しばらくぶりで、師走の上野「鈴本」に。トリは、五街道雲助の「二番煎じ」をたっぷり。みごとな話芸を堪能したという満腹感に浸った。客の入りはまことに閑散。それでも、色物を含むすべての出演者が熱演。まったく手抜きがない。これが、プロのプロたる凄さ。感心しきりである。
印象に残ったのは、2人の演者がマクラで猪瀬の醜態に触れたこと。1人は、「猪瀬さん、目が泳いでいますね。あんなに目が泳いでいる人を見たことがない」と、嘲笑気味。もう1人は、「今、みんなで楽屋のテレビを観ていたんですがね。猪瀬さん、たいへんですね。あの人は、オリンピックまでは自信ありげだったんですがね」と、ややマイルドながら、突き放した語調。
猪瀬の政治生命は既に終わっているというほかはない。すっかり、「金に汚い」「人に厳しく自分に甘い」「潔さがない」「嘘つき」「打たれ弱い」「やましさを隠せない」というイメージが定着した。どこに行っても、このイメージがつきまとう。これでは都知事は務まらない。いや、普通の社会生活も無理だろう。
私の関心は、猪瀬の政治生命よりは、犯罪の立証如何にある。
本日付の赤旗が、「市民・学者ら31人 猪瀬都知事を告発」の記事を掲載している。告発は、「徳洲会提供の5000万円はヤミ献金」として、「公職選挙法(選挙運動費用収支報告書への虚偽記入)や政治資金規正法(規正法の上限額を超える寄付の受領)に違反する」という内容。
告発状は、猪瀬都知事が「個人的な借入金」などとの弁明は到底信用できないとして、「選挙運動費用収支報告書や政治資金収支報告書、資産報告書のいずれにも「借入金」の記載が一切ない」ことを重要な問題と指摘している。
そのうえで、「当時、副知事で知事候補者でありながら、ヤミ献金を受け取り、徳洲会の捜索がなければ秘密裏に巨額の金を受領したままであったはずであった。疑惑を報道されて以降、説明を二転三転させており、罰則のない『個人的な借入金』で終わらせようとしている。責任回避態度も悪質である」と批判。事件の真相解明のために東京地検に徹底した捜査を求めている、という。
公職選挙法や政治資金規正法違反の確実なところから捜査を開始して、徹底して「真相解明」を望むという趣旨と解される。徹底した真相解明とは、収賄罪の成立を意味するものであろう。
猪瀬5000万円収受問題が、かくも世人の関心を惹いているのは、けっして「公職選挙法(選挙運動費用収支報告書への虚偽記入)や政治資金規正法(規正法の上限額を超える寄付の受領)に違反する」からではない。「副知事だからこその5000万円の提供であり収受であったはず」、あるいは「都知事になろうとする人物であったからこその金のやり取りだったはず」という、職務に金が絡んでいる疑惑が問題とされているのだ。
賄賂罪の保護法益は、一般に「公務員の職務の公正とこれに対する社会一般の信頼」と解されている。既に、職務の公正に対する社会的信頼は深く傷ついている。猪瀬の行為は、収賄罪成立の有無を徹底して追及しなければならない疑惑となっている。
5000万円の金は猪瀬がもらったもので、徳洲会に捜査の手が伸びてやばくなってから返した、と見るのが常識的な線だろう。しかし、仮に借りたものとしても、無利息での融資の利益は賄賂に当たる。「賄賂」性の充足は問題がない。
問題は、この5000万円が職務に絡んだ金と言えるかどうか(職務関連性の有無)ということ。当時、副知事であった猪瀬の5000万円収受が単純収賄罪(刑法197条1項前段)になるかは、5000万円の授受と副知事の職務との関連性の一点につきる。
同条は「公務員が、その職務に関し、賄賂を収受し、又はその要求若しくは約束をしたときは、5年以下の懲役に処する」というもの。単純収賄には「請託」も不要。加重要件としての「不正行為」(「徳洲会への便宜供与」)も不要。「職務関連性」だけがあればよい。
ちなみに、請託を受けて、徳洲会への便宜供与があった場合には、197条の3の1項あるいは2項によって、「1年以上の有期懲役」と法定刑が格段に重くなる。
また、猪瀬が知事として賄賂を収受したとの構成だと、知事になる以前のことだから事前収賄罪(197条2項)となる。職務関連性の認定は容易だが、これには請託の要件が必要となる。現在報じられている範囲での情報では、請託は出てきていない。
既に報じられているとおり、徳洲会が2010年に西東京市に開設した介護老人保健施設「武蔵野徳洲苑」の建設に当たり、都は7億2300万円の補助金を支出。昭島市の「東京西徳洲会病院」にも1億3400万円を出している。徳洲会は15年2月に、武蔵野徳洲苑の隣接地に「武蔵野徳洲会病院」を開院予定で、同院も夜間救急患者の受け入れなどで補助対象となり得る。以上の許認可や補助金支出が、副知事としての猪瀬の職務に関連するかどうか、ここがポイント。この視点から、この件に関心を持ち続けたい。
それにしても、選挙は徹底してクリーンでなくてはならない。候補者も選対もである。選挙に関して、運動員に金を渡したり、つまらぬ金を受けとったりしてはならない。この教訓を噛みしめなくてはならない。
(2013年12月10日)
「日の丸・君が代」強制問題の院内集会に、多数ご参集いただきありがとうございます。「国旗国歌強制は、秘密保護法問題と根は一つ」。その根とは、主権者である国民が、あたかも行政の僕のごとくに扱われてはならない、ということだと思います。
特定秘密保護法は、行政の思惑一つで情報を規制することができる仕組みです。国民には、当然国会にも、行政が許容する範囲の情報を提供することで十分だという、国民主権原理を蹂躙する基本思想で成り立っています。行政の情報操作は、国民と政府、国家と行政との力関係を根底から覆すものとなります。
国旗国歌強制の問題も、国が国民に対して「国への敬意の表明を強要する」ことを意味します。本来、行政が主権者に対して、国への敬意表明の強制などできることでははない。ここにも、主権者国民と行政との関係において発想の逆転があります。
石原慎太郎教育行政が、10・23通達を発して教職員に対する「日の丸・君が代」強制を始めて以来10年。法廷闘争の弁護団に参加してまいりました。当初、「日の丸・君が代」強制を違憲という根拠の柱の一つとして、国民の思想良心の自由侵害、つまりは憲法19条違反を立て、最初の事件の地裁段階では違憲判決を勝ち取りました。当然のことと胸を張ったものです。
ところが、その後間もなく言い渡しになった最高裁ピアノ判決がこれをひっくり返しました。以来、憲法19条論では、1件も違憲判断が出ていません。最高裁で二人の裁判官が少数意見として違憲論を述べているにとどまっています。そのお二人も、今は退官しました。
もちろん、19条違反の主張を撤回はしませんが、実務家としては、勝ち目のないことを繰り返しても能のない話し。そこで考え出したのが、国旗国歌強制は立憲主義違反だ、というよりラジカルな論法です。日の丸・君が代という固有の歴史をもった旗や歌に着目するのではなく、国旗・国歌という「国の象徴」への敬意の表明強制は、とりもなおさず、国家という存在を、主権者たる国民の上位に位置づけるものとして、価値倒錯であり背理であって、その強制は憲法上許容されない。というものです。憲法19条論については、最高裁は一応の理屈を付けてこれを斥けいますが、立憲主義違反の方には、何の応答もないままです。
そこに、自民党の改憲草案が発表されました。その草案3条は、国民に国旗国歌尊重義務を課しています。この自民党案は、まさしく現行憲法の構造を根底から覆すもの。近代立憲主義の大原則に挑戦するものにほかなりません。
近代立憲主義について述べておきたいと思います。
近代憲法は市民革命の所産です。近代憲法の骨格は、市民革命の精神に則った、次の2点にあります。
(1) 個人の尊厳を至高の価値とすること(基本的人権の尊重)
(2) この価値を侵すことのないよう国家機構を整備すること
これを1789年フランス人権宣言(「人と市民の権利の宣言」)16条は、「権利の保障が確保されず、権力の分立が定められていないすべての社会は、憲法をもたない」と定式化しています。
つまりは、「個人主義」(国家や集団ではなく、個人にこそ価値の源泉がある)と、「自由主義」(国家の干渉から国民の自由は保護されねばならない)の政治原理を基調として、「主権者(憲法制定権力)としての国民が、国民の基本権を擁護する目的で、国家の権力を制約すべく国家に対する命令の体系としての憲法を制定する」という法原理が「立憲主義」と言って良いと思います。
当然に、「日本国憲法」も近代憲法の正統の系譜に連なっています。我が憲法が最も関心をもつテーマは、「国民」と「国家」との関係であって、その関係あり方は国家が国民の人権を侵害してはならないこと、最大限擁護し国民に奉仕すべきとするものにほかなりません。
あくまで「主」は国民。国家は「従」の地位にあるのです。そもそも、国家は国民が、その便宜のために拵えたもので、国民が創造主、国家は被造物でしかありません。
「日本国憲法」においては、国民からの国家(ないしはこれを司る公務員)に対する命令の体系という構造が貫かれています。このことを端的に表現しているのが、99条の公務員の憲法遵守義務です。
自民党の「日本国憲法改正草案」は、「国民に対する憲法遵守義務」を課する点で、近代憲法の立憲主義を放棄するもの。つまりは、「憲法が憲法でなくなる」事態をもたらすものと言わざるを得ません。
自民党改憲草案第3条の国旗国歌条項もこのことと軌を一にしています。
「第3条1項 国旗は日章旗とし、国歌は君が代とする。
2項 日本国民は、国旗及び国歌を尊重しなければならない。」
この1項は、憲法に定める必要のないことです。憲法にこう書いてはいけないというものでもありませんが、本来の憲法事項ではありません。
問題は2項です。これは、明らかに憲法にこう定めてはならないことです。憲法の基本原則に反する規定として「違憲の憲法条項」と言わざるを得ません。この「改正」は、憲法96条の改正手続の限界を超えて許されないものと言うべき代物です。
国旗国歌は国家の象徴であり、「国旗国歌=国家」の等価関係が成り立ちます。
国旗国歌の尊重義務とは、国民に対して国家を尊重すべき義務を設定するもの。これは、立憲主義の構造からの主従の逆転であり、憲法価値の倒錯というほかありません。個よりも集団を、国民よりも国家を重要視するイデオロギーとして、国家主義・ファシズムの思想と言って差し支えありません。日本国憲法が、絶対に認めることのできない思想です。
1999年制定の「国旗国歌法」は、国民に国旗国歌の尊重義務を課してはいません。したがって、違憲の問題が起きませんが、それでも、その政治的効果は甚大です。万が一にも、自民党改憲草案が実現した場合には、その影響には恐るべきものがあると考えなければなりません。
戦前、国民の思想統制に猛威を振るったのが治安維持法。治安維持法の法文では、取り締まりの対象は「国体を変革し、私有財産制を否定する目的の結社」でした。つまりは、天皇制否定思想と共産主義を弾圧対象としたのです。しかし、弾圧されたのは共産主義・共産党だけではありませんでした。社会民主主義も、自由主義も、反戦平和の運動も、宗教団体も、天皇制ファシズムに邪魔な存在は根こそぎ弾圧の対象になったのです。
特定秘密保護法も同じ。秘密の範囲は、際限なく広がることを防げません。私たちは、権力や政権を信用してはならないのです。ましてや、好戦的な安倍政権。国防軍をもつための改憲をたくらむ安倍政権ではありませんか。こんな最悪政権に、最悪の法律を持たせてはなりません。
「戦争は秘密から始まる」。「戦争準備には軍事秘密保護法が必要」なのです。軍国建設のために必要な秘密保護の法律を与えてはならない。同様に、国旗国歌の尊重義務も、軍国主義建設に不可欠のものと指摘せざるを得ません。
特定秘密保護法の制定も、国旗国歌尊重の設定も根は一つ。立憲主義からの逸脱であり、その強行の影響は、いずれも軍国主義をもたらすものと考えなければならないと思います。
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さて、本日(12月9日)は、特定秘密保護法成立後初めての「本郷三丁目交差点・昼休み街宣行動」。およそ20人ほどの人が参加して、怒りを燃やしてマイクを握り、新しいビラを撒いた。通行人に、あきらめないで怒りを持続させようとの訴え。
ところで、特筆すべきは、本日の行動に、2人の方が飛び入り参加をしてくれたこと。「ツィッターを見ての参加」だという。お二人とも、マイクを握って訴えた。ツィッターって凄いんだ。
なお、本郷三丁目交差点の昼休み行動は、今週は11日(水)と13日(金)で、一応締める予定。その後、おそらくは「本郷・湯島九条の会」の活動として、特定秘密保護法に限らない諸課題での、定期的な行動を継続することになるはず。地元の町内会長さんが、「九条の会」の会長さん。今日も、街宣行動にお顔をみせていました。こうでなくっちゃ。
(2013年12月9日)
昨日の「朝日川柳」に「秘密成っていよいよ8日真珠湾」という秀逸句が掲載されている。12月6日深夜に特定秘密保護法が成立し、その憤激治まらぬうちに太平洋戦争開戦の日を迎えた。1941年12月8日未明(現地時間7日・日曜日)帝国海軍は、宣戦布告ないままに、ハワイ・真珠湾を奇襲して「赫々たる戦果」をあげた。アメリカ国民は、「リメンバー・パールハーバー」を合い言葉に、リベンジを誓った。
我々も、「リメンバー・秘密保護法」を合い言葉にしよう。安倍政権と自・公の与党が攻撃したものは、国民の知る権利であり、議会制民主々義であり、国民生活の平穏であり、平和である。彼らは、主権者国民に奇襲をかけ、国民の権利侵害に「赫々たる戦果」をあげた。
奇襲を受けたアメリカが復讐を遂げるまでには3年8月を要した。我々が安倍政権へのリベンジをなし遂げるには、それほどの年月は要らない。最も遅くても、3年後の12月には総選挙がある。その前に、参院選も統一地方選挙もある。衆議院の解散だって大いにあり得る。安倍政権が抱えるアキレス腱は、多様なのだ。
昨日から本日にかけて、各紙の見出しに躍る文字に、記者の怒りが込められている。
「拙速」「愚挙」「暴挙」「暴走」「強引・独断」「数の傲り」「追随」「欠陥法案」「悪法」「欠陥審議」「議会の劣化」「安倍ファシズム」「いつかきた道」「危機」「監視社会」「実質改憲」「戦前ほうふつ」「戦争する国へ」。そして「怒り」「許さない」「忘れない」「あきらめない」「撤廃」「連帯」「法廃止へ」「広がる反対」「声をあげ続けよう」である。
この国民の怒りは75日では鎮まらない。特定秘密保護法問題に続いて安倍政権が強行しようとしていることは、まずは集団的自衛権行使容認や、国家安全保障基本法提案、普天間の辺野古移設、防衛大綱、オスプレイなどの安全保障問題がひしめいている。それだけではない。TPP問題があり、消費増税があり、原発再稼動や原発輸出があり、教育書検定の強化があり、そしてアベノミクス崩壊の危機がある。
既にあちこちから、「特定秘密保護法廃止に向けた運動に取り組もう」という積極的な提案がなされている。久しぶりの国民運動の盛り上がりは、容易に退きそうにはない。新たな運動として持続しそうな心強さがある。
ところで、「この悪法廃棄のために広範な市民が原告となって大規模な訴訟を提起してはどうか」「裁判所で違憲判決をとれないものだろうか」という質問を受ける。さて、どうだろうか。
質問者のイメージは、多くの市民が原告となって、裁判所に「特定秘密保護法第○条の無効を確認する」という判決を求めて訴えを起こそう、というもののようだ。憲法21条の表現の自由を圧殺する特定秘密保護法の条項は明らかに憲法違反なのだから、そのような判決を言い渡すのが違憲立法審査権を与えられた裁判所の使命ではないか、という言い分。
しかし、訴訟の提起には、原告に具体的な権利侵害があったこと(あるいはその恐れがあること)を必要とする。具体的な権利侵害なくして、「特定秘密保護法は違憲」と主張し、「それゆえの無効確認」を求める請求は不適法で訴訟として成立しえない。簡単に却下されてしまう。
一般市民が、特定秘密保護法の違憲性を争う行政訴訟や国家賠償請求訴訟を提起することは、通常の法律家の感覚からは「到底不可能」というしかない。しかし、どうしても「広範な市民を原告とする違憲訴訟」を構想するとなれば、まったく策がないわけでもなかろう。
まずは集団で情報公開請求をする。この情報公開請求が、特定秘密保護法上の特定秘密に該当することを理由として「不開示決定」あるいは、情報公開審査会での「不開示裁決」となった場合に、この不開示の処分や裁決の取り消しを求める行政訴訟の提起は可能である。その訴訟では、不開示の理由となっている秘密指定の根拠法である特定秘密保護法の違憲を争うことが可能である。
訴訟を起こせるのは情報公開請求者に限られるが、多くの人が共同で情報公開請求をすることによって、「広範な市民を原告とする違憲訴訟」を構想することが不可能ではない。もっとも、どのような情報公開請求をするかが、最大のポイントになる。そのような秘密の材料を探り当てるのはたやすいことではなく、平和的生存権の侵害を根拠として集団で国家賠償請求訴訟を提起するような分かりやすいものにはならない。
特定秘密保護法廃棄を求める運動の手段として裁判所の利用も一つの可能性としてはありうるということ。しかし、民意を選挙に結実させることが運動の本筋だろう。これだけの悪法。本筋が通らぬはずはない。
(2013年12月8日)
稀代の悪法「特定秘密保護法」が成立となった。
憤懣やるかたない。改めて安倍政権の暴挙に怒りをぶつけたい。安倍晋三も、森雅子も、この悪法とともに歴史に悪名を残すことになろう。
実のところは、落胆もしている。この国は、本当におかしくなってしまったのではないか。これから先を考えると暗澹たる思いを拭えない。
啄木の歌が思い起こされる。
「地図の上 朝鮮国にくろぐろと 墨をぬりつつ秋風を聴く」
1910年、この年の5月から大逆事件の逮捕が始まり、8月29日に日韓併合となっている。その年のもの。時代の暗さを受けとめた詩人の心象風景が、今日は良く分かる。
しかし、啄木自身の時代への抵抗は精神的なものにとどまった。組織に属することはなく、社会に影響する行動もしていない。彼自身が、「ヴ・ナロード」と叫んではいないのだ。100年後の我々は、啄木とは異なる。多くの人とともに、デモをし、シュプレヒコールをあげ、街頭で訴えてきた。なによりも、志を同じくする議員を国会に送ってもいる。そして、これで終わりではない。運動は明日も続くのだ。啄木の感傷に同感してばかりはいられない。
客観的に冷静に事態を振り返れば、法案に反対する勢力は敗れはしたがよく闘った。意義のある闘いに、実のある成果すらあげた。安倍政権と自・公の両党は、法案をゴリ押しして成立させはしたが、深手を負ってのこと。国民に、彼らの危険な本性を見せつけたではないか。ありとあらゆる各界の広範な人士から非難囂々の醜態をさらしたではないか。法案の内容の危険だけでなく、この理不尽なゴリ押しの過程が政権の反憲法的な危険性を露わにした。自・公という政党の体質の非民主主義的な体質の危険までが明瞭となった。政権と与党に、法案成立のプラスと、世論から指弾のマイナスとを計算すれば、損得勘定の帳尻があったはずはない。
第1次安倍政権の歴史を思い起こそう。高支持率で調子に乗って、教育基本法改悪や改憲手続き法制定などに「安倍カラー」を発揮して、急速に国民からの支持を失ったではないか。そして2007年参院選で歴史的大敗を喫して政権を投げ出し、史上最高の「みっともない退陣」劇を演じたのが安倍晋三だったではないか。
今回、安倍政権は、真っ当なジャーナリズム、心あるジャーナリスト、およそ真面目なすべての表現者を敵に追いやった。おそらくは彼の計算にはなかった想定外のこと。コントロールもブロックもできなかった。これは、第2次安倍内閣の、「終わりの始まり」と言ってよい。
実は、特定秘密保護法は、安倍内閣がたくらむ「悪法パッケージ」の一つである。主要な一つではあるが、これからもぞろぞろと「悪法」の提出が続く。特定秘密保護法反対運動で築いた抵抗運動の陣地を固めて、ここから新たな運動を始めることができるのであれば、次は法案を阻止することができる。それだけではない。安倍内閣そのものを倒して、もっとマシな政権にすげ替えることも可能になる。
日本版NSC設置法と特定秘密保護法に続いて提案が予定されている「悪法」のパッケージとは、
*集団的自衛権行使容認の解釈変更
*国家安全保障基本法の制定
*防衛計画の大綱の改定
*日米ガイドラインの改定
などである。
とりわけ、国家安全保障基本法は事実上憲法9条を直接に蝕む危険な戦争準備立法である。まだ条文化されて法案とはなっていないが、昨年7月に「概要」12か条が公表されている。
改めて、自分に言い聞かせている。
「落胆などしている閑はない。さらに怒りを燃やそう。この怒りを持続させよう」
成立した特定秘密保護法については、施行まで一年の政権の動きを監視しよう。そして、果敢に情報公開を求めよう。情報の公開を通じて、行政の透明性と説明責任の確立を求めよう。
さらに、特定秘密保護法反対に立ち上がった多くの人々との連帯を固くし、次の安倍政権のたくらみを阻止しよう。次は、「国家安全保障基本法」の制定と「集団的自衛権行使容認の解釈変更」とを阻止する課題に取り組もう。
その運動の先に、かくも危険な安倍政権打倒の展望が開けるはずだ。
(2013年12月7日)
12月6日は、もうすぐ終わろうとしているが、特定秘密保護法はまだ成立していない。多くの国民の院外での声を背景に、参議院では野党が奮闘している。この抵抗の精神の持続が必要だと思う。
今日も道行く人に語りかけた。反応は様々。街宣活動参加者の怒りのボルテージと、道行く人の心境とは明らかに隔たりがある。その温度差は当然といえば当然なのだが、昨日の特別委員会強行採決への怒りが治まらない。自ずから、マイクの声にもトゲが混じる。
「ご通行中の皆様、私たちは今参議院で審議中の特定秘密保護法案の廃案を求める宣伝活動を行っています。昨日の特別委員会強行採決には怒りを禁じ得ません。ぜひ、ビラをお読みください。
皆さん、『自分には関係ない』とおっしゃっても、この法案の方は、あなたに無関係と放っておいてはくれません。この法案が通れば、必ず、あなたの権利や自由に影響が及ぶことになる。少なくとも、確実にジャーナリズムは萎縮する。私たちは知る権利を害される。
それだけではない。昔、軍機保護法という法律がありました。陸海軍大臣が思いのとおりに、軍事秘密を指定します。すると、飛行場も、港湾も、気象も、地震の被害も、空襲被害も一切秘密。写真も禁止、スケッチも禁止、喋ってもならない。うっかり喋るとスパイにされたのです。気象は軍事秘密でしたから、天気予報はなくなります。台風の予報もされなくなる。戦時中は、そのような時代でした。特定秘密保護法はこれと同じ構造の法律です。『大本営発表の時代』が到来しかねません。
今日は平和なようですが、この平和がいつまで続くことになるか。私たちが、大事なことを、他人任せ、安倍晋三任せにしていますと、『こんなはずではなかった。あのとききちんと反対しておけばよかった』となりかねません。今ならまだ、声を出せる。反対の声をあげられる。皆さん、ぜひ、特定秘密保護法に反対を…」
帰宅したら、「前夜」という書籍が届いていた。
私と、梓澤和幸弁護士と岩上安身さんとの鼎談を書籍にしたもの。330頁を超えるボリューム。
その帯が、
「There is still time.
もう間に合わない時に、こんな悲しい言葉を口にしないために、
Point of No Return(帰還不能点)を越える前、今なら戻れる!!」
「二つの憲法(「現行日本国憲法」と「自民党改憲草案」)を徹底解剖し比較しながら、ギリギリまで来た、前夜、日本の状況を読み解く。」
というもの。そういう意味の「前夜」なのだ、うかうかしていると再びの戦前の「前夜」になるぞ、という警告。
惹句は、
「日本国憲法と自民党改憲案を読み解く
12月11日発売!
岩上安身+梓澤和幸+澤藤統一郎
A5判並製 336頁
定価2500円+税
日本国憲法と自民党改憲草案を序文から補則まで、延べ40時間にわたり逐条解釈し、現在の世界状況を鑑み、両憲法(案)の根本的相違を検討した画期的憲法論。細かいことばの解釈、250項目にわたる詳細な注釈で、高校生でも、分かりやすい本」なのです。
ご一読いただくよう、お願い申しあげたい。
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「デモ」があるからデモクラシー
デモを禁じて「テロ」クラシー
情報操作で「デマ」クラシー
ヒミツだらけの真ん中に
鎮座まします「アベ」クラシー
A級戦犯生き延びて、満州国の夢の中
祖父なる「キシ」の遺志受けて
執念燃やす「アベ」クラシー
真理も歴史も自分流
右の耳だけよく聞いて
左の方は聞こえない
有象無象の取り巻きの
コントロールとブロックで
聞きたくないことシャットアウト
明るい顔して朗らかに
「美しい国日本」を
ヒミツの渦に投げ込んで
してやったりと高笑い
憲法9条目の敵
デモクラシーは大嫌い
「靖国」大好き、
参拝したくて気がはやる
平和憲法投げ捨てて、
持ちたき物は国防軍
「アベ」クラシーには「デモ」がない
「デモ」は大衆、主権者だ。
「デモ」の怒りは沸騰寸前
「奢れる者は久しからず」
これが、「美しい国日本」の
歴史・伝統・文化なり
そっ首洗って、待ちおろう
参議院前の舗道。国家安全保障特別委員会の審議打ち切りと強行採決に怒りの叫びが渦巻く。これこそ主権者の声。
自民党よ、恥を知れ。
公明党よ、恥を知れ。
強行採決は認めない。
委員会へ差し戻せ。
この強行採決には声もない。これは民主々義ではない。これは国民主権下の議会ではない。これは、平和な国の出来事ではない。この非民主主義的な法案審議のあり方は、その内容が民主々義を蹂躙するものであることを雄弁に物語っている。こんな与党に、こんな政権に、秘密の指定も管理もさせられるはずもない。
小選挙区制のマジックによる水増し議席に胡座をかく、傲慢極まりなき自民党。そして、暴走自民党のエンジンにアクセル役を買って出ている公明党。その罪の深さを知れ。そして、恥を知れ。
政権と与党とは、なにゆえに、かくも焦り、かくも急ぐのか。それは、傲りと裏腹の自信のなさの表れだ。学界、法曹界、ジャーナリズム、言論界、労働団体、女性団体、映画・演劇・音楽…。一つの法案に、ありとあらゆるジャンルから、これだけの反対の声があがったのは久しぶりのことではないか。原発に関する情報の秘匿を恐れる福島県議会や、米軍基地情報の秘匿を恐れる沖縄県議会など、自治体も反対決議をあげている。法案の内容とその危険性を知られれば、国民の反対の声が際限なく大きく広がることは確実なのだ。だから、彼らは焦り、急いだのだ。
振り返れば、何もかにもが「できるだけ秘密」「できるだけ国民に知られないうちに」という姑息なやり方で貫かれてきた。法案の形になる前のパブコメ募集が、期間わずか15日であった。この15日間に寄せられた9万を超えるコメントの8割を占めた明確な反対意見は完全に無視された。衆議院に法案が提出されたのが10月25日、審議にはいったのは11月7日。その後わずか20日足らずの11月26日に強行採決によって衆議院を通過。その10日後に参院で再びの強行採決。広く国民に知られないうちの駆け込み成立をという強引な姿勢以外のなにものでもない。
しかし、与党の計算は、うまくはいっていない。急ぐ余りの強引さが、強い批判を招き、敵を作ってもいるのだ。あらゆるマスコミが、この事態を批判している。「拙速である」「審議が不十分だ」「国民の理解が得られていない」「審議が深まるにつれて法案の危険は益々明らかになって来ているではないか」「与党には数の傲りがあるのではないか」。今や、慎重審議を求める世論は天の声。圧倒的な多数の意見となつている。政権にとっても、自民・公明の両党にとっても、これは思惑外れの事態となっているはず。
拙速といえば、これ以上のものはない。私は、この法案の審議に注意を払ってきた。政権が何をいうのか、聞き耳を立ててきた。それでも、昨日唐突に提案された「特定秘密指定のチェックに関する第三者(的)機関」なるものの性格はいまだに良く理解ができない。「首相は、同法施行までに特定秘密の指定や解除の妥当性をチェックする『情報保全監視委員会』と、統一基準を策定する『情報保全諮問会議』と、『独立公文書管理監』を政府内に設置する考えを表明した」と報道されている。しかし、それぞれの具体的な指揮系統、権限、規模や人選のあり方など、具体的なことはわからない。わかっているのは、いずれも、政府内に設けられる内部チェックの組織に過ぎないこと。そして、いったんは審議の進行を凍結して、このような機関の細目をすべて整えてから、改めて審議を再開しても、国政に何の影響もないことである。
繰り返すが、新しい組織の名前だけの唐突な発表が4日の午前中である。その日の午後に行われた大宮での公聴会では、もちろん誰も言及していない。その内容の吟味の時間も与えずして、5日の委員会強行採決なのである。「拙速」というよりは、「だまし討ち」というべきではないか。しかも、さらに本日になって、菅義偉官房長官は「情報保全監察室」なる組織を内閣府に設けると言いだした。さあ、ますます複雑怪奇。これは面妖な。いかにも官僚の考えつきそうなこと。自民党・公明党の議員の誰も、この新4機関の具体的なイメージを語ることはできないだろう。
この強行採決は絶対に許さない。さすがに、本日の本会議採決はない模様だが、怒りを燃やそう。民主々義や平和を守るためにはエネルギーが必要なのだ。怒りをそのエネルギーに変えよう。そして、持続しよう。さらに、本会議採決阻止の声をあげよう。そして、自民や公明に代わる、もっとマシな議会制民主々義を私たちの手でつくり出そう。
(2013年12月5日)
参議院の議員諸君。国民の代表であるあなた方に、そして良識の府の選良としてのあなた方に、民主々義と平和をこよなく大切に思う立ち場から、心からの訴えを申し上げたい。
臨時国会の会期の期限が目前だが、今国会における特定秘密保護法案の審議打ち切りと採決強行に与してはならない。通常国会に審議を継続して、徹底した慎重審議を尽くしていただきたい。それが、圧倒的多数の国民の声であり、憲法的良識が必然とするところでもある。
あなた方は、議会制民主々義の担い手として国民から重い負託を受けている。憲法41条によって、国民に新たな義務を課し、権利を制限できるのはあなた方以外にはないとされている。あなた方が間違えば、その影響は直ちに国民に及ぶ。あなた方が大きく間違えば、国民は大きな被害を被らざるを得ない。場合によっては、あなた方の判断の間違いが、取り返しのつかない歴史の悲劇を生むことにさえなりかねない。あなた方の重責は、慎重に行使されなければならない。
人権や民主々義に対する侵害の危惧が指摘されている法案の審議や賛否については、くれぐれも慎重でなくてはならない。「拙速」「軽率」「審議不十分」「国民の心配が払拭されない」と批判されるような事態を招いてはならない。数を恃んで、日程内に成立させるスケジュールの消化優先では、国会審議とは名ばかりの実態のないものでしかないことになる。多くの国民から、そのように印象をもたれることは、あなた方にも不本意なことではないだろうか。
この法案の内容は国会の地位を貶め、議会制民主々義を形骸化するものとお考えにならないか。この法案の基本思想は、「国会議員と言えども行政機関の長が定めた特定秘密を知る必要はないし知ってはならない」「こと国の安全保障にかかわる問題については、国会は行政機関の長が許容した範囲での情報で審議を進めればよい」というものではないか。議会の権威を貶めるこの法案に、どうして国会が賛同ができるのか。少なくとも、もっと徹底した審議が必要とお考えにはならないか。
また、議会制民主々義の形骸化は、平和を危うくするものとお考えにはならないか。戦前の歴史の教訓を改めて噛みしめていただきたい。議会制民主々義の形骸化は、軍部横暴と軍国主義謳歌と並行する事態ではなかったか。特定秘密保護法による安全保障にかかわる情報の秘匿は、この轍を踏むものとはならないか。少なくとも、そのような国民の危惧を払拭するものとなり得ているだろうか。
さらに、強調して申し上げたい。このまま「会期内採決強行」の事態となれば、参議院の権威を貶めることになるのでないか。衆議院の採決強行が11月26日、四党修正案が参議院に送付されてから会期末までは10日しかない。この短期間の形ばかりの審議で参議院が採決したのでは、「参議院は衆議院のカーボンコピーでしかない」といわれても反論のしようがないではないか。いったい、参議院の良識はどこにいってしまったのか。参議院の存在意義はどこにあることになるのか。なにゆえ、参院不要論に手を貸す愚挙を敢えて行おうというのか。
むしろ、今こそ、参院の良識と存在意義と、そして権威を国民に印象づける絶好の機会ではないか。今や、徹底した慎重審議を求める世論は天の声。圧倒的な多数の意見である。その天の声を汲み取るべきことこそが、参議院議員諸君のその重責を全うするにふさわしいあり方ではないか。
「12月4日には、地方公聴会を開催した。これで国民の声を聞きおえたから、さあ採決だ」では、余りに議会の審議のあり方が貧しい。参議院が衆議院の二の舞を演じるようでは、それこそ議会制民主々義の危機といわざるを得ない。国会内外での幅広い国民の声によく耳を傾けて、国民からの重い負託に応えていたくよう、切に要望する。
(2013年12月4日)
当ブログが新装開店したのは本年4月1日。以来8か月、1日の休載もなく更新を継続している。8か月の連載で、ほぼ形が定まってきたように思う。
見てのとおり、何の工夫もなく文字を連ねるだけの不粋でシンプルこの上ないブログ。ほかでは見たことがない。論語は、「質、文に勝てば則ち野。文、質に勝てば則ち史。文質彬彬として然る後に君子なり」(内容さえよけりゃなんて言うのはヤボ、さりとて格好だけじゃカラッポ。内容と見てくれとマッチングしなけりゃね)と教えている。敢えて孔子に逆らっての「質」だけ志向ブログは、私の性に合っている。どこのプロバイダーとも無縁(のはず)。どうして、まったくの無料でブログを発信し続けていられるのか、仕組みはいまだに理解できていない。
このブログの11月の訪問者は一日平均で1604人、月間延べ訪問者数は48122人となった。開設当初の4月が7166人、5月が14768人だったから、着実に増加してきたことになる。なお、「11月の月間訪問件数」が183954とカウントされている。おそらくは、重複訪問を含めた延べアクセス回数のこと(?)だろうと思うのだが、一日平均6000を超える。訪問者数に比較して数字が多すぎるよう。これもよく分からない。
このアクセス数が、他のブログと比較して多いのか少ないのかは、よくわからない。ともかく、これだけの人に読んでいただいていることを、素直にありがたいと思っている。
時に、知り合いからアドバイスをいただく。多くは、「もう少し、短くしなさい」「長すぎてうんざり」「固い。もっと読みやすく」「もっとビジュアルだと良いのにね」というもの。「文質彬彬」を目指せということなのだ。が、改善の方法を知らない。知ろうとする熱意にも乏しい。
このブログの読者として想定しているのは、労組や市民運動の活動家層。ビラや職場新聞を作ったり、街宣活動でスピーチをしたり、ブログでの発信をしたり、あるいは声明文を起案するとき…。そんなときに、参考にしていただけたら幸いである。適当に切りとってそのままつかっていただいても、加工し改ざんして使っていただいてもいっこうに差し支えない。引用元の明示も不要だ。転載・引用していただけるに値するような、憲法ネタを提供し続けていきたいと思う。
下記の街宣スピーチも、そのような一例として捉えてもらえばありがたい。
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国会周辺の大行動が大事なことは言うまでもないが、そこには問題の重大性をよくわかった人が集まっている。地域で、多くの町の人に訴えることも大切。そんな思いで、今夕は「憲法改悪反対文京共同センター」による「秘密保護法案廃案を求める地域共同宣伝行動」に参加した。総員42名の大きな宣伝行動となった。
街宣車がスピーカーを使った時間はきっかり1時間。最初と最後の2度。マイクをまわしていただいた。結構な時間をいただき、まとまったことを喋ることができた。
「後楽園駅前をご通行中の皆様。私たちは、皆様の耳に声が届くようにスピーカーを使います。しかし、『スピーカーで音を出すからテロリスト』などと誤解なさらぬようにお願いいたします。民主々義をこよなく大切に思う立ち場からの訴えです。
今国会で審議中の特定秘密保護法案は、国民の知る権利や平和を侵害します。稀代の悪法と言って過言でありません。その徹底審議を通じて廃案を求める宣伝活動を行っています。ぜひ配布のチラシをお読みください。署名もお願いいたします。
この法案は、今年の9月3日に、初めて「概要」として示されたものです。同時にパブコメの募集がなされました。パブコメの募集期間は、原則1か月とされていますが、どういうわけかこの大切な法案についてはわずかに15日間。そして、多くのパブコメ募集には1件のコメントも寄せられないのが実態なのですが、この法案「概要」には、15日間に9万件を超える意見が寄せられました。しかもその8割が、明確な反対意見だったのです。パブコメに示された国民の圧倒的な反対世論はどう生かされたでしょうか。安倍政権は、まさしく一顧だにすることもありませんでした。
9月27日に「政府原案の詳細」が発表されました。そして、自民・公明両党の修正協議と合意を経て、衆議院に法案が提出されたのは10月25日でした。審議にはいったのは11月7日です。それからわずかに20日足らず、11月26日に強行採決によって衆議院を通過しました。
あらゆるマスコミがこの事態を批判しています。「拙速である。」「審議が不十分だ」「国民の理解が得られていない」「審議が深まるにつれて法案の危険は益々明らかになって来ているではないか」「与党には数の傲りがあるのではないか」。今や、慎重審議を求める世論は天の声。圧倒的な多数の意見です。
しかし、安倍政権と与党とは、参議院で審議中のこの法案を6日の会期末までに一丁あがりにするのだ言い切っています。衆議院と同じく、スケジュールありきで、強行採決を厭わないとしているのです。
なぜ、政府と与党とは、こんなにも急ぐのでしょうか。それは彼らに自信がないから。今、この法案の中身を知り理解した世論は、急速に反対の盛り上がりを見せています。時間が経てば経つほど国民世論は反対に固まっていく。できれば法案の内容を国民には秘密にしたまま成立させたい。それができなければ、国民が十分に法案の危険を知る前に、できるだけ早期に成立させてしまえ、と言うのが政府と与党の考え方なのです。
今、この法案に対しては、「賛成」と「反対」の二つだけでなく、「徹底した慎重審議を求める」という、第3の立ち場の比重が大きなものとなっています。あらゆる世論調査での圧倒的な多数意見が、「今国会の成立にこだわらず、徹底して審議を尽くせ」「法案成立はあくまで慎重に」というものです。政府・与党の会期内強行採決は道理ある国民世論に背くものといわなければなりません。
国民とって、この法案の危険性はどこにあるのでしょうか。
特定秘密保護法案は、「行政機関の長」が特定秘密を指定し、指定された秘密を、重罰を科することによって保護しようという基本構造をもつ法律です。指定を予定される特定秘密の数は、現在行政が「特別管理秘密」としている42万件。これを漏らした公務員は最高刑懲役10年プラス罰金1000万円。刑罰に処せられるのは、秘密を取り扱う公務員だけではありません。気骨あるジャーナリストが公務員に情報取得のために「通常以上の強引な」取材活動をすると、これが懲役10年になりかねないのです。仮に、情報取得を働きかけて、当の公務員が応じなくとも、ジャーナリスト側は、独立教唆罪として懲役5年になりえます。しかも、何が秘密かはヒミツです。これを取り扱う公務員側は何が秘密かがわかる仕組みですが、民間側にはわからない。酒場での議論でも、煽動・共謀として罪になりかねません。有罪判決にならなくても、強制捜査の対象にはなりえます。また、このことが公務員にも、マスコミにも大きな萎縮効果をもたらします。結局は国民の知る権利が奪われることになるのです。
何が秘密かはヒミツですから、本当に法律が予定した秘密なのか、政権の都合だけで隠しておこうと、紛れ込まされた秘密なのか、国民に検証の手段はありません。政権の隠したい情報が際限なく秘密にされるおそれはどうしても拭えません。
政権は、国民に向かっていうでしょう。「政府を信用してください。間接的にせよ、選挙で選ばれた内閣です。そんな悪いことをするはずはありません」。ここが問題です。けっして政府を信頼してお任せしてはならない。それが民主々義社会の主権者のあり方です。しかも、憲法を変えてしまおうという安倍政権ではありませんか。沖縄返還時の密約を隠し通してきた自民党政権ではありませんか。これを信頼せよいうのがどだい無理な話。
では、一切の国の秘密を守る必要はないのか。今、そのような議論に拘泥する必要はありません。現行の法制で十分なのです。国家公務員法は、公務員が広く職務上知ることのできた秘密を漏えいした場合には懲役1年としています。自衛隊法は、自衛隊員が防衛秘密を漏えいした場合を懲役5年としています。そして、MDA秘密保護法(正式には『日米相互援助協定等に伴う秘密保護法』という長い名前)があります。これは、安保条約の下位協定である日米相互援助協定に基づいて、米軍から日本に提供された装備品やそれにかかわる情報を「特別防衛秘密」として、その漏えいを最高刑10年とするものです。
今問われているのは、このような秘密法制をなくしてしまうかどうかということではありません。現在の秘密保護法制を基点に、情報公開を進め行政の説明責任を重くする方向を選択するのか、それとも秘密を拡大し厳罰化によって国民に情報を隠匿する方向を選択するのか、その基本的な方向性が問われているのです。
もうすぐ、12月8日が来ます。1941年12月8日早朝、大本営発表の臨時ニュースで、国民は帝国海軍が米英と戦争を始めたことを知ったのです。まさしく、戦争は秘密から始まります。戦争は軍事機密を保護する法律を必要とします。まさしく、この特定秘密保護法がそれにあたります。
民主々義と平和を守るためにあと3日。強行採決などなきよう、世論の力で政権と与党を包囲しようではありませんか。
(2013年12月3日)
「維新」も「みんな」も改憲志向政党である。改憲と軌を一にする特定秘密保護法案の審議においては、衆院段階ではやばやと法案修正の協議に応じて、自民党の補完勢力であることを露呈している。人権や民主々義の観点から、その存在自体が有害というべきである。
しかし、そのメンバーのすべてが、等しく国家主義的で、新自由主義的で、どうしようもない改憲志向であるかといえば、必ずしも一色ではなさそうだ。というのは、本日の毎日「特定秘密保護法案に言いたい」欄に掲載された「みんな」の井出庸生議員の意見にいたく感心したからだ。彼は、衆議院本会議の秘密法採決で党議に反して反対に回った。毎日紙上の発言で、その行動に筋が通っていることを知った。
彼は、次のように言う。
「法案は国家が国民に足かせをはめかねない。作るなら最低限の内容に抑えるべきだが、修正案は運用面に不安が残る。…納得できなかったのは、違法な秘密指定を告発する者を守る制度が担保できなかったことだ。告発ができなければ取材への情報提供もない。秘密の範囲から警察情報を外せなからたのも問題だ。…秘密が裁判の場で明かにならない可能性があることにも疑問が残る。…政治家は自分の発言、行動を封じ込めてはいけない場面がある。後悔していない。後悔があるとしたら、与党との交渉の場で、党内の慎重な意見をくめなかったことだ。」
「拙速審議に反対」の立場だが、その見解を行動で貫こうとする姿勢の真摯さには頭が下がる。
彼だけではない。井出議員が言及しているとおりに、「党内の慎重な意見」が確実にあるのだろう。「みんな」の参議院議員では、国家安全保障委員会審議での活躍が目立つ小野次郎議員に期待がかかる。議事録を見ると、その迫力たるや相当なものだ。本気で法案の危険性を追求している。到底、四党修正案で手を打とうという姿勢ではない。
もう一人、川田龍平議員にも期待をしたいところ。彼は特別委の委員ではなく、ブログを見る限り、法案の内容にさしたる理解があるようには見えない。しかし、情報公開を求める立ち場にある彼が、「みんな」の党議に拘束されて、この法案に賛成の立場にまわれば、その政治生命(が今あるものとして)は完全に断たれる。彼は、たまたま居所を間違えて「みんな」という政党に所属しているのか、実は「みんな」べったりがふさわしいのか。きちんと説明責任を果たさなくてはならない。
彼が、「公式ブログ」で表明している特定秘密保護法案に対する姿勢は、次のとおり。
「自分はこの法案の拙速な成立に、一貫して反対の立場を訴え続けてきました。薬害も原発問題も、その根底にあるのはすべて国による情報統制であり、この法案もまた、同じ危険性を帯びているからです。」
見てのとおり、「法案反対」とは言わない。反対なのは、「拙速な成立」に対してのこと。「拙速でなければ賛成」「審議が尽くされれば賛成」という余地を残す発言となっている点においてもどかしい。これまでの「公式ブログ」を読み返しても、自分が政治家として関わってきた問題に、この法案が具体的にどう影響するのかという掘り下げた思索がない。自分の言葉で語る迫力もない。
川田龍平議員よ、この法案に反対であれば今の時点で速やかに意見を述べるべきではないか。是非とも「廃案を目指す」と言ってほしい。「拙速成立批判」も結構だが、具体的に「どこをどう改めない限り賛成はできない」と言わねばならない。「政治家は自分の発言、行動を封じ込めてはいけない場面がある。」という井出議員に倣った覚悟を見せていただきたい。本会議での不起立で、後出しの抵抗ポーズをとっても、時既に遅し。法案成立の阻止には無意味ではないか。
国会情勢は、いまなお流動的である。
民主、みんな、共産、維新、社民、改革、生活の野党7党全会派の参院国会対策委員長は28日夕、国会内で会談し、
「特定秘密保護法案に関し国家安全保障特別委員会での徹底審議」
を合意した。
さらに本日、この合意は、7党の幹事長・書記局長会談でも確認されている。維新・みんなを含めて、この合意は誠実に実行されている。四党修正ができたからこれで盤石、安心して採決の強行ができるという事態ではない。いま、全野党が結束して要求する「徹底審議」を無視することは容易なことではない。
このような状勢は、院外の運動が作り出したものだ。院内の議席数では、少数でも、「今国会の成立にこだわらない徹底審議」は国民の圧倒的多数の声だ。実は、世論の渦の中に孤立しているのは安倍政権と与党の側である。
院外の集会の声が、彼らの耳に「テロ行為のごとく」突き刺さるのは、彼らの焦りの故である。与党中枢にも、反対運動の声は確実に届いている。維新や「みんな」の良心派議員の耳にも届いていないはずはない。もしかしたら、心ある公明党議員の胸にだって。
(2013年12月2日)
本日の「毎日」「今週の本棚」欄に、中島岳志が「ある北大生の受難―国家秘密法の爪痕」(上田誠吉著・花伝社)について書評を寄せている。たいへん要領よく、書物の内容を紹介し、軍機保護法が民間人の身にもたらした理不尽な暴威に照らして、法案審議中の特定秘密保護法の危険性に警鐘を鳴らすものとなっている。
自由法曹団の団長であった上田誠吉弁護士(故人)の努力によってその全貌が明らかとなった、「宮沢・レーン事件」とは軍機保護法違反の刑事事件である。日米開戦の1941年12月8日の朝、北海道帝国大学の学生宮沢弘幸と同大学の英語教師ハロルド・レーン夫妻とが逮捕された。宮沢がレーンに話した旅行談の中に根室飛行場についてのものがあった。これが、スパイ行為とされたのだ。「軍機の取得と漏えい」があったとされた宮沢は、懲役15年の刑に処せられた。戦後軍機保護法が失効して釈放されたが、拷問と網走刑務所の極寒の中で患った結核によって、彼は1947年に27歳で没している。宮沢もレーンもスパイとは何の関係もなく、根室飛行場の存在は既に当時広く知られていた。宮沢は、軍機保護法に命を奪われたに等しい。
中嶋は、書評の末尾を、「軍機保護法『再来』である秘密保護法案を認める前に、我々は宮沢・レーン事件を知らなければならない。本書は、今こそ読まれるべき一冊だ」と結んでいる。警世の書であり、警世の書評である。
特定秘密保護法は、公務員の特定秘密保護法の漏えいだけでなく、民間人が「不当な手段で」秘密を取得する行為を最高刑懲役10年として処罰する。この法案が成立すれば、「ある北大生の受難」は再び繰り返されうる。
「あれは過去の話、今の世では起こりえない」か。そんなことはない。秘密の闇の中では同じことが必ず繰り返される。軍機の保護は正義であるとの固い信念が恐ろしい。特高も憲兵も、冷血な人物であったわけではない。皇国を守る正義感が、拷問まで辞さなくなるのだ。特定秘密保護法は、軍事立法としては軍機保護法とも国防保安法ともよく似ている。弾圧立法としては治安維持法と同様の効果をもたらしかねない。法の運用において、人権侵害の危険のある立法は絶対に容認してはならない。
さらに、特定秘密保護法は、公務員の特定秘密保護法の漏えいだけでなく、民間人が公務員に対して、漏えいを「教唆」「共謀」「煽動」した場合を独立の犯罪としている。つまり、正犯である公務員が秘密の漏えいに至らなくとも、その働きかけをした者には犯罪が成立し最高刑懲役5年になる。
本日の赤旗「秘密保護法案参院委 論戦ハイライト」では、仁比聡平議員の質問に答弁がよれよれ。よれよれではあるが、森雅子担当大臣は、「漏えいに対する『教唆』『共謀』『煽動』罪の成立には違法な目的を必要とせず、処罰対象となる」ことを明言している。
公務員の漏えい罪の成立には、極めて曖昧なものではあるにせよスパイなどの「目的」が必要。これなければ処罰はできない。ところが、一般人が漏えいを「教唆」「共謀」「煽動」した場合には、スパイなどの「目的」は不要で処罰はできるということなのだ。結局、民間人が特定秘密に携わる公務員に接触する場合だけでなく、漏えいをさせるべく「共謀」することも、スパイの目的がなくても犯罪となるというのだ。
一般人の会話に聞き耳が立てられ、逮捕や起訴の恐怖に怯えなければならない社会はご免だ。「ある北大生の受難」の時代の再来を許してはならない。今なら、まだ大きな声で反対を叫ぶことができる。叫ばずにはおられない。
(2013年12月1日)