本日(11月26日)午前中に衆院の国家安全保障特別委員会が、特定秘密保護法案の審議を打ち切って、修正案についての採決を強行した。通常は採決前に行う討論を省略し、自・公に、みんなを加えた賛成多数で可決した。修正案の案文ができたのは、昨25日ではないか。慎重審議とは名ばかりの泥縄。なお、維新は採決時に退席し、民主、共産、生活各党が反対した。
本日遅れて開会された本会議では、討論に続いて採決となり、野党のうち民主、共産、生活、社民の各党が反対した。与党と法案の修正で合意した日本維新の会は、26日の採決には反対して、途中退席した。自民、みんなの両党の一部で反対、退席する造反が出ている。
採決を強行した自・公の与党側は、「審議を尽くして修正すべきは修正した」というが、ひどい嘘だ。昨日(11月25日)の福島地方公聴会で意見陳述者7人が7人とも、法案の成立には反対であり慎重審議を求めたことをどのように受けとめたのか。しかも、その7人がそれぞれに多様な角度から、法案の問題点を指摘したことをどのように審議に反映したというのか。採決強行の日程を決め、しかし、「福島の皆様のご意見も聞きましたよ」という形式を整えるために、利用しただけではないのか。
将棋に「形づくり」という言葉がある。勝敗が明確になった最終盤に、形勢挽回不能を覚った敗者側が、最後の投了図を美しく飾るための手を指すことを意味する。こうして、勝者と敗者とが共同して一局の将棋を美学をもって完成することになるのだという。転じて、勝ちにつながらない形ばかりの指し手をもいうようだ。
将棋の形づくりは、ひとつの文化として美しい。対局者双方に相手に対する敬意があるからだ。しかし、国会審議の「形づくり」はこの上なく醜い。終局の美学はなく、人の誠実さをもてあそんだ後味の悪さだけが、苦く残る。懸命に真剣に訴えた、福島の声を一顧だにしない本日の採決強行は、まことに醜い「形づくり」でしかなかった。
落胆はすまい。怒ろう。民主々義を踏みにじる者への怒り。人の尊厳を顧みない者への怒り。歴史の歯車を逆転しようとする者たちへの怒り。その怒りのエネルギーで、この法案を廃案に追い込もう。
与党の中にも、この稀代の悪法の推進者と見られたくはないという雰囲気が見えるではないか。維新ですら採決には反対した。みんなも一枚岩ではない。あらゆる世論調査が、法案審議の拙速を批判している。国民世論は、明らかに国会内の議席の分布とは大きくねじれている。60年安保の時も衆院の強行採決のあとから大きな運動が盛りあがったことを思い出そう。
本日の「本郷三丁目交差点昼休み街宣行動」には23人にご参加いただいた。町会長さんまでもお顔を見せた。手作りプラカードを各自の胸にし、ハンドマイクで呼び掛けながら、2種類のビラを撒き、署名活動を行った。意気軒昂、大いに盛りあがった。通行中の多くの人が耳を傾けてくれる。ビラの受け取りもなかなか良い。これからも続けよう。廃案を勝ち取るまで。
(2013年11月26日)
国会における公聴会は、国会法51条の「委員会は、一般的関心及び目的を有する重要な案件について、公聴会を開き、真に利害関係を有する者又は学識経験者等から意見を聴くことができる。」という規定に基づいて開かれる。いうまでもなく、「真に利害関係を有する」国民の声に耳を傾け、国民の意見を審議に反映させる目的で行われる。聞きっぱなしは主権者に対する冒涜である。公聴会を開いたからには、陳述された意見を審議に反映させなければならない。「意見は聞いてやった」「だから、もう採決だ」などという傲慢無礼が許されるはずがない。
特定秘密保護法案を審議している衆院の国家安全保障特別委員会の地方公聴会が本日(25日)、福島市で開かれた。自民党の推薦者(浪江町長)を含む7人の意見陳述者全員が法案に反対したという。これはまた、思いがけない展開。到底、採決の強行などできるわけがない。
本日の公聴会プログラムは以下のとおり。
<プログラム>
*額賀団長あいさつ
*[意見陳述者の意見陳述(各10分、計1時間10分/陳述順)]
馬場有(浪江町長)
槇裕康(福島弁護士会副会長)
二瓶由美子(桜の聖母短期大学キャリア教養学科教授)
名嘉幸照(株式会社東北エンタープライズ会長)
畠中信義(いわき短期大学と特任教授)
荒木貢(弁護士)
佐藤和良(いわき市議会議員)
*[意見陳述者に対する質疑(各15分、計1時間45分)]
今津寛 (自民)
近藤昭一 (民主)
丸山穂高 (維新)
遠山清彦 (公明)
畠中光成 (みんな)
赤嶺政賢 (共産)
玉城デニー(生活)
朝日による各意見陳述者の意見要約は以下のとおりである。
☆馬場有(たもつ)・福島県浪江町長
(東京電力福島第一原発事故の際)SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)の情報が適切に公開されなくて、町民の避難に生かせなかった。法案は(特定秘密の)範囲が非常に広くて明確ではない。秘密にするのではなく情報公開をすることが一番大切だ。現在の状況を見ると、慎重な対応をしながら十分に国民のために論議を尽くすことが大切だ。
☆槇(まき)裕康・福島県弁護士会副会長
何を秘密にするかわからない仕組みなので、秘密は拡大の一途をたどる。事故が起きれば「原発に関連する情報は特定秘密にあたる可能性がある」と情報を持っている当事者が考え、萎縮効果により、適切に開示されない恐れが十分ある。事故の教訓に鑑み、特定秘密を指定し重要な情報を秘匿する方向ではなく、情報公開を積極的に進める法制度が重要だ。
☆二瓶由美子・桜の聖母短大教授
短大生と震災を経験し、ここで若い女性たちを教育してよいのか思い悩む日々だ。この状況で何より求めるのは情報の公開だ。法案で特定秘密の指定の拡大が危惧される。パブリックコメントは77%が反対だった。法案はストップをかけてください。民主主義を揺るがす今回の手続きについてはもう1度考えていただきたい。
☆名嘉(なか)幸照・東北エンタープライズ会長
現場の技術者として福島第一、第二原発に携わってきた。原発労働者は安全性を知る立場にあっても、家族でも話せない。そういう環境が長年続いた。原子力の安全神話を生み、取り返しのつかない事故につながった。国会の皆さん、福島を忘れないで下さい。
☆畠中信義・いわき短大特任教授
確かに国防や外交は政府の専権事項だが、国民が知らずして「秘密、秘密、秘密」で秘匿されれば、どうやって公益を図れるのか。それが一番の問題だ。
☆荒木貢・弁護士
法案が通れば、原発問題まで軒並み秘密指定される可能性が高い。国民は何が特定秘密として指定されているのかされていないのか知り得ない。法に抵触するとなれば厳罰を免れず、恐怖心は萎縮効果をもたらす。全国の多数の国民が反対している。私も断固反対だ。
☆佐藤和良・福島県いわき市議
原発に関する情報が特定秘密として秘匿され、市民の安全に関わる情報が非公開になると、国民の基本的人権を侵害する結果を生む。反対、廃案を求めるのが国民の圧倒的な声だ。慎重の上にも慎重に審議を重ね、全国で公聴会を開催し、国民の声を聴いて頂きたい。
以上の陳述は、まさしく「真に利害関係を有する」国民の声ではないか。委員会は、原発被害を受け、さらに国の情報秘匿による2次被害を受けた福島の深刻な声に耳を傾けなくてはならない。すべての意見陳述者が、情報隠しによる具体的な被害を指摘し、秘密の保護ではなく、積極的な情報開示の必要性を語っているではないか。地方公聴会の制度を設けた趣旨に、この上なくふさわしい公聴会のこの成果を審議にどう生かすべきか、そもそも廃案にすべきではないのか。誠実にその審議を続けなければならない。
自民党は、福島県内の地方選挙で負け続けていることを肝に銘じなければならない。本当に、地元の声に耳を傾ける姿勢のないことを見すかされているのだ。ここで、地元の声ををないがしろにするようなことがあったら、全国の国民に見放される。自民党よ、そして修正協議に応じて、稀代の悪法作りに手を貸している「公・み・維」の翼賛野党よ。国民を舐めてはならない。甘く見ると、たいへんなことになるぞ。
本日の公聴会は、原発に関する情報が特定秘密に指定されることにより、国民生活に具体的な危険が生じるという懸念があって、福島での開催となった。もちろん、「知る権利」が侵害されるという懸念についても、初めて有識者でない国民の生の声を聞いたことになる。その全員が、具体的に懸念を裏付ける意見陳述をしたのだ。委員会は、この国民の懸念を払拭する具体的な措置をとらねばならない。それをせずに、やみくもに採決強行では、形式的に意見を聞いたという「アリバイ作りだ」との批判を受けざるを得ない。
当然といえば当然だが、批判一色となった地方公聴会を伝える各メディアの報道も、この法案への批判色を強めている。
本日、本郷三丁目交差点での昼休み宣伝行動には、16人にご参加いただいた。手作りプラカードを各自の胸に、賑々しくやった。明日の昼休みにも同じことをやる。
全国の辻々で、抗議の声よ、巻き起これ。
(2013年11月25日)
日曜日夕刻の電話には、やや不吉な予感がはたらく。はからずも、盛岡の佐々木良博弁護士から「悲しいお知らせをしなくてはなりません」と、今朝、千田功平さんが逝去されたと知らされた。茫然とするのみ。
千田さんは、一関で活動してきた私と同期の弁護士。岩手県南の民主的な諸運動に責任をもつ形での長年の活躍を心強く思っていた。何時でも会える、いつでも話が出来る、と思っていたのに、突然の訃報。
私が盛岡で、千田さんが一関でという責任分担をしていた、二人とも若かった時代を思い出す。とりわけ、1985年の国家機密法反対運動が印象に深い。岩手弁護士会と岩手日報などのマスコミ・岩手大学などをつないで、「国家秘密法に反対する県民の会」がつくられ、いくつもの企画を行った。県南の運動の中心には常に千田さんがいた。
そのとき、国家機密法に反対する演劇を行った。北上山中に米軍機が墜落しその取材の過程で重要な防衛秘密が明らかになる。果敢にこれを報道した記者が逮捕され‥、という筋書き。大ホールを大入り満席にして、盛岡と一関で2公演した。そのとき、体格のよい千田さんは、逮捕された記者の看守役を買って出た。人柄は出るもので、やさしい看守となっていた。
ところで、本日の岩手日報(デジタル版)に次の記事がある。
「特定秘密保護法案に関する緊急学習会(日本国民救援会一関支部主催)は23日、一関市大手町の岩手日報一関ビルで開かれた。同市の千田功平弁護士が講師を務め、『法案が成立すれば国民が萎縮してものを言えぬ社会になり、戦争国家の再来につながってしまう』と法案の危険性を強調した。
市民86人が参加。千田弁護士は、秘密の範囲が曖昧で、普段の何気ない行為が犯罪になり得ると指摘。『情報は国民のものというのが日本国憲法の原則。基本的人権や知る権利に反し、憲法違反の法案だ』とした。
廃案に向けて『秘密の保護は現行法で十分と主張し、法案に反対の人と全国的な連携を広げるべきだ』と呼び掛けた。」
そして、元気そうな千田さんの写真が掲載されている。
【写真=「法案成立で、国民がものを言えない社会になってしまう」と指摘する千田功平弁護士】
http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20131124_5
これが、本日の11時19分にアップされた記事である。
千田さんは、亡くなる前日まで、民主々義のために、改憲阻止のために、全力を尽くしていたのだ。改めて頭が下がる。私も見倣いたい。ご冥福を祈るのみ。
その岩手日報。11月になってから下記5本の特定秘密保護法についての社説を掲載している。ジャーリスト魂健在である。
・秘密法案修正 危険性は何も変わらず (2013/11/22)
・<秘密法案> 適性評価制度 違憲の疑い見逃すのか (2013/11/17)
・<秘密法案> 「知る権利」制約 権力監視が妨げられる (2013/11/16)
・<秘密法案> 広がる疑念 やはり廃案以外にない (2013/11/15)
・NSCと「秘密法」 なぜセットで急ぐのか (2013/11/08)
85年のあのときのように、この特定秘密保護法案を廃案に追い込んで、今は亡き千田さんに報告したい。
(2013年11月24日)
昨日(22日)、文京革新懇が主催した特定秘密保護法の廃案を求める「緊急学習会」があり、私が講師を務めた。ずいぶんたくさんの方々に、実に熱心に1時間半もの拙い話しを聞いていただいた。
状勢は緊迫している。25日(月)午前中に、衆院の安保特別委員会は福島で地方公聴会を開く。帰京して、その日の夕方に報告会を開いたうえ採決という提案があったと伝えられている。「さすがにそれはなかろうが、26日(火)には、委員会採決と本会議の採決が強行されるのではないか」との見方が強い。このところの急激な世論の盛り上がりに、推進派は「遅れれば遅れるほど不利になる」との焦りがあるのではないか。
この状勢に対して何かをしなければならない。議員にファクスを打つ。知り合いに、メールやツィッターをながす。友人知人に働きかける…。
私は、「ひとりでも、本郷3丁目の交差点に立つ。どなたかご一緒してくれたら、ありがたい」と呼び掛けたところ、集会がはねたあと、何人かの方から賛同を戴いた。そして、一応の準備をして、まずは25日(月)と26日(火)両日、12時15分から12時45分まで、本郷3丁目交差点(「かねやす」前)で、街宣行動をしようと話がまとまった。
ハンドマイクを用意すると言ってくれる方、マイクでお話ししましょうと言ってくれる方など頼もしい。みんな、何かをしなければならないと思っている。具体的な行動の提起をすれば、きっと行動の輪が広まる。手始めに両日、手製のプラカードをつくって、素人らしくやってみよう。
25日は少し天候が悪そうだが、小雨程度なら決行する。もし、このブログをご覧になって、少しの時間でもご一緒していただけるなら、
25日(月)・26日(火) お昼の12時15分?12時45分
本郷三丁目交差点(「かねやす」前)でお目にかかりましょう。
仲間がいれば連れだって、
連れがなければおひとりで。
時間があったら1時間、
時間がなければちょっとだけ。
幟があったら幟をもって、
幟がなければプラカード
それもなければ手ぶらでも。
マイク握って喋っても
黙って何もしなくても
「スタンドバイミー」のありがたさ。
文京区以外の人にはご無理なこと。ぜひとも、皆様も、それぞれご近所で抗議の声を上げてください。その声が、こだましあって大きな力になるものと信じて疑いません。
(2013年11月23日)
昨年の東京都知事選に絡んで、猪瀬直樹知事が「徳洲会」グループから選挙直前に5000万円の交付を受けていたことが発覚した。これは、犯罪ではないか。
金がものを言う世の中だが、選挙を金で動かしてはならない。また、公務員の職務も金で動かされてはならない。職務の公正さへの信頼をゆるがせにすることも許されない。
選挙運動資金規制あるいは政治資金規正の一環として、選挙運動資金や政治資金の収支には、高度の透明性が求められる。これは不合理な自由の制約ではない。合理性のある規制と言わねばならず、革新陣営としては、保守派の金権体質を徹底して追及しなければならない。
今回の猪瀬金銭受領発覚の経緯はよくわからないが、発覚後最初の猪瀬の態度は全面否定だった。昨日(11月21日)の朝日の報道では、「猪瀬氏は同日、朝日新聞の取材に『私はまったく関知しない』『知らないと言ったら知らない』などと全面的に関与を否定した」となっている。今の時点で振り返って、これは明らかに不自然な対応。
態度を一転して、本日(22日)の記者会見では、「個人としての借り入れで、選挙に使うつもりはなかった」と釈明したという(毎日)。これも、まことに不自然。
金銭の授受があったことは猪瀬自身が認めるところ。しかし、その金銭に関して返済の合意があったのかなかったのか、つまりは借りた金なのかそれとももらったものなのか、この点が極めて曖昧。曖昧であること自身が奇妙であり、後ろ暗さを推認させる。
5000万円の高額である。後ろ暗いところのない貸借であれば、金銭消費貸借契約書なり、借用書なりがなくてはならない。その原本でもコピーでも、すぐに示せばよいではないか。これが出てこないところがまことに不自然。金銭貸借の趣旨での金員交付であったとはにわかに信じがたい。
それだけではない。5000万円の貸借であったとすれば、なによりも弁済期の定め、さらには利息や遅延損害金の定めがあったろう。その言明がないことは、借りた金であるという言い分自体が怪しいことになる。5000万円もの金額が、銀行送金ではなく、現金での授受であったという点も、金銭の授受自体が明るみに出せないものであったとの推論につながる。
選挙直前という時期において、立候補の挨拶まわりが発端となった金銭授受でありながら、「選挙に使うつもりはなかった」というのは、到底信用しがたい。いったい何のために借りたというのか。また、借りた金をどうして捜査開始直後のこの時期に返却しなければならないことになったというのか。大金を借りて寝かせておいたというのも理解しかねる。妻の金庫に寝かせておくような金をどうして借りねばならなかったのか。
むしろ、端的に「表に出せない現金をポケットにねじ込まれた」、あるいは「袖の下で受けとった」という事情であったことが理解しやすい。借りた金ではなく、内密に「もらった金」だったのだろう。だから、後ろめたい金として一切外には出せなかったのだ。しかし、徳洲会側に捜査の手が伸びた以上は、ばれることは必至とみて、やむを得ず元に戻したのだろう。本当に「金を返した」というのなら、そのときに借用証の返済くらいはしてもらったろう。回収した借用書を出せないわけはない。
5000万円の本件金銭授受は端的に賄賂の授受だったのではないか。公務員が、その職務に関し、賄賂を収受したときは、5年以下の懲役に処される(刑法197条第1項前段)。この「単純収賄罪」は、請託は不要で、職務関連性さえあれば成立する。東京都知事は医事・薬事の広範な行政権限をもつ。知事候補への金員交付が、知事の職務に関連していることはほぼ疑いを容れない。
問題は、猪瀬が当時現職の知事ではなく、「知事になろうとする者」であった点にある。事前収賄罪(197条2項)の成立には「請託を受けて」の要件が加重される。この要件の具備如何は捜査の進展次第となろう。ただ、当時猪瀬が副知事だったことの問題は残る。金銭の授受が副知事の職務との関連性があれば、受託の要件は不要となる。この点も、捜査の進展を待ちたい。
賄賂罪の成立とはまったく別に、公職選挙法や選挙資金規正法の問題が出てくる。
まず、政治資金規正法では、寄付の禁止が問題となる。「何人も、公職の候補者の政治活動(選挙運動を除く)に関して金銭及び有価証券による寄附をしてはならない」のだ。そのうえに、政治活動に関して徳田虎雄が政党・政治団体に寄附することのできる金額の上限は年間に2000万円(総枠規制)。徳田虎雄が猪瀬に寄付することができる金額の上限は年間150万円(個別規制)と制限されている。5000万円は、遙かにこれを超える。政治資金収支報告には、載せられないわけだ。
では、選挙運動資金としてなら報告できるかと言えば、これも違法を告白することになる。公職選挙法上の選挙運動資金の上限規制は、「告示日における選挙人名簿登録者数×7+2420万円」となり、ほぼ6000万円となる。徳田虎雄からの「ひとりで5000万円」を掲載すれば、当然に上限規制を超えることになる。結局は、巨額に過ぎて報告書には載せられない、ことになる。
実質犯としての寄付禁止や費用上限規制違反だけでなく、収支報告を怠った罪、あるいは政治資金規正法上の収支報告書の不記載(重過失の場合を含む)のどちらかには、該当するものと考えられる。「5000万円の受領は、選挙運動資金とも政治資金とも関係がない」とする弁明はまことに不自然で、とうてい信用しがたい。
およそ、選挙運動資金として受領した金員については、当然に、そのすべてが公職選挙法上の選挙運動収支報告の対象になると考えるべきである。まさしく、本件のごとき不透明・不明朗な選挙運動資金の管理を許さないための収支報告の制度ではないか。いったん選挙運動資金として受領しておいて、これについて報告をするかどうかは、その後の事情の進展次第という不透明な取扱いを許容してはならない。
仮に、受領の趣旨が政治資金の原資としてのものであるとすれば、政治団体「猪瀬直樹の会」の報告書に記載することを要する。いずれにしても、猪瀬氏の報告義務違反の罪は逃れられないと考える。
公訴時効はずっと先のこと。厳正な捜査の進展による徹底した事実の解明を待ちたい。民主主義政治のサイクルは、まずは選挙から始まる。これを金にまみれたままに、放置しておくことはできない。
(2013年11月22日)
本日(11月21日)夕刻は、特定秘密保護法の廃案を求める日比谷野音の集会とデモ。私も万余の群衆のひとりとして、シュプレヒコールを叫んだ。
秘密法ハンターイ
国民の知る権利を守れ
報道の自由を侵害するな
戦争準備の秘密法ハンターイ
この声よ、国会に届け。
安倍晋三の耳に突き刺され。
国会までのデモ行進は、解散地点で10時を過ぎていた。
各院の議員面会所に、共産・社民の議員が勢揃いしていた。「負けずに頑張る」と意気軒昂だった。国会の議席数では少数でも、世論の支持は廃案を求める側にある。
本日のデモでは少々疲れたが、明日は文京革新懇の「特定秘密保護法案・緊急学習会」。実は私が講師を務める。幸い、会場のキャパには十分な余裕があるようだ。もし、時間がゆるせば、是非とも話を聞いていただきたい。そして、ご意見も聞かせて欲しい。時間と場所は以下のとおり。
11月22日(金)午後6時半?
文京区民センター3A
なお、その報告のレジメの冒頭部分を紹介しておきたい。
第1 特定秘密保護法案を見る基本視点(政治的背景と憲法的視点)
☆ この法案は、安倍政権下での改憲諸策動のセットのひとつであること。
明文改憲(「自民党改憲草案」)・96条先行改憲・集団的自衛権行使容認・国家安全保障基本法・国家安全保障会議(NSC)設置法・防衛大綱見直し・日米ガイドライン見直し…。
☆ 米国の要請に基づく、日米共同軍事行動に必要なものとされていること。
⇒「専守防衛のタテマエ」を取り払って、「国外で、米国とともに、戦争のできる体制」をつくるためのもの。
☆ この法案には法律事実(刑罰の制裁をもって、国民の行動を制約しなければならない根拠としての事実)が欠けていること。
☆ この法案が日本国憲法の基本理念に真っ向から反するものであること。
「稀代の悪法」として、歴史を変えかねないものですらあること。
☆ 憲法改悪阻止国民運動のシミュレーションの側面を持つもの。
第2 キーワードは「知る権利の侵害」である。
☆ 民主々義とは、主権者である国民が討議によって政策を形成する過程である。
☆ その討議が成立するためには主権者の一人ひとりが自分の意見を持たねばならないが、その意見は「情報」によって形成され、左右される。
☆ だから、民主々義政治過程の出発点において、主権者である国民が正確な情報に接しこれを把握する権利(「知る権利」)が不可欠であり、保障されなければならない。(憲法21条「表現の自由」は、国民の「知る権利」に奉仕するもの)
☆ 国(政府)は国民の「知る権利」を妨害してはならない(表現の自由・検閲の禁止)。むしろ、国は行政に関する情報を国民に積極的に開示しなければならない(「行政の透明性の確保」「情報公開の促進」「行政の説明責任」)。
国民のプライバシーは守られねばならず、国家の秘密は暴かれねばならない
☆ 国がもつ国政に関する情報は国民のものであって、主権者である国民に秘匿することは、行政の背信行為であり、民主々義の政治過程そのものを侵害する行為として、原理的に許されない。これでは議会制民主々義が危うくなる。
裁判所への秘匿は、刑事事件における弁護権を侵害する。人権が危うくなる。
☆ 「何が秘密かはヒミツ」では、時の政府に不都合な情報はすべて特定秘密として、隠蔽できる。国民はこれを検証する手段をもたない。
☆ 法案の基本思想は「国民はひたすら政府を信頼しておけばよい」というもの。これは民主々義・立憲主義ではない。いかなる政府も、猜疑の目で監視しなければならない。とりわけ、危険な安倍政権を信頼してはならない。
☆ 限られた例外として、秘匿が許される情報とは何か。
・その秘匿が違憲違法にならないことが確認できること。
・その秘匿が国民の権利・利益を侵害することがないと確認できるもの。
・その秘匿が政策形成に影響を及ぼすことがないと確認できるもの。
第3 国家によって国民の「知る権利」が侵害されたら、憲法理念は危うくなる。
☆ 情報操作(恣意的な情報秘匿と開示)は、民意の操作として、時の権力の「魔法の杖」である。
満州事変・大本営発表・松川事件「諏訪メモ」・トンキン湾事件・沖縄密約…
☆ 秘密法制自身が、原理的に国民主権原理と相容れず、民主々義を侵害するものである。しかも、この形で傷つけられた民主々義は恢復の力を失いかねない。
☆ 人権の侵害をもたらす。
直接には「表現の自由=憲法21条」の侵害(表現の自由は、広く「情報流通における情報受領を妨害されない自由」を含む)だが、秘密保護の縛りは国民生活の隅々まで圧迫する。
☆ 平和主義を損なうことになる。
この法案は軍事立法である。戦前の軍機保護法、国防保安法の一部復活。やがては治安維持法も…。
(「戦争は秘密から始まる」「戦争は軍機の保護とともにやって来る」)
以上の一節に、「特定秘密保護法反対運動は、憲法改悪阻止国民運動のシミュレーション(予行演習)の側面を持つ」とした。はからずも、「改憲勢力」(自公・維新・みんな)対「護憲勢力」(共・社そして市民運動)の対決の構図ができあがった。まともなジャーナリストや日弁連は、明確に護憲の側に立っている。
この壮大な国民運動の貴重な経験を是非とも成功させたい。次のさらなる大きな運動につなげていきたいものと思う。
(2013年11月21日)
有楽町駅前をご通行中の皆様、ただいま特定秘密保護法に反対する東京弁護士会緊急街頭宣伝活動を行っています。しばし、耳を傾け、配布しておりますビラをお読みください。
私は東京弁護士会に所属する弁護士です。登録以来40年余、日本国憲法を携えて法律実務を行う立ち場にあることを、我が身の幸運と考えてまいりました。日本国憲法こそは、日本国民の宝物であり、平和を願う世界の民衆の希望でもあると確信しています。
私のように、憲法をこよなく大切に思う者にとって、今国会で審議されています特定秘密保護法案は、到底容認しえません。この法案が法律として成立すれば、必ずや大きく憲法を蝕むものになります。日本国憲法が輝かしく掲げる国民主権、平和、そして人権という理念がいずれもないがしろにされる。座して看過するにしのばず、この法案の廃案を求めます。法案の成立を阻止すべく大きな声を挙げていただくよう、皆様に訴えます。
特定秘密保護法案によれば、特定秘密とは「安全保障に関する情報であって、その漏えいが我が国の安全保障に著しい支障を与えるおそれがあるために、特に秘匿することが必要であるもの」として、行政機関の長が指定したものです。特定秘密を取り扱う公務員が秘密を漏えいすれば、最高刑懲役10年をもって処罰されます。公務員だけでなく、秘密を侵害して取得した民間人も最高刑は懲役10年。公務員に漏えいするよう働きかけをした民間人も、その未遂も処罰対象となります。特定秘密を取り扱う公務員には何が特定秘密であるかがわかっていても、民間人側にはまったくわかりません。これは地雷のようなもの。踏んで爆発して大怪我をして初めて地雷が仕掛けられたことを知ることになるのです。
このような形で特定秘密が設定され厳重に秘匿されることでどうなるのでしょうか。二つのことだけを申し上げ、お考えいただきたい。
一つは、この特定秘密がいったい誰を対象に秘匿されるものであるのかということ。行政が情報を隠そうとしている相手は主権者である国民なのです。国民にとって最も重要で知らなければならない、平和や戦争にかかわる情報を国民の目から耳から隠そうというのです。その国民の中には当然に、国会議員も含まれます。特定秘密は、一般国民だけに秘密なのではなく、国会にも秘密、裁判所にも秘密になります。行政機関の長が特別に認めた場合にだけ、国会や裁判所に「他に漏れないよう」必要な措置が講じられていることを前提に例外的に解禁されます。これは、国会も裁判所も主権者国民も、「行政機関の長」が許可した範囲だけで情報を知ればよいという思想に基づくものです。
いうまでもなく、私たちは民主々義社会に生きています。民主々義とは、国民一人ひとりが自分の意見をもち、他の人の意見にも耳を傾けながら、討議を重ねて政策を形成していくというプロセスを指します。国民が自分の意見をもつためには、タブーなく、正確な情報を取得できなくてはなりません。特定秘密保護法の思想は、これに逆行するものです。
古来、情報を握る立ち場にある者が実質的な権力の掌握者となります。特定秘密保護法では、行政機関の長が、その一存で特定秘密の指定もできる、解除もできることになっています。国民に知られては不都合な情報はストップし、知らせたいとする情報はゴーサインとできるのです。
もうひとつ。特定秘密は国民に隠されますから、何が秘密かはヒミツということになります。どこにどのような秘密が存在するかは、国民には一切わかりません。その特定秘密の指定は、法が成立すれば当初40万件になると見込まれています。その40万件の秘密の内容は、国民も、国会も、裁判所も窺い知ることはできません。気骨あるジャーナリストがこれを暴こうとすれば、地雷を踏む危険を冒すことになります。
行政権力の側からみれば、こんなに都合のよい法律は他にありません。不都合な情報は隠せる。しつこく情報を求めるメディアには、犯罪になるぞと脅すことができる。良心的な公務員も、「なにしろ懲役10年ですから、取材は勘弁してください」ということになる。刑罰による威嚇効果は、メディアの取材活動に著しい萎縮効果をもたらします。国民が知らねばならないことが伏せられたまま、間違った方向に国の進路が決められてしまうことを恐れねばなりません。
お考えください。何が秘密かはヒミツなのですから、40万件の特定秘密が本当に法律が要求している要件を満たしたものなのか、恣意的に行政が国民に知られたくないからもぐり込ませた秘密なのか、それはヒミツなのです。誰も検証のしようがない。ここに、特定秘密の危険の本質があります。
この主張に対して、行政の側は、「国民は国家を信頼すべきだ。何を秘密にするかは、行政に任せておけ」という基本思想なのです。しかし、国民は国家を信頼してはならない。権力に対しては、常に、猜疑の目をもって監視を怠ってはならない。それが民主政治の大原則ではありませんか。
とりわけ、安倍政権を信頼してはならないとおもいます。かれは、「日本を取り戻す」と言っています。つまり、安倍さんによれば、「日本は今、奪われている」のです、「本来の日本ではない不正常な事態にある」という基本認識なのです。彼が取り戻そうとする日本とは、いったいどのような日本なのでしょうか。
彼は、「戦後レジームからの脱却」を口にする人物です。つまりは、戦後民主々義を総体として否定する立ち場です。戦後レジームを脱却して取り戻そうとする「強い日本」とは、戦前の大日本帝国憲法時代の日本。おそらくは彼が、尊敬して止まないという祖父岸信介が商工大臣を務めていた東條英機内閣の時代としか考えられません。それは、日本国憲法を根底から危うくする道です。
安倍晋三内閣を信頼して、目を耳も塞いでいたら、国民はあらぬところに連れて行かれかねません。自分たちの国の行く手は自分たちで決める。目も耳も口も、大きく開いていなければならないはずではないでしょうか。
私は、日本国憲法をこの上なく大切に思う立ち場から、安倍内閣こそ危険な存在だと考えざるを得ません。安倍内閣が提案した法案だから、いっそうの警戒が必要なのです。ところが伝えられるところでは、「みんなの党」は「特定秘密の指定と解除に首相が責任をもつことが確認されたから法案賛成にまわる」というのです。私には、信じがたいことです。行政権の行為の不当を心配しているときに、「行政府の長が責任をもつから安心」とは、何を言っているのかわけがわかりません。しかも、その責任をもつという人物が、憲法にとっても、国民にとっても、今最も危険な人物なのです。到底、修正案で納得できるはずがありません。
今、国民世論と国会の議席との間に、大きなネジレが生じています。世論調査の結果では、国民は特定秘密保護法に大きな不安を抱いています。議席の数の力でなんでもできるわけではありません。この法案を無理に通せば政権はもたない、と思わせることができれば廃案に持ち込むことが可能となります。
そのために、明日の特定秘密保護法に反対する日比谷野音の大集会にご参加下さい。できたら、集会後のデモにもご参加下さい。
私が子どもの頃、今は亡き父に言いました。どうしてみんな戦争に反対しなかったの。父は答えました。とても戦争に反対なんて言えなかったんだよ。どこの家庭でもあった会話ではないでしょうか。
今なら、ものが言えます。今なら、特定秘密保護法反対の集会が開けます。デモもできます。しかし、この法案を通せば、確実にものが言いにくい状況がつくられます。歴史が変わるきっかけになるかも知れません。
今に、子や孫に、「どうしてあのとき反対の声を挙げなかったの」と問われかねません。ぜひも明日は集会にご参加下さい。そして、集会の規模と熱気で、廃案を勝ち取る運動の第一歩にしようではありませんか。
明日、11月21日木曜日午後6時半、日比谷公園内の野外音楽堂でお目にかかりましょう。
(2013年11月20日)
昨日のブログに、「みんなの党と言えども、みんながみんな自公との修正協議に賛成ではあるまい」と書いた。ところが、「みんなの党」には、一人ひとりのみんなはなく、党代表の愚昧な判断だけがあったごとくである。結局本日(19日)午後に、法案賛成にまわることに正式決定したとの報道。
「みんなの党のみんな」よ、ほんとにこれでよいのか。こんなに露骨に、自民党補完勢力の正体さらけだし、「官僚支配と闘う」などというスローガンの嘘っぱちを証明して見せて、有権者に恥ずかしくないのか。たったひとりの気骨ある議員もいないのか。
革新無党派層の票をさらって議員になって、都内の有権者を裏切って「みんなの党」に走った川田龍平の名誉挽回のチャンスだったが、その機会は永久に失われた。
本日は、品が悪くなるのは覚悟の上で気合いを入れてブログを書かねばと思っていたが、メディアの筆が鋭い。自分の文章は書かずに、いくつかの記事を紹介するに留めたい。
まずは毎日社説。みんなの党の修正合議の報にたじろがず、ぶれず揺るがず、原則論を貫いている。立派なものだ。
法案が衆院に上程された10月25日以後の特定秘密保護法関連の社説は12本になった。うち11本が「秘密保護法案を問う」と標題を付したシリーズもの。中見出しまで付して、その全部を書き出せば次のとおりである。
10月26日 秘密保護法案 国会は危険な本質見よ
11月 5日 秘密保護法案を問う 国民の知る権利
11月 6日 秘密保護法案を問う 国の情報公開◇「不都合」隠される懸念
11月 7日 秘密保護法案を問う 国政調査権◇国会が手足を縛られる
11月 8日 秘密保護法案を問う 重ねて廃案を求める
11月10日 秘密保護法案を問う テロ・スパイ捜査◇歯止めが利かぬ懸念
11月12日 秘密保護法案を問う 歴史研究◇検証の手立てを失う
11月13日 秘密保護法案を問う 強まる反対世論◇与党は考えを改めよ
11月14日 秘密保護法案を問う 野党◇成立阻止が目指す道
11月15日 秘密保護法案を問う 報道の自由◇「配慮」では守れない
11月18日 秘密保護法案を問う 刑事裁判◇「秘密」のまま処罰とは
11月19日 秘密保護法案を問う 修正協議◇安易な合意は禍根残す
以上のとおり、毎日は、与党に対しては「強まる反対世論◇与党は考えを改めよ」と述べ、野党に対しては「野党 成立阻止が目指す道」と諭していた。が、結局「みんなの党」は聞く耳を持たなかった。この政党に毎日はこう言っている。
「法案への疑問や懸念は国会審議でむしろ深まるばかりで、付け焼き刃的な修正でカバーできるものではない。与党による強行採決など数頼みの手段は許されない。野党側も将来に禍根を残しかねない中身での妥協は厳に慎むべきである」「何が秘密であるかが明らかにされないうえ情報公開のルールもなく、国会や司法のチェックも及ばない。質疑を重ねるほど法案の構造的な問題を露呈しているのではないか」
「そんな法案を2週間ほどの審議で通過させるなど論外だ。参院選で国会のねじれが解消して4カ月ばかりで数まかせの手段を行使するようでは選挙結果を有権者からの『白紙委任』とはき違えているに等しい」
「不可解なのがみんなの党の柔軟姿勢だ。同法案は官僚による情報独占、立法府や司法に対する行政優位を強めかねない大きな問題がある。ところが渡辺喜美代表は『総論賛成』と早々に言い切り、安倍晋三首相との会食で修正案まで示したという。官僚支配に反対した党の理念とどう整合するのか。同党の主張に沿い秘密指定への首相の関与が強化されたとしても恣意的な指定のおそれなどが解消するとは言い難い。安易な妥協で与党に採決の口実を与えてしまえば、その責任は重い。政党の真価が試される場面だ」
「2週間ほどの審議で通過させるなど論外」であるにもかかわらず、「不可解なのがみんなの党の柔軟姿勢」との指摘。11月13日付の毎日には、「同法案には、民主党が反対する方針を固めたほか、みんなの党は近く、独自に修正案をまとめる予定だ。共産党、生活の党、社民党は反対を決めており、自民党が現段階で修正協議に入れるのは維新だけというのが現状」との記事。「自民党が現段階で修正協議に入れるのは維新だけ」と思っていた矢先の、みんなの転びである。不可解以外に形容しがたい。
このことに、もっともストレートな見出しを付けているのが、「日刊ゲンダイ」で、「非難噴出! みんなの党『秘密保護法』ドタン場で裏切り合意」というもの。記事の内容を抜粋すれば以下のとおり。
「みんなの党の山内康一国会対策委員長は『(与党側の)誠意ある回答だった。趣旨をおおむね認めてもらった』と喜んでいたから開いた口が塞がらない。与党は首相の関与を形式的に明記するだけで、実務を各省庁が担う実態はほとんど変わらない。みんなは19日午前の政調部門会議で与党との修正協議を執行部に一任してしまった」「19日午前の党本部前には、みんなの裏切り行為を知った市民団体『秘密保護法を考える市民の会』の有志が集まり、『知ろうとするだけで犯罪』などのプラカードを掲げて抗議。『みんなの党のみんなとは誰のことか』『一人一人の議員はどう思っているのか』などとシュプレヒコールを上げた」
そしても最後が「東京新聞」。同紙は、解説ではなく、夕刊1面の記事として「恣意性チェック骨抜き」と見出しを打った。
「みんなの党は…与党が示した修正案を了承した。修正案は、政府の意のままの秘密指定を防ぐ第三者機関の設置は盛らず、「首相の『第三者機関的関与』で恣意的運用を排除し、指揮監督権を明記」としたが、首相は政府代表そのもので「第三者」ではなく、すでに「指揮監督権」もある。恣意性の検証は骨抜きとなった」と、記者の怒りが伝わってくる内容。
敵と味方がようやく見えてきた。問題の重要性も、問題の核心も見えて来つつある。大きな国民世論のうねりが起こる前に、慌てての強行採決に及ぶようなことがあれば、それこそ国民からの鉄槌を受けることになろう。
(2013年11月19日)
今、野党は全部「特定秘密保護法」反対ですよ。実は自民党も、本当の腹を明かせば賛否半々だと思いますよ。総理が廃案言い出せば、楯突く議員はほんの一握り。安倍さんが方針を決めれば、推進派のマスコミの方も方針が変わる。安倍総理として国民から与えられた権力を、正しくあるべき姿に使う、こんな機会はない。殆どの国民も「特定秘密保護法反対」で協力出来る体制なんですよ。みんな万歳じゃないですか。こんな運のいい総理はいないと思いますよ。結局は、総理の判断力、洞察力の問題だと思いますけれども、そういう方向に行ってほしいと思う。
「特定秘密保護法は廃案」という方針を政治が出せば、必ず知恵ある人が、そのことを前提にして、日米関係の維持にいい案を作ってくれる。専門家の知恵を借り、その結論を尊重して進めていくべきだ。これからの日本において、「安全保障にかかわる問題はすべて秘密」と言って済むと思う方が楽観的で無責任過ぎる。
安倍晋三首相が決断すれば特定秘密保護法は廃案にできる。首相の力は絶大だから、首相が「廃案にしよう」と言えば、みんな反対はできない。政治的にはできるだけ早く、特定秘密保護法廃案という方向を明確に出した方がいい。こんな恵まれた時期はない。ピンチをチャンスに変える権力を首相は持っている。この環境を生かさないのはもったいない。分かってほしい。
その時期としては「即廃案」がいいと思う。時期を遅くして、国民の信頼を獲得する目はない。時期を失すれば、また「右翼で軍国主義者の安倍があがいている」なんて印象を悪くするだけだから。
大騒ぎしての廃案だが、国民みんなして、民主々義や知る権利の大切さを確認するというチャンスを天が与えてくれたと思えばよい。みんなで、この道を進まなければいけない時だ。
18日の夜。ここまで書いて、どうも事情が変わっているようすに気がついた。
自・公と、「みんな」が実務担当レベルでは修正協議に合意という報道がなされている。「野党はみんな反対ですよ」ではなく、自公に尻尾を振って擦り寄る政党が現れたのだ。どうも、にわかには信じがたい。「みんな」という政党は、メディアの論調を把握しているのだろうか。反対世論の急速な盛り上がりを無視しているのだろうか。野中氏や古賀氏のような、保守の長老も問題点を指摘して憂慮していることをどう考えているのだろうか。
みんな案の眼目は、「閣僚らが特定秘密を指定する時は首相の同意を義務づけること」だという。憲法65条は「行政権は内閣に属する」としているのだから、特定秘密保護法案における「行政機関の長の特定秘密指定」が、首相の同意に反してなされるはずはない。また、「指定は閣僚が行う」と言い、「首相が同意する」と言っても、実務は官僚に任されることは目に見えている。与党案だという「個々の指定・解除も首相が指揮監督し、必要な際は資料の提出を求める」も、厖大な数(当初は40万件)の特定秘密指定も解除も、所詮は官僚の手の内。「実際の業務を各省庁が担う実態はほとんど変わらない」と報じられているとおりだ。「みんな」は、自・公に恩を売るチャンスを狙っていたのだろう。ほんの少しの、名目だけに過ぎない「改善」案と引き換えに、法案成立推進派への仲間入りを果たそうというのだ。
これしきのことで、特定秘密保護法が成立に至るとは思えない。「みんな」だって、みんながみんな修正案に賛成というわけではなかろう。ただ、確実に言えることは、これで「みんな」の自民党補完勢力としての正体が露わになったこと。「第3極」とは、「半自民」「ミニ自民」「亜流自民」「自民の外から自民に尻尾を振る立ち場」のこと。もし、「みんな」が正式に、この修正案で自・公に手を貸して法案成立促進の側にまわるのなら、国民から厳しい批判に晒される。これは、自爆テロに等しい愚挙と言わねばならない。民主々義と平和を標的にしたテロ行為、そして自らを亡ぼすことにならざるを得ない自爆行為と知るべきだ。
(2013年11月18日)
各紙が各様に、特定秘密保護法案の行方について、社説に見解を述べている。
赤旗は別格として、「毎日」が量・質ともに群を抜いている。同紙は、既に「特定秘密保護法反対宣言紙」である。法案が衆院に上程された10月25日以後の社説は10本。うち9本が「秘密保護法案を問う」と標題を付したシリーズもの。法案の問題点をあらゆる角度から徹底して解き明かそうという気迫が感じられる。社説だけではない。解説記事にも、「余録」にも、編集長のコメント欄にも、また投書にも、特定秘密保護法反対の気概が横溢している。廃案を求める姿勢に揺るぎなく、「権力には一歩も引いてはならない」とするジャーナリスト魂に脱帽するしかない。
10月26日 秘密保護法案 国会は危険な本質見よ
11月 5日 秘密保護法案を問う 国民の知る権利
11月 6日 秘密保護法案を問う 国の情報公開
11月 7日 秘密保護法案を問う 国政調査権
11月 8日 秘密保護法案を問う 重ねて廃案を求める
11月10日 秘密保護法案を問う テロ・スパイ捜査
11月12日 秘密保護法案を問う 歴史研究
11月13日 秘密保護法案を問う 強まる反対世論
11月14日 秘密保護法案を問う 野党 成立阻止が目指す道
11月15日 秘密保護法案を問う 報道の自由
毎日に比較すればもの足りないところが残るとは言え、朝日も、法案反対の姿勢を貫いている。
10月26日 特定秘密保護―この法案に反対する
10月30日 秘密保護法案―首相動静も■■■か?
10月31日 情報を守る―盗聴国家の言いなりか
11月 6日 秘密保護法案―社会を萎縮させる気か
11月 8日 特定秘密保護法案―市民の自由をむしばむ
11月12日 秘密保護法案―極秘が支えた安全神話
11月16日 特定秘密保護法案―成立ありきの粗雑審議
11月16日 特定秘密保護法案―身近な情報にも影
そして、本日の朝日2面「日曜に想う」に、星浩特別編集委員の「秘密保護法案 あの頃の自民なら」という「準社説」。「あの頃」というのは、1985年に自民党が「スパイ防止法案」提案した頃のこと。自民党内の戦争体験世代のバランス感覚があの法案を廃案にした、という文脈。具体的に挙げられている議員の名は、宮下創平・梶山静六・野中広務・加藤紘一・河野洋平の諸氏。いま自民党中枢にその諸氏あらば、「こんな法案が提出されることはなかったのではないか」「この法案は政権政党としての自民党の劣化を映し出している」と結ばれている。
次いで、「東京」である。そのリベラルな姿勢の印象に比して、社説の本数は意外に少ない。しかし、社説の内容はきっぱりと廃案を求めるものとなっている。
10月23日 「戦前を取り戻す」のか 特定秘密保護法案
10月31日 日本版NSC 秘密保護法を切り離せ
11月 8日 特定秘密保護法案 議員の良識で廃案へ
以上のリベラル3紙だけでなく、ノンリベラル紙も瞥見してみよう。
まずは、日経。最近1か月の関連社説は下記の2本。
10月20日 秘密保護法案はさらに見直しが必要
11月16日 疑念消えぬ秘密保護法案に賛成できない
意外に内容は悪くない。「安全保障にかかわる機密の漏洩を防ぐ枠組みが必要なことは理解できる。だがこの法案は依然として、国民の知る権利を損ないかねない問題を抱えたままだ。これまでの国会審議では、疑念がむしろ深まった印象さえある。このままの形で法案を成立させることには賛成できない。徹底した見直しが必要である」「法案が成立すると、国政調査権や国会議員の活動を制約するおそれもある。三権分立の根幹にかかわるこうした議論も深まっていない。このまま拙速に成立を急げば、将来に禍根を残すだろう」とけっして政府・与党に与するものではない。が、なんとなく他人事についての通り一遍の記述。自社のジャーナリストとしての使命に関わるものという真剣味が感じられない。自社は弾圧対象にはなく、「安全圏」にあるという意識ではなかろうか。
さて、問題の「読売」である。関連社説は本日分を入れて3本。
10月24日 秘密保護法案 国会はどう機密を共有するか
11月 8日 秘密保護法案 後世の検証が可能な仕組みに
11月17日 秘密保護法案 将来の「原則公開」軸に修正を
秘密保護の法律は必要との立ち場。そのうえで、与野党の修正協議を促す基本路線。
「安全保障戦略の司令塔となる国家安全保障会議(日本版NSC)の機能を充実させる上で、欠かせない法整備だ。国民から疑念を抱かれぬよう、与野党は議論を尽くし、合意点を探ってもらいたい」「与党時代に同様の法制を検討した民主党も、修正協議に参加すべきだろう」という。
しかし、その読売でさえ、「政府が特定秘密の対象を際限なく拡大し、都合の悪い情報を秘匿しかねないとの懸念は根強い」「半永久的に情報が秘匿されるといった批判もある」と問題点を認めている。そこで、「重要なのは、一定期間後に特定秘密情報を『原則公開』すると明示することではないか。後日あるいは遠い将来でも、公開するとなれば、政府の恣意的な指定に歯止めをかける効果が期待できる」と提案する。また、「仮に、捜査当局の判断で報道機関に捜査が及ぶような事態になれば、取材・報道の自由に重大な影響が出ることは避けられない。ここは譲れない一線だ」とも言わざるを得ない。
この「戦前取り戻し法」の成立に手を貸せば、いかに「政権寄り」姿勢を標榜するノンリベラル紙といえども、我が身の不幸に帰結することを覚悟しなければならない。
最後は、アンチリベラル紙「産経」である。およそジャーナリズムとは無縁の存在として無視してもよいのだが、少しだけ言及しておきたい。関連社説は次の1本だけ。
10月24日 秘密保護法案 国会はどう機密を共有するか
もちろん、政権ベッタリ新聞の面目躍如に「今国会での成立を図ってほしい」という基調。それでも、「政府が恣意(しい)的な解釈、拡大解釈を行う懸念は残る。特定秘密を扱う公務員が取材に対して萎縮し、結果として情報隠しとなる恐れもある」「制度の運用に当たって政府には、『国民の知る権利』を担保する『取材・報道の自由』への十分な配慮を強く求めたい」とは言うのである。
特定秘密保護法案については、強く廃案を求めるリベラル派と、法案の修正協議によって妥協の道を探れとするノンリベラル派、そして、「今国会での成立を求める」とするアンチリベラル派に分かれる。説得力においてリベラル派が圧倒しているが、法案審議の帰趨は予断を許さない。
なお、ノンリベラル・アンチリベラルの両派といえども、リベラル派が指摘する法案の問題点・危険性は認めざるを得ない。そして、この法案の成立を急がなければならないとする根拠を提示する論調はない。産経といえども「今国会成立」とは一応は言いながらも早期成立を必要とする理由は一言も述べてはいない。十分な審議を要求することは、圧倒的多数の国民の声である。政府も自・公も、この声に背を向けてはならない。