澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

「積極的平和主義」とは何か

本日、日民協の機関誌「法と民主主義」が届いた。特集は『「ブラック化」する労働法制』安倍政権が主唱する労働法制激変の凄まじさがよく分かる。ご注文は下記URLまで。
http://www.jdla.jp/

たまたま、同時に国際法律家協会の「Inter Jurist」(タイトルは横文字だが、本文は邦語)の最新号も届いた。この中に国連人権理事会が取り組んでいる「平和への権利」の小特集がある。平和を人権と構成する試みは、わが国の平和的生存権思想に端を発して、世界の潮流になろうとしている。今年末には、国連総会で「一人ひとりが平和のうちに生きることを、国家や国際社会に要求できる権利」を国際人権法とする決議が採択される見通しだという。例によって、日本はアメリカとともに、この決議に反対を表明しているとのことではあるが。

関心を惹かれたのは、一人ひとりに求める権利があるとされる「平和」の内実である。1969年以来世界の平和学が提唱している「積極的平和(Positive peace)」が目指されているという。

ノルウェーの平和研究者であるヨハン・ガルトゥング教授の名とともに語られる、「積極的平和」について、大田昌秀の要を得た解説がある。
『一般に平和とは何かと聞かれた場合に、すぐに思い浮かぶ答えは「戦争のない状態」と言えます。しかし、ガルトゥング教授は、戦争を「直接的な暴力」と規定した上で、戦争がないからと言ってわれわれの社会はけっして平和とは言えないとして、直接的な暴力に対し「構造的な暴力」ということばを対置しています。教授の言う構造的な暴力とは、偏見とか差別の存在、社会的公正を欠く状態、あるいは正義が行き届いていない状態、経済的収奪が行われている状態さらには、平均寿命の短さ、不平等などを意味します。ですから、今日の社会は至る所に平和でない状態、つまり構造的な暴力がはびこっていると言っても過言ではありません。したがって、ガルトゥング教授は、この構造的な暴力を改善していくのでなければ、本当の意味での平和は達成されないと述べているのです。
 このように平和問題というのは、単に戦争の問題に限定されるのではなく、社会的偏見や差別の問題、政治的不公平の問題から男女間の不平等、経済的貧富の問題に至るまで広範、かつ多岐にわたるのです。したがって、それらの問題を解決して初めて言葉の真の意味での平和の創造が可能となるわけであります。
 ちなみにガルトゥング教授は平和を実現するため、三つのPが必要だと述べています。第一にPeacemovement(平和運勤)、第二にPeaceresearch(平和研究)、第三にPoliticalparty(政党)の三つであります。これらが三位一体となって平和の創造に取り組むのでなければ、人々が期待するような平和は成り立だないと説いているのです。」(「沖縄 平和の礎」岩波新書)

「平和運動」に関する次の部分も紹介しておきたい。
「戦争を廃絶すると言えば、そんなことは、この人間世界ではありえないことだとつい考えてしまいます。そのため、実際にはユートピア的とか、気違い沙汰だと馬鹿にされがちです。しかし人類の歴史を振りかえってみると、奴隷制度の廃止とか、植民地の廃棄などということは、ある時代においてはそれこそユートピア的思想であったにもかかわらず、今日ではすでに実現しているのも少なくないのです。」

同じ言葉を使いながら、安倍晋三流「積極的平和主義」はまったく異なる思想の産物である。武装を強化し、軍事同盟を強固なものとすることによって「平和」を達成しようという考え。平和主義といえば、少なくとも軍縮と結びつく。しかし、安倍流では「積極的」と冠することによって、軍事力強化をもたらす「平和」に意味内容が変えられているのだ。軍事力によって維持される平和の危うさに思いをいたさざるを得ない。

迂遠なようでも、この世から「構造的な暴力」を廃絶することによって、真の意味の「積極的平和」の達成を求めるしか選択の道はないのだと思う。それは決して、ユートピア思想ではない。
(2014年6月26日)

公明党・北側発言「自民党に迷惑をかけた」とは何ごとか

集団的自衛権行使容認に向けて、与党間協議の決着がつきそうな危ない雲行き。昨日(6月24日)の第9回協議会で、政府・自民党が「自衛権発動の新3要件・修正案」を提示し、公明党執行部は大筋で了承する方針と報道されている(毎日)。

一見すると、「平和の党・公明」が「好戦集団・安倍自民」にズルズルと押し切られ値切り倒された形での決着となりそうな事態のように見える。しかし、本当にそうなのだろうか。このような形づくりが必要なだけだったのではないだろうか。ショーとしてのプロレスと同様、予め練られたシナリオのとおりにことが運んだものではないだろうか。

そういう根拠の一つが、この協議会の席で、公明党の北側氏が「我が党の議論で(自民党に)迷惑をかけているが、いつまでも引きずる考えはない。そう遠くなく結論を得たい」と語った(毎日)こと。「金目」発言も、「いじめ」発言も、失言ではない。本音がこぼれるのだ。北側氏の「迷惑をかけている」発言も本音である。本音だからこそ、問題が大きい。「できれば、安倍自民のご言い分を直ぐにでも呑んで、ご迷惑をお掛けするようなことはしたくない」と本心を語っているのだから。

北側発言は、国民の立ち場でものを考えていないことの表れである。彼の頭の中には、国民がなく、安倍政権と自民党だけがあることをものがたっている。また、憲法の理念を守れるか壊さざるを得ないのかの重大な議論をしていることについての自覚がない。慎重に審議をすることを「いつまでも引きずる」「迷惑をかけている」と本気になって考えているのだ。

国民の集団的自衛権行使への危惧の念は日々増している。だから、いつまでも引きずることなく、世論の盛り上がりのないうちに、抵抗したという格好だけはつけて決着しようということではないか。当然に、与党に残るメリットを考えての党利党略。

当てにできない者を当てにし、もしかしたらと幻想を抱いた国民が愚かだったというほかはない。国民的議論は皆無、国会での議論もろくろくないままに、憲法9条をなし崩しに壊そうという恐るべき合意を、自公2党はしつつあるのだ。

公明党は、開き直って「武力行使3要件」の細部の手直しをさせたと虚勢を張ってみせるのだろうか。一緒に戦争する「他国」に「わが国と密接な関係にある」という修飾詞をつけたのが手柄だとでも言う気だろうか。もし、本気でそんなことを言いだしたとしたら、それこそ噴飯もの。当たり前だろう。密接な関係にもない他国に味方して戦争をするなどあり得ないこと、「わが国と密接な関係にある他国」と言い換えることに何の意味もない。一緒に戦争をしようという国が、「わが国と密接な関係にある他国」でないはずはない。

「おそれ」を「明白な危険」に変えさせたって、限定が厳しくなったとはとうてい言えない。ある曖昧な言葉を、別の曖昧な言葉に置き換えてみただけのことではないか。3要件はダダ漏れのザルだ。日本国憲法の解釈において、集団的自衛権行使はいかなる場合も容認し得ないという大原則を崩してはならないのだ。

集団安保への参加についても、「自民党の高村正彦副総裁は24日の与党協議後、記者団から『集団安保はできないのか』と問われると『そうではない。できないならできないと(閣議決定案で)触れるのだから』と主張。政府関係者も『(閣議決定案に)明記しなくても集団安保に参加できる』と語った」と報じられている(朝日)。

曖昧な言葉使いが納得し得ないことに輪をかけて、「できないと明白に書かれていないのだから、できる」という論法が持ち出されている。あきれて怒り心頭だ。

これが許されるならば、日本は憲法9条を持ったまま、政府と与党の解釈次第で際限もなく「自衛の措置」としての武力行使をする国に落ちていってしまう。

公明党の井上幹事長は24日「安倍晋三首相に『何と言っても国民の関心は経済。ぜひ経済中心でお願いします』と述べた」という(朝日)。集団的自衛権問題の与党協議が始まる前でのことなら、「憲法問題よりは経済の協議を」ということに意味があろう。いま、この時点での「経済中心」への論及は、安倍自民の壊憲から国民の目を逸らそうという発言としての意味しかない。平和の問題を経済の問題にすりかえて、「最後は金目でしょ」と言って総スカンを食った石原環境相と同質のの批判を受けなければならない。

日本の進む道をねじ曲げる密談をこらした与党の政治家には、元陸将・元カンボジアPKO施設大隊長渡辺隆さんの言葉を届けたい。
「正直なところ、私は今、制服を脱いでいて、つまり退官していて、ありがたかった。もし制服を着ていたら、自分が指揮官として集団的自衛権をどう隊員に説明するか、夜も眠れないぐらい悩むだろうと思うからです」(朝日)

共産党、社民党だけではなく、民主党も結いの党も、集団的自衛権行使容認には批判的な姿勢を固めつつある。かつての保守本流と言われた人々も憂慮を深めている。自治体の首長にも慎重論が広がっている。地方議会の反対決議も100の大台を超えて増えつつある。岐阜県のごとく自民党組織の足下の一角が崩れてもいる。世論は日々好転している。いくつかの世論調査がそのことを明瞭に示している。まだ遅くはない。まだ、蟻の一穴をふさぐことは可能だ。公明党に、「自民に擦り寄ることは、結局墓穴を掘ること」と判断させる世論の形成まで、もう一歩ではないか。
(2014年6月25日)

セクハラ野次ー自民党都議団の責任を問う

「いじめ」という現象は、社会の縮図だ。個別の「いじめ」は、社会がもっている病理の表れである。

いじめの構造は、「加害者」と「被害者」だけで成り立っているのではない。周囲の「傍観者」の存在が不可欠な構成要素となっている。加害の実行者は、多数傍観者の暗黙の支持を得ることによって加害行為に踏み切る。明示黙示の支援を得つつエスカレートする。傍観者グループと加害者との距離は、わずかに一歩、あるいは半歩のものでしかない。加害者は傍観者からリクルートされて膨張する。傍観者は実行犯予備軍でもある。

もとより、傍観者の色合いは一様ではない。自らは実行犯にならないが背後から積極的にけしかける者もあれば、消極的に「笑みを浮かべる」程度で加担する者もあり、無関心を装う者もある。内心ではいじめを止めたいと望みながらも力及ばずとして何も出来ない者も多くいることだろう。しかし、それぞれの濃淡のレベルはありながらも、客観的にはいじめへの加担をしていることを自覚しなければならない。声を上げるべきときには黙っていること自体が罪となることもあるのだ。

さて、東京都議会でのセクハラ野次の事件である。問題なのは、この卑劣な野次に議場が凍りつかなかったことだ。むしろ「周りで一緒に笑った」者がいたと報道されている。いじめの構造と同じく、社会がもっている病理が端的に表れている。

世論の批判に耐えられず、遅まきながら自民党の鈴木章浩都議が「加害者」として名乗り出て謝罪した。しかし、これで問題が解決したわけではない。分けても、自民党都議団は、いじめの傍観者と同質の責任を問われている。暗黙の支持のレベルの責任ではない。加害実行者を生みだした集団としての責任であり、卑劣な野次を許す議場の雰囲気を積極的に作りだした集団としての責任である。自民党自身がその責任のとりかたを考えなければならない。そのことが、自らの体質を深く抉る作業となるだろう。

納得しかねるのは、鈴木都議が責任のとり方として議員辞職ではなく、会派からの離脱を表明していることだ。彼は、都民に対して責任をとろうというのではなく、自民党都議団に責任をとろうと言っているのだ。「組にご迷惑をお掛けしました。盃をお返しいたします」という博徒のノリではないか。

自民党都議団は、被害者の対極にある。その体質からセクハラ議員を生みだした責任母体であり、セクハラ野次に「周りで一緒に笑った」セクハラ助長責任集団でもある。その自民党という責任集団に謝罪し会派離脱することは、そちらの世界の掟なのかも知れないが、都民に対しては責任をとったことになっていない。

この鈴木議員の責任のとりかた表明も、社会の縮図。民主主義の未成熟を反映している。

なお、この鈴木議員は、「2012年8月19日には、尖閣諸島の魚釣島沖に戦没者の慰霊名目で洋上から接近した日本人団のうち10人が、船から泳いで魚釣島に上陸し、灯台付近で日の丸を掲げたり、灯台の骨組みに日の丸を貼り付けたりした。この10人のうち1人が鈴木氏だった。鈴木氏はYouTubeで、『支那』という言葉を使い、『ここで上陸できなければ日本人としての誇りが保てない』などと説明し、石原慎太郎・東京都知事(当時)の尖閣諸島購入方針などへの支持を表明していた」(ハフイントンポスト)と解説されている人。なるほど、そういう人なのか。日本の保守派・民族派には、両性の平等についての理解なく、保守固有の伝統的性別役割分担論にもとづく女性観がある。セクハラ発言もむべなるかな。

彼のウエブサイトを覗いてみて、憲法の欠陥を論じる一文を読んだ。再び、なるほど。彼には、人権の重みについての理解がない。国家権力後生大事の人なのだ、

次の彼自身の文章の「主権」は、国家権力という意味である。
「法治主義に則った通常の社会秩序の維持が不可能になった状態、国民の生命、財産の安全が脅かされる事態、また著しく国民に不利益を与える状況において、『主権』の役割が決定的になるのであります。このことから、非常事態の法的秩序が欠落した日本国憲法は、社会生活が一定の秩序を保って営まれている時のみ有効な憲法であり、政治権力の正統性のすべてを規定する『憲法』として、重大な欠陥があるのです。
『主権』を欠いた国家はあり得ず、『憲法』は国民の名のもとに付託を受けた、国家の『主権』(に)おいて作り出されるものでなければならないのです。言い換えれば、『主権』が『憲法』を生み出し、『主権』が『憲法』を停止することもできるのです。それは『主権』という絶対的な権力が、人々の生命や財産を守るものだからであり、これが西洋近代国家の理論になっているのです」

法学部で憲法を学ぶ学生諸君。彼のこの文章を採点してみてはいかがかな。
(2014年6月24日)

沖縄戦「慰霊の日」に不再戦を誓う

沖縄県には、2か条の「沖縄県慰霊の日を定める条例」がある。1974年10月21日に制定されたもの。その全文が以下のとおり。

「第1条 我が県が、第二次世界大戦において多くの尊い生命、財産及び文化的遺産を失つた冷厳な歴史的事実にかんがみ、これを厳粛に受けとめ、戦争による惨禍が再び起こることのないよう、人類普遍の願いである恒久の平和を希求するとともに戦没者の霊を慰めるため、慰霊の日を定める。
第2条 慰霊の日は、6月23日とする。」

本日が、その沖縄県の「慰霊の日」。「その日は県はもちろん県下の全市町村とも閉庁となり、沖縄戦の最後の激戦地であった南部の戦跡地で『沖縄全戦役者追悼式』が行われます」(大田昌秀「沖縄 平和の礎」岩波新書)。

この日の慰霊の対象は全戦没者である。戦争の犠牲となった「尊い生命」に敵味方の分け隔てのあろうはずはなく、軍人と民間人の区別もあり得ない。男性も女性も、大人も子どもも、日本人も朝鮮人も中国人も米国人も、すべて等しく「その死を悼み慰める」対象とする。「戦争による惨禍が再び起こることのないよう、人類普遍の願いである恒久の平和を希求する」立ち場からは、当然にそうならざるを得ない。

味方だけを慰霊する、皇軍の軍人・軍属だけを祀る、という靖国の思想の偏頗さは微塵もない。一途にひたすらに、すべての人の命を大切にして平和を希求する日。それが、今日、6月23日。

6月23日は沖縄戦終了の日とされる。酸鼻を極めた国内で唯一の地上戦終了の日。第32軍(沖縄守備軍)司令官牛島満と長勇参謀長が自決し、旧日本軍の組織的な戦闘が終わった日をもって、沖縄戦終了の日というのだ。

私は、学生時代に、初めてのパスポートを手に、ドルの支配する沖縄を訪れた。右側の車線を走るバスで南部の戦跡を回った。牛島中将の割腹の姿を模したものという黎明の塔を見て6月23日を脳裡に刻した。沖縄戦は1945年4月1日の米軍沖縄本島上陸から牛島割腹の6月23日までと教えられた。

大田昌秀はこれに異を唱えている。終戦50年を記念して、知事として沖縄戦の犠牲者のすべての名を永遠に記録しようという「平和の礎」建設の計画に関連して語っている。

「さて、沖縄戦で亡くなられた方々のお名前を刻んでいこうとする場合に、沖縄戦がいつ始まっていつ終わったのかがはっきりしないと非常に困ります。ところが、その簡単に思えるようなことでも、意見が分かれているのです。」

大田は、1945年3月26日米軍の慶良間諸島上陸から、米第10陸軍沖司令官スチルウェル大将との間で降伏文書の正式調印がなされた9月7日までという。形式的な問題ではなく、そのようにしないと3月の慶良間諸島住民700人の集団自決強要の犠牲者や、6月26日久米島での地元の住民40人の死(その半数は日本海軍の兵隊によって殺戮されたと表現している)などが沖縄戦の慰霊対象から落ちてしまう、という(前掲書)。なお、大田は久米島の出身である。

毎日新聞「今日沖縄慰霊の日」の関連記事に、懐かしい顔の写真が掲載されている。端慶山茂君。司法修習同期の沖縄出身弁護士。1年4か月の東京での実務修習を一緒にした。国に対して法的な戦争責任を追求する訴訟を始めたと報道されている。

「沖縄本島で地上戦が本格化する前にも、日本の支配下にあったサイパンやパラオなどの南洋諸島に移り住み、米軍との戦闘(南洋戦)で命を落とした沖縄の人々が大勢いた。民間人2万5000人以上が死亡し、補償から外れた被害者や遺族も1万人以上いるとされるが、国の調査は行われておらず、実態は今も不明のままだ。23日は、沖縄戦の戦没者を弔う沖縄慰霊の日だが、南洋戦に巻き込まれた32人は、国に賠償を求めて那覇地裁で争っている。」という。

毎日の記事は、こう伝えている。
「南洋諸島には日本の植民地政策のもと、沖縄県を中心に約10万人の民間人が移住した。瑞慶山(ずけやま)茂さん(71)の両親も、沖縄からパラオのコロール島に移住した。1歳だった1944年夏、米軍の攻撃を受けて島から逃れようと一家が乗った船が沈没した。瑞慶山さんは母に抱かれて漂流中に救助されたが、3歳の姉はおぼれて亡くなった。後に母から聞かされたこの時の話が忘れられず、被害者を掘り起こして訴訟を起こすことを決意した。」

鉄の暴風と言われた沖縄戦のことはともかく、南方植民地の悲惨な経験については、彼から聞かされたことはない。確か北部の辺土名の出身と記憶している。パラオのできごととは結びつかない。当時は語るべく心の整理ができていなかったのではないだろうか。いまや、その訴訟がライフワークなのだろう。

訴訟は、「(国の)国民を保護する義務に違反した責任、戦争行為で民間人の命を危険にさらした責任、戦後70年近く損害の回復を怠った責任を問い、国に謝罪と1人当たり1100万円の損害賠償を求めている」という。

戦争の惨禍は国がもたらすもの。過去の戦争の被害については、端慶山君に倣って、徹底して国家の責任を追求しよう。そのことが、再びの戦争の惨禍を防止することにつながる。

今日は、「慰霊」の日。死者を悼み慰めることは、再びの戦争を絶対に繰り返さないと誓いを新たにすることでもある。集団的自衛権の行使容認にも、集団安全保障としての武力行使にも反対の意思を再確認する日だ。
(2014年6月23日)

寄席で考える政教分離

梅雨の晴れ間。久しぶりの池袋演芸場昼席。取り立ててお目当てがあったわけではないが、柳家さん喬が出ていた。これは儲けもの。「替わり目」の一席だったが、志ん生の「替わり目」とは違う、独自に練りあげたさん喬の世界が現出した。

寄席に出掛けて、来なきゃよかったと悔やんだことはない。芸人たちのプロとしての水準にいつも感心させられる。とりわけ今日は良かった。鈴本とは違った小さな小屋。演者と客との距離が近い。プロといえども、的確な客の反応に乗せられないはずはない。庶民が作りあげ、支えてきた確かな文化のかたちがある。

プロの演者がいて、何千という演目があり、定席がある。そしてなによりも、カネと時間を惜しまず寄席に足を運ぶ庶民がいて作りあげられている文化だ。一朝一夕にできあがったものではない。客の好みで噺は淘汰され、また新しく生まれてくる。落語を愛する庶民が健在である限りプロの噺家の輩出が途絶えることはない。今日の演者も介護士から転職したと自分を語った二つ目。就職列車で新潟から上京してきたことを語ったベテラン。噺家の個性は実に豊かだ。そして演目の重なりはない。漫才や切り紙などの色物も楽しかった。落語万歳。寄席の未来に幸あれ。

本日トリを執ったのは歌武蔵。ドスの利いた声で「ただいまの勝負について申しあげます」との開口一番で客を湧かせた。元は、武蔵川部屋の力士だったという変わり種。四股名は森武蔵だったとか。

長いマクラのあとに巨体の迫力が演じたネタは「宗論」だった。メジャーな噺ではないが、寄席にはよくかかる。今日の歌武蔵の宗論も出来のよい爆笑の連続。
原型は、真宗と法華の「宗論」を題材とした古典落語なのだという。それが、ご存じのとおりの、真宗門徒の大旦那の父親と、キリスト教信者の若旦那の熱烈な「宗論」に改作されて今日に至っている。信仰の対立は、伝統文化と新興文化の対立でもある。そして、「古い父親」と「新しい息子」の対立という図式。

父親が阿弥陀信仰のありがたさを語るが息子の耳にははいらない。替わって、息子がキリストのありがたさを語るのだが、これがかなりきついキリスト教への揶揄となっている。釈迦も阿弥陀もそしてキリストも、現代日本の文化の中では、安心して揶揄できるというお約束。仏教もキリスト教も成熟し、批判や揶揄を許容する寛容さをもつに至っている。

未熟な人や団体や文化は、批判や揶揄に過敏であり非寛容である。今日の池袋演芸場の客席にも門徒も信者もいたのであろうが、おそらくは他の客と一緒に笑うことができたであろうと思う。

しかし、「宗論」のレベルで、マホメットやイスラム教を揶揄することができるだろうか。筑波大学構内での「悪魔の詩訳者殺人事件」を思い出してしまうのは偏見だろうか。日本を離れた世界の各地で、宗教対立は想像を絶する深刻さ。

宗教・宗派の対立は実に厄介な問題。政治がこれに介入してはならない。宗教と権力とはお互いに相寄って利用し合おうとする衝動をもっている。この接近を許してはならないとするのが政教分離原則である。

「宗論」のストーリーでは、父親は、阿弥陀信仰を理解しようとせずキリストの教義を言い募る息子に業を煮やして殴りつける。息子は、いったんは「右の頬をおぶちになりましたね。左の頬もどうぞ」と言うのだが、「お父さん、本当に左の頬までやりましたね。もう我慢できない」と修羅場になってしまう。これは親子の間だからこその笑い話。権力が息子の信仰を弾圧したのでは、落とし噺にも、シャレにもならない。それこそシリアスなキリシタン弾圧の歴史物語。キリスト教への弾圧や社会の偏見がごく小さくなって初めて、「宗論」という落語が成立することになったと言えよう。

それにしても、真宗とキリスト教、どちらが正しいかなど論証不可能な世界での論争の行きつくところを示すストーリー展開である。お互い、相手よりも優越していることの説得などできはしないのだ。あの宮沢賢治でさえも、父親政次郎を真宗から日蓮宗に改宗させようと努力して、できなかった。第三者としては、どちらの信仰も尊重するとしか言いようがない。

「宗論はどちらが負けても釈迦の恥」というフレーズが出てくる。これは、当事者に対する戒め。第三者としては、「宗論のどちらに加担しても憎まれる」「触らぬ神に祟りなし」とするしかない。とりわけ権力者には、これが肝に銘ずべき教訓だ。

爆笑の中で、政教分離を考えさせられた「宗論」であった。
(2014年6月22日)

戦闘中の機雷掃海は積極的戦闘行為である

安保法制懇報告を受けての5月15日首相記者会見は今や指弾の的。リアリティのない状況設定をむりやりに拵えあげて、集団的自衛権行使容認のための世論つくりをねらった姑息なやり口と悪評この上ない。

とはいうものの、同日の記者会見の席上、首相は「自衛隊が武力行使を目的として湾岸戦争やイラク戦争での戦闘に参加するようなことは、これからも決してない」と確かに言った。これは集団安全保障への日本の参加はないことを明言したものである。さすがに集団的自衛権行使容認だけで手いっぱい、それ以上ははむりだと判断して先送りとしたのだな、そう了解した。

ところで、これまで当ブログは、わが国の首相の言動について、「悪徳商法セールスの才能豊か」「『コントロールとブロック』のウソでオリンピック招致を掠めとった」などと酷評してきた。だから、国民は軽々に危険なこの人物の言うことを信用してはいけないと警告してきたつもり。自分は欺されないとの思い込みを前提にしてのこと。

ところが、昨日(6月20日)の朝刊トップの見出しにおどろいた。「集団安保でも武力行使 政府自民容認へ転換」(朝日)、「集団安保で武力行使 政府・与党調整」(毎日)。与党協議を経ての閣議決定には、集団的自衛権行使容認だけでなく、集団安全保障における武力行使容認まで含まれるというのだ。えっ? 5月15日会見はウソだったか。私もころっと欺されていた。警戒心が足りなかった。

反省して、あらためて教訓を胸に刻んでおこう。
「安倍の話は、たっぷりと眉に唾を付けて聞け」

6月19日に突如として降って湧いたように、自民党は「国連の集団安全保障での武力行使にも自衛隊が参加できるようにすべきだ」と言いだした。こういうのを、「どさくさ紛れ」「火事場泥棒」というのではないか。いや、悪徳商法のあの常套手法、「高い値段をふっかけて、半値にまけて買わせる」ことを狙っているのだろうか。憲法がもてあそばれている。

これまでの与党協議では、自衛権の話しをしていたはず。「集団的自衛権とは『他国防衛のための武力行使を認める』ということ自衛とは無関係ではないか」などと議論していたはずが、自衛とも他衛とも無関係の、集団安全保障という「特定国に対する武力制裁の話し」にまで進行してしまっている。

「政府・自民党の提案は、安倍晋三首相が意欲を示すシーレーン(海上交通路)での戦闘中の機雷掃海を、集団的自衛権だけでなく、集団安全保障としてもできるようにするのが狙いだ」というのが各紙のもっぱらの見方。

「安倍首相は‥今月9日の参院決算委員会では、武力の行使には2種類あると説明。『爆撃を行ったり、部隊を上陸させて戦闘させたりする行為』である武力行使は行わない一方、『受動的かつ限定的な行為で性格を異にする』機雷掃海は行うべきだと主張した」という(6月21日「毎日・クローズアップ2014」)。自民党は「集団的自衛権の行使としての機雷除去が集団安全保障に切り替わったら継続できないのはおかしい」とも言っているようだ。ホルムズ海峡に敷設された機雷の掃海に争点が移ってきた如くである。掃海は受動的かつ限定的な防御行為であるのだから、集団的自衛権の行使としても、集団安全保障の武力行使としてであろうとも、最小限度性をクリヤーできるのではないか、と語られているわけだ。

同様の議論を20年前にたっぷりした経験がある。1991年の湾岸戦争の時のことだ。時の首相は海部俊樹。自民党の幹事長が小澤一郎だった。政府は海上自衛隊の掃海艇部隊をペルシャ湾に派遣した。戦後の日本にとって、はじめの海外軍事行動である。また、日本は多国籍軍に対して90億ドル(当時のレートで1兆2000億円)の戦費を負担した。

この掃海艇派遣と戦費の支出を差し止めようという1000人余の提訴が、市民平和訴訟であった。私が弁護団の事務局長を務めた。そのとき、なじみのない軍事用語に向き合った。掃海とか航路啓開の手法を学んだ。掃海艇がすべて木造船であること、機雷の種類も多種あって、海上自衛隊の掃海能力が国際的に高水準にあることなども初めて知って驚いた。このとき軍事知識の基本を教えてくれたのが大江志乃夫さん。大江さんがなによりも強調したのは、掃海あるいは航路啓開という行為は、海上の戦闘に不可欠で優れて戦闘そのものというべき積極的行為だということ。

防御行為と攻撃行為とは、常に一体としてある。戦闘行為の一部を切りとって、攻撃とは無縁の受動的な防御行為というのは詭弁に過ぎない。「攻撃こそ最大の防御である」とは言い古された言葉であり、「防御を固めておればこそ、強い攻撃に徹することができる」ことも理の当然である。しかし、掃海の戦闘行為としての積極性はそのレベルではない。

堂々たる大艦巨砲の進路を啓開するのが掃海艇の役割。いわば、掃海艇は、戦艦や駆逐艦、潜水艦の艦隊を後に従えて先頭を行く尖兵なのだ。爆撃機を護衛する戦闘機の役割を「防御」という者はない。掃海も同じことなのだ。だから、自衛隊による機雷掃海とは、まさしく積極的戦闘参加行為であって、これを「受動的・限定的」などという言い訳が通じるはずもなく、機雷敷設国から日本に対する反撃を覚悟しなければならない。

だから、湾岸戦争が終結する以前には掃海部隊の派遣はできるはずもないとされた。掃海艇が出航したのは、湾岸戦争終了後、PKO協力法に基づいてのことだった。戦争終結後は無主の浮遊物となった機雷の除去は戦闘参加ではないと確認してのことである。それでも反対世論は沸騰した。

しかしあの頃、「戦争終結以前に、多国籍軍の一員として、戦闘海域に自衛隊の掃海艇を派遣して多国籍軍艦隊の航路を啓開せよ」などという乱暴な議論は聞かなかった。いま、臆面もなくそのことが言い出されている。当時の「海部・小澤」と、今の「安倍・石破」との危険度の開きの大きさを痛感せざるを得ない。
(2014年6月21日)

卑劣な匿名言論ー都議会「セクハラ野次」

一昨日(6月18日)都議会本会議での「セクハラ野次」が大きな話題となっている。野次の議員を指弾する世論の盛り上がりには救われる思いがするものの、都議会議場の情けなさと事後処理のお粗末さには目を覆わんばかり。

「妊娠や出産に悩む女性への支援策について都側に質問していた女性都議に対し、『自分が早く結婚したらいいじゃないか』『産めないのか』などのやじが飛び、議会内外に波紋を広げている。女性を蔑視し議会の品位をおとしめる内容の発言に、業を煮やした超党派の女性都議25人全員が19日、再発防止を徹底するよう議長に異例の申し入れをした」(東京新聞)と報じられている。

同議員のツイッターに「リツイート」の数は2万件を超え、都の議会局には19日だけで、1000件を超える意見が電話や電子メールで寄せられ、ほとんどが「女性に対して失礼な内容だ」などの苦情や批判だったという。

議場の不規則発言をすべて封じ込めよという主張には与しがたい。議事を活性化させる野次はありうる。寸鉄人を刺す気の利いた野次もあろうし、議場を和ませるユーモアの発言もある。しかし、問題の野次は、議場の発言であろうとなかろうと許される類のものではない。複数の発言者だけでなく、「やじに同調する人がいたのが悲しい」と言った塩村都議にまったくの同感であり、都民の一人として恥ずかしい限り。都議会というところは、そのレベルでしかない品位に欠ける多数が巣くう場所なのだ。国会の野次も似たりよったり。おそらくは、これが日本の社会全体の縮図と受けとめなければならない。

朝日の報道では、「ヤジの議場 知事も笑み」との見出しで次のように報道されている。
「問題のヤジがあったのは18日の都議会。晩産化について質問した塩村氏に『お前が早く結婚すればいいじゃないか』『産めないのか』とヤジが相次いだ。議場に笑い声が広がるなか、働く女性の支援を掲げる舛添要一知事も笑みを浮かべ、塩村氏は議席に戻ってハンカチで涙をぬぐった。」

「やじは男性の声だったが、発言者は特定されておらず、名乗り出てもいない。『自民党議員席から聞こえた』との証言が複数会派からあり、塩村氏が所属するみんなの党は、幹部が抗議したが、自民幹部は『確認できていない』と取り合わなかった。」

自民党議員団と舛添知事とは、恥を知らねばならない。実は、このところの舛添知事の堅実な姿勢に、それなりの評価をしていたのだが、この「笑みを浮かべ」報道でご破算だ。これでは、石原慎太郎都知事と変わるところがない。

なにより問題なのは、「自民の吉原修幹事長は『自民の議員が述べた確証はない。会派で不規則発言は慎むように話す』と述べるにとどまり、発言者を特定しない意向を明らかにした」という自民党の姿勢だ。発言者の責任もさることながら、発言者の特定をしようとしない都議会自民党の姿勢が糾弾されなければならない。

表現の自由は最大限の保障を受けなければならない。「表現の自由が保障される」ということの意味は、当該の表現によって、誰かのあるいは何らかの価値を損なうことが許容されるということにほかならない。無意味なつぶやきや、誰かへの讃辞だけの言論について「表現の自由を保障する」意味はない。「表現の自由」とは、お上品に誰かを褒める自由ではなく、言論によって誰かを傷つける自由のことなのだ。そうでなくては、法がわざわざ自由を保障するとした意味が無くなる。

だから、言論には責任が伴う。責任の所在が明らかでない「無責任言論」「言いっぱなし言論」は、それだけで「表現の自由の保障」を受ける資格を欠くことになる。この原則を確認しておきたい。責任の所在を不明確にしたままの匿名言論は、無責任の極み、卑怯卑劣。無責任なヤジを飛ばしておいて名乗り出ることなく逃げ切ろうとは、選挙で選出された議員としてあるまじき態度。

仮にも有権者の信任を得ての都議たる者、自分の言論に無責任であってはならない。「お前が早く結婚すればいいじゃないか」「産めないのか」とヤジを飛ばした輩よ。まずは名乗り出よ。名乗り出でることによって責任の所在を明らかにせよ。その上で、堂々と所信を釈明し開陳せよ。そして、都民のあるいは国民の再批判に耳を傾けよ。選挙区の有権者は、あらためてヤジ議員の議員としての適格性を判断せよ。都議会自民党よ、調査して発言者を特定せよ。誠実に対応しなければ、卑劣な匿名ヤジを容認するものと指弾されざるを得ない。世論から同罪と見なされることを覚悟しなければならない。

付言しておきたい。「言論には責任が伴う」「匿名の言論は無責任」の原則は例外を伴う。その典型が、公益通報(内部告発)である。圧倒的な強者を指弾する言論においては、匿名言論を許容しなければならない。強者とは、権力者や経済的強者のこと。権力や企業に腐敗があり、あるいは経済的な強者に不正不当の言動があるときに、意を決してこれを社会に告発しようとする者に対して、「まずは告発者の氏名を明示して責任の所在を明らかにせよ」などと言うことは馬鹿げている。社会は、このような告発によって恩恵を被る。社会全体で告発者に不利を被らせることなく擁護し通さねば、次に続く有益な告発を期待することができなくなる。言論の場や内容によって、顕名言論の原則には例外が伴うことを確認しておかねばならない。

なお、今日(20日)の朝日朝刊の報道で意外な記事にぶつかった。
「ツイッターで『うやむやにするつもりか』と批判した都教育委員で作家の乙武洋匡さんは『今回のヤジはおもてなしと正反対。本当にこの街で五輪を開催できるのか』と述べた。」というのだ。驚かざるをえない。

乙武教育委員よ。あなたにも良識の持ち合わせがあるのだ。あなたも、自民党都議の卑劣な言論を指弾する意欲をお持ちなのだ。しかし、あなたご自身が、『うやむやにするつもりか』と批判されていることを自覚しておられるだろうか。

多くの都民、都立校の教員、被処分者、そして教育庁勤務経験者らが、「都教委の日の丸・君が代の強制は、思想や信仰の転向を求めるもの」「教育が国家主義のイデオロギーを教師と生徒に注入している」「信仰や民族・国籍が多様化している生徒の思想・良心を掣肘している」「10・23通達以来、都立高は教育の場としての活力を失っている」「国家ではなく生徒を主人公とした教育を取り戻すために、教育委員諸賢には現場の訴えに耳を傾けていただきたい」とくり返し要請している。しかし、これを一顧だにせず、無視し続けている都教委の在り方に大きな批判の声があがっている。このことをどうお考えか。

生徒・子どもに最善の利益を保障すべき都教委が、その正反対なことをしているのだ。そのことをくり返し指摘されながら、「うやむやにして、逃げ通すつもりつもりなのか」と批判されているのだ。あなたご自身が、高給を食んでいる教育委員の一人として批判されていることを自覚し、責任を明確にして応えなければならない。当然のことながら、地位ある者には、相応の責任が伴う。他人を批判するだけでなく、自らを省みて、批判に耳を傾けて欲しい。せめては、あなたの肉声で要請や請願に対するご回答をいただきたい。
(2014年6月20日)

集団的自衛権とは「先制攻撃」と「海外派兵」の権利だ

たまたま、「軍事研究」という月刊誌の最新号(2014年7月号)に目を通した。
普段は私に縁のない異界の専門誌だが、水島朝穂さんの愛読誌なのだそうだ。水島さんが、もう10年も前の「直言」に次のように記載している。

「私は、『朝雲』よりも1年早く『軍事研究』の定期購読を始めた。自宅書庫には、‥創刊号(1966年4月号)からの‥38年分がぎっしり詰まっている。‥一時期、正確には1973年7月号から1979年2月号まで、表紙の題字の下に『戦争のあらゆる要因を追求して人類恒久の平和を確立する』という言葉が掲げられていた。まるで『平和研究』誌である。軍事を語ることにそれだけイクスキュースが必要だったのだろう。

ところで、この雑誌で毎号まっさきに読むのがイエローページ、『市ヶ谷レーダーサイト』である。防衛庁が六本木にあったので、長らく「六本木レーダーサイト」といった。筆者は『北郷源太郎』。小名孝雄(『軍事研究』創設者)のペンネームと言われている。この人物は、北海道で『北方ジャーナル』というブラックジャーナルを主催。憲法学の世界では周知の『北方ジャーナル事件』の当事者である。この事件で最高裁判所大法廷は、『人格権としての名誉権』を基礎として、権利侵害を予防するための差止め請求権を承認し、これにより表現行為(この場合は雑誌という出版物)に対して差止めを行うことを一定の条件のもとで許容するという注目すべき判決を出している(1986年6月11日)。『市ヶ谷レーダーサイト』は、その小名の経験とセンスを遺憾なく発揮して、将官人事の動向から次期幕僚長候補、内局の人事異動まで異様に詳しい。」
水島さんにこれだけ論じてもらえれば「軍事研究」も本望だろう。私も、水島解説に大いに興味をそそられる。

最近号は、特集記事「ウクライナ侵攻作戦&中国原子力空母」で手にしてみたのだが、件のイエローページ「市ヶ谷レーダーサイト」に目が行った。タイトルは「安倍総理の防衛知識は大丈夫なのか?」。結論は、「姑息な手段に逃げないで、堂々と憲法改正をすべきである」だが、その過程になかなか注目すべきことが書いてある。

注目すべき第1点は、「安倍総理の防衛知識は大丈夫なのか?」の内容。
「安倍総理は5月15日の記者会見で、集団的自衛権行使容認の必要性とその為の憲法解釈の変更の必要性を、自らパネルを使い熱弁をふるって説明した。‥驚くべきは二つに絞ったパネルの内容である。一つは避難邦人を乗せた米輸送艦を日本の護衛艦が護衛できないというもの。もう一つは海外派遣されている自衛隊がテロリストに襲撃されたNGOを救援できないというもの。小保方先生の実験ノートにも驚かされたが、このパネルはそれに匹敵するほどお粗末な代物だ。‥隣国で有事となり逃げ遅れた邦人を救出しなければならない場合で、米輸送艦を護衛するための護衛艦を派遣できる環境と余裕があるのなら、なにも米輸送艦に頼む必要など最初からないのであって、海自の輸送艦やチヤーター船を派遣すればいいのではないだろうか。そもそも米輸送艦が邦人を輸送するというケースなどあるのだろうか。少なくとも日米安保条約上の義務として米軍がそうする義務はまったくないし、軍事的合理性から見てもそのようなことはしないだろう。次のNGO救援も然り。‥また良く喧伝されるグレーゾーンについても治安出動や海警行動で対処できるものばかりである。」

注目すべき第2点が、軍事研究専門家から見た、集団的自衛権概念の捉え方である。
「巷の意見を聞いても、集団的自衛権の行使ができなければ日本の防衛が心配だという声となって来る。しかしそれは集団的自衛権を、日米が集団となって自衛しようという権利とでも誤解しているに違いない。集団的自衛権とはあくまで集団になって防衛する権利ではなく、『武力攻撃を受けた国が自国と密接な関係にある場合に、これをもって自国の平和と安全を侵害するものと認め、被攻撃国を援助して共同防衛に当たる権利』である。平たく言えば自ら攻撃されてなくても侵略国を攻撃する権利だ。即ち憲法9条で禁止された戦力にはできても防衛力にはできない『先制攻撃』と『海外派兵』をすることなのである」

敢えて繰り返す。集団的自衛権を、「日米が集団となって自衛しようという権利」などと誤解してはいけない。集団的自衛権とは、「武力攻撃を受けた国が自国と密接な関係にある場合に、これをもって自国の平和と安全を侵害するものと認め、被攻撃国を援助して共同防衛に当たる権利」なのである。ここまでは、平凡で平板な記述。目を惹くのは、「平たく言えば」以下の底意。「自ら攻撃されてなくても侵略国を攻撃する権利だ」。もっと具体的には、「憲法9条で禁止された戦力にはできても防衛力にはできない『先制攻撃』と『海外派兵』をすること」だという。つまるところ、集団的自衛権とは現行憲法では認められない『先制攻撃』と『海外派兵』をする権利なのだ。

少し、コメントを加えたい。「自ら攻撃されてなくても侵略国を攻撃する権利」は不正確であろう。集団的自衛権行使の相手国は、「侵略国」である必要はない。「武力攻撃を受けた国」で十分なのだ。ベトナムがアメリカに対する侵略国だから、わが国がベトナムに対して集団的自衛権としての武力行使が可能となるわけではない。アフガン、イラクについても同様。集団的自衛権行使が、「侵略国」を相手にする場合にだけ認められるというロジックはありえない。

集団的自衛権とは、具体的には「憲法9条で禁止された戦力にはできても防衛力にはできない『先制攻撃』と『海外派兵』をすること」と喝破しているのは炯眼というべきである。水島さんが、筆者の「経験とセンスが遺憾なく発揮」されていると言うのもむべなるかな。

憲法9条(2項)は「陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない」と定めている。憲法によって保持を禁じられた「戦力」とは、「自衛権行使のための最小限度」を超過する実力を意味する。集団的自衛権の行使を容認するとは、「自衛のため」の実力という制約を取り払うこと。それは、自衛力(この記事では「防衛力」)ができなかったことを可能とすること。現行憲法では禁止された「戦力」を保持することであり、自衛力では突破できなかった『先制攻撃』と『海外派兵』を可能とすることなのだ。

筆者北郷源太郎は「だから、今の憲法のもとではできない。堂々と国民に信を問う手続を踏んで憲法改正をすべきだ」と言う。
私は、「今の憲法のもとではできない。姑息な解釈改憲は許されない」点には同意する。しかし、「だから、堂々と、明文改憲をすべきだ」という見解には、到底賛成できない。「先制攻撃」も「海外派兵」も許さぬ憲法を守り抜こう。
(2014年6月19日)

集団的自衛権とは「戦争をしかける権利」のこと

有楽町駅頭をご通行中の皆様、ご紹介いただきました東京弁護士会憲法問題対策センター委員の澤藤と申します。ただいま、東京弁護士会会長、第二東京弁護士会会長以下、集団的自衛権問題で、弁護士が駅頭の訴えをさせていただいております。しばらくお耳をお貸しください。集団的自衛権問題を解説している日弁連のリーフレットを配布しています。ぜひ、お手にとってお読みください。

「集団的自衛権」とは何でしょうか。なぜその行使を容認し得ないのでしょうか。このことを分かりやすくどう訴えたらよいのか、永く考え続けてきて、少しずつ自分なりに考えが整理されまとまってきました。

集団的自衛権には、権利の「権」が付いています。いったいどんな権利というべきでしょうか。「自衛権」なら分かりやすい。「戦争をしかけられたときに、やむをえない範囲での反撃として武力を行使する権利」。このように説明して、誰にでも理解してもらえると思います。しかし、集団的自衛権の方は、自国が攻撃されていない場合を想定しているのですから、明らかに自衛のために武力を行使する権利とは違うもの。分かりにくいこと、この上ない。

自衛のためにするものではない武力の行使とは、「戦争をしかける」ことにほかなりません。自衛権の行使ではない武力の行使を権利とする集団的自衛権とは、結局のところ「戦争をしかける権利」だと言わざるを得ません。ですから、わが国が集団的自衛権を発動して武力を行使した場合、武力行使をしかけられた相手国は、当然に自衛権を行使してわが国に武力をもって反撃する権利を取得することになります。これはわざわざ危険を招き寄せる愚行というべきではないでしょうか。

戦争は、仕掛ける国があって始まります。これまで、わが国は専守防衛に徹することを頑なに宣言し続けてきました。現実にわが国が攻撃をしかけられた場合にだけ自衛権を発動する、そのための自衛隊だという原則を守ってきました。絶対に戦争を仕掛ける国にはならないとしてきたのです。ところが、集団的自衛権の行使容認とは、その原則を投げ捨てて、「日本が戦争を仕掛けることができる国になる」ということなのです。集団的自衛権とは、「戦争をしかける権利」のこと。安倍政権はいま、その「他国に戦争をしかける権利」を手に入れようとしているのです。しかも、国民の意思も国会の意思さえも問うことなく、閣議決定による一内閣の憲法解釈変更をもって、憲法をねじ曲げてしまおうということなのです。

なぜ、集団的自衛権行使を容認し得ないのか。それは憲法が「他国に戦争をしかける権利」など認めていないことが明らかだからです。集団的自衛権行使とは、積極的に戦争を仕掛けることであり、平和を破壊する行為そのものだからです。日本国憲法をどう読んでも、集団的自衛権の行使を認める余地はありません。

この世には戦争をしたい人が確実にいます。戦争間近の緊張関係を歓迎する人は、もっと数が多い。一部の人にとっては、兵器の調達で莫大な儲けを掴むチャンスです。また、戦争とは領土を保全し、市場を獲得し、資源を確保するために有効な手段だと信じられてもいます。景気を刺激する手段として有効だとも考えられています。国内の諸矛盾や国民の不満を、戦争の熱狂をもって一気に逸らして解決する手段として魅力的でもあります。鬱屈した国民の気分を刷新し統合するために、あるいは売名意欲の高い者にとっては、功を遂げ、歴史に名をなす絶好のチャンスだともとらえられています。

しかし、まだ、さすがに、時代の空気は、大っぴらには「戦争しましょう」と呼び掛けることを許してはいません。そんな呼びかけは、安倍首相といえども躊躇せざるをえません。そこで、戦争をしたい人々は、国民に向かってこう言うことになります。
「危険な敵性国が、どんな出方をしても直ちに武力対応できるように準備怠りなくしておきましょう」「万全の想定の下、万全の武力行使の準備を整えておくことが安全で安心につながる方策として納得いただけますよね」。

実は、これこそ、戦争を招き寄せる危険な言動ではないでしょうか。近隣諸国を敵性国と規定して、その適性国がわが国に危険な行為をするであろうと大っぴらに公言して、対処の方法を整備する。これは挑発以外の何ものでもありません。近隣諸国の側から見れば、こうなるはずです。
「日本は平和主義を捨てたのだ」「日本は、自国が攻撃を受けなくても他国に武力攻撃をする決意を固めつつある」「それなら、日本がどんな出方をしても直ちに武力対応できるように準備怠りなくしておかなければならない」「そのように準備しておかねば安全も安心もない」。

このような危険な負のスパイラルを断ち切らなければなりません。安倍内閣がやっていることは、危険極まりないものと言わねばなりません。

私たちの国は69年前に、戦争の惨禍の反省の上に、再び政府の行為によって戦争の愚を繰り返さぬことを誓って再生しました。平和を大切にしよう。戦争は絶対に繰りかえしてはならない。そのために、「陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない」と憲法で決めたのです。自衛権の行使であればともかく、自国が攻撃されてもいないのに、「他国に戦争をしかける権利」など、日本国憲法の下で認められるはずがありません。集団的自衛権の行使を容認する余地のないことが明らかです。

安倍内閣は、今国会会期中にも閣議決定で憲法9条の解釈を変更して集団的自衛権行使を容認しようとしています。これは、憲法改正の手続を踏むことでの改正の自信がないからです。そのような姑息な手段での、憲法の破壊、平和の放棄を許してはなりません。

この安倍内閣の危険なたくらみを許すのか否か。最終的に決めるのは、主権者国民です。明日が今日に続く平和でありますように、「安倍内閣の集団的自衛権行使容認ノー」、「閣議による解釈改憲を許さない」「他国に戦争を仕掛ける権利を認めてはならない」という声を大きく上げていただくようお願いいたします。
(2014年6月18日)

国軍の本質は国家の存立を擁護するにあり。他国の戦いにはせ参ずるごときはその本質に反す。

正午ころ、ぽとりと郵便受けに投函されたものがある。封筒に入った「坂のまちだより」。毎月欠かさずに届けられるが、ポスティングする方をお見受けしたことはない。

「坂のまち」とは、文京の町の異名。本郷台、白山台、小日向台、小石川台、関口台などの台地の尾根と、元々は谷や川だった道路とを結んで多くの坂がある。名前のついている坂の数が120を超えるとか。

その「文京」の、「九条の会」機関紙が「坂のまちだより」。手作り感、地元密着感が魅力のA4・1枚に裏表の印刷物。題字は、芝増上寺法主の八木季生さんの筆になるもの。それに、「『憲法は宝』文京の町から憲法九条の声を響かせます」との惹句が添えられている。

今号の一面は、内藤功さんの「集団的自衛権の問題について」の寄稿。紹介に値するものとして、以下に一部を抜粋する。

「集団的自衛権とは、『自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利』です。『自衛』ではありません。『他衛』です。憲法9条の下で、集団的自衛権行使が許されるわけはありません。

1939年当時、海軍省軍務局長として、日独伊軍事同盟に反対した井上成美大将は、1946年1月、海軍将官の反省会で語っています。『国軍の本質は、国家の存立を擁護するにあり。他国の戦いにはせ参ずるごときは、その本質に反す。第一次大戦に日本が参戦せるも邪道なり。たとえ同盟軍が、他より攻撃された場合に於いても、自動的参戦は絶対に不賛成にして、この説は堅持して譲らざりき』

集団的自衛権行使を許せば、自衛隊が海外で『武力行使をしない』『戦闘地域に行かない』という二つの歯止めは外され、自衛隊が『戦闘地域で』『戦闘に従事する』ことになります。」

内藤功さんは、1945年4月奈良県の海軍経理学校橿原分校入校という経歴をもつ。本土決戦に備えて、棒地雷を持って戦車に飛び込む自爆攻撃の訓練をしていたという。銃剣術の訓練では、南方の陸戦隊帰りの兵曹長が「内地ではこんなワラ人形でやってるが、戦地では、捕虜を突いている。心臓を一撃で刺す。エグルように抜く」と話していたそうだ。

その内藤さんにとって、「最後の海軍大将・井上成美」の言葉は当時に於いて重い響きをもっていたにちがいない。その人の言葉が68年の時を経て、今、安倍政権の下において、新たな意味をもって生き返ることとなった。

井上は、こう言っている。
安倍政権は国軍の本質を知らない。国家の存立を擁護することこそその本質的任務であって、国家の存立を擁護することと無関係に、他国を侵略することも、他国の戦いにはせ参ずる集団的自衛権行使のごときも、国軍の本質に反する。第一次大戦に日本が参戦せるは邪道であったが、今また安倍政権はその邪道に一歩を踏み出す過ちを犯そうとしている。たとえ同盟軍が、他より攻撃された場合に於いても、我が軍の参戦は絶対に不賛成にして、この説を堅持して譲ってはならない。

いま、井上成美が世にあらば、安倍晋三をしかり飛ばしたであろうか。はたまた精神注入棒で活を入れたであろうか。いや、諄々と不心得を説きあかしたであろうと思われる。

「たより」の読後、確かに、文京の町に響いた憲法九条の声が聞こえた。
(2014年6月17日)

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