない。政治への影響力を意図して、吉田から渡辺に渡されたこの巨額の裏金はいったい何を狙ってのものか。どのような政治を求めてのものであろうか。

DHC・吉田は、企業経営者として労働行政や公正取引ルールなどの一般的行政規制に服するだけでなく、薬事行政や健康食品行政上の規制、消費者行政上の厳格な規制を受ける立場にある。いずれも、主として消費者の健康を守るための、典型的な社会的規制である。まさかDHC吉田が、消費者の健康や労働者の利益のために、規制を強化し厳格化するための政治を求めてカネを出すことなどおよそ考えられない。「行政規制の緩和」のために「官僚と闘う」政治を目指して、吉田と渡辺の思惑は一致し裏金が動いた。こう見るのが、社会の常識というものだ。

いったんは思惑噛み合った両者に、たまたま齟齬が生じて、吉田が週刊新潮誌上に暴露記事を書いた。このことから、裏の金が表に出た。つまりはたまたまの事情で8億の裏金の存在が世に知られた。おそらくはこれが氷山の一角で、政治の裏面には、もっと口の固い連中同士の表に出ない類似の金がうごめいているのではないだろうか。

さらに強調したいことは、この裏で行われた吉田から渡辺への金の授受が、政治資金あるいは選挙運動資金の授受ではあっても、政治家個人に貸したという形式をとればお咎めなしであるとするなら、政治資金規正法も公職選挙法も、役立たずのザル法である。本件金銭授受の当事者である両者の行為が、透明性を徹底し量的規正を設けた法の趣旨に反していることは明らかである。こんなやり方の脱法を許してはならない。カネを出した方も、受けとった方も、厳格に処罰できる法の整備が必要だ。そうでなければ、いつまでも金にまみれた薄汚い政治の浄化はできない。

本日各紙夕刊の報道。いつになく、はっきり記事を書いている産経から引用する。他も大同小異の記事だが、朝日・毎日・読売は「化粧品販売会社会長」と言って、DHCの企業名も吉田嘉明の個人名も記事にしていない。何を遠慮しているのか。時事・日経・産経との差が際立つている。「DHC吉田はスラップの常習者だ。これに関わると面倒だから、できるだけ名前を出したくない」。そう考えてはならない。「DHC吉田はスラップの常習者だ。そのことをおもんばかって萎縮したと思われてはジャーナリズムの名折れだ。できるだけ、名前を出さねばならない」と考えねばならないのだ。

産経は、「渡辺喜美氏の不起訴『不当』 8億円政治資金問題で東京第1検察審査会が議決」という見出し。
「みんなの党(解党)の渡辺喜美元代表(63)をめぐる8億円の政治資金問題で、政治資金規正法違反罪などで告発され、東京地検特捜部が不起訴処分としていた渡辺氏について、東京第1検察審査会(検審)が『不起訴不当』と議決していたことが2日、分かった。議決は10月22日付。東京地検が再捜査するが、『起訴相当』でないため、再び不起訴とした場合は2回目の審査に進むことはない。
 検審は議決で『証拠上、資金供与が渡辺氏個人ではなくみんなの党に対して行われたものと認める余地が十分にある』と判断した。渡辺氏をめぐっては、化粧品会社ディーエイチシー(DHC)の吉田嘉明会長から計8億円を借り入れ、政治資金収支報告書に記載していなかった問題が昨年3月に発覚。上脇博之神戸学院大法科大学院教授らが同法違反罪などで渡辺氏を東京地検に刑事告発した。
 渡辺氏は『収支報告書に記載義務のない個人的貸借だった』と説明。特捜部は今年1月、嫌疑不十分で不起訴とした。審査申立書は『渡辺氏は罪を免れるため個人的貸借とごまかしている可能性が高く、捜査は不十分』と主張していた。(以下略)」

私は、予てから政治とカネの問題に関心をもっていたが、この事件でメディアが渡辺だけを叩いて、スポンサー側のDHC・吉田の行為を弾劾しないことを強く不満に思った。そこで、週刊新潮に吉田の手記が発表された直後に、DHC・吉田の側を批判するブログを3本書いた。下記のとおりである。これが、損害賠償の根拠とされた。

どんな「罵詈雑言」が2000万円の賠償の根拠とされたのか、興味のある方もおられよう。ぜひ下記3本のブログをご覧いただきたい。
  https://article9.jp/wordpress/?p=2371
    「DHC・渡辺喜美」事件の本質的批判 
  https://article9.jp/wordpress/?p=2386
    「DHC8億円事件」大旦那と幇間 蜜月と破綻
  https://article9.jp/wordpress/?p=2426
    政治資金の動きはガラス張りでなければならない

いずれも、DHC側から「みんなの党・渡辺喜美代表」に渡った政治資金について、「カネで政治を買おうとした」とする批判を内容とするものである。

何を血迷ったか、DHC吉田は、この私のブログが名誉毀損に当たる違法な記事だとして、いきなり2000万円の損害賠償請求訴訟を提起した。私だけでなく、同様の批判をした10人に対しても一斉の提訴だった。カネに飽かせた乱暴極まる提訴。敗訴してもともと、「DHC吉田を批判するとこのような面倒になるぞ」という恫喝の実績を狙った、典型的なスラップ訴訟である。

私は、この提訴自体が怪しからんと「DHCスラップ訴訟を許さない」シリーズを書き始めた。そしたらどうだ、2000万円の請求金額は6000万円に跳ね上がった。この請求拡張の経過自体が、スラップであることを自ら証明している。ところで、このシリーズは以下のとおり、既に51回にわたっている。下記のURLを開いてたどれば、すべて読める。読み物としてもなかなか面白いのではなかろうか。
https://article9.jp/wordpress/?cat=12
  2014年7月13日 第1弾「いけません 口封じ目的の濫訴」
    14日 第2弾「万国のブロガー団結せよ」
    15日 第3弾「言っちゃった カネで政治を買ってると」
    16日 第4弾「弁護士が被告になって」
   2015年9月2日
      第51弾「全面勝訴・ご支援に感謝 表現の自由が輝いた」
さて、DHC吉田は9月2日東京地裁での全面敗訴判決を得て控訴した。これから、東京高裁での控訴審が始まる。

ありがたいことに、一審段階で多くの弁護士にご支援いただき、111名の弁護団結成となった。控訴審ではさらに多くの弁護士にご参加いただき拡充の見通し。その経過は、当ブログで逐一ご報告する予定。控訴審にご注目いただきたい。

私は、何よりも、政治的批判の言論を圧殺しようとしている、スラップ常習のDHC吉田に腹を立てている。そして、このような恫喝に屈してはならないと覚悟を決めている。私は理不尽に黙れと言われれば、精一杯の大声を出さねばならないと思うタチなのだ。けっして、DHC吉田に対する批判に、萎縮や遠慮があってはならない。言うべきことを軋轢を恐れて自主規制してはならない。むしろ、もっもっと声を大きく、その不当を糾弾し続けなくてはならない。

ぜひ、ご支援をお願いしたい。そして、政治とカネの問題。消費者利益と行政規制の問題。さらに、政治的言論の重要性と、これを封殺しようとするスラップ訴訟の不当性を重大なこととしてお考えいただきたい。
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          『DHCスラップ訴訟』控訴審にご支援を
このブログに目をとめた弁護士の方で、『DHCスラップ訴訟』被控訴人弁護団参加のご意思ある方は東京弁護士会の澤藤(登録番号12697号)までご連絡をお願いします。

また、控訴審の訴訟費用や運動費用に充当するための「DHCスラップ訴訟を許さぬ会」の下記銀行口座を開設しています。ご支援のお気持ちをカンパで表していただけたら、有り難いと存じます。量的規制は設けませんが、くれぐれも多額に過ぎることのございませぬように。
    東京東信用金庫 四谷支店
    普通預金 3546719
    名義   許さぬ会 代表者佐藤むつみ
 (カタカナ表記は、「ユルサヌカイダイヒョウシャサトウムツミ」)
(2015年11月2日・連続946回)

日野市は「消された理念」を復活せよ

ある日目が覚めて、なにもかにもが茶色の世界だったとしたら…。茶色新聞や茶色放送が、「ペットはすべて茶色でなければならない」「不適切な犬あるいは猫の飼育は国家侮辱罪である」と言いたて、茶色の制服を着た男たちが乱暴に取り締まる…。そんな朝は、金輪際ご免だ。

寓話ではなく、こちらは現実の話。ある日役所から通知が来る。公用封筒に印字された「日本国憲法の理念を守ろう」という12文字が、フェルトペンでわざわざ黒く塗りつぶされている。これにはギョッとせざるを得ない。昨日までは「日本国憲法の理念を守ろう」が当たり前の世の中だった。しかし、今日からは違うのだ。それを思い知らせるための墨塗り、文字消しなのだ。いったんは、そう考えざるを得ない。

安倍政権が、日本国憲法大嫌い内閣であることは天下周知の事実だ。しかも安倍政権は、政権に迎合しない名護市には交付金をストップしたまま、久辺3区にはつかみ金をばらまこうという露骨な利益誘導型政権。大学の自治すら金の力で蹂躙できると信じている反知性・金権体質。さては、日本中の自治体が、金のほしさに政権に擦り寄って、「日本国憲法の理念を守ろう」に墨を塗り始めたのか。そう勘ぐってもおかしくはない時代状況なのだ。こうして迎える朝は、茶色を通り越した、黒い朝だ。

昨日(10月31日)の東京新聞社会面トップの記事が詳しい。見出しが、「憲法順守 消された理念」「日野市封筒黒塗り」となっている。
「東京都日野市が、公用封筒に印字された『日本国憲法の理念を守ろう』という文言を黒く塗りつぶし、市民らに七百?八百枚を発送していたことが分かった。市側は『封筒は古いデザインで、現行型に合わせるため』と釈明しているが、市民から抗議の声が寄せられ、大坪冬彦市長が市のホームページ(HP)で『誤った事務処理で市民の皆さまに誤解を与えた』と対応のまずさを認めた。」(東京新聞)

その記事には日野市役所庁舎の写真が掲載されている。皮肉なことに、「核兵器廃絶・平和都市宣言」の大きな標柱が玄関前に建っている。「核兵器廃絶・平和都市宣言」はまさしく、日本国憲法の具体的理念。いつまで、この標柱の文字が生き抜けるのだろうか。心配せざるを得ない。

東京新聞の報道は、日野市側の弁明を詳しく紹介している。
「問題となったのは、長形3号の縦長の郵便用茶封筒で、大きな『日野市』の文字の左下に『憲法の理念を守ろう』の文言が印字されている。2010年度のモデルで、4月1日からの1年間、全庁的に使われた。」「憲法の文言が何年度から採用されたかは分からないが、長い間、印字されてきたという。」「この文言は10年度モデルを最後に消えたが、その理由について市は『把握できない』としている。」

「黒塗りを命じた課長は、「当時は見た目のことばかり考えてしまい、短絡的だった。憲法の文言をあえて消す必要はなく、メッセージ性を持った行動と受け取られても仕方ない」と話し、手元に残った黒塗り封筒五百枚は、全て処分する方針を示した。」

この課長のコメントも不可解だが、日野市のホームページに掲載された市長のコメントもよく分からない。
「このたび誤った事務処理により、市民の皆様に誤解を与えてしまったことについて遺憾に思います。憲法をはじめとする法令を遵守することは、市政の基本であり、これまでも、そして今後も、憲法をはじめとする法令を遵守して市政を運営することに、いささかも揺るぎがないことを改めて表明します。
日野市長 大坪冬彦」

朝日の記事では、「市は『憲法を軽んじる意図はない。何か圧力があったわけでもない』と説明。多くの人は『それなら良かった』と納得するという。」となっている。

「多くの人」とは誰のことか分からぬが、少なくとも私は納得しない。何よりも、かつてあった『憲法の理念を守ろう』の封筒に印字された文言がなぜ消えたのか、その理由を聞きたい。

市長の言い分は、明らかに論点のすり替えである。「憲法をはじめとする法令を遵守して市政を運営する」べきことは理の当然である。いまは、そんなことが問題になっているのではない。安倍政権やヘイトスピーチグループなどから憲法が痛めつけられている受難の時代である。「消された理念」を消しっぱなしにしていたのでは、日野市は客観的に改憲勢力に与したことになる。改憲に与するものでないとすれば、立憲主義・人権尊重・民主主義・平和主義という「憲法の理念」を守ろうと、声を上げなければならない。

市長よ、「市民の皆様に誤解を与えてしまったことが遺憾」「憲法遵守に、いささかも揺るぎがない」のであれば、「消された理念」12文字を復活せよ。改めて、「日本国憲法の理念を守ろう」の標語を入れた封筒を作成して使用を継続していただきたい。それあってこそ初めて、市民は「誤解」を解き、市の「憲法遵守の姿勢」に信を措くことになるだろう。それ以外に、「誤解」を解く方法はない。
(2015年11月1日・連続第945回)

「法曹養成制度はこのままでよいのか」ー第46回司法制度研究集会報告

本日(10月31日)は日本民主法律家協会恒例の第46回司法制度研究集会。本日のテーマは、「日本の司法と大学を考える」。これに、「法曹養成と法学教育・研究の現状と課題」という副題がついている。

集会案内の問題意識は、以下のとおりである。
「わが国の法曹養成と法学教育・研究は、危機的状況にあります。
『文系学部廃止』を打ち出した6月8日付文部科学大臣通知は、国家による学術統制、大学の自治破壊ではないかと、社会に衝撃を与えました。法学部はどうなるのでしょうか。
 6月30日付法曹養成制度改革推進会議決定は、弁護士激増の弊害を顧みず司法試験合格者1500人以上とし、司法試験合格率の低い法科大学院は切り捨てて『合格率7〜8割』を実現し、上位の法科大学院だけを守ろうとしています。法曹志願者や法学部進学者は年々激減していますが、このような政策で法曹や法学部の魅力は取り戻せるでしょうか。
 いま大学・大学院・法曹界で何が起こっているのかを、研究者と弁護士が共有し、危機的状況をどのように克服していくべきかを共に考える場にしたいと思います。」

私の世代は、法曹養成は法曹界の役割と思ってきた。法曹各界の共同を前提としつつも、最高裁が責任を持つ体制が当然なのか、弁護士会がイニシャチブをとるべきなのか。大学が、従って文部行政が法曹養成に関与することは考えなかった。

大学の法学教育は、学生にリーガルマインドを身につけさせることを目的としてきた。法の支配が貫徹する建前のこの社会で、合理的な法的思考と行動ができる人材を育成することだ。人類の普遍的な知が積み重ねてきた法的教養の教授が大学の法学教育の目的と言ってよい。だから、法学部出身者は「つぶしがきく」人材として、社会の至るところで活躍の場を与えられてきた。その中の少数が研究者となり法曹を目指すとしても、大学教育が実務法律家を育成する法教育を意識することはない。法学教育を修了していることと司法試験受験資格のリンクはなく、大学の教養課程を終えている者には広く司法試験の門戸が開かれていた。

法曹養成は、法務省が実施する司法試験に合格した者に対して、最高裁が運営する司法研修所で行われてきた。ここでは、裁判所・検察庁・弁護士会の協力の下に、民事刑事の裁判実務、民事刑事の弁護実務、そして検察実務について、法曹としての基本技術を学ぶ。この修習期間の2年間は、将来の志望に関わりなく統一修習の理念が大切にされた。修習生は公務員に準じる地位にある者として修習専念義務が課せられ、給与が支給された。

この制度が、10年前にがらりと変えられた。法曹養成の根幹をなす機関として各大学に法科大学院(ロースクール)が創設され、法科大学院卒業が新司法試験の受験資格となった。司法試験合格後の司法修習は1年に短縮され、給費制ではなくなった。本日聞いた話では、かつての司法修習生への給費の財源の規模は、法科大学院への補助金財源とちょうど見合いになっている、という。

かつては、「法曹養成は司法の仕事」「法学教育・研究は大学の仕事」であった。制度変更後は、「日本の司法と大学」が法科大学院という新たな共通項をもつようになった。司法には司法官僚と法務官僚とが関与し、大学の運営には文科官僚が大きな影響力を持つ。そして、文科官僚には「永田町の先生方」が君臨している。

制度改変以来10年。その功罪が、司法界と大学の双方に何をもたらしているのかを検証しようというのが本日の司研集会のテーマである。意識されている最大の問題点は、法曹養成に文科省が強く関与するようになったことの弊害。ロースクール側から、文科省の見識に欠けた強権ぶりに振り回されている実態が報告された。

本日の集会の報告は3本。いずれも充実したものだった。
「大学政策と人文・社会科学─6.8文科相通知をめぐって」小森田秋夫(学術会議第1部会長)
「法曹養成制度改革の現状と問題点─弁護士激増の顛末と法科大学院の未来」森山文昭(弁護士、愛知大学法科大学院教授)
「孤独なひとり芝居から希望の持てる協働の場へ─ 自治の観点から考える」戒能通厚(名古屋大学・早稲田大学名誉教授)

なお、戒能氏の論題中の「孤独なひとり芝居の場」とは、法科大学院の現状を揶揄した表現。これを「希望の持てる協働の場」へ変革するにはどうすればよいかという問いかけである。司法の理念に従った法曹養成としても、また、大学の法学教育の質の点においても、現行制度は失敗だったという悲観論がメインのトーンとなった。フロアーの発言では、「法科大学院は、大学の自治・学問の自由破壊のために送り込まれたトロイの木馬ではないか」という意見さえ飛び出している。その詳細は、「法と民主主義」の12月号に掲載される。読み応え十分なものとなるはず。

冒頭の森英樹日民協理事長の開会の挨拶、そのあとの3本の報告と質疑応答意見交換、そして新屋達之(日民協司法制度委員会副委員長)の「まとめと閉会の挨拶」まで、一貫して底通するものは、反知性主義批判であったように印象を受けた。

本来、司法も大学も専門知に裏付けられ高い倫理に支えられた分野である。日本においては、両者ともにルーツは支配の道具であったにせよ、理念においては政権や財界の思惑による介入を許してはならない。いま、政権の反知性主義が乱暴に両分野に介入を試みている。

学問の基底にある知は、法や法学の核をなす知と同質のものであるはず。ところが、司法試験や法科大学院の授業が、学問から離れた法的スキルの錬磨だけを目的とし、その習得に終始しているのではないか。学問や知性・論理から遊離した場で、養成された法曹が憲法の想定する人権の擁護者たりうるだろうか。

また、政権の学問の府への攻撃が激しい。人類の叡智が積み上げてきた知性や論理や理念は、政権には邪魔な存在としか映らない。経済優先の社会に、文系の学問は不要との6.8通知は政権のホンネをよく語るものなのだ。

明るい展望を示す集会とはならずに、厳しい現状の問題点を確認する集会となった。おそらくは、司法や大学だけでなく現在のあらゆる分野が同質の問題を抱えているのだろう。厳しくとも、よりよい司法制度を作っていく課題に邁進しなければならない。
(2015年10月31日・連続944回)

「沖縄県民の同意なくして、どうして国が新たな米軍基地を建設できるのか」ー沖縄弁護士会決議の重い問

10月27日、石井啓一国交大臣は辺野古新基地建設問題で、沖縄県の翁長知事が出した辺野古沿岸部の埋め立て承認取り消しについて、国(沖縄防衛局)の申し立のとおりに執行停止を決定した。併せて代執行の手続をとる方針まで発表した。懸念したとおり、「右手(沖縄防衛局)の悪さを、左手(国交相)が止められるはずはなかった」のだ。右手も左手も、所詮は同じ穴の貉に過ぎないのだから。いや、左手の右手に対する熱烈支援のボルテージの高さは、予想を超えたものとなっている。その熱の入れ方が、本来私人のための手続である審査請求の制度を国が使用する不自然さと不合理を際立たせることになっている。

その同じ10月27日、沖縄弁護士会が臨時総会を開いて、翁長雄志知事の辺野古埋め立て承認取り消しを尊重するよう国に求める総会決議を採択した。
 http://www.okiben.org/modules/contribution/index.php?page=article&storyid=136

「決議は、米軍基地の過重負担や環境保全の重要性から新基地建設に懸念を示した。基地建設には住民の同意が必要とし、県民が基地被害に悩まされた歴史を踏まえ『今度こそは住民の意思を率直に受け止めなければならない』と指摘した。政府が行政不服審査法を用いたことには『地方公共団体の判断を無視するものであり、地方自治が危機にひんしていると言わざるを得ない』とした」(琉球新報)。この新報の記事は、「住民の意思」をキーワードに「地方自治が危機にひんしている」とまとめている。

会長声明ではなく、わざわざ臨時総会を開催しての弁護士会の総意を表明する決議である。表題は、「辺野古新基地建設にかかる沖縄県知事の公有水面埋立承認取消処分の尊重を求める決議」というもの。相当の長文だが、とても読み易い。多くの人に読んでもらおうという気持で執筆されているからだろう。法的に緻密な議論を展開しようとの趣旨ではなく、骨太に理念を説いている。

冒頭で、「本件取消処分には単に公用水面埋立法上の問題にとどまらず、『住民の同意なくして国が新たな米軍基地を建設できるかどうか』という根本的な問題がある。これは沖縄の将来と日本の民主主義・地方自治等の観点から重要な憲法問題である」と問題提起されている。

「沖縄住民の同意なくして、どうして国が新たな米軍基地の建設を強行できるのか」
これが、沖縄弁護士会が発した重い問である。このことこそが、憲法の根幹に関わる問題との認識なのだ。

この長い決議のサワリは、以下の個所である。
「3 沖縄県内への新たな基地の建設には、沖縄県民の同意が求められるべきこと
 日本国憲法は、地方自治を保障し、地方自治体が「地方自治の本旨」に基づいて組織、運営されねばならないと定めている(92条)。この「地方自治の本旨」とは、国から独立した団体において自らの意思にもとづいて運営されるという団体自治と、住民自らの意思に基づいて地域の事項を決定するという住民自治を内容とする。基本的人権の尊重と国民主権の原理のもとにおいて、団体自治は地方分権を通じた自由を、住民自治は地方での民主主義を制度的に保障するものとして、統治機構の根幹を構成している。したがって、住民の生命や身体、財産に大きな影響を及ぼす新しい米軍基地の建設という極めて重大な問題が住民の意思に基づいてなされなければならないということ、そしてそれが地方の判断として尊重されるべきことは、まさに憲法上の要請であるというべきである。
 とりわけ沖縄県における米軍基地は、戦時下において接収された土地と1951年のサンフランシスコ講和条約後に「銃剣とブルドーザー」によって強制的に奪われた土地に建設されたもので土地の所有者あるいは沖縄県民の意思に基づいて建設されたものでは決してない。
 しかし今、国は、沖縄県内の世論調査では反対が多数を占め、県と地元市の首長が反対の意思表示をしているにもかかわらず、建設工事を進めようとしている。
 過去と同じように住民の意思に基づかずに基地建設を進めるということはあってはならない。今度こそは住民の意思を率直に受け止めなければならない。」

いま、明らかに沖縄の圧倒的民意が、「辺野古新基地建設反対」「辺野古沿岸・大浦湾の環境を守れ」「翁長知事支持」にある。これを無視しての新基地建設がどうして出来るのか。

おそらく、「価値観を異にする国」「民主主義や人権が軽んじられる政権」ではこのような発問はありえない。国家や党の決定に住民が逆らうことができるとは、考えがたいからだ。安倍政権とは、明らかに「日本国憲法の民主主義とは価値観を異にする国」を作っており、自民・公明の与党は「民主主義や人権を軽んじて平然たる政権」を支えているのだ。

安倍政権と与党とは、沖縄の民意を、暴力と金の力で徹底して押さえ込もうとしている。到底近代以降の普通の民主主義国のありかたではない。

本日(10月30日)の東京と朝日の社説が、期せずして同じ論点に触れている。
「なぜ沖縄だけが過重な負担を強いられるのか、日米安全保障条約体制が日本の平和に必要なら、日本国民が等しく基地負担を負うべきではないか。それが沖縄県民の訴えであり、私たちも共感する。しかし、安倍政権は選挙で示された県民の民意をも顧みず、『抑止力』を掲げて、県内移設に向けた手続きや工事をやみくもに進める。法令の乱用であり、民主主義への逆行にほかならない。」(東京)

「辺野古に最新鋭の基地が造られれば、撤去は難しい。恒久的な基地になりかねない。それに「NO」を告げる沖縄の民意は、昨年の名護市長選、県知事選、総選挙の四つの小選挙区で反対派が相次いで勝利したことで明らかである。政府にとって沖縄の民意は、耳を傾ける対象ではないのか。」「ひとつの県の民意が無視され続けている。民主主義国として、この現実を見過ごすことはできない。日本は人権を重んじる国なのか。地域の将来に、自分たちの意思を反映させられる国なのか―。私たちの日本が、普遍的な価値観を大事にする国であるのかどうか。そこが問われている。」(朝日)

この国の政権は、いまや民主主義にも人権にも理解なく、立憲主義をも蹂躙して恥じない、ひどく真っ当ならざる存在に堕してしまっている。国民が、抵抗をあきらめたら、文字どおりこの国に未来はない。戦争案阻止の闘いに続いて、全国民こぞっての辺野古新基地建設反対の運動を通じて、ぜひともこの国の政権をまともなものに取り替えようではないか。
(2015年10月30日・連続第943回)

ここにもある一揆の史跡ー一揆指導者への民衆の追慕

昨日から今日(10月29日)は久しぶりの金沢。学生時代の友人の案内で、金沢の歴史を堪能した。加賀はかつて100年にわたって、「百姓の持ちたる国」であった。その一向一揆の門徒が建てた金沢御堂の寺内町が、加賀100万石の藩都金沢のルーツである。城下町文化とはまったく異質の、歴史の基層をもっているのだ。

その友人が、ぜひここを見せたいと、観光スポットからやや離れた場所に案内してくれた。そこが、「七稲地蔵」(なないねじぞう)という、幕末の一揆にまつわる史跡。

地蔵は6体並んでの「六地蔵」が普通だが、一揆の先導者7人が刑死したことの供養での建立で「七地蔵」となった。この刑死者を象徴する7体の各地蔵が、稲束を抱えている。稲の奉納もある。この稲が「稲地蔵」命名の由来である。

刑死者7名の名を刻印する石碑と、下記を書き込んだ金沢市教育委員会名の立て札が立てられている。
「七稲地蔵 安政5年、米価高騰の際、7月11、12日の夜、宇辰山に登り生活難を絶叫した罪により刑死した7名の冥福を祈り建立された地蔵石像…」

どの藩でも農民に対する過酷な収奪は常のことであったが、幕末の時期には藩財政の逼迫から苛斂誅求は甚だしいものとなった。100万石の加賀藩も、例外ではなかった。ペリーが浦賀に来航して天下大騒動となった5年後の1858(安政5)年に、加賀藩に未曾有の大一揆が起こる。これが「安政の泣き一揆」と言われるもの。「泣き一揆」とは、一揆参加者一同が泣いて窮状を訴えたからだという。何とも悲惨な印象。

その前年、冷夏や長雨などの自然災害によって、藩内の米は凶作となった。しかし、天災だけでは農民がこぞって泣かねばならぬほどの窮状には至らない。当時既に資本主義流通経済が一定の発展段階にあった。藩政と結託して米の流通を支配した政商は、資本主義的合理性を遺憾なく発揮した。凶作に付け込んで米の買占めや売り惜しみに徹したのだ。そのため米の価格が高騰し町方の庶民生活は困窮した。農民は米を収奪された挙げ句に自らの食にも困窮する事態となった。

この年の7月11日夜2000人の一揆参加者が金沢城に近い卯辰山に登り、城に向かって米の開放を求めて声を上げた。最も効果的なシュプレヒコールと彼らが考案したフレーズが、「泣き一揆」の異名をとるものとなった。卯辰山から金沢城まで直線距離でおよそ1.7Km。泣くが如く叫ぶがごとき彼らのコールは、風に乗って城内にも重臣たちの屋敷にも届いたとされている。

藩主らの耳にも直接届いたというそのコールは、「ひだるいわいや?っ」「ひもじいわいやぁ?」「米くれまいやぁ?」などと伝えられている。

この泣き一揆の効果はてきめんだった。直ちに藩の御蔵米500俵が放出され、投機でつり上げられていた米の値段を下げる命令も出された。藩当局は一揆の要求を一部なりとも容認せざるを得ないと判断するとともに、一揆の拡大を恐れての迅速な対抗策を打ち出したのだ。こうして、一揆は一定の成功を収めて終息する。

その後、藩権力は藩の法制に従って、7月26日一揆首謀者7名を捕縛。その内2名が獄死し、残る5名を打ち首とした。多くの人の窮状を救うために、まず自ら立ち上がり、人を励まし、策を練り、先頭に立って実行した7人が、定法に従って覚悟の死を遂げたのだ。

この7人の霊を祀るため、明治期に卯辰山の山道に七稲地蔵が建立され、1908(明治41)年に浄土宗寿経寺に寄進されて山門前に安置され、今に至るも民衆の尊崇を受けている。

今隆盛を極める金沢観光の目玉ではない。しかし、華やかなりし加賀百万石が遺したものは、工芸・芸能・食文化だけではない。民衆の苦難もあり、民衆の抵抗もあり、そして権力の弾圧もあった。その抵抗の事蹟を忘れまいとする民衆の心根を表す、「七稲地蔵」。まことに、今学ぶべきものではないか。

日の当たらない裏面史にも、相応の関心を向けたいものである。各土地の至るところに、民衆の血と涙と抵抗の足跡は残されている。
(2015年10月29日・連続942回)

本日速記記念日に「速記録改竄」への抗議

この度初めて知ったことだが、今日(10月28日)は「速記記念日」とのこと。そんな記念日があることすら知らなかった。

公益社団法人日本速記協会のホームページには、「1882年(明治15)9月19日、田鎖綱紀(たくさり こうき)が、ピットマン系のグラハム式に基づいて「時事新報」紙上に「日本傍聴記録法」を発表しました。また、同年10月28日、東京で第1回講習会を開きました。これを記念して、日本速記協会は10月28日を速記の日と定めました。」とある。

田鎖綱紀の名は聞いたことがある。私の郷土・盛岡出身の名士としてである。速記の父と呼ばれ、「伊藤博文からは『電筆将軍』の称号を贈られ終生この称号を愛用した」という。

速記は円朝の人情話を活写して言文一致体の成立に寄与したなど説かれるが、何よりの功績は正確な議事記録を可能としたことである。
「田鎖式速記術は弟子達により改良された後、元老院大書記官であった金子堅太郎により帝国議会における議員の発言や政府の説明・答弁を記録するために導入されるなど、日本憲政史において多大な功績を遺した。」(ウィキペディア)という。

正確な記録の作成には、速記の技術だけではなく、速記者の矜持が必要である。ありのまま、聞こえるままの正確な速記は、その改竄や捏造を許さない速記者のプライドによって保たれる。

古代中国の王室には、記録を司る「史官」という職があった。その司が「太史」である。太史の正確な記録者としての矜持について、春秋左氏伝に下記のよく知られたエピソードがある。

斉の大夫崔杼が、君主の荘公を殺し、その弟の景公を立てて大臣となった。すると斉の太史が『崔杼、其の君を弑す』と事実を史書に書いたので、崔杼はこれを殺した。後をついだ太史の弟も同じことを書いたので、二人目に殺された。しかし、もうひとりの弟が三度同じことを記すに及んで、さすがの崔杼も記録の抹殺を断念した。太史兄弟が次々に殺されたことを聞いた別の史官は『崔杼其の君を弑す』と書いた竹簡を持って駆けつけたが、すでに事実が記録されたと聞いて帰った。

春秋の昔から、記録の正確さは大切なものとされ、記録者の矜持も尊重され称賛されたのだ。記録の改竄、歴史の捏造は、時代を問わず忌むべきものとされてきた。

それがどうだ。戦争法案審議の最終盤、「参議院の安保平和安全法制に関する特別委員会」の議事録が惨めに改竄された。田鎖綱紀も怒るであろうし、太史の面々も、太史公を称した司馬遷も怒らずにはおられまい。

その「速記の日」を選んで本日、参議院議長や鴻池祥肇(当時委員長)等に、「公表された議事録作成の経緯の検証と当該議事録の撤回を求める申し入れ」を行う。3000筆を上回る署名を添えてのことである。

その申し入れに、次の一文がある。改めて思い起こそう。改めて、忘れてはならないと再確認しよう。
「そもそも存在しない安保関連法案の『採決』『可決』を後付けの議事録で存在したかのように取り繕う姑息なやり方に強く抗議します。
9月17日の委員会室は速記録で『議場騒然』『聴取不能』と記載されたような状況であり、テレビで実況中継を視聴した国?の圧倒的多数は『あれで採決、可決などあり得ない』と受け止めています。今回の議事録に追加された『議事経過』には、次のような重大な偽り、あるいは採決の存在を議事録への追記で証明しようとする試みの道理のなさが露呈しています。」

指摘のとおり、やり口が姑息きわまる。記録の改竄に心痛むところがないのだ。鴻池議員らには、田鎖綱紀や太史たちの爪の垢を煎じて飲ませねばならない。
(2015年10月28日・連続第941回)

今日を「前夜」にしてはならない。ーそのための精一杯の抵抗を

私と梓澤和幸君とIWJの岩上安身さんとの、自民党改憲草案批判をめぐる12回の鼎談を一冊にした「前夜」(現代書館)が初版本を完売したという。今なら、古本市場で相当の高値がついているとか。情勢が動いているから、増刷するよりは版を改めようということになった。今日(10月27日)は、そのために久しぶりで3人顔合わせをして、戦争法を中心に延々4時間にも及ぶ「前夜・増補改訂版」作成のための再鼎談となった。

過去12回の鼎談は、司会の岩上さんの問に私と梓澤君が答えるという形式だった。今日は憲法問題を語るというよりは、情勢を語り運動を語る場となった。さすがに、ジャーナリストとしての岩上さんの発言が冴え、出番も多かった。知らないことを教えてもらって有益だったがいささかくたびれた。

意見が一致したことは、来夏に行われる参院選の重要性である。岩上情報では、安倍政権はこの選挙で本格的に改憲発議を訴える予定だという。この選挙の結果如何では、改憲の具体的なスケジュールが動き出すことになりかねない。2014年は解釈改憲閣議決定の年、15年は解釈改憲による違憲の戦争法が成立した年として記憶されることになろうが、ビリケン安倍は、さらに16年を明文改憲元年としようとしているのだ。

「前夜」とは、開戦の前夜、ファシズム成立の前夜、あるいは憲法が蹂躙される恐るべき時代到来の前夜を意味している。今こそ「前夜」の危険に満ちた時代と自覚せよ、という編集者の警世の思いが書名に表れている。戦争法が「成立した」とされる今、時代が「前夜」のタイトルに追いついてしまった感がある。

茶色の朝が明けてはじめて、昨夜こそが「前夜」であったと気付くことになるが、そのときは既に遅い。その以前に、鋭敏に「前夜」に至る多くの徴候を、嗅ぎわけ、見逃さず、放置せず、ひとつひとつを克服していきたい。

この鼎談の中で、私は「戦争法案成立阻止のたたかいについての私的総括」を語った。そのレジメを抜粋して掲載しておこう。だいたいのところは、察していただけるだろう。

※「戦争法」という呼称について
 「平和安全法」か「戦争法」か。
 運動を統一する呼称の成立が喜ばしいこと。
 あるいは、メディアのいう「安保法制」「安保関連法」「安保法」か。
※戦争法案攻防は、どのような理念をめぐるたたかいであったか
 ☆立憲主義をめぐるたたかい
   民主主義の限界を意識 政権の権限の制約
   選挙での勝利は万能ではない
 ☆民主主義をめぐるたたかい
   「民主主義って何だ?」との問自体の重さ 市民の政治参加の権利と責務
 ☆平和主義をめぐるたたかい
   非武装平和主義→専守防衛路線(安保自衛隊法)→集団的自衛権行使容認へ
   いま、あらためて「平和憲法」(前文を含む全条文が平和主義)の確認
※味方の政治的立場はどうだったか
 A 形式的立憲主義派 集団的自衛権行使は改憲してから
 B 戦後の保守本流 安保も自衛隊も合憲 専守防衛路線
 C 伝統的護憲派 安保も自衛隊も違憲
※たたかいの特徴
 ☆上記Cだけの陣営の狭さを、A・Bが補った。
   幅広い連帯 → これが大きな運動の言動力になった
(共闘はBの見解を押し出した。しかし、運動の核はC陣営だったのでは)
 ☆かつての組織動員型運動から、非組織の市民中心型に(ネット社会化)
   しかし、現実には、政党・市民団体の役割は大きい。
 ☆運動の拡大→新しい参加者の獲得→拡大 の好循環
 ☆戦争法と、原発・TPP・靖国・「日の丸・君が代」・教育問題等との結びつき
※敵は誰だったか
  政権 自公与党 右翼 右派メデイア 財界 ナショナリスト
※敵のイデオロギーは
  我が国を取り巻く防衛環境の変化(=中国脅威論)
  米軍との軍事同盟関係強化による抑止力期待論
※たたかいに負けた原因    
  数の暴力+安倍政権の求心力⇔小選挙区制
  中国脅威論・北朝鮮脅威論・嫌韓論の一定の影響力
※戦争法が成立したことを軽視してはならない
  特定秘密保護法+戦争法 競合症の脅威
  「9条ブランド」の喪失は復元不可能
  戦地への自衛隊員派遣⇒戦死者の靖国合祀問題
  ナショナリズム高揚の危険性
※これからの課題
 ☆本流 選挙協力⇒安倍政権打倒⇒立憲派政権の樹立⇒戦争法廃止
 ☆傍流 ビリケン与党の戦争法賛成議員に対する落選運動
     適切なシチュエーションを選んでの違憲訴訟の提起
※闘い続けるために
  社会的同調圧力に負けずに、ナショナリズムに声を上げることの重要性。
  表現の自由とその行使の重要性。萎縮、自主規制の風潮への警鐘。
  教育・教科書・大学の自治への攻撃を軽視してはならない。「日の丸君が代」も。
  弁護士自治の重要性。その喧伝を。
  政党・労組・民主団体の役割についての正当な評価を。
  真っ当な政権対抗勢力を作る必要。政党嫌いや野党への揶揄の姿勢の克服を。

本日の鼎談を終えて、思う。今なら、まだ間に合う。本当の「前夜」にしないために、表現の自由とその行使の重要性を再確認しよう。政権や大勢に順応することをやめよう。萎縮や自己規制の風潮は危険だ。覚悟を決めて抵抗しよう。このことを大いに発言し続けよう。
(2015年10月27日・連続940回)

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