澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

日本国憲法9条を保持する日本国民にノーベル賞を

「憲法9条にノーベル平和賞を」という運動が話題になっている。憲法9条にノーベル賞という発想だけでなく、一人の主婦の発案からはじまった運動としても話題性十分。

ノルウェーのノーベル賞委員会から、署名を集めた市民実行委員会や推薦人の大学教授らに、2014年のノーベル平和賞候補として正式に受理したとの通知が届いたと報じられている。今年の候補は278件で、10月10日に受賞者が発表されるという。

「この活動は神奈川県座間市の鷹巣(たかす)直美さん(37)が発案し、昨年1月から署名活動を始めた。市民実行委が昨夏発足、推薦資格のある大学教授らに呼びかけた。今年2月1日の締め切りまでに学者ら42人が賛同し、約2万5000分の署名と共に応募した。」
「受賞資格は個人または団体のため『憲法九条を保持する日本国民』としてノミネートされている。実行委メンバーは『改憲を目指す安倍政権を、国際的な力で穏便に止められる手段だと共感を得た。多くの人が平和憲法を尊び、危機感を持っていると実感した』と話している。」(東京新聞)

「憲法9条を世界遺産に」という大田光さんの著書がある。古賀誠元自民党幹事長の「9条は平和憲法の根幹で、世界遺産だ」という話題の発言もあった。こちらの方が普通の発想。だが、ユネスコに世界遺産登録申請の具体的な運動が起きたことは聞かない。一人の主婦がノーベル平和賞の受賞を目指す運動を始めたこと、それがノミネートの段階まで漕ぎつけたことに脱帽するしかない。

しかもこの発案者の発想は、極めて真っ当なのだ。「『戦後70年近くも日本に戦争をさせなかった9条に(平和賞受賞の)資格がある』とひらめいた。安倍政権が改憲への動きを活発化する中、『受賞すれば9条を守れる』と思ったことも大きかった (1月3日東京)」という。しっかり応援をしたい。

もっとも、多少の引っかかりを感じないわけでもない。「憲法9条にノーベル賞を」という発想は、ノーベル賞のもっている権威を前提に、憲法9条に権威のお裾分けをいただこうというものではないか。はたして、ノーベル平和賞とは、そんなに権威ある存在だろうか。また、憲法9条とは、ノーベル平和賞よりも権威のないものなのだろうか。

私の記憶では、佐藤栄作の受賞がノーベル平和賞のイメージを決定づけている。キッシンジャーが受賞し、オバマが受賞したこのノーベル平和賞の政治性は覆いがたい。はたして、ノーベル平和賞はその権威において、日本国憲法9条を凌ぐものだろうか。

ところで、法の歴史において、近代立憲主義の嚆矢となったものはアメリカ合衆国憲法(1787年)であり、輝かしく基本的人権を宣告したのはフランス人権宣言(1789年)である。ともに、過去の遺産ではなく、いまだに実定法として生きている憲法の一部である。

合衆国憲法は、後に「権利章典」部分を修正条項として付加して今日に至っている。フランスの第5共和国憲法は統治機構部分を有してはいるが、独自の人権宣言部分をもたない。前文で「1946年憲法で確認され補充された1789年宣言によって定められた、人権および国民主権の原則に対する愛着を厳粛に宣言する」として、1789年人権宣言の各条項に基づいて違憲立法審査権を行使しているとのことだ。

これらこそノーベル賞ものであり、世界遺産当確と思うのだが、アメリカ人やフラン人にしてみれば、合衆国憲法も、人権宣言もノーベル賞よりも権威ある存在として、ノーベル賞にノミネートという発想にはならないにちがいない。日本国憲法9条が、合衆国憲法や人権宣言のごとくに、歴史的にも地理的にも尊敬を勝ち得、やがてはノーベル賞など足元にも及ばない権威を獲得する日の来たらんことを願う。

なお、ひとつ提案がある。憲法第9条が受賞した場合、授賞式に臨む日本国民の代表者を選任しなければならない。これまで運動を担ってきた関係者とは別に、「9条を保持する日本国民」の代表としてふさわしい人物を。

戦争責任者の長男である天皇は、「9条を保持する日本国民」の代表としては、最もふさわしからぬ存在である。9条破壊に専念している安倍もその資格を欠く。

そこで、一般国民の中から、もっともふさわしい「9条国民代表」を選任するための大イベントを企画してはどうだろうか。年齢・性別・国籍・居住地・職業等の属性一切関係なく、日本国民としての自覚だけを要件とすればよい。そして、9条についての思いを作品にして、募集するのだ。論文・散文・小説・詩・短歌・俳句・絵画・彫刻・工芸・写真・動画・作曲・落語・浪曲・能・狂言…。要するに何でもよい。大会場で、自薦他薦のスピーチ大会を開催して、投票で代表を選任する。いかがだろうか。

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          安倍晋三の「観桜会」に思う
樋口一葉に「闇桜」という作がある。幼い頃から隣どおし、兄妹のように育った二人の物語。この二人は伊勢物語の「筒井筒」のように結ばれることはない。
娘は「一粒ものとて寵愛はいとど手の内の玉かざしの花に吹かぬ風まずいといて願うはあし田鶴の齢ながかれとにや千代となづけし親心にぞ見ゆらんものよ栴檀の二葉三つ四つより行く末さぞと世の人のほめものにせし姿の花は雨さそう弥生の山ほころび初めしつぼみに眺めそはりて盛りはいつとまつの葉ごしの月いざよう」と美人薄命を暗示される。終章、男はなすすべもなく、病床の娘の手をとりて、「風もなき軒端の桜ほろほろとこぼれて夕やみの空鐘の音かなし」でおわる。何ともじっれたい話。

坂口安吾の「桜の森の満開の下」は山賊の話。「この山賊はずいぶんむごたらしい男で、街道へでて情容赦なく着物をはぎ人の命も断ちましたが、こんな男でも桜の森の花の下へくるとやっぱり怖ろしくなって気が変になりました」。そんな男が、例のとおり身ぐるみはごうとした女のあまりの美しさに、身も心も奪われて女房にしてしまう。ところが、この女が「外面如菩薩内心如夜叉」で、男は都に出て悪逆非道を尽くすことを強いられる。盗み、殺し、贅を尽くした都暮らしを続けるが、いつしかむなしさを感じた山賊は山に帰ろうと決意する。女はいやがるが、仕方なく山へ帰ることに同意する。花びらが一面に散り敷いた桜の木の下にたどり着いたとき、背負ってきた女が「鬼」に変わっているのに気づいた山賊は、女をくびり殺してしまう。「彼は女の顔の上の花びらをとってやろうとしました。彼の手が女の顔にとどこうとした時に、何か変わったことが起こったように思われました。すると、彼の手の下にはふりつもった花びらばかりで、女の姿は掻き消えてただ幾つかの花びらになっていました。そして、その花びらを掻き分けようとした彼の手も彼の身体も、伸ばしたときにはもはや消えていました。あとに花びらと、冷たい虚空がはりつめているばかりでした。」悪い女に迷った男のよくある話。しかし、男は繊細で感じやすい人間であり、救いがある。

次は国家権力による「桜の利用」。「桜・・それはすこやかに輝く命の花であった。そこに死の翳などの入りこむ余地はなかった。その花を、明治政府のかつての志士の幸運な生存者たちである薩長の軍事官僚たちが、勝手に武人の花、死の花に変えてしまった。明治中期、九段坂上に、戊辰・西南の内戦での戦死者たちを祀った招魂社(現・靖国神社)を建立した際、その社前に桜が植樹され、明治後期の二度の外征での若い死者たちもここに合祀されて、桜は『九段の花』として軍事国家時代の国民に深く印象づけられた」(「桜と日本人」小川和佑著)

周知のとおり、東京の開花宣言の標準木は靖国神社の境内にある。その花の盛りが過ぎたころの4月12日、新宿御苑で安倍首相が「観桜会」を催した。14000人の人が招かれ、盛大なものであったと報じられた。その席で、安倍は「給料の上がる春は八重桜」と、信じがたい駄句を披露している。

安倍は、可能であれば、九段の靖国神社に参拝し、靖国での観桜会をしたかったであろう。新宿御苑の観桜会はこれに代わるものだが、美しい「八重桜」もことのほか迷惑顔。そして、心なし安倍の駄句に赤面した風情だった。悪逆を尽くした山賊も、その害悪と責任の大きさにおいて、靖国に合祀されている戦犯には足もとにも及ばない。その戦争に無反省な安倍晋三らにも。

花は、確かに人を狂わせる。一葉のえがく余りにも繊細でか弱い人たちのようでもなく、坂口安吾のえがく孤独で内省的ではあるが残虐な山賊のようでもなく、そして安倍晋三のごとく臆面もなく策と思惑を露わにしてのことでもなく、美しいものを美しいとして、こころしずかに花見をしたいものである。
(2014年4月14日)

カジノ解禁法案に反対する

賭博は犯罪である。単に違法な行為というだけのものではない。国家が刑罰権を発動して制裁を科する必要があるとされているのだ。その本質において、互いに相手の財産を奪い合う醜い行為であり、やがては身を滅ぼす行為でもある。単純賭博罪(刑法185条)、常習賭博罪(同186条1貢)、賭博場開張図利罪(同186条2項)。博徒結合図利罪(同)と類型化され、富くじの発売も、発売の取次も、授受も犯罪(同187条)とされている。

「賭博は、お互い負ければ取られることを覚悟でのゲームだ。大人の娯楽として、刑罰をもって禁圧するほどのことはあるまい」という意見は、昔からある。賭場を開帳して、寺銭を稼ごうという有力者の声が大きい。しかし、賭博の実態が、その禁圧の必要性を確認し続けてきた。

ダンテの「神曲」では、賭博を行う者は、「他人の不利を自己の利とせし」罪によって地獄に堕ちている。最高裁は、「国民の射幸心を煽り、勤労の美風を損い、国民経済の影響を及ぼす」と説明している。賭博とは、マクロに見れば参加者から収奪するシステムにほかならない。宝くじもおなじ。

賭博あるいは博打は、人を不幸にする。賭博の公認は、大規模に不幸な人をつくり出す。横文字にして、賭博や博打をギャンブルといい、賭場をカジノと言い換えても、事情はまったく変わらない。

昨今は、賭博の経済効果が喧伝されている。そして、イメージを一新しようと、「IR」などと言葉をもてあそぶ。IRとは、定着しているInvestor Relationsの略語ではなく、Integrated Resortの訳語、カジノを中心とした複合型娯楽施設のことだそうだ。「統合型リゾート」の訳されている。その狙いは、賭博の本質が発散する胡散臭さをカムフラージュすることにある。

超党派の「IR議連」が立ち上げられ、議員立法で「特定複合観光施設区域の整備の推進に関する法律案」が昨年12月に提出された。認可業者が、国の認定を受けた地域でカジノを中心とする「特定複合観光施設」を設置・運営できるとするもの。その法案の審議が連休明けから動き出すと観測されている。

法案の推進母体となっている「IR議連」の正式名称は、「国際観光産業振興議員連盟」。最高顧問として安倍晋三、麻生太郎、石原慎太郎、小沢一郎などのおぞましい面々が並ぶ。業界の利権とのつながりが懸念され、それあらんか、維新の会がことのほか熱心だ。

経済紙誌に、「1兆円の市場規模」「いや、年間で総額400億ドル(約4兆円)の売り上げを期待」「ラスベガス、マカオに次ぐ巨大施設建設を」「ロビー活動活発化」「お台場に」「大阪湾の人工島・夢洲(ゆめしま)に」「震災からの復興の目玉に」と、景気のよい話と危ない話しとが踊る。博打奨励の尻尾を隠して、「海外の観光客を誘致してお金を落としてもらい、国内の雇用を増やし、経済を活性化させる」などと「大義」が説明されている。とりわけ、2020年の東京五輪招致がカジノ設立のチャンスと捉えられている。業界には、これ以上ない美味しい話し。庶民には不幸のばらまき。
 
もちろん、カジノ解禁法案に反対の世論は健在である。特に注目されているのが、弁護士の動き。昨日(4月12日)、「多重債務者の支援に取り組んできた弁護士らが、法案に反対する団体を設立し、全国で反対運動を行なっていくことなどを確認した」ことが報道されている。

彼らは、社会問題としての多重債務問題のおおきな一因として、ギャンブルやギャンブル依存症があることを、深刻に受けとめてきた。これまでは、競馬、競輪、パチンコ、宝くじの類である。「ギャンブルで借金を作り、家族や仕事を失う悲惨な人たちを私たちは見てきました。そうした犠牲を基に経済活性化を目指す国でいいのでしょうか」という代表(新里宏二弁護士・仙台)の言葉が紹介されている。人の不幸に向かいあってきた弁護士グループの言葉として重い。IRの公認は人の不幸に輪をかけることになる。

これから、国会議員に反対を訴えていくほか、大阪・沖縄・東京・仙台など、カジノの誘致を検討しているといわれる自治体に対して、具体的な反対運動を行なっていくことを確認したという。

カジノは、人を不幸にする。人を不幸にしての経済振興はあり得ない。また、カジノ誘致には、基地や原発の誘致と同じ匂いがする。基地や原発に依存した経済の二の舞となることが目に見えている。

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           「ローズマリーの庭」
イングリッシュガーデン愛好家のバイブル「ローズマリーの庭にて」の著者ローズマリー・ヴィアリー(1919?2001)は四月について以下のように書いている。

「ガーデニングに関心のある者にとって、春とは、大地の温度が上昇するときを意味する。道端に雑草が生えてきたらいよいよ種のまき時だ。わざわざ寒暖計で測定しなくても、まいたものは必ず発芽してくれる。それともう一つ、大地の匂いが良い年はすべてのものの生育が良好と期待していい。」

「四月とは名ばかりの寒い日が続いたのでヘッジロウ(生け垣)には春の気配は全く感じられない。葉を落とした灌木の枯れ枝がそう思わせるのだ。が、そうみえるだけで生き物たちは本格的な春に備えて着実に活動を始めている。注意していれば生け垣に沿って早足で駆けていくウサギの後ろ姿を見かけるはずだし、枯れ枝と紛らわしいのでわかりにくいだけで、ウズラたちも何やら忙しそうだ。『三月の声を聞くといてもたってもいられなくなる』といわれる活発な野ウサギたちにいたっては、長い後ろ足を最大限に生かして野原をぴょんぴょん飛んで跳ねている」

90年代に日本ではイングリッシュガーデンブームが巻き起こった。およそ似て非なるものであることは承知しながら、みな競って、日本の狭い庭にカタカナ名前の花苗を植え、装いを凝らしたものだ。雑誌や写真誌もイギリスの広大な庭に咲きそろった美しい花壇の写真を載せた。「キングサリ」の黄金色のアーチや「ホワイトガーデン」、「香りの庭」に夢中になり、英国庭園ツアーに大挙した。

その有名な庭園のひとつ「バーンズリーハウス」のオーナーが、高名な女性ガーデンデザイナーのローズマリー・ヴィアリーさんだった。「バーンズリーハウス」は英国でも特に美しいコッツウォルズ地方にある。コッツウォルズ特産の蜂蜜色のライムストーンで300年以上前に建てられた、典型的な英国の美しい屋敷である。その庭をローズマリー・ヴィアリーさんが30年以上かけて、手作りで造りあげ公開していた。4エーカーというから5000坪ほどの庭である。広大ではあるが、手に負えない広さではない。憧れにぴったりの、田園地帯の「良きイギリスの庭」だったと思う。生前のローズマリーさんに会った人たちは彼女の気取らない実直で穏やかな人柄に魅了されたようだ。目の前に造り上げられた美しい庭を見、彼女の数々の著作に触れれば当然なことだ。「聖地」を訪れる「巡礼者」は全世界から引きも切らなかったことと思われる。

私も写真で見たキングサリのアーチに魅せられて、せめて黄色い藤の花房を見上げてみたいものだと、苗屋から買ってきては何本も枯らした思い出がある。白い花や香りのある花に関心が向くようになったのも、それからのことである。

「毎年四月下旬には野生のパルサティラ・バルガリス(セイヨウオキナグサ)を観に行くことにしている。石灰岩がむき出しの西向きの急斜面に何千、何万というブルーの花が咲き乱れるのである。崖の下から見上げるようにすると一番よく見える。花は6センチほどの短い茎に隠れて見にくいからである。・・この素晴らしい花畑の地主はグロスターシャー自然保護トラストからの要請で、花が咲き出してから種子が完全に地面に落ちるまでのあいだ、家畜を一帯に近づけないと約束したそうである。トラストはこのような自然を後世に伝えていくための地道な活動を全英五十箇所で行っている。そのほか成人向けの教育プログラムと子ども向けの自然観察など、その活動は幅広く、頭が下がる思いだ。」

ここに出てくるトラストとは、英国において歴史的名所や景勝地を保護するために1895年設立されたボランティア団体、通称「ナショナル・トラスト」のこと。現在27万ヘクタールの田園地帯、960キロメートルの自然海岸、300カ所余りの歴史的建造物、230カ所余りの庭園が寄贈され、買い取られたりして、保有、公開されている。「ピーターラビット」の著者ビアトリス・ポターの保存した湖水地方やチャーチル首相が幼い頃過ごした邸宅チャートウェルなどが有名である。

このように書いたローズマリーさん亡きあと、「バーンズリーハウス」は残念ながら、ナショナルトラストの保有するところとはならなかった。ホテル業者に売却されて、宿泊客と食事をする客だけに庭は公開されているという。聖地が冒涜されたような、少々切ない気持ちになりながら、ガーデナーとしてのローズマリーさんの夢の結実の庭園がどのような形でも長く受け継がれていきますようにと切に願う。
(2014年4月13日)

閣議決定での「集団的自衛権限定容認」は禁じ手だ

人は様々である。それぞれに密かな愉しみがある。他人から見れば、なんとたわいもない些事。「それがどうした」と、一蹴される類のもの。

最近の私の愉しみは、ときどきグーグルで「憲法」というキーワード検索を試みること。その検索のトップページに当ブログがあれば安心する。その順位があがればニンマリする。絶対に誰からの共感も得られない、理解を分かち合うこともできない、そのようなささやかで密やかな愉しみ。

本日午前中、「憲法」のキーワードで、グーグル検索をかけてみたところ、ヒット数は「約9,370,000件」となっている。そのトップページに並ぶトップテンは以下のとおり。
1位 日本国憲法(政府運営サイトe-Govの公式憲法典条文)
2位 憲法のニュース検索結果
3位 憲法 – Wikipedia
4位 日本国憲法 – Wikipedia
5位 法条文・重要文書 | 日本国憲法の誕生- 国立国会図書館
6位 澤藤統一郎の憲法日記 – article9.jp
7位 憲法とは-コトバンク- Kotobank
8位 憲法会議
9位 憲法 – キーワード(赤旗)- 日本共産党中央委員会
10位 法学館憲法研究所

グーグルがどういう基準で、配列の順位を決めていているのかは知らないし、想像もつかない。それでも、憲法会議と共産党を抜いた。小さく「万歳」をしよう。

1位のe-Gov「日本国憲法」は不動の位置を確保している。これを抜くことは不可能だろう。挑戦の対象はまずは「国会図書館」である。そして、次はWikipediaだ。これを抜くことができたら…、別になんと言うこともないのだが。コツコツと毎日ブログの掲載を継続して、より多くの人に読んでもらえるようになりたいものと思う。

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グーグルの「憲法」検索で本日2位の座を占めている「憲法のニュース検索結果」の内容は、本日(4月11日)午前4時22分配信のNHKニュース、「憲法解釈変更で容認は立憲主義に反する」というもの。

「政府が右と言えば、左と言うことはできない」という会長をいただくNHKである。首相が「集団的自衛権行使容認という憲法解釈変更を閣議決定で」とやる気満々に、「右」を指し示している。敢えてこれに水を差して、「憲法解釈変更で集団的自衛権行使容認は立憲主義に反する」と、「左」の立場からのニュースを流してもよいのだろうか。あのときと同様に幹部が官邸に呼びつけられて、「放送法を遵守せよ。それ以上のことは言わない。言わなくてもわかっているだろう」と安倍晋三から言われることにならないか。あるいは、わざわざ安倍が乗り出さなくとも、籾井会長レベルで、「放送法遵守の観点から徹底調査する」何てことにならないだろうか。NHKには、一々心配がつきまとう。

NHK報道の内容は、昨日(4月10日)夕刻に、日弁連が主催した「シンポジウム 集団的自衛権と憲法ー『積極的平和主義』を問う」の報道。正確な報道は、安倍政権の基本政策に道理のないことを明らかにすることになる。

シンポジウムは、北澤俊美氏(元防衛大臣)の基調講演とパネルディスカッション。パネラーは、北澤氏の他は、阪田雅裕氏(元内閣法制局長官)、谷口真由美氏(全日本おばちゃん党)、半田滋氏(東京新聞論説委員)。村越進日弁連新会長も、危なげない挨拶をしていた。

NHKが取材に来ていたことは知らなかったが、ネットでは次のとおりの報道とされている。

「集団的自衛権と憲法について考えるシンポジウムが10日夜、都内で開かれ、防衛大臣や内閣法制局長官の経験者が、『憲法解釈を変更して集団的自衛権の行使を容認するのは立憲主義に反する』などと批判しました。

シンポジウムは、日弁連=日本弁護士連合会が開いたもので、最初に、北澤俊美元防衛大臣が講演しました。

この中で、北澤元防衛大臣は、安倍総理大臣が集団的自衛権の行使を容認するための憲法解釈の変更に意欲を示していることについて、『憲法解釈の変更で集団的自衛権の行使を容認することは立憲主義に反し、自衛隊にとっても死活問題だ。たとえ総理大臣であっても過去の解釈と整合性のとれない変更をすることは許されない』と批判しました。

続いて行われたパネルディスカッションでは、集団的自衛権の行使を容認する根拠として昭和34年に出された「砂川事件」の最高裁判決が引用されていることが議論になりました。パネリストの1人で、元内閣法制局長官の阪田雅裕さんは、『当時は、国際法上、集団的自衛権の概念も明確ではなかった。これまで議論になったこともない判決を根拠に憲法解釈の変更を正当化するのは不可解だ』と指摘しました。会場を訪れた女性は、『安倍政権に危機感を感じ、憲法の勉強を始めました。子どもや孫を戦争には行かせたくないので反対の声を上げていきたい』と話していました。」

NHKの報道は立派なものではないか。第一線の現場はがんばっている、ということがよくわかる。会長と、経営委員だけがおかしいのだ。

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シンポジウムでは、淡々と語った阪田さんの発言に重みがあった。

「私は、防衛政策の在り方に発言する立場にはない」とし、「私が言いたいことは、立憲主義を大切にすべきだということに尽きる。憲法9条2項に整合的な解釈として、集団的自衛権行使容認の余地はない。集団的自衛権を容認するのであれば、96条に定められた改正手続きを経て国民が憲法を改正する道を執るべきで、内閣の解釈変更で憲法が許さないことをやってしまおうということは、立憲主義に反するし、法治国家にあるまじきこと」

「違法な戦争はできない。合法的な武力の行使には二通りしかない。個別的自衛権の行使か、集団的自衛権の行使か。憲法9条2項は、戦力の不保持を明記している。これは、自衛のための最小限度の実力組織の保持と、個別的自衛権の発動に限っての武力行使を認めたものと読むべきで、集団的自衛権行使は認めないことと表裏をなしている。集団的自衛権行使を容認したら、自衛隊は他国の軍隊とまったく同じになってしまい、憲法9条の存在意義がなくなってしまう」

「これを限定容認なら、ということはできない。これまで積み重ねられてきた歴代内閣の整合的な憲法解釈を崩してしまうもの。安保法制懇の答申にもとづいてという手法も姑息だ」

専守防衛に徹すべきだという真摯な論調は力強く貴重なものと思う。

昨年(2013年)の4月?5月は、96条先行改憲論に反対する統一戦線的論調が世論に浸透して、安倍政権のたくらみを潰した。今年は、集団的自衛権行使容認論批判だ。とりわけ、「限定的容認論」なら落としどころではないか、という自民・読売的論調への徹底批判が必要だ。たまたま、本日(4月11日)の毎日社説が、「集団的自衛権 限定容認論のまやかし」である。世論調査の動向を見ても、うん、今年も勝てそうだ。

ところで、日弁連や、在京3弁護士会が主催する、市民向け公開シンポジウムは一切費用を取らない。無料というだけではない。さすがに、いつも充実した内容。

下記のサイトが今後のイベント一覧を掲載している。近々、袴田事件の報告集会もある。特定秘密保護法に関して西山太吉氏の対談も予定されている。是非、霞ヶ関の弁護士会館に足を運んでいただきたい。
http://www.nichibenren.or.jp/event.html

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NHK籾井会長、百田・長谷川両経営委員の辞任・罷免を求める署名運動へのご協力のお願い。

下記URLからどうぞ
http://kgcomshky.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/post-3030-1.html
http://chn.ge/1eySG24
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    NHKに対する「安倍首相お友だち人事」への抗議を
☆抗議先は以下のとおり
 ※郵便の場合
  〒150-8001(住所記入不要)NHK放送センター ハートプラザ行
 ※電話の場合 0570?066?066(NHKふれあいセンター)
 ※ファクスの場合 03?5453?4000
 ※メールの場合 下記URLに送信書式のフォーマット
    http://www.nhk.or.jp/css/goiken/mail.html
☆抗議内容の大綱は
  *籾井勝人会長は即刻辞任せよ。
  *経営委員会は、籾井勝人会長を罷免せよ。
  *百田尚樹・長谷川三千子両経営委員は即時辞任せよ。
  *経営委員会は、百田尚樹・長谷川三千子両経営委員に辞任勧告せよ。
以上よろしくお願いします。
(2014年4月11日)

本郷三丁目交差点での訴え?集団的自衛権行使容認ノー

本日(4月9日)夕刻、地元「本郷湯島九条の会」などが本郷三丁目交差点で集団的自衛権問題で街頭宣伝活動を行った。これまで、特定秘密保護法についての訴えは何度も行ってきたが、集団的自衛権のテーマについては初めての行動。

久々に、街頭宣伝行動でマイクを握って、家路を急ぐ人々に、ショートフレーズで語りかける。

今、安倍内閣は、憲法解釈を大転換して、集団的自衛権の行使容認に踏み切ろうとしています。これは、憲法の平和主義を根底から突き崩すたいへん危険なたくらみとして到底見過ごすことができません。

歴代の自民党政権は決して憲法を大切にしようという姿勢ではなかった。それでも、「我が国では、憲法9条の制約があって集団的自衛権の行使は許されない」ということで一貫してきました。これまで何度も確認されてきた憲法解釈を投げ捨てて、集団的自衛権を認めようというこの乱暴なやりかたは、安倍内閣の暴走という以外に言葉がありません。

自衛権とは、自国が攻撃されたときに、やむを得ずこれに反撃する権利をいいます。現実に攻撃がなされていること、実力で反撃する以外に方法がないこと、反撃の程度が過剰にわたらないことの3点が要件とされています。

ところが、集団的自衛権とは自国が攻撃されていないのに、同盟国が攻撃されたら、それを自国への攻撃と見なして、攻撃された国と一緒に戦争ができるという権利のことです。謂わば人のケンカを買って出る権利のことを言います。自分が攻撃されているわけではないのですから、本来の意味での自衛権ではありません。

日本と軍事同盟を結んでいるアメリカは世界に軍隊を展開しています。現実にたくさんの戦争をしてきました。そのアメリカが世界のどこかで攻撃を仕掛けられたら、それがどこであろうとも日本も一緒になって攻撃を仕掛けた国を相手に戦うことができるということなのです。

「義務ではないから選択肢が増えただけで差し支えないじゃないか」などと言ってはいけません。これまで日本がアメリカの戦争に巻き込まれずに済んだのは、我が国が集団的自衛権の行使はできないという憲法上の大原則をもっていたからです。この貴重な原則を投げ捨てれば、日本は参戦を拒否できなくなります。

これまで、集団的自衛権はアメリカやソ連などの超大国が、目下の同盟国から要請を受けたとして軍事介入をする口実に使われてきました。いま、安倍政権は、日本をアメリカのケンカを買って出て、世界で戦争のできる軍事大国に育て上げたいのです。

あの戦争の惨禍から再出発した日本は、再びの戦争を絶対に繰り返すまいとして平和憲法を打ち立てました。平和憲法は、その前文で、誰もが平和に生きる権利があることを確認し、憲法9条で、戦争を放棄し、「陸、海、空軍、その他の戦力はこれを保持しない」と宣言しています。

戦力を持つことのできない日本が、どうして自衛隊を持てるのでしょうか。政府は、一貫して、「自衛隊は戦力ではない」と言い続けてきました。日本は、憲法で禁止されている戦力は持てないが、国に自衛権はある。自衛のための実力は戦力ではない。そのように説明してきました。これは、半分はまやかしですが、半分は真実と言えることでもあるのです。

自衛隊はあくまで、自衛のための実力なのですから、専守防衛に徹する編成や行動が強いられます。自衛の範囲を超えた武器、たとえば空母や大陸間弾道弾などの武器を持つことはできません。ましてや、自国では使えるはずのない核兵器も持てません。海外派兵はできませんし、カンボジアやイラクに派遣された自衛隊が、軍事作戦に従事することはありませんでした。

ところが、集団的自衛権を行使できるということになれば、専守防衛の原則が崩れます。軍備にしても、海外派兵にしても、歯止めがなくなります。これは、憲法の平和主義の原則が、まったくの骨抜きになることと言わざるを得ません。

安倍政権は「戦後レジームからの脱却」を叫んでいます。明文改憲、軍事力強化、特定秘密保護法、教育の国家主義化など、多方面での暴走が進んでいます。その中で、今最も重大なものが、集団的自衛権行使容認の閣議決定のたくらみなのです。

憲法の制約があって集団的自衛権の行使はできないとされているのですから、筋から言えば憲法改正以外に手段はないはずです。しかし、憲法改正の手続は国民投票で過半数の賛成を得なければならないのですから、安倍政権にその自信はありません。それなら、憲法を変えるのではなく、解釈を変えてしまおう。その発想が解釈改憲であり、閣議決定による集団的自衛権行使容認なのです。

憲法改正を実現するには厳重な手続的要件が定められています。それをすり抜けて、「国会の発議も、国民投票での過半数も得ることなく、一内閣の閣議決定だけで、憲法改正と同じことをやってしまおう」。これが安倍内閣のたくらみなのです。

政府の憲法解釈は、専門家集団としての内閣法制局が担当してきました。長年にわたる内閣法制局が担当した政府答弁の積み重ねで、「自衛隊が合憲であるためには専守防衛に徹しなければならない」「我が国では、憲法の制約があって集団的自衛権の行使はできない」という憲法解釈の見解が確定したものになっています。

安倍内閣にとってはこの内閣法制局見解が邪魔、なんと内閣法制局長官を最高裁判事に栄転させて、自分の言うことをよく聞くことを試し済みの、外務官僚小松一郎さんを後任に据えるという、異例の人事を行ったのです。やり口が姑息、汚い、と批判が噴出しています。

安倍内閣の手口の汚さはそれだけではありません。自分の言うことを聞きそうな権力迎合の人物だけを集めて、「安保法制懇」をつくり、集団的自衛権行使容認の可否について諮問をしているのです。答申の内容は分かりきっています。識者の意見を聞いたという形を整えて、閣議決定を行おうというのです。

安倍内閣のこのように姑息な手口は、今急速に国民の支持を失いつつあります。2月以来のあらゆる世論調査において、改憲反対の世論が急速に伸び、凋落した改憲賛成派を圧倒しています。朝日、毎日の調査だけはなく、読売や産経の調査結果も同様なのです。集団的自衛権行使容認派は永田町でこそ多数かも知れませんが、決して全国では多数派ではありません。

うららかなのどかな春の平和を大切にしたいものです。今日の平和を明日に続けましょう。私たちの今日の安全・安心と、子どもたちの未来のために、平和憲法の擁護を訴えます。閣議決定による憲法解釈の変更は禁じ手です。そんなことで平和を失うようなことがあってはなりません。

集団的自衛権行使容認の閣議決定ノー。安倍内閣ノー。その声を大きくしようではありませんか。
(2014年4月9日)

安倍改憲路線に民意は離れつつある

民主主義とは、民意を実現する政治のこと。その「民意」というものを考えたい。民意に基づく政治の大切さだけをいうのであれば、2500年も前から明らかにされている。よく知られている論語顔淵編の次の一節。

子貢問政、子曰、足食足兵、民信之矣、子貢曰、必不得已而去、於斯三者、何先、曰去兵、曰必不得已而去、於斯二者、何先、曰去食、自古皆有死、民無信不立。

私なりに訳せば、以下のとおり。
子貢が孔子に政治の要諦を尋ねた。
「経済を充実させ、軍備を怠らず、民意の支持を得ることだね」
「その三つとも全部はできないとすれば、まずどれを犠牲にしますか」
「そりゃ、軍備だね」
「残りの二つも両立は無理だとすれば、どちらを犠牲にすべきでしょうか」
「経済だよ。民生の疲弊はやむを得ないが、民衆の信頼がなければそもそも国家が成り立たないのだから」

孔子の時代の「民の信」とは、民衆の意思では取り替えることのできない為政者への包括的な信頼ということでしかない。民主主義社会では、具体的な民意を政治に反映することが必要だ。それができない為政者は、遠慮なく取り替えられなければならない。

はたして安倍政権の政策は、そのような意味で民意を反映し、民意の支持を得ているだろうか。むしろ、遠慮なく取り替えられるべき事態を迎えているのではないか。少なくもその兆しが見える。いくつかの世論調査の結果が、その証しである。

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本日の「朝日」朝刊に集団的自衛権に関する世論調査の結果が掲載されている。その大要は以下のとおり。
☆集団的自衛権について
 「行使できるようにする」        29%
 「行使できない立場を維持する」   63%
★「集団的自衛権を行使できるようにする」賛成者(29%)の中で、
 そのためには
 「憲法を変える」             56%
 「解釈を変更する」           40%
その場合近隣諸国の理解が
 「必要」                  49%
 「必要ない」               46%
☆今の憲法を
 「変える必要がある」         44%
 「変える必要はない」         50%
☆憲法9条を
 「変える方がよい」           29%
 「変えない方がよい」          64%
☆自衛隊を国防軍にすることに
 「賛成」                  25%
 「反対」                  68%
☆非核3原則を
 「見直すべきだ」            13%
 「維持すべきだ」            82%
☆武器輸出の拡大に
 「賛成」                 17%
 「反対」                 77%

朝日自身の解説を抜粋して紹介する。
 集団的自衛権について「行使できない立場を維持する」が昨年の調査の56%から63%に増え、「行使できるようにする」の29%を大きく上回った。憲法9条を「変えない方がよい」も増えるなど、平和志向がのきなみ高まっている。安倍内閣支持層や自民支持層でも「行使できない立場を維持する」が5割強で多数を占めている。
 安倍晋三首相は政府による憲法解釈の変更で行使容認に踏み切ろうとしているが、行使容認層でも「憲法を変えなければならない」の56%が「政府の解釈を変更するだけでよい」の40%より多かった。首相に同意する人は回答者全体で12%しかいないことになる。
 一方、国内では憲法9条を「変えない方がよい」も昨年の52%から64%に増え、「変える方がよい」29%との差を広げた。武器輸出の拡大に反対が71%→77%、非核三原則を「維持すべきだ」も77%→82%。自衛隊の国防軍化に反対も62%→68%と増えた。有権者が1年足らずの間に軍事力強化に対する不安を強めている様子がうかがえる。
 改憲の是非についても、今の憲法を「変える必要はない」の50%が「変える必要がある」の44%を上回った。朝日新聞社の調査で改憲反対が多数を占めるのは1986年の調査までで、次に改憲是非を聞いた97年以降は賛成が多かった。

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テレビ朝日「報道ステーション」が、3月29・30日実施した調査結果は以下のとおり。

☆集団的自衛権
 日本は、憲法第9条で、他国から直接攻撃を受けた場合のみ、武力行使することができるとされています。あなたは、これを変えて、日本と密接な関係にある国が攻撃を受けて、協力を求められた場合も、集団的自衛権を使って、自衛隊を海外に派兵して武力行使できるようにする必要があると思いますか、思いませんか?
 「思う」            35%
 「思わない」         45%
 「わからない、答えない」 20%
☆解釈改憲
 安倍総理は、憲法を改正しないで、第9条の解釈を変えることで、海外での武力行使ができるようしようとしています。あなたは、憲法を改正せずに、解釈でできるようにすることを、支持しますか、支持しませんか?
 「支持する」         22%
 「支持しない」        56%
 「わからない、答えない」  22%
☆閣議決定
 安倍総理は、憲法第9条の解釈を、内閣として決めることで、変えることができると主張しています。野党は、まずは国会での議論が必要だと主張しています。あなたは、内閣が決める前に、国会で議論することが必要だと思いますか、思いませんか?
 「思う」            84%
 「思わない」          7%
 「わからない、答えない」   9%
☆武器輸出
 安倍内閣は、国際環境の変化に対応するためなどとして、日本製の武器関連製品の外国への輸出を厳しく制限してきた、これまでの武器輸出三原則に代わって、新たな取り決めを検討しています。検討されている新たな取り決めでは、これまでの原則、輸出禁止に代えて、内閣が、日本の安全保障に役立つかどうかなどの政治判断を重視して、武器関連製品を、輸出するかどうかを決めることとしています。あなたは、この新たな取り決めを、支持しますか、支持しませんか?
 「支持する」         24%
 「支持しない」        47%
 「わからない、答えない」  29%

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また、4月1日付産経は、自社が行った世論調査の報道に、「憲法改正の賛否が逆転 反対47%が賛成38%を上回る」と見出しを付けている。記事の大要は以下のとおり。

 産経新聞社とFNNの合同世論調査で、憲法改正の反対派(47・0%)が昨年4月以降初めて賛成派(38・8%)を上回った。
 安倍晋三首相が改正に積極的な発言をしていた昨年4月は「賛成」(61・3%)が「反対」(26・4%)を引き離していたが、改正に慎重な公明党への配慮から発言を控えるようになると、賛成派は徐々に減少。今年1月には「賛成」(44・3%)と「反対」(42・2%)が拮抗していた。

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朝日が解説するとおり、民意は確実に平和指向・憲法擁護の方向にある。
産経の結果を再確認すれば、以下のとおり昨年4月から今年1月、そして今回の3月調査へと劇的な変化である。
  憲法改正反対 26.4%⇒42.2%⇒47・0%
  憲法改正賛成 61.3%⇒44.3%⇒38・8%  
民意は、安倍の「積極的平和主義」の暴走に大きな不安を感じて、「安倍ノー」を突きつけつつある。靖国参拝、消費増税、原発再稼動、原発輸出、非正規恒久化、さらにNHK人事、TPPである。それでもまだ安倍内閣の支持率が比較的高いのは、アベノミクス幻影という皮一枚の効果に過ぎない。

「民無信不立」は、「民に信ぜられることなくば立たず」と読みたい。政権も、政党も、政治家も、民意を獲得し民意の支持なくてはやっていけないのだ。猪瀬直樹や渡辺喜美が好例である。そして、各世論調査の結果は、安倍晋三もこれに続きそうな予兆なのだ。

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NHK籾井会長、百田・長谷川両経営委員の辞任・罷免を求める署名運動へのご協力のお願い。

下記URLからどうぞ
http://kgcomshky.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/post-3030-1.html
http://chn.ge/1eySG24
  *******************************************************************
    NHKに対する「安倍首相お友だち人事」への抗議を
☆抗議先は以下のとおり
 ※郵便の場合
  〒150-8001(住所記入不要)NHK放送センター ハートプラザ行
 ※電話の場合 0570?066?066(NHKふれあいセンター)
 ※ファクスの場合 03?5453?4000
 ※メールの場合 下記URLに送信書式のフォーマット
    http://www.nhk.or.jp/css/goiken/mail.html
☆抗議内容の大綱は
  *籾井勝人会長は即刻辞任せよ。
  *経営委員会は、籾井勝人会長を罷免せよ。
  *百田尚樹・長谷川三千子両経営委員は即時辞任せよ。
  *経営委員会は、百田尚樹・長谷川三千子両経営委員に辞任勧告せよ。
以上よろしくお願いします。
(2014年4月7日)

憲法改正手続の整備は無用である

将を射んとすればまず馬を射よ、という。泥棒を縛るには、あらかじめ縄を綯う。城を落とすには掘りを埋めなければならない。だから、馬が射られるまでは将は討たれない。縄が綯いあがらぬうちは泥棒も安泰だ。掘りの深いうちは、城は落ちない。

憲法を変えるには、その手続を定める国民投票法の整備が必要だ。国民投票法が整備されないうちは憲法改正手続は動き出せない。この整備が完成すると、掘りが埋められて城は裸になる。もちろん、掘りが埋められることが即落城を意味するものではないが、城攻めの重要な手立てが整ったことを意味する。国民投票法の整備は、憲法改正への重要な地均しであり、一里塚である。

その国民投票法は2007年5月に既に成立している。正式名称を「日本国憲法の改正手続に関する法律」という。憲法改正に必要な手続きである国民投票に関して規定するので、一般に「国民投票法」と略称される。「改憲手続法」といった方が、実態をよく表していると思うのだが。

国民投票法が成立したのは第1次安倍内閣当時のこと。一応の成立はしたものの、下記の「3つの宿題」が積み残しとされた。与野党の議論が折り合わなかった問題を付則に記載されたもの。与野党の摺り合わせと折り合いがなければ、憲法改正案の国会発議はできないのだから、必然的に幅の広い与野党合意が必要となる。

(1) 公職選挙法の選挙権年齢や民法上の成年年齢を、国民投票権年齢の原則に合わせて18歳に引き下げることについての可否
(2) 公務員や教員の国民投票運動規制の可否
(3) 国民投票対象を改憲以外の課題にも拡大することの可否

宿題の期限は、法律の施行日から3年後の2010年5月だったが、結局、宿題はできなかった。それが、今国会で、曲がりなりにもなされようとしている。

本日(4月3日)、与野党8党は憲法改正の手続きを定めた国民投票法改正案を今国会中に成立させることで合意した、という。与野党8党とは、自民、公明、民主、維新、みんな、結い、生活、新党改革。8党そろって合意文書に署名し、衆院に議席を持たない改革を除く7党が、来週8日(火)に共同で法案を衆院に提出する、と報じられている。

自民党の船田元・憲法改正推進本部長は3日、7党合意後の記者会見で「いつでも国民投票ができる状況をつくり上げた」と胸を張った(時事)。そんなところで、胸を張ってもらっても迷惑千万。

三つの宿題は、次のように解決するようだ。
(1) 憲法改正国民投票の投票権年齢は原則18歳ではあるが、公選法の選挙権年齢や民法の成人年齢が18歳に変更になるまでは20歳とされている(付則3条)。これを、国民投票年齢と選挙権年齢とのリンクを切断して、施行後4年間は20歳以上、これを過ぎれば18歳以上と確定させる。
 また、公職選挙法を改正して選挙権年齢も2年以内に「18歳以上」とすることをめざす。但し、民法の成年年齢の引き下げは今後の検討課題とした。
(2) 公務員が憲法改正案に対する個人的な意見の表明や賛否の勧誘は認める一方、労働組合による組織的な運動をどう規制するかは検討課題とした。
(3) 国民投票対象の拡大については合意が得られなかった。

法案の共同提出に反対したのは、共産・社民の二党のみ。両党は壊憲に反対の立場なのだから、改憲への地均しに賛成できるはずがない。

まだ法案の審議が始まってもいない段階で、成立までどう転ぶかは分からない。とはいえ、なにしろ「8党合意」なのだから、この合意に基づく改正法案が成立することの可能性の高さは認めざるを得ない。安倍晋三らは「これで掘りが埋められる」「改憲への地均しができあがる」とほくそ笑んでいることだろう。

しかし、声を大にして言っておきたい。国会の多数意見と民意とは大きく異なることを。このことを見誤ると、安倍政権は猪突して自爆する。国会の議席は、民意を反映していない。政権を支える自民党の議席は、小選挙区制のマジックがもたらした虚構の多数でしかない。しかも、民主党不人気の反動で得た「一過性大量支持」から1年余。そのメッキが剥がれつつあることは、ますます民意との乖離を拡げつつある。決して、民意は改憲を望んでいない。改憲手続法の整備は無用である。震災からの復興も、福祉の充実も、もっともっと他にしなければならないことがあるはずではないか。
(2014年4月3日)

三題噺「集団的自衛権」「大本営発表」「日光東照宮三猿の教え」

ときおり講演の依頼をうける。拙い話しを聞いていただけることをありがたいと思って、日程の都合がつく限りお引き受けしている。
本日は、那須南九条の会からのご依頼あっての講演。事前の要望に沿って、三題噺とした。頂戴したお題は、「集団的自衛権」「大本営発表」そして「日光東照宮の三猿の教え」。
以下はそのレジュメ。やや長文だが、大意を掴んでいただけるものと思う。
                             
      ど こ へ 行 く の ? ニッポン
三題噺で語る「那須南九条の会」憲法と特定秘密保護法学習会レジュメ
 与えられた3個のお題
  1 「集団的自衛権」            ?平和の問題
  2 「大本営発表」              ?知る権利と民主主義の問題
  3 「日光東照宮の三猿の教え」     ?主権者としての姿勢の問題
☆ そして、三題共通の土台を形づくる立憲主義について

1.集団的自衛権行使容認で平和はどうなるの?
             ー日本は誰と何処で何をやろうというのだろうか
 ※ 「集団的自衛権」とは?
  それは、「自衛」の権利ではなく、「人のケンカを買って出る権利」のこと。
  「自国が攻撃されなくても、同盟国が攻撃された場合には一緒に闘う」宣言
  例1 「義によって、その敵討ちに助太刀いたす」 武士の倫理
      余話 敵討ちの倫理性 法然上人(勢至丸)9歳時出家の逸話
  例2 「よくも俺の舎弟に手を出したな。俺が倍返しだ」  ヤクザの掟
      集団的自衛権の説明はこのフレーズが一番分かりやすい
  例3 南ベトナムが北から叩かれた
        ⇒アメリカが北爆を開始し地上戦を開始する 大国の論理
  例4 アメリカ軍が世界のどこかで攻撃を受けた
       ⇒日本が自分への攻撃と見なして戦争に加わる 子分の義理
 ※ 集団的自衛権は大戦後の国連憲章51条に突然書き込まれた用語。
 ※ 以来、「集団的自衛権」は、大国の軍事干渉の口実として使われてきた。
   今日本は、「けなげにも親分に売られたケンカを買おう」としている。
 ※ アメリカは好戦国家である。1960年以後の主なアメリカの武力行使
   キューバ侵攻・ベトナム戦争・ドミニカ共和国派兵・カンボジア侵攻・ラオス侵攻・レバノン派兵・ニカラグア空爆・グレナダ侵攻・リビア空爆・イラン航空機撃墜事件・パナマ侵攻・湾岸戦争・ソマリア派兵・イラク空爆・ハイチ派兵・ボスニアヘルツェゴビナ空爆・スーダン空爆・アフガニスタン空爆・コソボ空爆・アフガニスタン戦争・イラク戦争・リベリア派兵・ハイチ派兵・ソマリア空爆・リビア攻撃…。
 ※ 常に、アメリカの戦争に巻き込まれる危険を背負うことになる。
   60年安保反対運動が盛りあがった背景には、「アメリカとの軍事同盟は日本の平和にとっての脅威」という国民の共通認識があった。集団的自衛権行使容認論のきっかけには、米国から日本に対する要請がある。
 ※ これまでの政府(内閣法制局見解)の憲法解釈の確認。
  *「憲法9条(2項)がある以上、日本が『戦力』をもつことはできない」
   (9条2項抜粋「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」)
  *「しかし、国家にも自衛権はある。まさか、憲法は自衛権を否定してはいないはず。したがって、自衛のための実力は『戦力』にあたらず、自衛隊は憲法違反の存在ではない」?自衛隊は戦力ではない。
  *「もっとも、自衛隊が合憲であるためには、飽くまで自衛のための実力でなくてはならず、専守防衛のための装備・行動に限定される」
  * 自衛権とは、「(1)急迫不正の侵害があること、(2)他にこれを排除して国を防衛する手段がないこと、(3)必要な限度にとどめること」の3要件が必要。
  * 自国が攻撃されていないのに、他国(同盟国)が攻撃されたとして一緒に闘うことは自衛の範囲を超えている」
  *「だから、日本国の集団的自衛権は、国際法上国家の権利としてあるけれども、その行使は憲法の制約があって認められていない」
 ※ 集団的自衛権論争をめぐって今争われているのは、
   日本の平和と安全を守るために、
   (1)「日本は厳格に専守防衛に徹するべき」なのか
   (2)「専守防衛の枠を取っ払って、必要あるかぎり、
      世界のどこででも同盟国とともに戦うべき」なのか。
    そのどちらを選択すべきかの問題。
 ※ 現在の(1) の立ち場を(2)の立場に変更するには、
    A 憲法を改正する
    B 憲法を改正せずに、憲法の解釈を変更する
    C まず憲法改正手続(憲法96条)を改正して、次に9条を改正する
   (憲法改正発議の要件を、国会議員の「3分の2」から「過半数」に)
 ※ 安倍政権は、まずC策の実現を目指した。しかし、「やりかたが姑息」、「裏口入学のような手口」、「立憲主義を理解していない」と評判悪く頓挫。
   今は、B策を狙っている。そのために、内閣法制局長官を最高裁判事に転出させ、自分のいうことを聞く小松一郎元駐仏大使を後任に抜擢するという異例の人事を行った。また、この4月に安保法制懇の答申を得て、閣議決定で政府解釈の変更しようとしている。これには、自民党内部からも批判の声が高い。
 ※ 憲法9条は、満身創痍ではあるがけっして死文化していない。自衛隊は飽くまで「自衛のための実力」であって、軍隊としては動けない。自衛隊の装備も編成も行動も、専守防衛の大枠は外していない。
   戦後68年、自衛隊は戦闘で他国の兵士を殺していないし、殺されてもいない。イラクに派遣されても、戦闘行為には加われなかった。
 ※ だからこそ、現政権にとっては、9条が邪魔なのだ。自民党「日本国憲法改正草案」(2012年4月)は、国防軍の設置を明言している。
   また、解釈改憲で集団的自衛権行使を認めれば、専守防衛の枠がはずれる。この意味は大きい。
  ⇒「憲法改正手続が厳格だから、解釈を変えてしまえ」 これは禁じ手
 ※ 日本国憲法は戦争の惨禍に対する反省から生まれた。反省とは、負けたことの反省ではなく、戦争の悲惨さを繰り返さないこと。二度と戦争をしないこと。再び加害者にも被害者にもならないこと。「戦争と文明とは共存できず、文明が戦争を駆逐しなければ、戦争が文明を駆逐してしまう」そう言った、日本国憲法制定をになった良識ある保守政治家たちの言葉を噛みしめなければならない。

2.大本営発表が国民を導いた結末は何だったの?
          ー神州不滅神話と1億総玉砕ーNHKのあり方と現実
 ※「営」とは軍隊の所在地。司令官が所在する営が「本営」。大元帥である天皇が所在する陣営だから「大本営」。戦時に天皇の指揮下に設置された最高統帥機関を指す。日清戦争以来、戦争・事変の度に設置された。太平洋戦争開始以来戦況に関する情報は一元的に「大本営発表」としてNHKから放送された。それ以外の情報は流言飛語とされて、厳重な取り締りの対象となった。
   第1回の大本営発表は、1941年12月8日午前6時の対米英開戦を告げるもの。同7時に、NHKラジオによって以下のとおり報道された。
  「臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申し上げます。大本営陸海軍部、12月8日午前6時発表。帝国陸海軍は今8日未明西太平洋においてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり」
   この日、NHKは「ラジオのスイッチを切らないでください」と国民に呼び掛け、9回の定時ニュースと11回の臨時ニュースを大戦果の報で埋めつくした。「東条内閣と軍部はマスコミ(NHK)を最大限に利用し、巧みな演出によって国民の熱狂的な戦争支持熱をあおり立てた」
   その後、NHKの大本営発表は846回行われ、NHKと大本営発表との親密な関係は、戦時下の日本国民の意識に深く刻みこまれた。
 ※「大本営発表」は、「情報独占」と「情報操作」の代名詞となった。戦争遂行に国民を鼓舞する目的のプロパガンダであったから、勝ち続けているはずの日本が、転進・玉砕を余儀なくされ、やがて本土の空襲・艦砲射撃をうけ、原爆投下にいたって、敗戦となる。
 ※情報を一手に握っていた上層部は、敗戦必至を知りながら、これを隠して戦意を煽り続けて膨大な人命を失った。真実を知る術のない国民はこれを批判できなかった。
 ※情報を一手に握る地位にある者は、自分に都合のよいように情報操作が可能。握りつぶす、改変する、誇張する、取捨選択して一部だけを出す。権力を持つ者に情報が集中し、集中した情報を操作することによって権力は維持され強化される。
 ※「神州不滅」は神話の世界のスローガン。天皇の祖先が神であり、天皇自身も現人神であるという信仰に基づいて、天皇が治めるこの国は、他国とは違った特別の神の国である。だから、最後には神風が吹いて戦争には必ず勝つ、とされた。
 ※大本営発表の結末は、1945年8月15日の玉音放送となった。このときの「大東亜戦争終結ノ詔書」にも「神州ノ不滅ヲ信シ」(神州の不滅を信じ)と書き込まれている。
※日本の国民は身に沁みて知った。国民には正確な情報を知る権利がなければならないことを。日本国憲法は、「表現の自由(憲法21条)」を保障した。これはマスメディアの「自由に取材と報道ができる権利」だけでなく、国民の真実を「知る権利」を保障したものである。
 ※情報操作(恣意的な情報秘匿と開示)は、民意の操作として時の権力の「魔法の杖」である。満州事変・大本営発表・トンキン湾事件・沖縄密約…。
 ※民主主義の政治過程は「選挙⇒立法⇒行政⇒司法」というサイクルをもっているが、民意を反映すべき選挙の前提として、あるべき民意の形成が必要。そのためには、国民が正確な情報を知らなければならない。主権者たる国民を対象とした情報操作は民主主義の拠って立つ土台を揺るがす。戦前のNHKは、その積極的共犯者であった。
 ※戦前のNHKは、形式は国営放送ではなく社団法人日本放送協会ではあったが、国策遂行の役割を担った事実上の国営放送局だった。大本営発表に象徴される戦争加担の責任は免れない。その反省から、1950年成立の放送法は、NHKを国策追従から独立した「公共放送」と位置づけた。
 ※敗戦、富国強兵がスローガンだった時代、あらゆる局面での権力の集中と教化が国策に合致するものであった。戦後は、議会も行政も司法も天皇大権から独立した存在となった。教育も国家の統制を排する建前の制度となった。放送もそうだ。公共放送は、国営放送でも国策放送でもない。国家から独立し、国家からの統制に服することなく、戦前大本営発表の垂れ流し機関であった愚を繰り返してはならないとするのが、放送法の精神である。
 ※にもかかわらず、今年1月25日の籾井勝人新NHK会長の就任記者会見における「政府が右というときに、左というわけにはいかない」という発言は、NHKの戦前戦後の歴史や教訓に学ばず、再びの大本営発表の時代を招きかねない危険を露呈したもの。「今後は口を慎めばよい」という類の問題ではない。籾井氏が、およそNHKの会長職にふさわしからぬ人物と判明した以上は、辞職していただく以外にはない。この重責は、それにふさわしい人格が担うべきなのだから。

3.秘密保護法で私たちの日常生活はどうなるの?
              ー日光東照宮の三猿の教え
 ※ 本来三猿の教えとは、「悪いものは見るな(よいものだけを見よ)、悪いことは聞くな(よいことだけを聞け)、悪いことは言うな(よいことだけを口にせよ)」という教訓。論語の「非礼勿視、非礼勿聴、非礼勿言、非礼勿動」が元ネタとされる。しかし世俗には、「見ざる。聞かざる。言わざる」と見て見ぬふりをすることが、無難な処世訓として定着している。いじめを見ても見ぬふりをし、なにも言わないことが賢い生き方だというもの。
※「不正に目をつぶらず、聞き耳を立てて、臆することなくものを言う」。これが、あるべき主権者の姿勢。その反対の「見ざる。聞かざる。言わざる」は、為政者にとってこの上なく好都合な御しやすい国民。
 ※ 戦前の軍機保護法、国防保安法などの軍事法制は、国民に「見ざる。聞かざる。言わざる」を強制するものだった(「戦争は秘密から始まる」「戦争は軍機の保護とともにやって来る」)。さらに治安維持法がこれに輪を掛けるものだった。
 ※ 特定秘密保護法がいま、戦前の軍事法・治安法の役割を果たそうとしている。
   重罰化、広範な処罰、要件の不明確さがその特徴である。
  *重罰による「三猿化」強制強化⇒内部告発の抑止
   ・自衛隊法の防衛秘密漏洩罪  懲役5年
   ・国家(地方)公務員法違反  懲役1年
   ・特定秘密保護法       懲役10年
  *未遂・過失も処罰
  *共謀・教唆・扇動も処罰
  *将来、更に法改正で重罰化の可能性
 ※たとえば「独立教唆罪」
   気骨あるジャーナリストの公務員に対する夜討ち朝駆け取材攻勢は、秘密の暴露に成功しなくても、(「国民のためにその秘密を教えてもらいたい」「お断りする」とされた場合)犯罪となりうる。
 ※民主主義にとって恐ろしいのは、「何が秘密かはヒミツ」では、時の政府に不都合な情報はすべて特定秘密として、隠蔽できる。国民はこれを検証する手段をもたない。国会も、裁判所も。
 ※国民にとって恐ろしいのは、「何が秘密かはヒミツ」という秘密保護法制は、罪刑法定主義(あらかじめ何が犯罪かが明示されていなければならない)との宿命的な矛盾。地雷は踏んで爆発してはじめてその所在が分かる。国民にとって秘密保護法もまったく同じ。強制捜査を受け起訴されて、はじめて秘密に触れていたことが分かる。
 ※国がもつ国政に関する情報は本来国民のものであって、主権者である国民に秘匿することは、行政の背信行為であり、民主々義の政治過程そのものを侵害する行為である。これを許しておけば、議会制民主々義が危うくなる。裁判所への秘匿は、刑事事件における弁護権を侵害する。人権が危うくなる。
 ※特定秘密保護法の基本的な考え方は、「国民はひたすら政府を信頼していればよい」「国民には、政府が許容する情報を与えておけばよい」「その国民には、国会議員も、裁判官も含まれる」ということ。これは民主々義・立憲主義ではない。いかなる政府も、猜疑の目で監視しなければならない。とりわけ、危険な安倍政権を信頼してはならない。
 ※特定秘密保護法は、2013年12月6日に成立し、同月13日に公布された。
  「公布の日から一年を超えない範囲内において政令で定める日」が施行期日とされている。政府は、それまでに政令・規則等を整備するとしているが、私たちは、それまでに、危険なそして評判の悪い、この法律を廃止したい。

4.日本国憲法と立憲主義
 ※日本国憲法は、その成り立ちにおける二面性をもっている。
  (1) 人類の叡智の積み重ねが到達した人権と民主主義擁護の普遍性
  (2) 戦前の負の歴史を繰り返さないとする固有性
 ※上記(1)は市民革命を経た18世紀以来の、自由主義・個人主義の近代憲法の原則。
  上記(2)は、大日本帝国の侵略戦争と植民地主義を反省する歴史認識の凝縮。
 ※その両面を意識しつつ、主権者である国民は、為政者に対する命令として憲法を制定した。人権と民主主義と平和を擁護しさらに輝かせるために、である。
  今、そのすべてが攻撃を受けている。「集団的自衛権」による解釈改憲のたくらみと「特定秘密保護法」の制定はその象徴的な事件。このままでは、「大本営発表」の時代の再来を迎えかねない。私たちは、「日光東照宮の三猿の教え」を「見ざる、聞かざる、言わざる」と曲解せず、主権者として、目を光らせ、人の意見にも耳を傾け、ものを学び、意見を交換し、そして行動しよう。
  それこそが、日本国憲法が想定する主権者の在り方である。

 なお、澤藤は毎日「憲法日記」というブログを書き続けています。
 新バージョンで開始以来、明日(3月末)で365日連続更新となります。
 時々、お読みいただけたらありがたいと思います。よろしくお願いします。
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NHK籾井会長、百田・長谷川両経営委員の辞任・罷免を求める署名運動へのご協力のお願い。
「2万筆までもう一息! 3月24日現在、署名が第二次集約で19,212筆」とのことです。

下記URLからどうぞ
http://kgcomshky.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/post-3030-1.html
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    NHKに対する「安倍首相お友だち人事」への抗議を
☆抗議先は以下のとおり
 ※郵便の場合
  〒150-8001(住所記入不要)NHK放送センター ハートプラザ行
 ※電話の場合 0570?066?066(NHKふれあいセンター)
 ※ファクスの場合 03?5453?4000
 ※メールの場合 下記URLに送信書式のフォーマット
    http://www.nhk.or.jp/css/goiken/mail.html
☆抗議内容の大綱は
  *籾井勝人会長は即刻辞任せよ。
  *経営委員会は、籾井勝人会長を罷免せよ。
  *百田尚樹・長谷川三千子両経営委員は即時辞任せよ。
  *経営委員会は、百田尚樹・長谷川三千子両経営委員に辞任勧告せよ。
以上よろしくお願いします。
(2014年3月30日)

桜咲く佳き日の同期会

今日は、学生時代の気のおけない仲間が集まっての同期会。
50年前お互い何の肩書もない同じ若者として、利害打算のない付き合いをした仲間。そして今、定年を過ぎた年になって、肩書を外し鎧を脱いで、昔に戻っての再度の利害打算のない付き合い。何の遠慮もなく、気兼ねもなく、心おきなく話の出来る楽しい半日だった。

それぞれ自分の生きてきた分野についての話しが尽きない。違う分野の人たちの話しに耳を傾けることはとても楽しい。昔から気のあったこの仲間には、金持ちも有名人もいない。しかし、みんながそれぞれの分野でそれぞれのやり方で社会を支えてきた。一人一人が、個人の尊厳の担い手なのだ。

私のブログもひとしきり話題となった。話題の中心は当然のことながら「宇都宮君おやめなさい」のシリーズについて。私の解説は、「『澤藤がケンカをはじめたようだが、どちらに理があるかを見極めよう』というのは友人の態度ではない。『あの澤藤が本気で怒っているのだから、友人として澤藤に味方しよう』と言ってもらいたい。そういう友人の支えがあったから、私もルビコンを渡ることができた。今は、気分爽快」というもの。

ところで、3月27日「毎日」朝刊の「そして名画があった」欄に、「武士道残酷物語」(今井正)が取りあげられていた。1963年4月の封切りだそうだ。今日集まった仲間が学生生活をはじめたころのこと。映画の原作は南條範夫の小説「被虐の系譜」(講談社)。映画では、現代のサラリーマン物語りが出て来るが、これは原作にはないそうだ。

南條は小説の中でこう書いている。
「本来は利害関係に基づく主従関係は、滅私奉公と言う美称を被(かぶ)せられて、次第により深く固定観念化してゆき、終に、利害を離れた没我的服従心にまで育て上げられていった」

この映画を紹介した玉木研二は、「扶持を喪って浪人の身となると言うことは、凡ての武士にとって、不断の脅威であり、最も恐るべき夢魔であった。これを避ける為には、いかなる屈辱も困苦も、受容しなければならない。」「競争の中で勝ち得たサラリー(扶持)と地位を失う恐怖、そして服従の心理は、昭和のサラリーマンとて無縁ではなかったに違いない。」と書いている。

その時代、私たちは受験競争と出世競争の間にある束の間の「間氷期」にあった。その後同時代を生きた多くは、「競争の中で勝ち得たサラリー(扶持)と地位を失う恐怖、そして服従の心理」の中で、生きてきたのではないか。

今日集まった仲間は、出世競争の意欲も服従の心理も欠いた面々。だから、思想や信条を超えて気が合うのだろう。

本日の東京の天気は上々。桜も咲いた。
  銭湯で上野の花のうわさかな
  佃育ちの白魚さえも花に浮かれて隅田川
花がほころべば、自ずと顔もほころぶ。春はよろしい。
50年前の仲間との交歓は、花の咲くころに初めて顔を揃えたあの頃に戻ること。

あれからの半世紀が平和であったことを有り難いと思う。人権も、民主主義も、もう少し高水準で推移したらよかったのに、とも。もっとも、この時代、私たちがつくってきたのだから、私たち自身の責任なのだが。
(2014年3月29日)

優華ちゃんへの「全面勝訴確定」のご報告

優華ちゃんは、本当なら今は6歳になっているはず。
もうすぐ、桜の花咲く小径を小学校に通うはずだった。家族の愛情に包まれて、おしゃべりしたり、唱ったり踊ったり。この世に生まれてきたことの幸せを謳歌しているはずだった。

けれども、現実には優華ちゃんの命はまことに儚なかった。生後わずか38日で優華ちゃんの心臓が止まった。手足は冷たくなり、動くことも声を出すこともなくなった。これからの生きる喜びが失われた。

優華ちゃんの生まれた産科のクリニックからは、胎児診断でも、出生時診断でも、退院時の診断でも、そして1か月健診でも、「問題はありません」と言われ続けてきた。だから、優華ちゃんのお父さんとお母さんは、どうしても納得出来なかった。

今の時代こんなに易々と赤ちゃんが死ぬはずはない。死んでよいわけはない。優華ちゃんの死は避けることができたはずではないのか。優華ちゃんの命は還ってこないけれども、優華ちゃんのために、その原因と責任とを可能な限り究明したい。けっして、優華ちゃんの死を黙って見過ごしにはできない。

こうして、優華ちゃん事件の法的な責任追及手続が開始された。担当したのは、私と安孫子理良弁護士の2名。証拠保全手続から、一審、控訴審、そして最高裁への上告受理申立事件までのフルコースだった。

一審判決が、請求額(5880万円)の満額を認容した。それだけでなく、担当医師によるカルテ改竄を事実上認め、死亡の機序も、2点の過失主張も、因果関係も、全て原告が主張したとおりに認められた。控訴審判決も控訴を棄却して一審判決をそのまま維持した。

そして本日、最高裁第1小法廷から、医療機関側の上告受理申立を不受理とする決定通知が届いた。控訴審判決から11か月余を経てのこと。これで、優華ちゃん事件は、優華ちゃん側の全面勝訴として確定した。そのことを、せめてもの手向けとして、優華ちゃんにご報告したい。

「優華ちゃん」の死因は、「大動脈弁狭窄症」だった。優華ちゃんには、「二尖大動脈弁」という先天性の心臓疾患があって、そのために出生直後から「大動脈弁狭窄症」が生じた。左心室から大動脈に通じる大動脈弁の狭窄によって、体循環の動脈血流出に支障が生じたのだ。それでも、胎児期から出生直後のしばらくは、努力性に左心室を働かせることによって全身への動脈血供給を保持したが、その代償機能が限界に達すると、「低心拍出量症候群」の発症となり、「心不全」となって死亡したのだ。

大動脈弁狭窄症は、診断が可能であるだけでなく、治療も可能である。標準的な能力を持つ医師による優華ちゃんへの誠実な診察さえあれば、正確な診断によって心臓専門医への搬送が可能となり、カテーテル治療と根治的手術とを組み合わせる確立された治療方法によって、高い確率で救命を期待しうる。他方、担当医の診断の見落としは、現実の優華ちゃんの症状進行が示しているとおり、容易に児の死亡の結果をもたらす。

だから、優華ちゃんの大動脈弁狭窄症は、典型的な「見落としてはならない」疾患なのだ。にもかかわらず、生後一月余の間、優華ちゃんの新生児診療を担当した被告クリニックの産科医は大動脈弁狭窄に伴う特有の心雑音を聴診することもなく、大動脈弁狭窄症由来の低心拍出量症候群による全身症状の悪化を問診・視診するでもなく漫然とその症状を看過し、自ら正確な診断をすることも専門医への搬送も怠った。その被告の診断義務違反によって、優華ちゃんはかけがえのない生命を失った。

本件判決では、医師のカルテ改ざんが認められている。カルテの記載をそのまま信用すれば、「十分な診察が行われており、児の症状から心疾患の診断は不可能」となりかねない。しかし、その記載の内容や外観を仔細に検討すれば、不自然さは否定し得ない。判決は、「カルテによる診療経過の事実認定はできない」ことを明言した。請求満額の認容は、このカルテの改ざんの事実が裁判官の心証形成に大きく影響している。このことを医師や医療機関の教訓としていただきたい。

また、本件では、提訴時から産科クリニックの産科医による新生児診療の態勢や能力の欠如を問題としてきた。一審判決後医療側は、『このような、医師に不可能を強いる判決は、医師の業務を立ちゆかなくさせる不当なもの』と反発している。しかし、そんなことはない。東大病院輸血梅毒事件を典型として、不可能を強いるものと非難された判決の注意義務も、やがて臨床に当然の医療水準として定着してくる。そのようにして、臨床は進歩してきた。

患者が求める医療水準と、医師が受け入れ可能とする医療水準とは、宿命的に隔たりがある。双方が主張し合って、裁判所は社会を代表する立ち場で、判断をする。その判断の積み重ねが、臨床の改善・進歩に役立ってきた。患者が泣き寝入りしていたのでは、臨床の改善につながらない。患者や遺族が声をあげ、訴訟を提起し、一時的には医療側にとって不本意ではあっても、臨床の水準を一歩進める判決を勝ち取ることは、全患者のために、また、医療全体のために意義のあること。

本件に照らして具体化すれば、新生児診療に携わるすべての医師が、心疾患を診断して専門医に搬送すべきとする判断ができるよう、態勢を整備し技能を研鑚しなければならない。本日確定した本件は、そのような内実をもったものとして、新生児医療の改善に生かされなければならないと思う。

そのように臨床が改善されるなら、優華ちゃんにも、胸を張って本件訴訟と勝訴の意義を報告できることになる。

それにしても思う。本件のような本格的医療訴訟は、専門医の協力なしには遂行できない。本件の勝訴も、ひとえに誠実で有能な協力医の賜物である。医療機関の側につく協力医の心理的負担は軽い。しかし、患者側協力医の心理的な負担は限りなく重い。仲間の医師の責任を告発する立場に立つことになるのだから。真実を大切にする立ち場から、あるいは人権のために、専門家としての良心と職業倫理に忠実な医師には尊敬と感謝の念を禁じ得ない。

私も、弁護士ムラの仲間意識からする発想を反省しなければならない。弁護士であるだけでは、あるいは「人権派弁護士」の看板を掲げているからといって、当然に「基本的人権を擁護し、社会正義を実現」すべき使命を全うしているとは限らないのだから。

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          「フランシスコ法王」の魅力溢れる発信
普通「ローマ法王」と呼び習わされ、日本カトリック中央協議会では「ローマ教皇」と表記されることを望んでいるその方の、正式名称をご存じだろうか。
「ローマ司教、キリストの代理者、使徒の継承者、全カトリック教会の統治者、イタリア半島の首座司教、ローマ首都管区の大司教、バチカン市国の首長、神のしもべのしもべ」というのだそうだ。落語「寿限無」のようで思わず笑ってしまっては不謹慎。宗教的および世俗的権威のせめぎ合いの歴史を感じさせる単語のオンパレードである。

それとは別に、「パーパ」という非公式かつ親しみを込めた呼びかけもよく使われる。第266代ローマ教皇フランシスコ(78歳)は、「パーパ」という愛称にふさわしい魅力とアピール力を備えているようだ。アメリカ大陸アルゼンチン生まれの法王は史上初。それも貧しい者に心を寄せるイエズス会の出身。イタリア移民の子でブエノスアイレス大学で化学を修め、文学と心理学の教師をしたのち、本格的に神学を学んだという経歴を持つ。

昨年3月の就任以来、盛んにバチカン外交をくり広げ、話題を振りまいて注目を集めている。ことあるごとに熱く平和を語り、貧困撲滅を説く。妊娠中絶反対の意見は変えないけれど、避妊や離婚、神父の妻帯や同性婚などに理解を示す発言をして保守派から非難を浴びている。

昨年11月の「使徒的勧告」という信者にあてた文書のなかで、「どうして高齢のホームレスが野ざらしにされて死亡することがニュースにならず、株価が2ポイント下がっただけでニュースになるのか」「飢えている人がいる一方で食べ物が廃棄されているのを見過ごし続けられるのか」と問い、市場に任せればうまくいくという「トリクルダウン理論」は「事実によって裏付けられたことは一度もない」と批判した。

法王の経済・社会認識は共産主義じみているという非難に対しては「マルクス主義は間違っている。しかし、私の人生で善良な人々であるマルクス主義者を多く知っているので、私は気を悪くしていない」(イタリア紙ラ・スタンパのインタビュー)とケロリとしている。昨年のクリスマスメッセージでは、シリアやアフリカで続く戦闘について、子どもや高齢者、女性ら社会的弱者が最大の犠牲者だとし、平和的解決を呼びかけた。

去る3月21日にはイタリア・マフィアに殺害された犠牲者の追悼式典で、「血塗られたカネや権力は死後まで特っていくことはできない」「マフィアの人々は生活を変えよ。悪行をやめよ。このまま続ければ、地獄が待っている。まだ、地獄へ行かないようにする時間はある」と呼びかけた。法王から「地獄に堕ちるぞ」と声をかけらけたら、改心しないわけには行くまい。

バチカン銀行のマネーロンダリング問題解決に取り組む法王にとって、いずれマフィアと対決しなければならないことは明らかだ。この呼びかけは法王が暗殺されることも辞さない決意をもっているというメッセージである。イタリア国家及び世界がてこずっているマフィアヘの命がけの宣戦布告をニコニコしながら(新聞の写真を見る限りでは)できる法王の勇気には驚きを禁じ得ない。

それだけではない。手紙や電話もまめに使う。国東市の小学校には就任祝いに対する返礼の手紙が届いて、小学生たちを大喜びさせた。3月21日の毎日新聞によると、イタリア北部に任むミケーレ・フェッリさんには「こんにちは、ミケーレ。フランシスコ法王です」という電話がかかってきた。家族の不幸を訴えた手紙に対する励ましと慰めの言葉が続いた。誰だって「はーい、法王です」という電話がかかってくれば、びっくりして感激する。

世界初の法王ファンのための週刊誌「私の法王」がイタリアで創刊され、創刊号は50万部という。昨年3月の就任から年末までの9ヵ月間にバチカンで行われたミサ、日曜の折りの集いに参加した信者の数は662万人で、前任のベネディクト16世時代の3倍にのぼるという。

ツィッターを初めて使った法王でもある。[親愛なる友よ、心から感謝します。私のために折り続けてください。法王フランシスコ]という他愛もないツィッターにフオロワーは500万人以上だという。

この人気にあやかろうという外国首脳との会談も目白押し。3月27日にはアメリカ大統領オバマがバチカンを訪れた。現代の聖俗ビックツー会談の雰囲気は和やかなものだったようだ。フランシスコ法王はバチカン自身の問題として前法王時代に明らかになった、聖職者の児童への性的虐待や、バチカン銀行のマネーロンダリング疑惑を抱えている。オバマ大統領はウクライナ問題はじめ星の数ほどの難問を抱えている。「お互いに苦労が多いですね」と慰め合ったのだろう。

しかし、この二人の会談のテーマとしては、お互いの悩み事よりは、世界の悩み事がふさわしい。平和と貧困の問題。この世から戦争の火種をなくすこと、そして飢えと格差をなくすこと。とりわけ経済格差は深刻だ。現在、世界の最富裕層85人の資産総額は下層の35億人分(世界人口の半分)に相当するという。それほどに経済格差が拡大している。法王も大統領もそろって批判はするが、宗教も国家も金融資本主義には手をこまねくしかないというのが現実だ。この点でも、二人は「お互いに苦労が多いですね」と慰め合ったのかもしれない。

とにかくフランシスコ法王のまっとうな宗教者としての発信は、信者でない人も含めて世界中の人々の心を揺さぶっている。儲けのためなら、武器も原発の輸出もいとわない人々は恥ずかしくはないか。貧しい人に高負担を強いる消費税に賛成する政党を支える宗教団体は恥ずかしくないか。
(2014年3月28日)

冤罪を訴えるわが声 天地にひびけ

本日、静岡地裁は死刑囚だった袴田巌さんの第2次再審請求審で、再審開始を認める決定をした。しかも、「捜査機関が重要な証拠を捏造した疑いがあり、犯人と認めるには合理的疑いが残る」とまで踏み込んだ判断があり、「拘置の続行は耐え難いほど正義に反する」と刑の執行停止も決めた。本日袴田さんは東京拘置所から釈放された。逮捕以来48年ぶりの自由である。

袴田さんに、「おめでとう」「よかったね」というべきなのだろうか。無実の人が半世紀近くも拘禁を強いられ、そのうちの34年間は死刑の恐怖にさらされ続けてきたのだ。軽々しく、祝意の表明などはばかられる。襟を正して厳粛な気持ちにならざるを得ない。

古来国家権力は、人民から税金を取り立て、人民を徴兵し、そして刑罰を科してきた。今日の日本においても、徴税と刑事司法が、国家権力と人権とがもっとも厳しくせめぎ合う場となっている。刑事司法における死刑冤罪こそ、国家の手による人権侵害の最たるもの。

弁護士が人権擁護を使命とする存在である以上は、再審無罪を勝ち取ることができればこれ以上の冥利はない。本日各紙の夕刊に、弁護団長西嶋勝彦さんの笑顔がある。西嶋さんには、おめでとう、と言ってもよいだろう。私が弁護士を志したきっかけのひとつに、冤罪や再審事件で働いてみたいという気持ちがあった。今も、雪冤に心血を注いでいる弁護士には敬意を惜しまない。

50年前の学生時代に、誘われて「松川研究会」という松川事件支援サークルに籍を置き、そこでの学園祭に、冤罪や再審事件をテーマとした企画を行ったことがある。正木ひろしさんをお呼びして講演していただいたことをなつかしく思い出す。

そのとき、死刑確定囚の再審事件として、松山事件(斎藤幸夫さん)と牟礼事件(佐藤誠さん)を取りあげて事件紹介の展示をした。松山事件は捜査機関による証拠捏造による冤罪、牟礼事件は、「共犯者」の「嘘の自白」による冤罪としての展示内容だった。

松山事件の斎藤さんの救援運動の先頭には必ず、我が子の無実を信じていた母のヒデさんがいた。私も、仙台の街角に一人で立って、再審請求支援の署名活動を行っていたその姿を見ている。その後、斎藤幸夫さんは奇跡的な「死刑台からの生還」を遂げ、盛岡の我が家に訪ねてこられたことがある。当時、我が家には体重35キロのチャウチャウがいた。少しも人なつっこくないその犬が斎藤さんには不思議と親愛の情を見せて、お顔をペロペロ舐めていたことが印象に残る。

一方牟礼事件の佐藤誠さんの再審請求は実ることなかった。1989年に佐藤さんは獄中で病死(クモ膜下出血)している。享年81。死刑囚としての獄中生活は37年に及んでいたという。佐藤さんは歌人として知られていた。ウィキペディアに次の記事がある。

「獄中では逮捕前から嗜んでいた和歌を詠み続け、亡くなるまでに生前9冊と死後1冊の歌集を出版している。そして歌集出版をきっかけに、佐藤は同人誌『スズラン』の主幹となり、獄中から同人たちの短歌を添削したり、同人誌の編集を行っていた。…同人誌『スズラン』は、佐藤が亡くなるまで計123号が発行された。」
「昭和天皇の重体が伝えられてから、支援者らが恩赦出願を佐藤に勧めるが、『私は無罪なのだから、再審請求をして無罪を勝ち取る』と佐藤は拒否。弁護団に熱心に説得されて、1989年5月に恩赦出願するも、やはり冤罪の身であるのに無期懲役の罪人にはなれないと取り下げている。」

  冤罪を叫び疲れてみちのくの獄に雪の夜ひっそりと生く
  天地にひびけと叫ぶ冤罪のわが声むなしく風に消さるる
 そして、次が辞世だという。
  独房に死を待つのみなり秋の蚊よ 心ゆくまでわれの血を吸え

日本国民救援会は、冤罪・再審支援に取り組む市民団体である。その救援会が今支援を決議しているのが、下記の各事件。袴田事件だけではない。冤罪はかくも多くある。証拠開示の徹底が雪冤の鍵だ。裁判所の果断な判断と、検察官の良識に期待したい。

 秋田・大仙市事件
 山形・明倫中裁判
 宮城・仙台北陵クリニック筋弛緩剤冤罪事件
 東京・三鷹バス痴漢冤罪事件
 東京・三鷹事件
 東京・痴漢えん罪西武池袋線小林事件
 東京・埼京線痴漢えん罪事件
 長野・えん罪ひき逃げ事件
 長野・冤罪あずさ35号窃盗事件
 福井・福井女子中学生殺人事件
 静岡・袴田事件
 愛知・豊川幼児殺人事件
 三重・名張毒ぶどう酒事件
 滋賀・JR山科京都駅間痴漢冤罪事件
 滋賀・日野町事件
 京都・長生園不明金事件
 京都・タイムスイッチ事件
 大阪・東住吉冤罪事件
 兵庫・えん罪神戸質店事件
 兵庫・えん罪西宮郵便バイク事件
 岡山・山陽本線痴漢冤罪事件
 高知・高知白バイ事件
 鹿児島・大崎事件
 米・ムミア事件
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  *経営委員会は、百田尚樹・長谷川三千子両経営委員に辞任勧告せよ。
以上よろしくお願いします。

(2014年3月27日)

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